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{{湖沼 こしょう |タンガニーカ湖 こ |[[ファイル:Lake tanganyika.jpg|280px|タンガニーカ湖 こ の衛星 えいせい 写真 しゃしん ]]|[[タンザニア]]、[[ザンビア]]、<br/>[[コンゴ民主 みんしゅ 共和 きょうわ 国 こく ]]、[[ブルンジ]]| 32,900| 1,900| 1,470| 572| 17,800| 773|構造 こうぞう 湖 みずうみ |淡水 たんすい |-| 5 - 19}}
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[[ファイル:Fisherman on Lake Tanganyika.jpg|left|250px|thumb|湖上 こじょう の漁師 りょうし たち]]
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[[ファイル:Neolamprologus cylindricus.jpg|right|thumb|ネオランプロローグス・シリンドリカス]]
{{Commonscat|Lake Tanganyika}}
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'''タンガニーカ湖 こ '''(タンガニーカこ、Lake Tanganyika)は、[[タンザニア]]西端 せいたん にある[[淡水 たんすい 湖 こ ]]。[[タンザニア]]、[[ザンビア]]、[[コンゴ民主 みんしゅ 共和 きょうわ 国 こく ]]、[[ブルンジ]]に面 めん する。
'''タンガニーカ湖 こ '''(タンガニーカこ、Lake Tanganyika)は、[[タンザニア]]西端 せいたん にある[[淡水 たんすい 湖 こ ]]。[[タンザニア]]、[[ザンビア]]、[[コンゴ民主 みんしゅ 共和 きょうわ 国 こく ]]、[[ブルンジ]]に面 めん する。
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== 生態 せいたい 系 けい ==
== 生態 せいたい 系 けい ==
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[[ファイル:Neolamprologus cylindricus.jpg|right|thumb|ネオランプロローグス・シリンドリカス]]
世界 せかい でも[[固有 こゆう 種 しゅ ]]の多 おお い湖 みずうみ として有名 ゆうめい で、ここに生息 せいそく する魚 さかな の約 やく 80%、[[貝類 かいるい ]]の約 やく 90%が固有 こゆう 種 しゅ である。多 おお くの淡水魚 たんすいぎょ や[[デンキナマズ]]、[[肺魚 はいぎょ ]]などが生息 せいそく する。湖 みずうみ で最 もっと も個体 こたい 数 すう の多 おお い魚 さかな は[[ニシン科 か ]]の2種 しゅ (''Limnothrissa miodon''と ''Stolothrissa tanganicae'')と[[アカメ科 か ]]アカメ属 ぞく ''Lates''の4種 しゅ の合計 ごうけい 6種 しゅ の遊泳 ゆうえい 魚 ぎょ で、魚類 ぎょるい の現存 げんそん 量 りょう の大 だい 部分 ぶぶん を占 うらない ている。しかし種 たね として見 み ればこれらはごく一部 いちぶ であり、湖 みずうみ からは少 すく なくとも[[シクリッド]]が300種 しゅ とそれ以外 いがい の魚 さかな が150種 しゅ ほど知 し られており、その大 だい 部分 ぶぶん は底 そこ 生魚 なまざかな (主 しゅ として湖底 こてい 付近 ふきん で生活 せいかつ する魚 さかな )である。約 やく 300種 しゅ のシクリッドのほとんど(90%以上 いじょう )が固有 こゆう 種 しゅ で、このような固有 こゆう 化 か は[[無 む 脊椎動物 せきついどうぶつ ]]にも起 お こっており、[[貝 かい ]]類 るい 、[[ヒル]]類 るい 、カイアシ類 るい (橈脚類 るい )、[[カニ]]類 るい などで顕著 けんちょ である。