正字 せいじ は「氣 き 」(異体 いたい 字 じ 「炁」)。日本 にっぽん での略字 りゃくじ は「気 き 」、簡体字 かんたいじ では「气」となる。
説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ では「氣 き 」は「饋客芻米也、從 したがえ 米 まい 气聲。 」とし、段 だん 玉 だま 裁 さい 注 ちゅう では「气氣古今 ここん 字 じ 。自 じ 以氣爲 ため 雲 くも 气字、乃又作 さく 餼爲廩氣字 じ 矣。气本雲 くも 气、引伸爲 ため 凡气之 の 偁。 」という。雲気 うんき の意 い であった气が本字 ほんじ で、芻米の意 い の「氣 き 」が音 おと 通 どおり でつかわれるようになった、その他 た の意味 いみ は雲気 うんき の意味 いみ からの派生 はせい であるというのである。
また、同様 どうよう に説 せつ 文 ぶん では「气」は「雲 くも 气也、象形 しょうけい 。 」とある。しかし、雲気 うんき の意義 いぎ から気息 きそく の意義 いぎ が引 ひ き出 だ されるというのはやや解 かい しがたい。また「氣 き 」は「愾」であり、「氣息 きそく 」の義 ぎ であるという古 こ 字書 じしょ もあるため、少 すく なくとも気息 きそく の意義 いぎ も本来 ほんらい の意義 いぎ であったとみなすべきであると思 おも われる。(「一語 いちご の辞典 じてん 気 き 」参照 さんしょう )
気 き は英語 えいご のAura (アウラ) やラテン語 らてんご のspiritus (スピリトゥス) 、ギリシア語 ご のΨυχή (psyche 、プシュケー )、π ぱい ν にゅー ε いぷしろん ῦμ みゅー α あるふぁ (pneuma 、プネウマ )、ヘブライ語 ご のruah (ルーアハ )、あるいはサンスクリット のprana (プラーナ )と同 おな じく、生命 せいめい 力 りょく や聖 せい なるものとして捉 とら えられた気息 きそく 、つまり息 いき の概念 がいねん がかかわっている。しかしそうした霊的 れいてき ・生命 せいめい 的 てき 気息 きそく の概念 がいねん が、雲気 うんき ・水蒸気 すいじょうき と区別 くべつ されずに捉 とら えられた大気 たいき の概念 がいねん とひとつのものであるとみなされることによってはじめて、思想 しそう 上 じょう の概念 がいねん としての「気 き 」が成立 せいりつ する。
雲 くも は大気 たいき の凝結 ぎょうけつ として捉 とら えられ、風 ふう は大気 たいき の流動 りゅうどう であり、その同 おな じ大気 たいき が呼吸 こきゅう されることで体内 たいない に充満 じゅうまん し、循環 じゅんかん して、身体 しんたい を賦活 ふかつ する生命 せいめい 力 りょく として働 はたら く。つまり、ミクロコスモスである人間 にんげん 身体 しんたい の呼吸 こきゅう とマクロコスモスである自然 しぜん の気象 きしょう との間 あいだ に、大気 たいき を通 つう じて、ダイナミックな流動 りゅうどう 性 せい としての連続 れんぞく 性 せい と対応 たいおう を見出 みいだ し、そこに霊的 れいてき で生命 せいめい 的 てき な原理 げんり を見 み るというアイディアが、気 き という概念 がいねん の原型 げんけい なのである。
一方 いっぽう では人間 にんげん は息 いき をすることで生 い きているという素朴 そぼく な経験 けいけん 事実 じじつ から、人間 にんげん を内側 うちがわ から満 み たし、それに生 い き物 もの としての勢力 せいりょく や元気 げんき を与 あた えている、あるいはそもそも活 い かしているものが気息 きそく であるという概念 がいねん が生 う まれる。そしてまたそこには、精神 せいしん 性 せい 、霊的 れいてき な次元 じげん も、生命 せいめい 的 てき な次元 じげん と区別 くべつ されずに含 ふく まれている。ただし、精神 せいしん 的 てき な次元 じげん は、後代 こうだい には理 り の概念 がいねん によって総括 そうかつ され、生命 せいめい 的 てき な力 ちから としてのニュアンスのほうが強 つよ まっていく。
