(Translated by https://www.hiragana.jp/)
責任 - Wikipedia

責任せきにん

元々もともとなにかにたいして応答おうとうすること、応答おうとうする状態じょうたい

責任せきにん(せきにん、えい: responsibility, liability)とは、のちきうること、またはすできたことの原因げんいんが、行為こういしゃにあるとかんがえられる場合ばあいに、その行為こうい自体じたい行為こうい結果けっかかんして、対処たいしょする任務にんむ義務ぎむである。

とくにビジネスにおいて、責任せきにんう(役割やくわりく)しゃ責任せきにんしゃという。

概要がいよう

編集へんしゅう

日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ』によると、人間にんげん行為こうい自由じゆうであり、その行為こうい原因げんいん行為こういしゃにある場合ばあい、その行為こうい行為こうい結果けっかについて、ほうてきまたは道徳どうとくてき責任せきにん行為こういしゃわされる[1]。よって《外部がいぶから強制きょうせいされた行為こうい》や、《幼児ようじまたは精神せいしん錯乱さくらんしゃ行為こうい》については普通ふつう責任せきにんわれない[1]何故なぜならその行為こうい原因げんいんは、行為こういしゃ自由じゆう決定けっていでないからである[1]

ゆうせめせめあいだには、ある行為こうい責任せきにんをどこまでえるかについてのさまざまな段階だんかいかんがえられる[1]

司法しほう精神せいしん医学いがく司法しほう心理しんりがくてき責任せきにん

編集へんしゅう

政策せいさく科学かがく博士はかせ緒方おがたあゆみ[2]論文ろんぶんによると、責任せきにん能力のうりょくかんして現代げんだい精神せいしん鑑定かんていでは、医学いがくしゃ精神せいしんクレッチマー方法ほうほうろんもちいられている[3]。クレッチマーいわく「精神病せいしんびょうしゃ精神病せいしんびょうしつしゃ〔サイコパス〕、正常せいじょうじん」というさんしゃ断定だんていてき区別くべつできる指標しひょう存在そんざいせず、これらさんしゃは「相互そうご移行いこうしあうもの」である[4]。クレッチマーによって、精神せいしん鑑定かんてい対象たいしょうしゃ責任せきにん能力のうりょくについては「心理しんりがくてき基準きじゅんによる量的りょうてき判断はんだん」がおこなわれるようになり、

  • 正常せいじょうからのかたよりがおおきい場合ばあい:「限定げんてい責任せきにん能力のうりょく
  • 正常せいじょうからのかたよりが極端きょくたん場合ばあい:「責任せきにん無能力むのうりょく

鑑定かんていされるようになった[4]

詳説しょうせつ

編集へんしゅう

きん現代げんだいもちいられている責任せきにんえい:responsibility、フランス語ふらんすご:responsabilité)という用語ようご概念がいねんは、もとをたどればラテン語らてんごのrespondereレスポンデレ(こたえる、返答へんとう応答おうとうする、英語えいごならばrespond)に由来ゆらいしており、-ityのかたちでは、なにかにたいして応答おうとうすること、応答おうとうできる状態じょうたい、を意味いみしている。respondereというかたり自体じたい古代こだいローマ時代じだいには、法廷ほうていにおいて自分じぶん行為こういについて説明せつめいしたり弁明べんめいしたりすることを意味いみしていた。

責任せきにんとは、社会しゃかいてき自由じゆうがあることにともなって発生はっせいする概念がいねんである。自由じゆう行為こうい選択せんたくがあることにともない、それにおうじた責任せきにん発生はっせいする。

ある行為こうい結果けっかたいしてあるひとたとえばAさん)には責任せきにんがある、とされているということは、ある行為こういがAさん本人ほんにんにとって選択せんたく余地よちがある(つまり哲学てつがくてき用語ようごえば自由じゆう意志いしもとづいておこなうものである)と判断はんだんされていることを意味いみする。責任せきにん自由じゆうつね同時どうじ存在そんざいし、はなすことは出来できない。自由じゆういところに責任せきにん存在そんざいせず、責任せきにんいところに自由じゆう存在そんざいしない、とされる。

責任せきにん概念がいねんは、のことを意志いしできること、すくなくとも意志いししたとおりの行為こういすことができるという意味いみでの自由じゆう意志いし概念がいねん前提ぜんていとしている。そのため、責任せきにんという概念がいねんは、伝統でんとうてき自由じゆう意志いし概念がいねんともむすけられてきた。

責任せきにんにまつわるきん現代げんだいてき観点かんてんからは、しんおもきをかんがかたと、あるひと行為こういおもきをかんがかたとがある。

現代げんだい社会しゃかいにおいて、ひとりひとりの人間にんげんは、なんらかの自由じゆう行使こうし行為こうい選択せんたくするさいには、その自由じゆうおうじた責任せきにんがあると認識にんしき自覚じかくする必要ひつようがある。ただし、その自由じゆうおうじた責任せきにん以外いがいまでみとめる必要ひつようはない、ともされるので、どこまでが自由じゆうであったか、どこまでがえらびえた行為こういか、どこまでが強制きょうせいされた行為こういか、ということはしばしば曖昧あいまいで、あらそいの原因げんいんとなることがある。

また、責任せきにんという概念がいねんは、なんらかの行為こういおこなったことだけについて適用てきようされるのではなくて、おこなわれるべきだったのにおこなわれなかったことにたいしても適用てきようされる。

また一般いっぱんには、責任せきにん原因げんいんとは区別くべつされる概念がいねんである。BがAの原因げんいんということだけからは、BがAの責任せきにんになうべきことが結論けつろんされることはない。

自分じぶん仕事しごと行為こういについての責任せきにんたそうとする気持きもちを「責任せきにんかん」と[5]責任せきにんかんがないことや、責任せきにん自覚じかくしないことを「無責任むせきにん」と[6]責任せきにんたそうとしない状態じょうたい集団しゅうだんてき組織そしきてきつくされていることを「無責任むせきにん体制たいせい」などとう。

