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灯台船 - Wikipedia

灯台とうだいせん(とうだいせん、えいlightvessel または lightship)あるいは灯船とうせん(とうせん)[1][2]は、灯台とうだい役割やくわりをするふねである。

灯台とうだいせんFinngrundet(ストックホルムの展示てんじせん
ハンブルクでレストラン・ホテルとして使つかわれている灯台とうだいせん

灯台とうだいせんは、灯台とうだい建設けんせつするには水深すいしんふかすぎる場所ばしょ使用しようされ、海岸かいがんせんしめわりに、海上かいじょう交通こうつうしめす。浮標ふひょう(ブイ)よりも視認しにんせいたかいので、海上かいじょう交通こうつう支援しえん手段しゅだんとしてはすぐれている。また、海洋かいようがく研究けんきゅうのための記録きろく機器きき装備そうびした海洋かいよう観測かんそくや、気象きしょう観測かんそくしょ航行こうこうする船舶せんぱく監視かんしといった機能きのうゆうする。

通常つうじょう灯台とうだいせんいかり固定こていされ、こうポンツーン(浮船)であることがおおい。しかし推進すいしんゆうこう可能かのう灯台とうだいせんもあり、本来ほんらい灯台とうだい灯台とうだいせん故障こしょう修理しゅうり点検てんけん代行だいこう、「Finngrundet」のように北極ほっきょくかいこおりなつだけ任務にんむくことがあった。

設計せっけい

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外観がいかん

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灯台とうだいせん通常つうじょう目立めだたせるために暖色だんしょくけい塗装とそうほどこされた。アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでは、あかるいあか船体せんたいしろ大文字おおもじでその場所ばしょ名前なまえき、臨時りんじ代替だいたい灯台とうだいせん場合ばあいは「RELIEF」とかれていた。また1854ねんから1860ねんまでミノッツ・レッジ (Minot's Ledge) (マサチューセッツしゅうコハセット (Cohasset) )で使つかわれた灯台とうだいせんは、背景はいけいとなるあおみどりうみみどりおかたいして目立めだつように、あかるい黄色おうしょく船体せんたいっていた。東京とうきょうわんくち設置せっちされていた東京とうきょう燈船とうせんも、あか船体せんたいうえ構はしろ塗装とそうされていた[3]

例外れいがいとして、ヒューロンにあったヒューロン灯台とうだいせんは、ヒューロン・カットの入口いりくちくろ浮標ふひょうのそばにかれたため、おなくろられていた。

標識ひょうしき

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灯台とうだいせんきりなか、および日没にちぼつ1あいだまえからの1あいだまでその灯火ともしびともした。初期しょき灯台とうだいせんでは、マスト先端せんたんあかまたはまれにしろのデイ・マーカー(昼間ひるま目印めじるし)をそなえていた。それは接近せっきんしてくるふねから最初さいしょ視認しにんされることを目的もくてきとしたもので、いろいろなデザインがあったが、もっと一般いっぱんてきなものは2つのぎゃく円錐えんすいあいだたまきまたは球体きゅうたいでつないだものだった。東京とうきょう燈船とうせんは、マストいただきいかりはくしめくろだまかかげていた[3]

係留けいりゅう

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灯台とうだいせんのマッシュルームアンカー

初期しょき灯台とうだいせんは、今日きょうでもひろ使つかわれているつめがたいかり(フルークアンカー)を使用しようした。この形式けいしきいかりきずられやすい傾向けいこうがあり、一般いっぱんふねけなければならない位置いちしめすという任務にんむじょう荒天こうてんでもうごかないことがもとめられる灯台とうだいせんにはあまり適切てきせつなものではなかった。

