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「タンガニーカ」のはんあいだ差分さぶん

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{{湖沼こしょう|タンガニーカ|[[ファイル:Lake tanganyika.jpg|280px|タンガニーカ衛星えいせい写真しゃしん]]|[[タンザニア]]、[[ザンビア]]、<br/>[[コンゴ民主みんしゅ共和きょうわこく]]、[[ブルンジ]]| 32,900| 1,900| 1,470| 572| 17,800| 773|構造こうぞうみずうみ|淡水たんすい|-| 5 - 19}}
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'''タンガニーカ'''(タンガニーカこ、Lake Tanganyika)は、[[タンザニア]]西端せいたんにある[[淡水たんすい]]。[[タンザニア]]、[[ザンビア]]、[[コンゴ民主みんしゅ共和きょうわこく]]、[[ブルンジ]]にめんする。
'''タンガニーカ'''(タンガニーカこ、Lake Tanganyika)は、[[タンザニア]]西端せいたんにある[[淡水たんすい]]。[[タンザニア]]、[[ザンビア]]、[[コンゴ民主みんしゅ共和きょうわこく]]、[[ブルンジ]]にめんする。
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== 生態せいたいけい ==
== 生態せいたいけい ==
[[ファイル:Neolamprologus cylindricus.jpg|right|thumb|ネオランプロローグス・シリンドリカス]]
世界せかいでも[[固有こゆうしゅ]]のおおみずうみとして有名ゆうめいで、ここに生息せいそくするさかなやく80%、[[貝類かいるい]]のやく90%が固有こゆうしゅである。おおくの淡水魚たんすいぎょや[[デンキナマズ]]、[[肺魚はいぎょ]]などが生息せいそくする。みずうみもっと個体こたいすうおおさかなは[[ニシン]]の2しゅ(''Limnothrissa miodon''と ''Stolothrissa tanganicae'')と[[アカメ]]アカメぞく''Lates''の4しゅ合計ごうけい6しゅ遊泳ゆうえいぎょで、魚類ぎょるい現存げんそんりょうだい部分ぶぶんうらないている。しかしたねとしてればこれらはごく一部いちぶであり、みずうみからはすくなくとも[[シクリッド]]が300しゅとそれ以外いがいさかなが150しゅほどられており、そのだい部分ぶぶんそこ生魚なまざかなしゅとして湖底こてい付近ふきん生活せいかつするさかな)である。やく300しゅのシクリッドのほとんど(90%以上いじょう)が固有こゆうしゅで、このような固有こゆうは[[脊椎動物せきついどうぶつ]]にもこっており、[[かい]]るい、[[ヒル]]るい、カイアシるい(橈脚るい)、[[カニ]]るいなどで顕著けんちょである。とくに[[カワニナ]]るいには一見いっけんうみかいのようにえるものもおおく、淡水たんすいいきにはられないさいった進化しんかせている。水質すいしつがややつよい[[さん塩基えんき|アルカリ性あるかりせい]]であるため、貝類かいるいからおおくは溶解ようかいせずに長期間ちょうきかん堆積たいせきしており、無数むすうにある''Neothauma tanganyicense''([[タニシ]])の空殻あきがらはカニのかくとなったり、住処すみか産卵さんらんシェルターとしてそれらを使つかうように進化しんかしたシクリッドなども生息せいそくする。
世界せかいでも[[固有こゆうしゅ]]のおおみずうみとして有名ゆうめいで、ここに生息せいそくするさかなやく80%、[[貝類かいるい]]のやく90%が固有こゆうしゅである。おおくの淡水魚たんすいぎょや[[デンキナマズ]]、[[肺魚はいぎょ]]などが生息せいそくする。みずうみもっと個体こたいすうおおさかなは[[ニシン]]の2しゅ(''Limnothrissa miodon''と ''Stolothrissa tanganicae'')と[[アカメ]]アカメぞく''Lates''の4しゅ合計ごうけい6しゅ遊泳ゆうえいぎょで、魚類ぎょるい現存げんそんりょうだい部分ぶぶんうらないている。しかしたねとしてればこれらはごく一部いちぶであり、みずうみからはすくなくとも[[シクリッド]]が300しゅとそれ以外いがいさかなが150しゅほどられており、そのだい部分ぶぶんそこ生魚なまざかなしゅとして湖底こてい付近ふきん生活せいかつするさかな)である。やく300しゅのシクリッドのほとんど(90%以上いじょう)が固有こゆうしゅで、このような固有こゆうは[[脊椎動物せきついどうぶつ]]にもこっており、[[かい]]るい、[[ヒル]]るい、カイアシるい(橈脚るい)、[[カニ]]るいなどで顕著けんちょである。とくに[[カワニナ]]るいには一見いっけんうみかいのようにえるものもおおく、淡水たんすいいきにはられないさいった進化しんかせている。水質すいしつがややつよい[[さん塩基えんき|アルカリ性あるかりせい]]であるため、貝類かいるいからおおくは溶解ようかいせずに長期間ちょうきかん堆積たいせきしており、無数むすうにある''Neothauma tanganyicense''([[タニシ]])の空殻あきがらはカニのかくとなったり、住処すみか産卵さんらんシェルターとしてそれらを使つかうように進化しんかしたシクリッドなども生息せいそくする。



