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漢詩 - Wikipedia

漢詩かんし(かんし)とは、中国ちゅうごく伝統でんとうてき韻文いんぶんにおける文体ぶんたいひとつ。狭義きょうぎにはこうかん時代じだい確立かくりつした体系たいけいてきのこと。中国ちゅうごく文化ぶんか伝来でんらいともない、奈良なら時代じだいから日本にっぽんでもまれるようになった。

漢詩かんし原型げんけいしゅう時代じだい出来できた。五経ごきょうの1つである中国ちゅうごく最古さいこ詩編しへん詩経しきょう』300へん作品さくひんもっとふるかたち漢詩かんしである[1]。『詩経しきょう』にはまい3から9多様たよう形式けいしきおさめられ、この形式けいしき発展はってんさせたのがすわえ時代じだいの『すわえ』である[1]。『すわえ』の形式けいしき内容ないようかんだいらく発生はっせいうながした[1]かんだいらくには、民間みんかん流行りゅうこうした歌謡かよう文人ぶんじん創作そうさくに 歌謡かよう系統けいとうがあり、郊廟すいあい和歌わか分類ぶんるいされる[1]長短ちょうたん不揃ふぞろいのものは雑言ぞうごんばれる。また、以前いぜん散逸さんいつしたふるらく表題ひょうだいあらたな音節おんせつくわえた擬古ぎこらくまれた[1]のちに、らくこえりつていかくし、およびなな一句いっくとするまれた[1]高祖こうそ大風おおかぜ七言しちごん先鞭せんべんとされる[1]

五言ごごん七言しちごんさんこく時代じだいたかしたけみかど曹操そうそうぶんみかど曹丕たてやすし曹植阮籍さんちょうちょうちょうきょうちょう)、りくりくりくくも)、りょうはんはんたけしはん)をて、ろうそうてき自然しぜん主義しゅぎしゃれいくも山水さんすいとうふかしあきら継承けいしょうされた[1]。このころ沈約や竟陵おうとおるによるこえりつ研究けんきゅうおこなわれ、上宮かみみやたいよんすぐるからだしょうする駢麗たいふうまれた[1]。こういったは沈佺そうといといった近体きんたいこえりつ基礎きそとなり、近体きんたい律詩りっし絶句ぜっく)はもりとう李白りはくもりはじめによって完成かんせいされた[1]一方いっぽう散文さんぶんてき手法しゅほうもとめたけんかいかんいよいよなどは通俗つうぞくせい写実しゃじつせいもとめ、ばんとうしろきょえきのような功利こうりした[1]しろきょえき楽天らくてん)のしんらくは、などの唯美ゆいび作風さくふう影響えいきょうおよぼした[1]

とうだいのことを唐詩とうしび、唐詩とうしさらはつとうもりとうちゅうとうばんとう区分くわけされるようになった[2]とくもりとう李白りはくもりはじめ後世こうせいかならもりとう」とばれるように、模範もはんとされた[よう出典しゅってん]日本にっぽん江戸えど時代じだい流行りゅうこうした唐詩とうしせんや、中国ちゅうごくしんだい流行りゅうこうした唐詩とうしさんひゃくしゅひとし唐詩とうし傑作けっさくせんひろひがしアジアでまれている[よう出典しゅってん]

そうかみはじめもとゆう年間ねんかんになると漢詩かんし流行りゅうこうし、江西えにしみなみわたり出現しゅつげんしたが、よりも流行りゅうこうした[1]中主ちゅうずぬしによってひらかれた文運ぶんうんけて、きたそうでは晏殊おうおさむ黄庭堅おうていけんひがしなどが出現しゅつげんし、みなみそうでは散文さんぶんてき要素ようそくわわり、からし稼軒などの通俗つうぞくしょうじた[1]

あきら時代じだいはいると、こうあきらなどのきたかくじゅうかららのかい稽の粛、ちょうかいなどみなみえんはやしひろしらのじゅうぜんななこうなななどがて、復古ふっこ主義しゅぎ主張しゅちょうした[1]とくに、おうさだ復古ふっこてき作風さくふう文壇ぶんだん主流しゅりゅうとなった[1]

