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法の支配 - Wikipedia

ほう支配しはい(ほうのしはい、英語えいご: rule of law)は、専断せんだんてき国家こっか権力けんりょく支配しはいはいし、権力けんりょくほう拘束こうそくするというえいべいほうけい基本きほんてき原理げんりである。法治ほうち主義しゅぎとはことなる概念がいねんである。

ほう支配しはい」とは、統治とうちされるものだけでなく統治とうちするがわもまた、より高次こうじほうによって拘束こうそくされなければならないというかんがかたである[1]大陸たいりくほうてき法治ほうち主義しゅぎとはことなり、ほう支配しはいでは法律ほうりつをもってしてもおかしえない権利けんりがあり、これを自然しぜんほう憲法けんぽうなどが規定きていしているとかんがえる[1]

  • ほう支配しはいにおける「ほう[注釈ちゅうしゃく 1] とは、ぜんほう秩序ちつじょのうち、「根本こんぽんほう」と「基本きほんほう」のことを[2]
  • ほう支配しはいは、歴史れきしてきには、中世ちゅうせいイギリスの「ほう優位ゆうい」の思想しそうからまれたえいべいほうけい基本きほん原理げんりである[3]
  • ほう支配しはいは、専断せんだんてき国家こっか権力けんりょく支配しはい、すなわちひと支配しはいはいし、すべての統治とうち権力けんりょくほう拘束こうそくすることによって、被治者ひちしゃ権利けんりないし自由じゆう保障ほしょうすることを目的もくてきとする立憲りっけん主義しゅぎもとづく原理げんりであり、自由じゆう主義しゅぎ民主みんしゅ主義しゅぎとも密接みっせつむすびついている[3]
  • ほう支配しはいは、きわめて歴史れきしてき概念がいねんで、時代じだいくに論者ろんしゃによりことなる様相ようそうていする多義たぎてき概念がいねんであるてん留意りゅうい必要ひつようである[3]

ほう支配しはい」の原型げんけいは、古代こだいギリシアプラトン[4]アリストテレス思想しそう[注釈ちゅうしゃく 2]発展はってんしたローマほうヘレニズム法学ほうがくもとめる見解けんかい[5]ふるほう由来ゆらいする中世ちゅうせいゲルマンほうもとめる見解けんかいもあり、一定いっていしない。

市民しみんだれ支配しはいするよりも、同一どういつ原則げんそくであるほう支配しはいするほう適切てきせつだ。かり特定とくてい人々ひとびと最高さいこう権力けんりょく利点りてんがある場合ばあいには、かれらはほう守護しゅごしゃおよび執行しっこうしゃとしてのみ任命にんめいされるべきである。 — 政治せいじがくアリストテレス3.16
我々われわれ自由じゆうであるために、我々われわれみなほう奴隷どれいでなければならない。(ラテン語らてんご: Omnes legum servi sumus ut liberi esse possumus) — キケロ[6]

中世ちゅうせい

編集へんしゅう

ほう支配しはい」が、明確めいかくかたちとしてあらわれたのが中世ちゅうせいイギリスにおいてであることには、ほぼ異論いろんがない[7]

ヘンリー・ブラクトンの「おうひとしたにあってはならない。しかし、国王こくおうといえどもかみほうしたにある」というほうことわざ引用いんようされるようにすくなくとも中世ちゅうせいのイギリスに「ほう優位ゆうい」(Supremacy of Law) の思想しそう存在そんざいしていたとされる[8]中世ちゅうせいのイギリスでは、国王こくおうさえ服従ふくじゅうすべき高次こうじほう(higher law)があるとかんがえられ、これは「根本こんぽんほう」ないし「基本きほんほう」(Fundamental Law)とばれ、この観念かんねん近代きんだい立憲りっけん主義しゅぎへときつがれるのである[2]。そのため、ほう支配しはいは、立憲りっけん主義しゅぎもとづく原理げんりとされている[3]