2012ねん11月29にち (木)もく 13:29時点じてんにおけるはん

座標ざひょう: 南緯なんい630ふん0びょう 東経とうけい2930ふん0びょう / 南緯なんい6.50000 東経とうけい29.50000 / -6.50000; 29.50000 {{subst:Infobox |名称めいしょう=タンガニーカ|画像がぞう=タンガニーカ湖の衛星写真|所在地しょざいち=タンザニアザンビア
コンゴ民主みんしゅ共和きょうわこくブルンジ|面積めんせき= 32,900|周囲しゅういちょう= 1,900|最大さいだい水深すいしん= 1,470|平均へいきん水深すいしん= 572|貯水ちょすいりょう= 17,800|標高ひょうこう= 773|成因せいいん=構造こうぞうみずうみ|あわ汽=淡水たんすい|湖沼こしょうがた=-|透明とうめい= 5 - 19}}

湖上こじょう漁師りょうしたち

タンガニーカ(タンガニーカこ、Lake Tanganyika)は、タンザニア西端せいたんにある淡水たんすいみずうみタンザニアザンビアコンゴ民主みんしゅ共和きょうわこくブルンジめんする。

地誌ちし

南緯なんい3°25' - 8°45'、東経とうけい29°10' - 31°10'、海抜かいばつ773mに位置いちし、東西とうざい40 - 50km、南北なんぼく650kmに細長ほそながくのびる。面積めんせきは32,900km²で、アフリカで2世界せかいで5ふかさは平均へいきん水深すいしん570m、最大さいだい水深すいしん1,471mでアフリカで1世界せかいで2周囲しゅういは1,900km、貯水ちょすいりょうやく17800km³。バイカル世界せかいで2番目ばんめふる古代こだいみずうみ推定すいてい2000まんねん)といわれる。アフリカのだい地溝ちこうたいグレート・リフト・バレーによって形成けいせいされ、地溝ちこうたいないにある最大さいだいみずうみで、西にしリフト・バレーないにある。非常ひじょうふかいことなどから湖水こすい上下じょうげ循環じゅんかんがきわめてわるく、深層しんそうみず流動りゅうどうせず、「化石かせきすい」とばれるひん酸素さんそすいかたまりとなっている。あつまり水域すいいきやく231,000km2で、主要しゅよう流入りゅうにゅう河川かせんは、キブからてタンガニーカ北岸ほくがん流入りゅうにゅうするルジジがわと、タンザニアで2番目ばんめおおきく、タンガニーカ東岸とうがん流入りゅうにゅうするマラガラシかわであるが、このほかにも無数むすうしょう河川かせんみずうみんでいる。一方いっぽう流出りゅうしゅつ河川かせん西側にしがわにあるルクガがわのみであるため、湖水こすい滞留たいりゅう時間じかん非常ひじょうながく(1000ねんにもおよぶといわれる)、その90%以上いじょう蒸発じょうはつによりうしなわれるとされる。ルクガがわ下流かりゅうコンゴがわ合流ごうりゅうしている。そのため、水系すいけいとしてはコンゴがわ水系すいけいぞくする。

