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[[2003年]]は[[サンテレビジョン|サンテレビ]][[野球解説者|解説者]]・[[デイリースポーツ]][[野球評論家|評論家]]として活躍。 |
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[[2004年]]から[[2006年]]まで[[阪神タイガース]]一軍内野守備・走塁コーチに就任、[[2005年]]には[[セントラル・リーグ]]優勝に貢献。 |
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[[2007年]]から[[2009年]]まで[[韓国プロ野球]]・[[SKワイバーンズ]]で一軍守備コーチに就任し守備の礎を築き[[2007年の韓国シリーズ]]と[[2008年の韓国シリーズ]]2年連続の優勝を果たし、[[2007年のアジアシリーズ|アジアシリーズ2007]]と[[2008年のアジアシリーズ|アジアシリーズ2008]]に[[韓国プロ野球]]の代表チームとして2年連続での出場に貢献した。 |
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[[2007年]]から[[2009年]]まで[[韓国プロ野球]]・[[SKワイバーンズ]]で一軍守備コーチに就任し守備の礎を築き[[2007年の韓国シリーズ]]初優勝と[[2008年の韓国シリーズ]]優勝を2年連続で果たし、[[2007年のアジアシリーズ|アジアシリーズ2007]]と[[2008年のアジアシリーズ|アジアシリーズ2008]]に[[韓国プロ野球]]の代表チームとして2年連続での出場に貢献した。 |
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[[2010年]]から[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]の一軍内野守備・走塁コーチに就任。本人の強い希望により5月11日、二軍で内野守備・走塁コーチをしていた[[永池恭男]]と入れ替わりに二軍内野守備・走塁コーチへ異動<ref>{{Cite web|title=コーチ人事について|東北楽天ゴールデンイーグルス|url=https://www.rakuteneagles.jp/news/detail/764.html|website=楽天イーグルス オフィシャルサイト|accessdate=2019-04-10|language=ja}}</ref>シーズン終了後退団した。 |
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[[2010年]]から[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]の一軍内野守備・走塁コーチに就任。本人の強い希望により5月11日、二軍で内野守備・走塁コーチをしていた[[永池恭男]]と入れ替わりに二軍内野守備・走塁コーチへ異動<ref>{{Cite web|title=コーチ人事について|東北楽天ゴールデンイーグルス|url=https://www.rakuteneagles.jp/news/detail/764.html|website=楽天イーグルス オフィシャルサイト|accessdate=2019-04-10|language=ja}}</ref>シーズン終了後退団した。 |
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[[2011年]]から[[SKワイバーンズ]]の一軍内野守備コーチに復帰。[[2012年]]より[[韓国プロ野球]]・[[ハンファ・イーグルス]]当時の監督[[韓大化|ハン・デファ]]に勧誘され一軍守備コーチに就任。[[2016年]]から[[SKワイバーンズ]]の一軍守備コーチに復帰。[[2017年]]から[[横浜DeNAベイスターズ]]の二軍野手総合コーチに就任。[[2018年]]は二軍内野守備・走塁コーチも兼任。 |
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[[2011年]]から[[SKワイバーンズ]]の一軍内野守備コーチに復帰。[[2012年]]より[[韓国プロ野球]]・[[ハンファ・イーグルス]]当時の監督[[韓大化|ハン・デファ]]に勧誘され一軍守備コーチに就任。[[2016年]]から[[SKワイバーンズ]]の一軍守備コーチに復帰。[[2017年]]から[[横浜DeNAベイスターズ]]の二軍野手総合コーチに就任。[[2018年]]は二軍内野守備・走塁コーチも兼任。 |
2019年5月15日 (水) 10:07時点における版
福原 峰夫基本情報 |
---|
国籍 |
日本 |
---|
出身地 |
東京都墨田区 |
---|
生年月日 |
(1957-09-20) 1957年9月20日(66歳) |
---|
身長 体重 |
178 cm 80 kg |
---|
選手情報 |
---|
投球・打席 |
右投右打 |
---|
ポジション |
二塁手 |
---|
プロ入り |
1981年 ドラフト外 |
---|
初出場 |
1982年4月6日 |
---|
最終出場 |
1992年10月10日 |
---|
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
---|
選手歴 |
|
コーチ歴 |
|
|
福原 峰夫(ふくはら みねお、1957年9月20日 - )は、東京都墨田区出身の元プロ野球選手。
経歴
現役時代
修徳高から法政大学、社会人野球の日本通運を経て、1981年オフにドラフト外で阪急ブレーブスに入団。