当時とうじボローニャ大学だいがくで、ローマほう研究けんきゅうすすみ、1240ねんローマほう大全たいぜんの『標準ひょうじゅん注釈ちゅうしゃく』が編纂へんさんされると、 西欧せいおう諸国しょこくから留学生りゅうがくせいあつまるようになり、英国えいこくにもオクスフォード大学だいがくケンブリッジ大学けんぶりっじだいがく相次あいついで設立せつりつされるなどしてローマほう理論りろん研究けんきゅうされ、一部いちぶまれたという時代じだいであるが、すで英国えいこく全土ぜんど共通きょうつうほうともいえるコモン・ロー発展はってんていた英国えいこくでは、大陸たいりくにおいて発展はってんした「一般いっぱんほう」(ユス・コムーネ、jus commune)を必要ひつようとぼしかった。そのため、のちにローマほう由来ゆらいする主権しゅけん概念がいねんとコモン・ローとの緊張きんちょう関係かんけい問題もんだいとなったが、英国えいこくでは、「ほう主権しゅけん」の概念がいねんした、「ほう優位ゆうい」がかれたことがあった。しかし、その思想しそうは、封建ほうけん領主りょうしゅ領民りょうみんとのあいだ封建ほうけんてき身分みぶん前提ぜんていとされた関係かんけい理論りろんもとづいていたのであって、マグナ・カルタにおいては、バロンゆうする中世ちゅうせいてき特権とっけん保護ほごするために援用えんようされたのである。また、その思想しそうは、被治者ひちしゃ権利けんり自由じゆう保護ほご目的もくてきとしていたわけではなく、道徳どうとく古来こらい慣習かんしゅうほう密接みっせつむすびついた当時とうじキリスト教きりすときょうてき自然しぜん法論ほうろん親和しんわせいのあるものであったのである[2]

以上いじょうたいし、被治者ひちしゃ権利けんり自由じゆう保障ほしょう目的もくてきとする近代きんだいてき意味いみでの「ほう支配しはい」は、中世ちゅうせい以後いご徐々じょじょにコモン・ロー体系たいけい確立かくりつしていったイギリスにおいてマグナ・カルタ以来いらいほう歴史れきしまえ、中世ちゅうせいてきな「ほう優位ゆうい」の思想しそう確認かくにんするかたちで、16世紀せいきから17世紀せいきにかけて、法曹ほうそうによって発展はってんさせられた[2]

1606ねんエドワード・コークきょうは、王権おうけん神授しんじゅせつによって「国王こくおう主権しゅけん」を主張しゅちょうするとき国王こくおうジェームズ1せいたいし、ブラクトンのほうことわざ引用いんようしたうえで、「王権おうけんほうしたにある。ほう技法ぎほう法律ほうりつでないとわからないので、おう判断はんだん法律ほうりつ判断はんだん優先ゆうせんすることはない。」と諫めたとされる[9][注釈ちゅうしゃく 3]。ここでは、コモン・ロー裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかん専門せんもんてきほう判断はんだん王権おうけんたいする優位ゆういかれており、中世ちゅうせいてき特権とっけん保護ほごから、市民しみんてき自由じゆう保護ほごへのあしがかりがられるきっかけをつくられたといえる[10]

1610ねん、コークによる医師いしボナム事件じけん判決はんけつは、コモン・ローにはんする制定せいていほう無効むこう判示はんじし、司法しほうけん優位ゆうい思想しそうみちびくきっかけをつくったとされる[11]

