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硯 - Wikipedia

すずり

すみみずおろすためのいしかわらつくった文房具ぶんぼうぐ

すずり(すずり[1])は、すみみずみがけるために使つかう、いしかわらとうつくった文房具ぶんぼうぐ[2]中国ちゅうごくではかみふですみともぶんぼうよんたからひとつとされる[3]すずりおよ附属ふぞくする道具どうぐおさめるはこ硯箱すずりばこという。すずりにはからすずり中国ちゅうごくさん)とすずり国産こくさん)のほか、韓国かんこく北朝鮮きたちょうせん台湾たいわんせいなどがある。すずりつく職人しょくにんせいすずりという。

すずり

概説がいせつ

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新年しんねん遊女ゆうじょ足下あしもとすずりすみえがかれている。勝川かちがわはるてい

すみめるためうすくぼみをぼくうみともう)、すみみがけためすこたか部分ぶぶんぼくどうおかともう)という[4][5]ぼくどう部分ぶぶん表面ひょうめん鋒鋩ほうぼう(ほうぼう)とばれる表面ひょうめん凸凹でこぼこによってすみ[6]使つかかた材質ざいしつっては鋒鋩ほうぼう磨滅まめつするためにたてをおこな場合ばあいもある[7]

このような、現代げんだい一般いっぱんてきられる、ぼくぼくどうからなるすずり成立せいりつすみよりおそく、古代こだいには乳鉢にゅうばちようなものですみをつぶして、粉末ふんまつじょうにしてもちいた。はやくから様々さまざま材質ざいしつ形状けいじょうすずりがあったが、ふるくはとうすずり主流しゅりゅうで、円形えんけいさら多数たすうあしささえるものが代表だいひょうてきかたちである。

なお、日本にっぽんでのすずり使用しよう自体じたい弥生やよい時代じだいすでみとめられている(福岡ふくおかけん糸島いとしま島根しまねけん松江まつえ出土しゅつど[8]糸島いとしまじゅん地頭じとうきゅう(うるうじとうきゅう)遺跡いせきのほか、中原なかはら遺跡いせき佐賀さがけん唐津からつ)、東小田ひがしおだみね遺跡いせき福岡ふくおかけん筑前ちくぜんまち)から出土しゅつどしたのは、製作せいさく途上とじょういしせいすずりやそれに関連かんれんすると推測すいそくされる遺物いぶつである[9]

材質ざいしつ

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すずり陶製とうせいもの)のすえすずりいしせいいしすずりのほか様々さまざま種類しゅるいがある。

とうすずり

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とうすずりすずりのうち陶製とうせいもの)のものをいう[10]すえすずりにはすずり専用せんよう制作せいさくされたものと、土器どきへんさい利用りようしたもの(転用てんようすずり)があり、圧倒的あっとうてき転用てんようすずりのほうがおお[10]すずり専用せんようのものには円形えんけいえんめんすずり動物どうぶつなどをかたどった形象けいしょうすずり部首ぶしゅ几部(かぜかんむり)のかたちをしたふうすずり長方形ちょうほうけい長方おさかたすずり宝珠ほうしゅがた宝珠ほうしゅすずりなどがある[10]

日本にっぽん最古さいこすえすずりはやぶさじょうかまあと京都きょうと宇治うじ)から出土しゅつどした飛鳥あすか時代ときよのものである[10]

実用じつようめんではいしすずりおよばないが、彩色さいしき形状けいじょうおもむきがあるものもおおいため、観賞かんしょうようとしてかざられることもある。なお、磁器じきのものは磁硯としょうする。

いしすずり

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中国ちゅうごくでは六朝りくちょう時代じだいわりにいしせいすずり登場とうじょうした。とうだいいしすずり高級こうきゅうひんとして登場とうじょうし、くだって、そうだい普及ふきゅうひん市場いちばいしすずりめて現代げんだいいたる。日本にっぽんではいしすずりは10世紀せいきごろからられるようになり、とうすずり次第しだい使つかわれなくなった[10]

その材質ざいしつ

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  • すみようまるがたセラミックすずり
  • プラスチックせい
  • 木製もくせい
  • 硝子がらすせい

からすずり

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中国ちゅうごくいし生産せいさんされるすずりからすずり(とうけん)とぶ。からすずりなかでも端渓たんけいすずり(たんけいけん)、歙州すずり(きゅうじゅうけん)、洮河みどりせきすずり(とうがろくせきけん)、きよしどろすずり(ちょうでいけん)が有名ゆうめい中国ちゅうごくりょうすずりよんたからといわれる[11]ほかにもまつ花江はなえみどりせきすずりべに糸石いといしすずりなどが存在そんざいし、品質ひんしつ価格かかくとも様々さまざまだが上級じょうきゅうひんすみり・はつすみすぐれており、高価こうか取引とりひきされるものもある。

