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最高裁判所長官 - Wikipedia

最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん

日本にっぽん最高さいこう裁判所さいばんしょなが

最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん(さいこうさいばんしょちょうかん、英語えいご: Chief Justice of the Supreme Court of Japan)は、日本にっぽん最高裁判所さいこうさいばんしょながたる裁判官さいばんかん

日本の旗 日本にっぽん
最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん
Chief Justice of the Supreme Court of Japan
裁判所さいばんしょロゴタイプ
現職げんしょくしゃ
今崎いまさき幸彦さちひこ

就任しゅうにん 2024ねんれい6ねん8がつ16にち
所属しょぞく機関きかん最高裁判所さいこうさいばんしょ
担当たんとう機関きかん裁判所さいばんしょ
最高裁判所さいこうさいばんしょかく下級かきゅう裁判所さいばんしょ
裁判官さいばんかん会議かいぎ
庁舎ちょうしゃ最高さいこう裁判所さいばんしょ庁舎ちょうしゃ
官舎かんしゃ最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん公邸こうてい
指名しめい内閣ないかく
だい2岸田きしだ内閣ないかく
任命にんめい天皇てんのう
とくひとし
任期にんき定年ていねん(70さい
根拠こんきょ法令ほうれい日本国にっぽんこく憲法けんぽう
前身ぜんしん大審院だいしんいんちょう
初代しょだい就任しゅうにんさんふち忠彦ただひこ
創設そうせつ1947ねん昭和しょうわ22ねん8がつ4にち
職務しょくむ代行だいこうしゃ最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん代理だいり
俸給ほうきゅう月額げつがく 201まんえん[1]
ウェブサイト最高裁判所さいこうさいばんしょ

最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかん一人ひとりであると同時どうじに、対外たいがいてきには最高さいこう裁判所さいばんしょ代表だいひょうする地位ちいゆうし、司法しほう行政ぎょうせい事務じむおこな裁判官さいばんかん会議かいぎ総括そうかつする。

最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん最高さいこう裁判所さいばんしょちょうたる裁判官さいばんかんであり(裁判所さいばんしょほうだい5じょうだい1こう)、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん衆議院しゅうぎいん議長ぎちょう参議院さんぎいん議長ぎちょうとともに、三権さんけんながばれる。

最高さいこう裁判所さいばんしょは、最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかん(「ちょうたる裁判官さいばんかん」)1人ひとりと、最高裁判所さいこうさいばんしょ判事はんじ(「その裁判官さいばんかん」)14にんけい15にん最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかん(「最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかん」)からなる。最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん以外いがいのその裁判官さいばんかんを「最高裁判所さいこうさいばんしょ判事はんじ」という(裁判所さいばんしょほうだい5じょうだい1こう)。最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん内閣ないかく指名しめいもとづいて天皇てんのう任命にんめいする(日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい6じょうだい2こう)のにたいし、最高裁判所さいこうさいばんしょ判事はんじ内閣ないかく任命にんめい天皇てんのう認証にんしょうする(日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい79じょうだい1こう裁判所さいばんしょほうだい39じょうだい3こう)。

なお、最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかんは、皇室こうしつ会議かいぎ議員ぎいんとなる(皇室こうしつ典範てんぱん28じょう)。

最高さいこう裁判所さいばんしょ代表だいひょうする地位ちい

編集へんしゅう

最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかんは、対外たいがいてきには、最高さいこう裁判所さいばんしょ代表だいひょうする地位ちいゆうする。三権さんけんちょうそろみする外部がいぶ公式こうしき行事ぎょうじ出席しゅっせきする。

呼称こしょう

編集へんしゅう

最高さいこう裁判所さいばんしょちょうについて、日本国にっぽんこく憲法けんぽうにおいては「最高さいこう裁判所さいばんしょちょうたる裁判官さいばんかん」(6じょう2こう)、「ちょうたる裁判官さいばんかん」(79じょう1こう)とさだめ、日本国にっぽんこく憲法けんぽうに「最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかん」の表記ひょうき存在そんざいせず、裁判所さいばんしょほうにおいて「最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかんは、そのちょうたる裁判官さいばんかん最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかんと…する」(5じょう1こう)とさだめる。

