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LOSCリール - Wikipedia

LOSCリールフランス語ふらんすご: Lille Olympique Sporting Club, フランス語ふらんすご発音はつおん: [lil ɔlɛ̃pik spɔʁtɪŋ klœb])は、フランスリール本拠地ほんきょちサッカークラブチーム。一般いっぱんにはリール(Lille)、LOSCともばれるほか、かつての略称りゃくしょうであるリールOSC今日きょうでも使用しようされていることがある。

リール
原語げんご表記ひょうき Lille Olympique Sporting Club
愛称あいしょう Les Dogues (The Mastiffs)[1]
Les Nordistes (The Northmen)
Les Lillois (The Lillois)
クラブカラー     あか
    あお
創設そうせつねん 1944ねん
所属しょぞくリーグ リーグ・アン
所属しょぞくディビジョン 12023-24
昨季さくきリーグ順位じゅんい 52022-23
ホームタウン リール
ホームスタジアム
スタッド・ピエール=モーロワ
収容しゅうよう人数にんずう 50,186[2]
代表だいひょうしゃ フランスの旗 オリヴィエ・レタン
監督かんとく ポルトガルの旗 パウロ・フォンセカ
公式こうしきサイト 公式こうしきサイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要がいよう

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愛称あいしょうLes Dogues猛犬もうけん)であり、エンブレムにもいぬえがかれている。リーグ・アン(きゅうディヴィジオン・アン)で4かいクープ・ドゥ・フランスで6かい優勝ゆうしょうほこ名門めいもんである。 1944ねん設立せつりつされると、1945-46シーズン、1953-54シーズン、2010-11シーズン、2020-21シーズンの4かいリーグ・アンで優勝ゆうしょうし、6かいクープ・ドゥ・フランス優勝ゆうしょうした。クープ・ドゥ・フランスで3連覇れんぱ達成たっせいしたことがあるのはリールとFCレッドスター・サン=トゥアンの2クラブのみである。もっと成功せいこうおさめた10年間ねんかんは1945ねんから1955ねんまでの期間きかんであり、この期間きかんジョージ・ベリー監督かんとくとAndré Cheuva監督かんとく采配さいはいるい、ディヴィジョン・アン優勝ゆうしょう2かい、クープ・ドゥ・フランス優勝ゆうしょう5かいほこった[3]

かつてはヴィルヌーヴ=ダスク近郊きんこうにあるスタジアム・ノール・リール・メトロポールをホームスタジアムとしていたが、2012ねんグラン・スタッド・リール・メトロポールにホームスタジアムを移転いてんした。南西なんせいやく30kmの距離きょりにあるパ=ド=カレーけんランス本拠地ほんきょちRCランスとはライバル関係かんけいにあり、両者りょうしゃ対戦たいせんデュルビ・デュ・ノール北部ほくぶダービー)とばれる。

黎明れいめい

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オリンピック・リロワの紋章もんしょう

1944ねん9がつ23にちSCフィヴ(1901ねん創設そうせつ)とオリンピック・リロワ(1902ねん創設そうせつ)が合併がっぺいして誕生たんじょうした。前身ぜんしんクラブのリロワは1932-33シーズンにリーグ優勝ゆうしょうしており、1939ねんにもSCフィヴとの合併がっぺい協議きょうぎしていたが、合意ごういにはいたらず、地元じもとのIris Club Lilloisと合併がっぺいしてオリンピック・リロワとなっていた。だい世界せかい大戦たいせんヴィシー政府せいふのプロサッカー禁止きんしれい影響えいきょうで、おおくの選手せんしゅはアマチュアリーグでプレーした。当初とうしょ名称めいしょうスタッド・リロワ(Stade Lillois)であり、1944-45シーズンに先駆さきがけた親善しんぜん試合しあい2試合しあいをこの名称めいしょうたたかったが、1944ねん11がつ10日とおか監督かんとくらがミーティングをおこない、クラブ名称めいしょうをリール・オランピク・スポーティング・クラブ(Lille Olympique Sporting Club)に変更へんこうした。この名称めいしょうはオリンピック・リロワ(LO)とSCフィヴ(SC)に敬意けいいはらってのものである。ホームようユニフォームにはリロワが使用しようしていた赤色あかいろ白色はくしょく採用さいようし、アウェーようにはフィヴが使用しようしていた青色あおいろ採用さいようした。フィヴのもと会長かいちょうであるルイ・エノがリールの初代しょだい会長かいちょう就任しゅうにんした。

