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山姥 (能) - Wikipedia

山姥やまうば (のう)

のう演目えんもく
山姥やまうば
作者さくしゃ年代ねんだい
世阿弥ぜあみ室町むろまち時代ときよ
形式けいしき
複式ふくしき夢幻むげんのう
のうがら<上演じょうえん分類ぶんるい>
鬼女きじょぶつ番目ばんめぶつ[1]
現行げんこう上演じょうえん流派りゅうは
観世かんぜ宝生ほうしょう金春こんぱるきむつよし喜多きた[1]
異称いしょう
シテ<主人公しゅじんこう>
山姥やまうば
そのおもな登場とうじょう人物じんぶつ
ひゃく山姥やまうば(ツレ)、その従者じゅうしゃ(ワキ)
ぶし
不定ふてい
場所ばしょ
越後えちごこく上路あげろあげろやま山中さんちゅうげん新潟にいがたけん糸魚川いといがわ上路あげろ[2]
ほんせつ<典拠てんきょとなる作品さくひん>
不明ふめい
のう
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山姥やまうば』(やまんば、やまうば)は、やま妖怪ようかいである山姥やまうば素材そざいにしたのう作品さくひん番目ばんめぶつ鬼女きじょぶつ分類ぶんるいされる。囃子はやし太鼓たいこはい太鼓たいこぶつである[3]

概要がいよう

編集へんしゅう

のうのあらすじはつぎのとおりである。で、山姥やまうばやまめぐりを題材だいざいにしたきょくまいって名声めいせいた、ひゃくひゃく山姥やまうばという遊女ゆうじょ(ツレ)が、善光寺ぜんこうじもうでようとかんがえ、従者じゅうしゃら(ワキ、ワキツレ)とともに北陸ほくりくどうすすみ、上路あげろえつあげろごえというけわしいみちえることとなる。すると、にち異様いようはやれかけ、いちぎょう途方とほうれたところに、おんなぜんシテ)があらわれ、一夜いちや宿やどもうる。おんなは、ひゃく山姥やまうば山姥やまうばきょくまいうたってほしいと所望しょもうし、自分じぶんしん山姥やまうばであることを暗示あんじして姿すがたす(中入なかいり)。ひゃく山姥やまうばっていると、山姥やまうばこうシテ)があらわれ、山姥やまうば境涯きょうがいかたきょくまいわせてう。妄執もうしゅうのがれられないくるしさをうったえる一方いっぽうで、「善悪ぜんあく不二ふじ」、「よこしませい一如いちにょ」、「煩悩ぼんのうそく菩提ぼだい」といったぜん思想しそうく。そして、やまめぐりの様子ようすってせてから、姿すがたす(→進行しんこう)。

申楽さるがくだん』の記述きじゅつや、修辞しゅうじ引用いんよう特徴とくちょうなどから、世阿弥ぜあみさくかんがえられる。とく典拠てんきょはなく、世阿弥ぜあみのいう「つくのう」とおもわれる(→作者さくしゃ沿革えんかく)。

山姥やまうばきょくまいって評判ひょうばんをとったひゃく山姥やまうばまえに、本物ほんもの山姥やまうばあらわれるというった構成こうせいとなっている。また、山姥やまうばが「煩悩ぼんのうそく菩提ぼだい」というぜん思想しそうきながら、しかも最後さいごまで妄執もうしゅうにとらわれつづけるという逆説ぎゃくせつが、そのまま「煩悩ぼんのうそく菩提ぼだい」という主題しゅだい体現たいげんしている。晩年ばんねん世阿弥ぜあみが、ぜん思想しそうしたしんでいたことをしめ作品さくひんである(→特色とくしょく評価ひょうか)。

進行しんこう

編集へんしゅう

ひゃく山姥やまうばとその従者じゅうしゃ登場とうじょう

編集へんしゅう

山姥やまうばやまめぐりを題材だいざいにしたきょくまいって名声めいせいた、ひゃくひゃく山姥やまうばひゃくまん山姥やまうばひゃく山姥やまうば)という遊女ゆうじょ(ツレ)が、信濃しなのこく善光寺ぜんこうじもうでようと、出発しゅっぱつする。従者じゅうしゃら(ワキ、ワキツレ)が、そのきょうをしている。いちぎょうは、志賀しがうらから北陸ほくりくどうすすみ、あいはつやま安宅あたか砺波となみさんて、えつ中国ちゅうごく越後えちごこく国境こっきょうにある境川さかいがわにたどりく。

ワキ・ワキツレ〽ひかりぞとかげたのむ。ひかりぞとかげたのむ。ふつ御寺おてらみてらたずねん。
ワキ「かたみやこがた住居じゅうきょすまひつかまつものにてこうふ。またわたこう御事おんことおんことは。ひゃく山姥やまうばとて。かくれなき遊女ゆうじょにて御座ぎょざこうふ。かやうに御名ぎょめいおんなもうすいはれは。山姥やまうばやままわりやまめぐりするといふことを。きょくまいくせまひさくつておんうたいひあるにより。きょう童部わらわべわらんべもうしならはしてこうふ。また此頃は善光寺ぜんこうじおんまいりありたきよしうけたまわこうふほどに。ぼうそれがし御供ごくうおんとももうし。唯今ただいま信濃しなのくに善光寺ぜんこうじへといそこうふ。
[中略ちゅうりゃく]
ワキ「おんいそこうふほどに。ははや越後えちご越中えっちゅう境川さかいがわおんきにてこうふ。しばら御座ぎょざこうひて。猶々なおなおなおなおみちさまたいようだいをもおんたずねあらうずるにてこう[4]