最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん
最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかんは、日本にっぽんにおいては最高さいこう裁判所さいばんしょちょうたる裁判官さいばんかんかんめいである。宮中きゅうちゅう親任しんにんしき授与じゅよされる官記かんきには「最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかん任命にんめいする」と記載きさいされる。
最高さいこう裁判所さいばんしょちょうたる裁判官さいばんかん
上述じょうじゅつ最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかんは、司法しほうけん行使こうしてん最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかん優越ゆうえつするものではない。日本国にっぽんこく憲法けんぽう原案げんあんでも、最高さいこう裁判所さいばんしょ所属しょぞくする裁判官さいばんかんを「ちょうたる裁判官さいばんかん」と「その裁判官さいばんかん」(最高裁判所さいこうさいばんしょ判事はんじ)とに区別くべつはしていなかった。ところが原案げんあん審議しんぎ過程かていで、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん任命にんめいけん天皇てんのう帰属きぞくするのにたいし、最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかん任命にんめいけんすべ内閣ないかく帰属きぞくすることになっていたことが問題もんだいとなった。その結果けっか最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかんについては、おなじく三権さんけんちょうである内閣ないかく総理そうり大臣だいじんとの均衡きんこうじょう天皇てんのう任命にんめいけん帰属きぞくさせるべきであるとして原案げんあん修正しゅうせいくわえられ、憲法けんぽう規定きていじょうそのほか裁判官さいばんかん区別くべつされるようになった。つまり、憲法けんぽうにある「最高さいこう裁判所さいばんしょちょうたる裁判官さいばんかん」というかたりは、あくまでも任命にんめいけん帰属きぞくについてほか裁判官さいばんかん区別くべつするための用語ようごであり、名称めいしょうかんめい職名しょくめい)ではない。

指名しめい任命にんめいおよ任期にんき

編集へんしゅう

最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかんは、内閣ないかく指名しめいもとづき、国事こくじ行為こういとして天皇てんのう任命にんめいする(憲法けんぽう6じょう2こう79じょう1こう裁判所さいばんしょほう39じょう1こう、なお、任命にんめい資格しかくについては裁判所さいばんしょほう41じょう参照さんしょう)。最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん任命にんめい資格しかくは、最高裁判所さいこうさいばんしょ判事はんじ任命にんめい資格しかくおなじである。

最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん裁判官さいばんかんわく出身しゅっしんもの任命にんめいされていることがおおい。1979ねんよりまえ裁判官さいばんかんわく以外いがい法学ほうがくしゃわく弁護士べんごしわく検察官けんさつかんわく)の出身しゅっしん長官ちょうかんが4にん存在そんざいしていたが、1979ねん昭和しょうわ54ねん以降いこうから現在げんざいまで12だいつづけて裁判官さいばんかんわく出身しゅっしんから長官ちょうかん任命にんめいされている。新藤しんどうそうみゆきはキャリア裁判官さいばんかんにおける最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん基準きじゅんについて「事務じむ総局そうきょくでの司法しほう官僚かんりょうとしての経験けいけん行政ぎょうせい能力のうりょく評価ひょうかするとともに、地裁ちさい総括そうかつ高裁こうさい総括そうかつ地裁ちさい所長しょちょう高裁こうさい長官ちょうかんといった裁判所さいばんしょ実務じつむにおける訴訟そしょう指揮しき能力のうりょく人事じんじ組織そしき管理かんり能力のうりょくとしてのバランス」と類推るいすいしている[2]

最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかんおなじく、められた任期にんきさだめられていないが、定年ていねんは70さいさだめられている(裁判所さいばんしょほう50じょう[注釈ちゅうしゃく 1]。ただし歴代れきだい長官ちょうかんでは草場くさば良八りょうはちたけ博允ひろしげ2人ふたり定年ていねんまえ依願いがん退官たいかんしている。一方いっぽうで、長官ちょうかん在任ざいにん期間きかんちゅう死去しきょしたというケースはまだない。