黄金おうごん

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だい世界せかい大戦たいせん、リールはプロリーグに復帰ふっきしてディヴィジョン・アンに登録とうろくされ、エノ会長かいちょうはイングランドじんジョージ・ベリー監督かんとくまねいた。また、Joseph Jadrejak、Marceau Somerlinck、Jules Bigot、フランソワ・ブルボット、Jean Baratte、Jean Lechantreなど、かつてのフィヴとリロワの選手せんしゅたちをせることにも成功せいこうした。かれらのおかげで、1945ねんクープ・ドゥ・フランスでは決勝けっしょう進出しんしゅつコロンブスタッド・オランピック・イヴ=ドゥ=マノワールおこなわれた決勝けっしょうでは、より経験けいけんゆたかなラシン・クラブ・ド・フランスに0-3でやぶれた。1945ねんにはディヴィジョン・アンが復活ふっかつし、リールは1945-46シーズンのディヴィジョン・アンとクープ・ドゥ・フランスのダブル(2かん)を達成たっせいしておどろきをもたらした。ディヴィジョン・アンでは26試合しあいで28得点とくてんげたRené Bihelにみちびかれ、ASサンテティエンヌてん1でトロフィーを獲得かくとくした。決勝けっしょうFCレッドスター・サン=トゥアン対戦たいせんしたクープ・ドゥ・フランスでは、Bihel、Bolek Tempowski、Roger Vandooren(2得点とくてん)の得点とくてん勝利しょうりした。地元じもとによって「War Machine」というニックネームがけられた。ベリー監督かんとくはエノ会長かいちょうとたびたび衝突しょうとつし、シーズン終了しゅうりょう退任たいにんしてAndré Cheuvaがしん監督かんとく就任しゅうにんした。

優勝ゆうしょう立役者たてやくしゃとなったベリー監督かんとくったが、Cheuva監督かんとくしたでも調子ちょうし維持いじし、1946-47シーズンのリーグせんでは4となった。クープ・ドゥ・フランスの決勝けっしょうではRCストラスブール対戦たいせんし、2-0でやぶって2連覇れんぱたした。1947-48シーズンはリーグせんこそオリンピック・マルセイユぐ2だったが、クープ・ドゥ・フランスでは決勝けっしょうでローカル・ライバルのRCランス対戦たいせんし、Baratteが86ふん決勝けっしょうてんげて3連覇れんぱ達成たっせいした。そのの4シーズンも継続けいぞくして3以内いないはいった。1950-51シーズンのラテン・カップでは決勝けっしょう進出しんしゅつしたが、ACミラン(イタリア)にやぶれた。JadrejakとBigotがったが、リールは1952-53シーズン(4かい)と1954-55シーズン(5かい)にもクープ・ドゥ・フランスで優勝ゆうしょうした。1955ねん以降いこうは2011ねんまで優勝ゆうしょう見放みはなされた。

低迷ていめい

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Baratte、Lechantre、Sommerlynck、1950ねん獲得かくとくしたCor van der Hartなどもチームをり、リールはまけのスパイラルにあしれた。フランス国内こくない有望ゆうぼうかぶさがすのに苦労くろうし、エノ会長かいちょう獲得かくとく対象たいしょう外国がいこく出身しゅっしん選手せんしゅにもひろげた。1954ねん1954 FIFAワールドカップハンガリー代表だいひょうとしてすぐれたプレーをせたディフェンダーのジョゼフ・ザカリアス興味きょうみった。しかし、同年どうねんだいいちインドシナ戦争せんそう終結しゅうけつ、ザハリアスの新天地しんてんちでの名声めいせい獲得かくとく願望がんぼう利用りようしようとたくらんだチェコスロバキアの退役たいえき軍人ぐんじんが、ザカリアスになりました。このにせザカリアスはフランスをおとずれ、「てつのカーテンひらき、自由じゆうがわ選択せんたくする」と宣言せんげんすることでリールとの契約けいやく意思いしあきらかにした。エノ会長かいちょうかれ本人ほんにん同一どういつ確認かくにん書類しょるい見落みおとし、正式せいしき契約けいやくませて報道陣ほうどうじん紹介しょうかいした。しかし、1954ねん7がつ2にちおこなわれた試合しあいにせザカリアスの計略けいりゃくあかるみにた。その下手糞へたくそなプレーをて、観客かんきゃく報道陣ほうどうじんはすぐにザカリアス本人ほんにんでないことに気付きづき、かれはプレーちゅう逮捕たいほされた。にせザハリアスはなりすましを白状はくじょうし、懲役ちょうえき2ねん判決はんけつけた。フランスにおけるリールの名声めいせい完全かんぜんきずつき、海外かいがいにもはなしひろまると、やがてリールはスポーツめんでの名声めいせいうしなっていった。 クープ・ドゥ・フランス優勝ゆうしょうからわずか2ねんの1955-56シーズン、リールは16わり、クラブ史上しじょうはつディヴィジョン・ドゥ(2降格こうかくとなった。わずか1シーズンでディヴィジョン・アン復帰ふっきたしたが、その2ねんの1959ねんにはふたたびディヴィジョン・ドゥに降格こうかくした。同年どうねんなつにはエノ会長かいちょう退任たいにんし、Cheuva監督かんとく辞任じにんした。

