(Translated by https://www.hiragana.jp/)
MP18 - Wikipedia

MP18は、だいいち世界せかい大戦たいせん末期まっきドイツ帝国ていこく開発かいはつされたたん機関きかんじゅうである。1918ねん3月のドイツぐん春季しゅんきだい攻勢こうせいよう決戦けっせん兵器へいきとして製造せいぞうされた。だい世界せかい大戦たいせんころまでに登場とうじょうしたたん機関きかんじゅうおおくはMP18のデザインからつよ影響えいきょうけているため、たん機関きかんじゅうがたとされる[ちゅう 1]

MP18
MP18
MP18
種類しゅるい たん機関きかんじゅう
製造せいぞうこく ドイツの旗 ドイツ帝国ていこく
ドイツの旗 ドイツこく
スイスの旗 スイス
設計せっけい製造せいぞう テオドール・ベルグマンしゃ
SIGしゃ
仕様しよう
種別しゅべつ たん機関きかんじゅう
口径こうけい 9mm
銃身じゅうしんちょう 201mm
使用しよう弾薬だんやく 9mmパラベラムだん.30ルガーだん7.63mmマウザーだん9mmラルゴだん
装弾そうだんすう ルガーP08よう32連発れんぱつスネイルマガジン
20連発れんぱつボックスマガジン
作動さどう方式ほうしき ストレート・ブローバック、オープンボルト
全長ぜんちょう 818mm
重量じゅうりょう 4350g
発射はっしゃ速度そくど 350 - 450はつ/ぶん
銃口じゅうこう初速しょそく 380m/s
有効ゆうこう射程しゃてい 100m
歴史れきし 
設計せっけいねん 1917ねん
製造せいぞう期間きかん 1918ねん - 1920年代ねんだい初期しょき
配備はいび期間きかん 1918ねん - 1945ねん
配備はいびさき ドイツ帝国ていこくぐんドイツ警察けいさつフライコールIRA中国ちゅうごく国民こくみん革命かくめいぐん日本にっぽん海軍かいぐん陸戦りくせんたいドイツ国防こくぼうぐんコンドル軍団ぐんだん武装ぶそう親衛隊しんえいたい国民こくみん突撃とつげきたい
関連かんれん戦争せんそう紛争ふんそう だいいち世界せかい大戦たいせんドイツ革命かくめいだいいち上海しゃんはい事変じへんスペイン内戦ないせんだい上海しゃんはい事変じへんだい世界せかい大戦たいせん
バリエーション MP28
製造せいぞうすう 35,000ちょう(MP18のみ)
テンプレートを表示ひょうじ

開発かいはつ背景はいけい

編集へんしゅう

だいいち世界せかい大戦たいせん出現しゅつげんし、機関きかんじゅう鉄条てつじょうもう塹壕ざんごうわせて堅固けんご防御ぼうぎょりょくしめした塹壕ざんごう陣地じんちは、野砲やほうによる砲撃ほうげきでも容易よういには破壊はかいできず、歩兵ほへい肉薄にくはくして直接ちょくせつ制圧せいあつしなければならない存在そんざいだった。

陣地じんち防衛ぼうえいする機関きかんじゅうによる弾幕だんまく射撃しゃげき効果こうか歩兵ほへいにとって巨大きょだい脅威きょういであり、人海じんかい戦術せんじゅつによる攻撃こうげき効果こうかをもたらさず、いたずらに膨大ぼうだい犠牲ぎせいだけがしょうじるようになった。このため戦闘せんとう膠着こうちゃく状態じょうたいおちいって長期ちょうきし、開戦かいせんには想像そうぞうもされていなかった国家こっか総動員そうどういんによるそう力戦りきせんした国民こくみん生活せいかつ破壊はかいされ、ロシア帝国ていこくのように国内こくない統治とうちうしな国家こっかまで出現しゅつげんした。

従来じゅうらい歩兵ほへい戦術せんじゅつおおくが塹壕ざんごう陣地じんちまえ陳腐ちんぷした結果けっか航空機こうくうき戦車せんしゃどくガスといったさまざまなしん兵器へいき戦線せんせん投入とうにゅうされたが、これらのしん兵器へいき能力のうりょくひく絶対ぜったいすうらなかったため戦局せんきょくけっする決定けっていとはなりえなかった。

