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蝦夷錦 - Wikipedia

蝦夷えぞにしき

江戸えど時代じだい松前まさきはんやま交易こうえき入手にゅうしゅした中国ちゅうごくさん絹織物きぬおりもの

蝦夷えぞにしきえぞにしき)・やまふくさんたんふく)は、江戸えど時代じだい松前まさきはんアイヌ民族みんぞくかいした交易こうえきで、黒竜江こくりゅうこう下流かりゅうから来航らいこうする民族みんぞくから入手にゅうしゅした、中国ちゅうごく本土ほんどさんきぬ清朝せいちょう官服かんぷくのことである。

蝦夷えぞにしきやまふく

中国ちゅうごく本土ほんど黒竜江こくりゅうこう流域りゅういき交流こうりゅう

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かつて中華ちゅうか王朝おうちょうあきら満州まんしゅうぞく建国けんこくしたツングースけいきよし王朝おうちょうは、外交がいこう関係かんけいむすんだ周辺しゅうへんこく周辺しゅうへん民族みんぞくから貢物みつぎものおくられ返礼へんれいひん下賜かしする交流こうりゅうおこなっており、ウリチをはじめとするほかのツングースけい民族みんぞくにも清朝せいちょうしな中国ちゅうごく本土ほんど物産ぶっさんつたわっていた。黒竜江こくりゅうこうしも流域りゅういき沿海州えんかいしゅう)には、現在げんざいやまじん」に比定ひていされるウリチがんでいた。

蝦夷えぞにしき

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江戸えど時代じだい蝦夷えぞ樺太からふと宗谷そうややまじん来航らいこうし、松前まさきはん当時とうじ蝦夷えぞばれたアイヌ仲介ちゅうかいしてかれらと交易こうえきおこなった。これがやま交易こうえきである。その交易こうえき様々さまざま中国ちゅうごく本土ほんど清朝せいちょうしながもたらされ、その代表だいひょうてきれい雲竜うんりゅう(うんりゅう)などをした満州まんしゅうぞくふうにしき官服かんぷく蝦夷えぞにしきである。当時とうじ参勤交代さんきんこうたいさい松前まさき藩主はんしゅがその清朝せいちょうふうにしき将軍しょうぐん謁見えっけんしたところ、将軍しょうぐん華美かびなそのにしきおおいにった。以降いこう松前まさきはんにしき幕府ばくふ献上けんじょうするようになった。

そのさい松前まさきはんはこれがきよからもたらされたものだということをっていたが、それをかくして蝦夷えぞにしきび、にしき輸入ゆにゅう独占どくせんした。しかし、そのかげには、苦境くきょうつアイヌがいたのである。アイヌは蝦夷えぞにしき入手にゅうしゅのため多額たがく累積るいせき債務さいむかかえ、借財しゃくざいのかたにられるなどやまじんとのあいだ軋轢あつれきがあり、蝦夷えぞ幕府ばくふ直轄ちょっかつりょうとなったさい発覚はっかく問題もんだいとなった。

幕府ばくふ役人やくにん樺太からふとめた松田まつだでん十郎じゅうろうはアイヌの債務さいむ調査ちょうさし、支払しはらい不可能ふかのうぶん松前まさき奉行ぶぎょうえてやまじん支払しはらい、アイヌは債務さいむから救済きゅうさいされた[1][2]同時どうじに、松前まさき奉行ぶぎょうやま交易こうえき直営ちょくえい、アイヌの大陸たいりく渡航とこうきんじた。また、その後山あとやまじんしろぬし会所かいしょにおいて江戸えど幕府ばくふたいする朝貢ちょうこうをおこなう結果けっかとなった。

蝦夷えぞにしき触発しょくはつされた商品しょうひん作品さくひんなど

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江戸えど時代じだい作出さくしゅつされた園芸えんげい品種ひんしゅのツバキである。えだごとにしろはなしろあわ桃色ももいろあかたて模様もようしぼりがはいったはなあかはなきわける。がよじれるのが特徴とくちょうである。はな多様たようさと豪華ごうかさを、蝦夷えぞにしき生地きじたとえた。フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトトライカラー名付なづけ、帰国きこくかえった。江戸えど後期こうきの『古今ここん要覧ようらん稿こう』(1842ねん)に原色げんしょくがある[3]

注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 稚内わっかない だいしょう 樺太からふとつめ松田まつだでん十郎じゅうろうやま交易こうえき改革かいかく
  2. ^ 池添いけぞえ博彦ひろひこきた蝦夷えぞ紀行きこうしょく文化ぶんかこう きたえびすだんについて帯広大谷短期大学おびひろおおたにたんきだいがく紀要きよう』 1995ねん 32かん p.33-48, doi:10.20682/oojc.32.0_33
  3. ^ 桐野きりのあきゆたか色分いろわはな図鑑ずかん 椿つばき』(初版しょはんだい4さつ学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、2005ねん、89ぺーじISBN 978-4-054-02529-5 

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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