自分じぶんうべきめをものわせることや、責任せきにんになすりつけることを「責任せきにん転嫁てんか(せきにんてんか)」と[7]。なお、一般いっぱん日本語にほんごでは、他者たしゃから期待きたいされている反応はんのう行動こうどうをその期待きたいどおりに実行じっこうすることを「責任せきにんたす」とい、反対はんたい期待きたいされている反応はんのう行動こうどう実行じっこうしないことで結果けっかとして事後じごてきばっけたり、指揮しきけん地位ちいなどを手放てばなすことを「責任せきにんをとる」とう。だれかが「責任せきにんをとった」と表現ひょうげんされる状態じょうたいは、基本きほんてきに、「本来ほんらいならたすべき責任せきにんたさなかった」ということを意味いみしている[注釈ちゅうしゃく 1]

法的ほうてき責任せきにん

編集へんしゅう

責任せきにん倫理りんりがく社会しゃかいがく心理しんりがく対象たいしょう領域りょういきであるが、法的ほうてき責任せきにんのとらえかたが、それらから微妙びみょう影響えいきょうけるが、法律ほうりつじょう責任せきにんとはことなるものであり明確めいかく区別くべつする必要ひつようがある。

刑事けいじ責任せきにん

編集へんしゅう

刑事けいじ責任せきにんとは、犯罪はんざいおかしたもの犯人はんにん)が刑罰けいばつけなければならない法的ほうてき地位ちいのこと。狭義きょうぎにはゆうせめせいのこと。犯罪はんざい健全けんぜん国家こっか維持いじそこなう事象じしょうなので国家こっか刑罰けいばつしており、犯人はんにん刑事けいじ責任せきにんまぬかれないように実力じつりょく組織そしきによる身体しんたい拘束こうそくおこなわれる。

刑法けいほうじょうでの狭義きょうぎ責任せきにんとは、構成こうせい要件ようけん該当がいとうする違法いほう行為こういをしたことについて行為こういしゃ非難ひなんできること(ゆうせめせい非難ひなん可能かのうせい)をいう。これは、行為こういしゃ適法てきほう行為こういおこなうこともできたのに(行為こうい可能かのうせい)、あえて違法いほう行為こういをしたことにたいする法的ほうてき非難ひなんである。

責任せきにん類型るいけいとしては、故意こい過失かしつがある。故意こいは、違法いほう結果けっか認識にんしきしながら行為こういをしているてん行為こうい可能かのうせい非難ひなん可能かのうせいがあり、過失かしつは、注意ちゅうい義務ぎむくしていれば違法いほう結果けっか回避かいひできたのにこれをくさなかったてん行為こうい可能かのうせい非難ひなん可能かのうせいがあるからである。

故意こい過失かしつがあっても、事物じぶつ是非ぜひ善悪ぜんあく弁別べんべつし、かつそれにしたがって行動こうどうすることのできる責任せきにん能力のうりょくがなければ、責任せきにんは阻却(否定ひてい)され、犯罪はんざい成立せいりつしない。具体ぐたいてきには、心神喪失しんしんそうしつもの行為こういばっせず(刑法けいほう39じょう1こう)、心神耗弱しんしんこうじゃくもの行為こういけいげんけいされる(どうじょう2こう)。また、14さい未満みまんもの行為こういばっしない(刑法けいほう41じょう)。

基本きほんてきには自分じぶん行為こういもとづく責任せきにんであるが、他人たにん行為こういについても、それに寄与きよしたもの共犯きょうはん罪責ざいせきうことがある(教唆きょうさはん幇助ほうじょはん共同きょうどう正犯せいはん)。刑事けいじ責任せきにんっているものには刑法けいほうとう規定きていおうじて懲役ちょうえき罰金ばっきんひとし刑罰けいばつせられる。

民事みんじ責任せきにん

編集へんしゅう

民事みんじ責任せきにんとは、契約けいやく不当ふとう利得りとく不法ふほう行為こうい事務じむ管理かんりなどによってしょうずる私法しほううえ債務さいむをいうことがおおい。

ただ、責任せきにん債務さいむ区別くべつして、自己じこ財産ざいさんから弁済べんさいけさせられることをしてもちいることもある。たとえば、AがBに金銭きんせんけ、Cの不動産ふどうさん抵当ていとうけん設定せっていけた場合ばあい、BはAにたい債務さいむうと同時どうじ自己じこ財産ざいさんについて不動産ふどうさん競売きょうばい強制きょうせい競売きょうばいとうけるという意味いみ責任せきにんう。これにたいし、物上ぶつじょう保証人ほしょうにんCはAにたいして債務さいむわないが、自己じこ不動産ふどうさん強制きょうせい換価かんか担保たんぽけん実行じっこう)されるという意味いみでAにたい責任せきにんう。

債務さいむという意味いみでは、つぎのようなものがある。

  • 契約けいやく責任せきにん
  • 不法ふほう行為こうい責任せきにん
現在げんざい日本にっぽんにおいては金銭きんせん賠償ばいしょうすることが原則げんそくであるが、謝罪しゃざい広告こうこくなどをめいじられることもある(民法みんぽう723じょう)。また、一定いってい場合ばあい他人たにん行為こういたいする責任せきにんう。そのいちれいである使用しようしゃ責任せきにん発生はっせい根拠こんきょは、実質じっしつじょう指揮しき監督かんとく関係かんけいもとめられる(民法みんぽう715じょう)。
公権力こうけんりょく行使こうしたる公務員こうむいんが、その職務しょくむおこなうについて他人たにん損害そんがいくわえたときは、国家こっか賠償ばいしょうする責任せきにんう(国家こっか賠償ばいしょうほう1じょう1こう)。

行政ぎょうせい責任せきにん

編集へんしゅう

行政ぎょうせい責任せきにんとは、一定いってい行政ぎょうせい法規ほうきへの違反いはんによってしょうじる行政ぎょうせいほうじょう負担ふたんをいう。過料かりょう課徴かちょうきん業務ぎょうむ改善かいぜん命令めいれい業務ぎょうむ停止ていし命令めいれい許認可きょにんか取消とりけしなどがある。

訴訟そしょうほうじょう責任せきにん

編集へんしゅう

自分じぶんにとって有利ゆうり法的ほうてき効果こうか発生はっせいさせる事実じじつ主張しゅちょうしなかった当事とうじしゃが、その事実じじつ認定にんていされないことによってける不利益ふりえきのことを、主張しゅちょう責任せきにんという。

また、自分じぶんにとって有利ゆうり法的ほうてき効果こうか発生はっせいさせる事実じじつ立証りっしょうできなかった当事とうじしゃが、その事実じじつ認定にんていされないことによってける不利益ふりえきのことを証明しょうめい責任せきにん挙証きょしょう責任せきにん立証りっしょう責任せきにん)という。

