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信仰 - Wikipedia

信仰しんこう

かみふつなどをしんじること
崇拝すうはいから転送てんそう

信仰しんこう(しんこう、えい: faith)とは、

イスラム教いすらむきょうでは聖地せいち メッカへの巡礼じゅんれいハッジ」は一生いっしょういちたすべき義務ぎむモスクマスジド・ハラーム」)
  • かみふつなどをしんじること。また、ある宗教しゅうきょうしんじて、そのおしえをよりどころとすること[2]
  • ひとやものごとを信用しんよう信頼しんらいすること[3]
  • 証拠しょうこきで確信かくしんつこと[4]。またそれらをしんじることを正当せいとうする要因よういん[5]

信仰しんこうのことを仏教ぶっきょうにおいては「信心しんじん(しんじん)」とぶことが一般いっぱんてきである。「信仰しんこう」といてふるくは「しんごう」とんでいたこともある[6]

概説がいせつ

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かみかんじるのはしんであって、理性りせいではない。信仰しんこうとはこのようなものなのである。 — ブレーズ・パスカル、『パンセ断章だんしょう278

このように、このかたりおおくの場合ばあい宗教しゅうきょうてき概念がいねんたとえばかみ教義きょうぎなどをしんじることにたいしてもちいる[4]広辞苑こうじえんによれば、信仰しんこう一般いっぱんに、畏怖いふよりもなんらかの親和しんわ気持きもちが根源こんげんにあるとしている[注釈ちゅうしゃく 1]。 「宗教しゅうきょう」というかたりが、組織そしき制度せいどまでもふくめて包括ほうかつてきかたりであるのにたいし、「信仰しんこう」や「信心しんじん」はひと(あるいは人々ひとびと)の意識いしき焦点しょうてんをあてたかたりである。

また、なんらかの対象たいしょう絶対ぜったいのものとしんじて、うたがわないこと[7]すこともある。この用法ようほうは、日本語にほんごでは比喩ひゆてき否定ひていてきなニュアンスを修辞しゅうじとしてもちいられることおおいが[8]公的こうてき中国ちゅうごくでの「信仰しんこう」の概念がいねんは、宗教しゅうきょうマルクス主義まるくすしゅぎ信仰しんこうなどの宗教しゅうきょう以外いがい信仰しんこう同等どうとう対象たいしょうとされ、おな文脈ぶんみゃくかたられ[8]

かく宗教しゅうきょうにおける信仰しんこう

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初期しょきユダヤきょう旧約きゅうやく聖書せいしょにおける信仰しんこう

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初期しょきユダヤきょう旧約きゅうやく聖書せいしょにおいては、信仰しんこう概念がいねんかみたいする人間にんげん態度たいどであって、かみたいする従順じゅうじゅん信頼しんらいがテーマとされた (創世そうせい 15:6、イザヤしょ 7:9)。初期しょきユダヤきょうにおいて、信仰しんこう典型てんけいあるいはもっと古典こてんてきれいとしてあつかわれているのはアブラハムのそれである(創世そうせい 15:6)。

信仰しんこうは「かみみんいのち基礎きそ」(イザヤしょ 7:9)、とされ、かみたいする従順じゅうじゅん信頼しんらいしんのアブラハムの子孫しそんとしてのあかしであった(シラ 44:19-23)。信仰しんこうによって、みんすくいと霊魂れいこん不滅ふめつ約束やくそくされている( 15:3)、とされた。

キリスト教きりすときょうにおける信仰しんこう

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キリスト教きりすときょうにおける信仰しんこう

新約しんやく聖書せいしょ

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ともかん福音ふくいんしょにおいては、「信仰しんこう」や「信仰しんこうする」というかたりはギリシャでそれぞれ「pistis」「pisteuein」というかたり表現ひょうげんされており、これら信仰しんこうあらわかたり旧約きゅうやく聖書せいしょにおいてよりも頻繁ひんぱんもちいられている。 信仰しんこう奇跡きせきこす(マタイ 17:20、21:21、ルカ 17:6)、とされ、信仰しんこうは、かみ、あるいはメシアとして、イエスがかみとの特別とくべつ関係かんけいにあるとしんじること(マルコ 1:24、3:11、15:32、マタイ 8:29、14:33、ルカ 4:41)とされる。 イエスの十字架じゅうじかうえ復活ふっかつのち、「救世主きゅうせいしゅイエス」「かみイエス」にたいする信仰しんこうは、イエスの弟子でしたちにより展開てんかい確定かくていし、原始げんし教団きょうだん信仰しんこうかくとなっていった[9]、とされる。

それ以来いらいキリスト教徒きりすときょうとにとっては、唯一ゆいいつかみへの信仰しんこう同時どうじイエス・キリストへの信仰しんこうとなった[9]。キリストをしんじることによりつみのゆるしがられるのであり(使徒しとぎょうでん 10:43、26:18)[9]、キリストをしんじることはすくいのための唯一ゆいいつ必要ひつよう条件じょうけんである(使徒しとぎょうでん 4:12、16:31)[9]、とされるようになった。

3〜5世紀せいき

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3〜5世紀せいきになると、三位一体さんみいったいろんとキリストろん教理きょうりさだめられ、信仰しんこう内容ないよう客観きゃっかんされた。アタナシオス信条しんじょうとして具体ぐたいされると、この客観きゃっかんてき表現ひょうげんされた事柄ことがらしんじることが正統せいとうとされ、この信条しんじょうれないことは異端いたんとされるようになった[10]