1610ねんトマス・ヘドリィ(Thomas Hedley)の庶民しょみんいんにおける長大ちょうだい演説えんぜつによってノルマン征服せいふく以前いぜんふるくにせい(ancient constitution)の伝統でんとう理由りゆうにコモン・ローの本質ほんしつあきらかにされ、以後いご議会ぎかいではヘドリィによって定式ていしきされたコモンローの優位ゆういかえかれることになった[注釈ちゅうしゃく 4]。ここでは、「庶民しょみん」(commoner)[注釈ちゅうしゃく 5]議会ぎかい政治せいじてき参加さんかをすることによって制定せいていされる法律ほうりつ王権おうけんたいする優位ゆういかれており、民主みんしゅ主義しゅぎほう支配しはい密接みっせつむすびつくきっかけがつくられたのである。そのため、ほう支配しはいは、民主みんしゅ主義しゅぎとも密接みっせつ関連かんれんする原理げんりとされている[3]

1688ねんメアリーとそのおっとオランダみつるりょうウィリアム3せい(ウィレム3せいをイングランド王位おうい即位そくいさせた名誉めいよ革命かくめいこると、これをけて1701ねん王位おうい継承けいしょうほう裁判官さいばんかん身分みぶん保障ほしょう規定きていされることによってほう支配しはい現実げんじつ制度せいどとして確立かくりつしたのである[12]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにおけるほう支配しはい

編集へんしゅう

1787ねんアレグサンダー・ハミルトンらによって成文せいぶん憲法けんぽうとして起草きそうされたのがアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく憲法けんぽうであるが、これは「ほう支配しはい」を成文せいぶん憲法けんぽうによって実現じつげんしようとするものであった。合衆国がっしゅうこくは、イギリスが立憲りっけん君主くんしゅせいをとるのとことなり、共和きょうわせい採用さいようし、執政しっせいたいとしては、君主くんしゅわり大統領だいとうりょう選挙せんきょによって選出せんしゅつするものとしたうえ間接かんせつ民主みんしゅせいをとって立憲りっけん主義しゅぎ採用さいようしたのである。ここでいう共和きょうわせいとは、人民じんみん主権しゅけんした選出せんしゅつされた代表だいひょうしゃ権力けんりょく行使こうしする政体せいたいのことである[13]

1803ねんマーベリーたいマディソン事件じけんをきっかけに米国べいこく発祥はっしょうした違憲いけん立法りっぽう審査しんさけんは、コークの医師いしボナム事件じけん判決はんけつにヒントをて、「ほう支配しはい」から発想はっそうされた憲法けんぽう原理げんりひとつである。

解説かいせつ

編集へんしゅう

ほう支配しはいにおけるほう(Law)とは、不文法ふぶんほうであるコモン・ローおよび国会こっかい制定せいていする個々ここ法律ほうりつ(a law、laws)をふくめたぜんほう秩序ちつじょのうち、基本きほんほう(Fundamental laws)のことをす。基本きほんほうは、形式けいしきてき意義いぎ憲法けんぽう憲法けんぽうてん)と区別くべつする意味いみで、実質じっしつてき意義いぎ憲法けんぽうばれている[注釈ちゅうしゃく 6]アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく日本にっぽんでは、成文せいぶん憲法けんぽうてん制定せいていされているので、基本きほんほう原則げんそくとして憲法けんぽうてんのことをすが、それに限定げんていされるわけではない[注釈ちゅうしゃく 7]

ほう支配しはいは、国会こっかい権限けんげん濫用らんようして被治者ひちしゃ自由じゆうないし権利けんり侵害しんがいすることがありることを前提ぜんていとするものであって、権力けんりょくたい懐疑かいぎてきで、立憲りっけん主義しゅぎ権力けんりょく分立ぶんりつ密接みっせつむすいている。ただし、どのように権力けんりょく分離ぶんりするのかはそのくに歴史れきしによってことなり、合衆国がっしゅうこくのように厳格げんかく三権さんけん分立ぶんりつするというものではかならずしもなく、イギリスのように議会ぎかい裁判所さいばんしょ明確めいかく分離ぶんりしないというようなくにもある。詳細しょうさい英国えいこくほう#歴史れきし参照さんしょう