歴史れきし

古来こらいよりこの地域ちいきには黒人こくじん居住きょじゅうしていたが、湖岸こがん平野へいやすくないこともあり領域りょういき国家こっかながあいだ成立せいりつしなかった。16世紀せいきになるとヴィクトリアみずうみからみなみだいみずうみ地方ちほうしょ王国おうこく相次あいついで成立せいりつするようになり、タンガニーカ地方ちほうにおいても北端ほくたんブルンジ王国おうこく成立せいりつしたものの、それ以南いなんにおいては以後いご領域りょういき国家こっか成立せいりつせず、部族ぶぞく単位たんい分立ぶんりつつづいた。しかし、おもインド洋いんどようめんした大陸たいりく東岸とうがんにやってくるアラブじんたちとの遠距離えんきょり交易こうえきおこなわれていた。19世紀せいきなかばになると、海岸かいがんザンジバル拠点きょてんいたオマーン王国おうこく国王こくおうサイイド・サイード交易こうえき奨励しょうれいしたことから、従来じゅうらい海岸かいがんにとどまって内陸ないりくしょ民族みんぞくから交易こうえきひん供給きょうきゅうっていたアラブじん商人しょうにん直接ちょくせつ内陸ないりくへと進出しんしゅつして交易こうえきすようになり、ティップー・ティプなどの奴隷どれい商人しょうにんがこの地域ちいき進出しんしゅつするようになった。リンガフランカとしてスワヒリ湖岸こがん全域ぜんいき徐々じょじょひろまりだしたのもこのころのことである。一方いっぽう、このころには産業さんぎょう革命かくめいによって資源しげん供給きょうきゅう工業こうぎょう製品せいひん販路はんろもとめるようになったヨーロッパ諸国しょこくがアフリカ大陸たいりく内部ないぶ探険たんけんするようになった。

ヨーロッパじんはじめてこのみずうみ存在そんざい確認かくにんしたのは、1858ねんイギリスじん探検たんけん ジョン・ハニング・スピークリチャード・フランシス・バートンによってである[1]かれらはザンジバルから出発しゅっぱつしてナイルがわ水源すいげんさが探検たんけんおこない、タンガニーカ中央ちゅうおうのカゼ(現在げんざいタボラ)にたどりく。ここでにんは、きたにニアンザ西にしにウジジみずうみばれるおおきなみずうみがあることをいた。二人ふたりはまず西にしから探検たんけんすすめることとし、1858ねん2がつ13にちにウジジ(タンガニーカ)を発見はっけんした。この発見はっけんのち、バートンは体調たいちょう不良ふりょうにより探検たんけんをストップしたが、探検たんけん続行ぞっこうしたスピークはきたかい、ニアンザヴィクトリア)を発見はっけん帰国きこくスピークが王立おうりつ地理ちり学会がっかいにてヴィクトリアみずうみがナイルの水源すいげんであると講演こうえんしたことからにんはいさかいをこし、タンガニーカがナイルがわ源流げんりゅうであるとかんがえるバートンと、ヴィクトリアがナイルの源流げんりゅうであるとかんがえるスピークのだい論争ろんそう勃発ぼっぱつした[2]

この論争ろんそう決着けっちゃくをつけるべく、デイヴィッド・リヴィングストン1866ねん探検たんけん開始かいしし、1867ねんにはタンガニーカ湖畔こはんにたどりついたものの体調たいちょう悪化あっかし、1868ねんにはキゴマの南西なんせい7kmに位置いちする湖畔こはんウジジむら静養せいようした。リヴィングストンのウジジ滞在たいざいは3ねんおよび、本国ほんごくイギリス音信いんしん不通ふつうとなったため、ニューヨーク・ヘラルド救出きゅうしゅつたいとしてヘンリー・モートン・スタンリー派遣はけん1871ねん11月10にち両者りょうしゃはウジジで対面たいめんした。このときにスタンリーがはっした「リヴィングストン博士はかせでいらっしゃいますか?(Dr. Livingstone, I presume?)」は、当時とうじ流行りゅうこうとなった。

そのアフリカ分割ぶんかつによって19世紀せいきすえには東岸とうがんドイツりょうひがしアフリカ西岸せいがんコンゴ自由じゆうこく(のちベルギーりょうコンゴ)、南端なんたんがイギリスりょうきたローデシア分割ぶんかつされた。1914ねんだいいち世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつすると、タンガニーカアフリカ戦線せんせん戦場せんじょうとなり、ドイツぐんイギリスぐん水上すいじょうせんをおこなった。1915ねんにはイギリスぐんのモーターランチであるミィミィ、トウトウがドイツの砲艦ほうかんキンガニを拿捕だほし、ついで武装ぶそう商船しょうせんヘードヴィヒ・フォン・ヴィスマンを撃沈げきちん、さらに特設とくせつ砲艦ほうかんグラーフ・フォン・ゲッツェン (砲艦ほうかん)爆撃ばくげきされてドイツぐん湖上こじょう支配しはいけんうしなった。

