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葛木香一 - Wikipedia

葛木かつらぎ いち(かつらぎ こういち、1890ねん3月12にち - 1964ねん9月6にち)は、日本にっぽん俳優はいゆうである[1][2][3]出生しゅっしょうめい中澤なかざわ りょう(なかざわ じろう)[4]本名ほんみょう根石ねいし 次郎じろう(ねいし じろう)[1][3]

かつらぎ こういち
葛木かつらぎ いち
葛木 香一
1930年代ねんだい写真しゃしん
本名ほんみょう 中澤なかざわ りょう (なかざわ じろう、出生しゅっしょうめい
根石ねいし 次郎じろう (ねいし じろう)
生年月日せいねんがっぴ (1890-03-12) 1890ねん3月12にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (1964-09-06) 1964ねん9月6にち(74さいぼつ
出生しゅっしょう 日本の旗 日本にっぽん 北海道ほっかいどう函館はこだて
死没しぼつ 日本の旗 日本にっぽん 京都きょうと京都きょうと
職業しょくぎょう 俳優はいゆう
ジャンル 新派しんぱ劇映画げきえいが時代じだいげき現代げんだいげき剣戟けんげき映画えいがサイレント映画えいがトーキー
活動かつどう期間きかん 1905ねん - 1963ねん
著名ちょめい家族かぞく 中澤なかざわ喜三郎きさぶろうちち
中澤なかざわマツ (はは
光岡みつおか龍三郎りゅうさぶろうおとうと
おも作品さくひん
くもこうの岐に
清作せいさくつま
テンプレートを表示ひょうじ

人物じんぶつ来歴らいれき

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1890ねん明治めいじ23ねん3月12にち北海道ほっかいどう函館はこだて現在げんざい十字街じゅうじがい交番こうばん (同市どうし豊川とよかわまち7ばん13ごう)のあたりにまれる[1][3]同地どうち仕立屋したてやまるだか」をいとな中澤なかざわ喜三郎きさぶろう・マツ夫妻ふさい次男じなんとして中澤なかざわまれ、根石ねいし[1][4]。11さいおとうと俳優はいゆう光岡みつおか龍三郎りゅうさぶろう本名ほんみょう中澤なかざわ喜一きいち、1901ねん - 1961ねん)がいる[1][4]叔父おじ山崎やまざき函館はこだて新聞しんぶん現在げんざい北海道新聞ほっかいどうしんぶん)の支局しきょくちょうだったが、そのえんで、道内どうない亀田かめだぐんだい野村のむら現在げんざい北斗ほくと大野おおの地区ちく)にうつり、おとうと同地どうちまれている[4]

旧制きゅうせい北海道庁ほっかいどうちょうりつ函館はこだて中学校ちゅうがっこう現在げんざい北海道ほっかいどう函館はこだて中部ちゅうぶ高等こうとう学校がっこう)に在学ざいがくちゅうから芝居しばい熱中ねっちゅうし、同校どうこう卒業そつぎょうした1905ねん明治めいじ38ねん)ころ、函館はこだて新派しんぱ革新かくしん劇団げきだん参加さんかして、函館はこだて地区ちく巡業じゅんぎょうする[1][4]。1917ねん大正たいしょう6ねん)に東京とうきょう移動いどうし、小林こばやし喜三郎きさぶろう小林こばやし商会しょうかい同社どうしゃ興行こうぎょうする連鎖れんさげき出演しゅつえん天然色てんねんしょく活動かつどう写真しゃしんてんかつ)の映画えいがにも出演しゅつえん記録きろくのこるもっともふる作品さくひんは、1919ねん大正たいしょう8ねん)4がつ30にち公開こうかいされた田村たむら宇一郎ういちろう監督かんとくの『孝女こうじょ白菊しらぎく』で、高勢たかせじょう当時とうじ高瀬たかせみのる)と共演きょうえんしている[1][2][5]同年どうねん同社どうしゃ解散かいさんは、小林こばやし設立せつりつして同社どうしゃ吸収きゅうしゅうした国際こくさいかつうつくにかつ)に移籍いせきする[1][2]出世しゅっせさくとされるのは、1922ねん大正たいしょう11ねん)に主演しゅえんして同年どうねん9がつ1にち公開こうかいされた、志波しば西にしはて原作げんさく細山ほそやま喜代松きよまつ監督かんとくの『くもこうの岐に』であり、どうさくでは従来じゅうらい平凡へいぼん新派しんぱげき役柄やくがらではなく、表現ひょうげん主義しゅぎてきセットのなかで精神病せいしんびょうしゃのような役柄やくがらえんじ、どうさくによって葛木かつらぎ俳優はいゆうとして成長せいちょうしたとわれる[1][2][6]

