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救済 - Wikipedia

救済きゅうさい(きゅうさい、英語えいご: salvation)は、ある対象たいしょうにとって、このましくない状態じょうたい改善かいぜんして(だっして)、のぞましい状態じょうたいへとえる(たっする)ことを意味いみする。宗教しゅうきょうてき救済きゅうさいは、現世げんせいにおける悲惨ひさん状態じょうたい宗教しゅうきょう帰依きえすることで解消かいしょうまたは改善かいぜんされることも意味いみする。様々さまざま宗教しゅうきょうきわめて重要じゅうよう概念がいねんであり、救済きゅうさい強調きょうちょうする宗教しゅうきょう救済きゅうさい宗教しゅうきょうともばれ、「救済きゅうさい宗教しゅうきょう」で通常つうじょう救済きゅうさい」という場合ばあいは、現世げんせい存在そんざいのありようそのものが、せいおよえた存在そんざい領域りょういきにあって、なんらかのかたち決定的けっていてき改善かいぜんされることをあらわすのが一般いっぱんである。

救済きゅうさいかた分類ぶんるい

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  • 救済きゅうさいされる場所ばしょによる分類ぶんるい来世らいせ救済きゅうさいがた たい 現世げんせい救済きゅうさいがた
  • 救済きゅうさいされる対象たいしょうによる分類ぶんるい個人こじん救済きゅうさいがた たい 集団しゅうだん救済きゅうさいがた
  • 救済きゅうさいされる方法ほうほうによる分類ぶんるい自力じりき救済きゅうさいがた たい 他力たりき救済きゅうさいがた

救済きゅうさいかたには、生者しょうじゃ死者ししゃたましいなどが天国てんごく極楽ごくらく理想郷りそうきょうなどの「あの」にく「来世らいせ救済きゅうさいがた」と、かみふつ菩薩ぼさつ救世主きゅうせいしゅ理想郷りそうきょうなどが「この」にあらわれる「現世げんせい救済きゅうさいがた」がある。また、個人こじん単位たんい救済きゅうさいされる「個人こじん救済きゅうさいがた」と、宗教しゅうきょうてき共同きょうどうたい民族みんぞく国家こっか人類じんるい全体ぜんたいなど集団しゅうだん単位たんい救済きゅうさいされる「集団しゅうだん救済きゅうさいがた」がある。また、信仰しんこう苦行くぎょう禁欲きんよくさとりや善行ぜんこうによる「自力じりき救済きゅうさいがた」(≒「因果いんがせつがた」)と、かみふつ菩薩ぼさつ救世主きゅうせいしゅなどの恩恵おんけい慈悲じひによる「他力たりき救済きゅうさいがた」がある。

 
太陽たいようつきひとつになった「金星きんせいしん光明こうみょうしん」のシンボル 「オーリオール(アウレオラ/アウラ)」。
 
キリスト教きりすときょうもちいられるプロビデンスの。この「」は、本来ほんらい、「太陽たいよう」(まる)と「つき」(三日月みかづきもしくはアーモンドがた)のシンボルを合成ごうせいしたものであり、「金星かなぼしかみ)」を意味いみする。「太陽たいようかみ)」+「つきかみ)」→「金星かなぼしかみ)」。

キリスト教きりすときょうにおける救済きゅうさい

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キリスト教きりすときょう神学しんがくにおいてはとくに「救済きゅうさいろん」(soteriology)の中心ちゅうしん概念がいねんである。キリスト教きりすときょう典型てんけいてき救済きゅうさい宗教しゅうきょうで、キリストきょうにおける救済きゅうさいとは、キリストの十字架じゅうじかによるあがないの功績こうせきもとづいてあたえられるめぐみにより、信仰しんこうによるつみとがめ束縛そくばくからの解放かいほう、そして死後しごにあって、超越ちょうえつてき存在そんざい世界せかいにあってかみ恩顧おんこ永遠えいえんのいのちあずかることである。永遠えいえんのいのちは、ときとして、生物せいぶつてきないのちとは種類しゅるいことにする、このにあってつことのできる霊的れいてきないのちとも解釈かいしゃくできる。