生態せいたいけい

ネオランプロローグス・シリンドリカス

世界せかいでも固有こゆうしゅおおみずうみとして有名ゆうめいで、ここに生息せいそくするさかなやく80%、貝類かいるいやく90%が固有こゆうしゅである。おおくの淡水魚たんすいぎょデンキナマズ肺魚はいぎょなどが生息せいそくする。みずうみもっと個体こたいすうおおさかなニシンの2しゅLimnothrissa miodonStolothrissa tanganicae)とアカメアカメぞくLatesの4しゅ合計ごうけい6しゅ遊泳ゆうえいぎょで、魚類ぎょるい現存げんそんりょうだい部分ぶぶんうらないている。しかしたねとしてればこれらはごく一部いちぶであり、みずうみからはすくなくともシクリッドが300しゅとそれ以外いがいさかなが150しゅほどられており、そのだい部分ぶぶんそこ生魚なまざかなしゅとして湖底こてい付近ふきん生活せいかつするさかな)である。やく300しゅのシクリッドのほとんど(90%以上いじょう)が固有こゆうしゅで、このような固有こゆう脊椎動物せきついどうぶつにもこっており、かいるいヒルるい、カイアシるい(橈脚るい)、カニるいなどで顕著けんちょである。とくカワニナるいには一見いっけんうみかいのようにえるものもおおく、淡水たんすいいきにはられないさいった進化しんかせている。水質すいしつがややつよアルカリ性あるかりせいであるため、貝類かいるいからおおくは溶解ようかいせずに長期間ちょうきかん堆積たいせきしており、無数むすうにあるNeothauma tanganyicenseタニシ)の空殻あきがらはカニのかくとなったり、住処すみか産卵さんらんシェルターとしてそれらを使つかうように進化しんかしたシクリッドなども生息せいそくする。

これらのシクリッドはタンガニーカさんシクリッドとして、マラウイのシクリッドとわせてアフリカン・シクリッドという観賞かんしょうよう熱帯魚ねったいぎょとして養殖ようしょくされ、欧米おうべい日本にっぽん輸出ゆしゅつされる。

みずうみさかな周辺しゅうへん地域ちいきむの人々ひとびと主要しゅようタンパクみなもととなっている。みずうみ周囲しゅういではやく800箇所かしょ漁業ぎょぎょういとなまれ、漁業ぎょぎょう直接ちょくせつかかわっているひとやく4まん5000にん間接かんせつてき依存いぞんしているひとやく100まんにんといわれる。タンガニーカさんさかなひがしアフリカ全域ぜんいきにも輸出ゆしゅつされている。商業しょうぎょう漁業ぎょぎょう1950年代ねんだいなかばにはじまり、1995ねんそう漁獲ぎょかくりょうはおよそ18まんトンであった。商業しょうぎょう漁業ぎょぎょう漁獲ぎょかく対象たいしょうである遊泳ゆうえいぎょしゅたい重大じゅうだい影響えいきょうおよぼしているともいわれ、初期しょきからの水産すいさん会社かいしゃなかには、漁業ぎょぎょうがもっともさかんであった1980年代ねんだいきゅう成長せいちょうしたものの、その倒産とうさんしてしまったものもある。

人文じんぶん

構造こうぞうみずうみであり非常ひじょうふかさをほこるため、沖積ちゅうせき平野へいや発達はったつがなく湖岸こがん平野へいやがほとんど発達はったつしていない。沿岸えんがん最大さいだい都市とし湖北こほくはし位置いちするブルンジの首都しゅとブジュンブラであり、その東岸とうがんにタンザニア中央ちゅうおう鉄道てつどう発着はっちゃくえきであるキゴマ西岸せいがんカレミ南端なんたんムプルングなどのまちがあるが、がいして都市とし発達はったつはあまりない。タンガニーカは4カ国かこくにまたがり、道路どうろもう発達はったつしていない地域ちいきにおいて重要じゅうよう交通こうつうとなっているため、国際こくさい水域すいいきとなっている。 タンガニーカ周辺しゅうへん都市とし発達はったつがあまりなく、湖水こすい汚濁おだくはさほど重大じゅうだい問題もんだいとなってはいない。しかし、それでもブジュンブラやキゴマからの都市とし汚水おすい流入りゅうにゅう問題もんだいとなっている。しかしそれよりも重大じゅうだいなのは、よく耕作こうさくされ土壌どじょう浸食しんしょくはげしいブルンジやコンゴ民主みんしゅ共和きょうわこくからの土砂どしゃ流入りゅうにゅうである[3]。これらの問題もんだいについて討議とうぎ解決かいけつ目指めざすため、「タンガニーカ生物せいぶつ多様たようせい保護ほごのための汚染おせん制御せいぎょなどの手段しゅだん」プロジェクトが発足ほっそくし、2003ねんには周辺しゅうへん諸国しょこくによってタンガニーカ持続じぞくてき管理かんりかんする条約じょうやくタンガニーカ持続じぞくてき管理かんりかんする条約じょうやく)がむすばれた。

