セントラル・リーグ

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セントラル・リーグ
競技きょうぎ野球やきゅう
開始かいしねん1950ねん
参加さんかチーム6
くに日本の旗 日本にっぽん
前回ぜんかい優勝ゆうしょう阪神はんしんタイガース(18ねんぶり6かい
最多さいた優勝ゆうしょう読売よみうりジャイアンツ(38かい
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セ・リーグに加盟かめいするかく球団きゅうだん本拠地ほんきょち所在地しょざいち(1978ねん~)

セントラル・リーグえい: Central League)は、日本にっぽんプロ野球やきゅうリーグのひとつ。

正式せいしき名称めいしょう日本にっぽんプロ野球やきゅう組織そしき セントラル・リーグ運営うんえい呼称こしょうセ・リーグ、または

概要がいよう[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおけるプロ野球やきゅうリーグのひとつで、読売よみうりジャイアンツ巨人きょじん)、阪神はんしんタイガース中日ちゅうにちドラゴンズ東京とうきょうヤクルトスワローズ横浜よこはまDeNAベイスターズ広島東洋ひろしまとうようカープの6球団きゅうだんから構成こうせいされている。

巨人きょじん阪神はんしん中日ちゅうにちの3球団きゅうだんは、戦前せんぜん誕生たんじょう現在げんざいいたるまで親会社おやがいしゃわらずに存在そんざいする老舗しにせ球団きゅうだんである。現存げんそんする6球団きゅうだんすべてが太平洋たいへいようベルトうえ東海道とうかいどう山陽新幹線さんようしんかんせん沿線えんせん)に本拠地ほんきょち球場きゅうじょういており、うち広島ひろしま以外いがいの5球団きゅうだんはすべてさん大都市だいとしけん首都しゅとけん近畿きんきけん中京ちゅうきょうけん)、そのなかでもきょじん・ヤクルト・DeNAの3球団きゅうだん首都しゅとけん本拠地ほんきょちいている。

パシフィック・リーグとはことなり、指名しめい打者だしゃせい(DHせい)を採用さいようしておらず、投手とうしゅふくめた9にんのスタメンで構成こうせいされているのがセ・リーグのおおきな特徴とくちょうである。

2019ねんれい元年がんねん)11月11にちJERAとタイトルパートナー(かんむりスポンサー)契約けいやく締結ていけつ契約けいやく期間きかん2020ねんれい2ねん)から3年間ねんかん。2020ねんシーズンより、リーグせんでは「JERA セントラル・リーグ」の名称めいしょう使用しようされる[1]

沿革えんかく[編集へんしゅう]

誕生たんじょう[編集へんしゅう]

1949ねん昭和しょうわ24ねん)、しんチーム加盟かめい是非ぜひをめぐり日本にっぽん野球やきゅう連盟れんめい分裂ぶんれつし、加盟かめい反対はんたい読売よみうりジャイアンツ巨人きょじん)、中日ちゅうにちドラゴンズ松竹しょうちくロビンス中心ちゅうしんに、大阪おおさかタイガース[ちゅう 1]しん球団きゅうだん大洋たいようホエールズ広島ひろしまカープ西日本にしにほんパイレーツくわえたけい7球団きゅうだんセントラル野球やきゅう連盟れんめい(セントラルやきゅうれんめい)が発足ほっそく。なお、発足ほっそく当時とうじ小田急電鉄おだきゅうでんてつ球団きゅうだん所有しょゆうしてセ・リーグに加盟かめいして8球団きゅうだん体制たいせいとする計画けいかくがあった[2]が、これは計画けいかくたおれにわり実現じつげんしなかった。

たもとかった賛成さんせいの4球団きゅうだん阪急はんきゅうブレーブス南海なんかいホークス大映だいえいスターズ東急とうきゅうフライヤーズ)は、3つのしんチーム(毎日まいにちオリオンズ近鉄きんてつパールス西鉄にしてつクリッパース)ととも太平洋たいへいよう野球やきゅう連盟れんめいことパシフィック・リーグ(パ・リーグ)を結成けっせいした。