最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん慣例かんれいてき定年ていねんの70さいちかづくと、内閣ないかく総理そうり大臣だいじんたいし、次期じき最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかんとしてだれ適任てきにんであるか意見いけんべる[3]内閣ないかく総理そうり大臣だいじんがその意見いけん了承りょうしょうすると、閣議かくぎにより内閣ないかく次期じき最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん指名しめいする。そのため、実質じっしつてき最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん指名しめいけんがあるのは、前任ぜんにん最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかんといえる。なお、げん最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん内閣ないかく総理そうり大臣だいじん意見いけんべるまえもと長官ちょうかん一部いちぶ判事はんじ法曹ほうそう有力ゆうりょくしゃ意見いけんもとめたうえ適任てきにんしゃめることもある。この慣例かんれいは2代目だいめ長官ちょうかん田中たなかこう太郎たろうが3代目だいめ長官ちょうかん横田よこた喜三郎きさぶろう適任てきにん人選じんせんしたときからである[注釈ちゅうしゃく 2][4]

また、最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかん最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかんとして最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかん国民こくみん審査しんさ対象たいしょうになりうるが、いままで国民こくみん審査しんさ結果けっかによって罷免ひめんされた最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん存在そんざいしない。

権限けんげんとう

編集へんしゅう

司法しほうけんかんする権限けんげん

編集へんしゅう

司法しほうけん行使こうし、つまり裁判所さいばんしょにおける審理しんりかんして、最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかん権限けんげんは、最高裁判所さいこうさいばんしょ判事はんじちがいはなく、最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかんたいして優越ゆうえつてき地位ちいめるものではない。このてん内閣ないかく総理そうり大臣だいじんがリーダーシップをり、国務大臣こくむだいじんたいしておおきな権限けんげんゆうする内閣ないかく行政ぎょうせいけん行使こうしとはおおきくことなる。

15にん最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかん全員ぜんいん構成こうせいされるだい法廷ほうてい裁判さいばんちょうとなる。また、最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかんしょう法廷ほうてい審理しんり出席しゅっせきするときは、つね裁判さいばんちょうつとめる(最高裁判所さいこうさいばんしょ裁判さいばん事務じむ処理しょり規則きそく)。ただし、長官ちょうかん司法しほうけん代表だいひょうして、皇居こうきょでの儀式ぎしき外国がいこく賓客ひんきゃくなどの公式こうしき行事ぎょうじへの出席しゅっせきする責任せきにん義務ぎむがあり、司法しほう行政ぎょうせい事務じむ外部がいぶ公式こうしき行事ぎょうじがあることで裁判所さいばんしょ内外ないがいでの業務ぎょうむ多忙たぼうになるためか、しょう法廷ほうてい審理しんりにはほとんど関与かんよしない慣例かんれいつづいている[5]なかには横田よこた正俊まさとしたけ博允ひろしげのようにしょう法廷ほうてい審理しんり積極せっきょくてき関与かんよした長官ちょうかんもいる。

司法しほう行政ぎょうせいけんかんする権限けんげん

編集へんしゅう

最高さいこう裁判所さいばんしょ司法しほう行政ぎょうせい事務じむおこなうのは、裁判官さいばんかん会議かいぎによるものとされ、最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかんが、これを総括そうかつする。また、最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかんは、裁判官さいばんかん会議かいぎ議長ぎちょうとなる(裁判所さいばんしょほう12じょう)。

このほか最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん最高さいこう裁判所さいばんしょ事務じむ総長そうちょう司法研修所しほうけんしゅうしょちょう裁判所さいばんしょ職員しょくいん総合そうごう研修けんしゅう所長しょちょう最高裁判所さいこうさいばんしょ図書館としょかんちょう監督かんとくする地位ちいにある(裁判所さいばんしょほうだい53じょうだい2こう裁判所さいばんしょほうだい56じょうだい2こう裁判所さいばんしょほうだい56じょうの3だい2こう裁判所さいばんしょほうだい56じょうの4だい2こう)。