2度目どめ降格こうかく財政難ざいせいなんまねき、当時とうじのフランス最高さいこうがく移籍いせききん(1900まんフランス・フラン)でジャン・ヴァンサンスタッド・ランス売却ばいきゃくするなど、おおくの主力しゅりょく選手せんしゅらざるをなかった。1959ねんから1978ねんまではエレベータークラブとしてディヴィジョン・アンとディヴィジョン・ドゥをした。1969ねんにはフランスアマチュア選手権せんしゅけん(CFA)までんだ。15クラブちゅう10だったにもかかわらず、運営上うんえいじょう理由りゆうによって、フランスサッカー連盟れんめい(FFF)とフランスプロリーグ機構きこう(LFP)にディヴィジョン・ドゥ昇格しょうかくゆるされた。1977-78シーズン終了しゅうりょうにディヴィジョン・アン復帰ふっきたし、そのの19シーズンはディヴィジョン・アンの地位ちい維持いじした。この期間きかん最高さいこうは6であり、昇格しょうかく初年度しょねんどの1978-79シーズンと1990-91シーズンに記録きろくした。

ルコント会長かいちょう時代じだい

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1994ねんにはベルナール・ルコントが会長かいちょう就任しゅうにんし、ルコント会長かいちょうはLFPの財政ざいせい基準きじゅんがい転落てんらくからクラブをすくった。ルコント会長かいちょう高額こうがく移籍いせききん有望ゆうぼうかぶ獲得かくとくするのではなく、下部かぶ組織そしきでの選手せんしゅ育成いくせい重要じゅうようすることに回帰かいきし、ベノワブルーノのシェイルー兄弟きょうだいや、おおくの若手わかて有望ゆうぼうかぶ下部かぶ組織そしきれてきた。1996-97シーズン終了しゅうりょう、リールはディヴィジョン・ドゥ降格こうかくとなった。

1998ねん名称めいしょうに「リール・メトロポール」をふくむスポーツクラブのみに補助ほじょきんすことを目的もくてきとしたリール都市とし共同きょうどうたい方針ほうしんもとづいて「LOSCリール・メトロポール(LOSC Lille Métropole)」と名称めいしょう変更へんこうした。

1999-2000シーズン終了しゅうりょう、ボスニア・ヘルツェゴビナじんヴァイッド・ハリルホジッチ監督かんとくしたでディヴィジョン・アン復帰ふっきたした。2000-01シーズンは3となり、2001-02シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ本選ほんせんグループリーグをたたかった。2002ねん1がつ有名ゆうめい映画えいがプロデューサーのミシェル・セイドゥがクラブの株式かぶしき購入こうにゅうして小規模しょうきぼ株主かぶぬしとなった。

セイドゥ会長かいちょう時代じだい

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2002ねんから2008ねんまでリールをひきいたクロード・ピュエル監督かんとく