19世紀せいき前半ぜんはん灯台とうだいせんは 3 - 4 tおもさをたけがたいかり(マッシュルームアンカー)を使つかうようになった。これはロバート・スティーブンスンによって発明はつめいされたものであり、名前なまえはそのかたち由来ゆらいしている。これを装備そうびした最初さいしょ灯台とうだいせんは82tのつりぶね改装かいそうしたもので、「ファロス」とづけられ、1807ねん9がつ15にちからベル・ロックのちかくで使つかわれはじめた。いかりは1.5トンのおもさがあった。このタイプのいかり効果こうかは、1820年代ねんだい鋳鉄ちゅうてつ錨鎖びょうさ導入どうにゅうされたことで劇的げきてき向上こうじょうした(経験けいけんそく水深すいしん 1 ft ごとにくさり 6 ft とされた[注釈ちゅうしゃく 1])。

各国かっこく灯台とうだいせん

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世界せかい最初さいしょ灯台とうだいせんは、イギリステムズがわ河口かこうノア砂州さすに、発明はつめいしゃロバート・ハンプリンによって1732ねん設置せっちされたものである。イングランドウェールズ灯台とうだいせんは、すべてトリニティ・ハウス英国えいこく水先案内みずさきあんない協会きょうかい)が運営うんえいしている。ほとんどは無人むじんだが、なかには最高さいこう9にん乗組のりくみいんがいる場合ばあいもある。11せき灯台とうだいせんと、2せきのよりちいさな灯台とうだいいかだがある。

大型おおがたの20きゅう灯台とうだいせん以外いがいは、1995ねんから順次じゅんじソーラーパワー方式ほうしき無人むじんされ、ひかり到達とうたつ距離きょりは19うみさと (35 km) である。20きゅう灯台とうだいせんディーゼル発電はつでんそなえ、20海里かいり (37 km) 以上いじょう到達とうたつ距離きょりもとめられる海域かいいき使用しようされる。

灯台とうだいせんにはみな船体せんたい番号ばんごうられている。20きゅう灯台とうだいせんが19、22、23、25の4せき、ソーラーしき灯台とうだいせんが2、5、6、7、9、10、17の7せき、ソーラーしき灯台とうだいいかだが LF2 と LF3 の2せきである。ソーラーしき灯台とうだいせん 93 と 95 は廃棄はいきされた。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく

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アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく最初さいしょ灯台とうだいせんは、1820ねんチェサピークわん設置せっちされたものである。そのかず1909ねんにピークにたっし、沿岸えんがんに56箇所かしょかぞえた。それらのうち、168せき合衆国がっしゅうこく灯台とうだいサービス (United States Lighthouse Service) 、6せきアメリカ沿岸えんがん警備けいびたいによって設置せっちされた。それらは1939ねん吸収きゅうしゅうされた。1820ねんから1983ねんまでに179せき灯台とうだいせんつくられて政府せいふおさめられ、五大ごだいみずうみふくむ4つの沿岸えんがんの116箇所かしょ配置はいちされた。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでの灯台とうだいせん公式こうしき使用しようは、1985ねん3がつ29にち沿岸えんがん警備けいびたい最後さいごの1せきとなる「ナンタケット I」を退役たいえきさせることで終了しゅうりょうした。ほとんどの灯台とうだいせんは、「テキサス・タワーズ」[注釈ちゅうしゃく 2]ばれる沖合おきあい照明しょうめいプラットフォームまたは大型おおがた航法こうほうブイと交替こうたいした。いずれも、灯台とうだいせんより建造けんぞう維持いじともに安価あんかであるというのがその理由りゆうであった。

灯台とうだいせん現在げんざい15せき残存ざんそんしているとかんがえられる。そのうち2せきニューヨークこうにあり、「アンブローズ」ごう (No.87) がサウス・ストリート・シーポートに、「フライパン」ごう (No.115) がチェルシーの63ばん埠頭ふとうのドックにある。ニューヨークこうにはもう1せき灯台とうだいせん No.84 (683 t、ながさ 135 ft)が浅瀬あさせしずんでおり、その2ほんのマストはいまでも水面すいめんじょうえている[4]