従者じゅうしゃら]ありがたいわたる陀の光明こうみょうたよりとして、善光寺ぜんこうじたずねよう。
従者じゅうしゃ]これはものです。また、こちらにおられますおかたは、ひゃく山姥やまうばといって、られたきょくまいまいしゅでいらっしゃいます。このようにお名前なまえをおびするいわれというのは、山姥やまうばやまめぐりをするというはなしを、きょくまいにしておうたいになっていることから、ものたちがならわしているのです。さて、近頃ちかごろひゃく山姥やまうば善光寺ぜんこうじへおまいりしたいということをうかがいましたので、わたしがおとももうげ、いま信濃しなのこく善光寺ぜんこうじへといそいでいるところです。
[中略ちゅうりゃく]
従者じゅうしゃ]おいそぎになりましたので、はやくも越後えちごこくえつ中国ちゅうごくさかいながれる境川さかいがわにおきになりました。しばらくこちらにおちになって、さらにみち事情じじょうをおたずねになるのがよいでしょう。

みちひろ

編集へんしゅう

従者じゅうしゃは、みちたずねようとって、在所ざいしょものアイ)をす。在所ざいしょものは、上路あげろえつあげろごえというみちしん不知ふち背後はいご上路あげろさんえるみち)が如来にょらいのおとおりになったみちであり、本道ほんどうであるが、ものとおることはできないと説明せつめいする。従者じゅうしゃは、ひゃく山姥やまうばにそのことを報告ほうこくする。すると、ひゃく山姥やまうばは、ものりて上路あげろえつえることを決意けついする。

ツレ「げにやつねうけたまわる。西方せいほうさいほう浄土じょうど十万億土じゅうまんおくどとかや。またわたる来迎らいごうらいこう直路ちょくろちょくろなれば、あげろのやまとやらんにまいこうふべし。〽とても修行しゅぎょうたびなれば。乗物のりものをばにとどめき。徒歩とほかちはだしにてまいこうふべし。みちしるべしてきゅうこう[5]

ひゃく山姥やまうば]まことに、常々つねづねうかがっているところでは、西方せいほう浄土じょうど十万億土じゅうまんおくどのかなたにあるとのことです。しかし、これは阿弥陀如来あみだにょらい来迎らいごうされるときとおられる善光寺ぜんこうじへのまっすぐなみちなのですから、上路あげろあげろやまというのにまいるべきでしょう。もともと修行しゅぎょうたびなのですから、ものはここにき、あるいてまいりましょう。道案内みちあんないをおねがいします。

宿やどすすめるおんな

編集へんしゅう
 
能面のうめん深井ふかい東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう中年ちゅうねん女性じょせいめんである。

従者じゅうしゃ(ワキ)は、ところもの(アイ)に道案内みちあんないたのみ、一同いちどう山道さんどうすすむが、やがて異様いようはやれかけることに気付きづき、途方とほうれる。そこに、おんなぜんシテ)があらわれ、一夜いちや宿やどもうる。おんなは、ひゃく山姥やまうばいちぎょうさっしており、山姥やまうばきょくまいうたってほしいと所望しょもうする。そして、やまおんな山姥やまうばというのなら、わたしこそ山姥やまうばではないかとい、わたしとむらってほしいと、きょくまい所望しょもうする理由りゆうべる。

おんなぜんシテ)は、深井ふかいふかい(または近江おうみおんなれいおんなりょうのおんな)のめんかずらけ、装束しょうぞくべにいろなし唐織からおりおうぎったさとおんな出立しゅったつである[6]

ワキ「あら不思議ふしぎや。くれるまじきにてこうふがにわかにわかれてこうふよ。さてなにつかまつこうふべき。
シテ〽のうのう旅人たびびと御宿おんじゅくおやどまいらせうのう。「はあげろのやまとて人里ひとざととおところなり。れてこうへば。わらはがあんいおりにて一夜いちやかさせきゅうこうへ。
ワキ「あらうれしやこうぞうろふ。にわか前後ぜんこうぼうじてこうふ。やがてまいらうずるにてこうふ。
シテ〽今宵こよい御宿おんじゅくおやどまいらすること。とりわきおも子細しさいあり。「山姥やまうばうた一節いっせつうたひてかさせきゅうへ。年月としつきとしつきもちのぞみなり。ひなひなおもえおもふべし。〽其為そのためにこそらし。御宿おんじゅくおんやどをもまいらせてこうへ。いかさまにもうたいはせきゅうこうへ。
ワキ「おもひもよらぬことうけたまわこうぶつかな。扨誰ともうされて。山姥やまうばうた一節いっせつとは所望しょもうこうふぞ。
シテ「いやなにをかつつきゅうふらん。あれにまします御事おんことおんことは。ひゃく山姥やまうばとてかくれなき遊女ゆうじょにてはましまさずや。まづ此歌の次第しだいしだいとやらんに。〽よしあしあしびき山姥やまうばが、やまめぐりするとつくられたり。あら面白おもしろこうぞうろふ。「きょくまいりての異名いみょういみょう。さてまこと山姥やまうばをば。如何いかなるものとかろしめされてこうふぞ。
ワキ「山姥やまうばとはやま鬼女きじょきじょとこそきょくまいにもえてこうへ。
シテ「鬼女きじょとはおんなおにとや。よしおになりともびとなりとも。やまおんなならば。わらわわらわうえにてはさむらはずや。〽年頃としごろしょくにはいださせきゅうふ。ことくさぐさつゆほども。おんしんにはかけきゅうはぬ。「うらもうしにきたりけり。〽どうめいてて。世情せじょう[注釈ちゅうしゃく 1]万徳まんとくみょうはなひらこと。此いちきょくいっきょくゆえならずや。しからばわらわわらわをもちょうらひ。舞歌まいかぶが音楽おんがく妙音みょうおんの。こえ仏事ぶつじぶつじをもなしきゅうはば。などかわらわ輪廻りんねをのがれ。せいきしょう善所ぜんしょぜんしょいたらざらんと。うらみをゆうやまゆうやまの。鳥獣ちょうじゅうとりけだものきそへて。こえをあげろの山姥やまうばが。れいおにれいきまできたりたり[7]