歩兵ほへい機関きかんじゅう陣地じんち制圧せいあつする能力のうりょくあたえるべく、迫撃はくげきほう手榴弾しゅりゅうだんといったすですたれていた兵器へいき近代きんだいされて復活ふっかつしたが、これらの攻撃こうげき塹壕ざんごう陣地じんち形状けいじょう変更へんこうするだけで無力むりょくされ、効果こうか限定げんていてきだった。また塹壕ざんごう陣地じんち制圧せいあつには歩兵ほへいによる白兵戦はくへいせん不可欠ふかけつだったが、そのための手段しゅだん銃剣じゅうけんスコップといった中世ちゅうせい大差たいさない武器ぶきしか存在そんざいしなかった。

このため、敵陣てきじん肉薄にくはくした歩兵ほへい機関きかんじゅう対抗たいこうできるだけの弾幕だんまく容易ようい構成こうせいしててき塹壕ざんごうない掃射そうしゃして制圧せいあつできる兵器へいきへの要望ようぼうたかまり、さまざまな軽量けいりょう自動じどう火器かき出現しゅつげんうながされた。

1915ねんまでにドイツ陸軍りくぐん西部せいぶ戦線せんせん膠着こうちゃく打破だはするべく浸透しんとう戦術せんじゅつ研究けんきゅう着手ちゃくしゅし、これを実行じっこうするための専門せんもん部隊ぶたいとして突撃とつげきたい(Sturmabteilung)の編成へんせいおこなわれた。陸軍りくぐんでは、この部隊ぶたい従事じゅうじするであろう迅速じんそく攻撃こうげき接近せっきんせんてきした、あたらしい軽量けいりょう火器かき必要ひつようとされた[2]

開発かいはつ

編集へんしゅう

1915ねんシュパンダウ小銃しょうじゅう試験しけん委員いいんかい英語えいごばん(GPK)は、前線ぜんせん要求ようきゅうこたえるあらたな火器かき要件ようけん策定さくていおこなった。この火器かきは、軽量けいりょうかつフルオート射撃しゃげき可能かのうで、近接きんせつ戦闘せんとうてきしたものでなければならず、また単純たんじゅんかつ頑丈がんじょう1人ひとり容易よういはこべるものでなければならなかった。すなわち、機関きかんじゅう火力かりょく拳銃けんじゅう軽便けいべんさをそなえたじゅうである。使用しよう弾薬だんやくは9x19mmの標準ひょうじゅん拳銃けんじゅうだんもちいることとされた。初期しょきのアイデアの1つは、ちょう銃身じゅうしんがたP08拳銃けんじゅう銃床じゅうしょうとフルオート射撃しゃげき機能きのう追加ついかするというものだった。しかし、評価ひょうか結果けっか、フルオート射撃しゃげき発射はっしゃ速度そくどがあまりにはやく、銃口じゅうこうがりがおおきすぎるとして、採用さいよう見送みおくられた[1]

1916ねんまでに、ヒューゴ・シュマイザーアンドレアス・ヴィルヘルム・シュヴァルツローズドイツばんが、それぞれ有望ゆうぼうとされた設計せっけいあん提出ていしゅつした。徹底的てっていてき試験しけんおこなわれるなか、シュマイザー設計せっけいあんテオドール・ベルグマン英語えいごばん武器ぶき製造せいぞうしゃ支援しえんのもとで改良かいりょうかさねられ、1918ねんにはGPKの承認しょうにんけることとなった。この新兵しんぺい名称めいしょうはMaschinenpistole 18,I、すなわちMP18,I[ちゅう 2]とされ、プロイセン戦争せんそうしょうは50,000ちょう調達ちょうたつ契約けいやくむすんだ[1]。ここでもちいられた機関きかん短銃たんじゅう(Maschinenpistole、MP)なる名称めいしょうは、ドイツにおいて同種どうしゅ火器かき分類ぶんるい拳銃けんじゅうだんもちいる小型こがた機関きかんじゅう)をかたりとなった。

