野蒜 駅
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のびる Nobiru | |
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ノル | |
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ホーム |
1 |
- |
157 -2020 |
1928 | |
■ | |
キロ |
33.4 km(あおば |
◄ (2.6 km) | |
■■ | |
キロ |
31.6 km( |
◄ (2.6 km) | |
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歴史
アーカイブス | |
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(其三) | |
( |
1931
1944
1996 |
2011
2015
年表
- 1928
年 (昭和 3年 )4月 10日 :宮城 電気 鉄道 の野蒜 駅 として宮城 県 桃生 郡 野蒜 村 (北緯 38度 22分 30.2秒 東経 141度 9分 35.8秒 / 北緯 38.375056度 東経 141.159944度 )に開業 [6]。 - 1931
年 (昭和 6年 )10月23日 :東北 須磨 駅 (とうほくすまえき)に改称 [6]。 - 1944
年 (昭和 19年 )5月1日 :宮城 電気 鉄道 の国有 化 により[6]、運輸 通信 省 の駅 となる。同時 に野蒜 駅 に改称 [6]。 - 1955
年 (昭和 30年 )5月3日 :野蒜 ・小野 ・宮戸 の3村 合併 により、住所 が宮城 県 桃生 郡 鳴瀬 町 になった。 - 1962
年 (昭和 37年 )4月 1日 :貨物 の取 り扱 いを廃止 [6]。 - 1970
年 (昭和 45年 ) - 1987
年 (昭和 62年 )4月 1日 :国鉄 分割 民営 化 により、東日本旅客鉄道 (JR東日本 )の駅 となる[6]。 - 1996
年 (平成 8年 )4月 1日 :鉄筋 コンクリート造 り2階 建 てで、新 駅舎 と合 築 した鳴瀬 町 の施設 「奥 松島 観光 情報 センター」(愛称 「Nマップ」。鳴瀬 町 野蒜 字 北 余 景 56番 36)がオープン[注 6][7][8][新聞 4](オープニングセレモニーは4月 6日 に開催 [新聞 4]。延 床 面積 580.89平方 メートルのうち、JR東日本 所有 が121.36平方 メートル、町 所有 が459.53平方 メートル[7][9]。町 所有 部分 については奥 松島 公社 (1994年 〈平成 6年 〉1月 21日 設立 )が当初 から運営 [7]。 - 2003
年 (平成 15年 )10月26日 :ICカード「Suica」の利用 が可能 となる[報道 1]。 - 2005
年 (平成 17年 )- 4
月 1日 :鳴瀬 ・矢本 の2町 合併 により、住所 が宮城 県 東松島 市 野蒜 字 北 余 景 84になった。 - 4
月 1日 :駅 業務 をJR東日本 東北 総合 サービスに委託 。
- 4
- 2011
年 (平成 23年 )- 3月11
日 :東北 地方 太平洋 沖 地震 (東日本 大震災 )が発生 。上下 線 ともに発車 後 すぐだったが構内 には数 人 の利用 客 がおり、駅員 の誘導 により駅舎 の屋上 へ避難 した[10]。地震 に伴 う津波 により駅舎 の1階 部分 が浸水 [10]、構内 は甚大 な被害 を受 けた。当 駅 付近 でも自衛隊 の捜索 活動 を開始 [11]。 - 4
月 5日 :仙石線 代行 バスが石巻 駅 と松島 駅 (東北本線 )との間 で運行 を開始 [12]。不通 区間 の仙石線 各 駅前 に停留 場 が設置 されたが、当 駅 には停留所 は設置 されなかった。 - 4
月 19日 :小鶴 新田 駅 -東 塩釜 駅 の区間 が運行 再開 したのを機 に、代行 バスの運行 区間 が東 塩釜 -石巻 に変更 された(仙石線 の運転 再開 区間 に合 わせて代行 バスの運行 区間 は順次 変更 )[12]。同日 より野蒜 駅前 にも停留所 設置 。 - 4
月 21日 - 29日 :アメリカ軍 の「トモダチ作戦 」の一環 として、自衛隊 と在 日米 軍 共同 で野蒜 駅 および東名 駅 周辺 の瓦礫 撤去 作業 をする「ソウルトレイン作戦 」が実施 された[11][新聞 5]。
- 3月11
- 2012
年 (平成 24年 ) - 2014
年 (平成 26年 ) - 2015
年 (平成 27年 ) - 2016
年 (平成 28年 )10月1日 :旧 駅舎 を改修 (整備 費 :約 4000万 円 )した「震災 復興 伝承 館 」が開館 した[新聞 9]。 - 2019
年 (平成 31年 )2月 末 :旧 駅舎 1階 に入居 していた「ファミリーマート東松島 野蒜 駅 店 」が契約 期間 満了 により閉店 。退去 部分 は震災 復興 伝承 館 の拡充 に充 てられる[新聞 10]。 - 2022
年 (令 和 4年 )3月12日 :駅員 が終日 不在 となる。 - 2024
年 (令 和 6年 )10月1日 :えきねっとQチケのサービスを開始 [1][報道 5]。
-
西側 から見 た旧 ・野蒜 駅 。線路 は流 されてきた家屋 や車両 の残骸 で塞 がれている(2011年 3月 ) -
旧 駅 のホーム駅名 標 と、右 奥 に見 える新駅 舎 (2016年 1月 )
駅 構造
現 駅舎
のりば
1・2 | ■ (■■ |
||
---|---|---|---|
■ |
|||
■■ |
-
改札 口 (2023年 8月 ) -
自動 券売 機 (2023年 8月 ) -
待合室 (2023年 8月 ) -
ホーム(2023
年 8月 )
震災 前 の旧 駅舎
2015