不利益ふりえきこうむったがわは、自分じぶんのぞ法的ほうてき効果こうか発生はっせいという利益りえきけることができない。証明しょうめい責任せきにんうかわないかによって、事実じじつ真偽しんぎ不明ふめい状態じょうたいにとどまった場合ばあい結論けつろんまったことなることになるので、証明しょうめい責任せきにん分配ぶんぱい方法ほうほう法学ほうがくにおいて問題もんだいになる。

責任せきにん(responsibility)概念がいねん複数ふくすう要素ようそからなる。

責務せきむ責任せきにん

編集へんしゅう

責務せきむ責任せきにんえい: Obligation-Responsibility)はたすべき責務せきむである。すなわち職務しょくむ道徳どうとくとしてある行動こうどうすべきという責任せきにんである[8]義務ぎむえい: duty, obligation)、役割やくわり責任せきにんえい: role-responsibility)とも。責務せきむ責任せきにん事前じぜん責任せきにんえい: pre-event responsibility予防よぼう基底きていてき責任せきにん/prevention-based responsibility とも)に対応たいおうし、出来事できごとまえから発生はっせいする責任せきにんである[9]

たとえばくるま運転うんてんするさい運転うんてんしゅには安全あんぜん運転うんてん義務ぎむ、すなわち「これから事故じここさず安全あんぜん運転うんてん遂行すいこうする」義務ぎむ発生はっせいする。これが責務せきむ責任せきにんである。

負担ふたん責任せきにん

編集へんしゅう

負担ふたん責任せきにんえい: liability[10], えい: liability-responsibility[11])は不利益ふりえき負担ふたんすることである。すなわち刑罰けいばつ損害そんがい賠償ばいしょう非難ひなんえい: blame)をあまんじてける責任せきにんである[12]贖罪しょくざい切腹せっぷく相当そうとうする。負担ふたん責任せきにん事後じご責任せきにんえい: post-event responsibility応答おうとう基底きていてき責任せきにん/response-based responsibility とも)に対応たいおうし、出来事できごとのち発生はっせいする責任せきにんである[13]

たとえばくるま運転うんてんするさい運転うんてんしゅには賠償ばいしょう義務ぎむ、すなわち「安全あんぜんやぶ事故じここした場合ばあいには補償ほしょうする」義務ぎむ発生はっせいする。これが負担ふたん責任せきにんである。

責任せきにん負担ふたん責任せきにんふくまれることは、予防よぼう責務せきむ責任せきにん担保たんぽ)としての役割やくわりになっている[14]たとえば「くるま運転うんてん過失かしつ致死ちしこすと実刑じっけい5ねん」という負担ふたん責任せきにん明示めいじされている状況じょうきょうでは、ない状況じょうきょう比較ひかくして安全あんぜん運転うんてんするすなわち責務せきむ責任せきにん遂行すいこうするインセンティブがはたらく。

行為こういしゃ負担ふたん責任せきにんしゃかならずしも一致いっちしない[15]たとえば国家こっかあいだ戦争せんそう賠償ばいしょうかんして、行為こういしゃ当時とうじ軍人ぐんじん国民こくみんだが負担ふたん責任せきにんうのは戦後せんごまれの国民こくみんであるケースがげられる。非合理ひごうりてき理不尽りふじん負担ふたん責任せきにん転嫁てんかは「トカゲのしっぽ」「責任せきにん転嫁てんか」と俗称ぞくしょうされる。

責任せきにんは、英語えいごでは responsibility、フランス語ふらんすごではresponsabilitéというが、今道いまみち友信とものぶ(1956)によれば、これに相当そうとうするギリシャ単語たんごはなく、responsibilitasなる古典こてんラテン語らてんご中世ちゅうせいラテン語らてんごもない。英語えいごえば、responsibility の文献ぶんけん初出しょしゅつ1780年代ねんだいである[よう出典しゅってん]

そして、マッキーオンによれば、ジョン・スチュアート・ミル書物しょもつにあり、しかしミルの造語ぞうごでないという。

ミルにおける「責任せきにん」は、ほとんどpunishabilityというかたりによって表現ひょうげんされている。また、ドイツのVerantwortung、Verantwortlichkeitは、19世紀せいき造語ぞうごされたのであり、その語義ごぎはZurechnungにすぎなかった。

responsibilitasやresponsibilityという語形ごけいそのものの存在そんざい有無うむ上記じょうきのような状況じょうきょうであるが、語形ごけいはともかくとして概念がいねん歴史れきしとして説明せつめいがなされる場合ばあい通常つうじょうはかなりふる時代じだいにまでさかのぼる。

アウグスティヌスは、人間にんげん自由じゆうであるからこそあくをなすことが可能かのうなのであり、またそのあくたいして責任せきにんつことも可能かのうとなる、とした。

マックス・ヴェーバーは『職業しょくぎょうとしての政治せいじ』において、責任せきにん心情しんじょう倫理りんり責任せきにん倫理りんり対比たいひさせてろんじた。

日本にっぽんにおける「責任せきにん」の様々さまざま用法ようほう

編集へんしゅう

従来じゅうらいより、日本にっぽん社会しゃかいにおいては「責任せきにん」という概念がいねんかたりがよく理解りかいされておらず、本来ほんらいのresponsibilityという意味いみとはかなりはなれてしまって[よう出典しゅってん]義務ぎむというかたり概念がいねん混同こんどうしてしまったり、義務ぎむ違反いはんした場合ばあいばっう、という意味いみ誤用ごようしてしまうひとおおい。あるいは、もっぱらリスク負担ふたんすることにのみ短絡たんらくさせている場合ばあいもある(部分ぶぶんてきにはかさなるが、同一どういつではない概念がいねんである)。

政治せいじてき場面ばめん

編集へんしゅう

日本にっぽんにおいては、政治せいじてき場面ばめんで、なんらかのわる結果けっか発生はっせいした場合ばあい責任せきにんしゃしょく地位ちい立場たちばなどを辞任じにんすることなどによって “責任せきにんをとった”とすることがしばしばある。

責任せきにん無理矢理むりやりとらせることを「ばららせる」というが、これは、歴史れきしてきにみて切腹せっぷく不祥事ふしょうじへの責任せきにんをとるいち手段しゅだんであったことに由来ゆらいする語法ごほうである。現代げんだいでは、切腹せっぷく相当そうとうする行為こうい典型てんけい辞職じしょく辞任じにんであるが、ただめるだけで、問題もんだい行為こういにいたった経緯けいいなどを関係かんけいしゃなどにしっかり説明せつめいしないと、「責任せきにんたしていない」と批判ひはんされる傾向けいこうもある。