ほう支配しはいは、名誉めいよ革命かくめいによって近代きんだいてき憲法けんぽう原理げんりとして確立かくりつしたものであり、うえ掲のヘドリィの庶民しょみんいんでの演説えんぜつによってあきらかにされているように民主みんしゅ主義しゅぎとも密接みっせつむすびついている。ただし、イギリスのように立憲りっけん君主くんしゅせいとも、合衆国がっしゅうこくのように共和きょうわせいともむすびつきるものであり、そのくに歴史れきしによってことなる多義たぎてき概念がいねんである。ここでいう共和きょうわせいとは、人民じんみん主権しゅけんした選出せんしゅつされた代表だいひょうしゃ権力けんりょく行使こうしする政体せいたいのことである[13]

その目的もくてきは、ひと支配しはいはいし、すべての統治とうち権力けんりょくほう拘束こうそくすることによって、被治者ひちしゃの「権利けんりないし自由じゆう」を保障ほしょうすることである。ほう支配しはいは、戦後せんご現代げんだいてき変容へんよう余儀よぎなくされており、その多義たぎせいゆえ議論ぎろん錯綜さくそうきわめている。

ダイシーとほう支配しはい

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ほう支配しはい理論りろんしたのは、ダイシー憲法けんぽう序説じょせつ英語えいごばんであり、以後いご議会ぎかい主権しゅけん(Parliamentary Sovereignty)とほう支配しはいがイギリス憲法けんぽうだい原理げんりとされるようになった[14]

ダイシーによれば、ほう支配しはい以下いかみっつの内容ないようをもつものとされる。

  1. 専断せんだんてき権力けんりょく支配しはいはいした、基本きほんほう支配しはいひと支配しはい否定ひてい
  2. すべてのひと法律ほうりつ通常つうじょう裁判所さいばんしょふくすること(ほうまえ平等びょうどう特別とくべつ裁判所さいばんしょ禁止きんし
  3. 具体ぐたいてき紛争ふんそうについての裁判所さいばんしょ判決はんけつ結果けっか集積しゅうせき基本きほんほう一般いっぱん原則げんそくとなること。(具体ぐたいてき権利けんりせい)

ただし、ダイシーりゅうほう支配しはいたいしては、ダイシー自身じしん政治せいじ思想しそう当時とうじのイギリスの政治せいじ状況じょうきょうたとえば、コレクティビズムあつまりさん主義しゅぎ)という概念がいねんつく批判ひはんするのは、自身じしん政治せいじ信条しんじょうであるホイッグ擁護ようごするてんにあるのではないか、フランスでは行政ぎょうせい行為こうい司法しほう審査しんさおよばないと誤解ごかいしたことにはしはっする行政ぎょうせいほうたいする寛容かんようほう支配しはいだい3番目ばんめ内容ないよう国会こっかい主権しゅけん否定ひていするにひとしいなどジェニングズ英語えいごばんによる体系たいけいだった批判ひはんがなされているが、ダイシーりゅうほう支配しはい現在げんざいでもイギリスの公法こうほう学界がっかいにおいて多大ただい影響えいきょうりょくゆうしている[15]

また、国会こっかい主権しゅけんほう支配しはいとの関係かんけいについては、ハートVSロン・フラー論争ろんそう代表だいひょう議論ぎろんがなされているが[16]、ダイシーりゅうほう支配しはいは、国会こっかい上訴じょうそけんのない裁判所さいばんしょととらえることなどにより国会こっかい主権しゅけん多数たすうしゃ支配しはい是認ぜにんするものとはとらえず、コモン・ローの伝統でんとうてき理解りかいにむしろ忠実ちゅうじつなものであるとの理解りかいがイギリスの公法こうほう学界がっかいでは通説つうせつとされている[17]

ほう支配しはい法治ほうち主義しゅぎ

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大陸たいりくほうけいにおいては、ローマほう普及ふきゅうするにともない「ほう支配しはい(Rule of Law)」は衰退すいたいし、19世紀せいき後半こうはんにドイツのルドルフ・フォン・グナイスト理論りろんてき発展はってんさせた「法治ほうち主義しゅぎ」(rule by laws、どく:Rechtsstaat)が浸透しんとうしていった[18]