従者じゅうしゃ]ああ不思議ふしぎだ。れるはずもないちゅうなのですが、きゅうれてきました。さてどうしたものでしょうか。
おんな]もし、たびのおかた、お宿やどまらせてげましょう。これは上路あげろさんといって、人里ひとざととおところです。れてきましたので、わたしあん一夜いちやをおかしなさいませ。
従者じゅうしゃ]ああ、うれしいことです。きゅうれ、途方とほうれていたところです。すぐにまいることにしましょう。
おんな今夜こんや、お宿やどもうげたのには、格別かくべつ理由りゆうがあります。山姥やまうばうた一節いっせつうたってかせてください。年来ねんらいのぞみなのです。そうすれば田舎いなからしのおもとなるでしょう。そのためにこそれさせ、お宿やどもうげたのです。ぜひともうたってください。
従者じゅうしゃ]これはおもいもよらぬことをうかがうものです。我々われわれだれとおおもいになって、山姥やまうばうた一節いっせつうたってほしいと所望しょもうになっているのですか。
おんな]いや、なにをおかくしになるのですか。あちらにいらっしゃるおかたは、ひゃく山姥やまうばといって、られたきょくまいまいしゅではいらっしゃいませんか。まずこのきょくまい次第しだいとかいうところ(うたし)に、「よしあしびきの(善悪ぜんあくまよい、あしきずっている)山姥やまうばが、やまめぐりする」とうたわれています。ああ面白おもしろいことです。ひゃく山姥やまうばというのはきょくまいもとづいた異名いみょうでしょう。さて本当ほんとう山姥やまうばはどのようなものか、ご存知ぞんじでいらっしゃいますか。
従者じゅうしゃ山姥やまうばというのは、やま鬼女きじょのことだと、きょくまいにもうたわれています。
おんな鬼女きじょというとおんなおにということですか。たとえおにであってもひとであっても、やまおんな山姥やまうばというのであれば、わたし境遇きょうぐうのことではありませんか。(ひゃく山姥やまうばが)長年ながねんあいだうた言葉ことばでは山姥やまうばのことをくちにしておられながら、しん山姥やまうばのことはつゆほどもしんにかけてくださらない。そのうらみをもうげにたのです。きょくまいみちきわめ、名声めいせいて、この栄光えいこうあつめることができたのも、このきょくまいいちきょくのおかげではありませんか。そうであればわたしとむらってくださり、舞歌まいか音楽おんがくこえをもって手向たむけてくだされば、わたし輪廻りんねくるしみをのがれ、おにせいせいさとり)を善所ぜんしょ極楽ごくらく)におもむくことができるでしょう。……と、うらみをうと、鳥獣ちょうじゅう同調どうちょうしてこえげる。上路あげろさん山姥やまうばであるれいおにがここまでたのだった。

姿すがたおんな

編集へんしゅう

ひゃく山姥やまうばが、きょくまいうたおうとすると、おんなは、月夜つきよなかうたってくだされば、しん姿すがたあらわしますとって、姿すがたした(中入なかいり)。

ツレ〽不思議ふしぎことものかな。扨はまこと山姥やまうばの。まできたきゅうへるか。
シテ「わが国々くにぐにやままわり。今日きょうしもここにきたことは。わがわがとくかんためめなり。うたいきゅうひてさりとては。わがわが妄執もうしゅうらしきゅうへ。
ツレ〽此上はとかくしなばおそろしや。もしためめやあしかりなんと。はばかりながらとき調子ちょうしを。るや拍子ひょうしをすすむれば。
シテ「しばさせきゅうへとてもさらば。くれるるをちてつきよるこえよごえに。うたいきゅうはばまたまこと姿すがたをあらはすべし。〽すはやかげろふゆうがつゆうづきの。さなきだに。くれるるをいそ深山ふかやまあたりみやまべの。
地謡じうたいくれるるをいそ深山みやまの。くもしんをかけ添へて。此山姥やまうば一節いっせつを。すがらうたいきゅうはば。其時わが姿すがたをも。あらはしころもぎぬそでつぎて。うつまいをまふべしと。いふかとればのまま。かきすやうにせにけり[8]

ひゃく山姥やまうば不思議ふしぎなことをくものです。さてはしん山姥やまうばが、ここまでられたのですか。
おんなわたし国々くにぐにやまをめぐり、今日きょうここまでたのは、わたしとく評判ひょうばん)をこうとするためです。なにとぞ、おうたいになって、わたし妄執もうしゅうらしてくださいませ。
ひゃく山姥やまうば]このうえは、とやかくってことわったらおそろしいことになる。もしかしたら危害きがいおよぼすかもしれないと、おそるおそるとき調子ちょうし[注釈ちゅうしゃく 2]り、拍子ひょうしはじめると――。
おんな]しばしおちください。どうせのことなら、にちれるのをって、月夜つきよなかうたってくださったら、わたしもまたしん姿すがたあらわしましょう。ほら、ゆうがつがほのぐらくかげってきた[注釈ちゅうしゃく 3]。ただでさえれるのがはや山奥やまおくの――。
――れるのがはや山奥やまおくくもつきかくさないよういのりながら、この山姥やまうば一節いっせつ夜通よどおうたってくだされば、そのときわたし姿すがたあらわし、そでぐようにつづけて、おなじようにいましょう、とったかとおもうと、かきすようにいなくなってしまった。

間狂言あいきょうげん

編集へんしゅう

ところもの(アイ)がて、にちれたかとおもうとすぐよるけるやま不思議ふしぎべ、従者じゅうしゃ(ワキ)に、山姥やまうばのことをかたってかせる[9]