よく1950ねん昭和しょうわ25ねん)1がつには球団きゅうだん所有しょゆう中止ちゅうし消滅しょうめつわった小田急電鉄おだきゅうでんてつわるかたち国鉄こくてつスワローズ(げん東京とうきょうヤクルトスワローズ)も加盟かめいし、当初とうしょ計画けいかくからちがかたちとなったが、運営うんえい初年度しょねんどから8球団きゅうだん体制たいせいとなった。なお、初年度しょねんどである1950ねん松竹しょうちくロビンスがセ・リーグ初代しょだい優勝ゆうしょうチームとなったが、そのとし日本にっぽんシリーズでは親会社おやがいしゃのバックアップで戦力せんりょく充実じゅうじつさせた毎日まいにちオリオンズ敗退はいたいした。

1950年代ねんだい[編集へんしゅう]

その1951ねんから1959ねんにかけて、水原みずはらしげる監督かんとくひきいる読売よみうりジャイアンツだい2黄金おうごんだった。日本にっぽんシリーズでも1951ねんから1953ねん1955ねんにおいて、鶴岡つるおか一人かずと監督かんとくひきいる南海なんかいホークス圧倒あっとうし、4日本一にっぽんいち達成たっせいした。しかし、1956ねんから1958ねんではかつて巨人きょじん指揮しきした三原みはらおさむ監督かんとくひきいる西鉄にしてつライオンズに3ねん連続れんぞく敗退はいたい。さらに1959ねんでも杉浦すぎうらただしようする南海なんかいホークスに0しょう4はい敗退はいたいした。なお、日本にっぽんシリーズでストレートでの4連勝れんしょうめたのは南海なんかい史上しじょうはつだった。

1951ねん1がつ10日とおか開催かいさい予定よていされたセ・リーグ代表だいひょうしゃ会議かいぎまえに、経営けいえい危機きき直面ちょくめんしていた広島ひろしま西日本にしにほん整理せいりする構想こうそう浮上ふじょうしたものの、当日とうじつ会議かいぎでは問題もんだい先送さきおくりされた[3]が、結局けっきょくシーズン開始かいし直前ちょくぜん西日本にしにほんパイレーツがパ・リーグの西鉄にしてつクリッパース(げん埼玉さいたま西武せいぶライオンズ)と合併がっぺい脱退だったい1952ねんシーズン終了しゅうりょうには大洋たいようホエールズと松竹しょうちくロビンスが合併がっぺいして「大洋たいよう松竹しょうちくロビンス」を結成けっせいし、6球団きゅうだんになる[よう出典しゅってん]。1951ねん8がつ19にちには中日ちゅうにちスタヂアム全焼ぜんしょう死者ししゃ4めい重軽傷じゅうけいしょうしゃ多数たすう惨事さんじとなった。

以降いこう親会社おやがいしゃおよびチームめい変更へんこうこそあるものの、チームすうそのものの増減ぞうげんい。大洋たいよう松竹しょうちくロビンスが1953ねん昭和しょうわ28ねん)に下関しものせきから大阪おおさかへ、さらに1955ねん昭和しょうわ30ねん大洋たいようホエールズに改称かいしょうして神奈川かながわけん川崎かわさき川崎球場かわさききゅうじょう移転いてんして以降いこうは、かく球団きゅうだん保護ほご地域ちいき変更へんこうい。どう球団きゅうだんは、1978ねん横浜よこはま横浜よこはまスタジアムへの移転いてんとともに横浜よこはま大洋たいようホエールズに改称かいしょうしており[ちゅう 2]、それ以降いこう本拠地ほんきょち球場きゅうじょう所在地しょざいち変更へんこうい。

1954ねん中日ちゅうにちドラゴンズ杉下すぎしたしげるようして球団きゅうだんはつのリーグ優勝ゆうしょうそのとし日本にっぽんシリーズでも球団きゅうだんはつのパ・リーグ優勝ゆうしょうめた西鉄にしてつライオンズをやぶ日本一にっぽんいちとなった。

1959ねん6月25にち巨人きょじん×大阪おおさかせん後楽園こうらくえん)で、プロ野球やきゅう史上しじょうはじめての天覧てんらん試合しあい開催かいさいされた。1950年代ねんだい後半こうはんから巨人きょじんおう貞治さだはる長嶋ながしま茂雄しげお球界きゅうかいのスター選手せんしゅとなり、宿命しゅくめいのライバルである村山むらやまみのるG.バッキー金田かねだ正一しょういちらとのめい勝負しょうぶひろげた。

