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1965年アメリカグランプリ - Wikipedia

1965ねんアメリカグランプリ (1965 United States Grand Prix) は、1965ねんのF1世界せかい選手権せんしゅけんだい9せんとして、1965ねん10月3にちワトキンズ・グレン・グランプリ・サーキット開催かいさいされた。

アメリカ合衆国 1965ねんアメリカグランプリ
レース詳細しょうさい
1965ねんF1世界せかい選手権せんしゅけんぜん10せんだい9せん
ワトキンズ・グレン(1956–1970)
ワトキンズ・グレン(1956–1970)
日程にってい 1965ねん10がつ3にち
正式せいしき名称めいしょう VIII United States Grand Prix
開催かいさい ワトキンズ・グレン・グランプリ・サーキット
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく ニューヨークしゅう ワトキンズ・グレン
コース 恒久こうきゅうてきレース施設しせつ
コースちょう 3.78 km (2.35 mi)
レース距離きょり 110しゅう 415.8 km (258.5 mi)
決勝けっしょう天候てんこう あめ (ウエット)
ポールポジション
ドライバー BRM
タイム 1:11.25
ファステストラップ
ドライバー イギリスの旗 グラハム・ヒル BRM
タイム 1:11.9 (105しゅう
決勝けっしょう順位じゅんい
優勝ゆうしょう BRM
2 ブラバム-クライマックス
3 ブラバム-クライマックス

レースは110しゅうおこなわれ、BRMグラハム・ヒルポール・トゥ・ウィンブラバムダン・ガーニーが2かれのチームメイトのジャック・ブラバムが3となった。

レース概要がいよう

編集へんしゅう

1.5リッターF1の最後さいごとしかくチームがシーズンの最後さいごの2せんのためにきたアメリカ大陸あめりかたいりく到着とうちゃくするまえに、ジム・クラークは2度目どめドライバーズチャンピオン(ならびにインディ500優勝ゆうしょう)をめていた。しかし、ほんレースはBRMグラハム・ヒルが3ねん連続れんぞく優勝ゆうしょうし、グレン君臨くんりんした。ヒルはポールポジション勝利しょうり、そしてファステストラップ獲得かくとくし、ダン・ガーニージャック・ブラバムブラバムいきおいに12びょうけてフィニッシュした。

週末しゅうまつさむく(45 °F (7 °C))てふうつよく(30 mph (13 m/s))、そしておおくの場合ばあいウエット状態じょうたいだった。実際じっさいに、クラークは予選よせんレーシングスーツうえにセーターをていた。フェラーリは、前年ぜんねんのドライバーズチャンピオンのジョン・サーティース前週ぜんしゅうカナダモスポート・パークローラ・T70英語えいごばん-シボレーCan-Amカー)をドライブしたさい事故じここして重症じゅうしょうい、本年ほんねんのこり2せん欠場けつじょうせざるをなくなった[1]。BRMのヒルのあたらしいチームメイトで、3週間しゅうかんまえイタリアGPでクラークの連勝れんしょうを5[ちゅう 1]でストップしてはつ優勝ゆうしょうげたジャッキー・スチュワートは、ヨッヘン・リント同様どうようにグレンではじめて走行そうこうした。地元じもと出身しゅっしんボブ・ボンデュラント英語えいごばんはF1デビューをたした。

金曜日きんようびはトラックがきりおおわれた。クラークは自身じしんの32バルブクライマックスエンジン仕様しようのマシンと、チームメイトのマイク・スペンス英語えいごばんの16バルブクライマックスエンジン仕様しようのマシンをえながら走行そうこうしたが、「ザ・90」(ターン8)でクラッシュしてスペンスしゃのサスペンションをげたのち自身じしんのマシンにもどって1ふん12びょう7と、ヒルが0.2びょう上回うわまわるまでの最速さいそくタイムをした。