特 とく に[[カワニナ]]類 るい には一見 いっけん 海 うみ の貝 かい のように見 み えるものも多 おお く、他 た の淡水 たんすい 域 いき には見 み られない際 さい 立 た った進化 しんか を見 み せている。水質 すいしつ がやや強 つよ い[[酸 さん と塩基 えんき |アルカリ性 あるかりせい ]]であるため、貝類 かいるい の死 し 殻 から の多 おお くは溶解 ようかい せずに長期間 ちょうきかん 堆積 たいせき しており、無数 むすう にある''Neothauma tanganyicense''([[タニシ]]科 か )の空殻 あきがら はカニの隠 かく れ家 が となったり、住処 すみか や産卵 さんらん シェルターとしてそれらを使 つか うように進化 しんか したシクリッドなども生息 せいそく する。
世界 せかい でも[[固有 こゆう 種 しゅ ]]の多 おお い湖 みずうみ として有名 ゆうめい で、ここに生息 せいそく する魚 さかな の約 やく 80%、[[貝類 かいるい ]]の約 やく 90%が固有 こゆう 種 しゅ である。多 おお くの淡水魚 たんすいぎょ や[[デンキナマズ]]、[[肺魚 はいぎょ ]]などが生息 せいそく する。湖 みずうみ で最 もっと も個体 こたい 数 すう の多 おお い魚 さかな は[[ニシン科 か ]]の2種 しゅ (''Limnothrissa miodon''と ''Stolothrissa tanganicae'')と[[アカメ科 か ]]アカメ属 ぞく ''Lates''の4種 しゅ の合計 ごうけい 6種 しゅ の遊泳 ゆうえい 魚 ぎょ で、魚類 ぎょるい の現存 げんそん 量 りょう の大 だい 部分 ぶぶん を占 うらない ている。しかし種 たね として見 み ればこれらはごく一部 いちぶ であり、湖 みずうみ からは少 すく なくとも[[シクリッド]]が300種 しゅ とそれ以外 いがい の魚 さかな が150種 しゅ ほど知 し られており、その大 だい 部分 ぶぶん は底 そこ 生魚 なまざかな (主 しゅ として湖底 こてい 付近 ふきん で生活 せいかつ する魚 さかな )である。約 やく 300種 しゅ のシクリッドのほとんど(90%以上 いじょう )が固有 こゆう 種 しゅ で、このような固有 こゆう 化 か は[[無 む 脊椎動物 せきついどうぶつ ]]にも起 お こっており、[[貝 かい ]]類 るい 、[[ヒル]]類 るい 、カイアシ類 るい (橈脚類 るい )、[[カニ]]類 るい などで顕著 けんちょ である。特 とく に[[カワニナ]]類 るい には一見 いっけん 海 うみ の貝 かい のように見 み えるものも多 おお く、他 た の淡水 たんすい 域 いき には見 み られない際 さい 立 た った進化 しんか を見 み せている。水質 すいしつ がやや強 つよ い[[酸 さん と塩基 えんき |アルカリ性 あるかりせい ]]であるため、貝類 かいるい の死 し 殻 から の多 おお くは溶解 ようかい せずに長期間 ちょうきかん 堆積 たいせき しており、無数 むすう にある''Neothauma tanganyicense''([[タニシ]]科 か )の空殻 あきがら はカニの隠 かく れ家 が となったり、住処 すみか や産卵 さんらん シェルターとしてそれらを使 つか うように進化 しんか したシクリッドなども生息 せいそく する。
座標 ざひょう : 南緯 なんい 6度 ど 30分 ふん 0秒 びょう 東経 とうけい 29度 ど 30分 ふん 0秒 びょう / 南緯 なんい 6.50000度 ど 東経 とうけい 29.50000度 ど / -6.50000; 29.50000