2002ねんなつには、かつてASモナコ指揮しきしたクロード・ピュエル監督かんとく就任しゅうにんした。2004ねんなつ、セイドゥはクラブ株式かぶしき過半数かはんすうてクラブの会長かいちょう就任しゅうにんした。かれ会長かいちょう初年度しょねんどとなった2004-05シーズンには、リヨンにぐ2でシーズンをえ、クラブ史上しじょうはじめてUEFAチャンピオンズリーグ本選ほんせんグループリーグからの出場しゅつじょうけん獲得かくとくASモナコオリンピック・マルセイユおさえ、おおくのフランスのサッカーファンをおどろかせた。また、どうシーズンのUEFAカップではベスト16となった。2005-06シーズンにも安定あんていしたプレーぶりで3となった。2005ねん11月2にち、UEFAチャンピオンズリーグのマンチェスター・ユナイテッドFCせんでは強豪きょうごう相手あいて白星しろぼしげた。4大会たいかい国内こくないリーグ、国内こくないカップ、国内こくないリーグカップ、CL)をちした2006-07シーズンはリーグせんで10わったが、UEFAチャンピオンズリーグのグループリーグではACミランぐ2となり、クラブ史上しじょうはじめて決勝けっしょうトーナメントに進出しんしゅつしたが、議論ぎろん余地よちのある試合しあいすえにマンチェスター・Uにやぶれた。2007-08シーズンにはパトリック・クライファートなどのベテランにくわえて才能さいのうある若手わかて台頭たいとうし、リーグせんで7となった。

(ミシェル・)セイドゥ会長かいちょうにはジェローム(・セイドゥ)という兄弟きょうだいがおり、ジェロームはオリンピック・リヨン株主かぶぬしである。リールからリヨンに移籍いせきする選手せんしゅ数多かずおおく、2000年代ねんだい後半こうはんだけでもエリック・アビダル(2004ねん)、マチュー・ボドメ(2007ねん)、カデル・ケイタ(2007ねん)、ジャン・マクーン(2008ねん)、ミチェル・バストス(2009ねん)などがいる[4]。2007ねんから2009ねんにかけては、バストス、マクーン、ケヴィン・ミララスなど、何人なんにんかの中心ちゅうしん選手せんしゅクラブに売却ばいきゃくした。2008ねん6がつにはピュエル監督かんとく退任たいにんしてリヨン指揮しきかん転任てんにんし、リュディ・ガルシア監督かんとく就任しゅうにん。ミシェル・セイドゥ会長かいちょうジェルヴィーニョフローラン・バルモンリオ・アントニオ・マヴュバピエール=アラン・フローなどのめい選手せんしゅ獲得かくとくし、「リールはクラブである」という認識にんしき払拭ふっしょくつとめた。ガルシア監督かんとく若手わかてアディル・ラミをレギュラーに抜擢ばってきし、ベルギーじんエデン・アザール下部かぶ組織そしきからトップチームに昇格しょうかくさせた。移籍いせき市場いちばでのうごきやクラブ方針ほうしん転換てんかんただちにむすび、2008-09シーズンは5UEFAヨーロッパリーグ出場しゅつじょうけん獲得かくとく。ガルシア監督かんとくのリールは攻撃こうげきてきなスタイルでつよ印象いんしょうあたえ、2009-10シーズンはリーグ最多さいたの72得点とくてんげて4躍進やくしんした。2010-11シーズンには、1954ねん以来いらい57ねんぶり3度目どめのリーグ制覇せいはたした。ストライカーのムサ・ソウが25得点とくてんげてリーグ得点とくてんおうかがやき、17得点とくてん15アシストのアザールがリーグ最優秀さいゆうしゅう選手せんしゅ選出せんしゅつされた[5]。チームは2シーズン連続れんぞくでリーグ最多さいたの68得点とくてんげると、クープ・ドゥ・フランスでも優勝ゆうしょうし、リーグとカップの2かん達成たっせいした[6][7]

2012-2013シーズンからグラン・スタッド・リール・メトロポール本拠地ほんきょち移転いてんし、クラブめいとエンブレムを変更へんこうした(現在げんざいのエンブレムは2018ねんから)。

ロペス会長かいちょう時代じだい

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2016-2017シーズンは、開幕かいまくから低迷ていめいし、11月18にちオリンピック・リヨンせんやぶれ、降格こうかくけんの19転落てんらくしたことでフレデリック・アントネッティ解任かいにんされた。後任こうにんにはアシスタントコーチであったパトリック・コロ暫定ざんてい監督かんとく就任しゅうにん[8]。また2017ねん1がつには、ルクセンブルク出身しゅっしん実業じつぎょうロータスF1チーム代表だいひょうなどをつとめるジェラール・ロペスがクラブを買収ばいしゅうし、しん会長かいちょう就任しゅうにんした[9]