他方たほう、(あるひと本人ほんにんや、あるひと監督かんとく責任せきにんうべき周辺しゅうへん人物じんぶつが)なんらかの問題もんだい発生はっせいさせてしまった場合ばあいでも、自分じぶん現状げんじょうしょく地位ちいさず維持いじすること(本人ほんにんなりに問題もんだい解決かいけつしてゆこうとする意志いしがあること)を、“責任せきにんたす” と表現ひょうげんすることもある[16][17]

政治せいじてき責任せきにん

編集へんしゅう
独裁どくさい国家こっか場合ばあい

たとえばある独裁どくさい国家こっかにおいて、独裁どくさいしゃ政治せいじてき権力けんりょくいちにぎっていて、その独裁どくさいしゃしつひく政策せいさく選択せんたく実施じっしして、その結果けっかおおくのみんぬような事態じたいになった場合ばあいは、その独裁どくさいしゃ政治せいじてき責任せきにんがある。

民主みんしゅ主義しゅぎ国家こっか場合ばあい

民主みんしゅ主義しゅぎこくにおいては、政治せいじてき責任せきにんなに段階だんかいかにけてろんぜられる。

たとえば、選挙せんきょによって議員ぎいんえらばれた議会ぎかいがあり、選挙せんきょ大統領だいとうりょうえらばれるくにでは、政治せいじてき責任せきにん直接的ちょくせつてきには大統領だいとうりょうう。基本きほんてきには、大統領だいとうりょう政策せいさくえらぶことができるからである。大統領だいとうりょう政策せいさく判断はんだん重大じゅうだい過誤かごがあった場合ばあい大統領だいとうりょうが「大統領だいとうりょうとして、ぜん国民こくみんのために、適切てきせつ判断はんだんおこなう」という責任せきにんたしていない、ということになり、その大統領だいとうりょうは、大統領だいとうりょうとしての責任せきにんたしていない、ということになる。 大統領だいとうりょうが、大統領だいとうりょうとしての責任せきにんたしていない場合ばあいなにきるか、ということは、くにによってことなる。大抵たいていくにでは、国民こくみんから「大統領だいとうりょうとしての責任せきにんたしていない」と非難ひなんされ、支持しじりつがる。 大抵たいていくにでは、大統領だいとうりょう責任せきにんをとって任期にんき中途ちゅうとめる、ということは滅多めったきない。一般いっぱんてきなのは、任期にんきむかえたとき、つまりふたたび(つぎの)大統領だいとうりょう選挙せんきょおこなわれるときに(たとえ再度さいど大統領だいとうりょう選挙せんきょ出馬しゅつばしても)国民こくみんからひょうれてもらえず、(つぎの)選挙せんきょける、という結果けっかになる。なお、おおくのくに法的ほうてきには大統領だいとうりょう罷免ひめん手続てつづきが(一応いちおうさだめられているものだが、実際じっさいにはそれをおこなうには様々さまざま条件じょうけんがあり、実際じっさいおこなうことは相当そうとう困難こんなんくにおおく、(たとえ、ある大統領だいとうりょうにかなり問題もんだいがある場合ばあいでも)実際じっさい大統領だいとうりょう罷免ひめんおこなわれた、というくにはかなりすくない。ただし、韓国かんこく大統領だいとうりょう任期にんき満了まんりょうに、検察けんさつによって逮捕たいほ起訴きそされ、大統領だいとうりょうとしての任期にんきちゅうっていた数々かずかず不法ふほう行為こういあばかれ、投獄とうごくされる、ということがなんおこなわれている[よう出典しゅってん]

選挙せんきょ正常せいじょう機能きのうしている民主みんしゅ主義しゅぎこくにおいては、もしもしき為政者いせいしゃによって、任期にんきふくすうかいまたいで継続けいぞくてき悪政あくせいおこなわれつづける場合ばあいなどは、(もちろん直接的ちょくせつてきには、ひとりひとりの為政者いせいしゃ直接的ちょくせつてき政治せいじてき責任せきにんがあることはうまでもないが)そのような、しつひく為政者いせいしゃえらつづけてしまう国民こくみんがわにも責任せきにんがある、ということになる。国民こくみん直接的ちょくせつてき大統領だいとうりょうえら制度せいどであれ、国民こくみん直接的ちょくせつてきには国会こっかい議員ぎいんえらびその議員ぎいん首相しゅしょうえら制度せいどであれ、つまり直接的ちょくせつてきであれ間接かんせつてきであれ、しつひく為政者いせいしゃえらんでしまっているのは国民こくみんであるからである。したがって、選挙せんきょがあるくににおいては、ひとりひとりの国民こくみんが、議員ぎいんとして適切てきせつ判断はんだんができる人物じんぶつえらびその人物じんぶつ投票とうひょうする責任せきにんがあり、また大統領だいとうりょうとして適切てきせつ判断はんだんができる人物じんぶつえら投票とうひょうする責任せきにんがある。ひとりひとりの国民こくみんが、(自分じぶんひとりの個人こじんてきな、目先めさき利益りえきだけをかんがえるのではなく)すべての国民こくみん幸福こうふくぜん世界せかい人々ひとびと幸福こうふく念頭ねんとうにおいて、(議員ぎいんなり、大統領だいとうりょうとして)最良さいりょう人物じんぶつ見極みきわめて、その人物じんぶつ投票とうひょうする責任せきにんっているのである。