1960年代ねんだい~1970年代ねんだい前半ぜんはん[編集へんしゅう]

1960ねんは、前年ぜんねんまで6ねん連続れんぞく最下位さいかいあえいでいた、このとし就任しゅうにんした三原みはらおさむ監督かんとくひきいる大洋たいようホエールズ球団きゅうだんはつのリーグ優勝ゆうしょう。そしてそのとし日本にっぽんシリーズでも西本にしもと幸雄ゆきお監督かんとくひきいる毎日まいにち大映だいえいオリオンズ大毎だいまい)を4しょう0はいせいした。

巨人きょじん1961ねんから球団きゅうだんOBの川上かわかみ哲治てつじ監督かんとく就任しゅうにん当時とうじ巨人きょじん打撃だげきじんでは長嶋ながしま茂雄しげおだけがたよりになる存在そんざいで、投手とうしゅじんでも絶対ぜったいてき存在そんざいがいなかった。そのため、川上かわかみは『ドジャースの戦法せんぽう』をチームに導入どうにゅうし、のちに「V9」とばれるセ・リーグ9連覇れんぱ日本一にっぽんいちという前人未到ぜんじんみとう黄金おうごんをきずきあげる。また、1960年代ねんだい前半ぜんはんテレビ中継ちゅうけいおも日本にほんテレビ系列けいれつなど)の普及ふきゅうあいまって、やがて巨人きょじん阪神はんしん爆発ばくはつてき人気にんきることになる。とくきょじん同様どうよう読売新聞よみうりしんぶんグループである日本にほんテレビのプロ野球やきゅう中継ちゅうけいにっテレの看板かんばん番組ばんぐみでもあり、巨人きょじん爆発ばくはつてき人気にんき獲得かくとくし、「子供こどもきなものといえば『巨人きょじん大鵬たいほう卵焼たまごや』」と言葉ことばができるなど、V9がはじまるまえから社会しゃかい現象げんしょうとなっていた。

そんななか巨人きょじんのライバル球団きゅうだんである阪神はんしんタイガース1962ねん1964ねんにリーグ優勝ゆうしょうたすも、前者ぜんしゃもときょじん監督かんとくだった水原みずはらしげる監督かんとくひきいる東映とうえいフライヤーズに、後者こうしゃ南海なんかいホークスにやぶれた。なお、1964ねん日本にっぽんシリーズ関西かんさい私鉄してつ同士どうしだったこともあり、御堂筋みどうすじシリーズ』ばれた[ちゅう 3][ちゅう 4]

1965ねん~1973ねん巨人きょじんのV9時代じだい[編集へんしゅう]

巨人きょじん監督かんとくだった川上かわかみは、選手せんしゅ個々ここ実力じつりょくよりも、『ドジャースの戦法せんぽう』の導入どうにゅう代表だいひょうされるように、球団きゅうだんさきんじてチームプレーを導入どうにゅうすることを優先ゆうせんした。またスタッフでも牧野まきのしげるなどを招聘しょうへい選手せんしゅにおいても、おう貞治さだはる長嶋ながしま茂雄しげおという二人ふたりのスーパースター(いわゆるONほう)を筆頭ひっとうに、もり昌彦まさひこ柴田しばたいさお黒江くろえとおるおさむ高田たかだしげる土井どい正三しょうさんといっためい選手せんしゅや、堀内ほりうち恒夫つねお高橋たかはし一三かずみ城之内じょうのうち邦雄くにお金田かねだ正一しょういちといった球史きゅうしのこ投手とうしゅそろった。様々さまざまなポジションにてきした人材じんざいそろっており、1ばん・2ばんとクリーンナップでてんをとり、あとはそのてん守備しゅび徹底てっていしてまもる、日本にっぽんにおける「スモールベースボール」の先駆さきがけである一方いっぽう、V9の期間きかんちゅう巨人きょじんはセ・リーグ最多さいたチーム得点とくてんだった。当時とうじ本拠地ほんきょちだった後楽園こうらくえん球場きゅうじょうせまくて打者だしゃ有利ゆうり球場きゅうじょうであったこともあり、V9時代じだい巨人きょじん攻撃こうげきりょく中心ちゅうしんのチームであったとることができる。

