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革新官僚 - Wikipedia

革新かくしん官僚かんりょう(かくしんかんりょう)とは、革新かくしん政策せいさく推進すいしんした官僚かんりょうたちの呼称こしょうである。

とく1937ねん内閣ないかく調査ちょうさきょく前身ぜんしんとする企画庁きかくちょうが、にちちゅう戦争せんそう全面ぜんめんともなって資源しげんきょく合同ごうどうして企画きかくいん改編かいへんされたさい同院どういん拠点きょてんとして戦時せんじ統制とうせい経済けいざい実現じつげんはかった官僚かんりょうそうのことをさす。のちに国家こっか総動員そうどういんほうなどの総動員そうどういん計画けいかく作成さくせいたった。

概説がいせつ

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きし信介しんすけ革新かくしん官僚かんりょう代表だいひょうかくとされる。

しん官僚かんりょう」は、1920年代ねんだいあらわれた疑似ぎじ右翼うよくてき官僚かんりょうそうして使つかわれたかたりで、のちのしん官僚かんりょう区別くべつし、しん官僚かんりょうを「革新かくしん官僚かんりょう」ともぶようになった[注釈ちゅうしゃく 1]

逓信ていしんしょう出身しゅっしん奥村おくむら喜和男きわお電力でんりょく国家こっか管理かんりあん実現じつげんしてから注目ちゅうもくされるようになった。星野ほしの直樹なおき企画きかくいん総裁そうさいきし信介しんすけ商工しょうこう次官じかんまんしゅう経済けいざい統制とうせい実績じっせきげていた高級こうきゅう官僚かんりょう、および美濃部みのべ洋次ようじもうさとえい於菟おと(ひでおと)、迫水さこみず久常ひさつねらの中堅ちゅうけん官僚かんりょうられる。モデルはソ連それん計画けいかく経済けいざいであり、秘密ひみつうらにはマルクス主義まるくすしゅぎ研究けんきゅうされていた。げん革新かくしん官僚かんりょうたちはソ連それんカ年かねん計画けいかく方式ほうしき導入どうにゅうした(だい7かいコミンテルン世界せかい大会たいかい人民戦線じんみんせんせん参照さんしょう)。革新かくしんてき社会しゃかい主義しゅぎてき立案りつあんおこなったため、「共産きょうさん主義しゅぎ」として小林こばやし一三かずみらの財界ざいかいじん平沼ひらぬま騏一郎きいちろう右翼うよく勢力せいりょくからつよ反発はんぱつけ、1941ねん企画きかくいん事件じけんしょうじた。

その特徴とくちょうは、だいいち世界せかい大戦たいせんのグローバルな政治せいじ経済けいざい社会しゃかい変化へんかからつよ刺激しげきけ、自分じぶんたちが「世界せかいてきだい変動へんどう」のなか位置いちしているというイメージで事態じたい理解りかいしようとしたことにある。世界せかい構造こうぞう分析ぶんせきするための方法ほうほうろんとしてマルクス主義まるくすしゅぎから影響えいきょうけた。

政党せいとう後退こうたい官僚かんりょう進出しんしゅつ

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齋藤さいとうみのる内閣ないかく帝人ていじん事件じけんそう辞職じしょくすると、最後さいご元老げんろうである西園寺さいおんじ公望きんもち後継こうけい首班しゅはん決定けってい首相しゅしょう経験けいけんしゃ枢密院すうみついん議長ぎちょう内大臣ないだいじんとで構成こうせいする重臣じゅうしん会議かいぎ決定けっていし、奉答ほうとうすることにした。7月3にち齋藤さいとう辞表じひょう提出ていしゅつ重臣じゅうしん会議かいぎ推薦すいせんによって岡田おかだ啓介けいすけ海軍かいぐん大臣だいじん組閣そかくすることになる。岡田おかだ内閣ないかく当時とうじだい政党せいとうであった政友せいゆうかい民政みんせいとう協力きょうりょくもとめ、りょうとうから5めい入閣にゅうかくがあった。しかし、途中とちゅう政友せいゆうかい入閣にゅうかく拒絶きょぜつし、入閣にゅうかくした逓信ていしん大臣だいじん床次とこなみ竹二郎たけじろう農林のうりん大臣だいじん山崎やまざき達之たつゆき輔、鉄道てつどう大臣だいじん内田うちだ信也しんや政友せいゆうかいから除名じょめいされてしまった。斎藤さいとう内閣ないかくくらべて岡田おかだ内閣ないかく政党せいとう出身しゅっしん閣僚かくりょう地位ちいひくく、政友せいゆうかいとの関係かんけいわるく、政党せいとう勢力せいりょく後退こうたいしたといえる。

これにわって勢力せいりょく伸張しんちょうしたのが官僚かんりょうであった。とく斎藤さいとう内閣ないかく農相のうしょうとして活躍かつやくし、しん官僚かんりょう代表だいひょうてき存在そんざいとされていた後藤ごとう文夫ふみお内務ないむ大臣だいじんになったことは、その象徴しょうちょうであった。岡田おかだ内閣ないかく基盤きばん強化きょうかのため、内閣ないかく審議しんぎかい内閣ないかく調査ちょうさきょく設置せっちした。この内閣ないかく調査ちょうさきょく局長きょくちょうには、しん官僚かんりょうのリーダーかくとされていた吉田よしだしげる内務ないむ官僚かんりょう任命にんめいされ、調査官ちょうさかんなかには陸軍りくぐん大佐たいさ鈴木すずき貞一さだいち逓信ていしんしょう出身しゅっしん奥村おくむら喜和男きわお農林省のうりんしょう出身しゅっしん和田わだ博雄ひろおなど革新かくしん官僚かんりょう姿すがたもあった。

