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高須藩 - Wikipedia

高須たかすはん

江戸えど時代じだい美濃みのこく石津いしづぐん高須たかす付近ふきん領有りょうゆうしたはん

高須たかすはん(たかすはん)は、江戸えど時代じだい美濃みのこく石津いしづぐん高須たかす岐阜ぎふけん海津かいづ付近ふきん領有りょうゆうしたはん別名べつめい高洲たかすはんはんちょう高須たかす陣屋じんや初期しょき高須たかすしろ)。一時期いちじき駒野こまのかんたかられき13ねん1763ねん)- 安永やすなが7ねん1778ねん))。江戸えど中期ちゅうき以降いこう名古屋なごやはんささえはんであった。

概要がいよう

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慶長けいちょう5ねん1600ねん)、関ヶ原せきがはらたたか高須たかすしろ1まんせき高木たかぎもりけん西にしぐんくみしたため改易かいえきとなる。わってひがしぐんかた美濃みの松ノ木まつのきしろあるじ徳永とくなが寿ことぶきあきら高須たかすじょうった軍功ぐんこうにより、5まん673せきにゅうふうし、高須たかすはんたてはんした。寿ことぶきあきら慶長けいちょう6ねん1601ねん)から城郭じょうかく修築しゅうちくなどに尽力じんりょくし、藩政はんせい確立かくりつした。だい2だい藩主はんしゅあきらじゅう時代じだいには加増かぞうけて5まん3000せきとなった。しかし、寛永かんえい5ねん1628ねん)2がつ28にちだい坂城さかき石垣いしがき普請ふしん助役じょやくにんぜられたが、任務にんむ遅滞ちたい理由りゆう改易かいえきとなった。このため、高須たかすはんはいはんとなって笠松かさまつ代官だいかん岡田おかだよしどう支配しはいすることとなる。

寛永かんえい17ねん1640ねん)9がつ28にち下総しもうさ関宿せきやどはんより小笠原おがさわらさだしんが2まん2000せきにゅうふうした。さだしん城下じょうか復興ふっこう尽力じんりょくし、「高須たかす日記にっき」によると天和てんわ元年がんねん1681ねん)には「繁昌はんじょうしろ相成あいなり、郷中ごうなかつつみといども丈夫じょうぶ相成あいなり、万民ばんみん安堵あんど」とある。しかし水害すいがいおおさから藩政はんせい困難こんなんとなり、元禄げんろく4ねん1691ねん)7がつ26にち越前えちぜん勝山かつやまはんてんふうとなり、はいはんとなる。その高須たかすはん幕府ばくふりょうて、笠松かさまつ代官だいかんりょうとなる。

信濃しなの伊那いなぐん高井たかいぐん水内みずうちぐんうちに3まんせき所領しょりょうて、高井たかいはんだてはんしていた名古屋なごやはんだい2だい藩主はんしゅ徳川とくがわ光友みつとも次男じなん松平まつだいら義行よしゆき元禄げんろく13ねん1700ねん)3がつ25にち所領しょりょう半分はんぶんである1まん5000せき高井たかいぐん水内みずうちぐん領地りょうち美濃みのこく石津いしづぐんうみ西郡にしごおりない領地りょうちとに交換こうかんされた。よって高須たかす居所きょしょさだめ、再度さいど高須たかすはん成立せいりつし、以後いご尾張おわり徳川とくがわ連枝れんしである四谷よつや松平まつだいら高須たかす松平まつへい)がりょうした。

名古屋なごや藩主はんしゅたてはんしており、宗家そうけ嗣子ししえたときこれを相続そうぞくし、名古屋なごやはん輔弼ほひつする役割やくわりたすなどささえはんとして機能きのうした。しかし、所領しょりょう幕府ばくふよりあたえられたものであった。だい3だい藩主はんしゅ松平まつだいらよしじゅん徳川とくがわ宗勝むねかつとして名古屋なごやはんだい8だい藩主はんしゅとなり、だい5だい藩主はんしゅ松平まつだいらよし徳川とくがわおさむぎょうとしてだい9だい藩主はんしゅ徳川とくがわ宗睦むねちか養子ようしとなった(相続そうぞくまえ早世そうせい)。また、だい10代藩主はんしゅ松平まつだいらよしけんにはおおく、次男じなん名古屋なごやはんだい14だい藩主はんしゅ徳川とくがわ慶勝よしかつ三男さんなん石見いわみ浜田はまだはんあるじ松平まつだいらたけしげる五男いつお高須たかすはんだい11だい藩主はんしゅから名古屋なごやはんだい15だい藩主はんしゅ、さらにのちにはさんきょういちきょう当主とうしゅとなった(名乗なのりも松平まつだいらよし徳川とくがわ茂徳しげのり徳川とくがわしげるさかえ変遷へんせん)。なななん会津あいづはんあるじ松平まつだいら容保かたもりで、きゅうなん桑名くわなはんあるじ松平まつだいらじょうけい幕末ばくまつ活躍かつやくした藩主はんしゅとなった。じゅうなん義勇ぎゆう高須たかすはんだい13だい藩主はんしゅとなっている。

藩政はんせい特筆とくひつすべきことは、だい4だい藩主はんしゅ松平まつだいら義敏よしとし水害すいがいこることを考慮こうりょして、幕府ばくふ嘆願たんがんして駒野こまのかんうつし、だい6だい藩主はんしゅ松平まつだいら義裕よしひろ時代じだい高須たかすもどしたことくらいである。

明治めいじ2ねん1869ねん)の版籍はんせき奉還ほうかんで、最後さいご藩主はんしゅであった松平まつだいら義勇よしたけ高須たかすはん知事ちじにんじられる。明治めいじ3ねん1870ねん)、名古屋なごやはん併合へいごうされはいはんとなった。

歴代れきだい藩主はんしゅ

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徳永とくなが

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外様とざま 5まんせき 1600ねん - 1628ねん

  1. 徳永とくなが寿ことぶきあきら
  2. 徳永とくながあきらじゅう

小笠原おがさわら

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譜代ふだい 2まん2せんせき 1640ねん - 1691ねん

  1. 小笠原おがさわらさだしん

四谷よつや松平まつだいら高須たかす松平まつへい

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親藩しんぱん連枝れんし 3まんせき 1700ねん - 1870ねん

  1. 松平まつだいら義行よしゆき
  2. 松平まつだいら義孝よしたか
  3. 松平まつだいらよしあつし
  4. 松平まつだいら義敏よしとし
  5. 松平まつだいらよし
  6. 松平まつだいら義裕よしひろ
  7. 松平まつだいらよしとう
  8. 松平まつだいらよしきょ
  9. 松平まつだいら義和よしかず
  10. 松平まつだいらよしけん
  11. 松平まつだいらよし
  12. 松平まつだいらよしはし
  13. 松平まつだいら義勇よしたけ
  14. 松平まつだいら義生よしお

幕末ばくまつ領地りょうち

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江戸えど屋敷やしき

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荒木あらきまち (新宿しんじゅく)にあった。

脚注きゃくちゅう

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参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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先代せんだい
美濃みのこく
行政ぎょうせい変遷へんせん
1700ねん - 1870ねん
次代じだい
名古屋なごやはん