{{subst:Infobox 湖 こ |名称 めいしょう =タンガニーカ湖 こ |画像 がぞう = |所在地 しょざいち =タンザニア 、ザンビア 、コンゴ民主 みんしゅ 共和 きょうわ 国 こく 、ブルンジ |面積 めんせき = 32,900|周囲 しゅうい 長 ちょう = 1,900|最大 さいだい 水深 すいしん = 1,470|平均 へいきん 水深 すいしん = 572|貯水 ちょすい 量 りょう = 17,800|標高 ひょうこう = 773|成因 せいいん =構造 こうぞう 湖 みずうみ |淡 あわ 汽=淡水 たんすい |湖沼 こしょう 型 がた =-|透明 とうめい 度 ど = 5 - 19}}
湖上 こじょう の漁師 りょうし たち
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タンガニーカ湖 こ に
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タンガニーカ湖 こ (タンガニーカこ、Lake Tanganyika)は、タンザニア 西端 せいたん にある淡水 たんすい 湖 みずうみ 。タンザニア 、ザンビア 、コンゴ民主 みんしゅ 共和 きょうわ 国 こく 、ブルンジ に面 めん する。
地誌 ちし
南緯 なんい 3°25' - 8°45'、東経 とうけい 29°10' - 31°10'、海抜 かいばつ 773mに位置 いち し、東西 とうざい 40 - 50km、南北 なんぼく 650kmに細長 ほそなが くのびる。面積 めんせき は32,900km²で、アフリカで2位 い 、世界 せかい で5位 い 。深 ふか さは平均 へいきん 水深 すいしん 570m、最大 さいだい 水深 すいしん 1,471mでアフリカで1位 い 、世界 せかい で2位 い 。周囲 しゅうい は1,900km、貯水 ちょすい 量 りょう 約 やく 17800km³。バイカル湖 こ に次 つ ぐ世界 せかい で2番目 ばんめ に古 ふる い古代 こだい 湖 みずうみ (推定 すいてい 2000万 まん 年 ねん )といわれる。アフリカの大 だい 地溝 ちこう 帯 たい ・グレート・リフト・バレー によって形成 けいせい され、地溝 ちこう 帯 たい 内 ない にある最大 さいだい の湖 みずうみ で、西 にし リフト・バレー内 ない にある。非常 ひじょう に深 ふか いことなどから湖水 こすい の上下 じょうげ 循環 じゅんかん がきわめて悪 わる く、深層 しんそう の水 みず は流動 りゅうどう せず、「化石 かせき 水 すい 」と呼 よ ばれる貧 ひん 酸素 さんそ 水 すい 塊 かたまり となっている。集 あつまり 水域 すいいき は約 やく 231,000km2 で、主要 しゅよう な流入 りゅうにゅう 河川 かせん は、キブ湖 こ から出 で てタンガニーカ湖 こ 北岸 ほくがん に流入 りゅうにゅう するルジジ川 がわ と、タンザニア で2番目 ばんめ に大 おお きく、タンガニーカ東岸 とうがん に流入 りゅうにゅう するマラガラシ川 かわ であるが、このほかにも無数 むすう の小 しょう 河川 かせん が湖 みずうみ に注 つ ぎ込 こ んでいる。一方 いっぽう 、流出 りゅうしゅつ 河川 かせん は西側 にしがわ にあるルクガ川 がわ のみであるため、湖水 こすい の滞留 たいりゅう 時間 じかん が非常 ひじょう に長 なが く(1000年 ねん にも及 およ ぶといわれる)、その90%以上 いじょう は蒸発 じょうはつ により失 うしな われるとされる。ルクガ川 がわ は下流 かりゅう でコンゴ川 がわ に合流 ごうりゅう している。そのため、水系 すいけい としてはコンゴ川 がわ 水系 すいけい に属 ぞく する。
歴史 れきし
古来 こらい よりこの地域 ちいき には黒人 こくじん が居住 きょじゅう していたが、湖岸 こがん に平野 へいや 部 ぶ が少 すく ないこともあり領域 りょういき 国家 こっか は長 なが い間 あいだ 成立 せいりつ しなかった。16世紀 せいき になるとヴィクトリア湖 みずうみ から南 みなみ の大 だい 湖 みずうみ 地方 ちほう に諸 しょ 王国 おうこく が相次 あいつ いで成立 せいりつ するようになり、タンガニーカ湖 こ 地方 ちほう においても北端 ほくたん にブルンジ王国 おうこく が成立 せいりつ したものの、それ以南 いなん においては以後 いご も領域 りょういき 国家 こっか は成立 せいりつ せず、部族 ぶぞく 単位 たんい の分立 ぶんりつ が続 つづ いた。