1965ねん11月、戦力せんりょく均衡きんこう目的もくてきとしてだい1かいプロ野球やきゅうドラフト会議かいぎ開催かいさいされた。

なお同年どうねん1965ねん5がつシーズンちゅう国鉄こくてつスワローズはサンケイスワローズとなったが(1962ねん産経新聞さんけいしんぶんとの業務ぎょうむ提携ていけい以降いこう経営けいえいけん実質じっしつてき国鉄こくてつから産経さんけい移行いこうしていた)、1970ねんにはヤクルト経営けいえいけん移行いこう、ヤクルトアトムズとなった。1973ねんには中日ちゅうにちスタヂアムの経営けいえいけんをめぐる恐喝きょうかつ事件じけん中日ちゅうにちスタヂアム事件じけん)が発生はっせいした。

1970年代ねんだい後半こうはん V9の終焉しゅうえん広島ひろしまあかヘル旋風せんぷう[編集へんしゅう]

1974ねん与那嶺よなみねよう監督かんとく中日ちゅうにちドラゴンズが優勝ゆうしょうし、巨人きょじんの10連覇れんぱ阻止そしV9時代じだい終焉しゅうえんむかえた。10月14にち戦後せんごのこ長嶋ながしま茂雄しげお引退いんたいスピーチおこなわれた。よく1975ねんは、ちく監督かんとくひきいる広島東洋ひろしまとうようカープ山本やまもと浩二こうじころもりゅう祥雄よしおそと木場きば義郎よしおらをようしてはつ優勝ゆうしょうたすとプロ野球やきゅうかいあかヘル旋風せんぷうこす。その広島ひろしまカープは高橋たかはし慶彦よしひこ北別府きたべふがく江夏えなつゆたからの活躍かつやくもあり、3日本一にっぽんいち1979ねん1980ねん1984ねん)をげる。

巨人きょじんは、V9以降いこう1975ねん球団きゅうだん史上しじょうはつ最下位さいかいという結果けっかになった。ただし、よく1976ねん1977ねん張本ちょうほんくん小林こばやししげるしん戦力せんりょく活躍かつやくによりV2をたしている。また、1977ねん9がつ3にちにはおう貞治さだはるハンク・アーロン記録きろくく756ごうはなち、はつ国民こくみん栄誉えいよしょう受賞じゅしょうした。 1979ねん、5あまんじたシーズン直後ちょくご伊東いとうでの秋季しゅうきキャンプは『地獄じごく伊東いとうキャンプ』としてかたがれ、江川えがわたく中畑なかはたきよし松本まつもと匡史ただし西本にしもときよしすみ三男みつお巨人きょじん主力しゅりょくとなる選手せんしゅもいた。

1978ねん ヤクルトスワローズ、球団きゅうだんはつのリーグ優勝ゆうしょう日本一にっぽんいち[編集へんしゅう]

外国がいこくじん活躍かつやく[編集へんしゅう]

セ・リーグにおいては前掲ぜんけいのバッキー(阪神はんしん)や、MLB仕込しこみの華麗かれい守備しゅびせたC.ボイヤー大洋たいよう)、J.シピン大洋たいよう巨人きょじん)らが先駆せんくをなしたが、70年代ねんだい後半こうはんからは日本にっぽん経済けいざい成長せいちょうともない、MLBでレギュラーであった外国がいこくじん選手せんしゅがキャリアの後半こうはんにNPBをえらぶケースがえ、R.ホワイトR.スミス巨人きょじん)、あかおにことC.マニエル(ヤクルト)が活躍かつやくした。そこから、80年代ねんだいにはR.バース阪神はんしん)、B.ホーナー(ヤクルト)を筆頭ひっとうとする圧倒的あっとうてきなパワーを打者だしゃかくチームに出現しゅつげん大人気だいにんきとなる。1994ねんからは外国がいこくじんわく拡大かくだい(2めい⇒3めい。1998ねんからは4めい)にも発展はってんした。