代表だいひょうてきからすずり

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端渓たんけいすずり

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中国ちゅうごく広東かんとんしょう広州こうしゅう西方せいほう100kmほどのところに、はじめけいというまちがある。このまち西にしこうというかわのぞんでいて、ひがしおの柯山(ふかざん)がそびえる。この岩山いわやまあいだがりくねってながれ、西にしそそ谷川たにがわ端渓たんけい(たんけい)という。深山ふかやま幽谷ゆうこく形容けいようされるうつくしいこの場所ばしょ端渓たんけいすずり原石げんせきされる。

端渓たんけいいしすずり使つかわれるようになったのはとうだいからで、そうだい量産りょうさんされるようになって一躍いちやく有名ゆうめいになった。このころ日本にっぽんにもわたってたといわれる[11]紫色むらさきいろ基調きちょうにしたうつくしいいしで、いしなかあわ緑色みどりいろ斑点はんてんなどまるみをちゅうしんえんつものを「」(がん)という。とりのような模様もようもあるこのもんいしはちすちゅう化石かせきといわれてきたが、いし一種いっしゅの含鉄しつ結核けっかくたいであることが実証じっしょうされた。つまり酸化さんかてつなどのてつ化合かごうぶつ磁気じきびてあつまり形成けいせいされたものである。こうした含鉄しつ結核けっかくたい沈積ちんせき埋蔵まいぞうされたあとも、岩石がんせき生成せいせい過程かていでたえず変化へんかしててつしつ成分せいぶんあつめ、かさかず幾重いくえもあるいしひん形成けいせいした。実用じつようには関係かんけいないものだが大変たいへん珍重ちんちょうされる。端渓たんけいいしこまかい彫刻ちょうこくにもき、様々さまざま意匠いしょう彫刻ちょうこくほどこしたすずりおおられる。端渓たんけいすずり価値かちだいいちは≪すりすみえきばちすみ範囲はんいひろさ・さ≫である。だいだいさんつづ価値かちすずりとしての本質ほんしつ直接ちょくせつ関係かんけいしないが、その視覚しかくてきうつくしさであり、「等々とうとういしもんあらわかた、そして彫刻ちょうこく精巧せいこうさ、色合いろあい、模様もようなどによる。だいいち価値かちのぞけばいずれも美術びじゅつ芸術げいじゅつめんからの価値かちであり、そしてこれらのさくすずり時代じだいにより骨董こっとうてき価値かちくわわる。

端渓たんけいすずりには採掘さいくつされるあなによって以下いかのようなランクがある。

  • ろうあなさい高級こうきゅう硯材けんざい。ここの一定いってい範囲はんいから産出さんしゅつする硯材けんざいのみを「みずいわお」としょうすることがおもである。
  • あないわおろうあなぐとされている。
  • あさあな:かつてはろうあな匹敵ひってきするという評価ひょうかもされた。
  • そうあなそうだい開発かいはつ開始かいし比較的ひかくてき安価あんか
  • 梅花ばいかあな色合いろあいにおもむきはあるが硯材けんざいとしては下級かきゅうとされている。
  • みどりせきあな現代げんだいぶつはあまり良質りょうしつではない。

歙州すずり

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端渓たんけいすずりならしょうされるめいすずりに歙州すずりがある。このすずり原石げんせき南京なんきんみなみ200kmの歙県からされる。付近ふきんには観光かんこうとしてられるやまがあり、このあたりはかい岩石がんせきみね無数むすう林立りんりつする山岳さんがく地帯ちたいである。歙県はそのやまみなみ位置いちし、むかし歙州(きゅうしゅう)とった。

歙州すずり端渓たんけい女性じょせいてきあでやかさにくらあおみをびた黒色こくしょくで、男性だんせいてき重厚じゅうこうさと抜群ばつぐんしつつ。比重ひじゅうおもいししつかたく、たたくと端渓たんけいよりも金属きんぞくてきたかおとがする。へきかいのためにこまかい彫刻ちょうこくにはかない。あじ端渓たんけいなめらかさとちがって、するど豪快ごうかいじつによくおり、墨色すみいろくろになる。このすずりは、うすきぬを2まいかさねたときにあらわれるなみのような模様もよう、「もん」(らもん)が特徴とくちょうである。

採石さいせき期間きかんみじかかったため現存げんそんする歙州すずりきわめてすくなく、端渓たんけいすずりやく5%程度ていどおもわれる[11]