しかし、主 おも にインド洋 いんどよう に面 めん した大陸 たいりく 東岸 とうがん にやってくるアラブ人 じん たちとの遠距離 えんきょり 交易 こうえき は行 おこな われていた。19世紀 せいき 半 なか ばになると、海岸 かいがん 部 ぶ のザンジバル に拠点 きょてん を置 お いたオマーン王国 おうこく 国王 こくおう サイイド・サイード が交易 こうえき を奨励 しょうれい したことから、従来 じゅうらい 海岸 かいがん 部 ぶ にとどまって内陸 ないりく 諸 しょ 民族 みんぞく から交易 こうえき 品 ひん の供給 きょうきゅう を待 ま っていたアラブ人 じん 商人 しょうにん が直接 ちょくせつ 内陸 ないりく 部 ぶ へと進出 しんしゅつ して交易 こうえき に乗 の り出 だ すようになり、ティップー・ティプ などの奴隷 どれい 商人 しょうにん がこの地域 ちいき に進出 しんしゅつ するようになった。リンガフランカ としてスワヒリ語 ご が湖岸 こがん 全域 ぜんいき に徐々 じょじょ に広 ひろ まりだしたのもこのころのことである。一方 いっぽう 、この頃 ころ には産業 さんぎょう 革命 かくめい によって資源 しげん の供給 きょうきゅう 地 ち や工業 こうぎょう 製品 せいひん の販路 はんろ を求 もと めるようになったヨーロッパ諸国 しょこく がアフリカ大陸 たいりく 内部 ないぶ を探険 たんけん するようになった。
ヨーロッパ人 じん が初 はじ めてこの湖 みずうみ の存在 そんざい を確認 かくにん したのは、1858年 ねん 、イギリス人 じん の探検 たんけん 家 か ジョン・ハニング・スピーク とリチャード・フランシス・バートン によってである[1] 。彼 かれ らはザンジバルから出発 しゅっぱつ してナイル川 がわ の水源 すいげん を探 さが す探検 たんけん を行 おこな い、タンガニーカ中央 ちゅうおう 部 ぶ のカゼ(現在 げんざい のタボラ )にたどり着 つ く。ここで二 に 人 にん は、北 きた にニアンザ湖 こ 、西 にし にウジジ湖 みずうみ と呼 よ ばれる大 おお きな湖 みずうみ があることを聞 き いた。二人 ふたり はまず西 にし から探検 たんけん を進 すす めることとし、1858年 ねん 2月 がつ 13日 にち にウジジ湖 こ (タンガニーカ湖 こ )を発見 はっけん した。この発見 はっけん の後 のち 、バートンは体調 たいちょう 不良 ふりょう により探検 たんけん をストップしたが、探検 たんけん を続行 ぞっこう したスピークは北 きた に向 む かい、ニアンザ湖 こ (ヴィクトリア湖 こ )を発見 はっけん 。帰国 きこく 後 ご スピークが王立 おうりつ 地理 ちり 学会 がっかい にてヴィクトリア湖 みずうみ がナイルの水源 すいげん であると講演 こうえん したことから二 に 人 にん はいさかいを起 お こし、タンガニーカ湖 こ がナイル川 がわ の源流 げんりゅう であると考 かんが えるバートンと、ヴィクトリア湖 こ がナイルの源流 げんりゅう であると考 かんが えるスピークの大 だい 論争 ろんそう が勃発 ぼっぱつ した[2] 。
この論争 ろんそう に決着 けっちゃく をつけるべく、デイヴィッド・リヴィングストン が1866年 ねん に探検 たんけん を開始 かいし し、1867年 ねん にはタンガニーカ湖畔 こはん にたどりついたものの体調 たいちょう が悪化 あっか し、1868年 ねん にはキゴマの南西 なんせい 7kmに位置 いち する湖畔 こはん のウジジ の村 むら で静養 せいよう した。リヴィングストンのウジジ滞在 たいざい は3年 ねん に及 およ び、本国 ほんごく イギリス と音信 いんしん 不通 ふつう となったため、ニューヨーク・ヘラルド紙 し は救出 きゅうしゅつ 隊 たい としてヘンリー・モートン・スタンリー を派遣 はけん 。1871年 ねん 11月10日 にち 、両者 りょうしゃ はウジジで対面 たいめん した。このときにスタンリーが発 はっ した「リヴィングストン博士 はかせ でいらっしゃいますか?(Dr. Livingstone, I presume?)」は、当時 とうじ の流行 りゅうこう 語 ご となった。