きよし時代じだいはいると、こうひだりさんいえせんけんえき偉業いぎょうかさねかなえ)につづいて、神韻しんいんおうりょうよう)、浙西格調かくちょう沈徳せん)、せいれい袁随えん)の詩人しじん登場とうじょうした[1]

現代げんだい中国ちゅうごくでも漢詩かんしじんすくなからずおり、魯迅ろじん毛沢東もうたくとうひとし日本にっぽん市販しはん漢詩かんししゅうにもられている詩人しじんおお[よう出典しゅってん]

形式けいしき

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古体こたい から以前いぜんつくられた漢詩かんしすべてととう以後いごつくられたふる形式けいしき漢詩かんしで、明確めいかく定型ていけいがなく句法くほう平仄ひょうそく韻律いんりつ自由じゆうである。
近体きんたい から以後いごさだめられたあたらしいスタイルにのっとってまれた漢詩かんしで、句法くほう平仄ひょうそく韻律いんりつ平水へいすいいん)に厳格げんかくなルールが存在そんざいする。
すう・1字数じすうから五言ごごん絶句ぜっく七言しちごん絶句ぜっく五言ごごん律詩りっし七言しちごん律詩りっし五言ごごんはいりつ七言しちごんはいりつ分類ぶんるいされる。

各国かっこく漢詩かんし

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日本にっぽん

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漢詩かんし中国ちゅうごく文学ぶんがくなかまれたが、中華ちゅうか文明ぶんめい伝来でんらいともな日本にっぽんでもつくられるようになった。

751ねんには日本にっぽんにおけるごく初期しょき漢詩かんししゅうとして『ふところふう』が編纂へんさんされた。9世紀せいきには、814ねんしのげ雲集うんしゅう818ねんぶんはな秀麗しゅうれいしゅう827ねん経国けいこくしゅう』とみっつの勅撰ちょくせんしゅうまれた。その905ねんに『古今ここん和歌集わかしゅう』が編纂へんさんされるまで、和歌わか日本にっぽん文学ぶんがくなか漢詩かんし対等たいとう位置いちられなかった。平安へいあん時代じだい物語ものがたりなどでは、「」とたんけば漢詩かんし意味いみし「からうた」とくんまれた。そのかん詩文しぶん影響えいきょうつよく『和漢わかん朗詠ろうえいしゅう』にも数多かずおお作品さくひんおさめられており、しろきょえきとくこのまれた。平安へいあん代表だいひょう詩人しじんには、空海くうかい島田しまだ忠臣ただおみ菅原すがわら道真みちざねらがいる。

その鎌倉かまくら室町むろまちには、禅林ぜんりんに「五山ごさん文学ぶんがく」が花開はなひらいた。代表だいひょう詩人しじんにはどうしゅうしん絶海ぜっかい中津なかつがあり、一休宗純いっきゅうそうじゅんには『きょう雲集うんしゅう』がある。

日本にっぽん漢詩かんし頂点ちょうてんは、江戸えどから明治めいじ初期しょきにかけての時期じきであり、朱子学しゅしがく背景はいけいに「文人ぶんじん」とばれる詩人しじんたちをおお輩出はいしゅつした。江戸前えどまえ石川いしかわ丈山じょうざんもとせいにちせいらののち江戸えど中期ちゅうきには荻生おぎゅう徂徠そらい門人もんじんたちが派手はで唐詩とうしふう活躍かつやくし、江戸えど後期こうきにはかん茶山ちゃやまらのいたそうふうあいされた。また、よりゆき山陽さんよう今日きょうひろ詩吟しぎんとして愛吟あいぎんされている。幕末ばくまつには島津しまつ久光ひさみつ伊達だてそうけんなどが名人めいじんとしてられている。20世紀せいき以降いこう急速きゅうそく衰退すいたいしたが、大正天皇たいしょうてんのう夏目なつめ漱石そうせきもり鷗外中島なかじまあつし漢学かんがく教育きょういくけた文化ぶんかじん漢詩かんしをたしなんだ。