他方 たほう では、息 いき は大気 たいき と連続 れんぞく 的 てき なものであるから、気象 きしょう 、すなわち天気 てんき などの自然 しぜん の流動 りゅうどう とも関係付 かんけいづ けられ、その原理 げんり であるとも考 かんが えられていく。自然 しぜん のマクロな事象 じしょう の動的 どうてき 原理 げんり としての大気 たいき という経験 けいけん 的 てき 事実 じじつ から、大気 たいき にかかわる気象 きしょう 関連 かんれん の現象 げんしょう だけでなく、あらゆる自然 しぜん 現象 げんしょう も、ひとつの気 き の流動 りゅうどう ・離合 りごう 集散 しゅうさん によって説明 せつめい される。この次元 じげん では気 き はアルケー としてのエーテル である。
この霊的 れいてき な生命 せいめい 力 りょく として把握 はあく された気息 きそく であり、かつ万象 ばんしょう の変化 へんか 流動 りゅうどう の原理 げんり でもあるという原点 げんてん から、ついには、生命 せいめい 力 りょく を与 あた えるエネルギー的 てき なものであるのみならず、物 もの の素材 そざい 的 てき な基礎 きそ 、普遍 ふへん 的 てき な媒質 ばいしつ とまで宋 そう 学 がく では考 かんが えられるようになった。
こうした由来 ゆらい ゆえに、気 き は、一方 いっぽう では霊的 れいてき ・生命 せいめい 的 てき ・動的 どうてき な原理 げんり としての形而上 けいじじょう 的 てき 側面 そくめん をもちながら、他方 たほう では、具体 ぐたい 的 てき で普遍 ふへん 的 てき な素材 そざい (ヒュレー)的 てき 基体 きたい でありかつ普遍 ふへん 的 てき なエーテル的 てき 媒質 ばいしつ であるがゆえに、物質 ぶっしつ 的 てき な形而下 けいじか 的 てき 側面 そくめん も持 も つという二 に 重 じゅう 性 せい を持 も つことになった。気 き は、物 もの に宿 やど り、それを動 うご かすエネルギー的 てき 原理 げんり であると同時 どうじ に、その物 もの を構成 こうせい し、素材 そざい となっている普遍 ふへん 的 てき 物質 ぶっしつ でもある。従 したが って、たとえば気 き 一元論 いちげんろん は、かならずしも唯物 ゆいぶつ 論 ろん とはいえない[ 1] [ 2] [ 3] [ 4] [ 5] [ 6] [ 7] 。
中 ちゅう 医学 いがく における気 き はその主 おも な活動 かつどう 部位 ぶい により名称 めいしょう が異 こと なっている。
原 はら 気 き (元気 げんき )
母体 ぼたい から受 う け継 つ ぎ腎臓 じんぞう に貯蓄 ちょちく される先天 せんてん の精 せい が変化 へんか 生成 せいせい したもの。生命 せいめい 活動 かつどう の原動力 げんどうりょく となる。原 はら 気 き は、中 ちゅう 焦 こげ からもたらされる後天 こうてん の精 せい により補給 ほきゅう 、臍下丹田 せいかたんでん (陰 かげ 交穴 、気 き 海 うみ 穴 あな 、石門 せきもん 穴 あな 、関 せき 元 もと 穴 あな のあたり)に集 あつ まり、三 さん 焦 こげ の働 はたら きで経絡 けいらく を介 かい し、全身 ぜんしん を循って、臓腑 ぞうふ ・器官 きかん ・組織 そしき に活力 かつりょく を与 あた えるものである。原 はら 気 き が旺盛 おうせい なら下腹 かふく 部 ぶ に張 は りがあって、体内 たいない の臓腑 ぞうふ ・器官 きかん も力強 ちからづよ く働 はたら くため、活気 かっき があって粘 ねば り強 づよ く、疾病 しっぺい にもかかりにくい。原 はら 気 き が衰 おとろ えると、下腹部 かふくぶ が軟弱 なんじゃく となり、臓腑 ぞうふ ・器官 きかん も弱 よわ く障害 しょうがい を受 う けやすくなるので、活動 かつどう も弱々 よわよわ しく、疲 つか れやすく、冷 ひ えて、疾病 しっぺい にかかりやすい。