6がつごろには司法しほう行政ぎょうせいけんかんするはないをする高裁こうさい長官ちょうかん地裁ちさい所長しょちょう会合かいごう挨拶あいさつおこな[6]

司法しほう機構きこう要職ようしょく人事じんじ関与かんよする[7]

5がつはじめに憲法記念日けんぽうきねんびむかえるにあたって記者きしゃ会見かいけんひらき、司法しほう現状げんじょうについてコメントする[6]

10がつごろ新任しんにん裁判官さいばんかんけて激励げきれい言葉ことばをかける[6]

人事じんじかん任命にんめい職務しょくむ開始かいしするまでに宣誓せんせいしょ署名しょめいおこなさいに、最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかんわなければならない(国家こっか公務員こうむいんほうだい6じょう)。

待遇たいぐう

編集へんしゅう

最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん報酬ほうしゅうは、裁判官さいばんかん報酬ほうしゅうとうかんする法律ほうりつさだめるところにより支給しきゅうされ、そのがく内閣ないかく総理そうり大臣だいじん同額どうがくとなっている。

なお、最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかん自衛隊じえいたい公式こうしき訪問ほうもんまた視察しさつする場合ばあいその防衛ぼうえい大臣だいじんさだめる場合ばあいにおいて栄誉えいよれいける栄誉えいよ礼受れうけれい資格しかくしゃさだめられている(自衛隊じえいたいほう施行しこう規則きそく13じょう