土曜日どようびれたがまださむかった。このもクラークとヒルのバトルがつづいた。ヒルは1ふん11びょう25をした。クラークはタイミングギアの2つのを剪断するまえに1ふん11びょう35をすが、ヒルにはおよばなかった。クラークはふたたびスペンスの16バルブしゃえ、1ふん11びょう16という注目ちゅうもくすべきタイムをした。しかし、いちばんで32バルブエンジンは修理しゅうりされ、クラークが決勝けっしょうでそれを使つかうことにめたため、かれはヒルにぐ2番手ばんてからのスタートとなる。ホンダ強力きょうりょくV12エンジンによって直線ちょくせんでは最速さいそくのマシンであり、地元じもと出身しゅっしんリッチー・ギンサースペアカーで3番手ばんてスタートをつかんだ。グリッドのトップ6はヒル、クラーク、ギンサー、スペンス、ロレンツォ・バンディーニ(フェラーリ)、スチュワートのじゅんとなった。

日曜日にちようびあさあめったが、決勝けっしょうのスタートをまえつよふうがトラックをかわかし、6まんにん観衆かんしゅうはさらなる状況じょうきょう変化へんか見込みこんでフードとパーカーを着用ちゃくようした。ヒルがリードし、クラークとギンサーがつづく。スチュワートは3れつからエセス(当時とうじはバックストレート)でギンサーのインにむが、ギンサーはインをめてスチュワートをカーブへいやり、スチュワートのサスペンションはがってしまった。スチュワートはレースをつづけ、ギンサーは8後退こうたいした。しかし、スチュワートはスロットルケーブルの損傷そんしょうによりピットインし、かれがコースにもどるまでにあめふたたはじめ、がったサスペンションがおおきなハンデとなりリタイアした。

クラークは2しゅうにヒルからリードをうばい、2人ふたりはバンディーニ、スペンス、ガーニー、ブラバムをはなしていく。3しゅう、ヒルはリードをもどし、2人ふたりのイギリスじんチャンピオンのバトルは、クラークのピストンがこわれてピットインする12しゅうまでつづいた。その後方こうほうでも4にんはげしいバトルが展開てんかいされ、スペンスはバンディーニに2コースがいいやられ、タイミングチェーンがこわれたため6しゅうにリタイアした。ヒルはガーニーに14びょうリードし、つづいてバンディーニとブラバムがつづいた。

24しゅうまでにヒルはほぼ半周はんしゅうのリードをきずいた。ところが、37しゅう突然とつぜん大雨おおあめがコースをらした。バックストレートの最後さいごの「ザ・ループ」で、ヒルはすべりやすい路面ろめんあしをすくわれ、そのまま200ヤード (180 m)のあいだがった。コースにもどるまでに、ヒルのダンロップタイヤはブラバムいきおいグッドイヤータイヤよりも1しゅう2びょうおそかった。そしてコースアウトしたことで、ガーニーとブラバムは一気いっきちぢめることができた。ガーニーはヒルの背後はいごせまったがコーナーでぎてしまい、チームメイトのブラバムに2わたした。これでチームリーダーのブラバムがヒルへの挑戦ちょうせんけんれたが、ピット手前てまえの「ザ・90」でヒルのアウトでまえるが、ヒルは一貫いっかんしてインコースをはしり、ターン出口でぐちはアウトコースでマシンをパワースライドさせた。ヒルのコースはば利用りようしたはしりは、ブラバムをコースの左端ひだりはしいやり、コースがいれた芝生しばふこうまでしていった。これでふたたびガーニーが2、ブラバムは3もどった。ガーニーはふたたびヒルにいどもうとしたが、クラッチのすべりにより断念だんねんした。

レース終盤しゅうばんまでにコースはほぼかわき、ヒルは105しゅうにファステストラップをし、2のガーニーに12びょうけ、本年ほんねん2かい勝利しょうりとグレンでの3連勝れんしょうにした。シーズン終了しゅうりょう、ワトキンス・グレン・グランプリ・コーポレーションは、グランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(GPDA)から「ベストオーガナイズドレースしょう」を授賞じゅしょうされた。

ホンダ創設そうせつしゃ本田ほんだそう一郎いちろう社長しゃちょうめずらしく観戦かんせんおとずれたが、ギンサーは序盤じょばん出遅でおくれがひびき2しゅうおくれの7ロニー・バックナムは13はじめて2だいとも完走かんそうしたもののるわなかった[2]。なお、本田ほんだそう一郎いちろう1964ねんから1968ねんだい1参戦さんせん自身じしんでレースを観戦かんせんしたのはこの1せんのみである[3]