ぎゃくに、日本にっぽんでの経験けいけんののち、帰国きこくにMLBでタイトルをるキャリアハイの活躍かつやくをしたれいもあり、C.フィルダー阪神はんしん)、B.ガリクソン巨人きょじん)、A.ソリアーノ広島ひろしま)がられている。

指導しどうしゃとしても、「あかヘル」の発案はつあんしゃであるJ.ルーツ広島ひろしまコーチ・監督かんとく)、MLBや南海なんかいでレギュラーだったD.ブレイザー南海なんかいHC→広島ひろしまHC→阪神はんしん監督かんとく)らが野球やきゅう先進せんしんこくアメリカの技術ぎじゅつ日本にっぽん紹介しょうかいし、リーグ全体ぜんたい底上そこあげに寄与きよした。

1980年代ねんだい 読売よみうりジャイアンツの復活ふっかつ東京とうきょうドーム開場かいじょう[編集へんしゅう]

入団にゅうだん混乱こんらんから「ヒール」ともわれた江川えがわたく桑田くわた真澄ますみ、またわか大将たいしょうことはらたつとく現役げんえきメジャーであったW.クロマティらの活躍かつやくにより、長嶋ながしま茂雄しげお監督かんとく解任かいにんのチームのなお[ちゅう 5]成功せいこうした読売よみうりジャイアンツは、80年代ねんだいつうじてすべてAクラスという安定あんていかんもどし、リーグ優勝ゆうしょう1981198319871989とし達成たっせい。とくに1989ねんは84しょう44はい他者たしゃけない圧勝あっしょうとなった。1988ねん東京とうきょうドーム開場かいじょうし、のちの5だいドーム時代じだい先鞭せんべんをつけた。

1985ねん 阪神はんしんタイガース、悲願ひがん日本一にっぽんいち[編集へんしゅう]

1985ねん阪神はんしんタイガースは、R.バースかけぬの雅之まさゆき岡田おかだ彰布あきのぶの『バックスクリーン3連発れんぱつ』など、ニューダイナマイト打線だせんばれる強力きょうりょく打線だせん活躍かつやくし、21ねんりのセ・リーグ優勝ゆうしょう達成たっせいする。

日本にっぽんシリーズでは、広岡ひろおか達朗たつろう監督かんとくひきいる西武せいぶライオンズやぶり4しょう2はい球団きゅうだん史上しじょうはつ日本一にっぽんいちかがやいた。

1990年代ねんだい ヤクルトの黄金おうごん阪神はんしん暗黒あんこく時代じだい、フリーエージェントの導入どうにゅう[編集へんしゅう]

1990ねん野村のむら克也かつやヤクルト監督かんとく就任しゅうにんした。このとしのちにヤクルトのせい捕手ほしゅとして活躍かつやくする古田ふるたあつし1991ねんには高津たかつしんわれなどが入団にゅうだんし、ヤクルトの黄金おうごんになうことになる。ほかにも広沢ひろさわ克己かつみ飯田いいだ哲也てつや池山いけやまたかしひろし川崎かわさき憲次けんじろうJ.ハウエルなどの活躍かつやくもあり、1992ねん1993ねんにセ・リーグ連覇れんぱたす。さらに1993ねん日本にっぽんシリーズでは、パ・リーグ4連覇れんぱちゅう西武せいぶライオンズやぶり、1978ねん以来いらい15ねんぶり2度目どめ日本一にっぽんいちたした。その選手せんしゅでは石井いしい一久かずひさ伊藤いとう智仁ともひと真中まなかみつる宮本みやもと慎也しんや稲葉いなばあつしなど、移籍いせき選手せんしゅでは吉井よしいじん田畑たばた一也かずやT.オマリーつじはつ小早川こばやかわ毅彦たけひこなどが活躍かつやくし、野村のむら克也かつや監督かんとく時代じだい(1990ねん~1998ねん)のヤクルトは、4のリーグ優勝ゆうしょう1992ねん1993ねん1995ねん1997ねん)と、(左記さき1992ねんのぞく)3日本一にっぽんいちげた。1998ねんシーズン終了しゅうりょうをもって野村のむら克也かつや監督かんとく退任たいにんし、阪神はんしん移籍いせきした。