歴代れきだい最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん

編集へんしゅう
だい 氏名しめい 最高さいこう裁判所さいばんしょ判事はんじ
任命にんめい年月日ねんがっぴ
最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん
任命にんめい年月日ねんがっぴ
退任たいにん年月日ねんがっぴ 出身しゅっしん
分野ぶんや
出身しゅっしんこう 修習しゅうしゅう ぜんしょくとう[注釈ちゅうしゃく 3] 指名しめいした内閣ないかく 任命にんめいした
天皇てんのう
不信任ふしんにんりつ
[注釈ちゅうしゃく 4][注釈ちゅうしゃく 5]
1 さんふち忠彦ただひこ
1947ねん昭和しょうわ22ねん
8がつ4にち
1950ねん昭和しょうわ25ねん
3月2にち
裁判官さいばんかん 京大きょうだい 東京とうきょう控訴こうそいん部長ぶちょう
三井信託銀行みついしんたくぎんこう法律ほうりつ顧問こもん
慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく講師こうし
片山かたやま内閣ないかく 昭和しょうわ天皇てんのう 5.54%[注釈ちゅうしゃく 6]
2 田中たなかこう太郎たろう
1950ねん昭和しょうわ25ねん
3月3にち
1960ねん昭和しょうわ35ねん
10月24にち
法学ほうがくしゃ 東大とうだい 参議院さんぎいん議員ぎいん学習院大学がくしゅういんだいがく教授きょうじゅ だい3吉田よしだ内閣ないかく 8.13%
3 横田よこた喜三郎きさぶろう
1960ねん昭和しょうわ35ねん
10月25にち
1966ねん昭和しょうわ41ねん
8がつ5にち
法学ほうがくしゃ 東大とうだい 東京大学とうきょうだいがく教授きょうじゅ外務省がいむしょう参与さんよ だい1池田いけだ内閣ないかく 8.23%
4 横田よこた正俊まさとし 1962ねん昭和しょうわ37ねん
2がつ28にち
1966ねん昭和しょうわ41ねん
8がつ6にち
1969ねん昭和しょうわ44ねん
1がつ10日とおか
裁判官さいばんかん 東大とうだい 東京とうきょう高等こうとう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん だい1佐藤さとう内閣ないかく(2あらため 7.08%[注釈ちゅうしゃく 7]
5 石田いしだかずがい 1963ねん昭和しょうわ38ねん
6月6にち
1969ねん昭和しょうわ44ねん
1がつ11にち
1973ねん昭和しょうわ48ねん
5月19にち
裁判官さいばんかん 東大とうだい 東京とうきょう高等こうとう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん だい2佐藤さとう内閣ないかく(2あらため 7.13%[注釈ちゅうしゃく 7]
6 村上むらかみ朝一あさいち 1968ねん昭和しょうわ43ねん
11月19にち
1973ねん昭和しょうわ48ねん
5月21にち
1976ねん昭和しょうわ51ねん
5月24にち
裁判官さいばんかん 東大とうだい 東京とうきょう高等こうとう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん だい2田中たなか角栄かくえい内閣ないかく 10.33%[注釈ちゅうしゃく 7]
7 藤林ふじばやし益三ますぞう 1970ねん昭和しょうわ45ねん
7がつ31にち
1976ねん昭和しょうわ51ねん
5月25にち
1977ねん昭和しょうわ52ねん
8がつ25にち
弁護士べんごし 東大とうだい だいいち東京とうきょう弁護士べんごしかい所属しょぞく弁護士べんごし 三木みき内閣ないかく 12.09%[注釈ちゅうしゃく 7]
8 岡原おかはら昌男まさお 1970ねん昭和しょうわ45ねん
10月28にち
1977ねん昭和しょうわ52ねん
8がつ26にち
1979ねん昭和しょうわ54ねん
3月31にち
検察官けんさつかん 東大とうだい 大阪おおさか高等こうとう検察庁けんさつちょう検事けんじちょう 福田ふくだ赳夫たけお内閣ないかく 12.21%[注釈ちゅうしゃく 7]
9 服部はっとりだかあらわ 1975ねん昭和しょうわ50ねん
12月3にち
1979ねん昭和しょうわ54ねん
4がつ2にち
1982ねん昭和しょうわ57ねん
9月30にち
裁判官さいばんかん 東大とうだい 大阪おおさか高等こうとう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん だい1大平おおひら内閣ないかく 11.07%[注釈ちゅうしゃく 7]
10 寺田てらだ治郎じろう 1980ねん昭和しょうわ55ねん
3月22にち
1982ねん昭和しょうわ57ねん
10月1にち
1985ねん昭和しょうわ60ねん
11月3にち
裁判官さいばんかん 東大とうだい 東京とうきょう高等こうとう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん 鈴木すずき善幸ぜんこう内閣ないかくあらため 14.63%[注釈ちゅうしゃく 7]