宗 そう 気 き
肺 はい において後天 こうてん の精 せい と天 てん の気 き が交 まじ わって、胸 むね 中 ちゅう (膻中 )に集 あつ まる気 き である。宗 そう 気 き は、五臓 ごぞう の心 しん と肺 はい (六腑 ろっぷ においては三 さん 焦 こげ の内 うち 、上 うえ 焦 こげ )と関係 かんけい が深 ふか く、臓の活動 かつどう を支 ささ えている気 き (心 しん の拍 はく 動 どう を力強 ちからづよ く、規則正 きそくただ しく行 おこな わせたり、呼吸 こきゅう や発声 はっせい をしっかりとさせる気 き )である。宗 そう 気 き が不足 ふそく すれば、呼吸 こきゅう の異常 いじょう (少 しょう 気 き 、短気 たんき など)が起 お こったり、語 かたり 声 ごえ に力 ちから がなくて、細 ほそ くなったり、心 しん の拍 はく 動 どう が弱 よわ まったり、規律 きりつ 性 せい を失 うしな ったり(脈 みゃく の結 ゆい 、代 だい など)する。
営気(栄 さかえ 気 き )
営気は、後天 こうてん の精 せい から得 え られる陰性 いんせい の気 き (水 みず 穀 こく の精気 せいき )である。営気は、津 つ 液 えき を血 ち に変化 へんか させて、血 ち とともに脈 みゃく 中 ちゅう を行 い き、1日 にち に人体 じんたい を50回 かい 以上 いじょう も循って臓腑 ぞうふ や手足 てあし などの内外 ないがい 諸 しょ 器官 きかん を栄養 えいよう して、それらの活動 かつどう を支 ささ える。
衛 まもる 気 き
衛 まもる 気 き は、後天 こうてん の精 せい から得 え られる陽性 ようせい の気 き (水 みず 穀 こく の悍気)である。衛 まもる 気 き は、脈 みゃく 外 がい を素早 すばや く循る気 き で、特 とく に体 からだ 表 ひょう 近 ちか くで活動 かつどう 、肌 はだ 膚 はだ を温 あたた め(体温 たいおん 保持 ほじ )、腠理を開 ひらけ 闔(皮膚 ひふ の収縮 しゅうしゅく と弛緩 しかん )し、外 そと 邪 よこしま に対 たい する防衛 ぼうえい 的 てき な役割 やくわり をしている。衛 まもる 気 き は、昼間 ひるま に人体 じんたい の陽 ひ の部 ぶ (体 からだ 表 ひょう 部 ぶ )を25周 しゅう して、夜間 やかん に人体 じんたい の陰 かげ の部 ぶ (体内 たいない 部 ぶ )を25周 しゅう する。衛 まもる 気 き は営気と読 よ みを区別 くべつ するため日本語 にほんご では「えき」と呼 よ ぶ場合 ばあい もある。
真 ま 気 き (正気 しょうき )
真 ま 気 き は、先天 せんてん の気 き と後天 こうてん の気 き からなるもの。人体 じんたい の正常 せいじょう な活動 かつどう を支 ささ える気 き である。
推動作用 さよう - 人 ひと の成長 せいちょう ・発育 はついく や、一切 いっさい の生理 せいり 的 てき 活動 かつどう 及 およ び新陳代謝 しんちんたいしゃ をする働 はたら きで、原 はら 気 き 、宗 そう 気 き 、営気、衛 まもる 気 き 、臓腑 ぞうふ の気 き など全 すべ ての気 き に備 そな わっている。腎 じん に関係 かんけい する。
温 ゆたか 煦作用 よう - 臓腑 ぞうふ ・器官 きかん などの一切 いっさい の組織 そしき を温 あたた め、体温 たいおん を保持 ほじ する働 はたら きで、特 とく に衛 まもる 気 き ・原 はら 気 き ・腎 じん 気 き と関係 かんけい が深 ふか い。