たとえば、だい世界せかい大戦たいせんちゅうアドルフ・ヒトラーがとった政策せいさくについての責任せきにんは、直接的ちょくせつてきにはアドルフ・ヒトラーがっている。だが、あのヒトラーに権力けんりょくにぎらせてしまった責任せきにんは、当時とうじのドイツ国民こくみんにもある。 だいいち世界せかい大戦たいせん、(当時とうじ、すぐれて民主みんしゅてき憲法けんぽうであった)ヴァイマル憲法けんぽうしたのドイツにおいて、ドイツ国民こくみんがドイツ労働ろうどうしゃとうナチスとう)に投票とうひょうし、どうとう強大きょうだい権力けんりょくたせてしまった結果けっかアドルフ・ヒトラー首相しゅしょうにもなり、国家こっか元首げんしゅ総統そうとう)にもなり、人類じんるい史上しじょうのこ悪行あくぎょうおこな結果けっかんでしまったのである。もしも当時とうじのドイツ国民こくみんが、国民こくみん感情かんじょうあおるような言葉ことば危険きけんだと見抜みぬき、ナチスとう投票とうひょうしなければ、ナチスとう権力けんりょくにぎることもなく、ヒトラーが国家こっか元首げんしゅ総統そうとう)になることもなく、あのような人類じんるいのこ悲惨ひさん出来事できごと人類じんるい経験けいけんせずにんだわけである。その意味いみで、だい世界せかい大戦たいせんにドイツがこした数々かずかず人道的じんどうてき行為こうい政策せいさく政治せいじてき責任せきにんは、アドルフ・ヒトラーにもあり、ナチス党員とういんらにもあり、ナチスに投票とうひょうした当時とうじのドイツ国民こくみんにもある。だい世界せかい大戦たいせん、ドイツ国内こくないでは、「一体いったいなにわるかったのか?」という議論ぎろんおこなわれるようになった。だい世界せかい大戦たいせんちゅうホロコーストおこなわれていたことをっていたドイツじんもいたが、それをらなかったドイツじんもいた。ヒトラーの責任せきにん当然とうぜん追及ついきゅうされたが、同時どうじに、ホロコーストがおこなわれていたことをらなかったドイツじんにも、たとえ当時とうじらなかったとしても、やはりヒトラーをえらんでしまった責任せきにんはある、ということに気付きづいたドイツじんおおかった。そのような人道的じんどうてきなことを(たとえ国民こくみんかくかたちであれ)おこなうようなヒトラーをえらんでしまった自分じぶんたちドイツじんひとりひとりもめられるべきだ、せっかく民主みんしゅ主義しゅぎてき制度せいどがあったのにもかかわらず(ヒトラーの言説げんせつにまんまとだまされて)ナチスとう投票とうひょうして全体ぜんたい主義しゅぎてき体制たいせいえらびとってしまった責任せきにんはドイツ国民こくみんにある、まっとうな政治せいじえらぶべき責任せきにんはひとりひとりのドイツじんにあったのだ、と戦後せんごになってづくドイツじんおおかったのである。その結果けっか現在げんざいでもドイツでは、(小学校しょうがっこう中学校ちゅうがっこう高校こうこうの)社会しゃかい授業じゅぎょうなどで、選挙せんきょ議員ぎいん政治せいじえらときのひとりひとりの国民こくみん責任せきにんについてもディスカッションが教室きょうしつおこなわれ、ひとりひとりに自覚じかくまれるような機会きかい義務ぎむ教育きょういくにもうけられており、ドイツでヒトラーのような為政者いせいしゃ二度にど登場とうじょうしないように努力どりょくかさねられている。この努力どりょくのち世界せかいにもひろがった。たとえば、日本にっぽんではあまりられていないが、世界せかいてきにナチスの制服せいふく服装ふくそうナチスしき敬礼けいれい厳格げんかく禁止きんしされており、とくにヨーロッパではナチスしき軍服ぐんぷくたり、右手みぎてじょうげること禁止きんしされているくにがあり、もし他者たしゃ発見はっけんされた場合ばあいつみわれる可能かのうせいがある。日本にっぽん例外れいがいではなく、選手せんしゅ宣誓せんせいや、発言はつげんさい挙手きょしゅや、アイドル衣装いしょうけも、海外かいがい諸国しょこく(あるいは海外かいがい出身しゅっしんしゃ)からナチス関連付かんれんづけてつよ批判ひはんされることがある[18][19]

戦争せんそう責任せきにんについては、当該とうがい項目こうもく参照さんしょう

社会しゃかいてき責任せきにん

編集へんしゅう

社会しゃかいおこなわれた行為こういについてしょうじる責任せきにんとくに、責任せきにん能力のうりょくうしなわれていたひとのぞき、有害ゆうがい行為こういおこなったひと責任せきにんである。社会しゃかいてき責任せきにん発生はっせいについて、行為こういしゃ意図いと感情かんじょう無知むち関係かんけいがない[よう出典しゅってん]

結果けっか責任せきにん

編集へんしゅう

結果けっか責任せきにん(けっかせきにん)とは、ある行為こういによって発生はっせいする結果けっかたいする責任せきにんのことである。原則げんそくとしてすべての行為こういにおいて結果けっか責任せきにん発生はっせいするが、ある行為こういおこなったもの責任せきにん負担ふたんするものつね一致いっちするわけではない。

たとえば、選挙せんきょにおいて投票とうひょうした行為こうい棄権きけんした行為こうい、それぞれの選択せんたく行為こういによって発生はっせいした結果けっかたいする責任せきにん発生はっせいし、あとは各人かくじん責任せきにんをどのように分配ぶんぱいするかの問題もんだいとなる。法的ほうてき責任せきにんにおいては過失かしつ責任せきにん主義しゅぎ原則げんそくであるので、よりひろ範囲はんい結果けっか責任せきにんはしばしば道義どうぎてき責任せきにんにとどまることもおおいが、無過失責任むかしつせきにんのように法的ほうてき規定きていされる場合ばあいもある。

結果けっか責任せきにん現代げんだい社会しゃかい基本きほん原則げんそくで、社会しゃかい参加さんかする場合ばあい実害じつがいしょうじないように注意ちゅういはら義務ぎむがある。実害じつがい発生はっせいした場合ばあいにはかならだれかが責任せきにんうことになり、「悪気わるぎがなかった」、「らなかった」、「づかなかった」、と理由りゆう責任せきにんまぬかれること出来できない(たとえば、公共こうきょう無自覚むじかく他人たにん迷惑めいわくけても謝罪しゃざい要求ようきゅうされる)。理由りゆうとしては、実害じつがい発生はっせい未然みぜん防止ぼうししたり、発生はっせいした実害じつがいたいしてだれかが対応たいおうしなければ、社会しゃかい機能きのうそこなうからである。社会しゃかい実害じつがいあたえないようにするために、最低さいてい限度げんどとしてなにかをおこなさいには、関連かんれんする分野ぶんや道徳どうとくモラルマナー法律ほうりつ条例じょうれいなどの規範きはん事前じぜん調しらべて理解りかいしておくか、自身じしんのみでは判断はんだんできない場合ばあい関連かんれんする分野ぶんや有識者ゆうしきしゃ弁護士べんごしなどに事前じぜん相談そうだんするなどして、規範きはん違反いはんしないようにする必要ひつようがある。