11 矢口やぐちひろしいち 1984ねん昭和しょうわ59ねん
2がつ20日はつか
1985ねん昭和しょうわ60ねん
11月5にち
1990ねん平成へいせい2ねん
2がつ19にち
裁判官さいばんかん 京大きょうだい 高輪たかなわ
1
東京とうきょう高等こうとう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん だい2中曽根なかそね内閣ないかく(1あらため 10.80%
12 草場くさば良八りょうはち 1989ねん平成へいせい元年がんねん
11月27にち
1990ねん平成へいせい2ねん
2がつ20日はつか
1995ねん平成へいせい7ねん
11月7にち
裁判官さいばんかん 東大とうだい 3 東京とうきょう高等こうとう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん だい1海部かいふ内閣ないかく 明仁あきひと 11.10%[注釈ちゅうしゃく 7]
13 三好みよしいたる 1992ねん平成へいせい4ねん
3月25にち
1995ねん平成へいせい7ねん
11月7にち
1997ねん平成へいせい9ねん
10月30にち
裁判官さいばんかん 海兵かいへい
東大とうだい
7 東京とうきょう高等こうとう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん 村山むらやま内閣ないかくあらため 7.99%[注釈ちゅうしゃく 7]
14 山口やまぐちしげる 1997ねん平成へいせい9ねん
3がつ10日とおか
1997ねん平成へいせい9ねん
10月31にち
2002ねん平成へいせい14ねん
11月3にち
裁判官さいばんかん 京大きょうだい 9 福岡ふくおか高等こうとう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん だい2橋本はしもと内閣ないかくあらため 9.61%
15 町田まちだあらわ 2000ねん平成へいせい12ねん
3月22にち
2002ねん平成へいせい14ねん
11月6にち
2006ねん平成へいせい18ねん
10月15にち
裁判官さいばんかん 東大とうだい 13 東京とうきょう高等こうとう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん だい1小泉こいずみ内閣ないかく(1あらため 9.37%[注釈ちゅうしゃく 7]
16 島田しまだ仁郎じろう 2002ねん平成へいせい14ねん
11月7にち
2006ねん平成へいせい18ねん
10月16にち
2008ねん平成へいせい20ねん
11月21にち
裁判官さいばんかん 東大とうだい 16 大阪おおさか高等こうとう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん だい1安倍あべ内閣ないかく 6.93%[注釈ちゅうしゃく 7]
17 たけ博允ひろしげ
2008ねん平成へいせい20ねん
11月25にち
2014ねん平成へいせい26ねん
3月31にち
裁判官さいばんかん 東大とうだい 21 東京とうきょう高等こうとう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん 麻生あそう内閣ないかく 6.25%
18 寺田てらだ逸郎いつお 2010ねん平成へいせい22ねん
12月27にち
2014ねん平成へいせい26ねん
4がつ1にち
2018ねん平成へいせい30ねん
1がつ8にち
裁判官さいばんかん 東大とうだい 26 広島ひろしま高等こうとう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん だい2安倍あべ内閣ないかく 7.95%[注釈ちゅうしゃく 7]
19 大谷おおや直人なおと 2015ねん平成へいせい27ねん
2がつ17にち
2018ねん平成へいせい30ねん
1がつ9にち
2022ねんれい4ねん
6月22にち
裁判官さいばんかん 東大とうだい 29 大阪おおさか高等こうとう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん だい4安倍あべ内閣ないかく 7.96%[注釈ちゅうしゃく 7]
20 戸倉とくら三郎さぶろう 2017ねん平成へいせい29ねん
3月14にち
2022ねんれい4ねん
6月24にち
2024ねんれい6ねん
8がつ10日とおか
裁判官さいばんかん 一橋大ひとつばしだい 34 東京とうきょう高等こうとう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん だい2岸田きしだ内閣ないかく とくひとし 8.53%[注釈ちゅうしゃく 7]
21 今崎いまさき幸彦さちひこ 2022ねんれい4ねん
6月24にち
2024ねんれい6ねん