ところもの(アイ)のかたりは、山姥やまうばには鬼女きじょならぬ「木戸きど」がなるものだというような珍説ちんせつべては従者じゅうしゃ(ワキ)に否定ひていされるという、滑稽こっけいあじのあるものである[10]

まちうたい

編集へんしゅう

ひゃく山姥やまうばは、おんな出現しゅつげんつ。

ツレ「あまりのことのふしぎさに。さらにまことおもえほえぬ。鬼女きじょことばたがえへじと。
ワキ・ワキツレ〽松風まつかぜともにふえの。こえすみわたる谷川たにがわに。まづさへぎるきょくすいきょくすいの。つきこえすむ深山ふかやまみやまかな[11]

ひゃく山姥やまうばあまりのことの不思議ふしぎさに、とても本当ほんとうのこととはおもえない。しかし鬼女きじょ言葉ことばさからうまいと……。
従者じゅうしゃら]松風まつかぜおととともにふえおとみわたる。んだ谷川たにがわといえば、「りゅうかれてはやぐればまづさえぎる(きょくすいながれにってはいはやとおぎようとすると、まだができていないものはまずはいめてからつくろうとする)」と漢詩かんしまれたきょくすいうたげはいつき[注釈ちゅうしゃく 4][12]つきし、こえ山奥やまおくであるよ。

山姥やまうば登場とうじょう

編集へんしゅう
 
能面のうめん山姥やまうば東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう

そこに山姥やまうばこうシテ)があらわれる。山姥やまうばは、前世ぜんせい悪業あくごうによりおにとなったものみずからの死屍しし鞭打むちうち、前世ぜんせい善行ぜんこうにより天人てんにんとなったものみずからの死屍ししはなするという説話せつわくが、「いや善悪ぜんあく不二ふじ」と、ぜんてき思想しそうく。

山姥やまうばこうシテ)は、山姥やまうばめん山姥やまうばかずらけ、装束しょうぞくべに唐織からおり半切はんせつおうぎ鬼女きじょ出立しゅったつである。鹿しかつえいている[13]

シテ〽あらものすごの深谷ふかやしんこくやな。かんりんかんりんほねをうつれいおに前生ぜんしょうぜんじょうごうごううらむ。深野ふかのしんや[注釈ちゅうしゃく 5]はなきょうくうずる天人てんにん。かへすがへすもいくせいきしょうぜんをよろこぶ。いや善悪ぜんあく不二ふじふになにをかうらなにをかよろこばんや。「まん箇目まえばんこもくぜん境界きょうかいきょうがい懸河けんがけんか渺々びょうびょうとして。〽いわおいわお峨々ががたり。やままたやま。いづれのこうたくみあおいわおせいがんかたちけずりなせる。みずまたみずだれたれいえにかあおへきたんいろだせる[11]

山姥やまうば]ああ、物寂ものさびしいふかたにであるよ。かんりん天竺てんじく墓所はかしょ)でみずからのほねれいおには、きながら前世ぜんせいごううらむ。はなそなえる天人てんにんは、かえがえ前世ぜんせい善行ぜんこうよろこ[注釈ちゅうしゃく 6]。いや、ぜんあくさとればおなじこと。なにうらなによろこぶというのか。万物ばんぶつはあるがままで真理しんりしめしている[14]急流きゅうりゅうかわてしなくながれ、いわかべけわしくそびえっている。やままたやま、どんな名工めいこうあおこけいわかべかたちけずしたというのか。みずまたみず、どんな染色せんしょくみどりふちいろしたというのか[注釈ちゅうしゃく 7]

山姥やまうば姿すがた描写びょうしゃ

編集へんしゅう

ひゃく山姥やまうば(ツレ)と山姥やまうばこうシテ)とのいのなかで、山姥やまうば姿すがたが、かみみだれて白髪はくはつで、眼光がんこうするどく、かおしゅ鬼瓦おにがわらのようにみにくいと描写びょうしゃされる。山姥やまうばは、みずからを『伊勢物語いせものがたり』でおんないちくちったおにになぞらえ、おなじように物語ものがたりされるのではないかとじる。

ツレ「おそろしやつき木深こぶかこぶか山陰さんいんやまかげより。其さまけしたるかおばせは。其山姥やまうばにてましますか。
シテ「とてもはやでそめしことの。気色けしきにもろしめさるべし。になおそきゅうひそとよ。
ツレ〽此上はおそろしながらうばだまの。やみくらまぎれよりあらはれづる。姿すがたすがたことばひとなれども。
シテ〽がみにはおどろのゆきいただき。
ツレ〽まなこひかりほしごとし。
シテ〽さてめんおもていろは。
ツレ〽さにぬりの。
シテ〽のきかわらおにかたちを。
ツレ〽今宵こよいはじめてことを。
シテ〽なににたとへん。
ツレ〽いにしえへの。
地謡じうたいおに一口ひとくちひとくちあめよるに。かみなりかみなりさわぎおそろしき。其夜をおも白玉しらたまか。ぞとといひしじんまでも。我身わがみうえためりぬべき。浮世うきよがたりもづかしや[15]