その後 ご 、アフリカ分割 ぶんかつ によって19世紀 せいき 末 すえ には東岸 とうがん がドイツ領 りょう 東 ひがし アフリカ 、西岸 せいがん がコンゴ自由 じゆう 国 こく (のちベルギー領 りょう コンゴ )、南端 なんたん がイギリス領 りょう 北 きた ローデシア に分割 ぶんかつ された。1914年 ねん に第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん が勃発 ぼっぱつ すると、タンガニーカ湖 こ もアフリカ戦線 せんせん の戦場 せんじょう となり、ドイツ軍 ぐん とイギリス軍 ぐん が水上 すいじょう 戦 せん をおこなった。1915年 ねん にはイギリス軍 ぐん のモーターランチであるミィミィ、トウトウがドイツの砲艦 ほうかん キンガニを拿捕 だほ し、ついで武装 ぶそう 商船 しょうせん ヘードヴィヒ・フォン・ヴィスマンを撃沈 げきちん 、さらに特設 とくせつ 砲艦 ほうかん グラーフ・フォン・ゲッツェン (砲艦 ほうかん ) が爆撃 ばくげき されてドイツ軍 ぐん は湖上 こじょう の支配 しはい 権 けん を失 うしな った。
生態 せいたい 系 けい
ネオランプロローグス・シリンドリカス
世界 せかい でも固有 こゆう 種 しゅ の多 おお い湖 みずうみ として有名 ゆうめい で、ここに生息 せいそく する魚 さかな の約 やく 80%、貝類 かいるい の約 やく 90%が固有 こゆう 種 しゅ である。多 おお くの淡水魚 たんすいぎょ やデンキナマズ 、肺魚 はいぎょ などが生息 せいそく する。湖 みずうみ で最 もっと も個体 こたい 数 すう の多 おお い魚 さかな はニシン科 か の2種 しゅ (Limnothrissa miodon と Stolothrissa tanganicae )とアカメ科 か アカメ属 ぞく Lates の4種 しゅ の合計 ごうけい 6種 しゅ の遊泳 ゆうえい 魚 ぎょ で、魚類 ぎょるい の現存 げんそん 量 りょう の大 だい 部分 ぶぶん を占 うらない ている。しかし種 たね として見 み ればこれらはごく一部 いちぶ であり、湖 みずうみ からは少 すく なくともシクリッド が300種 しゅ とそれ以外 いがい の魚 さかな が150種 しゅ ほど知 し られており、その大 だい 部分 ぶぶん は底 そこ 生魚 なまざかな (主 しゅ として湖底 こてい 付近 ふきん で生活 せいかつ する魚 さかな )である。約 やく 300種 しゅ のシクリッドのほとんど(90%以上 いじょう )が固有 こゆう 種 しゅ で、このような固有 こゆう 化 か は無 む 脊椎動物 せきついどうぶつ にも起 お こっており、貝 かい 類 るい 、ヒル 類 るい 、カイアシ類 るい (橈脚類 るい )、カニ 類 るい などで顕著 けんちょ である。特 とく にカワニナ 類 るい には一見 いっけん 海 うみ の貝 かい のように見 み えるものも多 おお く、他 た の淡水 たんすい 域 いき には見 み られない際 さい 立 た った進化 しんか を見 み せている。水質 すいしつ がやや強 つよ いアルカリ性 あるかりせい であるため、貝類 かいるい の死 し 殻 から の多 おお くは溶解 ようかい せずに長期間 ちょうきかん 堆積 たいせき しており、無数 むすう にあるNeothauma tanganyicense (タニシ 科 か )の空殻 あきがら はカニの隠 かく れ家 が となったり、住処 すみか や産卵 さんらん シェルターとしてそれらを使 つか うように進化 しんか したシクリッドなども生息 せいそく する。
これらのシクリッドはタンガニーカ湖 こ 産 さん シクリッドとして、マラウイ湖 こ のシクリッドと合 あ わせてアフリカン・シクリッド という名 な で観賞 かんしょう 用 よう の熱帯魚 ねったいぎょ として養殖 ようしょく され、欧米 おうべい や日本 にっぽん に輸出 ゆしゅつ される。