故意こい実害じつがい発生はっせいさせたもの当然とうぜんのこととして、自身じしん行為こうい結果けっかたいする想像そうぞうりょく欠如けつじょしているもの実害じつがい原因げんいんとなった場合ばあいには加害かがいしゃになるため、民事みんじ訴訟そしょうこされて多額たがく賠償金ばいしょうきん要求ようきゅうされたり、刑事けいじ訴訟そしょうこされて刑罰けいばつされることもありる。さらに、勤務きんむさきからの懲戒ちょうかい処分しょぶん実名じつめい報道ほうどうによる世間せけん一般いっぱんへの犯罪はんざいしゃとしての周知しゅうち社会しゃかいとのつながりが断絶だんぜつされた結果けっか一家いっか離散りさん、といった社会しゃかいてき制裁せいさい別途べっとおこなわれ、加害かがいしゃ人生じんせいげてきた様々さまざまなものが一瞬いっしゅんになる可能かのうせいもある。たとえば、無自覚むじかく行為こうい結果けっかであっても、他人たにん物理ぶつりてききずつければ過失かしつ傷害しょうがいざいわれ、勤務きんむさき会社かいしゃにおいても懲戒ちょうかい処分しょぶんおこなわれる可能かのうせいたかく、加害かがいしゃ家族かぞく近親きんしんしゃとしての責任せきにんわれて経済けいざいてき社会しゃかいてき制裁せいさいけ、生活せいかつおおきな打撃だげきけることになる。したがって、何人なんにんたりとも普段ふだんから様々さまざま状況じょうきょうたいして想像そうぞうりょくはたらかせて生活せいかつおこな必要ひつようがある。

自己じこ責任せきにん

編集へんしゅう

自己じこ責任せきにん(じこせきにん)という概念がいねんは、多岐たきにわたるレトリックとなっている。反対はんたい意味いみかたりとして「連帯れんたい責任せきにん」がある。

だいいちに、「自己じこ危険きけんにおいてしたことについては、他人たにんたより、他人たにんをあてにするのでなく、なによりもまず自分じぶん責任せきにん[20]」という意味いみがある。「おたがいに他人たにん問題もんだいらない」という大義名分たいぎめいぶんによるものである。アメリカ社会しゃかいにおける名目めいもくじょう国家こっかかん立脚りっきゃくした行政ぎょうせい改革かいかく司法しほう改革かいかくによる事後じご監視かんし事後じご救済きゅうさい社会しゃかいにおける基本きほん原則げんそくひとつである。もっとも、この原則げんそく十分じゅうぶん情報じょうほう判断はんだん能力のうりょく維持いじする環境かんきょうがない場合ばあいには妥当だとうしない。

だいに、「個人こじん自己じこ過失かしつある行為こういについてのみ責任せきにん」という意味いみがある。個人こじん他人たにん行為こういたいして責任せきにんうことはなく、自己じこ行為こういについてのみ責任せきにんうという近代きんだいほう原則げんそくのことである。

だいさんに、「個人こじん自己じこ選択せんたくしたすべての行為こういたいして、発生はっせいする責任せきにん」という意味いみがある。なんらかの理由りゆうによりひと判断はんだん能力のうりょくうしなっていたり、行為こうい制限せいげん強制きょうせいされている場合ばあいは、本人ほんにん選択せんたくとは断定だんていできないため、このかぎりではない。

なお、「証券しょうけん取引とりひきによる損失そんしつは、たとえ予期よきできないものであってもすべ投資とうししゃ負担ふたんする」といわれることがあるが、これは、上述じょうじゅつだいいちあるいはだいさん意味いみ責任せきにんが、証券しょうけん取引とりひき分野ぶんや発現はつげんしたものととらえられよう。証券しょうけん取引とりひきはもともとリスクのたかいものであるから、たとえ予期よきできない事情じじょうにより損害そんがい発生はっせいしたとしても、投資とうししゃ損失そんしつ負担ふたんしなければならないということである。(参照さんしょう投資とうし自己じこ責任せきにん原則げんそく損失そんしつ補填ほてん禁止きんし)

さまざまなれい

編集へんしゅう

たとえば、「内容ないよう正確せいかくせい担保たんぽされていないウィキペディア各自かくじ判断はんだん参加さんかすることによってしょうじた損害そんがいは、すべ自己じこ責任せきにんされる」というようにもちいられる。この言葉ことばには英語えいごのOwn riskの直訳ちょくやくてき意味いみふくまれており、契約けいやくなどにおける免責めんせき事項じこう根拠こんきょとしてひろもちいられている。ただ、たとえばまど施錠せじょうわすれてやしきない所持しょじひん窃盗せっとうにあったケースにおいては、「窃盗せっとうはんによって所持しょじひん滅失めっしつ毀損きそん消費しょうひされ、もど不能ふのうになる危険きけん発生はっせいすること」が自己じこ責任せきにん内容ないようであり、自己じこ責任せきにん理由りゆうにして、警察官けいさつかん職務しょくむ怠慢たいまん正当せいとうされたり、捜査そうさ費用ひよう被害ひがいしゃ負担ふたんさせられるわけではなく、また窃盗せっとうはん刑罰けいばつ軽減けいげんされたり、所有しょゆうけん国家こっかにより没収ぼっしゅうされるわけではない。また司法しほう手続てつづきによらない自力じりき救済きゅうさいえい:self-help)は、司法しほう手続てつづき確立かくりつした現在げんざい社会しゃかいにおいては急迫きゅうはく場合ばあいのぞいて原則げんそくとして禁止きんしされる[21]

経済けいざいがくでは、外部がいぶせい問題もんだいがある。たとえば企業きぎょう大気たいき汚染おせんすることをまけ外部がいぶせいぶ。これにたいし、たとえば浄化じょうか設備せつび設置せっちした政府せいふ大気たいき汚染おせんした企業きぎょうからぜいった場合ばあい、これを内部ないぶ(自己じこ責任せきにん)という。ほかにはリスクインセンティブのトレードオフがかれる。たとえば保険ほけん会社かいしゃすべてのリスクを負担ふたんすると仮定かていした場合ばあい契約けいやくしゃ危険きけん回避かいひする意欲いよく完全かんぜん喪失そうしつするものとかんがえられる。これをモラルハザードという。