現在げんざいでも自作じさく漢詩かんししゅうあらわしているちん舜臣しゅんしんひとし漢詩かんし創作そうさく愛好あいこう存在そんざいしており、月刊げっかんだい法輪ほうりんでは読者どくしゃ投稿とうこうした漢詩かんし毎号まいごう掲載けいさいされている。また、みずからはつくらないのものの、書道しょどう世界せかいにおいて漢詩かんしは、「むもの」または「るもの」として、基礎きそてき教養きょうよう一部いちぶとなっている。また、学校がっこう教育きょういくでも、漢詩かんしにふれることがおおい。

ただし、明治めいじ以降いこう日本にっぽん創作そうさくされた漢詩かんしは、中国ちゅうごくでの発音はつおん考慮こうりょしていないため、韻律いんりつ本場ほんば中国ちゅうごく基準きじゅんからすると破格はかくであり[ちゅう 1]漢詩かんしとして評価ひょうかされないものがおおいとわれる。これは、江戸えど以前いぜん漢詩かんしまなぶということは、当然とうぜん漢字かんじごと音韻おんいんまなび、漢詩かんし平仄ひょうそくにあった作詩さくしをすることであったのにたいして[ちゅう 2]明治めいじ以降いこう日本にっぽん漢文かんぶん学習がくしゅうでは、日常にちじょう使用しよう無関係むかんけいになった音韻おんいん学習がくしゅう軽視けいしされ、訓読くんどく重視じゅうしされたことが原因げんいんである。しかしながら夏目なつめ漱石そうせき漢文かんぶん中国ちゅうごくぎんじられてもうつくしいとされ、それを録音ろくおんしたCDが販売はんばいされたこともある。

韓国かんこくこしみなみ(ベトナム)

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朝鮮ちょうせんベトナムこしみなみ)でも、日本にっぽん同様どうよう中華ちゅうか文明ぶんめい伝来でんらいとも漢詩かんしつくられた。しかし近代きんだいいたり、朝鮮ちょうせん、ベトナムで漢字かんじ廃止はいしされたため、一般いっぱん民衆みんしゅうへの漢字かんじ浸透しんとうよわまり、漢詩かんし文学ぶんがく伝統でんとうおおきな危機ききにさらされている。

えつみなみは、声調せいちょうしたおんゆうしているため、中古ちゅうこおん音韻おんいん体系たいけい朝鮮ちょうせん日本語にほんごよりも正確せいかく移入いにゅうできためんがある。古典こてん中国語ちゅうごくごえつみなみ漢字かんじおん直読ちょくどくしても意味いみとおるのは、南方みなかた漢語かんご共通きょうつうする。これは声調せいちょうしたおんもない日本にっぽん朝鮮ちょうせん漢字かんじおんでは不可能ふかのうなことであった。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 理由りゆうとして、日本語にほんごぎんじるとひびきがいい漢詩かんしは、中国ちゅうごくでのひびきがよくないこと多発たはつしたとげられる。それは明治めいじ時代じだい国粋こくすい主義しゅぎ影響えいきょうかんがえられている。
  2. ^ 中国語ちゅうごくごおんではなくとも、日本語にほんごおんでも、本来ほんらい漢詩かんしのリズムをあじわうことができるよう、工夫くふうされたものが字音仮名遣じおんかなづかである。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 日本にっぽん古典こてん文学ぶんがくだい辞典じてん編集へんしゅういんかい日本にっぽん古典こてん文学ぶんがくだい辞典じてんだい2かん岩波書店いわなみしょてん、1984ねん1がつ、63-64ぺーじ 
  2. ^ きょうぜんひろしへん中国ちゅうごく文学ぶんがくまなひとのために』世界せかい思想しそうしゃ、1991ねん3がつ、78ぺーじ 

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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