主要しゅよう人物じんぶつ

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※がしるされている人物じんぶつはいずれも企画きかくいん事件じけん、またはまんてつ調査ちょうさ事件じけん治安ちあん維持いじほう違反いはん容疑ようぎ検挙けんきょされている。

評価ひょうか

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野口のぐち悠紀雄ゆきおは、革新かくしん官僚かんりょう確立かくりつした「経済けいざい活動かつどうたいする政府せいふ関与かんよつよめる」というかんがえにもとづく戦時せんじ経済けいざい体制たいせい基本きほん思想しそうを「1940ねん体制たいせい」とんでいる。野口のぐちによれば、その体制たいせいだい世界せかい大戦たいせんこう日本にっぽんにほぼそのままのかたちのこり、不足ふそくする資源しげん資金しきん石炭せきたん鉄鋼てっこうなどの基幹きかん産業さんぎょう重点的じゅうてんてき配分はいぶんする傾斜けいしゃ生産せいさん方式ほうしきによって戦後せんご復興ふっこう高度こうど経済けいざい成長せいちょう石油せきゆショックへの対応たいおうにおいておおきな役割やくわりたした。しかしそれは、当時とうじ世界せかい経済けいざい技術ぎじゅつ条件じょうけんが1940ねん体制たいせいてき経済けいざい構造こうぞう有利ゆうりはたらいていたからだと野口のぐち説明せつめいする。1980ねんだい後半こうはんバブル経済けいざいについては、1980年代ねんだいごろからはじまる中国ちゅうごく工業こうぎょう情報じょうほう通信つうしん技術ぎじゅつ発展はってんなどの基本きほん条件じょうけん変化へんかによって市場いちば経済けいざい有効ゆうこうせいたかまったことにより、1940ねん経済けいざい体制たいせい有効ゆうこうせいうしなわれたのにもかかわらず、従来じゅうらい経済けいざい体制たいせい維持いじしようとしたことの結果けっかであると解釈かいしゃくしている。そして1990ねんだい以降いこう日本にっぽん経済けいざい長期ちょうきてき停滞ていたい(スタグフレーション)の原因げんいんは、だい組織そしき依存いぞん政府せいふ依存いぞんという日本にっぽんいまだにのこっている「政府せいふ経済けいざい成長せいちょう主導しゅどうする」というかんがえのためであり、現代げんだい世界せかいでは革新かくしん官僚かんりょう基本きほん思想しそうすで時代遅じだいおくれになっているとして日本にっぽん政府せいふ転換てんかんすすめている[3]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ちなみに、「しん官僚かんりょう」に該当がいとうする人物じんぶつとしては、内務省ないむしょう警保きょく幹部かんぶ昇進しょうしんし「天皇陛下てんのうへいか軍隊ぐんたい」に対抗たいこうして「天皇陛下てんのうへいか警察官けいさつかん」を自称じしょうした後藤ごとう文夫ふみおのほか、松本まつもとまなぶ唐沢からさわ俊樹としき吉田よしだしげる内務省ないむしょう出身しゅっしん。のちの首相しゅしょう同姓どうせい同名どうめい異人いじん)、平沼ひらぬま騏一郎きいちろうなどがげられる。

出典しゅってん

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  1. ^ にちちゅう戦争せんそうにおける反戦はんせん和平わへい一人ひとりであり、まんしゅうこく派遣はけんされた大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん工作こうさくいんでもある。
  2. ^ 筒井つついきよしちゅう昭和しょうわ日本にっぽん構造こうぞう』1996ねん講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、p91
  3. ^ 安倍あべ政権せいけん本質ほんしつは、戦時せんじ経済けいざいへの回帰かいきである”. 東京とうきょう経済けいざいオンライン. (2015ねん5がつ29にち). http://toyokeizai.net/articles/-/71180?page=3 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 伊藤いとうたかし昭和しょうわ政治せいじ山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ
  • 北岡きたおか伸一しんいち日本にっぽん近代きんだい5』中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ
  • 戸部とべ良一りょういち外務省がいむしょう革新かくしん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ
  • 橋川はしかわ文三ぶんぞうしん官僚かんりょう政治せいじ思想しそう」『近代きんだい日本にっぽん政治せいじ思想しそう諸相しょそう』(未來社みらいしゃ、1968ねん)に所収しょしゅう、のち新版しんぱん
  • 我妻あづまさかえ日本にっぽん政治せいじ裁判さいばんろく 昭和しょうわまえ第一法規出版だいいちほうきしゅっぱん
  • Tomohide Ito: Militarismus des Zivilen in Japan 1937–1940: Diskurse und ihre Auswirkungen auf politische Entscheidungsprozesse, (Reihe zur Geschichte Asiens; Bd. 19), München: Iudicium Verlag 2019(とくにS. 190-199で奥村おくむら喜和男きわお思想しそう分析ぶんせき

関連かんれん項目こうもく

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