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野川 (東京都) - Wikipedia

野川のがわ (東京とうきょう)

東京とうきょうかわ

野川のがわ(のがわ)は、東京とうきょうながれる多摩川たまがわ水系すいけい多摩川たまがわ支流しりゅう一級いっきゅう河川かせんである。国分寺こくぶんじ東部とうぶ日立製作所ひたちせいさくしょ中央ちゅうおう研究所けんきゅうじょ敷地しきちない水源すいげんとし、世田谷せたがや南部なんぶ二子ふたご玉川たまがわ多摩川たまがわ合流ごうりゅうする。全長ぜんちょう20.5km。中流ちゅうりゅうしも流域りゅういき多摩川たまがわ左岸さがんでは最大さいだい支流しりゅうである。

野川のがわ
野川
ひがしはち道路どうろ富士見ふじみ大橋おおはし三鷹みたか
水系すいけい 一級いっきゅう水系すいけい 多摩川たまがわ
種別しゅべつ 一級いっきゅう河川かせん
延長えんちょう 20.5 km
平均へいきん流量りゅうりょう 0.2 m³/s
流域りゅういき面積めんせき 43.9 km²
水源すいげん 日立製作所ひたちせいさくしょ中央ちゅうおう研究所けんきゅうじょない
東京とうきょう国分寺こくぶんじ
水源すいげん標高ひょうこう -- m
河口かこう合流ごうりゅうさき 多摩川たまがわ
東京とうきょう世田谷せたがや
流域りゅういき 東京とうきょう
支流しりゅうふくめた流域りゅういき面積めんせきは67.5km2
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国分寺こくぶんじひがし恋ヶ窪こいがくぼいち丁目ちょうめ日立製作所ひたちせいさくしょ中央ちゅうおう研究所けんきゅうじょ敷地しきちない湧水わきみずみなもととされ、近接きんせつする市道しどう休憩きゅうけいしょには案内あんないばん設置せっちされている。とし2かい一般いっぱん公開こうかい地元じもと小学校しょうがっこう見学けんがくなどがおこなわれている。南下なんかして西武せいぶ国分寺線こくぶんじせんJR中央ちゅうおう本線ほんせん盛土もりつちけ、住宅じゅうたくけてひがしきをえ、国分寺こくぶんじ街道かいどう不動ふどうきょう姿すがたいけ湧水わきみずぐんからのみずわせる。 くら尾根おねきょうで、東京経済大学とうきょうけいざいだいがく国分寺こくぶんじキャンパスの新次郎しんじろうからの湧水わきみず合流ごうりゅうするとともに国分寺こくぶんじから小金井こがねいはいり、河川かせん管理かんり境界きょうかい東京とうきょう北多摩きたたま南部なんぶ建設けんせつ事務所じむしょへとうつる。

以降いこう多摩川たまがわとの合流ごうりゅうてんまで河川かせんみどりどう整備せいびされ、さらに多摩たま地区ちくないかわどう河川敷かせんしき親水しんすいエリアとして整備せいびされている。小金井こがねいはいり、武蔵野むさしの公園こうえんにさしかかるあたりから南東なんとうながれ、西武せいぶ多摩川線たまがわせん交差こうさし、野川のがわ公園こうえんはいる。小金井こがねい調布ちょうふあいだなんってその三鷹みたかながれ、ふたた調布ちょうふはいる。

京王線けいおうせん交差こうさし、調布ちょうふ狛江こまえさかいなんい、調布ちょうふ入間いるままち付近ふきん支流しりゅう入間川いりまがわわせる。世田谷せたがやはいり、神明しんめいもりみつからの湧水わきみずわせて、小田急おだきゅう小田原おだわらせんをくぐり、東名高速道路とうめいこうそくどうろ交差こうさする。世田谷せたがや鎌田かまたきたからなが仙川せんがわわせ、多摩川たまがわならんで二子ふたご玉川たまがわ国道こくどう246ごうしんきょう二子ふたごきょうをくぐり、東急とうきゅう田園都市線でんえんとしせん東急とうきゅう大井おおいまちせん二子ふたご玉川たまがわえきのホーム右岸うがんが、世田谷せたがや玉川たまがわいち丁目ちょうめ付近ふきん左岸さがん多摩川たまがわ合流ごうりゅうする。

野川のがわは、南岸なんがん平坦へいたん北岸ほくがん急斜面きゅうしゃめんとなっていて、りょうきしたかさがちが[1]きたがけは、武蔵野むさしの段丘だんきゅうめん多摩川たまがわけずりこんでつくった国分寺こくぶんじがけせんである[2]。「ハケ」とばれるがけ斜面しゃめんからはかつてにくらべれば大幅おおはば減少げんしょうしているものの、深大寺じんだいじから成城せいじょうみつにかけておおくの清水しみずき、都内とないでもめずらしい自然しぜんのこっている。