防御 ぼうぎょ 作用 さよう - 体 からだ 表 ひょう において、外 そと 邪 よこしま の侵入 しんにゅう を防御 ぼうぎょ する働 はたら きで、特 とく に衛 まもる 気 き と関係 かんけい が深 ふか い。
固 かた 摂 と 作用 さよう - 血 ち ・津 つ 液 えき ・精液 せいえき などをつなぎ留 と める働 はたら きで、血 ち が脈 みゃく 外 がい にもれない(脾の固 かた 摂 と (統 みつる 血 ち 作用 さよう ))ようにしたり、汗 あせ や尿 にょう がむやみに漏 も れ出 で る(遺精 いせい →腎 じん の固 かた 摂 と 作用 さよう )を防 ふせ いだりする。営気、衛 まもる 気 き 、脾気、腎 じん 気 き と関係 かんけい が深 ふか い。
気化 きか 作用 さよう - 精 せい が気 き に、気 き が津 つ 液 えき や血 ち に変化 へんか したり、津 つ 液 えき が汗 あせ や尿 にょう になって体外 たいがい へ排泄 はいせつ する働 はたら きで、営気、衛 まもる 気 き 、宗 そう 気 き 、脾気、肺 はい 気 き 、腎 じん 気 き と関係 かんけい が深 ふか い。
臓気
五臓 ごぞう におさまり、それぞれの経絡 けいらく の活動 かつどう を支 ささ えている気 き である。
経 けい 気 き
経絡 けいらく 中 ちゅう を行 い き全身 ぜんしん を循り、それぞれの経絡 けいらく の活動 かつどう を支 ささ えている気 き である。
胃 い 気 き
胃 い を働 はたら かせる気 き 、胃 い の働 はたら きによって得 え られた後天 こうてん の気 き のことで、有無 うむ は予 よ 後 ご に重要 じゅうよう な影響 えいきょう を及 およ ぼすとされ、診断 しんだん 上 じょう (特 とく に脈 みゃく 診 み )も重要 じゅうよう 視 し されている。脈 みゃく は中 ちゅう 脈 みゃく で診 み る。
中 ちゅう 医学 いがく は漢方 かんぽう 、鍼灸 しんきゅう 、気功 きこう などに分類 ぶんるい される。
漢方 かんぽう (薬 くすり 膳 ぜん などを含 ふく む)は、生薬 きぐすり などを患者 かんじゃ に服用 ふくよう させることで、臓器 ぞうき のバランスを整 ととの え、経絡 けいらく の流 なが れを改善 かいぜん し、体内 たいない の気 き の流 なが れを良 よ くして病気 びょうき を改善 かいぜん させる方法 ほうほう 。
鍼灸 しんきゅう は、経絡 けいらく 上 じょう にあるツボを刺激 しげき し、気 き の流 なが れを整 ととの え、臓器 ぞうき の調整 ちょうせい を行 おこな い、病気 びょうき を改善 かいぜん させる方法 ほうほう 。
気功 きこう は、通 つう じにくくなった経絡 けいらく 中 ちゅう の気 き の流 なが れを、より直接的 ちょくせつてき に開通 かいつう させて病気 びょうき を改善 かいぜん させるとともに、患者 かんじゃ 自身 じしん が体内 たいない の気 き の流 なが れを良 よ くしてバランスをはかれるように調整 ちょうせい する方法 ほうほう である。
戦国 せんごく 時代 じだい 末期 まっき 、『荘 そう 子 こ 』では気 き の集合 しゅうごう 離散 りさん が万物 ばんぶつ の生成 せいせい 消滅 しょうめつ という変化 へんか を起 お こしていると説明 せつめい している。また陰陽 いんよう 二 に 気 き という相反 あいはん する性質 せいしつ をもった気 き によって多様 たよう な世界 せかい が形作 かたちづく られるとした。そして、気 き の上位 じょうい に「道 みち 」という根元 ねもと 的 てき な実在 じつざい があるとされ、『老子 ろうし 』42章 しょう の「道生 どうしょう 一 いち 一生 いっしょう 二 に 二 に 生 せい 三 さん 三 さん 生 なま 萬物 ばんぶつ 萬物 ばんぶつ 負 ふ 陰 かげ 而抱〔河上 かわかみ 公 こう 註本では袌 〕 陽 ひ 沖 おき 氣 き 以爲和 わ 」(→道 みち は一 いち を生 しょう じ、一 いち は二 に を生 しょう じ、二 に は三 さん を生 しょう じ、三 さん は万物 ばんぶつ を生 しょう ず。万物 ばんぶつ は陰 かげ を負 お いて陽 ひ を抱 いだ き、冲気もって和 わ を為 な す) と相 あい まって根元 ねもと 的 てき な実在 じつざい である道 みち と万物 ばんぶつ を構成 こうせい する気 き という宇宙 うちゅう 生成 せいせい 論 ろん が唱 とな えられた。