 
ルガーP08と共用きょうようの32連発れんぱつスネイル・マガジン
 
専用せんようローダーをもちいた装填そうてん作業さぎょうつくえうえ弾薬だんやくこうがわに、マガジンスリーブがかれている

MP18は小銃しょうじゅう同様どうよう木製もくせい銃床じゅうしょうそなえており、銃身じゅうしんには全体ぜんたいおお放熱ほうねつとうけられていた。この放熱ほうねつとう後方こうほうにボルトとリコイル・スプリングを収納しゅうのうする機関きかん設置せっちされている。

作動さどう方式ほうしきシンプル・ブローバック方式ほうしきで、当初とうしょから短距離たんきょりでの使用しよう想定そうていされていたため、長距離ちょうきょりでの命中めいちゅう精度せいど度外視どがいし、オープンボルト状態じょうたいからの射撃しゃげき[ちゅう 3]でフルオートのみというのちたん機関きかんじゅうのコンセプトをすべ実現じつげんしたデザインとなっている。

発射はっしゃ速度そくどが350-450はつ/ぶん比較的ひかくてきひくく、引金ひきがねかた次第しだいでバースト射撃しゃげきやセミオート射撃しゃげき容易よういであった。あきらもん照準しょうじゅん距離きょり100mと200mの切替きりかえしきだった[1]

安全あんぜん装置そうち装備そうびされていなかった。ボルトハンドルをってうえへひねり、スロットにけることが唯一ゆいいつ安全あんぜん措置そちであった。オープンボルト方式ほうしきたん機関きかんじゅうのうち、ボルトを固定こていできない機種きしゅ共通きょうつうする欠点けってんとして、ボルトを前進ぜんしんさせて弾倉だんそう挿入そうにゅうした状態じょうたい外部がいぶから衝撃しょうげきくわわると、ボルトが慣性かんせい後退こうたいして暴発ぼうはつにつながるおそれがあった。

当初とうしょ設計せっけいでは専用せんようの20連発れんぱつばこがた弾倉だんそう使用しようする予定よていだったが、すで多数たすう在庫ざいこゆうした砲兵ほうへいようルガーP08ピストルと共通きょうつうの32れんスネイル・マガジンを使用しようすることがGPKから要求ようきゅうされた。弾倉だんそうこうはP08のグリップとおな角度かくど後方こうほう傾斜けいしゃしているが、ややみじかく、そのままマガジンをむとふかさりすぎ動作どうさ不良ふりょうこす可能かのうせいがあった。そのため、弾倉だんそうけてこのギャップをめるスリーブがつくられた。32れんスネイル・マガジンは装填そうてん状態じょうたいで2.35ポンド程度ていど重量じゅうりょうがあり、これが左側ひだりがわめん装填そうてんされていたことは、弾倉だんそうこう角度かくどわせてじゅう保持ほじしたさいのバランスをわるくした。側面そくめん弾倉だんそう配置はいちするレイアウトは、射手しゃしゅ姿勢しせいせて射撃しゃげきおこなさい身体しんたいおおきくさら必要ひつようがないことが利点りてんだが、重量じゅうりょうバランスにくわえて、きゅうだん信頼しんらいせいそこねるという欠点けってんがある[5]装填そうてん手間てまがかかることや、特殊とくしゅ形状けいじょうのためはこびがしつらてん指摘してきされた[2]だいいち世界せかい大戦たいせんには20連発れんぱつあるいは32連発れんぱつはこがた弾倉だんそう(ダブルスタック/シングルフィード)が考案こうあんされた。この弾倉だんそう型式けいしき以後いごたん機関きかんじゅうでしばしば模倣もほうされたが、理想りそうてきなものとはいがたかった。とくにホコリやよごれの影響えいきょうけたさい装弾そうだん不良ふりょうこしやすかったためである[1]弾倉だんそう設計せっけいのほか、レシーバチューブのリコイルスロットやはいさいかちこうなどの開口かいこうふさぐダストカバーなどがなく、どろよごれによわかったてん欠点けってんであった[5]

生産せいさん効率こうりつするため、ベルクマンしゃかく部品ぶひん製造せいぞう下請したう業者ぎょうしゃ依頼いらいし、自社じしゃではおもてをおこなった。これは当時とうじとしては革新かくしんてきなアイデアだった[5]

