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| ラテン文字 = Mika Yamauchi |
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| 出身地 = [[秋田県]][[由利郡]][[大内町 (秋田県)|大内町]](現[[由利本荘市]]) |
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| ブロック = 294cm |
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| ブロック = 294cm |
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'''山内 美加'''(やまうち みか、現姓:藤本(ふじもと)、[[1969年]][[10月7日]] - )は、[[日本]]の元女子[[バレーボール]]選手。[[秋田県]][[由利郡]][[大内町 (秋田県)|大内町]](現[[由利本荘市]])出身。ニックネームは'''ミカ'''。 |
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'''山内 美加'''(やまうち みか、現姓:藤本(ふじもと)、[[1969年]][[10月7日]] - )は、[[日本]]の元女子[[バレーボール]]選手。 |
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== 来歴 == |
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[[秋田県立由利高等学校]]卒業後、[[1988年]][[オレンジアタッカーズ|ダイエーバレーボール部]]に入部。徐々にレギュラーに定着し、1990年代に入ってチームの上昇と共に注目を集め、[[1995年]]第1回[[プレミアリーグ (バレーボール)|Vリーグ]](現・Vプレミアリーグ)では、ダイエー悲願の初優勝に大きく貢献した。 |
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[[秋田県]][[由利郡]][[大内町 (秋田県)|大内町]](現[[由利本荘市]])出身。[[秋田県立由利高等学校]]卒業後、[[1988年]][[オレンジアタッカーズ|ダイエーバレーボール部]]に入部。徐々にレギュラーに定着し、1990年代に入ってチームの上昇と共に注目を集め、[[1995年]]第1回[[プレミアリーグ (バレーボール)|Vリーグ]]では、ダイエー悲願の初優勝に大きく貢献した。 |
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1990年代、世界で主流になってきたバックアタックを、日本人で打ちこなせる選手がほとんどいない中、当時の監督[[アリー・セリンジャー]]がパワフルなスパイクを打つ彼女の素質と適性を見抜き、計画的なトレーニングを行った結果、最高到達点317cmという当時の日本人女子選手最高の高さを身につけるとともに、バックアタッカーとして開花し日本のエースへ成長した。欧米流のブロードジャンプに整ったフォームから、レフト、ライト、センターどこからでもバックアタックを打つことができた。 |
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1990年代、世界で主流になってきたバックアタックを、日本人で打ちこなせる選手がほとんどいない中、当時の監督[[アリー・セリンジャー]]がパワフルなスパイクを打つ彼女の素質と適性を見抜き、計画的なトレーニングを行った結果、最高到達点317cmという当時の日本人女子選手最高の高さを身につけるとともに、バックアタッカーとして開花し日本のエースへ成長した。欧米流のブロードジャンプに整ったフォームから、レフト、ライト、センターどこからでもバックアタックを打つことができた。 |
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[[1997年]]に結婚し現役引退。同年10月10日、[[神戸総合運動公園野球場|グリーンスタジアム神戸]]で行われた「オレンジアタッカーズファン感謝DAY」において、引退セレモニーが行われた<ref>月刊バレーボール 1997年12月号 90ページ</ref>。引退後はバレーボールの解説やバレー教室の指導者として活躍している傍ら |
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[[1997年]]に結婚し現役引退。同年10月10日、[[神戸総合運動公園野球場|グリーンスタジアム神戸]]で行われた「オレンジアタッカーズファン感謝DAY」において、引退セレモニーが行われた<ref>月刊バレーボール 1997年12月号 90ページ</ref>。 |
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2019年ごろから、徳島県松茂町総合体育館で職員として勤務しバレーボール教室も行っている。 |
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引退後はバレーボールの解説やバレー教室の指導者として活動している傍ら、2019年ごろから、徳島県[[松茂町総合体育館]]で職員として勤務し<ref>{{Cite web |title=【スポーツ】母は元バレー代表の美人エース、娘2人は女子バスケのホープ 夢は2世代オリンピアン/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/opinion-d/2021/12/15/0014917011.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2024-03-16 |access-date=2024-03-16 |language=ja}}</ref>、バレーボール教室も行っている。 |
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== 人物・エピソード == |
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== 人物・エピソード == |
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* 1995年4月11日にダイエーと国内<ref>日本人選手が国外でプロ契約した事例では、[[大林素子]]と[[吉原知子]]がイタリアでプロ契約している</ref>プロ契約第1号を締結している。契約金はなく、年俸は[[ミレヤ・ルイス]]などの外国人選手なみと発表された<ref>JVA Volleyball 1995年5月号 8ページ (財)日本バレーボール協会刊</ref>。 |
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* 1995年4月11日にダイエーと国内<ref>日本人選手が国外でプロ契約した事例では、[[大林素子]]と[[吉原知子]]がイタリアでプロ契約している</ref>プロ契約第1号を締結している。契約金はなく、年俸は[[ミレヤ・ルイス]]などの外国人選手なみと発表された<ref>JVA Volleyball 1995年5月号 8ページ (財)日本バレーボール協会刊</ref>。 |
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* 夫は元プロ野球選手(オリックス)の[[藤本俊彦]]<ref>月刊バレーボール 1997年7月号 50ページ</ref>。ふたりの娘の母となり、ふたりとも[[バスケットボール]]選手となった。次女の[[藤本愛瑚]]は[[JX-ENEOSサンフラワーズ]]でプレーしており<ref name="Spaia">{{Cite news|title=【Wリーグ開幕】JX-ENEOSが11連覇へ好発進 次世代を担う選手の活躍に期待|newspaper=SPAIA|date=2018-10-24|url=https://spaia.jp/column/basketball/bleague/6858|page=2|agency=株式会社グラッドキューブ|accessdate=2019-01-21}}</ref>、長女の[[藤本愛妃]]もユニバーシアード日本代表として[[2017年夏季ユニバーシアード|2017年ユニバーシアード台北大会]]で銀メダルを獲得した<ref name="Spaia"/>。 |
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* 夫は元プロ野球選手(オリックス)の[[藤本俊彦]]<ref>月刊バレーボール 1997年7月号 50ページ</ref>。ふたりの娘の母となり、ふたりとも[[バスケットボール]]選手となった。次女の[[藤本愛瑚]]は[[JX-ENEOSサンフラワーズ]]でプレーしており<ref name="Spaia">{{Cite news|title=【Wリーグ開幕】JX-ENEOSが11連覇へ好発進 次世代を担う選手の活躍に期待|newspaper=[[SPAIA]]|date=2018-10-24|url=https://spaia.jp/column/basketball/bleague/6858|page=2|agency=株式会社グラッドキューブ|accessdate=2019-01-21}}</ref>、長女の[[藤本愛妃]]もユニバーシアード日本代表として[[2017年夏季ユニバーシアード|2017年ユニバーシアード台北大会]]で銀メダルを獲得した<ref name="Spaia"/>。 |