洮河みどりせきすずり

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きたそう中期ちゅうきの洮河(現在げんざい甘粛かんせいしょうチョネけん)のふかそこから採石さいせきされた。端渓たんけいすずりえるめいすずりとされるが、かわ氾濫はんらんにより採石さいせき場所ばしょ不明ふめいとなったため、短期間たんきかん途絶とだえた。現存げんそんするものはきわめて貴重きちょうであり、入手にゅうしゅはほぼ不可能ふかのうである。現在げんざい販売はんばいされている端渓たんけいみどりせきしん洮河みどりせきなどはまったくの別物べつもの

きよしどろすずり

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きよしどろすずりについてはいし原料げんりょうとしたとする自然しぜんせきせつと、どろ焼成しょうせいしたとする焼成しょうせいすずりせつ存在そんざいする。きよしだい初期しょきごろまでつくられていたとする焼成しょうせいすずりについては、「当時とうじ技術ぎじゅつでは焼成しょうせいきよしどろすずりつくるための高温こうおんせるかまつくれなかった」として疑問ぎもんていされる場合ばあいもある。当時とうじ製法せいほうではこの高温こうおん不可能ふかのうであったため、焼成しょうせいきよしどろすずり製法せいほうしょとするものにはあたかも魔術まじゅつのような荒唐無稽こうとうむけい製造せいぞう方法ほうほうべられている。このように製法せいほうについては現代げんだいでも解明かいめいされていない部分ぶぶんがある。 うるおいをふくんだ素朴そぼくさをかんじさせるすずりいしすずりではないといわれている。きよしどろすずり最上さいじょうのものは鱔魚きよしどろ(せんぎょこうちょうでい、鱔魚おもわせるベージュ・くすんだ黄色おうしょく)で、そのつぎ緑豆りょくとうすなきよしどろ(りょくとうしゃちょうでい、緑豆りょくとうおもわせる緑色みどりいろくろまたはあおまじり)である。きよしどろすずり代表だいひょうしゅのひとつ「えびあたまべに」とばれるものはそのとおり「海老えびでるかいたとき海老えびあたましぶ赤色あかいろ」である。それぞれにすずりとしての品質ひんしつがあり、この品質ひんしつもの感覚かんかくにより変化へんかする。[11]

まつ花江はなえみどりせきすずり

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吉林きつりんしょうまつ花江はなえじょう流域りゅういき採掘さいくつされる。みどり黄色おうしょくけいしまじょう模様もよう特徴とくちょう清朝せいちょう名品めいひんおおい。これは清朝せいちょう満州まんしゅうぞくによって建国けんこくされたため、父祖ふそちかいところに硯石すずりいし産地さんちはないかと調しらべた結果けっか吉林きつりんしょう発見はっけんされたことに由来ゆらいする。

べに糸石いといしすずり

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山東さんとうしょうあおしゅう黒山くろやまにて発見はっけんされた。褐色かっしょく紅色こうしょく糸状いとじょう模様もよう特徴とくちょうそうだいごろ良質りょうしつ原石げんせき枯渇こかつしたため衰退すいたいし、現存げんそんするものはすくない。現在げんざいこの名称めいしょう安価あんか販売はんばいされているものは「瑪瑙めのうせき」という偽物にせもの可能かのうせいがある。

かずすずり

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かずすずり(わけん)は中国ちゅうごくせいすずりからすずり(とうけん)と対比たいひ日本にっぽんいし使つかってつくられたすずりのこと。 日本にっぽんすずり[12]ともいう。

いしすずり中国ちゅうごくでは紀元前きげんぜん200ねんごろのはた時代じだいはかより出土しゅつどしている。日本にっぽんには推古天皇すいこてんのう時代じだいすみがもたらされたとかんがえられており、このことからすずりもあったとかんがえられている[13]日本にっぽんすずりつくられるようになったのは『倭名わみょう類聚るいじゅうしょう』(930年代ねんだい)に"すずりにはいしだいいちとする"という記述きじゅつがあることなどから、奈良なら時代じだいにはすでにあったとされるせつがあり[13]産地さんちについてれられているものとしては、1191ねん鶴岡つるおか八幡宮はちまんぐうみなもと頼朝よりともによって献納けんのうされたふうすずり赤間あかますずりだったとわれていること、それ以前いぜん若田わかたせきすずり田野浦たのうらせきすずりはそれよりもふるいとされていることから、1100ねんごろから日本にっぽんでもすずりつくられていたのではないかとされている[14]

かずすずり年産ねんさんは1985ねんごろでは推定すいていで120まんめんとなっている[15]