一方いっぽう、そのころ阪神はんしんタイガース昭和しょうわ末期まっき平成へいせいと2暗黒あんこく時代じだい突入とつにゅう1987ねん1991ねんにかけて、(1989ねんのぞく)4最下位さいかいきっした。しかし1992ねんは、新庄しんじょう剛志たけし亀山かめやまつとむT.オマリーなどが活躍かつやくし、ヤクルト巨人きょじん優勝ゆうしょうあらそいをひろげ、最終さいしゅうてきには優勝ゆうしょうのヤクルトと僅差きんさで2巨人きょじん同率どうりつ2)と健闘けんとうせた。しかし、よく1993ねん以降いこうはBクラスに逆戻ぎゃくもどり、1995ねんから2ねん連続れんぞく最下位さいかい転落てんらくするなど、ふたた暗黒あんこく時代じだい突入とつにゅうする。1999ねんにヤクルトぜん監督かんとく野村のむら克也かつや阪神はんしん監督かんとく就任しゅうにんするが、1998ねんから2001ねんにかけて4ねん連続れんぞく最下位さいかいとなる。

読売よみうりジャイアンツは90年代ねんだいをつうじ1990ねん1994ねん1996としと、黄金おうごんヤクルトにぐ3かい優勝ゆうしょうたした。なかでも1994ねん10.8決戦けっせん同率どうりつ首位しゅい中日ちゅうにちくだしての最終さいしゅうせん優勝ゆうしょう、1996ねんメークドラマ首位しゅい広島ひろしまに1996ねん7がつ6にち時点じてん最大さいだい11.5ゲームをつけられながらも逆転ぎゃくてん優勝ゆうしょう)は国民こくみんてき関心かんしんあつめ、地上波ちじょうはTV視聴しちょうりつ観客かんきゃく動員どういん高水準こうすいじゅん推移すいいした。また積極せっきょくてき補強ほきょうとドラフト戦略せんりゃく成功せいこうにより、1990ねんV2てん主力しゅりょく斎藤さいとう雅樹まさき桑田くわた真澄ますみ槙原まきはらひろしおのれの3ほんばしら中心ちゅうしん)から、だい2長嶋ながしま茂雄しげお政権せいけんでの主力しゅりょく松井まつい秀喜ひでき上原うえはらひろし高橋たかはしゆかりしんら00年代ねんだい優勝ゆうしょうメンバー)への転換てんかんにも成功せいこうした。このあいだ落合おちあい博満ひろみつ清原きよはら和博かずひろらのフリーエージェント補強ほきょうにも成功せいこうし、ストーブリーグにおいても話題わだい中心ちゅうしんでありつづけた。

1998ねん 横浜よこはまベイスターズ、38ねんぶりのリーグ優勝ゆうしょう日本一にっぽんいち[編集へんしゅう]

1998ねん横浜よこはま大洋たいようホエールズからの改称かいしょう6シーズンとなった横浜よこはまベイスターズは、5月終了しゅうりょう時点じてんでは貯金ちょきん3の3だった。しかし、6がつ後半こうはんから石井いしい琢朗たくろう鈴木すずきしょうてんR.ローズ駒田こまだいさおひろらによるマシンガン打線だせん爆発ばくはつするようになり、16にちから8連勝れんしょうして首位しゅいった。その、オールスターせんはさんで10連勝れんしょう、アクシデント続出ぞくしゅつ失速しっそくする巨人きょじんとは対照たいしょうてき首位しゅいかためた。9月4にちからの2中日ちゅうにちとの直接ちょくせつ対決たいけつ佐々木ささき主浩おもひろの3連投れんとう全勝ぜんしょう大洋たいようホエールズ以来いらいとなる38ねんぶり2度目どめのセ・リーグ優勝ゆうしょうかざった。1998ねん日本にっぽんシリーズは4しょう2はいで38ねんぶり2度目どめ日本一にっぽんいちたした。

2000年代ねんだい 巨人きょじん中日ちゅうにち阪神はんしんの3きょう時代じだい横浜よこはま暗黒あんこく時代じだい[編集へんしゅう]