実戦じっせんでの使用しよう

編集へんしゅう

だいいち世界せかい大戦たいせん

編集へんしゅう
 
MP18とP08を突撃とつげき歩兵ほへい: 1918ねんはる きたフランスにて

1918ねん3月21にちカイザー・シュラハト(Kaiserschlacht皇帝こうていたたかい)とばれるドイツぐん春季しゅんきだい攻勢こうせい開始かいしされた。

この攻勢こうせい連合れんごうこくけた損害そんがい甚大じんだいなものであり、5,000ていのMP18を装備そうびした突撃とつげき歩兵ほへい活躍かつやく連合れんごうぐん塹壕ざんごうせん突破とっぱすること成功せいこうしたドイツぐんはわずか8にちで65kmも前進ぜんしんし、パリ巨大きょだい列車れっしゃほうパリほう」の射程しゃていないおさめた。砲撃ほうげきけたパリは相当そうとう被害ひがいこうむり、ドイツ国内こくない戦勝せんしょう祝賀しゅくがムードにつつまれたほどだった。

しかし兵力へいりょく不足ふそく徒歩とほ行軍こうぐん主体しゅたい歩兵ほへい機動きどう力不足ちからぶそくから攻勢こうせいは6がつまでに頓挫とんざする。ドイツぐん戦略せんりゃく目標もくひょうだった早期そうき決着けっちゃく実現じつげんできず、210まんものべいぐんくわわった連合れんごうこくとの兵力へいりょく挽回ばんかいできないままドイツ帝国ていこくはその国力こくりょく使つかたしてしまった。

MP18は突撃とつげき歩兵ほへいにも使つかわれたが、当時とうじすでにドイツぐん指導しどう防御ぼうぎょてき思考しこう移行いこうしており、おおくのMP18は機関きかんじゅう陣地じんち守備しゅび強化きょうかなどのために使つかわれた。本来ほんらい、MP18はすべての下士官かしかん支給しきゅうすることが想定そうていされ、理論りろんじょうぜんぐんの1わりほどが装備そうびすることとされていた。また、かく中隊ちゅうたいには12にん兵士へいしからたん機関きかんじゅう小隊しょうたい設置せっちされた。このうち6にん射手しゃしゅ、6にん弾薬だんやくしゅで、1人ひとりずつのくみになっていた。弾薬だんやくしゅのために、弾薬だんやく運搬うんぱんよう手押ておしゃ設計せっけいされた。また、射手しゃしゅ死亡しぼうしたさいには弾薬だんやくしゅたん機関きかんじゅう射撃しゃげきぐこととされていた[5]前線ぜんせんでは、手押ておしゃ使つかわれないこともおおかった[2]前線ぜんせんではグラーベンフェーガー(Grabenfeger、「塹壕ざんごうほうき」)とも通称つうしょうされた[4]

7がつはじまった連合れんごうぐん反撃はんげきけてドイツぐん後退こうたいをはじめ、ぐんないでも反乱はんらんきはじめた。ロシア革命かくめいによる共産きょうさん革命かくめいおそれたぐん左派さは勢力せいりょく妥協だきょうした結果けっか、11月にはドイツ革命かくめいもとにドイツ帝国ていこく自体じたい崩壊ほうかいあらたに樹立じゅりつされたヴァイマル共和きょうわこく連合れんごうこくとの休戦きゅうせん協定きょうてい締結ていけつ。これによりだいいち世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつした。

50,000ちょう調達ちょうたつ契約けいやくたいし、実際じっさい配備はいびされたMP18は17,677ちょうのみだった[2]。また、配備はいびされたうち実際じっさい戦闘せんとう投入とうにゅうされたかずさらすくないとともわれている[4]