先史せんし時代じだい

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野川のがわながれる立川たちかわ段丘だんきゅうめんは、2まん~3まんねんまえ更新こうしん多摩川たまがわながれてつくった河岸かわぎし段丘だんきゅうである。その時代じだい多摩川たまがわは、立川たちかわ段丘だんきゅうめんつぶてのこしながら、武蔵野むさしの段丘だんきゅうよこからけずっていた。多摩川たまがわ本流ほんりゅうながれえたのちに、国分寺こくぶんじがけせん湧水わきみずあつめ、多摩川たまがわきゅうかわどうながれたしょう河川かせんが、野川のがわである。野川のがわには多摩川たまがわはこんでのこしたつぶてそう立川たちかわつぶてそう)をけずるほどの流量りゅうりょうがなく、つぶてそう川底かわぞこにしてあさたにつくった。野川のがわ上流じょうりゅう北側きたがわには旧石器時代きゅうせっきじだい遺跡いせきがある[3]

また、野川のがわ流域りゅういきには横穴よこあなつかっている[4]かわ沿いには弥生やよい時代じだいから水田すいでんひらかれ、奈良なら時代じだいには上流じょうりゅう武蔵むさし国分寺こくぶんじつくられた[5]

六郷ろくごう用水ようすい開削かいさくによるりゅう変更へんこう

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かつての野川のがわは、小金こがねきょう調布ちょうふ狛江こまえさかい調布ちょうふ市立しりつ調和ちょうわ小学校しょうがっこう南東なんとう)あたりから野川のがわ緑地公園りょくちこうえんちかりゅう現在げんざい狛江こまえ中心ちゅうしんながれ、そのままみなみなが岩戸いわとがわ現在げんざい岩戸いわとがわ緑地公園りょくちこうえんおよ町田まちだがわ接続せつぞくし、宇奈根うなね付近ふきん多摩川たまがわそそいでいた。

1597ねん慶長けいちょう2ねん)から15ねんかけて六郷ろくごう用水ようすいつぎ大夫たいふほり)が開削かいさくされた。これにともな世田谷せたがやどおしんいちはし付近ふきん六郷ろくごうりょう用水ようすい合流ごうりゅうながれをひがしえ、世田谷せたがやどおりと滝下たきしたきょうみどりどうなが入間川いりまがわ合流ごうりゅうするようになった。つぎ太夫たゆうほり公園こうえんながれたのち用水ようすいから分流ぶんりゅう現在げんざい野川のがわ下流かりゅうちかりゅうとおっていた。

昭和しょうわりゅう変更へんこう

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1967ねん昭和しょうわ42ねん)になって六郷ろくごう用水ようすいかわりゅううしなわない範囲はんいだい部分ぶぶんめられ(一部いちぶ野川のがわ緑地公園りょくちこうえん滝下たきしたきょうみどりどう整備せいび)、野川のがわりゅうひがしらせる改修かいしゅうおこなわれた。野川のがわ狛江こまえ市街しがいはいらずに調布ちょうふ狛江こまえさかい付近ふきんあらたに開削かいさくされた[6]。それより下流かりゅう野川のがわ入間川いりまがわとの合流ごうりゅうてんつくり、さらにすこ下流かりゅうのきたみふれあい広場ひろば小田急電鉄おだきゅうでんてつ喜多見きたみ車両しゃりょう基地きち付近ふきんではきゅう入間川いるまがわよりすうひゃくメートルほどひがし野川のがわ開削かいさくされ(西側にしがわ従前じゅうぜん入間川いりまがわめられた。狛江こまえハイタウンまえからきたみふれあい広場ひろばまでは道路どうろおよ遊歩道ゆうほどうになっている)、さらに下流かりゅうでもつぎ大夫たいふほり開削かいさく以前いぜん入間川いりまがわちかりゅうがとられた。また、この開削かいさくしたかわぜん区間くかん野川のがわしょうした。

都内とないにしては湧水わきみずによる水量すいりょう豊富ほうふ河川かせんであったが、戦後せんごから高度こうど経済けいざい成長せいちょう1980年代ねんだい前半ぜんはんまでは、周辺しゅうへん地域ちいき宅地たくち進行しんこうし、下水道げすいどう整備せいびであったため生活せいかつざつ排水はいすいながされるようになる。流水りゅうすい大半たいはんがそれらからなり、水底みなそこヘドロおおくされ悪臭あくしゅうはなドブがわとなってしまうが、平成へいせいはい周辺しゅうへん地域ちいき下水道げすいどう整備せいびがようやく完了かんりょうし、清流せいりゅうへの回復かいふく徐々じょじょすすはじめた。これにより各種かくしゅさかなるい水生すいせい昆虫こんちゅう、かわせみ、カメなどの生息せいそく回帰かいき確認かくにんされるようになった。