かず硯材けんざい産地さんち

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寛政かんせい7ねん(1795ねん)の『和漢わかんけんしょ』には「日本にっぽんけんざい」として37のいししるされており、明治めいじ10ねん(1877ねん)の『文芸ぶんげい類纂るいさん』では同様どうように37のいししるされているが同一どういつではない。昭和しょうわ60ねん(1985ねん)にあらわされた石川いしかわ二男つぎおによる『すずりのすすめ』には主要しゅような26の産地さんちいしげられているほか、その当時とうじですでにはいらないものをふくめた日本にっぽん各地かくち主要しゅよう硯材けんざい産地さんちげられており、100以上いじょうのぼ[16]どう時期じき名倉なぐらおおとりさんによる『日本にっぽんすずり』では日本にっぽん硯材けんざいおなざい重複じゅうふくしつなどのてん考慮こうりょするとやく20しゅとなっている[17]

かく産地さんち名称めいしょう

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  • 紫雲しうんせきすずり - 岩手いわて正法寺しょうほうじせき三井みついせき夏山なつやませき荻生おぎゅうせきみず井石いせき日向石ひゅうがいし中倉なかくらせき猿沢さるさわせき[18][19]
  • 雄勝おがつすずり - 宮城みやぎげんあきらせき、おかちせき留山とめやませきなみいたせき仙台せんだいせき[20][21]
  • 小久慈こくじすずり大子だいごすずり - 水戸みと9だい藩主はんしゅ徳川とくがわ斉昭なりあき こく寿ことぶきせき - 茨城いばらき 別名べつめいくに寿ことぶきせき大子だいごせき[22][23]
  • 村雨むらさめすずり - 長野ながの
  • 龍渓りゅうけいすずり - 長野ながの 高遠こうえんせき鍋墨なべずみせき竹ノ沢たけのさわせき鍋倉なべくら山石やまいし横川よこがわせき深沢ふかさわせき天竜てんりゅうせき伊奈いなせき
  • 鳳来ほうらい寺石てらいしすずり - 愛知あいち きんおおとりせきおおとりいしけむりげんせき
  • 虎斑とらふせきすずり - 滋賀しが 高島たかしませきげんせいせき
  • 高田たかだすずり - 岡山おかやま
  • 諸鹿もろがせき - 鳥取とっとり
  • 赤間あかますずり - 山口やまぐち 厳島いつくしま神社じんじゃひら舞台ぶたいたばせき[25]回廊かいろう支柱しちゅう[26]
  • 三原みはらすずり - 高知こうち土佐とさせき
  • 若田わかたいしすずり - 長崎ながさき 紫式部むらさきしきぶ逸話いつわがある[27]
  • べにけいせきすずり - 宮崎みやざき
  • 屋久島やくしますずり - 鹿児島かごしま
  • 冷泉れいせんせき - 鹿児島かごしま

そのすずり産地さんち

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すずり手入てい

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すずり半永久はんえいきゅうてき使つかえるものであるが、そのためには手入ていれが必要ひつようである。

鋒鋩ほうぼうてる
すずり使つかっているとだんだんって、ついにはツルツルになってくる。こうなるとすみれないので、すずりよう砥石といしすずりめんぐ。これを鋒鋩ほうぼう(ほうぼう、「かたなさき」の)をてるという。すずりめんひかりをあてると鋒鋩ほうぼうばれるキラキラとひかこまかい宝石ほうせきのようなつぶあらわれ、これですみれる。この鋒鋩ほうぼうこまかくみつに、そして均一きんいつりばめられているほど墨色すみいろうつくしくる。また、鋒鋩ほうぼうするどつよいほどすみはやれるが、あまり鋒鋩ほうぼうてすぎると、かえってくない。てすぎた場合ばあいは、すりすみさいに、金属きんぞくおんがする。
きれいにあら
すずり使つかったら脱脂綿だっしめんなどを使つかい、かなら隅々すみずみまでぬるま熱湯ねっとうすずりれるおそれがあるため不可ふか)できれいにあらう。ふるすみのこしておくとあたらしくったすみくさってしまう。またったすみ断面だんめんすずりうえてて保管ほかんしてはいけない。すずりほどすみいてしまい、無理むりろうとするとすずりめんがれてしまう。その場合ばあいは、接着せっちゃくめんみずらし、しばらくおいておくと、うまくがれることがある。

