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荀顗 - Wikipedia

荀 顗(じゅん ぎ)は、中国ちゅうごくさんこく時代じだいから西にしすすむ政治せいじたかし西にしすすむつかえた。けいしゅう潁川ぐん潁陰けん現在げんざい河南かなんしょうもとあきら)のひと荀彧ろくなん

荀顗
たかし西にしすすむ
さむらいちゅうふとしじょうぎょう太子たいしふとしでん・臨淮こう
出生しゅっしょう 生年せいねん不明ふめい
しゅう潁川ぐん潁陰けん
死去しきょ やすしはじめ10ねん4がつ28にち274ねん6月19にち
拼音 xún yǐ
けい
諡号しごう かんこう
主君しゅくん 曹芳曹髦曹奐司馬しばえん
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生涯しょうがい

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幼少ようしょうからあね婿むこちん才能さいのう評価ひょうかされ、司馬しばからも「荀令くん(荀彧)の息子むすこだけのことはある」とみとめられた。性格せいかく至孝しこう博学はくがく見聞けんぶんひろく、思考しこう緻密ちみつだった。また、司馬しば駿しゅんとの討論とうろん名声めいせいた。

かんれきちち勲功くんこうによってにんじられたなかろうからはじまる。さむらいろうさむらいちゅうじょう歴任れきにんし、しょうみかど曹芳教育きょういくがかりつとめた。嘉平かへい6ねん254ねん)9がつの曹芳廃位はいい上奏じょうそうには、一員いちいんとしてつらねている[1]

曹芳が廃位はいいされ新帝しんてい曹髦つと司馬しばたいし、地方ちほう使者ししゃ派遣はけんしてとくひろめるととも情勢じょうせい調しらべるよう進言しんげんした。この進言しんげんせいもと2ねん255ねん正月しょうがつ毌丘倹・ぶん欽のらん発生はっせいおよ鎮圧ちんあつへとつながった。らん鎮圧ちんあつ功績こうせきにより万歳ばんざいていこうふうじられ、しょく邑400りょうした。

司馬しばぼっし、おとうと司馬しばあきらぐと、荀顗は尚書しょうしょに遷った。甘露かんろ2ねん257ねん)6がつ司馬しばあきらしょかずら反乱はんらん鎮圧ちんあつかうと、その留守るすまかされた。

このころおう阮籍ともに『しょ』を編纂へんさんしたが、時勢じせい配慮はいりょした内容ないようで、後年こうねんちん寿ひさしの『三国志さんごくし』におとったとわれる[2]

甘露かんろ5ねん260ねん)5がつ、曹髦が司馬しばあきら襲撃しゅうげきはかるが、ぎゃく賈充ぐんによって殺害さつがいされる(甘露かんろへん)。司馬しばあきら朝議ちょうぎひらいたが、ふとしつねちんやすしひね羣の)が出席しゅっせきしなかったため、荀顗にびにかせた。荀顗はちんやすしもとおとずれると、司馬しばくみすることについて「世間せけん論者ろんしゃわたし叔父おじじょう(荀顗)を比較ひかくしますが、いま叔父おじじょうわたしおよびません」と非難ひなんされた[3]

まもなくちんやすしぼっすると荀顗がそのぎ、尚書しょうしょぼくしゃりょう吏部尚書しょうしょとなった。政務せいむにあたっては清廉せいれんで、あきらかにし、風俗ふうぞくただした。

咸熙元年がんねん264ねん)3がつつかさそらさとこう昇進しょうしんした。同年どうねんにはしょ制度せいど改革かいかくされ、荀顗が礼儀れいぎさだめ、賈充が法律ほうりつただし、裴秀官制かんせいあらためた[4]ははうといちかんったが、いのちとしかねないほど衰弱すいじゃくし、その孝養こうようとなえられた。

やすしはじめ元年がんねん265ねん)12月、からすすむ西にしすすむ)への禅譲ぜんじょうり、司馬しばえん皇帝こうてい即位そくい[5]。荀顗は臨淮こうすすむ爵し、しょく邑1800りょうした。さらにつかさふとしじょうに遷り、さむらいちゅうとくじょうがいきばもんしょ軍事ぐんじぎょう太子たいしふとしでんなどを兼任けんにんした。

やすしはじめ10ねん4がつおのれ274ねん6月19にち)に死去しきょかんこうおくりなされた。はなく、したがえまごの荀徽がこういだ。

すすむしょ』荀顗でんはその人柄ひとがらについて、「『さんれい』にあかるく儀礼ぎれいつうじるが、筋道すじみちただすような徳操とくそうっていない。荀勗と賈充の時代じだいにおいておもねっていただけ」と酷評こくひょうした。皇太子こうたいし司馬しば衷(めぐみみかど)の賈南ふう(賈充のむすめ)を「貞淑ていしゅく品性ひんせいすぐれた婦人ふじん」と推薦すいせんしたことも輿論よろん非難ひなんびた。

三国志さんごくし演義えんぎにおける荀顗

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小説しょうせつ三国志さんごくし演義えんぎ』では、司馬しばあきら嫡子ちゃくし司馬しばえんと、庶子しょし司馬しばのどちらを後継こうけいにしようかまよっていたとき長幼ちょうようじょから司馬しばえんてるよう進言しんげんした。

出典しゅってん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 三国志さんごくししょ ひとしおうおさむちゅうしょ
  2. ^ すすむしょおう沈伝
  3. ^ 三国志さんごくししょ ひね羣伝ちゅうすすむ』。これを注記ちゅうきした裴松は「ちんやすしふとしつねとなったことはなく、なにもとづいてかれたのかからない」と疑問ぎもんていした。
  4. ^ すすむしょ』裴秀でん
  5. ^ すすむしょたけみかど