ひゃく山姥やまうばおそろしいことだ、つきひかりさないふかやまかげから、様変さまがわりした様子ようすかおつきであらわれたのは、山姥やまうばでいらっしゃいますか。
山姥やまうばすでにあなたが言葉ことばにされたとおりの有様ありさまからもおかりでしょう。しかしわたしのことをおそれなさいますな。
ひゃく山姥やまうば]こうなった以上いじょうは、おそろしいけれども仕方しかたがない。暗闇くらやみからあらわた、その姿すがた言葉ことばひとであるが――。
山姥やまうばかみいばらのようにみだれ、ゆきのようにしろく、
ひゃく山姥やまうばひかりほしのようで、
山姥やまうば]そしてかお表情ひょうじょうは、
ひゃく山姥やまうばしゅった
山姥やまうばのき鬼瓦おにがわらのようなかたちなのを
ひゃく山姥やまうば今宵こよいはじめてることを
山姥やまうばなにたとえよう。
ひゃく山姥やまうばむかし
――(『伊勢物語いせものがたり』に)おにおんないちくちったはなしがある。そのあめよるに、かみなりおおきなおとおそろしかった(ので、おとこおそわれるおんなさけごえこえなかった)。よるけると、おとこおんなつゆて「白玉しらたまなにかですか」とたずねたのをおもして後悔こうかいしたという[注釈ちゅうしゃく 8]。そのはなしわたしうえのこととなってしまった。なかおなじように物語ものがたりされるのもずかしい。

きょくまいうた

編集へんしゅう

ひゃく山姥やまうばが、「よしあし引の山姥やまうばが。やままわりするぞくるしき。」といううたし(次第しだい)からはじまるきょくまいうたはじめる。

シテ「はるよる一時いちじひととき千金せんきんせんきんかわへじとは。はな清香きよかせいきょうつきかげねがいひのたまさかに。き逢ふじんいちきょくいっきょくの。其ほどもあたらよるに。はやはやうたいきゅうふべし。
ツレ〽げに此上はともかくも。いふにおよばぬ山中さんちゅうやまなかに。
シテ「一声いっせいいっせい山鳥やまどりさんちょうはねをたたく。
ツレ〽滝波たきなみ
シテ〽そで白妙しろたえ
ツレ〽ゆきをめぐらすはなの。
シテ〽なにはのことか。
ツレ〽ほうのりならぬ。
地謡じうたい〽よしあし引の山姥やまうばが。やままわりするぞくるしき[16]

山姥やまうばはなかおり、つきはおぼろづきはるよる一時いちじは、千金せんきんにもえがたいという[注釈ちゅうしゃく 9]。そしてねがっていたように偶然ぐうぜん出会であったひときょくまいいちきょく。そのようにすこしのときしまれるよるに、はやはやくおうたいください。
ひゃく山姥やまうばたしかに、このうえはともかくうまい。ふかやまなかに、
山姥やまうば一声いっせい山鳥やまどりカッコウ[注釈ちゅうしゃく 10]ばたくように、一声いっせいうたし)をうたう。
ひゃく山姥やまうば滝波たきなみおととし、
山姥やまうばそで滝波たきなみしろ
ひゃく山姥やまうばしろゆきをいただくはなうめ)。
山姥やまうばはなといえば[注釈ちゅうしゃく 11]、「難波なんばのことか……」
ひゃく山姥やまうば]「……ほうならぬ」(何事なにごと仏法ぶっぽうそとではなく、あそじゃれの遊女ゆうじょまですくってくださるといている)[注釈ちゅうしゃく 12]といううたがあるが、
――「よしあしびきの(善悪ぜんあくまよい、あしきずっている)山姥やまうばが、やまめぐりするのがくるしいことだ。」

山姥やまうばきょくまい

編集へんしゅう

山姥やまうば境涯きょうがいかたきょくまいわせて、山姥やまうばう。山姥やまうば人気にんきのないさんだに情景じょうけいからはじまり、さんたに仏教ぶっきょうにおける菩提ぼだい衆生しゅじょうにたとえる。また、山姥やまうばきこり機織はたおりのおんな手助てだすけすることをかたる。そして、「ただてよ何事なにごとも」と妄執もうしゅうることをきつつも、妄執もうしゅうからのがれられないを「よしあし引の山姥やまうばが。やままわりするぞくるしき。」とふたたうたうところできょくまいわる。

シテ〽おっとやまといつぱ。ちりどろちりひじよりおこりおこつて。てんくもあまぐもかかる千丈せんじょうみね
地謡じうたいうみこけよりしただりて。なみ濤をたたまんみずばんすいたり。
シテ〽いちほらいっとうむなしきたにこえこずえひび山彦やまびこの。
地謡じうたい無声音むせいおんむしょうおんくたよりとなり。こえにひびかぬたにもがなと。のぞみしもげにかくやらん。
シテ〽ことにわが山家やまやさんか気色けしきやまたかうしてうみちかく。たにふかうしてみずとおし。
地謡じうたいまえには海水かいすいかいすい瀼々じょうじょうとして。つき真如しんにょひかりをかかげ。のちうしろにはみねまつれいしょう巍々ぎぎぎぎとして。かぜ常楽じょうらくじょうらくゆめやぶる。
シテ〽けいむちけいべんがまかまちてぼたるむなしくる。
地謡じうたい諫鼓かんここけふかうしてとりおどろかずともいひつべし。遠近えんきんおちこちの。たづきもらぬ山中さんちゅうやまなかに。おぼつかなくも呼子鳥よぶこどりよぶこどりの。こえすごき折々おりおりに。伐木ばつぼくはつぼく丁々ちょうちょうとうとうとして。やまさらにかそけかすかなり。ほうせいほっしょうみねそびえては。うえもとむじょうぐ菩提ぼだいをあらはし。無明むみょうむみょうたにふかきよそほひは。した衆生しゅじょうげけしゅじょうひょうひょうして。金輪際こんりんざいおよべり。そもそも山姥やまうばは。なましょしょうじょらず宿やどもなし。ただ雲水うんすいくもみず便たよりにて。いたらぬやまおくもなし。
シテ〽しかれば人間にんげんにあらずとて。
地謡じうたいへだたつるくもをかへ。かり自性じしょうじしょう変化へんかへんげして。一念いちねん化生かせいけしょう鬼女きじょとなつて。目前もくぜんきたれども。よこしませい一如いちにょじゃしょういちにょときは。色即是空しきそくぜくうしきそくぜくうそのままに。仏法ぶっぽうあればほうせほうあり。煩悩ぼんのうあれば菩提ぼだいあり。ほとけあれば衆生しゅじょうあり。衆生しゅじょうあれば山姥やまうばもあり。やなぎみどりはなべにくれない色々いろいろさて人間にんげんあそこと。あるときやまやまがつの。きこりしょうろつうはなかげ。やすむ重荷おもにかたし。つきもろともにやまで。さとまでおくるをりもあり。またあるとき織姫おりひめの。ひゃくいおはたたてつるまどいれつて。えだうぐいすいとくり。紡績ぼうせきほうせき宿やどやどき。ひとたすくるわざをのみ。しずえぬ。おにとやひとのいふらん。
シテ〽空蝉うつせみうつせみ唐衣からごろもからころも
地謡じうたいはらいはぬそでしもは。夜寒よさむよさむつきうめうづもれ。ちすさむひと絶間たえまたえまにも。せんこえせんせいまんこえばんせいの。きぬたきぬたこえのしでうつは。ただ山姥やまうばがわざなれや。かえりてよがたりにせさせきゅうへと。おもふはなお妄執もうしゅうか。ただてよ何事なにごとも。よしあし引の山姥やまうばが。やままわりするぞくるしき。