ローマ・カトリック教会きょうかいにおいては、つみおかしたがつぐなえる可能かのうせいのこっているもの煉獄れんごくおくられるとされる。

また、未来みらいにおいて世界せかい終末しゅうまつむかえたとき、かみ人々ひとびとさばくという最後さいご審判しんぱん観念かんねんもある。そのとき混乱こんらんきわみにある世界せかいイエス救世主きゅうせいしゅとして再臨さいりんし、王座おうざくとされる。死者ししゃたちはかなかからがり(伝統でんとうてき火葬かそうしなかったのはこのときよみがえからだがないといけないため)、生者しょうじゃともさばきをける。信仰しんこう忠実ちゅうじつだったもの天国てんごくへ、罪人ざいにん地獄じごく (キリストきょう)へ、世界せかいはイエスが再臨さいりんするまえ一度いちどわるが、このとき人々ひとびと救済きゅうさいされ、あたらしいはじまる希望きぼうがある。(せんねん王国おうこく)

グノーシス主義しゅぎにおける救済きゅうさい

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グノーシス主義しゅぎにおける救済きゅうさいとは、はん宇宙うちゅうてき二元論にげんろん世界せかいかんよりあきらかなように、あくであり暗黒あんこくにせかみ支配しはいする「この」をはなれ、肉体にくたい束縛そくばくだっし、れいとして、永遠えいえん世界せかいプレーローマ)に帰還きかんすることを意味いみする。グノーシス主義しゅぎではあく肉体にくたい形作かたちづくるものの、ぜんもまたひとからだひかり欠片かけら(たましい)をめたという神話しんわもある。信者しんじゃぬときしんかみなるちち自覚じかくし、プレーローマへかえろうとするが、あく(アルコーンいたる)のさまたげる重囲じゅうい突破とっぱしなければならない。この過程かてい全体ぜんたいかられば、ひかり欠片かけら回収かいしゅうでもある。

仏教ぶっきょうにおける救済きゅうさい

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仏教ぶっきょうにおける救済きゅうさいとは、個人こじんさとて、輪廻りんねからはずれ(解脱げだつ)、くるしみのおおい(本質ほんしつてきである)この二度にどまれてこない(転生てんせいしない)ことである。

つまり仏教ぶっきょうにおける救済きゅうさいとは、「輪廻りんね転生てんせい」という、仏教ぶっきょうバラモン教ばらもんきょうからいだ、世界せかい仕組しくみにかんする「概念がいねん」(世界せかいかん)をそもそもの前提ぜんていとしている。

そして「輪廻りんね転生てんせい」は、「転生てんせい」という概念がいねん前提ぜんていとしている。そして「転生てんせい」は、「霊魂れいこんてきな「なにか」(バラモン教ばらもんきょうでは「アートマン」、仏教ぶっきょうでは「因果いんが」)の存在そんざい」という概念がいねん前提ぜんていとしている。

しかしバラモン教ばらもんきょう仏教ぶっきょうでは、そうした「転生てんせい」がたまき)のように永続えいぞくする(輪廻りんねする)ことで、「転生てんせい」そのものは「救済きゅうさい」ではなく「」としており、転生てんせいたまき)=輪廻りんねからはずれることを「救済きゅうさい」とするという、さらにひねくれた(発達はったつした)構造こうぞうとなっている。

通俗つうぞくてきには)さとりをけいいたしゃを「ブッダ」とび(伝統でんとうてきには「仏陀ぶっだ」は歴史れきしてき人物じんぶつとしての釈迦しゃかす)、人間にんげんだれでも(可能かのうせいとしては)「ブッダ」になることが出来できるとされる。

本来ほんらい仏教ぶっきょうは、個人こじんさとることで輪廻りんねからはずれようとする、「個人こじん救済きゅうさい」「自力じりき救済きゅうさい」のいとなみからはじまったものだが、大乗だいじょう仏教ぶっきょうおこると自分じぶんのみならず他者たしゃ衆生しゅじょう)も救済きゅうさいしようという方向ほうこうせいあらわれた。