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== 球歴・受賞歴 == |
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== 球歴 == |
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* [[バレーボール 日本女子代表| 全日本代表]] - 1992-1996 年 |
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: 出羽中 → [[秋田県立由利高等学校|由利高等学校]] → [[オレンジアタッカーズ|ダイエー]](1988-1997年) |
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* [[バレーボール 日本女子代表| 全日本代表]] - 1992 年-1996 年 |
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* 全日本代表としての主な国際大会出場歴 |
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* 全日本代表としての主な国際大会出場歴 |
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** [[オリンピックバレーボール競技|オリンピック]] - 1992年、1996年 |
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** [[オリンピックバレーボール競技|オリンピック]] - 1992年、1996年 |
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** [[バレーボールワールドカップ|ワールドカップ]] - 1995年 |
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** [[バレーボールワールドカップ|ワールドカップ]] - 1995年 |
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* 受賞歴
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== 受賞歴 == |
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** 1991年 - 第25回日本リーグ 猛打賞、ベスト6 |
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** 1992年 - 第26回日本リーグ 猛打賞、ベスト6
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* 1991年 - 第25回日本リーグ 猛打賞、ベスト6 |
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** 1993年 - 第27回日本リーグ 敢闘賞、ベスト6
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* 1992年 - 第26回日本リーグ 猛打賞、ベスト6 |
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* 1993年 - 第27回日本リーグ 敢闘賞、ベスト6 |
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* [[由利本荘市立出羽中学校|大内町立出羽中学校]] |
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* [[秋田県立由利高等学校]] |
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* [[オレンジアタッカーズ|ダイエーオレンジアタッカーズ]](1988-1997年) |
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== 写真集 == |
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== 写真集 == |
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[[Category:オリンピックバレーボール女子日本代表選手]] |
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[[Category:オリンピックバレーボール女子日本代表選手]] |
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[[Category:日本女子代表バレーボール選手]] |
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[[Category:日本女子代表バレーボール選手]] |
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[[Category:アジア競技大会バレーボール日本代表選手]] |
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[[Category:ダイエー・オレンジアタッカーズの選手]] |
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[[Category:ダイエー・オレンジアタッカーズの選手]] |
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[[Category:秋田県出身の人物]] |
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[[Category:秋田県立由利高等学校出身の人物]] |
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[[Category:秋田県出身のスポーツ選手]] |
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[[Category:1969年生]] |
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[[Category:存命人物]] |
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[[Category:存命人物]] |
山内 美加(やまうち みか、現姓:藤本(ふじもと)、1969年10月7日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。
秋田県由利郡大内町(現由利本荘市)出身。秋田県立由利高等学校卒業後、1988年ダイエーバレーボール部に入部。徐々にレギュラーに定着し、1990年代に入ってチームの上昇と共に注目を集め、1995年第1回Vリーグでは、ダイエー悲願の初優勝に大きく貢献した。
1990年代、世界で主流になってきたバックアタックを、日本人で打ちこなせる選手がほとんどいない中、当時の監督アリー・セリンジャーがパワフルなスパイクを打つ彼女の素質と適性を見抜き、計画的なトレーニングを行った結果、最高到達点317cmという当時の日本人女子選手最高の高さを身につけるとともに、バックアタッカーとして開花し日本のエースへ成長した。欧米流のブロードジャンプに整ったフォームから、レフト、ライト、センターどこからでもバックアタックを打つことができた。
1997年に結婚し現役引退。同年10月10日、グリーンスタジアム神戸で行われた「オレンジアタッカーズファン感謝DAY」において、引退セレモニーが行われた[1]。
引退後はバレーボールの解説やバレー教室の指導者として活動している傍ら、2019年ごろから、徳島県松茂町総合体育館で職員として勤務し[2]、バレーボール教室も行っている。
- 全日本代表 - 1992-1996年
- 全日本代表としての主な国際大会出場歴
- 1991年 - 第25回日本リーグ 猛打賞、ベスト6
- 1992年 - 第26回日本リーグ 猛打賞、ベスト6
- 1993年 - 第27回日本リーグ 敢闘賞、ベスト6
- Mika 1988-1997 山内美加写真集(1997/04 日本文化出版)ISBN 4890840184
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日本リーグ |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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Vリーグ |
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V・プレミア リーグ |
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V.LEAGUE DIVISION1 |
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★は黒鷲賞、☆は敢闘賞 |