湖 みずうみ の魚 さかな は周辺 しゅうへん 地域 ちいき に住 す むの人々 ひとびと の主要 しゅよう なタンパク 源 みなもと となっている。湖 みずうみ の周囲 しゅうい では約 やく 800箇所 かしょ で漁業 ぎょぎょう が営 いとな まれ、漁業 ぎょぎょう に直接 ちょくせつ かかわっている人 ひと が約 やく 4万 まん 5000人 にん 、間接 かんせつ 的 てき に依存 いぞん している人 ひと は約 やく 100万 まん 人 にん といわれる。タンガニーカ湖 こ 産 さん の魚 さかな は東 ひがし アフリカ全域 ぜんいき にも輸出 ゆしゅつ されている。商業 しょうぎょう 漁業 ぎょぎょう は1950年代 ねんだい 半 なか ばに始 はじ まり、1995年 ねん の総 そう 漁獲 ぎょかく 量 りょう はおよそ18万 まん トンであった。商業 しょうぎょう 漁業 ぎょぎょう は漁獲 ぎょかく 対象 たいしょう である遊泳 ゆうえい 魚 ぎょ 種 しゅ に対 たい し重大 じゅうだい な影響 えいきょう を及 およ ぼしているともいわれ、初期 しょき からの水産 すいさん 会社 かいしゃ の中 なか には、漁業 ぎょぎょう がもっとも盛 さか んであった1980年代 ねんだい に急 きゅう 成長 せいちょう したものの、その後 ご 倒産 とうさん してしまったものもある。
人文 じんぶん
構造 こうぞう 湖 みずうみ であり非常 ひじょう な深 ふか さを誇 ほこ るため、沖積 ちゅうせき 平野 へいや の発達 はったつ がなく湖岸 こがん 平野 へいや がほとんど発達 はったつ していない。沿岸 えんがん 最大 さいだい の都市 とし は湖北 こほく 端 はし に位置 いち するブルンジの首都 しゅと ブジュンブラ であり、その他 た 東岸 とうがん にタンザニア中央 ちゅうおう 鉄道 てつどう の発着 はっちゃく 駅 えき であるキゴマ 、西岸 せいがん にカレミ 、南端 なんたん にムプルング などの町 まち があるが、概 がい して都市 とし の発達 はったつ はあまりない。タンガニーカ湖 こ は4カ国 かこく にまたがり、道路 どうろ 網 もう の発達 はったつ していない地域 ちいき において重要 じゅうよう な交通 こうつう 路 ろ となっているため、国際 こくさい 水域 すいいき となっている。
タンガニーカ湖 こ 周辺 しゅうへん は都市 とし の発達 はったつ があまりなく、湖水 こすい の汚濁 おだく はさほど重大 じゅうだい な問題 もんだい となってはいない。しかし、それでもブジュンブラやキゴマからの都市 とし の汚水 おすい 流入 りゅうにゅう が問題 もんだい となっている。しかしそれよりも重大 じゅうだい なのは、よく耕作 こうさく され土壌 どじょう 浸食 しんしょく の激 はげ しいブルンジやコンゴ民主 みんしゅ 共和 きょうわ 国 こく からの土砂 どしゃ の流入 りゅうにゅう である[3] 。これらの問題 もんだい について討議 とうぎ し解決 かいけつ を目指 めざ すため、「タンガニーカ湖 こ の生物 せいぶつ 多様 たよう 性 せい 保護 ほご のための汚染 おせん 制御 せいぎょ などの手段 しゅだん 」プロジェクトが発足 ほっそく し、2003年 ねん には周辺 しゅうへん 諸国 しょこく によってタンガニーカ湖 こ の持続 じぞく 的 てき 管理 かんり に関 かん する条約 じょうやく (タンガニーカ湖 こ の持続 じぞく 的 てき 管理 かんり に関 かん する条約 じょうやく )が結 むす ばれた。
交通 こうつう
リエンバ号 ごう 。建造 けんぞう 後 ご 99年 ねん たつ2012年 ねん 現在 げんざい も旅客船 りょかくせん として運行 うんこう 中 ちゅう である