せんあいだだい世界せかい大戦たいせん

編集へんしゅう
 
MP18をにするドイツの警察官けいさつかん後退こうたいさせたボルトハンドルをレシーバーのスロットにけている(1919ねん
 
SIG M1920

敗戦はいせんヴァイマル共和きょうわせいしたのドイツでは、ヴェルサイユ条約じょうやくによって軍備ぐんびきびしく制限せいげんされた。たん機関きかんじゅうについては条約じょうやくなか直接ちょくせつ言及げんきゅうされていなかったものの、ぐんへの配備はいび制限せいげん対象たいしょうであるけい機関きかんじゅう自動じどう小銃しょうじゅう該当がいとうしうるとかんがえられた[6]。そのため、1920年代ねんだいにはもっぱら警察けいさつ組織そしきへの配備はいびおこなわれた。ただし、ヴァイマル共和きょうわ国軍こくぐんおよびくろ国防こくぼうぐんしょうされる非合法ひごうほう戦力せんりょくでも、秘密裏ひみつり配備はいびおこなわれていたとわれている[4]。また、軍部ぐんぶ敗戦はいせん民間みんかん流出りゅうしゅつしたじゅう買戻かいもどしおよび特赦とくしゃ実施じっしした。しかし、回収かいしゅうされたじゅう武器ぶきからぬすされ、ふたた買戻かいもどしに提出ていしゅつされる事例じれい相次あいついだため、1920ねんにはMP18をふく当局とうきょく保有ほゆうするすべてのじゅうに1920の刻印こくいんくわえられた。つまり、買戻かいもどしに提出ていしゅつされたじゅうに1920の刻印こくいんがあれば、それが盗品とうひんであることがあきらかになるのである[4]

ドイツ国内こくないでのたん機関きかんじゅう製造せいぞう販売はんばい困難こんなんになったベルクマンしゃは、スイスのスイス工業こうぎょうしゃ(SIG)とライセンス契約けいやくむすんだ。SIGが1920ねんから1927ねんにかけて製造せいぞうしたモデルは、SIG M1920やベルクマン特許とっきょがた(Brevet Bergmann)などとばれ、100mから1000mまで調整ちょうせいできるタンジェントサイトなどの改良かいりょうくわえられていた[7]きゅうだんは50連発れんぱつばこがた弾倉だんそうからおこなわれる。この弾倉だんそうはダブルスタック/ダブルフィードしきで、シングルフィードしきからの変更へんこうともなってボルトの形状けいじょうあらためられた[4]。SIG M1920はおも海外かいがい輸出ゆしゅつよう製品せいひん位置いちづけられた。口径こうけいは7.65mmモーゼル、7.63mm、9mmモーゼル、9mmパラベラムなどの仕様しようがあり、製造せいぞうされただい部分ぶぶんは7.63mm仕様しようモデルであった[1]。また、1930ねんには弾倉だんそうにぎってかまえたさいきるきゅうだん不良ふりょうへの対策たいさくとして、着脱ちゃくだつしき垂直すいちょくグリップを追加ついかし、弾倉だんそう位置いち右側みぎがわへとうつしたSIG M1930が開発かいはつされている[7]

SIGとの契約けいやく直後ちょくご、シュマイザーはベルクマンしゃ退職たいしょくしてハーネルドイツばんしゃうつり、独自どくじにMP18ようはこがた弾倉だんそう開発かいはつおこなった。これは弾倉だんそうこう弾倉だんそうのセットで、じゅう自体じたい新規しんき製造せいぞうおこなわれず、既存きそんのMP18の改修かいしゅうのみった。9mm以外いがい様々さまざま弾薬だんやくにも容易ようい転換てんかん可能かのう設計せっけいとされていた。刻印こくいん戦時せんじちゅうおなじMP.18,Iのしたに、一連いちれん改良かいりょう名称めいしょうであるシステム・シュマイザー(System Schmeisser)の文字もじくわえられた。しょ外国がいこくあるいはドイツ各地かくち警察けいさつ組織そしきへの販売はんばい想定そうていされていたが、財政難ざいせいなんのためにドイツ軍部ぐんぶ採用さいよう見送みおくり、結局けっきょく財政ざいせいてき余裕よゆうのある一部いちぶしゅう警察けいさつ採用さいようするにとどまった。そのため、旧式きゅうしきのスネイル・マガジン仕様しようのまま1940年代ねんだいまで使つかわれたMP18もおおかった[6]。この改良かいりょうくわえられたモデルを、改良かいりょうされたこと(verbessert)をしめすVをくわえてMP18,Ivのようにぶこともある。