法治ほうち主義しゅぎは、法律ほうりつによって権力けんりょく制限せいげんしようとするてん一見いっけんほう支配しはい」とおなじにみえるが、法治ほうち主義しゅぎは、手続てつづきとして正当せいとう成立せいりつした法律ほうりつであれば、その内容ないよう適正てきせいわない。したがって、「ほう支配しはい」が民主みんしゅ主義しゅぎむすびついて発展はってんした原理げんりであるのとことなり、法治ほうち主義しゅぎはどのような政治せいじ体制たいせいともむすびつき原理げんりである。このような意味いみでの法治ほうち主義しゅぎのちべる実質じっしつてき法治ほうち主義しゅぎ対比たいひする意味いみで「形式けいしきてき法治ほうち主義しゅぎ」とぶこともある[3]

他方たほう、「ほう支配しはい」のしたにおいては、たとえ「法律ほうりつ立法りっぽう)」の手続てつづきてなされるとしても、法律ほうりつ内容ないよう適正てきせいでなければならず、権利けんり自由じゆう保障ほしょうこそ本質ほんしつてきであるとするてん法治ほうち主義しゅぎとのがある。このようなちがいが歴史れきしてきしょうじたのは、イギリスにおいては、ほうとは、「こくせい」に由来ゆらいするひと意思いしえたものであって、ひとによって創造そうぞうされるものでなく、発見はっけんするものであると伝統でんとうてきかんがえられてきたことが背景はいけいにあるとされている[19]

もっとも、現在げんざいでは、ドイツでは、法律ほうりつ内容ないよう適正てきせい要求ようきゅうされる「実質じっしつてき法治ほうち主義しゅぎ」のかんがかた主流しゅりゅうとなっているが、反対はんたいに、イギリスでは、アンドレ・マルモー代表だいひょうする「ふるほうほう支配しはいことなる」とする論調ろんちょうのように、多義たぎてき概念がいねんであるほう支配しはい政治せいじ哲学てつがくてき価値かちむこと自体じたい批判ひはんし、ほう支配しはいと(形式けいしきてき法治ほうち主義しゅぎ同視どうしする見解けんかいおおい。

日本にっぽんでの展開てんかい

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日本にっぽん法体ほうたいけいは、ながらく慣習かんしゅうほう基調きちょうとしてきたが、近代きんだい推進すいしんため明治めいじ憲法けんぽうは、プロイセンドイツほう準拠じゅんきょすることとなり[注釈ちゅうしゃく 8]以後いご法体ほうたいけい大陸たいりくほうけい基調きちょうとして、明治めいじ憲法けんぽうでも(形式けいしきてき法治ほうち主義しゅぎ法律ほうりつによる行政ぎょうせい原則げんそく)はみとめられてきた。

その、アメリカほう影響えいきょうけた日本国にっぽんこく憲法けんぽう制定せいていされると、日本国にっぽんこく憲法けんぽうほう支配しはい採用さいようしているものなのかが問題もんだいとなったが、制定せいていほう主義しゅぎをとり、判例はんれいほう主義しゅぎをとるものではないという前提ぜんていがある以上いじょう、ダイシーりゅうほう支配しはい採用さいようされていないというてんには異論いろんはなく、結局けっきょく多義たぎてきほう支配しはい内容ないようをどのようにするかによってその結論けつろんみちびかれるとほぐされるようになった。

現在げんざい日本にっぽん憲法けんぽうがくにおいては、「ほう支配しはい」の内容ないよう以下いかの4つとされている[3]