このころのセ・リーグははらたつとくひきいる読売よみうりジャイアンツ岡田おかだ彰布あきのぶひきいる阪神はんしんタイガース落合おちあい博満ひろみつひきいる中日ちゅうにちドラゴンズ熾烈しれつ優勝ゆうしょうあらそいをひろげていた。

巨人きょじんは00年代ねんだい前半ぜんはんには前掲ぜんけい松井まつい上原うえはら高橋たかはしゆかりおよ阿部あべまことこれすけ高橋たかはししょうなり仁志にし敏久としひさおか智宏ともひろ清水しみず隆行たかゆき選手せんしゅ非常ひじょうつよく、ぎゃく指名しめいなどのドラフト改革かいかくかぜとしたチーム強化きょうか成功せいこう。また、清原きよはら和博かずひろ江藤えとうさとし工藤くどうこうやすしらの移籍いせきぐみ活躍かつやくした。00年代ねんだい後半こうはん小笠原おがさわらみちだいA.ラミレスS.グライシンガーM.クルーンうけたまわらの移籍いせきぐみがMVPきゅう活躍かつやく、さらに坂本さかもと勇人はやと亀井かめい善行よしゆき内海うつみ哲也てつや山口やまぐち鉄也てつやといったきスター選手せんしゅとのベストミックスでV3を達成たっせい。00年代ねんだいの5のリーグ優勝ゆうしょう20002002200720082009)は最多さいたであった[ちゅう 6]

中日ちゅうにち山本やまもとあきら岩瀬いわせ仁紀ひとのり立浪たつなみ和義かずよし福留ふくとめ孝介こうすけ中村なかむら紀洋のりひろ和田わだ一浩かずひろたにしげる元信もとのぶ荒木あらき雅博まさひろ名球会めいきゅうかいメンバー、また川上かわかみけんしん浅尾あさお拓也たくやT.ウッズ井端いばた弘和ひろかず森野もりの将彦まさひこ吉見よしみ一起かずきらのスター選手せんしゅようし、落合おちあい博満ひろみつ監督かんとく在任ざいにん8年間ねんかん(2004ねん-2011ねん)で4のリーグ優勝ゆうしょう2004200620102011)、2007ねんにはリーグ2からの日本一にっぽんいち達成たっせいした。

阪神はんしんは2003ねんの「え」[4]象徴しょうちょうされるように、金本かなもとともけん伊良部いらぶ秀輝ひでき下柳しもやなぎつよし片岡かたおか篤史あつし矢野やの輝弘てるひろらを積極せっきょく補強ほきょうし、リストラを断行だんこうした。赤星あかほしけんひろ今岡いまおかまこと井川いかわけいJFK藤川ふじかわ球児きゅうじJ.ウィリアムス久保田くぼた智之としゆき)・鳥谷とりたにたかし能見のうみ篤史あつしらも活躍かつやくし、星野ほしのせんいち監督かんとく(2002ねん-2003ねん)~岡田おかだ彰布あきのぶ監督かんとく(2004ねん-2008ねん)の在任ざいにんちゅう、2のリーグ優勝ゆうしょう20032005)を達成たっせい2006ねん2008ねんにもシーズン2ながら80しょう突破とっぱした。

しかし、横浜よこはまベイスターズはもり祇晶ぎしょう山下やました大輔だいすけ牛島うしじま和彦かずひこ大矢おおや明彦あきひこだい2)・田代たしろ富雄とみお代行だいこう)・尾花おばな高夫たかお政権せいけんいだが、TBS時代じだい(2001ねんまつマルハから株式かぶしき取得しゅとく)、すなわち2002ねんから2011ねんの10シーズンをつうじて最下位さいかいが8[ちゅう 7]という暗黒あんこく時代じだい突入とつにゅうし、結果けっかのこせなかった。(なお、2011ねんまつから筆頭ひっとう株主かぶぬしDeNA変更へんこう。)

また、広島東洋ひろしまとうようカープは2002ねん以降いこうは5指定していせきであり、1998ねんから2011ねんにかけての14シーズンでは5が11で、すべてBクラスであった。その一方いっぽうで、長年ながねん本拠地ほんきょちだった広島ひろしま市民しみん球場きゅうじょう老朽ろうきゅうもあり、2009ねんしん球場きゅうじょうへの移転いてん成功せいこうするなど、おおきなターニングポイントをむかえた。