MP18にかぎらず、だいいち世界せかい大戦たいせんのドイツ警察けいさつ使用しようされた各種かくしゅたん機関きかんじゅうには、手動しゅどうしき安全あんぜん装置そうち追加ついかされた個体こたいがある。これはレシーバーのうえそとけされた回転かいてんしきレバーで、「S」にえると前進ぜんしん状態じょうたいのボルトが固定こていされ、ボルトがあやまって後退こうたいすることによる暴発ぼうはつ事故じこ予防よぼうできた。

MP28は、システム・シュマイザーの設計せっけいもとにしつつ、シュマイザー自身じしん設計せっけいしたMP18の改良かいりょうがたである[6]。MP18とよくていたが、20/32連発れんぱつばこがた弾倉だんそうもちいるほか、セミ/フルオート射撃しゃげきえられるセレクティブ・ファイア機能きのう追加ついかされていた。フルオート射撃しゃげき発射はっしゃ速度そくどたかくされていた。あきらもんは1000mまで照準しょうじゅん距離きょり調整ちょうせいできるようになった。1925ねんにはヴァイマル共和きょうわ国軍こくぐんによる非合法ひごうほう試験しけんけている[1]

1935ねん、ドイツにおける主要しゅよう権力けんりょく掌握しょうあくしたアドルフ・ヒトラー総統そうとうドイツさい軍備ぐんび宣言せんげんおこなった。これによりドイツぐんドイツ国防こくぼうぐん(Wehrmacht)として再建さいけんされ、MP28も制式せいしき兵器へいきとして採用さいようされた。その国防こくぼうぐんから遠征えんせいぐん軍事ぐんじ顧問こもん派遣はけんされていたスペイン内戦ないせんだい上海しゃんはい事変じへんではMP28の実戦じっせん投入とうにゅうおこなわれている。だい世界せかい大戦たいせんには、より設計せっけいすぐれたMP38/MP40登場とうじょうによって予備よび兵器へいき格下かくさげとなったが、武装ぶそう親衛隊しんえいたいなどが使用しようつづけたほか大戦たいせん末期まっきには銃器じゅうき不足ふそく国民こくみん突撃とつげきたいなどへ支給しきゅうされた。

ドイツ国外こくがいでの運用うんよう

編集へんしゅう

当時とうじおおくのくに陸軍りくぐん同様どうよう、1920年代ねんだいフィンランド陸軍りくぐんは、たん機関きかんじゅう有用ゆうようせい懐疑かいぎてきで、あまり関心かんしんしめしていなかった。一方いっぽうはくまもるぐんフィンランドばんでは、1922ねんからスイスせいSIG M1920を調達ちょうたつし、m/20たん機関きかんじゅう名称めいしょう配備はいびすすめた。1932ねん7がつまでに、はくまもるぐん合計ごうけい1,415ちょうのMP18を配備はいびし、そのうち1,410ちょうが7.65x21mm仕様しよう、5ちょうが9x19mm仕様しようだった。国産こくさんm/31たん機関きかんじゅう採用さいよう更新こうしんこころみられたものの、調達ちょうたつ遅々ちちとしてすすまず、1939ねん9がつ30にち時点じてんで、はくまもるぐんは1,415ちょうのm/20を保有ほゆうした一方いっぽう国産こくさんのm/26は25ちょう、m/31は20ちょうしか保有ほゆうしていなかった。同年どうねん11がつふゆ戦争せんそう勃発ぼっぱつおおくがはくまもるぐんから陸軍りくぐん移管いかんされたのち、スイスからの追加ついか購入こうにゅうおこなわれた。そのソ連それんがわから大量たいりょう鹵獲ろかくしたたん機関きかんじゅう配備はいびすすむにつれて、m/20は後方こうほう民兵みんぺい組織そしきなどにはらげられていった。一線いっせん退しりぞいたのちも、1960年代ねんだい放出ほうしゅつされるまで、相当そうとうすう予備よび装備そうびとしてのこされていた。なお、1922ねんにはリンデレフ工場こうじょう(Lindelöf)がライセンスを購入こうにゅうして国産こくさんこころみたものの、製造せいぞうおくれのためはくまもるぐん契約けいやくり、またスイスせいのモデルが安価あんか販売はんばいされはじめたこともあり、失敗しっぱいわった。1925ねんにようやく完成かんせいしたごく少数しょうすうは、地方ちほう警察けいさつなどに販売はんばいされた[8]