一方 いっぽう で道家 どうか の思想 しそう からは後 のち に人体 じんたい に流 なが れる気 き への着目 ちゃくもく により「仙人 せんにん 」の養生 ようじょう 術 じゅつ としての導 しるべ 引が生 う まれた。これが近代 きんだい 中国 ちゅうごく では宗教 しゅうきょう 色 しょく を廃 はい し気功 きこう になる。
儒教 じゅきょう の経書 けいしょ で宇宙 うちゅう 生成 せいせい 論 ろん を扱 あつか うのは『易 えき 経 けい 』の伝 つて である。繋辞 けいじ 上 うえ 伝 でん には「太極 たいきょく →両 りょう 儀 ぎ →四 よん 象 ぞう →八卦 はっけ 」とあり、漢 かん 代 だい には「両 りょう 儀 ぎ 」は陰 かげ と陽 ひ の二 に 気 き に、宇宙 うちゅう の根元 ねもと である「太極 たいきょく 」には春秋 しゅんじゅう 学 がく の「元 もと 」の思想 しそう から生 う まれた「元気 げんき 」に措定 そてい され、「元気 げんき →陰陽 いんよう →四 よん 時 じ →万物 ばんぶつ 」というモデルが提出 ていしゅつ された。
宋 そう 代 だい になると、周 しゅう 敦 あつし 頤 が「太極 たいきょく 図 ず 」に基 もと づいて『太極 たいきょく 図説 ずせつ 』を著 あらわ し、道教 どうきょう の「無 む 極 きょく 」を取 と り入 い れて「無 む 極 きょく →太極 たいきょく →陰陽 いんよう →五 ご 行 ぎょう →万物 ばんぶつ 化生 かせい 」の宇宙 うちゅう 生成 せいせい 論 ろん を唱 とな えた。周 しゅう 敦 あつし 頤は後 のち に朱 しゅ 熹 によって取 と り上 あ げられることになるが、朱 しゅ 熹は道教 どうきょう 的 てき な「無 む 」を嫌 きら い、「無 む 極 きょく よりして太極 たいきょく をなす」を「無 む 極 きょく にして太極 たいきょく 」と無理 むり やり置 お き換 か えている。
張 ちょう 載 の は、世界 せかい ・万物 ばんぶつ は気 き で構成 こうせい されており、世界 せかい には気 き が離散 りさん して流動 りゅうどう していて、気 き が凝固 ぎょうこ すると万物 ばんぶつ ができると考 かんが えた。また気 き のありかたは人間 にんげん の道徳 どうとく 性 せい と関 かか わり、流動 りゅうどう 性 せい の高 たか く本来 ほんらい 的 てき なあり方 かた を「天地 てんち の性 せい 」として優 すぐ れたものとし、凝固 ぎょうこ した現実 げんじつ 的 てき なあり方 かた を「気質 きしつ の性 せい 」として劣 おと ったものとした。
南 みなみ 宋 そう の朱 しゅ 熹は張 ちょう 載 の の気 き と程 ほど 頤 ・程 ほど 顥 の理 り を融合 ゆうごう して理 り 気 き 二元論 にげんろん を唱 とな えた。世界 せかい にアプリオリ に存在 そんざい し、気 き の集合 しゅうごう 離散 りさん を秩序 ちつじょ づける法則 ほうそく ・理法 りほう を理 り と呼 よ び、理 り 先 さき 気 き 後 ご を主張 しゅちょう した。朱 しゅ 熹は、人間 にんげん の死 し を気 き の離散 りさん とし、いったん離散 りさん した気 き は元 もと に戻 もど らないと考 かんが えた。しかし、弟子 でし に「では、祖先 そせん 祭祀 さいし はどうして行 おこな うのか」と問 と い質 ただ され、これは朱子学 しゅしがく の重大 じゅうだい な理論 りろん 上 じょう の欠陥 けっかん となった。