山姥やまうば]そもそもやまというのは、ちりどろからこって、てんくもにかかる千丈せんじょうみねにまでたかくなったもの[注釈ちゅうしゃく 13]
――うみこけからしたたったみずが、なみかさなる大海たいかいとなったもの。
山姥やまうばほらのように人気にんきのないたにで、こずえひび山彦やまびこ
――無声音むせいおんさとりによりこえなきおと)をくよすがとなる。むかし賢女けんじょが、大声おおごえげてもひびかないふかたにのようなさとりの境地きょうちのぞんだというのも[注釈ちゅうしゃく 14]、このようなことであっただろう。
山姥やまうばちゅうでもわたしやま有様ありさまは、やまたかくしてうみちかく、たにふかくしてみずとおい。
――まえには海水かいすいけ、つきまよいをらすひかりす。うしろにはまつみねがそびえち、ふうが、永遠えいえんたのしみがつづくというまよったゆめやぶ[注釈ちゅうしゃく 15]
山姥やまうばおさまっていると、がまつくった罪人ざいにんむちて、ぼたるしょうずるという[注釈ちゅうしゃく 16]
――悪政あくせいいさめるも、必要ひつようがなくなってこけがむし、とりはそのおとおどろくことがないという。遠近えんきん見当けんとうもつかない山中さんちゅうで、心細こころぼそなか呼子鳥よぶこどりこえ物寂ものさびしい[注釈ちゅうしゃく 17]おとがして、やまはますます奥深おくふか[注釈ちゅうしゃく 18]ほうせいみねのようにそびえ、うえ求菩提くぼて菩薩ぼさつさとりをもとめる向上心こうじょうしん)をあらわし、無明むみょうふかたにのようであり、した衆生しゅじょう菩薩ぼさつ衆生しゅじょう教化きょうか済度さいどする慈悲じひしん)をあらわし、金輪際こんりんざい大地だいちそこ)におよぶ。そもそも山姥やまうばは、まれたところからず、宿やどもない。くもみずひとつとなって、けない山奥やまおくはない。
山姥やまうば]したがって人間にんげんではないということで、
――人間にんげんかいとをへだてるくも。そのくものように自在じざい変身へんしんし、一時いちじてき本性ほんしょう変化へんかさせ、一念いちねんによって変化へんかする化生けしょう鬼女きじょとなって、あなたかた目前もくぜんたが。よこしませい一如いちにょよこしませいさとればおなじこと)とかんがえれば、色即是空しきそくぜくうというとおりだ。仏法ぶっぽうがあればほうがあり、煩悩ぼんのうがあれば菩提ぼだいがあり、ふつがあれば衆生しゅじょうがあり、衆生しゅじょうがあれば山姥やまうばもある。それらも「やなぎみどりはなべに[注釈ちゅうしゃく 19]、それぞれあるがままの姿すがたふつ姿すがたである。さて、山姥やまうばは、人間にんげんかいあそんで、あるとき重荷おもに背負せおってはなかげやすんでいるきこり[注釈ちゅうしゃく 20]かたし、つきひかりとともにやまて、さとまでおくることもあった。またあるときは、おんなまどはいって[注釈ちゅうしゃく 21]うぐいすやなぎいとるとわれるようにいと[注釈ちゅうしゃく 22]こうおんないえ手伝てつだった。山姥やまうばは、こうしてひとたすけることばかりをしているが、いやしいものにはその姿すがたえず、えないおにひとうようだ。
山姥やまうば空蝉うつせみせみがら)のようにむなしいおもう。空蝉うつせみからといえば唐衣からぎぬ
――いそがしくてそではらひまもないうちにそでしもは、夜寒よさむつきひかりひとつとなる。きぬたひとちやんでいるあいだにも、なんへんかえきぬたおとがするのは[注釈ちゅうしゃく 23]山姥やまうばわってっているのだ。そのことをかえってから世間せけんばなしにしてください、……とおもうのは相変あいかわらず妄執もうしゅうであろうか。ただ万事ばんじてよ。といいながらまよいをきずっているよしあしびきの山姥やまうばが、やまめぐりするのがくるしいことだ。

山姥やまうばはたら

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山姥やまうばは、鹿しかつえって、やまめぐりの様子ようすせる(たてまわり)[17]

シテ〽あしびきの。
地謡じうたいやまめぐり[18]

