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画家・彫刻家・建築家列伝 - Wikipedia

画家がか彫刻ちょうこく建築けんちく列伝れつでん

画家がか彫刻ちょうこく建築けんちく列伝れつでん』(がか・ちょうこくか・けんちくかれつでん、: Le Vite delle più eccellenti pittori, scultori, e architettori )は、16世紀せいきイタリアひと画家がか建築けんちくジョルジョ・ヴァザーリいた芸術げいじゅつ伝記でんき。タイトルはりゃくされて「Vite」とばれることもある。日本にっぽんでは『美術家びじゅつか列伝れつでん』、あるいは『芸術げいじゅつ列伝れつでん』とばれることがおおい。

画家がか彫刻ちょうこく建築けんちく列伝れつでんだい2はん表紙ひょうし 1568ねん

芸術げいじゅつ文学ぶんがく古典こてんとしてもっとも有名ゆうめいで、もっとも研究けんきゅうされたほん[1]」、「イタリアルネサンスかたじょうでもっとも影響えいきょうりょくのある書物しょもつひと[2]」、「芸術げいじゅつ最初さいしょ構築こうちくした文書ぶんしょひと[3]」とわれ、英語えいご、オランダ、ドイツフランス語ふらんすご日本語にほんごなど各国かっこく全訳ぜんやく部分ぶぶんやくされている。

概要がいよう

編集へんしゅう
 
ヴァザーリ 自画像じがぞう

ヴァザーリは最初さいしょのイタリアじん美術びじゅつとして、現在げんざいまで研究けんきゅう修正しゅうせいつづけられることになる芸術げいじゅつ伝記でんき執筆しっぴつはじめた。初版しょはんは1550ねんフィレンツェのロレンツォ・トレンティーノによって出版しゅっぱんされ[4]メディチのトスカーナ大公たいこうコジモ1せい献呈けんていされている。この書物しょもつ芸術げいじゅつたちの列伝れつでんであるだけでなく、芸術げいじゅつ創作そうさくじょう技術ぎじゅつ手法しゅほう価値かちある論文ろんぶんでもあった。1568ねんにはさらに30にんしただい2はん出版しゅっぱんされ、このはんでは収載しゅうさいされた芸術げいじゅつたちの木版もくはん肖像しょうぞう追加ついかされた(想像そうぞう作成さくせいされた肖像しょうぞうもある)。

 
ティツィアーノ 自画じがぞう (プラド美術館びじゅつかん)

画家がか彫刻ちょうこく建築けんちく列伝れつでん』は全編ぜんぺんフィレンツェ出身しゅっしん芸術げいじゅつ賛美さんびする文章ぶんしょうかれており、彫刻ちょうこくにおける革新かくしんなど、ルネサンス芸術げいじゅつあらたな発展はってんはすべてかれらの功績こうせきによるものだとしている。その一方いっぽうでいくつかのヨーロッパ各地かくちとくヴェネツィア出身しゅっしん芸術げいじゅつについてはほとんど無視むしされていた[3][5]。そのヴァザーリはだい2はん出版しゅっぱんまえにヴェネツィアをおとずれ、だい2はんにはティツィアーノら、ヴェネツィア出身しゅっしん芸術げいじゅつへの記述きじゅつやしている。1899ねんにジョン・シモンズは「不注意ふちゅういにもヴァザーリはあやまった日時にちじ場所ばしょき、さらには自分じぶん記述きじゅつただしいかどうかを検証けんしょうすることをおこたっている箇所かしょがあることはあきらかだ」と非難ひなんしつつ、これらの欠点けってんはあるにせよ、本書ほんしょがイタリアルネサンスの基本きほん資料しりょうであることは間違まちがいないとしている[6]

ヴァザーリのによる本書ほんしょ読者どくしゃたのしませるうわさばなし逸話いつわ随所ずいしょにちりばめられている。かれいた芸術げいじゅつ逸話いつわおおくはもっともらしいつくばなし可能かのうせいはあるが、それでもその芸術げいじゅつ横顔よこがおきとえがしている。しかしながら完全かんぜんつくばなしもあり、フィレンツェ出身しゅっしんのゴシック巨匠きょしょうジョットわかころ自身じしん師匠ししょうおなじくゴシック著名ちょめい画家がかチマブーエ作品さくひんにハエをえがき、それを本物ほんもののハエと勘違かんちがいしたチマブーエがはらおうとしたエピソードなどは、古代こだいギリシアの画家がかアペレス逸話いつわ剽窃ひょうせつである。