なお、
2016
-
震災 前 の旧 ホーム(2009年 7月 ) -
震災 後 の旧 ホーム(2016年 1月 ) -
旧 ホームと旧 駅舎 (2020年 5月 )
-
震災 前 の旧 駅舎 (2007年 9月 ) -
震災 後 の旧 駅舎 (2011年 3月 ) -
野蒜 地域 交流 センターとファミリーマート東松島 野蒜 駅 店 に転用 (2016年 1月 ) -
東北 地方 太平洋 沖 地震 の発生 時刻 で停止 した旧 駅舎 およびNマップの時計 (2011年 3月 ) -
旧 駅舎 に残 る駅名 標示 と到達 した津波 の高 さを記 した標示 (2016年 1月 )
利用 状 況
JR
1 | ||||
---|---|---|---|---|
2000 |
727 | [ | ||
2001 |
718 | [ | ||
2002 |
701 | [ | ||
2003 |
663 | [ | ||
2004 |
627 | [ | ||
2005 |
617 | [ | ||
2006 |
579 | [ | ||
2007 |
571 | [ | ||
2008 |
527 | [ | ||
2009 |
493 | [ | ||
2010 |
478 | [ | ||
2011 |
||||
2012 |
4 | 23 | 27 | [ |
2013 |
4 | 18 | 23 | [ |
2014 |
4 | 18 | 23 | [ |
2015 |
32 | 45 | 77 | [ |
2016 |
33 | 63 | 96 | [ |
2017 |
49 | 98 | 147 | [ |
2018 |
62 | 135 | 197 | [ |
2019 |
60 | 153 | 213 | [ |
2020 |
36 | 120 | 157 | [ |
一 日 平均 乗車 人員 (単位 :人 /日 )
駅 周辺
現 駅舎 周辺
東松島 市 奥 松島 観光 物産 交流 センター野蒜 市民 センター野蒜 地域 交流 センター東松島 市立 宮野 森 小学校
旧 駅舎 周辺
東松島 市 震災 復興 伝承 館 (旧 駅舎 )宮城 県 道 27号 奥 松島 松島 公園 線 - のびる
屋 (ヤマザキショップ)[注 7] 東名運河 東松島 市役所 野蒜 出張所 [注 7]石巻 警察 署 野蒜 駐在 所 余 景 の松原 野蒜 海水浴 場 - パイラ
松島 ・奥 松島 ユースホステル[注 7] 宮戸島 (陸 繋 島 )佐藤 山
隣 の駅
脚注
記事 本文
注釈
- ^
運用 期間 は1882年 (明治 15年 )- 1884年 (明治 17年 )。産業 遺産 ・野蒜 築港 跡 への最寄駅 は隣 の陸前小野 駅 。 - ^
貞山 運河 の一部 。1884年 (明治 17年 )開通 。 - ^ 「
野蒜 不老山 海水浴 場 」の名称 に含 まれる不老山 (北緯 38度 22分 26.4秒 東経 141度 10分 8.2秒 / 北緯 38.374000度 東経 141.168944度 )は、海中 にまで突 き出 たその一部 がいくつかに分 かれて小規模 でかつ急峻 な岩山 となり、それらの頂 部 は松 に覆 われて日本 三景 ・松島 の島々 のような景観 を呈 していた。また、洲崎浜 の波打 ち際 でそれらの一部 が海 に、一部 が砂浜 に囲 まれる姿 をした景勝 地 となっていた(「画像 外部 リンク」参照 )。同 海水浴 場 はこの不老山 の周辺 を中心 とし、当 駅 (旧 駅舎 )も不老山 から徒歩 圏 に設置 された。現在 の不老山 は、周辺 の川 から供給 される流砂 によって(江戸 時代 には同様 に海中 にあった鷺ノ巣 岩 や鰯 山 も含 めて)全 て砂浜 に囲 まれ海岸 線 から離 れてしまっており、沢山 の人々 を惹 き付 ける景勝 地 ではなくなっている。現在 の海水浴 場 の中心 は、より南側 (北緯 38度 21分 53.7秒 東経 141度 9分 34.5秒 / 北緯 38.364917度 東経 141.159583度 )の無料 駐車 場 がある辺 りに移 り、当 駅 (旧 駅舎 )から離 れていった。 - ^
鳴瀬 町 (当時 )を通 る県道 に「宮城 県 道 27号 奥 松島 松島 公園 線 」があり、さらに同線 は1977年 (昭和 52年 )4月 1日 には「奥 松島 パークライン」との愛称 が付 けられている。 - ^ その
後 、「奥 松島 」が用 いられた例 として、1992年 (平成 4年 )10月 に開館 した「奥 松島 縄文 村 歴史 資料 館 」や1993年 (平成 5年 )3月25日 に供用 開始 した三陸 沿岸 道路 ・鳴瀬 奥 松島 インターチェンジ、1994年 (平成 6年 )1月 21日 に設立 された第 三 セクター「奥 松島 公社 」などある。一方 、平成 の大 合併 期 の2005年 (平成 17年 )4月 1日 に桃生 郡 矢本 町 と鳴瀬 町 の合併 によって発足 した新市 は東松島 市 と命名 された。 - ^
当初 は鳴瀬 町 の施設 だったが、矢本 町 との合併 により、東松島 市 の施設 となった。 - ^ a b c
東日本 大震災 の津波 被害 を受 け、現在 は解体 された。
出典
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利用 状 況
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関連 項目
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外部 リンク
駅 の情報 (野蒜 駅 ):JR東日本 東松島 観光 物産 公社 東松島 市内 震災 復旧 ・復興 状 況 写真 (東松島 市 )東松島 震災 復興 祈念 公園 ・震災 復興 伝承 館 -宮城 県 沿岸 部 情報 サイト「みやぎ海 べの旅 案内 」(みやぎ観光 復興 支援 センター)