  1. 人権じんけん保障ほしょう憲法けんぽう人権じんけん保障ほしょう目的もくてきとする。
  2. 憲法けんぽう最高さいこう法規ほうきせい法律ほうりつ政令せいれい省令しょうれい条例じょうれい規則きそくなど各種かくしゅほう規範きはんなかで、憲法けんぽう最高さいこう位置いちめるものであり、それにはんするすべてのほう規範きはん効力こうりょくたない。
  3. 司法しほうけん重視じゅうしほう支配しはいにおいては、立法りっぽうけん行政ぎょうせいけんなどの国家こっか権力けんりょくたいする抑制よくせい手段しゅだんとして、裁判所さいばんしょきわめて重要じゅうよう役割やくわりたす。
  4. 適正てきせい手続てつづき保障ほしょうほう内容ないよう適正てきせいのみならず、手続てつづきの公正こうせいさもまた要求ようきゅうされる。このほう適正てきせい手続てつづきすなわデュー・プロセス・オブ・ロー(due process of law)の保障ほしょうえいべいほう基本きほん概念がいねんひとつでもある。

日本国にっぽんこく憲法けんぽうは、権利けんり保障ほしょうだい3しょうで、憲法けんぽう最高さいこう法規ほうきせいだい10しょうで、司法しほうけん重視じゅうし76じょう81じょうで、適正てきせい手続てつづき保障ほしょう31じょうで、それぞれさだめているので、「ほう支配しはい」を満足まんぞくしているとなされている[3]

これにたいしては、日本国にっぽんこく憲法けんぽう施行しこう当初とうしょから、GHQによる検閲けんえつ農地のうち改革かいかくひとしにより権利けんり保障ほしょうおおきくゆがめられ、また、最高裁さいこうさいくだ違憲いけん判決はんけつすくなさから、日本にっぽんにおいて「ほう支配しはい」は十分じゅうぶん機能きのうしていないとする見解けんかいもある[よう出典しゅってん]

このように、現在げんざい日本にっぽん公法こうほうがくにおいて、「ほう支配しはい」という概念がいねんひろ受容じゅようされるようになったが、そのため戦前せんぜんとられていた法治ほうち主義しゅぎとの関係かんけい問題もんだいとされるようになった。

現在げんざい日本にっぽん憲法けんぽうがくでは、ドイツと同様どうよう実質じっしつてき法治ほうち主義しゅぎほう支配しはい統一とういつてき理解りかいする見解けんかい多数たすうであるが[20]以下いかべるとおり両者りょうしゃ厳格げんかく区別くべつし、ほう支配しはい一定いってい積極せっきょくてき意義いぎ見出みいだ論者ろんしゃもいる。

佐藤さとう幸治こうじは、伝統でんとうてきな「ほう支配しはい」における「ほう」という観念かんねん自律じりつてき自然しぜん発生はっせいてきなルールという意味合いみあいをゆうしていることを指摘してきして、日本にっぽんの「法律ほうりつ」という観念かんねんとのちがいに言及げんきゅう[21]ほう支配しはい採用さいようして、行政ぎょうせい裁判所さいばんしょ廃止はいしした日本国にっぽんこく憲法けんぽうにおいても、公定こうていりょくといったきゅう憲法けんぽうでの行政ぎょうせい法理ほうりろんつづける日本にっぽん公法こうほう解釈かいしゃくのありかた疑問ぎもんていするだけでなく[22]、(実質じっしつてき法治ほうち主義しゅぎ行政ぎょうせいによる事前じぜん抑制よくせい親和しんわてきであるのにたいし、ほう支配しはい司法しほうによる事後じご抑制よくせい親和しんわてきで、国民こくみん司法しほうへの積極せっきょくてき参加さんかとこれをささえるおおくの法曹ほうそう存在そんざい必要ひつようであるという積極せっきょくてき意義いぎがあるてんちがいがあるとする[23]