シモンズが指摘してきしているように、ヴァザーリは自身じしん記述きじゅつたいして正確せいかく日時にちじ検証けんしょうしておらず、かれどう時代じだいあるいはほぼどう時代じだい芸術げいじゅつ記述きじゅつおおくは信頼しんらいできるとしても、現在げんざい様々さまざま最新さいしん資料しりょうをもちいた研究けんきゅうしゃによって、本書ほんしょ年代ねんだい日付ひづけ記述きじゅつ修正しゅうせい作業さぎょうつづけられている[3]本書ほんしょ今日きょうでは古典こてんとみなされているが、それでもこういった修正しゅうせい作業さぎょう現在げんざい非常ひじょう重要じゅうよう研究けんきゅうであるとなされている。

ヴァザーリは本書ほんしょ最後さいごに42ページのかれ自身じしん家族かぞくなどの伝記でんきくわえており、祖父そふ画家がかだったラザーロ・ヴァザーリ や兄弟きょうだい弟子でしのフランチェスコ・デ・ロッシのことも記述きじゅつしている[3]

後世こうせいへの影響えいきょう

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画家がか彫刻ちょうこく建築けんちく列伝れつでん』は「ルネサンス芸術げいじゅつ歴史れきしでもっとも影響えいきょうりょくのある文書ぶんしょ[7]」、「ルネサンス芸術げいじゅつ伝記でんきでもっとも重要じゅうよう作品さくひん[1]」と評価ひょうかされている。こういった影響えいきょうりょくしゅとしてつぎさん分野ぶんやおよんでいる。

その当時とうじ、そして後世こうせい伝記でんき作家さっか美術びじゅつへの手本てほん
ルネサンスの定義ていぎ、ならびにフィレンツェとローマがルネサンスでたした役割やくわり明確めいかく
初期しょきのイタリアじん芸術げいじゅつ横顔よこがお作品さくひんたいする重要じゅうよう情報じょうほうげん

伝記でんき作家さっか美術びじゅつ史家しか

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本書ほんしょ芸術げいじゅつ伝記でんきのきっかけとなり、とくに17世紀せいき伝記でんき作家さっかはそのくにのヴァザーリとばれることがあった。1604ねんおおくのネーデルランド(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)出身しゅっしん画家がか伝記でんきである『画家がか列伝れつでん』をいたオランダのカレル・ヴァン・マンデルはおそらく最初さいしょの「ヴァザーリふう作家さっか (Vasarian author)」といわれている[1]。また、『ドイツのアカデミー』をいた画家がか美術びじゅつ史家しかのドイツじんヨアヒム・フォン・ザンドラルト (Joachim von Sandrart) は「ドイツのヴァザーリ (German Vasari)」としてられている[9]。イングランドで1685ねん出版しゅっぱんの『Painting Illustrated』ではそのおおくをヴァザーリの本書ほんしょっている[1] 。

ルネサンス研究けんきゅう

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本書ほんしょはルネサンス様式ようしき発展はってん考察こうさつかんするもっとも重要じゅうよう基礎きそ資料しりょうである[8]。フィレンツェ、ローマ出身しゅっしん芸術げいじゅつたちの業績ぎょうせきがどれほど重要じゅうようかということと、その地域ちいきのイタリア出身しゅっしん芸術げいじゅつ、さらにイタリアじん以外いがい芸術げいじゅつたした役割やくわり黙殺もくさつするという、初期しょきルネサンス美術びじゅつ史家しかたちの見解けんかいながきにわたって影響えいきょうあたえてきた[9]

芸術げいじゅつ作品さくひん

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さらに本書ほんしょなに世紀せいきにもわたって、初期しょきのルネサンス活躍かつやくしたイタリアじん画家がかたちと、その作品さくひん特質とくしつについてのもっとも重要じゅうよう情報じょうほうげんでもある。1899ねん作家さっか詩人しじんのジョン・アディングトン・シモンズ (en:John Addington Symonds)は、『画家がか彫刻ちょうこく建築けんちく列伝れつでん』を芸術げいじゅつたちの記述きじゅつたいする基本きほん文献ぶんけんひとつとして『イタリアにおけるルネッサンス (Renaissance in Italy)』をあらわした[10]いまではあきらかになっている本書ほんしょ偏見へんけん先入観せんにゅうかん欠点けってん存在そんざいするが、現在げんざいでもレオナルド・ダ・ヴィンチの伝記でんきのようにおおくの芸術げいじゅつたちの伝記でんきのベースとして使用しようされている[11]