タンガニーカ湖 こ は上述 じょうじゅつ のように、周辺 しゅうへん の貴重 きちょう な交通 こうつう 路 ろ となっている。とくにタンザニア中央 ちゅうおう 鉄道 てつどう の終着駅 しゅうちゃくえき である東岸 とうがん 中央 ちゅうおう 部 ぶ のタンザニアのキゴマと、コンゴ側 がわ の鉄道 てつどう の終着駅 しゅうちゃくえき であり、鉄道 てつどう を通 つう じてカタンガやベンゲラ鉄道 てつどう とつながる西岸 せいがん 中央 ちゅうおう 部 ぶ のコンゴ民主 みんしゅ 共和 きょうわ 国 こく のカレミの間 あいだ にはフェリー が走 はし り、大陸 たいりく 横断 おうだん ルートを形成 けいせい している。キゴマ港 こう の利用 りよう 者 しゃ は2002年 ねん のデータで40000人 にん 程度 ていど にのぼる[4] 。また、南端 なんたん にあるザンビアのムプルングや北端 ほくたん のブルンジのブジュンブラも重要 じゅうよう で、上記 じょうき 4都市 とし を起点 きてん として各 かく 町村 ちょうそん を結 むす ぶフェリーが運航 うんこう している。ブルンジとザンビアは国境 こっきょう を接 せっ していないが、ムプルングとブジュンブラを直接 ちょくせつ 結 むす ぶ貨物 かもつ 船 せん が就航 しゅうこう しており、コンゴやタンザニアを経由 けいゆ せず行 い き来 き ができる。上記 じょうき のグラーフ・フォン・ゲッツェン(1913年 ねん 建造 けんぞう )は、1924年 ねん に引 ひ き上 あ げられて貨客船 かきゃくせん リエンバ号 ごう として復活 ふっかつ し、タンザニアと諸国 しょこく を結 むす ぶ国際 こくさい 船 せん として現在 げんざい もタンガニーカ湖上 こじょう で運行 うんこう している[5] 。
この湖 みずうみ が始 はじ めて外部 がいぶ と交通 こうつう 機関 きかん で結 むす ばれたのは、1914年 ねん にタンガニーカ鉄道 てつどう がキゴマまで延 の び、ダルエスサラーム と鉄路 てつろ がつながった時 とき である。ついで1915年 ねん にはアルベールビル(現 げん カレミ)まで鉄道 てつどう が延 の び、南 みなみ アフリカ のケープタウン と、さらに1928年 ねん にはベンゲラ鉄道 てつどう の全通 ぜんつう によりポルトガル 領 りょう のベンゲラ 港 みなと と結 むす ばれた。
脚注 きゃくちゅう
^ 『アフリカを知 し る事典 じてん 』、平凡社 へいぼんしゃ 、ISBN 4-582-12623-5 1989年 ねん 2月 がつ 6日 にち 初版 しょはん 第 だい 1刷 さつ p.265
^ 吉田 よしだ 昌夫 まさお 『世界 せかい 現代 げんだい 史 し 14 アフリカ現代 げんだい II』山川 やまかわ 出版 しゅっぱん 社 しゃ 、1990年 ねん 2月 がつ 第 だい 2版 はん 。p.32-33
^ 「国際 こくさい 湖沼 こしょう 地域 ちいき の持続 じぞく 可能 かのう な開発 かいはつ のための多国 たこく 間 あいだ 協力 きょうりょく について 地球 ちきゅう 環境 かんきょう 整備 せいび 基金 ききん からの教訓 きょうくん 」pp182-183 J・I・ウィットー 「湖 みずうみ と人 ひと 、共存 きょうぞん の道 みち をひらく 世界 せかい 湖沼 こしょう ビジョン」所収 しょしゅう 財団 ざいだん 法人 ほうじん 国際 こくさい 湖沼 こしょう 環境 かんきょう 委員 いいん 会 かい 編 へん 吉良 きら 竜夫 たつお 監修 かんしゅう 新樹 あらき 社 しゃ 2005年 ねん 1月 がつ 10日 とおか 初版 しょはん 1刷 さつ
^ 「交流 こうりゅう の中 なか で」栗田 くりた 和明 かずあき /「タンザニアを知 し るための50章 しょう 」p260 栗田 くりた 和明 かずあき ・根本 ねもと 利通 としみち 編著 へんちょ 明石書店 あかししょてん 2006年 ねん 7月 がつ 10日 とおか 初版 しょはん 第 だい 1刷 さつ
^ 「遠方 えんぽう を結 むす ぶ」根本 ねもと 利通 としみち /「タンザニアを知 し るための50章 しょう 」p158 栗田 くりた 和明 かずあき ・根本 ねもと 利通 としみち 編著 へんちょ 明石書店 あかししょてん 2006年 ねん 7月 がつ 10日 とおか 初版 しょはん 第 だい 1刷 さつ
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