明代 あきよ 中期 ちゅうき になると理 り 先 さき 気 き 後 ご に対 たい して理 り 気 き 相即 そうそく が唱 とな えられるようになり、理 り は気 き の条理 じょうり (いわばイデアではなく形相 ぎょうそう )とされるようになった。このように理 り 気 き 論 ろん は気 き 一元論 いちげんろん へと収束 しゅうそく されていった。そして、清 きよし の戴震にいたっては理 り は気 き によって生 しょう じるアポステリオリ なものとされるに至 いた った。
日本 にっぽん では伊藤 いとう 仁斎 じんさい が同様 どうよう の主張 しゅちょう を唱 とな えた。
武術 ぶじゅつ では、独自 どくじ の「気 き 」の概念 がいねん ・理論 りろん を持 も つ。日本 にっぽん 武道 ぶどう では合気道 あいきどう が有名 ゆうめい だが、日本 にっぽん の武道 ぶどう と中国 ちゅうごく 武術 ぶじゅつ では解釈 かいしゃく に若干 じゃっかん の違 ちが いがある。
気 き について解 わか りやすく他 ほか の者 もの に伝 つた える為 ため 、宗教 しゅうきょう 的 てき な気 き の捉 とら え方 かた を合体 がったい させた流派 りゅうは 、門派 もんぱ も存在 そんざい する。また、遠 とお 当 とう (とおあて)という相手 あいて の身体 しんたい に接触 せっしょく せず相手 あいて を倒 たお す技術 ぎじゅつ が存在 そんざい する。これは離 はな れた相手 あいて に気 き を当 あ てるといった技術 ぎじゅつ である。遠 とお 当 とう を放 はな って相手 あいて の姿勢 しせい を崩 くず した後 のち に弓 ゆみ で矢 や を放 はな って射止 いと めたと言 い われている。なお、同名 どうめい (遠 とお 当 とう )の遠距離 えんきょり 攻撃 こうげき 術 じゅつ もある。
武術 ぶじゅつ における気 き とは、体 からだ の「伸 しん 筋 すじ の力 ちから 」、「張 は る力 ちから 」、「重心 じゅうしん 移動 いどう の力 ちから 」といわれることが多 おお い。これらを鍛 きた える為 ため 、様々 さまざま な鍛錬 たんれん (中国 ちゅうごく 武術 ぶじゅつ では練 ねり 功 こう )を行 おこな う。また、「力 りき む」と屈 こごめ 筋 すじ に力 ちから が入 はい ってしまい、「張 は る力 ちから 」を阻害 そがい するため逆 ぎゃく 効果 こうか であるともされる。尚 なお 、伸 しん 筋 すじ を働 はたら かせても、「力 りき む」感 かん じは無 な く、「張 は る」感 かん じがするだけである。
練 ねり 功 こう の基本 きほん 段階 だんかい では、相当 そうとう 中 ちゅう 医学 いがく の気 き 血 ち などの理論 りろん 体系 たいけい を基 もと にしており、まずは健康 けんこう 目的 もくてき で中国 ちゅうごく 武術 ぶじゅつ を始 はじ める人 ひと もいる。その典型 てんけい なのが太極拳 たいきょくけん であり、中国 ちゅうごく 政府 せいふ によりまとめられた二 に 十 じゅう 四 よん 式 しき 太極拳 たいきょくけん の普及 ふきゅう によって、太極拳 たいきょくけん は体操 たいそう のようなもので武術 ぶじゅつ ではないという誤解 ごかい すらあるが、これは太極拳 たいきょくけん という名前 なまえ だけが余 あま りにも有名 ゆうめい になりすぎたためである(内 うち 家 か 拳 こぶし を参照 さんしょう )。太極拳 たいきょくけん をはじめとする中国 ちゅうごく 武術 ぶじゅつ の流派 りゅうは の多 おお くは、発 はつ 勁 を修得 しゅうとく することを入門 にゅうもん 者 しゃ の目標 もくひょう としており、そのために見 み た目 め の単調 たんちょう さとは裏腹 うらはら に、つらい姿勢 しせい での練 ねり 功 こう が繰 く り返 かえ し積 つ み重 かさ ねられる。