山姥やまうばあしびきの
――やまめぐりをおせしよう。

終曲しゅうきょく

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山姥やまうばは、はるはなあきはさやけき月影つきかげふゆ時雨しぐれゆきと、雪月花せつげっかせてやまめぐりの様子ようすってせ、せる。

シテ〽一樹いちじゅかげいちかわいちがながれ。みなこれ他生たしょうたしょうえんぞかし。ましてやめいゆうがつの。浮世うきよをめぐる一節いっせつひとふしも。狂言綺語きょうげんきごきょうげんきぎょみちすぐに。さんぼとけじょうさんぶつじょういんぞかし。あらおん名残なごりをしや。いとまもうしてかえやまの。
地謡じうたいはるこずえくかとちし。
シテ〽はなたずねてやまめぐり。
地謡じうたいあきはさやけきかげたずねて。
シテ〽がつほうにとやまめぐり。
地謡じうたいふゆはさえ時雨しぐれしぐれくもの。
シテ〽ゆきをさそひてやまめぐり。
地謡じうたい〽めぐりめぐりて。輪廻りんねはなれぬ妄執もうしゅうくもの。ちりつもつて山姥やまうばとなれる。鬼女きじょ有様ありさまみるやみるやと。みねにかけりたにひびきて。いままでここにあるよとえしが。やままたやまやまめぐりして。行方ゆくえゆくえらずなりにけり[19]

山姥やまうばひとつのかげ宿やどったり、ひとつのかわながれをんだりという偶然ぐうぜん出会であいも、みな前世ぜんせいえんである[注釈ちゅうしゃく 24]。ましてや、あなたは、きょくまいなかわたしって世渡よわたりのごうとしている。その芸能げいのうみちは、仏法ぶっぽう帰依きえのよすがとなるのです[注釈ちゅうしゃく 25]。ああ、お名残惜なごりおしい。おひまもうげてかえやまの、
――はるは、こずえくかとっていた
山姥やまうばはなもとめてやまめぐりをし、
――あきは、あかるいひかりもとめて
山姥やまうばがつえるほうへとやまめぐりをし、
――ふゆは、時雨しぐれくも
山姥やまうばゆきさそうようにやまめぐりをする。
――やまめぐりをつづけ、輪廻りんねのがれることができない妄執もうしゅうは、つきかくくものようである。妄執もうしゅうちりもって山姥やまうばとなった。その鬼女きじょ有様ありさまよ、とうと、るうちに、みねけりたにこえひびいて、いままでここにいたとえたが、やままたやまやまめぐりし、行方ゆくえからなくなった。

作者さくしゃ沿革えんかく

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世阿弥ぜあみ芸談げいだんをまとめた『世子せいしろくじゅう以後いご申楽さるがくだん』には、「山姥やまうばひゃくまん、これらはみな名誉めいよきょくまいどもなり」、「じつもり山姥やまうばもそばへきたるところあり……とう御前ごぜんにてせられしなり」とあり、世阿弥ぜあみ自身じしん上演じょうえんしたことがかる。そのほか、修辞しゅうじ引用いんよう特徴とくちょうなどから、世阿弥ぜあみさくとする見解けんかい一般いっぱんてきである[20]

とく典拠てんきょはなく、世阿弥ぜあみのいう「つくのう」とおもわれる[21]ほん作品さくひんが、「山姥やまうば」についての文献ぶんけんじょうはつである[22]

特色とくしょく評価ひょうか

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世阿弥ぜあみによる「そばへきたるところあり」という評価ひょうかは、趣向しゅこうっているということとおもわれる[23]。すなわち、構成こうせいめんにおいては、山姥やまうばきょくまいって評判ひょうばんをとったひゃく山姥やまうばまえに、本物ほんもの山姥やまうばあらわれるという構造こうぞうがとられている。また、妄執もうしゅう権化ごんげである山姥やまうばが、「煩悩ぼんのうそく菩提ぼだい」というぜん思想しそうきながら、しかも最後さいごまで妄執もうしゅうにとらわれつづけるという逆説ぎゃくせつてき物語ものがたりとなっており、そのこと自体じたいが「煩悩ぼんのうそく菩提ぼだい」という主題しゅだい体現たいげんしている[24]晩年ばんねん世阿弥ぜあみが、ぜん思想しそうしたしんでいたことをしめしている[25]

ほん作品さくひんあらわれる山姥やまうばは、ひとおそろしい鬼女きじょではなく、むしろ仙女せんにょのような存在そんざいであり、自然しぜんそのものの象徴しょうちょう、あるいは人間にんげん象徴しょうちょうともかんがえられる[26]