交通こうつう

リエンバごう建造けんぞう99ねんたつ2012ねん現在げんざい旅客船りょかくせんとして運行うんこうちゅうである

タンガニーカ上述じょうじゅつのように、周辺しゅうへん貴重きちょう交通こうつうとなっている。とくにタンザニア中央ちゅうおう鉄道てつどう終着駅しゅうちゃくえきである東岸とうがん中央ちゅうおうのタンザニアのキゴマと、コンゴがわ鉄道てつどう終着駅しゅうちゃくえきであり、鉄道てつどうつうじてカタンガやベンゲラ鉄道てつどうとつながる西岸せいがん中央ちゅうおうのコンゴ民主みんしゅ共和きょうわこくのカレミのあいだにはフェリーはしり、大陸たいりく横断おうだんルートを形成けいせいしている。キゴマこう利用りようしゃは2002ねんのデータで40000にん程度ていどにのぼる[4]。また、南端なんたんにあるザンビアのムプルングや北端ほくたんのブルンジのブジュンブラも重要じゅうようで、上記じょうき4都市とし起点きてんとしてかく町村ちょうそんむすぶフェリーが運航うんこうしている。ブルンジとザンビアは国境こっきょうせっしていないが、ムプルングとブジュンブラを直接ちょくせつむす貨物かもつせん就航しゅうこうしており、コンゴやタンザニアを経由けいゆせずができる。上記じょうきのグラーフ・フォン・ゲッツェン(1913ねん建造けんぞう)は、1924ねんげられて貨客船かきゃくせんリエンバごうとして復活ふっかつし、タンザニアと諸国しょこくむす国際こくさいせんとして現在げんざいもタンガニーカ湖上こじょう運行うんこうしている[5]

このみずうみはじめて外部がいぶ交通こうつう機関きかんむすばれたのは、1914ねんにタンガニーカ鉄道てつどうがキゴマまでび、ダルエスサラーム鉄路てつろがつながったときである。ついで1915ねんにはアルベールビル(げんカレミ)まで鉄道てつどうび、みなみアフリカケープタウンと、さらに1928ねんにはベンゲラ鉄道てつどう全通ぜんつうによりポルトガルりょうベンゲラみなとむすばれた。

脚注きゃくちゅう

  1. ^ 『アフリカを事典じてん』、平凡社へいぼんしゃISBN 4-582-12623-5 1989ねん2がつ6にち 初版しょはんだい1さつ  p.265
  2. ^ 吉田よしだ昌夫まさお世界せかい現代げんだい14 アフリカ現代げんだいII』山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、1990ねん2がつだい2はん。p.32-33
  3. ^ 国際こくさい湖沼こしょう地域ちいき持続じぞく可能かのう開発かいはつのための多国たこくあいだ協力きょうりょくについて 地球ちきゅう環境かんきょう整備せいび基金ききんからの教訓きょうくん」pp182-183 J・I・ウィットー 「みずうみひと共存きょうぞんみちをひらく 世界せかい湖沼こしょうビジョン」所収しょしゅう 財団ざいだん法人ほうじん国際こくさい湖沼こしょう環境かんきょう委員いいんかいへん 吉良きら竜夫たつお監修かんしゅう 新樹あらきしゃ 2005ねん1がつ10日とおか初版しょはん1さつ
  4. ^ 交流こうりゅうなかで」栗田くりた和明かずあき/「タンザニアをるための50しょう」p260 栗田くりた和明かずあき根本ねもと利通としみち編著へんちょ 明石書店あかししょてん 2006ねん7がつ10日とおか初版しょはんだい1さつ 
  5. ^ 遠方えんぽうむすぶ」根本ねもと利通としみち/「タンザニアをるための50しょう」p158 栗田くりた和明かずあき根本ねもと利通としみち編著へんちょ 明石書店あかししょてん 2006ねん7がつ10日とおか初版しょはんだい1さつ 

外部がいぶリンク