8がつ16にち

2027ねんれい9ねん
11月9にち予定よてい
裁判官さいばんかん 京大きょうだい 35 東京とうきょう高等こうとう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん だい2岸田きしだ内閣ないかく(2あらため 審査しんさ

長官ちょうかん代理だいり

編集へんしゅう

定年ていねん退官たいかんとうにより長官ちょうかんかけ場合ばあいまたは長官ちょうかん海外かいがい出張しゅっちょう病気びょうきなどで不在ふざいとなる場合ばあいは、判事はんじなか一人ひとりが「最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかん代理だいり」の職名しょくめいによりその職務しょくむおこなう。この場合ばあい文書ぶんしょじょう表示ひょうじは「最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかん代理だいり改行かいぎょう最高裁判所さいこうさいばんしょ判事はんじ ぼう」となる。通例つうれい、14にん判事はんじのうち筆頭ひっとうかく判事はんじてられるが、この職名しょくめい使用しよう実際じっさいにその職務しょくむおこな期間きかんないかぎられ、当該とうがい筆頭ひっとうかく判事はんじがその筆頭ひっとうかくであることをしめすために常時じょうじ長官ちょうかん代理だいり」としょうすることができるわけではない。

裁判さいばんは「裁判さいばんちょう」「裁判官さいばんかん」の名義めいぎおこなわれるため、「長官ちょうかん」「長官ちょうかん代理だいり」の職名しょくめい裁判さいばん記録きろくには登場とうじょうせず、組織そしきとしての最高裁さいこうさいかんする公文こうぶんしょ最高さいこう裁判所さいばんしょ規則きそく公布こうふ署名しょめいなど)にかぎられる。また、逐次ちくじ官報かんぽう掲載けいさいされる行政ぎょうせい組織そしきちょう代理だいり発令はつれいことなり、最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかん代理だいり辞令じれい官報かんぽう掲載けいさいされないため、その発令はつれい記録きろく遺漏いろうのないかたち確認かくにんすることは困難こんなんであるが、最高裁判所さいこうさいばんしょ規則きそく公布こうふとうにより確認かくにんされる長官ちょうかん代理だいり記録きろくつぎのとおりとなっている。

  • 塚崎つかさき直義ただよし:1948ねん昭和しょうわ23ねん)10がつ19にち・21にち、11月1にち、12月1にち・21にち・23にち・24にち・28にち・29にち、1949ねん昭和しょうわ24ねん)1がつ10日とおか・21にち、3月5にち、4がつ1にち・4にち・12にち、1950ねん昭和しょうわ25ねん)2がつ24にち、11月15にち
  • 霜山しもやま精一せいいち:1953ねん昭和しょうわ28ねん)8がつ5にち、9月4にち
  • 栗山くりやましげる:1956ねん昭和しょうわ31ねん)2がつ1にち、3月1にち
  • 真野まのあつし:1957ねん昭和しょうわ32ねん)12月5にち・9にち
  • 河村かわむらまたかい:1963ねん昭和しょうわ38ねん)9がつ23にち
  • 入江いりえ俊郎としお:1967ねん昭和しょうわ42ねん)7がつ21にち、1969ねん昭和しょうわ44ねん)9がつ10日とおか
  • 田中たなか二郎じろう:1972ねん昭和しょうわ47ねん)9がつ28にち
  • 大隅おおすみ健一郎けんいちろう:1973ねん昭和しょうわ48ねん)12がつ10日とおか
(註)いずれも官報かんぽう掲載けいさい日付ひづけであり、当該とうがい期日きじつまえのちにも長官ちょうかん代理だいりであった可能かのうせい、およびここに記載きさいのない長官ちょうかん代理だいり存在そんざいした可能かのうせい否定ひていするものではない。

2024ねんれい6ねん)8がつ10日とおかだい20だい長官ちょうかん戸倉とくら三郎さぶろう定年ていねん退官たいかんしたことにともない、同年どうねん8がつ15にち全国ぜんこく戦没せんぼつしゃ追悼ついとうしきにおいては長官ちょうかん空席くうせきとなったため、長官ちょうかん代理だいりとして深山ふかやま卓也たくや出席しゅっせきし、追悼ついとうべた。