エントリーリスト

編集へんしゅう
チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
  スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 1   ジョン・サーティース 1 フェラーリ 1512 フェラーリ 207 1.5L F12 D
2   ロレンツォ・バンディーニ
  ノース・アメリカン・レーシングチーム 14   ペドロ・ロドリゲス
24   ボブ・ボンドゥラント 158 フェラーリ 205B 1.5L V8
  オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 3   グラハム・ヒル BRM P261 BRM P60 1.5L V8 D
4   ジャッキー・スチュワート
  チーム・ロータス 5   ジム・クラーク ロータス 33 クライマックス FWMV 1.5L V8 D
6   マイク・スペンス
18   モイセス・ソラーナ 25
  ブラバム・レーシング・オーガニゼーション 7   ジャック・ブラバム ブラバム BT11 クライマックス FWMV 1.5L V8 G
8   ダン・ガーニー
  クーパー・カー・カンパニー 9   ブルース・マクラーレン クーパー T77 クライマックス FWMV 1.5L V8 D
10   ヨッヘン・リント
  ホンダ・R&D・カンパニー 11   リッチー・ギンサー ホンダ RA272 ホンダ RA272E 1.5L V12 G
12   ロニー・バックナム
  R.R.C. ウォーカー・レーシングチーム 15   ヨアキム・ボニエ ブラバム BT7 クライマックス FWMV 1.5L V8 D
16   ジョー・シフェール BT11 BRM P56 1.5L V8
  レグ・パーネル・レーシング 21   リチャード・アトウッド ロータス 25 BRM P56 1.5L V8 D
22   イネス・アイルランド
ソース:[4]
追記ついき
  • ^1 - サーティースは負傷ふしょうのため欠場けつじょう
順位じゅんい No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 3   グラハム・ヒル BRM 1:11.25 - 1
2 5   ジム・クラーク ロータス-クライマックス 1:11.35 +0.10 2
3 11   リッチー・ギンサー ホンダ 1:11.40 +0.15 3
4 6   マイク・スペンス ロータス-クライマックス 1:11.50 +0.25 4
5 2   ロレンツォ・バンディーニ フェラーリ 1:11.73 +0.48 5
6 4   ジャッキー・スチュワート BRM 1:11.76 +0.51 6
7 7   ジャック・ブラバム ブラバム-クライマックス 1:12.20 +0.95 7
8 8   ダン・ガーニー ブラバム-クライマックス 1:12.25 +1.00 8
9 9   ブルース・マクラーレン クーパー-クライマックス 1:12.45 +1.20 9
10 15   ヨアキム・ボニエ ブラバム-クライマックス 1:12.45 +1.20 10
11 16   ジョー・シフェール ブラバム-BRM 1:12.50 +1.25 11
12 12   ロニー・バックナム ホンダ 1:12.70 +1.45 12
13 10   ヨッヘン・リント クーパー-クライマックス 1:12.90 +1.65 13
14 24   ボブ・ボンドゥラント フェラーリ 1:12.90 +1.65 14
15 14   ペドロ・ロドリゲス フェラーリ 1:13.00 +1.75 15
16 21   リチャード・アトウッド ロータス-BRM 1:13.70 +2.45 16
17 18   モイセス・ソラーナ ロータス-クライマックス 1:13.70 +2.45 17
18 22   イネス・アイルランド ロータス-BRM 1:15.00 +3.75 18
ソース:[5]