また阿弥陀あみだ信仰しんこう観音かんのん信仰しんこう弥勒みろく信仰しんこう地蔵じぞう信仰しんこうなど、ふつ菩薩ぼさつにより救済きゅうさいされる「他力たりき救済きゅうさい」もあるが、本来ほんらい仏教ぶっきょうの「自力じりき救済きゅうさい」の論理ろんりからはありえず、西方せいほう異教いきょうゾロアスターきょうミトラきょうネストリウスキリスト教きりすときょうマニきょうなど)に由来ゆらいする、仏教ぶっきょうかわこうむった救世主きゅうせいしゅ待望たいぼう思想しそうめんつよい。

なお、弥勒菩薩みろくぼさつは56おく7000まんねん降臨こうりんするとされると通常つうじょうわれているが、初期しょき経典きょうてん記述きじゅつからは5おく7600まんねんただしい。これは現在げんざい弥勒みろく転生てんせい修行しゅぎょうちゅうかぶとりつてんでの天寿てんじゅ計算けいさんしたものである。

平安へいあん時代じだいには釈迦しゃか入滅にゅうめつのち末法まっぽう到来とうらいするという不安ふあん戦乱せんらんかさなり、終末しゅうまつのち救済きゅうさいもとめる人心じんしん反映はんえいしてか浄土じょうどきょう浸透しんとうしていった。

こうした(本来ほんらい仏教ぶっきょう論理ろんりではありえない)仏教ぶっきょうの「他力たりき救済きゅうさい」のめんが、日本にっぽんにおけるキリスト教きりすときょう受容じゅようつながっていることはいなめない。

儒教じゅきょうにおける救済きゅうさい

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儒教じゅきょうは、日本にっぽんでは儒学じゅがくともばれ、一種いっしゅ道徳どうとくりつ政治せいじろんのようにとらえられているが、儒教じゅきょう形而上けいじじょうてき世界せかいかんをその道徳どうとく政治せいじ土台どだいく、立派りっぱ宗教しゅうきょうである。

儒教じゅきょうにおける救済きゅうさいには、個人こじんてき側面そくめん全体ぜんたいてき側面そくめんがある。

個人こじんてき側面そくめんとしては、一族いちぞく先祖せんぞをまつる祭祀さいし儀礼ぎれいがある。古代こだい中国ちゅうごく世界せかいかんでは、人間にんげん(の)は天地てんちよりさずかった魂魄こんぱく(こんぱく)よりり(たましい精神せいしんささえるたま肉体にくたいささえるした)、死後しごたましい(こん)とたま(はく、ぱく)にかれ、たましい上昇じょうしょうしててんに、たま下降かこうしてに、く(もどる)とされる(たま遺体いたいほねとともにまる・くぐるゆえに、たま保管ほかんするために土葬どそうおこなわれる)。そしてたましいたま祭祀さいし儀礼ぎれいによりふたたむすけるとき、人間にんげん復活ふっかつ再生さいせいする(=救済きゅうさいされる)とされる。そしてこの復活ふっかつ再生さいせいのための祭祀さいし儀礼ぎれいは、子孫しそんでないとおこなうことができないとされる。儒教じゅきょうにおいては、子孫しそんがいなければ祭祀さいし儀礼ぎれいおこなうことができず、先祖せんぞ自分じぶん復活ふっかつ再生さいせいすることができないのである。儒教じゅきょうにおいて、自分じぶんすくってくれるのは、かみふつなどの超越ちょうえつてき存在そんざいではなく、子孫しそんなのである。ゆえ儒教じゅきょう道徳どうとくにおいては、おやよりさきぬことは、祭祀さいしおこなものがいなくなる意味いみでも、おや先祖せんぞたいする不孝ふこうなのであり、いえ家系かけい)をまもり、子孫しそんやさぬことが、非常ひじょう重視じゅうしされる。儒教じゅきょう創始そうししゃである孔子こうし自身じしんが、母親ははおや祭祀さいし儀礼ぎれい葬儀そうぎ)を生業せいぎょうとする、まれであった。