なお、国会こっかい審議しんぎにおいて最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかん答弁とうべんようする場合ばあいは、長官ちょうかん本人ほんにんではなく最高さいこう裁判所さいばんしょ事務じむ総局そうきょく職員しょくいん局長きょくちょうなど)が「最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかん代理だいりしゃ」の呼称こしょう出席しゅっせきするのが慣例かんれいであるが、これは当該とうがい出席しゅっせきする局長きょくちょうなどが同時どうじ複数ふくすういる場合ばあいにもそのすべてにたいしてもちいられる総称そうしょうてき呼称こしょうであり、長官ちょうかん一身いっしん代理だいりをする「最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかん代理だいり」とは性格せいかくことにするものである。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ よって定年ていねんまでつとめた場合ばあい任期にんき最長さいちょうまん70さい誕生たんじょう前日ぜんじつまでとなる。
  2. ^ 初代しょだい長官ちょうかんさんふち忠彦ただひこ裁判官さいばんかん任命にんめい諮問しもん委員いいんかい最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかん候補こうほとして30にん答申とうしんされたさい片山かたやまあきら内閣ないかく総理そうり大臣だいじんからえらばれ、だい2だい長官ちょうかん田中たなかこう太郎たろう吉田よしだしげる内閣ないかく総理そうり大臣だいじん選出せんしゅつしたように、長官ちょうかん人事じんじ内閣ないかく意向いこうつよ反映はんえいされたものとなっていた。
  3. ^ 最高さいこう裁判所さいばんしょ判事はんじのぞく。なお、初代しょだい・2だい・3だい・17だい長官ちょうかんのぞいて、すべて最高さいこう裁判所さいばんしょ判事はんじて、最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかん就任しゅうにんしている。
  4. ^ 最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん在任ざいにんちゅう、または長官ちょうかん就任しゅうにんまえ直近ちょっきんおこなわれた最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかん国民こくみん審査しんさにおいて、そう投票とうひょうのうち、そのものを「罷免ひめんとする裁判官さいばんかん」として×の記号きごう記載きさいした投票とうひょうかず割合わりあい
  5. ^ すでに最高さいこう裁判所さいばんしょ判事はんじとして最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかん国民こくみん審査しんさ国民こくみん審査しんさ)にされている最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかんは、さい審査しんさぜん審査しんさから10ねん以上いじょう経過けいかしている場合ばあいであるため、最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかん就任しゅうにんしたことを理由りゆうさい審査しんさされることはない。
  6. ^ 初代しょだい長官ちょうかんさんふち就任しゅうにん当時とうじ昭和しょうわ2ねんみことのりれいだい1ごう乃至ないしだい3ごうおよ同年どうねんかくれい内務省ないむしょうれいだい1ごう規定きていによる中央ちゅうおう公職こうしょく適否てきひ審査しんさ委員いいんかい資格しかく審査しんさちゅうであった。7月22にち裁判官さいばんかん任命にんめい諮問しもん委員いいんかい選考せんこうする最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかん候補者こうほしゃとなり、8がつ4にち片山かたやま内閣ないかく最高裁さいこうさい長官ちょうかん人事じんじおこない、8がつ7にち中央ちゅうおう公職こうしょく適否てきひ審査しんさ委員いいんかいから公職こうしょく就職しゅうしょく禁止きんし該当がいとうという結果けっか公表こうひょうされた。昭和しょうわ22ねん8がつ7にち官報かんぽう号外ごうがいだい2ごう)、昭和しょうわ22ねん 8がつ22にち官報かんぽう号外ごうがいだい1ごう)、
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n 最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん就任しゅうにんまえ最高さいこう裁判所さいばんしょ判事はんじとしての国民こくみん審査しんさ

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 野村のむら二郎じろう最高裁さいこうさい長官ちょうかん戦後せんご』ビジネスしゃ、1985ねんISBN 9784828402475 
  • 野村のむら二郎じろう日本にっぽん裁判さいばん事典じてん自由じゆう国民こくみんしゃ、2004ねんISBN 9784426221126 
  • 山本やまもと祐司ゆうじ最高裁さいこうさい物語ものがたりうえ)』講談社こうだんしゃ+αあるふぁ文庫ぶんこ、1997ねんISBN 9784062561921 
  • 山本やまもと祐司ゆうじ最高裁さいこうさい物語ものがたりした)』講談社こうだんしゃ+αあるふぁ文庫ぶんこ、1997ねんISBN 9784062561938 
  • 新藤しんどうそうみゆき司法しほう官僚かんりょう 裁判所さいばんしょ権力けんりょくしゃたち』岩波いわなみ新書しんしょ、2009ねんISBN 9784004312000 
  • 毎日新聞まいにちしんぶん社会しゃかい検証けんしょう最高裁判所さいこうさいばんしょ法服ほうふくこうで』毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1991ねんISBN 9784620308357 
  • 長嶺ながみねちょうてる『サイコーですか?最高裁さいこうさい!』光文社こうぶんしゃ、2007ねんISBN 9784334975319 

関連かんれん項目こうもく

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