クラブが創設そうせつされた1944ねんから1974ねんスタッド・アンリ・ジョリをホームスタジアムとしていた。このスタジアムはかつてオリンピック・リロワが使用しようしていたスタジアムであり、SCフィヴェとの合併がっぺいはリールの所有しょゆうぶつとなった。スタジアムめいは1910ねんから1932ねんまでオリンピック・リロワの会長かいちょうつとめたアンリ・ジョリに由来ゆらいしている。1974ねん、30ねんちか使用しようすることになるスタッド・グリモンプレ・ジョリ移転いてんし、1975ねん10がつ28にちフェイエノールト(オランダ)をまねいて落成らくせい記念きねん試合しあいおこなわれた。グリモンプレ・ジョリが老朽ろうきゅうしたため、2003ねん、クラブはスタジアムがっている場所ばしょしんスタジアムを建設けんせつすると発表はっぴょうし、2004-05シーズンからは一時いちじてき郊外こうがいヴィルヌーヴ=ダスクにあるスタジアム・ノール・リール・メトロポール移転いてんした[10]行政ぎょうせいてき政治せいじてき手続てつづきの遅延ちえんにより、建設けんせつ計画けいかく不透明ふとうめい状態じょうたいにおかれ、計画けいかく結局けっきょく2005ねんされた。リールがヴィルヌーヴ=ダスクとLezennesに位置いちするグラン・スタッド・リール・メトロポール建設けんせつへの資金しきん補助ほじょ決定けっていしたのは2006ねんだったが、リール都市としけんがグリモンプレ・ジョリのこわ費用ひよう供出きょうしゅつ同意どういし、正式せいしきこわしが開始かいしされたのは2010ねん3がつ22にちになってからだった[10]。スタッド・ノール・リール=メトロポールはUEFAチャンピオンズリーグ開催かいさい基準きじゅんたしていなかったため、どう大会たいかいのホームゲームはスタッド・フェリックス・ボラール(RCランスのホームスタジアム)やサン=ドニスタッド・ドゥ・フランスりて使用しようした。2011ねん欧州おうしゅうサッカー連盟れんめい(UEFA)がしんレギュレーションを採用さいようし、スタッド・ノール・リール=メトロポール使用しよう可能かのうとなった。しんスタジアムは2012ねん完成かんせいし、UEFA EURO 2016開催かいさい予定よていとなった[2][10]。8月17にち、2012-13シーズンのホーム開幕かいまくせんASナンシーたたかえ(1-1)がはつ試合しあいとなり、45,000にんあつめた[2]

国内こくないタイトル

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1945-46, 1953-54, 2010-11, 2020-21
1945-46, 1946-47, 1947-48, 1952-53, 1954-55, 2010-11
2021
1963-64, 1973-74, 1977-78, 1999-00
  • クープ・ガンバルデッラ:1かい
1960