日本にっぽんにおいては、スイスせいのSIG M1920がまず輸入ゆにゅうされ、そのにドイツせいのMP34(S1-100)を輸入ゆにゅうした。いずれも7.63x25mmだん仕様しようで、日本にっぽんがわ製造せいぞうされた着脱ちゃくだつしき着剣ちゃっけん装置そうち付属ふぞくした。これらはいずれもベルクマンしき機関きかん短銃たんじゅうやベしき機関きかん短銃たんじゅうなどとばれた[9]海軍かいぐんでは、1929ねん昭和しょうわ4ねんごろからベルグマンしき自動じどう拳銃けんじゅう名称めいしょう配備はいびすすめていた[10][11]。また、陸軍りくぐんでは、1936ねん昭和しょうわ11ねん)にMP28の採用さいよう可否かひ審査しんさしていた記録きろくのこされている[12]。ベしきだいいち上海しゃんはい事変じへん(1932ねん)で有用ゆうようせい証明しょうめいされ、日本にっぽんにおける国産こくさんたん機関きかんじゅう開発かいはつつながった。のち設計せっけいされたいち〇〇しき機関きかん短銃たんじゅうにも、ベしきおおきな影響えいきょうあたえている[9]

エストニアでは、MP18をコピーして細部さいぶ改良かいりょうくわえたアーセナル・タリン英語えいごばんたん機関きかんじゅう設計せっけいされた[13]

軍閥ぐんばつ時代じだい中国ちゅうごくでは、1920年代ねんだい初頭しょとうからMP18が使つかわれはじめた。当時とうじ中国ちゅうごくたいする世界せかいてき武器ぶき禁輸きんゆおこなわれていたため、最初さいしょ流入りゅうにゅうしたMP18も密輸みつゆされたものであった。中国ちゅうごくではあなおおいものをはなたとえることがあり、特徴とくちょうてき放熱ほうねつとうそなえるMP18ははな機関きかんじゅうはな機關きかん)と通称つうしょうされた。どう時期じき密輸みつゆされたトンプソン・サブマシンガンくらべると、構造こうぞう単純たんじゅん製造せいぞう必要ひつよう設備せつび要件ようけんひくく、また安価あんかであった。そのため、各地かくち軍閥ぐんばつ領内りょうないへい工廠こうしょう独自どくじ細部さいぶことなるMP18のコピー製造せいぞうおこなった。1923ねんごろ上海しゃんはい最初さいしょのコピーMP18が製造せいぞうされた。上海しゃんはいせいMP18はきゃくがあり、照準しょうじゅんは50-600mの照準しょうじゅん距離きょりを50mずつ変更へんこうできるものに変更へんこうされていた。コピーMP18のほとんどは中国ちゅうごく普及ふきゅうしたモーゼルC96拳銃けんじゅう弾薬だんやく共有きょうゆうできるように7.63x25mmだん仕様しようとされていたが、かねりょうでは7.65mmだん仕様しようのモデルがつくられていたほか、閻錫やま支配しはいふとげんへい工廠こうしょうのMP18は、すでにコピー生産せいさんおこなっていたトンプソン・サブマシンガンとおな.45ACPだん仕様しようだった。青島ちんたおでは弾倉だんそうしたがわうつしたモデルがつくられた。そのほか、独自どくじの50連発れんぱつばこがた弾倉だんそうそなえるモデル、100連発れんぱつたまたいきゅうだんおこなうモデルなども存在そんざいしたという。1920年代ねんだいから1930年代ねんだいには、かわ、黔、あまあおなどの比較的ひかくてき弱小じゃくしょう地方ちほう軍閥ぐんばつでさえMP18の配備はいびすすめ、ほぼすべての軍閥ぐんばつたん機関きかんじゅう分隊ぶんたい編成へんせいされていた。だいじきたてまつ戦争せんそう中国語ちゅうごくごばんなかの1924ねんこったたま麟山のたたかいでは、奉天ほうてん景林けいりんがMP18を配備はいびした決死けっしたい組織そしきし、突撃とつげき実施じっしした。記録きろくにあるかぎり、これが中国ちゅうごくにおける最初さいしょ実戦じっせん投入とうにゅうだとわれている。にちちゅう戦争せんそうでもこれらの雑多ざったなMP18はつづ使つかわれ、緒戦しょせんではたん機関きかんじゅう配備はいびすすんでいない日本にっぽんぐんたいする優位ゆういせいの1つともなったが、戦争せんそう激化げきかともな生産せいさん能力のうりょく低下ていかから調達ちょうたつおよび整備せいび困難こんなんとなり、徐々じょじょにアメリカせいのトンプソン・サブマシンガンへと更新こうしんされていった。ただし、一部いちぶだい国共こっきょう内戦ないせん終結しゅうけつまで使つかわれたという[14]