中国 ちゅうごく 武術 ぶじゅつ の勁については「
発 はつ 勁」を
参照 さんしょう
日本語 にほんご には「気 き 」という言葉 ことば を使 つか う表現 ひょうげん がいくつかある。中国 ちゅうごく 哲学 てつがく の気 き の概念 がいねん のうち、物 もの の構成 こうせい 要素 ようそ 、素材 そざい としての意味 いみ の用法 ようほう はほとんどなく、「元気 げんき 」などの生命 せいめい 力 りょく 、勢 いきお いの意味 いみ と、気分 きぶん ・意思 いし の用法 ようほう と、場 ば の状況 じょうきょう ・雰囲気 ふんいき の意味 いみ の用法 ようほう など、総 そう じて精神 せいしん 面 めん に関 かん する用法 ようほう が主 おも である。気 き になる、気 き をつける、気 き を使 つか う、気 き が付 つ く、気 き に障 さわ る、気 き が散 ち る、気 き をやる(セックスにおいてオルガスムス に達 たっ すること)、気合 きあ い、など。
なお、慣用 かんよう 句 く 「病 やまい は気 き から」の「気 き 」は、本来 ほんらい は、中国 ちゅうごく 哲学 てつがく や伝統 でんとう 中国 ちゅうごく 医学 いがく の気 き であるが、今 いま では「気分 きぶん 」「元気 げんき 」などの意味 いみ に変 か わっている。
江戸 えど 時代 じだい の儒学 じゅがく 者 しゃ で、日本 にっぽん の環境 かんきょう 保全 ほぜん の先駆 さきが けとなった熊沢 くまさわ 蕃山 ばんざん は、その理念 りねん の基 もと として「神気 しんき 」という概念 がいねん を掲 かか げている[ 8] 。熊沢 くまさわ の語 かた る神気 しんき は中国 ちゅうごく の気 き のような流 なが れや作用 さよう はなく、降雨 こうう による湿潤 しつじゅん な空気 くうき と多様 たよう な植物 しょくぶつ が作 つく るアニミズム 的 てき 感覚 かんかく を指 さ す[ 8] 。
主 おも に金銭 きんせん の授受 じゅじゅ が含 ふく まれる医療 いりょう の面 めん で、問題 もんだい となるケースがある。西洋 せいよう 医療 いりょう には、「気 き 」という概念 がいねん はないが、前述 ぜんじゅつ のように中 ちゅう 医学 いがく 領域 りょういき において「気 き 」という概念 がいねん が取 と り扱 あつか われることがある。また気功 きこう 療法 りょうほう においては気 き の概念 がいねん は無 な くてはならないものである。
各 かく 分野 ぶんや によって都合 つごう の良 よ い解釈 かいしゃく がされており、統一 とういつ した概念 がいねん がなく、曖昧 あいまい な存在 そんざい となっている。医学 いがく の分野 ぶんや に限 かぎ っても、漢方 かんぽう における「気 き 」と気功 きこう でいう「気 き 」の間 あいだ には大 おお きな乖離 かいり がある。
凝固 ぎょうこ して可視 かし 的 てき な物質 ぶっしつ という概念 がいねん もあるが、数値 すうち 化 か して測定 そくてい することができなく、存在 そんざい を科学 かがく 的 てき に証明 しょうめい できていない。
上記 じょうき にも関連 かんれん するが、科学 かがく 的 てき 手法 しゅほう で解析 かいせき された学術 がくじゅつ 論文 ろんぶん が皆無 かいむ であること。[ 9]
治療 ちりょう や指導 しどう が、医師 いし や鍼灸 しんきゅう 師 し 以外 いがい によって為 な されるケースも少 すく なくないこと。
^ DENG Yu, ZHU Shuanli, Deng Hai (2002). “Generalized Quanta Wave with Qi on Traditional Chinese Medecine ”, Journal of Mathematical Medicine , 15 (4), pp. 369-371.
