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境川 (富山県・新潟県) - Wikipedia

境川さかいがわ (富山とやまけん新潟にいがたけん)

日本にっぽん富山とやまけん新潟にいがたけんながれる境川さかいがわ水系すいけい河川かせん

境川さかいがわ(さかいがわ)は、富山とやまけん新潟にいがたけん県境けんきょうあたりをながれるきゅう河川かせんで、境川さかいがわ水系すいけい本流ほんりゅう古称こしょうかみわたる(かんのわたり)。

境川さかいがわ
国道こくどう8ごう橋梁きょうりょう付近ふきん富山とやまけんがわより上流じょうりゅう方向ほうこう
水系すいけい きゅう水系すいけい 境川さかいがわ
種別しゅべつ きゅう河川かせん
延長えんちょう 13.04 km
流域りゅういき面積めんせき 58 km²
水源すいげん 犬ヶ岳いぬがたけ
水源すいげん標高ひょうこう 1,593 m
河口かこう合流ごうりゅうさき 日本海にほんかい富山とやまけん下新川しもにいかわぐん朝日あさひまち新潟にいがたけん糸魚川いといがわ
流域りゅういき 富山とやまけん新潟にいがたけん
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富山とやまけん下新川しもにいかわぐん朝日あさひまち新潟にいがたけん糸魚川いといがわにまたがる犬ヶ岳いぬがたけ(いぬがたけ)にみなもとはっした大平川おおだいらがわ (虎谷とらや)が、こう立山たてやま連峰れんぽう北端ほくたんきたながれ、中流ちゅうりゅうはつ雪山ゆきやま源流げんりゅうとする入谷いりたにわせる。富山とやまけん下新川しもにいかわぐん朝日あさひまち大平おおひらあたりで、新潟にいがたけん糸魚川いといがわ上路あげろがわわせ、境川さかいがわとなる。沿岸えんがんでは直線ちょくせんてききたながし、日本海にほんかいそそぐ。日本海にほんかい沿岸えんがん主要しゅよう幹線かんせん道路どうろおよびあいのふうとやま鉄道てつどうせんとおり、富山とやまけんがわより新潟にいがたけんがわ渡河とかすると、やく5kmさきには、古来こらいより北陸ほくりくどう最大さいだい難所なんしょとされたしん不知ふちひかえている。

上流じょうりゅうがわにはアンモナイト(1953ねん境川さかいがわ砂防さぼう工事こうじちゅう発見はっけん)などジュラ紀じゅらき化石かせき豊富ほうふふく来馬らいばそうぐんがあり河口かこう化石かせきりができる。

れいかい』の公式こうしきれいに「北陸ほくりくどうかみずみいいえつちゅうあずか越後えちごかいかわ也。」とあり、このかみずみ境川さかいがわ古名こみょうられている。古代こだい北陸ほくりくどうではこの河川かせんさかいにして、朝廷ちょうていしゅう使がよりとおきたへとかうさいには、えきることがみとめられており、北陸ほくりくどう中国ちゅうごく遠国おんごくとをかつ重要じゅうよう地点ちてんであった。境川さかいがわという名前なまえは、古来こらいえつ中国ちゅうごく越後えちごこく境界きょうかいとされたことに由来ゆらいする。

たてたけし2ねん1335ねん)に、名越なごしけん境川さかいがわて、向川むかいがわえてしん不知ふち出撃しゅつげきしたことがしるされており(太平たいへいつき鈔)、つづえいただし15ねん1518ねん)の「頤神のきそん算用さんようじょう」には「ひゃくぶん さかいかわのせき」とある。

戦国せんごく時代じだいには、越後えちごがわから長尾ながお能景よしかげ長尾ながお景虎かげとら祖父そふ)、長尾ながお為景ためかげ長尾ながお景虎かげとらちち)、長尾ながお景虎かげとら上杉うえすぎ謙信けんしん親子おやこさんだいにわたり境川さかいがわで、さらにかわえて越中えっちゅう戦闘せんとうおこなうなど[1]長尾ながお景虎かげとら境川さかいがわ進出しんしゅつ北越ほくえつ軍談ぐんだん天正てんしょう15ねん(1587ねん)・どう18ねん(1590ねん)とある)、中世ちゅうせい近世きんせいつうじて、えつ中国ちゅうごく東端ひがしばた重要じゅうよう防衛ぼうえい拠点きょてんとされた。戦国せんごく時代じだい境関さかいぜきかれ、つづ江戸えど時代じだいには、このかわはさむようにして、加賀かがはんがわ糸魚川いといがわはんがわ関所せきしょ境関さかいぜきしょ市振いちぶり関所せきしょ)がもうけられた。

かつての境川さかいがわにははしけられていなかったが、1878ねん明治めいじ11ねん)、木橋きばし境橋さかいばし)が架設かせつされた。

文化ぶんか作品さくひん

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長治ながはる年間ねんかん1104ねん - 1105ねん)に成立せいりつした『堀河ほりかわひゃくしゅ』には、「ふねもなく いはなみたかき さかひかは みつまさりなは ひともかよはし」という藤原顕季ふじわらのあきすえうた収録しゅうろくされており、これが境川さかいがわんだものとされる。

おうひさし年間ねんかん1394ねん - 1427ねん)に成立せいりつした世阿弥ぜあみの『山姥やまうば』は、越中えっちゅう境川さかいがわ上流じょうりゅうから越後えちご上路あげろえる山道さんどう舞台ぶたいとする。

おも支流しりゅう

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  • 大平川おおだいらがわ富山とやまけん下新川しもにいかわぐん朝日あさひまち
  • 上路あげろがわ新潟にいがたけん糸魚川いといがわ

河川かせん施設しせつ一覧いちらん

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  • 北陸電力ほくりくでんりょく 境川さかいがわだいいち発電はつでんしょ富山とやまけん下新川しもにいかわぐん朝日あさひまち大平おおひら
  • 北陸電力ほくりくでんりょく 境川さかいがわだい発電はつでんしょ同町どうちょうさかい
  • 北陸電力ほくりくでんりょく 境川さかいがわだいさん発電はつでんしょ同町どうちょうたきふかし

境川さかいがわだいいち発電はつでんしょ境川さかいがわだい発電はつでんしょ1960ねん3月28にち完成かんせい[2]

橋梁きょうりょう

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河口かこうより記載きさい

周辺しゅうへん施設しせつ

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  • さかい一里塚いちりづか朝日あさひまちさかいひがし1873-1、富山とやまけん史跡しせき

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 富山とやまけん河川かせん調書ちょうしょ 建設けんせつ
  • 国史こくし体系たいけい 11 れいかい吉川よしかわ弘文社こうぶんしゃ、1976ねん
  • 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 16 富山とやまけん角川書店かどかわしょてん、1979ねん、371ページ。

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ テレビ放送ほうそう講座こうざ 平成へいせい3年度ねんどテキスト「だい3かい 武将ぶしょうみち北陸ほくりくどう”. 富山とやま県民けんみん生涯しょうがい学習がくしゅうカレッジ (2002ねん). 2020ねん7がつ20日はつか閲覧えつらん
  2. ^ 町制ちょうせい施行しこう30周年しゅうねん記念きねん あさひ 町制ちょうせい要覧ようらん/昭和しょうわ59年版ねんばん朝日町あさひまちまちぜい要覧ようらん 昭和しょうわ59年版ねんばん)』(1984ねん8がつ朝日町あさひまち役場やくば発行はっこう)8ぺーじ

外部がいぶリンク

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