これにたいして、阪本さかもとあきらなりは、ほう観念かんねんについては、佐藤さとうおなじく自生じせいてき秩序ちつじょであるとしてほう支配しはい法治ほうち主義しゅぎ厳格げんかく区別くべつしつつも、ほう支配しはい主権しゅけんしゃ法律ほうりつさえも拘束こうそくするメタ・ルールであるととらえ、佐藤さとうとはせい反対はんたいに、国民こくみん一定いってい行為こうい要求ようきゅうするものではありえず、むしろほう形式けいしき着目ちゃくもくし、それが一般いっぱんてき抽象ちゅうしょうてきでなければならず、その内容ないようぼつ価値かちてき中立ちゅうりつてきなものであることを要求ようきゅうするものであるとして、ほう支配しはい政治せいじ哲学てつがくてき価値かちむことに反対はんたいする。英国えいこく公法こうほう学界がっかい通説つうせつ結論けつろんおなじくするが、阪本さかもと学説がくせつは、スコットランド古典こてんてき自由じゆう主義しゅぎ渓流けいりゅうぐものなので、当然とうぜんのことといえる。

国連こくれん持続じぞく可能かのう開発かいはつ目標もくひょう2030アジェンダ

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国連こくれんの2030ねんまでに達成たっせいすべき目標もくひょうとしてかかげる持続じぞく可能かのう開発かいはつ目標もくひょう(SDGs)のターゲット16.3において、ほう支配しはい国家こっかおよ国際こくさいてきなレベルで促進そくしんし、すべての人々ひとびと司法しほうへの平等びょうどうなアクセスを提供ていきょうすることをうたっている。[24]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ lawは、ラテンけいフランス語ふらんすご起源きげん単語たんごおお英語えいごにはめずらしく、イングランド支配しはいしたヴァイキングデーンじんもちいたノルドの「かれたもの」という言葉ことば語源ごげん。それがおきて(オキテ)、ほうという意味いみとなった。イングランド東部とうぶにはデーン(北海ほっかい帝国ていこく支配しはい時代じだい慣習かんしゅうほうなどののこったデーンロー地方ちほうがある。
  2. ^ 政治せいじがくこう参照さんしょう
  3. ^ コークきょうの『英国えいこくほう提要ていよう』・『判例はんれいしゅう』は、現在げんざいでもほう支配しはいかんする不朽ふきゅうのテキストとされ、ウィリアム・ブラックストンの『イギリスほう釈義しゃくぎ』は、このコークのほう思想しそうを19世紀せいきぐべくかれた、英国えいこくほう体系たいけいてきなコメンタリーである。イギリスの植民しょくみんであったアメリカにおいては、不文法ふぶんほう成文法せいぶんほう)である英国えいこくほう手段しゅだん限定げんていされたものであったなかで、『英国えいこくほう提要ていよう』・『イギリスほう釈義しゃくぎ』はアメリカの法曹ほうそうひろまれるテキストとなり、アメリカほうつよ影響えいきょうあたえることになる。
  4. ^ こくせい」の思想しそうは、ふるくはジョン・フォーテスキューしゅたる論者ろんしゃであり、のちエドマンド・バークの「時効じこう憲法けんぽう」(prescriptive Constitution)の思想しそうがれていくが、バークの時代じだいほう支配しはい衰退すいたいとされている。
  5. ^ 庶民しょみんといっても、騎士きし(Knights)と一定いってい資産しさんゆうする「市民しみん」(Burgesses)のことをす。
  6. ^ 憲法けんぽうてんのないイギリスほう訳語やくごとしては、はしてきに「統治とうち構造こうぞう」とやくすべきとのものもいる。
  7. ^ 成文せいぶん憲法けんぽうてんくにでは、最高さいこう法規ほうきである憲法けんぽう違背いはいした制定せいていほう無効むこうとされ、裁判所さいばんしょ合憲ごうけんせい判断はんだんする違憲いけん審査しんさせいがとられているが、成文せいぶん憲法けんぽうてんのないイギリスでは当然とうぜんのことながら違憲いけん審査しんさせいはない。成文せいぶん憲法けんぽうてんのあるくにでの違憲いけん審査しんさせいしたでは、合憲ごうけんせい判定はんてい基準きじゅんとなる「憲法けんぽう」は憲法けんぽうてんかぎられ、基本きほんほうである実質じっしつてき意義いぎ憲法けんぽうすべてがふくまれるわけではないとするのが通説つうせつである。
  8. ^ 明治めいじじゅうよんねん政変せいへんこう参照さんしょう