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ MP18の出現しゅつげん以前いぜんイタリア発表はっぴょうされたビラール・ペロサM1915世界せかいはつたん機関きかんじゅうであるとするものもいる。M1915は拳銃けんじゅうだん使用しようする自動じどう火器かきではあったものの、車載しゃさい/航空こうくう機銃きじゅうとしての運用うんよう想定そうていしており、ビン銃びんじゅうふう銃床じゅうしょうけた派生はせいがたは1918ねんまで発表はっぴょうされなかった。そのため、どちらを世界せかいはつたん機関きかんじゅうであるとするかは研究けんきゅうしゃあいだでも議論ぎろんがある[1]
  2. ^ このIあるいは1は、MP28のIIあるいは11と同様どうようなに意味いみするのかさだかではない[3][4]
  3. ^ 元々もともとのGPKの要件ようけんでは、クローズドボルトからの射撃しゃげきもとめられていた[2]

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ a b c d e f g Frank Iannamico. “The M.P. 18,I: The First German Maschinepistole”. Smallarmsreview.com. 2022ねん5がつ22にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e Bergmann MP18,I”. Historical Firearms. 2022ねん5がつ22にち閲覧えつらん
  3. ^ Schmeisser’s MP-18,I – The First True Submachine Gun”. Forgotten Weapons. 2022ねん5がつ30にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e f Myrvang, Folke. “The Trench Sweeper”. Iron Cross (Warners Group Publications) (6): 104-110. ISSN 2632-4725. 
  5. ^ a b c d W.F. Owens. “Bergmann's MP-18,I: The World's First Submachine Gun?”. Smallarmsreview.com. 2022ねん5がつ22にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c A Police SMG Upgrade: the MP-18 System Schmeisser”. Forgotten Weapons. 2022ねん5がつ30にち閲覧えつらん
  7. ^ a b SIG 1920 1930”. Modern Firearms. 2022ねん5がつ30にち閲覧えつらん
  8. ^ MACHINEPISTOLS, PART 1:”. JAEGER PLATOON: FINNISH ARMY 1918 - 1945 WEBSITE. 2022ねん5がつ30にち閲覧えつらん
  9. ^ a b Japanese Type 100 Submachine Gun”. SmallArmsReview.com. 2022ねん5がつ30にち閲覧えつらん
  10. ^ 兵器へいき貸与たいよけん だい遣外けんがい艦隊かんたい司令しれい
  11. ^ ぼうだい3838ごう 5.11.28 軍需ぐんじゅへいだい3402ごうだい遣外けんがい艦隊かんたい司令しれい定数ていすうがい消耗しょうもう兵器へいき供給きょうきゅうけん
  12. ^ 自動じどう短銃たんじゅう審査しんさかたけん
    ちゅう:この文書ぶんしょちゅうでは審査しんさ対象たいしょうが「独逸どいつせいシマイサー自動じどう短銃たんじゅうはち/がた口径こうけいなな.ろくみりめーとる)」としるされている。
  13. ^ Tallinn Arsenal”. Modern Firearms. 2022ねん5がつ30にち閲覧えつらん
  14. ^ 姆森”,さらつかさのぼる”,抗戰こうせん時期じき中國ちゅうごく軍隊ぐんたいてき主力しゅりょくおきほこさきやり到底とうてい什麽?”. ZHちゅうぶんもう. 2022ねん5がつ30にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう