(Translated by https://www.hiragana.jp/)
海河 - Wikipedia

うみかわ(かいが、簡体字かんたいじ: うみかわ, 拼音: Hǎi Hé)は、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくながれるおおきな河川かせんのひとつ。華北かほくでも最大さいだいきゅうかわで、北京ぺきん天津てんしん全域ぜんいき河北かほくしょうだい部分ぶぶん河南かなんしょう山東さんとうしょう山西さんせいしょう内モンゴル自治うちもんごるじちのそれぞれ一部いちぶ流域りゅういきふくみ、渤海へと流入りゅうにゅうする。

うみかわ
海河
延長えんちょう 1,329 km
流域りゅういき面積めんせき 318,200 km²
水源すいげん にご漳河
河口かこう合流ごうりゅうさき 渤海
流域りゅういき 中国ちゅうごく
テンプレートを表示ひょうじ

流域りゅういき

編集へんしゅう

天津てんしん市域しいきで5つの河川かせん合流ごうりゅうしてうみかわとなる。すなわち、きた運河うんがみなみ運河うんがだい清河きよかわきばかわおよびえいじょうかわである。みなみ運河うんが杭州こうしゅうから北京ぺきんいただい運河うんが一部いちぶで、山西さんせいしょうたいゆき山脈さんみゃくからながれるまもるかわ下流かりゅう部分ぶぶん利用りようして建設けんせつされており、山東さんとうしょう聊城臨清まもるかわ合流ごうりゅうてんから天津てんしんまでの524kmをながれる。きた運河うんがだい運河うんが一部いちぶをなし、北京ぺきん北西ほくせい昌平しょうへいつばめさん山脈さんみゃくからながれるあつしにれかわ北京ぺきん東南とうなんとおりしゅうとおりけん)できた運河うんがえ、北京ぺきんから天津てんしんまでをむすだい運河うんが一部いちぶをなす。きた運河うんが北京ぺきんから渤海に水路すいろとして重要じゅうようであり、途中とちゅう北京ぺきん東部とうぶ重要じゅうよう水路すいろであるしお白河しらかわしおかわ白河しらかわ合流ごうりゅう形成けいせいされる)とも合流ごうりゅうしていたため、近代きんだい初期しょき西洋せいようじんにはうみかわ全体ぜんたい白河しらかわ(はくが、Bái Héふる資料しりょうでは Pei Ho)とばれていた。

 
うみ河水こうすいけい地図ちず
 
天津てんしん河北かほくきゅうオーストリア・ハンガリー帝国ていこく租界そかい)をながれるうみかわ

最長さいちょう支流しりゅうにご漳河源流げんりゅうから河口かこうまでの距離きょりは1,329kmにたっするが、天津てんしんきばかわきた運河うんが合流ごうりゅうてん天津てんしん市内しない金剛こんごうきょう三叉みつまた河口かこう)から河口かこうはまかいしんだい沽口)までのうみ河本かわもとりゅうながさはわずか73km、直線ちょくせん距離きょりでは50kmらずである。三叉みつまた河口かこう天津てんしんべにきょう河北かほく南開みなみびらきまじわる地点ちてんにあり、ここから下流かりゅうでは右岸うがん河東かとうあずまうらら左岸さがん和平わへい河西かさい津南つなんとなる。さい下流かりゅうはまかいしんきゅう塘沽)にぞくし、おおきな港湾こうわん化学かがく工場こうじょう造船ぞうせんしょなどが集中しゅうちゅうする。流域りゅういき面積めんせきは32まん平方へいほうkmちかくになり、1おく2400まんにん生活せいかつする。

うみかわは、天津てんしんくわわるみなみ運河うんがつうじてだい運河うんが連絡れんらくしており、黄河こうが水系すいけい長江ながえ水系すいけいにもつながっている。うみ河水こうすいけいまもるかわきばかわえいじょうかわうみかわはかつては合流ごうりゅうせずに別々べつべつ河口かこうで渤海にそそいでいたが、北京ぺきんかうだい運河うんが建設けんせつ同時どうじに、水運すいうんでよりおおくの河川かせんをつなぐために下流かりゅう部分ぶぶんえられ天津てんしん付近ふきんでひとつに合流ごうりゅうするようになった。

土砂どしゃ治水ちすい

編集へんしゅう

うみ河下かわしもりゅう低地ていちたいであり、満潮まんちょうにはかわみず下流かりゅうから上流じょうりゅう逆流ぎゃくりゅうし、干潮かんちょうには上流じょうりゅうから下流かりゅうながれる。うみ潮汐ちょうせきかわながれが一致いっちすることが「うみかわ」の由来ゆらいである。あきら末期まっき科学かがくしゃ農学のうがくしゃであるじょひかりけい華北かほく水稲すいとう導入どうにゅうしたさい、まずうみ河下かわしも流域りゅういき栽培さいばい成功せいこうし、生長せいちょうなが品質ひんしつい「しょう站稲」(現在げんざい天津てんしん津南つなんにあるしょう站鎮のにちなむ)は有名ゆうめいになりうみ河下かわしもりゅう水田すいでん地帯ちたいになった。しかし海水かいすい水田すいでん逆流ぎゃくりゅうしていねらすのをふせぐため、1959ねんには攔河だい壩という河口かこうせきつくられている。

黄河こうが同様どうよううみかわ粉末ふんまつじょう黄土おうどおお地域ちいきながれてくるため、流水りゅうすいなかには相当そうとうりょう土砂どしゃじっている。下流かりゅうでは自然しぜん堤防ていぼう川床かわどこ堆積たいせきした土砂どしゃのために天井川てんじょうがわになっており洪水こうずいきやすい。さらに5つのおおきな支流しりゅうたいして、水深すいしんあさ河口かこうがひとつしかないため洪水こうずいはよりこりやすく、よりおおきくなる。

うみかわ流域りゅういき地形ちけいは、たかたいゆき山脈さんみゃくから平坦へいたん華北かほく平原へいげん直接ちょくせつつながっており落差らくさはげしい。華北かほくではとし平均へいきん降水こうすいりょうすくない反面はんめん雨量うりょうなつ一時期いちじき集中しゅうちゅうする。7がつや8がつたいゆき山脈さんみゃく山麓さんろく豪雨ごううこると、平原へいげんはいったところで河川かせんながれがきゅうゆるやかになるため洪水こうずい発生はっせい土砂どしゃ堆積たいせきする。このため平原へいげんではかわどうひろあさく、りゅうなんわっている。

記録きろくによれば、明朝みょうちょう成立せいりつ北京ぺきん遷都せんとした1368ねんから中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく成立せいりつした1949ねんまでにうみかわ流域りゅういきでは387かいだい規模きぼ水害すいがいと407かいだい規模きぼ旱害かんがいきている。支流しりゅうのひとつえいじょうかわは、かわどうつねさだまらないことからもとは「ていかわ」とづけられていたが、皇帝こうていおおきな洪水こうずいこらないよう祈願きがんしてえいじょうかわ改名かいめいさせた。

1939ねんにはだい洪水こうずい津浦つのうら鉄道てつどう破壊はかいされ、天津てんしん市街しがいみずにつかり中心ちゅうしん和平わへい低地ていちたいでは水深すいしんが2mにたっし2ヶ月かげつちかみずかなかった。1963ねんにはたいゆき山脈さんみゃくで7にちわた豪雨ごううつづき、衡水付近ふきん洪水こうずいうみのようになった。天津てんしん工業こうぎょう地帯ちたいまもるため上流じょうりゅう堤防ていぼうこわされ、上海しゃんはい広州こうしゅう北京ぺきんとをむすきょうひろ鉄道てつどうきょう鉄道てつどう水没すいぼつした。こうした被害ひがい相次あいついだことから、毛沢東もうたくとう穀倉こくそう地帯ちたいである河北かほくしょう北京ぺきん天津てんしんなどの大都市だいとしまもるためにうみかわ治水ちすい指令しれいした。

これにより上流じょうりゅうにはおおくのダムが、下流かりゅうには増水ぞうすいみずうみ直接ちょくせつなが放水ほうすい建設けんせつされた。たとえば、しお白河しらかわにはしお白新はくしんかわという放水ほうすいつくられており、現在げんざいきた運河うんがには合流ごうりゅうしていない。うみかわ流域りゅういきでは1963ねん以後いごだい水害すいがいきていない。

水不足みずぶそく環境かんきょう

編集へんしゅう
 
えいじょうかわかる盧溝橋ろこうきょうはししたにはみずがまったくながれていない
 
ふゆ凍結とうけつしたうみかわこおりあなをあけてあなりをたのしむ人々ひとびと

うみかわ流域りゅういき面積めんせきは32まん平方へいほうkmちかくであるが水量すいりょうすくなく、年間ねんかん水量すいりょう黄河こうが半分はんぶん長江ちょうこうの30ぶんの1にぎず、年々ねんねん水不足みずぶそく深刻しんこくしている。

1970年代ねんだい以後いごうみかわ上流じょうりゅうにある都市としでは急速きゅうそく工業こうぎょう都市としにより取水しゅすいりょう増加ぞうかし、上水道じょうすいどう建設けんせつのため支流しりゅう多数たすう中小ちゅうしょうのダムが建設けんせつされた。また大型おおがたダムも次々つぎつぎ建設けんせつされている。たとえば北京ぺきんみず供給きょうきゅうする密雲みつうんダム・官庁かんちょうダム・じゅうさんりょうダムていみず供給きょうきゅうする西にし大洋たいようダム・おうかいダム、いししょう水源すいげんとなるかべそうダム・崗南ダム、邢台水源すいげんとなるしゅそうダム、邯鄲かんたん水源すいげんとなるたけじょうダム、安陽あんようはやしけんみず供給きょうきゅうするべにはたみぞなどがあげられる。

こうした取水しゅすいりょう増加ぞうかや、上流じょうりゅうでの砂漠さばく雨量うりょう減少げんしょうにより、うみかわ流量りゅうりょう急速きゅうそく減少げんしょうしている。ちいさな支流しりゅうおおくや一部いちぶおおきな支流しりゅうでは年間ねんかんのほとんどの期間きかんみずながれていない。流量りゅうりょう減少げんしょうにより河川かせん汚染おせん深刻しんこくになっている。華北かほく平原へいげんでは地下水ちかすいんで農業のうぎょう用水ようすい確保かくほしているが、ぎて地下水ちかすいがっている。

水不足みずぶそく解決かいけつのため、1982ねんには華北かほく平原へいげんだい大河たいがである灤河みず天津てんしん引水ひきのみずする計画けいかく「引灤いれ工程こうてい」が開始かいしされた。1983ねん竣工しゅんこうしたこの用水路ようすいろにより天津てんしんには毎年まいとし10おく立方りっぽうmのみず供給きょうきゅうされ水不足みずぶそく部分ぶぶんてき解消かいしょうした。また河口かこうの閘門をじることにより、引水ひきのみずした地点ちてんから河口かこうまでのあいだおおきなダムのような状態じょうたいになった。しかし、うみかわと灤河の河口かこうでは渤海へかわみず放流ほうりゅうするだけで海水かいすい遡上そじょうしなくなったため、水域すいいき生態せいたいけい漁業ぎょぎょうおおきな打撃だげきとなった。かつて天津てんしん三叉みつまた河口かこうあたりでは「きむぎんぎょ」とばれるぎんぎょれ、また天津てんしん郊外こうがい勝芳かつよしではカニ(螃蟹)がおおく、たいきよしなど長江ちょうこうデルタのゆたかな水域すいいきにも匹敵ひってきする品質ひんしつたか水産物すいさんぶつ有名ゆうめいであったが、どれも現在げんざいでは姿すがたなくなってしまった。

うみかわ支流しりゅうでは干上ひあがったかわおおく、猛烈もうれつ都市としすすむなかで水不足みずぶそく華北かほく発展はってんあし問題もんだいになっている。みなみ水北すいほく調ちょうプロジェクトでは、長江ちょうこう水系すいけいみずうみかわ流域りゅういきへもまわすことで問題もんだい緩和かんわ目指めざしている。

支流しりゅう

編集へんしゅう

うみ河水こうすいけいは5方面ほうめん支流しりゅうかれる。おも支流しりゅう下記かきとお[1]

北方ほっぽうめん
北西ほくせい方面ほうめん
西方せいほうめん
南西なんせい方面ほうめん
みなみ方面ほうめん

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

外部がいぶリンク

編集へんしゅう

座標ざひょう: 北緯ほくい3857ふん 東経とうけい11743ふん / 北緯ほくい38.950 東経とうけい117.717 / 38.950; 117.717