出典しゅってん

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  1. ^ a b 宇野うのp58
  2. ^ a b c d 芦部あしべ信喜しき憲法けんぽう新版しんぱんていばん)』岩波書店いわなみしょてん、5ぺーじ
  3. ^ a b c d e f g h 芦部あしべ信喜しき憲法けんぽう新版しんぱんていばん)』岩波書店いわなみしょてん、14ぺーじ
  4. ^ プラトンちょもり進一しんいち池田いけだ美恵みえ加来かくあきらしゅんわけ法律ほうりつ(うえ)』(岩波いわなみ文庫ぶんこ)255ぺーじ
  5. ^ 佐藤さとう幸治こうじ憲法けんぽうだい3はん)』77ぺーじ阪本さかもとあきらなり憲法けんぽう理論りろんⅠ』59ぺーじ
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  7. ^ 佐藤さとう幸治こうじ憲法けんぽうだい3はん)』77ぺーじ
  8. ^ うえ掲『現代げんだいイギリスほう辞典じてん』54ぺーじ
  9. ^ うえ掲『現代げんだいイギリスほう辞典じてん』71ぺーじ
  10. ^ うえ掲『現代げんだいイギリスほう辞典じてん』142ぺーじ
  11. ^ 別冊べっさつジュリスト『えいべい判例はんれいひゃくせん(3はん)』(有斐閣ゆうひかく)90ぺーじ
  12. ^ うえ掲『現代げんだいイギリスほう辞典じてん』8ぺーじ
  13. ^ a b アメリカ大使館あめりかたいしかん資料しりょうしつ「アメリカはやわかり」『米国べいこく中央ちゅうおう政府せいふしゅう政府せいふ地方ちほう政府せいふ概要がいよう (PDF)
  14. ^ うえ掲『現代げんだいイギリスほう辞典じてん』51~65、127ぺーじ
  15. ^ うえ掲『現代げんだいイギリスほう辞典じてん』55ぺーじ
  16. ^ うえ掲「現代げんだいイギリスほう辞典じてん」75ぺーじ
  17. ^ うえ掲『現代げんだいイギリスほう辞典じてん』66ぺーじ
  18. ^ 阪本さかもとあきらなり憲法けんぽう理論りろんⅠ』59ぺーじ
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  20. ^ 芦部あしべ憲法けんぽうだい3はん)』岩波書店いわなみしょてん、15ぺーじなど
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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 伊藤いとうただしおのれえいべいほうにおけるほう支配しはい日本にっぽん評論ひょうろんしゃ、1950ねん
  • 伊藤いとうただしおのれ木下きのしたあつし『アメリカほう入門にゅうもんだい4はん)』日本にっぽん評論ひょうろんしゃ、2008ねん初版しょはんは1961ねん
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  • 佐藤さとう幸治こうじ憲法けんぽうだい3はん)』あおりん書院しょいん、1995ねん
  • 樋口ひぐち陽一よういち比較ひかく憲法けんぽうだい3はん)』あおりん書院しょいん、1992ねん
  • 阪本さかもとあきらなり憲法けんぽう理論りろんⅠ』(成文せいぶんどう)、1993ねん
  • 戒能どおりあつしへん現代げんだいイギリスほう辞典じてん』(しんしゃ)、2003ねん
  • 宇野うのしげるぶんまわし西洋せいよう政治せいじ思想しそう有斐閣ゆうひかく、2013ねんISBN 978-4-641-22001-0 

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