灯台とうだいせん LV82「バッファロー」ごうは、1913ねん五大ごだいみずうみおそったあらしによって6めい犠牲ぎせいしゃとともにバッファロー付近ふきんのエリー浸水しんすい沈没ちんぼつした[5]灯台とうだいせん No.61「コルシカ・ソウルズ」ごうおなあらしでヒューロン破壊はかいされた[6]

灯台とうだいせん No.112「ナンタケット」ごうニューヨークしゅうオイスターわんのウォーターフロントセンターに係留けいりゅうされている。

太平洋たいへいようがん最初さいしょ灯台とうだいせんは「コロンビア」ごうで、オレゴンしゅうアストリアにちかいコロンビアがわ入口いりくちしめしていた。太平洋たいへいようがんのもういちせき灯台とうだいせん「スウィフトシュア」ごうシアトルのサウスレイク・ユニオン・パークで展示てんじされている。

バージニアしゅうポーツマスは、海軍かいぐん工廠こうしょう博物館はくぶつかんに LV-101 を展示てんじしている。LV-101 は、ピューシー&ジョーンズによって1915ねん建造けんぞうされ、まずリリーフとしてケープ・チャールズ(バージニアしゅう)で任務にんむき、そのデラウェアしゅうオーバーフォールズとマサチューセッツしゅうストンホース浅瀬あさせ就役しゅうえきした。退役たいえきは、ポートランド(メインしゅう)で保管ほかんされ、その博物館はくぶつかん売却ばいきゃくされた。今日きょう、LV-101 は「ポーツマス」という文字もじかれていぬいドックにかれているが、実際じっさいにはポーツマスで就役しゅうえきした事実じじつい。

灯台とうだいせん「ヒューロン」LV-103 は、五大ごだいみずうみ使用しようされたおおくの灯台とうだいせんの1つ(五大ごだいみずうみはつ灯台とうだいせんは1832ねんに Waugoshance 浅瀬あさせかれた「ロイス・マクレーン」)である。灯台とうだいせんはしばしば灯台とうだいってわられた。

1940ねん以後いごは「ヒューロン」は五大ごだいみずうみ最後さいご灯台とうだいせんとなり、1970ねん退役たいえきするとミシガンしゅうポートヒューロン博物館はくぶつかんとして陸揚りくあげされた。これは現存げんそんするもっと小型こがた灯台とうだいせんで、96フィートきゅう典型てんけいしめしている。

LV-6 と LV-73 は両方りょうほうとも完全かんぜんうしなわれた。

日本にっぽん

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日本にっぽん灯台とうだいせんもちいられはじめたのは明治めいじ時代じだいはいってからのことである。横浜よこはまこう入口いりくち航路こうろ標識ひょうしき整備せいびのため幕末ばくまつ江戸えど幕府ばくふ建造けんぞう着手ちゃくしゅした本牧ほんもく灯船とうせんが、明治めいじ政府せいふがれ、1869ねん明治めいじ2ねん)11月19にちから稼働かどうした[2]1883ねん明治めいじ16ねん)5がつ19にちづけ自由じゆう新聞しんぶん』には、「前号ぜんごうにもかかげしごと横浜よこはま港口こうこう燈台とうだいせん沈没ちんぼつせしにつき」という記事きじがある[7]明治めいじには同様どうよう灯船とうせん函館はこだてこうにも整備せいびされた[2]