自己じこ責任せきにん」は本来ほんらい他者たしゃたいする責任せきにん転嫁てんかいましめる言葉ことばであるが、他者たしゃたいして責任せきにんうべきもの責任せきにん回避かいひだけでなく、本来ほんらい責任せきにんしゃ責任せきにんしゃ救済きゅうさいすることを拒否きょひしたうえ嘲笑ちょうしょうする口実こうじつ利用りようされる実態じったいさえある(たとえば前述ぜんじゅつれいでは警官けいかん職務しょくむ怠慢たいまん正当せいとうされるわけではない)。このポジショントークてき自己じこ責任せきにんろん2000ねん以降いこう日本にっぽんしん自由じゆう主義しゅぎたかまりとともひろ浸透しんとうし、たすいのコミュニティを破壊はかいしたことで、格差かくさ拡大かくだい助長じょちょうした[22][23]。そして、社会しゃかいから弱者じゃくしゃはなそうとした結果けっか無敵むてきひとばれる幼稚ようちなインターネットスラングをし、社会しゃかいへの報復ほうふくといった動機どうきでの拡大かくだい自殺じさつこしている[24]。こうした「自己じこ責任せきにん」は優生ゆうせい思想しそうとも関連かんれんがある[25]自己じこ責任せきにんろんたいするカウンターカルチャーのようにして、とく格差かくさ社会しゃかいたいして『しんガチャ』という言葉ことば使つかものあらわれている[26]

無敵むてきひとというインターネットスラングの出現しゅつげんせめ思考しこうみちび最悪さいあく結果けっかである。したがって、きびしい現実げんじつではあるが、理不尽りふじん他者たしゃからの手助てだすけにもとぼしい現状げんじょう格差かくさ社会しゃかいでも活路かつろだすためには、本人ほんにんかれたわる状況じょうきょうたいして自助じじょ努力どりょくとして対応たいおうし、1つずつ問題もんだい解決かいけつする必要ひつようがある。

自己じこ責任せきにんろん」が問題もんだいされた事例じれい

編集へんしゅう

奥谷おくたに禮子あやこのように、格差かくさ社会しゃかい過労かろう肯定こうていする根拠こんきょもちいる経営けいえいしゃ存在そんざいする。貧困ひんこん格差かくさ労働ろうどうしゃ怠慢たいまん過労かろう労働ろうどうしゃ自己じこ管理かんり失敗しっぱいによる当人とうにん自己じこ責任せきにんであるとして、経営けいえいしゃがわ責任せきにん救済きゅうさい義務ぎむはないとする主張しゅちょうである。

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ たとえば、遠足えんそく生徒せいと引率いんそつしゃ引率いんそつ責任せきにんがあるもの)が生徒せいとたちを適切てきせつ引率いんそつし、遠足えんそく目的もくてきたし、かつ無事ぶじ生徒せいとらをいえ帰宅きたくさせれば「責任せきにんたした」ということになる。反対はんたいに、たとえば途中とちゅう事故じこなどにまれそうな事態じたいになったのに、事故じこ回避かいひするための反応はんのう行動こうどうをとらなかった場合ばあいは「(引率いんそつしゃは)責任せきにんたさなかった」と表現ひょうげんされる。また、その結果けっか引率いんそつしゃ解雇かいこされたり、賠償ばいしょうしたりする状態じょうたいなどにおちいった場合ばあいに「責任せきにんった」とう。