しかし、皮肉ひにくなことに汚水おすい減少げんしょうにともなって水量すいりょうそのものも減少げんしょうしてしまい、冬季とうきにはしばしばかわみずれるようになった。また、水量すいりょう減少げんしょうながれ湿原しつげんてき環境かんきょう所々ところどころつくし、アシ繁茂はんもあらたな生物せいぶつしょうしょうじさせてもいる[7]

このりゅう変更へんこうまえ野川のがわは、アメリカぐんによる1947ねん昭和しょうわ22ねん)3がつ〜1948ねん昭和しょうわ23ねん)3がつ撮影さつえい空中くうちゅう写真しゃしん[8]によって確認かくにんできる。

支流しりゅう

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流域りゅういき自治体じちたい

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東京とうきょう
国分寺こくぶんじ小金井こがねい調布ちょうふ三鷹みたか狛江こまえ世田谷せたがや

橋梁きょうりょう

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しん小金井こがねい街道かいどう貫井ぬくい大橋おおはし小金井こがねい
 
野川のがわをわたる西武せいぶ多摩川線たまがわせん二枚橋にまいばしがわ橋梁きょうりょう
 
いずみきょう三鷹みたか
 
東京とうきょう都道とどう110ごう府中ふちゅう三鷹みたかせん狩野かのきょう三鷹みたか
 
相曽あいそうらきょう三鷹みたか
 
歩行ほこうしゃ専用せんようきょう中耕地なかごうちきょう調布ちょうふ
 
調布ちょうふうち野川のがわえる京王けいおう電鉄でんてつ京王線けいおうせん国道こくどう20ごう馬橋まばしから下流かりゅううつす。
 
きゅう小金こがねきょう調布ちょうふ狛江こまえさかい)。2008ねん平成へいせい20ねん)に新橋しんばしえられた。
 
世田谷せたがやうち野川のがわえる小田急おだきゅう小田原おだわらせん
 
喜多見きたみ大橋おおはしから上流じょうりゅうのぞむ。手前てまえからじゅん中野田なかのだきょうかりおいきょう中之なかのきょうひだり大夫たいふほり公園こうえん
 
水道橋すいどうばしふるほう通行つうこう不可ふか下流かりゅう左岸さがんより、2023ねん3がつ
 
水道橋すいどうばしあたらしいかた下流かりゅう右岸うがんより、2023ねん4がつ
 
野川のがわ水道すいどうきょう世田谷せたがや)。2008ねん平成へいせい20ねん)にあらたにえられた。
 
二子ふたごきょう東急とうきゅう二子ふたご玉川たまがわえき世田谷せたがや)。兵庫ひょうごきょうより撮影さつえい手前てまえしがらみ兵庫ひょうごきょうのもの)。

国分寺こくぶんじ

小金井こがねい

三鷹みたか

調布ちょうふ

狛江こまえ

  • しょう足立あだちきょう(こあだちばし)
  • 谷戸たにときょう(やとばし)

世田谷せたがや

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん
  1. ^ 貝塚かいづか爽平「野川のがわ国分寺こくぶんじがけせん」91-92ぺーじ
  2. ^ 貝塚かいづか爽平「野川のがわ国分寺こくぶんじがけせん」94ぺーじ
  3. ^ 貝塚かいづか爽平「野川のがわ国分寺こくぶんじがけせん」94-95ぺーじ
  4. ^ 三鷹みたか教育きょういく委員いいんかい 教育きょういくセンター [リンク]
  5. ^ 貝塚かいづか爽平「野川のがわ国分寺こくぶんじがけせん」96ぺーじ
  6. ^ 1967ねん昭和しょうわ42ねん)1がつ放映ほうえいの『ウルトラマンだい27怪獣かいじゅう殿下でんかへん冒頭ぼうとう当時とうじ河岸かわぎし神代かみしろ団地だんち)がうつるが、水面すいめん高谷たかやきょうとどきそうなほど異常いじょうたかゆたかな水量すいりょうをたたえている。これはこの空中くうちゅう写真しゃしんのようにながれ変更へんこう途上とじょう団地だんち部分ぶぶんだけが先行せんこうして整備せいびされたのち野川のがわが、すぐさき野川のがわ大橋おおはし付近ふきんまでの一時いちじてきいけだったためである。
  7. ^ 野川のがわえる - 狛江こまえ、2001ねん10がつ11にち
  8. ^ 国土こくど地理ちりいん 地図ちず空中くうちゅう写真しゃしん閲覧えつらんサービス

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 貝塚かいづか爽平野川のがわ国分寺こくぶんじがけせん」、『富士山ふじさん自然しぜん』(講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ)、講談社こうだんしゃ、2014ねん初出しょしゅつは『とうきょう広報こうほう』。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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