アウグスティヌス

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アウグスティヌスしんプラトン主義しゅぎもとづいて、かみ存在そんざいそのものであり、真理しんりかみ認識にんしきはひとつであるとした[10]理性りせいるものに執着しゅうちゃくする人間にんげんせいもとづいたものであるから英知えいちかい(mundus intelligibilis)にたどりけない、信仰しんこうもとづく認識にんしきのみが真理しんり到達とうたつしうる、とした[10]。また、信仰しんこうかみ霊感れいかん(inspiratio Dei)であるといた。また「ぜんおこなかみ信頼しんらいすることによって、よく行動こうどうすることにとどまる(Credendo adhaerere ad bene operandum bona operanti Dei)」とべた。これは人間にんげんせい回復かいふくさせるものがあいアガペー)であることを意味いみしており、信仰しんこうあいアガペー)と密接みっせつむすびついている[10]とされる。

宗教しゅうきょう改革かいかく以後いご

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宗教しゅうきょう改革かいかく旗手きしゅとなったマルティン・ルターは、パウロ書簡しょかん引用いんようして信仰しんこうのみによる救済きゅうさいいた。信仰しんこうみとめは、そのプロテスタント根幹こんかんとなるテーゼのひとつとなった[11]

信仰しんこう対象たいしょうれい

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超絶ちょうぜつてき存在そんざい究極きゅうきょく存在そんざい

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[注釈ちゅうしゃく 2]

超絶ちょうぜつてき存在そんざいからあたえられたとされる言葉ことば

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約束やくそくや、おしえなど[注釈ちゅうしゃく 3]

超絶ちょうぜつてき存在そんざいふか関係かんけいがあるとなされているひとなど

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上記じょうきひとにまつわるもの

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多神教たしんきょうアニミズムにおけるかみ自然しぜんぶつ自然しぜん生物せいぶつ

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そのひと

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比喩ひゆてき用法ようほう

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信仰しんこう」という表現ひょうげんは、てんじて、なんらかの対象たいしょう絶対ぜったいのものとしんじてうたがわない状態じょうたいのことをすようにもなっている[12]たとえば以下いかのようなものごとについてもちいられる。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 畏怖いふ気持きもちが根源こんげんにあるものについては、べつかたり("崇敬すうけい"など)をあてるのが一般いっぱんてき
  2. ^ 超絶ちょうぜつてき存在そんざいというかたり使用しようしているのは、宗教しゅうきょう定義ていぎするときに「超絶ちょうぜつてき存在そんざい」「超越ちょうえつてき存在そんざい」といった言葉ことばもちいつつおこなうのがひとつのオーソドックスで古典こてんてき方法ほうほうであり、概念がいねん構造こうぞうがはっきりとし、便宜上べんぎじょうこのましいからである(たとえば『宗教しゅうきょうがく辞典じてん』(東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい)の宗教しゅうきょうこうなどを熟読じゅくどくのこと)
  3. ^ 旧約きゅうやく聖書せいしょ」「新約しんやく聖書せいしょ」にふくまれる「やく」のは「約束やくそく」「契約けいやく」を意味いみしている。
  4. ^ ユダヤきょうキリスト教きりすときょうイスラム教いすらむきょうにおいては聖典せいてんとく重視じゅうしされていることから、それらをす「聖典せいてん宗教しゅうきょう」という呼称こしょう存在そんざいする。

出典しゅってん

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  1. ^ ホセ・ヨンパルト『学問がくもん信仰しんこう世界せかいとく法学ほうがく場合ばあいー』 成文せいぶんどう 2013ねんISBN 9784792303518 6C3032 pp.127
  2. ^ 「1 神仏しんぶつなどをしんじてあがめること。また、ある宗教しゅうきょうしんじて、そのおしえを自分じぶんのよりどころとすること。」yahoo!辞書じしょ デジタル大辞泉だいじせん-信仰しんこう
  3. ^ 「1. confidence or trust in a person or thing」
  4. ^ a b Dictionary.com - faith
  5. ^ The Internet Encyclopedia of philosophy - faith
  6. ^ 広辞苑こうじえん
  7. ^ 「2 特定とくてい対象たいしょう絶対ぜったいのものとしんじてうたがわないこと」 yahoo!辞書じしょ デジタル大辞泉だいじせん-信仰しんこう
  8. ^ a b 長谷ながたに千代子ちよこ川口かわぐちみゆきだい瀬川せかわ昌久まさひさへん)『現代げんだい中国ちゅうごく宗教しゅうきょう信仰しんこう社会しゃかいをめぐる民族みんぞく昭和堂しょうわどう 2013ねんISBN 978-4-8122-1233-2 pp.38-41.
  9. ^ a b c d しんカトリックだい事典じてん III』p.390
  10. ^ a b c d しんカトリックだい事典じてん III』p.391
  11. ^ 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん信仰しんこうみとめ』 - コトバンク
  12. ^ 「2 特定とくてい対象たいしょう絶対ぜったいのものとしんじてうたがわないこと」yahoo!辞書じしょ-信仰しんこう

参考さんこう文献ぶんけん

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  • しんカトリックだい事典じてん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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