記載きさいされている芸術げいじゅつ

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画家がか彫刻ちょうこく建築けんちく列伝れつでん』の内容ないようは3分割ぶんかつできる。だい1コジモ・デ・メディチへの献辞けんじだい2序文じょぶんだい3建築けんちく彫刻ちょうこく絵画かいが技術ぎじゅつろん芸術げいじゅつたちの経歴けいれきである。そしてだい3冒頭ぼうとうぶんつづいて、2しょうから6しょうまで「芸術げいじゅつ列伝れつでん」が記述きじゅつされている。以下いかは1568ねん出版しゅっぱんだい2はん記述きじゅつされている芸術げいじゅつたちのリストである。

本書ほんしょにはおおくの重要じゅうようなイタリアじん芸術げいじゅつ伝記でんき記載きさいされており、とき名前なまえばれることもあるかれらの名前なまえたいする古典こてん参照さんしょう資料しりょうとしても使用しようされている。 現在げんざいでは別名べつめい通称つうしょうなど)でばれている芸術げいじゅつがおり、以下いかのリストでも現在げんざいばれることのおお名前なまえしたがっているが、ウィキペディア日本語にほんごばん項目こうもくがある場合ばあいはその項目こうもくめいとしている。『画家がか彫刻ちょうこく建築けんちく列伝れつでん』に記載きさいされている正確せいかく名前なまえは、イタリアばん英語えいごばん参照さんしょうのこと。なお、画像がぞうだい2はん木版もくはんである。

だい2しょう

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チマブーエ
 
ジョット
 
オルカーニャ

だい3しょう

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マサッチオ
 
ドナテッロ
 
ピエロ・デラ・フランチェスカ
 
フィリッポ・リッピ
 
ベノッツォ・ゴッツォリ
 
サンドロ・ボッティチェリ

だい4しょう

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レオナルド・ダ・ヴィンチ
 
ジョルジョーネ
 
ジュリアーノ・ダ・サンガッロ
 
ラファエロ・サンティ
 
ロッソ・フィオレンティーノ

だい5しょう

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ドメニコ・ベッカフーミ
 
ミケーレ・サンミケーリ
 
ソドマ

だい6しょう

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ジョルジョ・ヴァザーリ

日本語にほんごやく

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「1 ジョット、マザッチョ ほか」ぜん9めい
「2 ボッティチェルリ、ラファエルロ ほか」ぜん6めい
「3 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ」
  • 『ルネサンス彫刻ちょうこく建築けんちく列伝れつでん森田もりた義之よしゆき監訳かんやく白水しろみずしゃ、1989ねん新装しんそうばん2009ねん1がつ ISBN 4560095019
  • 美術家びじゅつか列伝れつでん中央公論ちゅうおうこうろん美術びじゅつ出版しゅっぱんぜん6かん)、森田もりた義之よしゆき宮下みやしたただしひさろう越川こしかわ倫明みちあき甲斐かいきょうぎょう高梨たかなし光正みつまさ監修かんしゅう、2014ねん-2022ねん[12]完全かんぜん新訳しんやくばん
  • 『ミケランジェロ・ブオナローティの生涯しょうがい』 デイヴィッド・ヘムソール解説かいせつはやしたくぎょう監訳かんやく西川にしかわ知佐ちさやく東京書籍とうきょうしょせき、2020ねん ISBN 978-4487813261
  • 『レオナルド・ダ・ヴィンチをさがして』 チャールズ・ロバートソン解説かいせつはやしたくぎょう監訳かんやく神田かんだ由布子ゆうこやく東京書籍とうきょうしょせき、2020ねん ISBN 97844878132788めいどう時代じだい証言しょうげん収録しゅうろく
  • 『ジォット、ブルネッレスキ 美術家びじゅつか列伝れつでんⅠ』 亀崎かめざきまさる訳注やくちゅう大学だいがく書林しょりん語学ごがく文庫ぶんこ、1998ねん
  • ドナテッロレオナルド・ダ・ヴィンチ 美術家びじゅつか列伝れつでんⅡ』 亀崎かめざきまさる訳注やくちゅう大学だいがく書林しょりん語学ごがく文庫ぶんこ、1998ねん
    ※この2さつ原文げんぶん記載きさい古典こてんイタリア学習がくしゅうようテキスト

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  • The Lives of the Artists (Oxford World's Classics). Oxford University Press, 1998. ISBN 0-19-283410-X
  • Lives of the Painters, Sculptors and Architects, Volumes I and II. Everyman's Library, 1996. ISBN 0-679-45101-3
  •   この記事きじにはアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくうち著作ちょさくけん消滅しょうめつしたつぎ百科ひゃっか事典じてん本文ほんぶんふくむ: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Vasari, Giorgio". Encyclopædia Britannica (英語えいご). Vol. 27 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 925–926.

外部がいぶリンク

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