^ DENG Yu, Zhu Shuanli, X. Peng, Deng Hai (2003). “Ration of Qi with Modern Essential on Traditional Chinese Medicine Qi: Qi Set, Qi Element”, Journal of Mathematical Medicine , 16 (4).
^ 邓宇[Deng Yu ]・朱 しゅ 栓 せん 立 りつ [Zhu Shuanli ]・徐 じょ 彭[Xu Peng ]・邓海[Deng Hai ](2000)〈五行阴阳的特征与新英译[New Translator with Characteristic of Wu xing Yin Yang ]〉《中国 ちゅうごく 中西 なかにし 医 い 结合杂志[Chinese Journal of Integrative Medicine ]》20 (12):987。
^ 邓宇[Deng Yu ]・朱 しゅ 栓 せん 立 りつ [Zhu Shuanli ]・徐 じょ 彭[Xu Peng ]・邓海[Deng Hai ](2000)〈五行阴阳的特征与新英译[Fresh Translator of Zang Xiang Fractal five System ]〉《中国 ちゅうごく 中西 なかにし 医 い 结合杂志[Journal of Integrative Medicine ]》(12):937。
^ 邓宇[Deng Yu]等 とう (1998)〈阴阳的 てき 科学 かがく 本 ほん 质及数理 すうり 化 か 建 けん 构〉《中国 ちゅうごく 中 ちゅう 医 い 基 もと 础医学 がく 杂志[Chinese Journal of basic medicine in traditional chinese medicine ]》2 :59-61。
^ 邓宇[Deng Yu ]等 とう (1999)〈中 ちゅう 医 い 分 ぶん 形 かたち 集 しゅう [TCM Fractal Sets ]〉《数理 すうり 医 い 药学杂志[Journal of Mathematical Medicine ]》12 :(3):264-265。
^ 邓宇[Deng Yu ]・朱 しゅ 栓 せん 立 りつ [Zhu Shuanli ]・徐 じょ 彭[Xu Peng ]・邓海[Deng Hai ](2000)〈经络英文 えいぶん 新 しん 释译与实质[Essence and New Translator of Channels ]〉《中国 ちゅうごく 中西 なかにし 医 い 结合杂志[Chinese Journal of Integrative Medicine ]》20 (8):615。
^ a b 上田 うえだ 信 しん 『風水 ふうすい という名 な の環境 かんきょう 学 がく : 気 き の流 なが れる大地 だいち 』、農 のう 山 やま 漁村 ぎょそん 文化 ぶんか 協会 きょうかい 〈図説 ずせつ ・中国 ちゅうごく 文化 ぶんか 百 ひゃく 華 はな 〉第 だい 15巻 かん 、2007年 ねん 、182-195頁 ぺーじ 。ISBN 978-4-540-03097-0 。
^ 医学 いがく 中央 ちゅうおう 雑誌 ざっし で検索 けんさく しても2005年 ねん ~2010年 ねん で該当 がいとう する論文 ろんぶん は1件 けん のみである。
定方 さだかた 美恵子 みえこ 、山田 やまだ 幸子 さちこ 「看護 かんご 療法 りょうほう としての気功 きこう : その可能 かのう 性 せい を模索 もさく する」『日本 にっぽん 看護 かんご 技術 ぎじゅつ 学会 がっかい 誌 し 』第 だい 7巻 かん 第 だい 1号 ごう 、日本 にっぽん 看護 かんご 技術 ぎじゅつ 学会 がっかい 、2008年 ねん 3月 がつ 、34-36頁 ぺーじ 。NAID 40015971701 。