決勝けっしょう

編集へんしゅう
順位じゅんい No. ドライバー コンストラクター 周回しゅうかいすう タイム/リタイア原因げんいん グリッド ポイント
1 3   グラハム・ヒル BRM 110 2:20:36.1 1 9
2 8   ダン・ガーニー ブラバム-クライマックス 110 +12.5 8 6
3 7   ジャック・ブラバム ブラバム-クライマックス 110 +57.5 7 4
4 2   ロレンツォ・バンディーニ フェラーリ 109 +1 Lap 5 3
5 14   ペドロ・ロドリゲス フェラーリ 109 +1 Lap 15 2
6 10   ヨッヘン・リント クーパー-クライマックス 108 +2 Laps 13 1
7 11   リッチー・ギンサー ホンダ 108 +2 Laps 3
8 15   ヨアキム・ボニエ ブラバム-クライマックス 107 +3 Laps 10
9 24   ボブ・ボンドゥラント フェラーリ 106 +4 Laps 14
10 21   リチャード・アトウッド ロータス-BRM 101 +9 Laps 16
11 16   ジョー・シフェール ブラバム-BRM 99 +11 Laps 11
12 18   モイセス・ソラーナ ロータス-クライマックス 95 +15 Laps 17
13 12   ロニー・バックナム ホンダ 92 +18 Laps 12
Ret 4   ジャッキー・スチュワート BRM 12 サスペンション 6
Ret 5   ジム・クラーク ロータス-クライマックス 11 エンジン 2
Ret 9   ブルース・マクラーレン クーパー-クライマックス 11 油圧ゆあつ 9
Ret 6   マイク・スペンス ロータス-クライマックス 9 エンジン 4
Ret 22   イネス・アイルランド ロータス-BRM 9 体調たいちょう不良ふりょう 18
ソース:[6]
ラップリーダー[7]
  • 1=ヒル、2-4=クラーク、5-110=ヒル
  • 周回しゅうかいすう合計ごうけい: ヒル - 107しゅう、クラーク - 3しゅう

だい9せん終了しゅうりょう時点じてんのランキング

編集へんしゅう
  • ちゅう: トップ5のみ表示ひょうじ。ベスト6せんのみがカウントされる。ポイントは有効ゆうこうポイント、括弧かっこないそう獲得かくとくポイント。

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ インディ500に出場しゅつじょうしたため欠場けつじょうしたモナコGPのぞくと6連勝れんしょう

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 207)
  2. ^ (はやし信次しんじ 1997, p. 105)
  3. ^ (中村なかむら良夫よしお 1998, p. 174-175)
  4. ^ USA 1965 - Race entrants”. statsf1.com. 2019ねん3がつ31にち閲覧えつらん
  5. ^ USA 1965 - Qualifications”. statsf1.com. 2019ねん3がつ31にち閲覧えつらん
  6. ^ 1965 United States Grand Prix”. formula1.com. 31 October 2013てんオリジナルよりアーカイブ。26 September 2015閲覧えつらん
  7. ^ USA 1965 - Laps led”. statsf1.com. 2019ねん3がつ27にち閲覧えつらん
  8. ^ a b United States 1965 - Championship”. statsf1.com. 21 March 2019閲覧えつらん

参照さんしょう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • en:1965 United States Grand Prix(2019ねん3がつ21にち 12:29:14(UTC))より翻訳ほんやく
  • Doug Nye (1978). The United States Grand Prix and Grand Prize Races, 1908-1977. B. T. Batsford. ISBN 0-7134-1263-1
  • "Grand Prix of the United States" (January, 1966). Road & Track, 36-38.
  • はやし信次しんじ『F1ぜん 1961-1965』ニュにゅズ出版ずしゅっぱん、1997ねんISBN 4-938495-09-0 
  • アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリのすべて』早川はやかわあさひゃくごう+島江しまえ政弘まさひろわけ)、CBS・ソニー出版しゅっぱん、1989ねん12月。ISBN 4-7897-0491-2 
  • 中村なかむら良夫よしお『F-1グランプリ ホンダF-1とともに 1963-1968 (愛蔵あいぞうばん)』三樹みき書房しょぼう、1998ねんISBN 4-89522-233-0 

外部がいぶリンク

編集へんしゅう
まえせん
1965ねんイタリアグランプリ
FIA F1世界せかい選手権せんしゅけん
1965ねんシーズン
つぎせん
1965ねんメキシコグランプリ
前回ぜんかい開催かいさい
1964ねんアメリカグランプリ
  アメリカグランプリ 次回じかい開催かいさい
1966ねんアメリカグランプリ