いちきょくつうじて、優美ゆうびかんじもある一方いっぽう鬼気ききがみなぎっており、「ちから速度そくどのう」とわれるとおり、ダイナミックで迫力はくりょくちた作品さくひんである[26]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ まさしくは「世上せじょう」。伊藤いとうこうちゅう (1988: 360)
  2. ^ ぶし時刻じこくにかなったおとたかさ。伊藤いとうこうちゅう (1988: 361)
  3. ^ 梅原うめはら観世かんぜ監修かんしゅう (2013: 428)は、ゆうがつがかげってきたとする。伊藤いとうこうちゅう (1988: 361)は、ゆうがつかがやはじめたとする。
  4. ^ 和漢わかん朗詠ろうえいしゅうきょくすいえん「礙石おそらいしん竊待、牽ながれ遄過手先てさきさえぎ」(菅原すがわらまさただし)による。梅原うめはら観世かんぜ監修かんしゅう (2013: 436)伊藤いとうこうちゅう (1988: 260)
  5. ^ 深野ふかの」は、まさしくは「林野りんや」あるいは「ちり」か。伊藤いとうこうちゅう (1988: 362)
  6. ^ 前世ぜんせい悪業あくごうによりおにとなったものみずからの死屍しし鞭打むちうち、前世ぜんせい善行ぜんこうにより天人てんにんとなったものみずからの死屍ししはなするという説話せつわ(『てんみことせつおもねそだておう譬喩ひゆけいとう)による。伊藤いとうこうちゅう (1988: 362)
  7. ^ 和漢わかん朗詠ろうえいしゅう山水さんすいやまふくさんなにこうそぎなりあおいわおかたちいちみずふくすいだれしみあお潭之しょくいち」による。伊藤いとうこうちゅう (1988: 362)
  8. ^ 伊勢物語いせものがたり』に「芥川あくたがわといふかわをいきければ。くさうえきたりけるつゆを。かれはぞとなんおとことえひけるを。……よるけにければ。おにあるところともらで。かみさへいといみじうもいたうりければ。……はやよるけなんとおもひつつたりけるに。おにはやおんなをば一口ひとくちしょくひてけり。あなやといひけれど。かみるさわぎにえかざりけり。やうやうよるけゆくに。ればひきいきたしおんなもなし。あしずりをしてけどもかひなし。白玉しらたまぞとひとといひしときあらわこたえてえなましものを。」とあるのをく。大和田おおわだへん (1896: 190-91)
  9. ^ ひがし春宵しゅんしょういちこく千金せんきんはなゆう清香きよかいちつきゆうかげ」による。伊藤いとうこうちゅう (1988: 198, 363)
  10. ^ 和漢わかん朗詠ろうえいしゅう郭公かっこう一声いっせい山鳥やまどりあけぼのくもがい」による。伊藤いとうこうちゅう (1988: 363)
  11. ^ 難波なんばくやこのはな冬籠ふゆごもいまはるべとくやこのはな」(古今ここん和歌集わかしゅう仮名がなじょひとし)をまえる。伊藤いとうこうちゅう (1988: 363, 18)
  12. ^ こう拾遺しゅうい和歌集わかしゅう釈教しゃっきょうくにのなにはのことかほうならぬあそじゃれまでとこそけ」による。伊藤いとうこうちゅう (1988: 20, 364)
  13. ^ たかやまふもとちりどろよりなりて、てんくもたなびくまでせいうえのぼれるごとくに」(『古今ここん和歌集わかしゅう仮名がなじょ』)をまえる。伊藤いとうこうちゅう (1988: 364)
  14. ^ 仏説ぶっせつななじょけい』「ひと深山ふかやまなかいち大呼たいこ音響おんきょうよん聞耳ききみみ所在しょざいいち」をさとりの境地きょうち比喩ひゆとするのをまえる。伊藤いとうこうちゅう (1988: 364)
  15. ^ 源平げんぺい盛衰せいすいじゅう、『平家ひらか物語ものがたり長門ながとほんまえには海水かいすい瀼々としてつき真如しんにょひかりを浮め。のちにはいわお松森まつもり々としてかぜ常楽じょうらくひびきそうす。くも東天とうてん西海さいかいしずかなり。まことさんみこと来迎らいごう儀式ぎしき便びんあり。九品くほん往生おうじょうもちたりぬべし。けいむちがまちてぼたるむなしくる。諌鼓こけふかうしてとりおどろかず。」による。大和田おおわだへん (1896: 192)伊藤いとうこうちゅう (1988: 364)
  16. ^ 和漢わかん朗詠ろうえいしゅう帝王ていおうけいむちがまくちぼたるむなし、諌鼓こけふかとりおどろき」による。伊藤いとうこうちゅう (1988: 364, 436)
  17. ^ 古今ここん和歌集わかしゅうはるじょう遠近えんきんのたづきもらぬ山中さんちゅうにおぼつかなくも呼子鳥よぶこどりかな」による。大和田おおわだへん (1896: 193)伊藤いとうこうちゅう (1988: 364)
  18. ^ もりはじめ春山はるやまばんどくしょうもとめ伐木ばつぼく丁々ちょうちょうやまさらかそけ」による。伊藤いとうこうちゅう (1988: 364)
  19. ^ やなぎみどりはなべに真面目まじめ」というひがしつたえられるが、典拠てんきょ不明ふめいである。伊藤いとうこうちゅう (1988: 94-95)
  20. ^ 古今ここん和歌集わかしゅう仮名がなじょ』「たきぎまけへる山人さんじんはなかげやすめるがごとし」をまえる。伊藤いとうこうちゅう (1988: 365)
  21. ^ 万葉集まんようしゅう』「棚機たなばたひゃくててぬのあきさりころもたれかん」による。大和田おおわだへん (1896: 194)
  22. ^ 古今ここん和歌集わかしゅうかみゆう青柳あおやぎをかたいとによりてうぐいすぬいふてふかさうめ花笠はながさ」による。伊藤いとうこうちゅう (1988: 365)
  23. ^ 和漢わかん朗詠ろうえいしゅう』擣衣「はちがつきゅうがつせい長夜ちょうやせんこえまんこえりょうときいち」(白楽はくらくたかし)による。伊藤いとうこうちゅう (1988: 365)
  24. ^ 説法せっぽうあかりろん』「宿やどいち樹下じゅか、汲いちかわりゅういち……みなさき結縁けちえん」をはじめとしてしょしょえる成句せいく伊藤いとうこうちゅう (1988: 366, 34)
  25. ^ 和漢わかん朗詠ろうえいしゅう仏事ぶつじねがい今生こんじょう世俗せぞく文字もじこれぎょう狂言綺語きょうげんきごあやまいちこぼしためとう来世らいせさんぼとけじょういんてん法輪ほうりんえんいち」(白楽はくらくたかし)による。伊藤いとうこうちゅう (1988: 366)

出典しゅってん

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  5. ^ 大和田おおわだへん (1896: 186)
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参考さんこう文献ぶんけん

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