1947ねん昭和しょうわ22ねん)には、東京とうきょう港湾こうわんきょくによって東京とうきょうこうくち東京とうきょう燈船とうせん設置せっちされた[1][2][3]きゅう陸軍りくぐん動力どうりょくせん改装かいそうした125そうトンながさ32mのこうせんで、北緯ほくい3534ふん42びょう 東経とうけい13948ふん43びょう / 北緯ほくい35.57833 東経とうけい139.81194 / 35.57833; 139.81194係留けいりゅうされた[3]灯標とうひょう水面すいめんじょう6mにあり、アセトンガスを燃料ねんりょうとする160燭光しょっこうまたは220燭光しょっこう灯台とうだいゆうし、3昼夜ちゅうや交代こうたいせいで2めい職員しょくいん常駐じょうちゅうして燈船とうせん維持いじ船舶せんぱく監視かんしおこなっていた[3]初代しょだい燈船とうせんは、1950ねん8がつ海上保安庁かいじょうほあんちょう移管いかんされたが、1952ねん昭和しょうわ27ねん)3がつ22にち荒天こうてん沈没ちんぼつした[3]直径ちょっけい300mmのフレネルレンズは「近代きんだい航路こうろ標識ひょうしき資料しりょう」に認定にんていされ、ふね科学かがくかん屋外おくがい展示てんじされている[3]

初代しょだい東京とうきょう燈船とうせん沈没ちんぼつ、2代目だいめ灯船とうせん配備はいびされたが、船舶せんぱく大型おおがたにより目視もくし困難こんなんになった。そのため、1968ねん昭和しょうわ43ねん)に水面すいめんじょう29mに120まんカンデラ灯標とうひょうゆうする東京とうきょう灯標とうひょう代替だいたいされ[1][2][8]日本にっぽんから灯台とうだいせん姿すがたした[2][7]。2代目だいめ灯船とうせんとうばしらも、ふね科学かがくかん屋外おくがい展示てんじされている[1]

文学ぶんがくとう登場とうじょうする灯台とうだいせん

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  • Lightship - アーチー・ビンズ (Archie Binns) の小説しょうせつ(1934ねん
  • Das Feuerschiff - ジークフリート・レンツ (Siegfried Lenz) の小説しょうせつ(1960ねん
  • The Lightship - レンツの小説しょうせつもとづく映画えいが(1986ねん)。ロバート・デュバル (Robert Duvall)、クラウス・マリア・ブランダウアー (Klaus Maria Brandauer)
  • Lightship - ブライアン・フロッカの児童じどう絵本えほん(2007ねんISBN 1416924361
  • 灯台とうだいせんリリー (リリー・ライトシップ/Lillie Lightship) - 児童じどうけテレビシリーズ「がんばれタッグス」に登場とうじょうした擬人ぎじんされた灯台とうだいせん

参考さんこう資料しりょう

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参照さんしょう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 通常つうじょう錨鎖びょうさながさは水深すいしんの10ばいから20ばいとされる(いかり#錨鎖びょうさ参照さんしょう)。
  2. ^ テキサス沿岸えんがん最初さいしょ使用しようされた小型こがた石油せきゆ掘削くっさくプラットフォームをモデルにしたことに由来ゆらいする[1]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d 日本にっぽん財団ざいだん図書館としょかん電子でんし図書館としょかん) 『平成へいせい16年度ねんどせん科学かがくかん事業じぎょう年報ねんぽう』(2022ねん8がつ17にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f 日本にっぽん財団ざいだん うみ灯台とうだいプロジェクト『うみうえかぶ灯台とうだい』(2022ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f g 写真しゃしん提供ていきょう小高おだかただしみのり「《発掘はっくつ写真しゃしん初代しょだい東京とうきょう燈船とうせん」はこんなフネだった」 『世界せかい艦船かんせんだい808しゅう(2014ねん12がつごう海人あましゃ P.50-51
  4. ^ [2]
  5. ^ Vogel, Michael N. and Paul F. Redding Maritime Buffalo, Buffalo History, Lightship LV 82.
  6. ^ U.S. Coast Guard on lighthouses and lightships in Michigan.
  7. ^ a b ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん灯台とうだいせん』 - コトバンク
  8. ^ ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん東京とうきょう灯標とうひょう』 - コトバンク

外部がいぶリンク

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