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ a b c d 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ』「責任せきにん
  2. ^ 緒方おがた あゆみ (ogata ayumi) - マイポータル - researchmap
  3. ^ 緒方おがた 2021, pp. 2537–2538.
  4. ^ a b 緒方おがた 2021, p. 2538.
  5. ^ 大辞泉だいじせん責任せきにんかん
  6. ^ 大辞泉だいじせん無責任むせきにん」。(なお、責任せきにんいことも「無責任むせきにん」とう。(出典しゅってん大辞泉だいじせん無責任むせきにん」)
  7. ^ 大辞泉だいじせん責任せきにん転嫁てんか
  8. ^ "「責務せきむ責任せきにん」とは、ひとがある立場たちば地位ちい役割やくわりめることによって発生はっせいするなんらかの責務せきむ意味いみする概念がいねんである" はちすせい. (2010). アカウンタビリティーの意味いみ : アカウンタビリティーの概念がいねん基本きほんてき構造こうぞう. 国際こくさい公共こうきょう政策せいさく研究けんきゅう. 14(2) pp.1-15.
  9. ^ "事前じぜん責任せきにんとは、「予防よぼう基底きていてき責任せきにん(prevention-based responsibility)」ともばれ、なにかがこったときに責任せきにんうのはだれかを事前じぜん指示しじする概念がいねんであり、事前じぜん責任せきにんものは、未然みぜんふせぐために予防よぼう措置そちをとることが期待きたいされている。" はちすせい. (2010). アカウンタビリティーの意味いみ : アカウンタビリティーの概念がいねん基本きほんてき構造こうぞう. 国際こくさい公共こうきょう政策せいさく研究けんきゅう. 14(2) pp.1-15.
  10. ^ "2系列けいれつ責任せきにん概念がいねんかんして … liability(負担ふたん責任せきにん)の概念がいねん採用さいようしている。" はちすせい. (2011). アカウンタビリティーと責任せきにん概念がいねん関係かんけい : 責任せきにん概念がいねん生成せいせい工場こうじょうとしてのアカウンタビリティーの概念がいねん. 国際こくさい公共こうきょう政策せいさく研究けんきゅう. 15(2) pp.1-17.
  11. ^ "責任せきにん概念がいねん大別たいべつして4つに分類ぶんるい負担ふたん責任せきにん(liability-responsibility)" はちすせい. (2010). アカウンタビリティーの意味いみ : アカウンタビリティーの概念がいねん基本きほんてき構造こうぞう. 国際こくさい公共こうきょう政策せいさく研究けんきゅう. 14(2) pp.1-15.
  12. ^ "法的ほうてき責任せきにん道徳どうとくてき責任せきにんし、刑罰けいばつさられる、損害そんがい賠償ばいしょうをすること、道徳どうとくてき非難ひなんけることなどを意味いみする。" はちすせい. (2010). アカウンタビリティーの意味いみ : アカウンタビリティーの概念がいねん基本きほんてき構造こうぞう. 国際こくさい公共こうきょう政策せいさく研究けんきゅう. 14(2) pp.1-15.
  13. ^ "「事後じご責任せきにん(post-event responsibility)」 にそれぞれ対応たいおうさせる見解けんかいがある … 事後じご責任せきにんは、「応答おうとう基底きていてき責任せきにん(response-based responsibility)」ともばれ、なにかの出来事できごとのち観念かんねんされる概念がいねん" はちすせい. (2010). アカウンタビリティーの意味いみ : アカウンタビリティーの概念がいねん基本きほんてき構造こうぞう. 国際こくさい公共こうきょう政策せいさく研究けんきゅう. 14(2) pp.1-15.
  14. ^ "事後じご責任せきにんたる負担ふたん責任せきにん執行しっこう度合どあいを直接的ちょくせつてきたかめるだけでなく、フィードバック効果こうかにより事前じぜん責任せきにんである責務せきむ責任せきにん執行しっこう度合どあいもたかめている" はちすせい. (2011). アカウンタビリティーと責任せきにん概念がいねん関係かんけい : 責任せきにん概念がいねん生成せいせい工場こうじょうとしてのアカウンタビリティーの概念がいねん. 国際こくさい公共こうきょう政策せいさく研究けんきゅう. 15(2) pp.1-17.
  15. ^ "負担ふたん責任せきにん同様どうよう転嫁てんか可能かのうせいつ" はちすせい. (2010). アカウンタビリティーの意味いみ : アカウンタビリティーの概念がいねん基本きほんてき構造こうぞう. 国際こくさい公共こうきょう政策せいさく研究けんきゅう. 14(2) pp.1-15.
  16. ^ 進退しんたいについては「知事ちじとしての責任せきにんたさなければならない」とべるにとどめた
  17. ^ 大林おおばやし検事けんじ総長そうちょう検察けんさつがあるべき姿すがたもどすことがわたし責任せきにん」とべ、げん段階だんかいでの辞任じにん否定ひていした
  18. ^ 運動会うんどうかい選手せんしゅ宣誓せんせいのポーズ、「ナチスを想起そうきさせる」? ドイツ出身しゅっしんタレントの指摘してき議論ぎろんひろがる (2017ねん6がつ21にち)”. エキサイトニュース. 2020ねん11月3にち閲覧えつらん
  19. ^ けやきざか46「ナチスふう衣装いしょう」の世界せかいてき炎上えんじょう、いったいなに問題もんだいなのか?(辻田つじた しんけん) @gendai_biz”. 現代げんだいビジネス. 2020ねん11月3にち閲覧えつらん
  20. ^ 藤田ふじたちゅうやすし自己じこ責任せきにん」の社会しゃかい行政ぎょうせいほう
  21. ^ たとえば、有料ゆうりょう駐輪場ちゅうりんじょうでロックがからないようにして料金りょうきん発生はっせいしない状態じょうたいにしてある自転車じてんしゃのロックを自己じこ判断はんだんけたり、ぬすまれた自転車じてんしゃ自己じこ判断はんだんもどしたりする行為こういう。通行つうこうさまたげとなる自転車じてんしゃ自己じこ判断はんだん移動いどうさせる場合ばあい自力じりき救済きゅうさいである。
  22. ^ 自己じこ責任せきにんろん」をあおると、じつは「経済けいざい成長せいちょう」がむずかしくなるってってましたか?(現代げんだいビジネス)”. Yahoo!ニュース. 2021ねん4がつ5にち閲覧えつらん
  23. ^ 防災ぼうさい対策たいさくまで自己じこ責任せきにんろんかたむ日本人にっぽんじん言行げんこう不一致ふいっち 東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい10ねんおもう、防災ぼうさい自己じこ責任せきにんではなくくに義務ぎむ | JBpress(Japan Business Press)”. JBpress(日本にっぽんビジネスプレス). 2021ねん4がつ5にち閲覧えつらん
  24. ^ 週刊文春しゅうかんぶんしゅんデジタル」編集へんしゅう. “ぼくとお計画けいかくしたことがある」なぜ“普通ふつう”はモンスターにそだってしまったのか?”. 文春ぶんしゅんオンライン. 2022ねん2がつ17にち閲覧えつらん
  25. ^ 差別さべつゆるさないが、優生ゆうせい思想しそう見逃みのがす」リベラル社会しゃかい矛盾むじゅん御田みたてら けい) @gendai_biz”. 現代げんだいビジネス. 2022ねん4がつ29にち閲覧えつらん
  26. ^ 金持かねもちにはわからない「おやガチャ」のかなしさ残酷ざんこく”. 東洋とうよう経済けいざいオンライン (2021ねん12月28にち). 2022ねん11月9にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • 緒方おがた, あゆみつみおかしたパーソナリティ障害しょうがいゆうするもの刑事けいじ責任せきにん能力のうりょく判断はんだんとその処遇しょぐう」『同志社どうししゃ法學ほうがくだい72かんだい7ごう同志社どうししゃほう學會がっかい、2021ねん、2529-2574ぺーじ 

関連かんれん書籍しょせき

編集へんしゅう
だいいちしょうで、イラク日本人にっぽんじん人質ひとじち事件じけんにおける自己じこ責任せきにんろんについて考察こうさつしている。
  • 佐伯さえきあきらおもえ自由じゆうとはなにか-「自己じこ責任せきにんろん」から「理由りゆうなき殺人さつじん」まで』 講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ 講談社こうだんしゃ ISBN 4061497499
  • 佐藤さとう真紀まき伊藤いとう和子かずこ『イラク「人質ひとじち事件じけん自己じこ責任せきにんろんわたしたちはこううごいた・こうかんがえる』 大月書店おおつきしょてん ISBN 4272210807

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう

外部がいぶリンク

編集へんしゅう
  • Responsibility 英語えいご - インターネット哲学てつがく百科ひゃっか事典じてん責任せきにん」の項目こうもく
  • 金田かねだ平一郎へいいちろう明治めいじ前半ぜんはん民事みんじ責任せきにんほう」『法政ほうせい研究けんきゅうだい17かんだい1/4ごう九州大学きゅうしゅうだいがく法政ほうせい学会がっかい、1950ねん3がつ、137-161ぺーじdoi:10.15017/1239hdl:2324/1239NAID 110006262969