1923ねん大正たいしょう12ねん)、くにかつ製作せいさく停止ていしすると日活にっかつ向島むこうじま撮影さつえいしょ移籍いせきする[1][2]同年どうねん9がつ1にち関東大震災かんとうだいしんさいによって向島むこうじま壊滅かいめつすると、京都きょうと日活にっかつ京都きょうと撮影さつえいしょにそのざらとして新設しんせつされただい現代げんだいげき)に移籍いせきよく1924ねん大正たいしょう14ねん)2がつ1にち公開こうかいされた村田むらたみのる監督かんとくの『清作せいさくつま』に主演しゅえんし、つま・おけんえんじた浦辺うらべ粂子くめことともに注目ちゅうもくび、スターになる[1][2]同年どうねんてんかつもと経営けいえいしゃのひとり山川やまかわ吉太郎よしたろう帝国ていこくキネマ演芸えんげいかれ、同社どうしゃ内紛ないふん設立せつりつされた東邦とうほう映画えいがうつるが、1925ねん大正たいしょう14ねん)には日活にっかつ大将軍だいしょうぐん撮影さつえいしょ復帰ふっき時代じだいげき剣戟けんげき映画えいが転向てんこうする[1][2]

1933ねん昭和しょうわ8ねん)、日活にっかつ退社たいしゃしてフリーランスとなる[1][2]当時とうじ日活にっかつ配給はいきゅう提携ていけいしていた片岡かたおか千恵ちえぞう片岡かたおか千恵ちえぞうプロダクション松竹しょうちくキネマ配給はいきゅう提携ていけいしていた市川いちかわみぎふと衛門えもん市川いちかわみぎふと衛門えもんプロダクション田中たなか伊助いすけエトナ映画えいがしゃ永田ながた雅一まさいちだいいち映画えいがマキノ正博まさひろマキノトーキー製作所せいさくしょ京都きょうと撮影さつえいしょわたあるき、1936ねん昭和しょうわ11ねん)には新興しんこうキネマ入社にゅうしゃする[1][2]。1942ねん昭和しょうわ17ねん)1がつ27にち戦時せんじ統合とうごうによって大映だいえい設立せつりつされ、新興しんこうキネマは合併がっぺいして京都きょうと撮影さつえいしょ閉鎖へいさされたが、葛木かつらぎ同社どうしゃ継続けいぞく入社にゅうしゃする[1][2]だい世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつは、つづ大映だいえい京都きょうと撮影さつえいしょ(かつての日活にっかつ京都きょうと撮影さつえいしょ現存げんそんせず)に所属しょぞくやく中心ちゅうしん出演しゅつえんをつづけた[1][2]。『日本にっぽん映画えいが俳優はいゆう全集ぜんしゅう男優だんゆうへん』(1979ねん)によれば、1961ねん昭和しょうわ36ねん)11月1にち公開こうかいされた三隅みすみけん監督かんとくの『釈迦しゃか』を最後さいご引退いんたいしたとあるが[1]、そのも、1962ねん昭和しょうわ37ねん)1がつ21にち公開こうかいされた川島かわしま雄三ゆうぞう監督かんとくの『かりてら[2]、1963ねん昭和しょうわ38ねん)3がつ31にち公開こうかいされた三隅みすみけん監督かんとくの『女系じょけい家族かぞく』にも出演しゅつえんした記録きろくのこっている[3]

1964ねん昭和しょうわ39ねん9月6にちがんのため京都きょうと京都きょうと死去しきょした[1]まん74さいぼつ

おもなフィルモグラフィ

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すべてクレジットは「出演しゅつえん」である[2][3]公開こうかい右側みぎがわには役名やくめいしる[2][3]公開こうかい右側みぎがわには役名やくめい、および東京とうきょう国立こくりつ近代きんだい美術館びじゅつかんフィルムセンター(NFC)所蔵しょぞうとう上映じょうえいようプリントの現存げんそんじょうきょうについてもしる[7]どうセンターとう所蔵しょぞうされていないものは、とくに1940年代ねんだい以前いぜん作品さくひんについてはほぼ現存げんそんしないフィルムである。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ[1979], p.155-156.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 葛木かつらぎいち日本にっぽん映画えいがデータベース、2012ねん12月9にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f 葛木かつらぎいちKINENOTE、2012ねん12月9にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e 葛木かつらぎいち函館はこだて、2012ねん12月9にち閲覧えつらん
  5. ^ 孝女こうじょ白菊しらぎく日本にっぽん映画えいがデータベース、2012ねん12月9にち閲覧えつらん
  6. ^ くもこうの岐に日本にっぽん映画えいがデータベース、2012ねん12月9にち閲覧えつらん
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk 葛木かつらぎいち東京とうきょう国立こくりつ近代きんだい美術館びじゅつかんフィルムセンター、2012ねん12月9にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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