国際こくさいタイトル

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2004

過去かこ成績せいせき

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シーズン リーグせん カップせん リーグはい
ディビジョン ためし かち ぶん はい とく しつ てん 順位じゅんい
1944-45 ディヴィジョン・アン 22 14 0 8 69 37 28 5 じゅん優勝ゆうしょう
1945-46 ディヴィジョン・アン 34 19 7 8 89 44 45 1 優勝ゆうしょう
1946-47 ディヴィジョン・アン 38 20 7 11 89 52 47 4 優勝ゆうしょう
1947-48 ディヴィジョン・アン 34 20 7 7 82 51 47 2 優勝ゆうしょう
1948-49 ディヴィジョン・アン 34 21 5 8 102 40 47 2 じゅん優勝ゆうしょう
1949-50 ディヴィジョン・アン 34 20 5 9 79 44 45 2 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
1950-51 ディヴィジョン・アン 34 17 7 10 57 43 41 2 ベスト16
1951-52 ディヴィジョン・アン 34 19 6 9 85 50 44 3 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
1952-53 ディヴィジョン・アン 34 15 10 9 61 43 40 4 優勝ゆうしょう
1953-54 ディヴィジョン・アン 34 17 13 4 49 22 47 1 ベスト32
1954-55 ディヴィジョン・アン 34 11 8 15 61 58 30 16 優勝ゆうしょう
1955-56 ディヴィジョン・アン 34 10 4 20 58 65 24 16 ベスト32
1956-57 ディヴィジョン・ドゥ 38 21 10 7 99 51 52 3 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
1957-58 ディヴィジョン・アン 34 17 3 14 71 59 37 6 ベスト32
1958-59 ディヴィジョン・アン 38 9 11 18 56 78 29 18 ベスト32
1959-60 ディヴィジョン・ドゥ 38 12 12 14 62 62 36 11 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
1960-61 ディヴィジョン・ドゥ 36 14 12 10 49 43 40 9 ベスト32
1961-62 ディヴィジョン・ドゥ 36 14 9 13 64 56 37 8 ベスト64
1962-63 ディヴィジョン・ドゥ 36 15 8 13 63 59 38 7 ベスト64
1963-64 ディヴィジョン・ドゥ 34 22 6 6 62 29 50 1 ベスト32
1964-65 ディヴィジョン・アン 34 10 14 10 57 43 34 9 ベスト32
1965-66 ディヴィジョン・アン 38 12 6 20 51 71 30 18 ベスト16
1966-67 ディヴィジョン・アン 38 15 8 15 48 50 38 10 ベスト16
1967-68 ディヴィジョン・アン 38 9 9 20 35 52 27 19 ベスト64
1968-69 ディヴィジョン・ドゥ 40 14 14 12 56 51 40 13 ベスト32
1969-70 ディヴィジョン・ナシオナル 28 9 6 13 40 47 24 10 ベスト64
1970-71 ディヴィジョン・ドゥ 30 19 6 5 56 25 44 1 ベスト32
1971-72 ディヴィジョン・アン 38 8 10 20 43 68 26 18 ベスト64
1972-73 ディヴィジョン・ドゥ 34 19 6 9 60 26 44 3 ベスト16
1973-74 ディヴィジョン・ドゥ 34 24 8 2 68 21 67 1 ベスト32
1974-75 ディヴィジョン・アン 38 15 5 18 53 56 39 13 ベスト16
1975-76 ディヴィジョン・アン 38 14 8 16 59 73 40 13 ベスト16
1976-77 ディヴィジョン・アン 38 7 7 24 40 67 21 19 ベスト32
1977-78 ディヴィジョン・ドゥ 34 21 9 4 75 28 51 1 ベスト16
1978-79 ディヴィジョン・アン 38 11 18 9 67 62 40 6 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
1979-80 ディヴィジョン・アン 38 12 11 15 45 49 35 13 ベスト16
1980-81 ディヴィジョン・アン 38 10 11 17 55 71 31 17 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
1981-82 ディヴィジョン・アン 38 13 8 17 46 54 34 14 ベスト64
1982-83 ディヴィジョン・アン 38 13 8 17 38 45 34 13 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
1983-84 ディヴィジョン・アン 38 13 11 14 49 49 37 9 ベスト64
1984-85 ディヴィジョン・アン 38 9 13 16 37 45 31 16 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
1985-86 ディヴィジョン・アン 38 13 11 14 40 48 37 10 ベスト32
1986-87 ディヴィジョン・アン 38 12 10 16 39 38 34 14 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
1987-88 ディヴィジョン・アン 38 13 10 15 45 40 36 12 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
1988-89 ディヴィジョン・アン 38 15 11 12 50 38 56 8 ベスト16
1989-90 ディヴィジョン・アン 38 12 9 17 43 52 33 17 ベスト16
1990-91 ディヴィジョン・アン 38 11 17 10 39 37 39 6 ベスト32
1991-92 ディヴィジョン・アン 38 11 13 14 31 34 35 13 ベスト64
1992-93 ディヴィジョン・アン 38 7 16 15 26 48 30 17 ベスト64
1993-94 ディヴィジョン・アン 38 8 16 14 41 52 32 15 ベスト64
1994-95 ディヴィジオン・アン 38 13 9 16 29 44 48 14 ベスト32 ベスト32
1995-96 ディヴィジオン・アン 38 9 12 17 27 50 39 17 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい ベスト16
1996-97 ディヴィジオン・アン 38 8 11 19 32 58 35 19 ベスト16 ベスト32
1997-98 ディヴィジオン・ドゥ 42 17 14 11 62 44 65 4 8回戦かいせん敗退はいたい ベスト32
1998-99 ディヴィジオン・ドゥ 38 19 7 12 45 35 64 4 ベスト16 1回戦かいせん敗退はいたい
1999-2000 ディヴィジオン・ドゥ 38 25 8 5 58 25 83 1 ベスト64 1回戦かいせん敗退はいたい
2000-01 ディヴィジオン・アン 34 16 11 7 43 27 59 3 ベスト64 ベスト32
2001-02 ディヴィジオン・アン 34 15 11 8 39 32 56 5 ベスト64 ベスト32
2002-03 リーグ・アン 38 10 12 16 29 44 42 14 ベスト16 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
2003-04 リーグ・アン 38 14 9 15 41 41 51 10 ベスト64 ベスト16
2004-05 リーグ・アン 38 18 13 7 52 29 67 2 ベスト16 ベスト16
2005-06 リーグ・アン 38 16 14 8 56 31 62 3 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい ベスト16
2006-07 リーグ・アン 38 13 11 14 45 43 50 10 ベスト16 ベスト16
2007-08 リーグ・アン 38 13 18 7 45 32 57 7 ベスト16 ベスト32
2008-09 リーグ・アン 38 17 13 8 51 39 64 5 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい ベスト32
2009-10 リーグ・アン 38 21 7 10 72 40 70 4 ベスト64 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
2010-11 リーグ・アン 38 21 13 4 68 36 76 1 優勝ゆうしょう 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
2011-12 リーグ・アン 38 21 11 6 72 39 74 3 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
2012-13 リーグ・アン 38 16 14 8 59 40 62 6 ベスト16 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
2013-14 リーグ・アン 38 20 11 7 46 26 71 3 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい ベスト32
2014-15 リーグ・アン 38 16 8 14 43 42 56 8 ベスト64 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
2015-16 リーグ・アン 38 15 15 8 39 27 60 5 ベスト32 じゅん優勝ゆうしょう
2016-17 リーグ・アン 38 13 7 18 40 47 46 11 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい ベスト16
2017-18 リーグ・アン 38 10 8 20 41 67 38 17 ベスト32 ベスト16
2018-19 リーグ・アン 38 22 9 7 68 33 75 2 ベスト16 3回戦かいせん敗退はいたい
2019-20 リーグ・アン 28 15 4 9 35 27 49 4 ベスト16 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
2020-21 リーグ・アン 38 24 11 3 64 23 83 1 ベスト16
2021-22 リーグ・アン 38 14 13 11 48 48 55 10 ベスト32
2022-23 リーグ・アン 38 19 10 9 65 44 67 5 ベスト16
2023-24 リーグ・アン 38 くらい