脚注きゃくちゅう出典しゅってん

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  1. ^ すみり」が撥音便はつおんびん変化へんかしたもの。すみすり > すんずり > すずり
  2. ^ 書道しょどう用品ようひんすみぼくえきかみふでのことならしょゆうOnline”. syoyu-e.com. 2023ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  3. ^ ぶんぼうよんたから”. 書道しょどう入門にゅうもん. 2023ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  4. ^ すずり部分ぶぶん名称めいしょう呼称こしょう)と書道しょどう役割やくわり|たからいずみどう®”. www.housendo.jp. 2023ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  5. ^ すずりたくみあん”. amehata.suzurinosato.com. 2023ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  6. ^ 鋒鋩ほうぼう”. 書道しょどう入門にゅうもん. 2023ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  7. ^ すずり目立めたて - 徽州曹素こう げいあわとき”. すずり目立めたて - 徽州曹素こう げいあわとき. 2023ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  8. ^ "弥生やよい時代じだい国内こくない最古さいこきゅうすずり出土しゅつど 倭人わじんでん記述きじゅつ裏付うらづ糸島いとしま"西日本にしにほん新聞しんぶん』2016ねん3がつ1にち記事きじ
  9. ^ 紀元前きげんぜん すずりづくり/国内こくない文字もじ使用しよう 300~400ねんさかのぼる?北部ほくぶ九州きゅうしゅう3遺跡いせき毎日新聞まいにちしんぶん朝刊ちょうかん2019ねん2がつ20日はつか総合そうごう社会しゃかいめん)2019ねん4がつ13にち閲覧えつらん
  10. ^ a b c d e えんめんすずり九州きゅうしゅう歴史れきし資料しりょうかん すむかしの宝物ほうもつ 解説かいせつシート 九州きゅうしゅう歴史れきし資料しりょうかん、2021ねん2がつ16にち閲覧えつらん
  11. ^ a b c d もり紀一きいち 付記ふき古名こみょうすずり
  12. ^ 北畠きたばたけそうみみ, 北畠きたばたけかなえすずりのしおり』秋山あきやま書店しょてん、1986ねん10がつ10日とおか、55ぺーじ 
  13. ^ a b 犬丸いぬまるただし, 吉田よしだ光邦みつくに日本にっぽん伝統でんとう工芸こうげいひん産業さんぎょう全集ぜんしゅう だい8かんダイヤモンド社だいやもんどしゃ、1992ねん、100ぺーじ 
  14. ^ 石川いしかわ 1985, p. 100.
  15. ^ 石川いしかわ 1985, p. 110.
  16. ^ 石川いしかわ 1985, p. 115-126.
  17. ^ 名倉なくら 1986, p. 15.
  18. ^ 名倉なくら 1986, p. 62.
  19. ^ 石川いしかわ 1985, p. 44.
  20. ^ 名倉なくら 1986, p. 66.
  21. ^ 石川いしかわ 1985, p. 62.
  22. ^ 名倉なくら 1986, p. 74.
  23. ^ 石川いしかわ 1985, p. 26.
  24. ^ 山梨やまなしけん. “甲州こうしゅう雨畑あめはたすずり書家しょか魅了みりょうする漆黒しっこくつや”. やまなしの美技びぎ. 2023ねん4がつ7にち閲覧えつらん
  25. ^ 宮島みやじま🦌厳島いつくしま神社じんじゃひら舞台ぶたい」【国宝こくほう】 | 厳島いつくしま神社じんじゃ-御朱印ごしゅいん”. 2023ねん3がつ31にち閲覧えつらん
  26. ^ 後藤ごとうちょう太郎たろう 1941, p. 43.
  27. ^ 北畠きたばたけそうみみ, 北畠きたばたけかなえすずりのしおり』秋山あきやま書店しょてん、1986ねん10がつ10日とおか、60ぺーじ 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • もり紀一きいちぶんぼうよんたから -ぶんぼうきよし趣味しゅみ-』(だいあかねコレクション、1980ねん7がつ
  • りゅうえんじ 『ようこそ「はしすずり」の世界せかいへ』(文芸ぶんげいしゃ、2001ねん10がつ15にち
  • 石川いしかわ二男つぎおすずりのすすめ』にち貿出版しゅっぱんしゃ、1985ねん 
  • 名倉なくらおおとりさん日本にっぽんすずりにち貿出版しゅっぱんしゃ、1986ねん 
  • 犬丸いぬまるただし吉田よしだ光邦みつくに日本にっぽん伝統でんとう工芸こうげいひん産業さんぎょう全集ぜんしゅう だい8かんダイヤモンド社だいやもんどしゃ、1992ねん 
  • 後藤ごとう, あさ太郎たろうすずりふで (大東だいとう名著めいちょせん ; だい12)大東だいとう出版しゅっぱんしゃ、1941ねんdoi:10.11501/1869605国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん書誌しょしID:000000916846https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1869605