全体ぜんたいてき側面そくめんとしては、儒教じゅきょうとく孔子こうし)は、たかししゅんという古代こだい聖王せいおうによる、仁義じんぎ忠孝ちゅうこう重視じゅうしした王道おうどう徳治とくじ政治せいじ理想りそうとしており、儒教じゅきょう政治せいじてき宗教しゅうきょうてき目的もくてきは、みだれたただし、聖王せいおうをこの再現さいげんする(聖王せいおう回帰かいきする)ことにある。こうして儒教じゅきょう先祖せんぞまつ祭祀さいし儀礼ぎれい中核ちゅうかく道徳どうとく整備せいびし、徳化とっか教化きょうか)により連続れんぞくてきに、儒教じゅきょう道徳どうとくおさめた個人こじんはじめとして、いえくに天下てんかぜん世界せかい)が形成けいせいされることによって、平和へいわ(儒教じゅきょう道徳どうとくもとづく儒教じゅきょうてき秩序ちつじょによる世界せかい統一とういつ)が達成たっせいされ、徳治とくじおこなわれ、人民じんみん幸福こうふくらせるようになることで、全体ぜんたい救済きゅうさいされるとするのである。また、天下てんか平和へいわになれば、家系かけい戦乱せんらんなどで途絶とだえることがなく、子孫しそんによって祭祀さいし儀礼ぎれいおこなわれることによって、先祖せんぞ自分じぶん救済きゅうさい保障ほしょうされるという、循環じゅんかん補完ほかん論理ろんりがあるわけである。

ゆえ儒教じゅきょう個人こじん救済きゅうさいがた宗教しゅうきょうであると同時どうじ集団しゅうだん救済きゅうさいがた宗教しゅうきょうでもある。

また、宗教しゅうきょうがそうであるように、儒教じゅきょうにも終末しゅうまつろんがある。すなわち、為政者いせいしゃ君主くんしゅ皇帝こうてい)が(儒教じゅきょう道徳どうとくもとづく)とくうしな暴君ぼうくんとなり、暴虐ぼうぎゃく暴政ぼうせいはたらくようになると、人民じんみんくるしみ、みだれ、怪異かいい天変地異てんぺんちいこるようになる。これが儒教じゅきょうにおける世界せかい終末しゅうまつである。すると、てん古代こだい中国ちゅうごく世界せかいかんにおける超越ちょうえつてき至高しこう存在そんざい)はとくのあるものあらたな為政者いせいしゃ候補こうほえらび(天命てんめいあらたまる)、反乱はんらんこり、反乱はんらんぐん暴君ぼうくん打倒だとうほろぼして、反乱はんらんしゃあらたな為政者いせいしゃ君主くんしゅ皇帝こうてい)となってしん王朝おうちょうりつることで、は、平和へいわ秩序ちつじょもどし、怪異かいい天変地異てんぺんちいおさまり、あらたにまれわるのである。これ(終末しゅうまつろん)は儒教じゅきょうにおけるもうひとつの救済きゅうさいろんでもある。しかし、このあらたな為政者いせいしゃ(の子孫しそん)も、やがて堕落だらくし、暴君ぼうくんりて、あらたな為政者いせいしゃつのである。このように儒教じゅきょうにおける歴史れきしかん世界せかいかん)とは、「世界せかい堕落だらく再生さいせい」が永遠えいえんかえされる、「循環じゅんかん史観しかん」なのである。

救済きゅうさい事業じぎょう

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救済きゅうさいおこな事業じぎょう国際こくさい連合れんごうパレスチナ難民なんみん救済きゅうさい事業じぎょう機関きかん (UNRWA)のパレスチナ難民なんみん救済きゅうさい事業じぎょうなどがよくられている。種類しゅるいとしては貧民ひんみん救済きゅうさい事業じぎょう孤児こじ救済きゅうさい事業じぎょう失業しつぎょう救済きゅうさい事業じぎょう各種かくしゅ被害ひがいしゃ救済きゅうさい事業じぎょうなどがある。

おもなれい

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関連かんれん人物じんぶつ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 大高おおだかよし兵衛ひょうえ読史どくし随筆ずいひつ赤堀あかほり又次郎またじろう ちょ (中西なかにし書房しょぼう, 1928)

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 『グノーシスの神話しんわ大貫おおぬきたかし 岩波書店いわなみしょてん ISBN 400000445X
  • 終末しゅうまつろん世紀せいきまつるために』エンカルタ百科ひゃっか事典じてん
  • 宮城みやぎ洋一郎よういちろう日本にっぽん仏教ぶっきょう救済きゅうさい事業じぎょう研究けんきゅう永田文昌堂ながたぶんしょうどう、1993ねん

関連かんれん項目こうもく

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