欧州おうしゅう成績せいせき

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げん所属しょぞくメンバー

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リーグ・アン2023-24シーズン 基本きほんフォーメーション(4-2-3-1)
2023ねん11月8にち現在げんざい[11]

ちゅう選手せんしゅ国籍こくせき表記ひょうきFIFAのさだめた代表だいひょう資格しかくルールもとづく。

No. Pos. 選手せんしゅめい
1 GK   ヴィト・マンノーネ
3 DF   チアゴ・ジャロ ( )
4 DF   アレクサンドロ
5 DF   ガブリエル・グドムンドソン
6 MF   ナビル・ベンタレブ ( )
7 MF   ハコン・アルナル・ハラルドソン
8 MF   アンヘル・ゴメス ( )
9 FW   ジョナサン・デイヴィッド ( )
10 MF   レミ・カベッラ ( )
11 MF   アダム・ウナス ( )
12 MF   ユスフ・ヤズジュ
13 DF   アキム・ゼダドゥカ
No. Pos. 選手せんしゅめい
14 DF   サミュエル・ユムティティ ( )
15 DF   レニー・ヨロ ( )
16 GK   アダム・ヤクベフ
17 FW   イヴァン・カヴァレイロ ( )
18 DF   バフォデ・ディアキテ ( )
20 MF   イグナシオ・ミラモン
21 MF   バンジャマン・アンドレ
22 DF   チアゴ・サントス
23 MF   エドン・ジェグロヴァ ( ) ( ) ( )
26 FW   アラン・ヴィルジニウス
30 GK   リュカ・シュヴァリエ
31 DF   イスマイリー