1984年の日本シリーズ広島東洋カープ戦では全7試合に先発出場。第1戦の3回表初打席で本塁打、第2戦の9回表に3遊間を破る逆転タイムリーヒットを放ち勝利に貢献、第5戦の2回裏にセンター前ヒットの同点打、第6戦の3回表に川口和久から放った満塁本塁打で勝利に貢献。26打数5安打7打点、本塁打2本、勝利打点2を挙げるなど、大活躍し好成績を残した。1992年に現役引退。
引退後
1993年から1994年までオリックス・ブルーウェーブの二軍内野守備・走塁コーチ、1995年から1999年まで一軍内野守備・走塁コーチを務め1995年のパシフィック・リーグ初優勝と1996年の日本シリーズ優勝に3塁コーチとして貢献した。
2000年から2001年まで中日ドラゴンズの二軍内野守備・走塁コーチ、2002年は一軍内野守備・走塁コーチを務めた。
2003年はサンテレビ解説者・デイリースポーツ評論家として活躍。
2004年から2006年まで阪神タイガース一軍内野守備・走塁コーチに就任、2005年にはセントラル・リーグ優勝に貢献。
2007年から2009年まで韓国プロ野球・SKワイバーンズで一軍守備コーチに就任し守備の礎を築き2007年の韓国シリーズ初優勝と2008年の韓国シリーズ優勝を2年連続で果たし、アジアシリーズ2007とアジアシリーズ2008に韓国プロ野球の代表チームとして2年連続での出場に貢献した。
2010年から東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍内野守備・走塁コーチに就任。本人の強い希望により5月11日、二軍で内野守備・走塁コーチをしていた永池恭男と入れ替わりに二軍内野守備・走塁コーチへ異動[1]シーズン終了後退団した。
2011年からSKワイバーンズの一軍内野守備コーチに復帰。2012年より韓国プロ野球・ハンファ・イーグルス当時の監督ハン・デファに勧誘され一軍守備コーチに就任。2016年からSKワイバーンズの一軍守備コーチに復帰。2017年から横浜DeNAベイスターズの二軍野手総合コーチに就任。2018年は二軍内野守備・走塁コーチも兼任。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
1982
|
阪急 オリックス
|
33 |
14 |
12 |
3 |
4 |
2 |
0 |
0 |
6 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
4 |
0 |
.333 |
.429 |
.500 |
.929
|
1983
|
24 |
21 |
19 |
5 |
6 |
0 |
0 |
1 |
9 |
2 |
0 |
1 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
4 |
1 |
.316 |
.381 |
.474 |
.855
|
1984
|
120 |
263 |
220 |
31 |
59 |
7 |
0 |
6 |
84 |
22 |
2 |
3 |
15 |
3 |
24 |
0 |
1 |
48 |
5 |
.268 |
.339 |
.382 |
.721
|
1985
|
66 |
137 |
117 |
20 |
25 |
3 |
0 |
8 |
52 |
17 |
1 |
4 |
4 |
1 |
13 |
0 |
2 |
23 |
3 |
.214 |
.301 |
.444 |
.745
|
1986
|
75 |
29 |
26 |
2 |
4 |
0 |
1 |
0 |
6 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
2 |
0 |
0 |
7 |
0 |
.154 |
.214 |
.231 |
.445
|
1987
|
91 |
41 |
34 |
8 |
5 |
3 |
0 |
0 |
8 |
1 |
1 |
0 |
1 |
0 |
6 |
0 |
0 |
11 |
2 |
.147 |
.275 |
.235 |
.510
|
1988
|
59 |
59 |
51 |
11 |
11 |
2 |
0 |
0 |
13 |
2 |
1 |
0 |
1 |
0 |
7 |
0 |
0 |
21 |
3 |
.216 |
.310 |
.255 |
.565
|
1989
|
73 |
84 |
70 |
9 |
14 |
4 |
0 |
0 |
18 |
3 |
1 |
0 |
3 |
0 |
11 |
0 |
0 |
24 |
2 |
.200 |
.309 |
.257 |
.566
|
1990
|
95 |
161 |
133 |
17 |
29 |
3 |
2 |
3 |
45 |
16 |
1 |
0 |
7 |
1 |
20 |
0 |
0 |
26 |
7 |
.218 |
.318 |
.338 |
.656
|
1991
|
10 |
5 |
4 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
.000 |
.200 |
.000 |
.200
|
1992
|
26 |
17 |
17 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
6 |
0 |
.059 |
.059 |
.059 |
.118
|
NPB:11年
|
672 |
831 |
703 |
107 |
158 |
24 |
3 |
18 |
242 |
67 |
7 |
8 |
32 |
5 |
88 |
0 |
3 |
175 |
23 |
.225 |
.312 |
.344 |
.656
|
- 阪急(阪急ブレーブス)は、1989年にオリックス(オリックス・ブレーブス)に球団名を変更
記録
背番号
脚注
関連項目
外部リンク