括弧かっこない国旗こっきはその保有ほゆう国籍こくせき、もしくは市民しみんけんほししるし外国がいこくじんわく選手せんしゅしめす。

監督かんとく

ローン移籍いせき

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in

ちゅう選手せんしゅ国籍こくせき表記ひょうきFIFAのさだめた代表だいひょう資格しかくルールもとづく。

No. Pos. 選手せんしゅめい
out

ちゅう選手せんしゅ国籍こくせき表記ひょうきFIFAのさだめた代表だいひょう資格しかくルールもとづく。

No. Pos. 選手せんしゅめい
-- MF   ウゴ・ラグーベル (ル・マンFC)
-- FW   モハメド・バヨ (ル・アーヴルAC)

歴代れきだい監督かんとく

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歴代れきだい監督かんとくには、もとベルギー代表だいひょうジョルジュ・ヘイレンス(1984ねん-1989ねん)、2002ねんから2004ねんフランス代表だいひょう指揮しきしたジャック・サンティニ(1989ねん-1992ねん)、2002 FIFAワールドカップセネガル代表だいひょう指揮しきしたブルーノ・メツ(1992ねん-1993ねん)、かつてフランス代表だいひょうのアシスタントコーチをつとめたピエール・マンコウスキ(1993ねん-1994ねん)、1990年代ねんだい後半こうはん復調ふくちょう貢献こうけんしたヴァイッド・ハリルホジッチ(1998ねん-2002ねん)、オリンピック・リヨン監督かんとく転身てんしんしたクロード・ピュエル(2002ねん-2008ねん)などがいる。

 
ジョージ・ベリー
 
ヴァイッド・ハリルホジッチ
 
クロード・ピュエル
 
リュディ・ガルシア
1991ねんミラン・デュリシッチ監督かんとく共同きょうどう


歴代れきだい所属しょぞく選手せんしゅ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ #66 – Lille OSC : les Dogues” (フランス語ふらんすご). Footnickname (2020ねん5がつ13にち). 2021ねん11月14にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c Qoly.jp (2012ねん8がつ21にち). “バスケの試合しあいもできるリールの最新さいしんがたスタジアムがオープン”. 2013ねん2がつ1にち閲覧えつらん
  3. ^ Lille seal historic title”. ESPN Soccernet (2011ねん5がつ21にち). 2011ねん5がつ24にち閲覧えつらん
  4. ^ livedoorスポーツ (2009ねん7がつ15にち). “フランス期待きたい大型おおがたDF、マルセイユ移籍いせきはなし激怒げきど”. 2009ねん7がつ17にち閲覧えつらん
  5. ^ スカイパーフェクTV (2012ねん5がつ13にち). “マンUら関心かんしんのリールMFアザール、ふつ『レキップ』選定せんてい年間ねんかんMVPに”. 2013ねん2がつ1にち閲覧えつらん
  6. ^ UEFA.com (2011ねん8がつ2にち). “王者おうじゃリール、タイトル防衛ぼうえい挑戦ちょうせんをスタート”. 2013ねん2がつ1にち閲覧えつらん
  7. ^ スポーツナビ (2011ねん6がつ16にち). ““フランスばんバルサ”がせたかい進撃しんげき わか才能さいのうかがやいたリール、56ねんぶりの戴冠たいかん”. 2011ねん6がつ19にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん2がつ1にち閲覧えつらん
  8. ^ Qoly (2016ねん11月24にち). “リール、もとガンバ大阪がんばおおさかのアントネッティ監督かんとく解任かいにん”. 2017ねん2がつ1にち閲覧えつらん
  9. ^ Qoly (2017ねん1がつ31にち). “買収ばいしゅうでビッグクラブへ!リールがあのオランダの超新星ちょうしんせい獲得かくとく”. 2017ねん2がつ1にち閲覧えつらん
  10. ^ a b c Goal.com (2012ねん3がつ14にち). “リール、5まんにん収容しゅうようしんスタジアムを披露ひろう”. 2013ねん2がつ1にち閲覧えつらん
  11. ^ Effectif LOSC”. LOSC. 8 Novenber 2023閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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