インターネット社会しゃかい到来とうらいによる娯楽ごらく嗜好しこう多様たようにより、プロ野球やきゅうのTV中継ちゅうけい[ちゅう 8][ちゅう 9]視聴しちょうりつおおきく低下ていかした時期じきでもあり、プロ野球やきゅうTV中継ちゅうけい主体しゅたいは、地上波ちじょうはからBS・CSに移行いこうした。

2001ねん10がつからは、自由じゆう契約けいやくとなった選手せんしゅ対象たいしょうとした「12球団きゅうだん合同ごうどうトライアウト」が開始かいし、また2005ねんからは育成いくせい選手せんしゅ制度せいどもスタートした。セ・パ交流こうりゅうせん(2005ねんより導入どうにゅう)、クライマックスシリーズ(2007ねんより導入どうにゅう)も参照さんしょう

2009ねん1がつ1にち改定かいてい日本にっぽんプロフェッショナル野球やきゅう協約きょうやく発効はっこうともない、連盟れんめい事務じむきょく直下ちょっか審判しんぱん記録きろくはコミッショナー事務じむきょく、パシフィック・リーグ事務じむきょく統合とうごうされ、コミッショナー直属ちょくぞくの『セントラル・リーグ運営うんえい』『審判しんぱん』『記録きろく』となり、リーグ会長かいちょうしょく廃止はいしされた[5]

2003ねん 阪神はんしんタイガースの18ねんぶりセ・リーグ優勝ゆうしょう[編集へんしゅう]

2004ねん プロ野球やきゅう再編さいへん問題もんだい[編集へんしゅう]

2010年代ねんだい 広島ひろしま3連覇れんぱ、パ・リーグとの実力じつりょく[編集へんしゅう]

2012ねんより読売よみうりジャイアンツの3連覇れんぱ201220132014[ちゅう 10]、(2015ねんのヤクルト優勝ゆうしょうはさんで)2016ねんより広島東洋ひろしまとうようカープの3連覇れんぱ201620172018)、という結果けっかとなり、りょうチームとも2とのゲームおおきくけた「圧勝あっしょう」でのV3となった。ただしクライマックスシリーズの導入どうにゅうにより、リーグ終盤しゅうばん興行こうぎょうてき好調こうちょう継続けいぞくされ、実際じっさい2014ねんには22017ねんには3からの日本にっぽんシリーズ進出しんしゅつ実現じつげんした。広島ひろしま横浜よこはまでは女性じょせいファンそう拡大かくだいもあり観客かんきゃく動員どういん大幅おおはば増加ぞうかとくに2019ねん天皇てんのう即位そくいにともなうGW10連休れんきゅう特需とくじゅかくチーム10連戦れんせんったこと奏功そうこうし、過去かこ最大さいだい規模きぼ年間ねんかん平均へいきん入場にゅうじょうしゃすう達成たっせいした。[6]

2011ねん東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい発生はっせいにより電力でんりょく逼迫ひっぱく開幕かいまくりょうリーグとも3がつ25にちから4がつ12にち順延じゅんえんした。2012ねんからは予告よこく先発せんぱつ導入どうにゅう、また横浜よこはまは「横浜よこはまDeNAベイスターズ」に呼称こしょう変更へんこうとなった。

2013ねんより開幕かいまくまえのイベントとして東京とうきょうビッグサイトにて『セ・リーグファンミーティング』をおこなっている。

2015ねんあきに、読売よみうりジャイアンツ所属しょぞく選手せんしゅによる野球やきゅう賭博とばく問題もんだい発覚はっかく巨人きょじん渡邉わたなべ顧問こもん白石しらいしオーナー、桃井ももい会長かいちょうの3首脳しゅのう引責いんせき辞任じにんした。

2019ねん11月11にちJERAとタイトルパートナー(かんむりスポンサー)契約けいやく締結ていけつ契約けいやく期間きかん2020ねんれい2ねん)から3年間ねんかんでリーグせんでは「JERA セントラル・リーグ」の名称めいしょう使用しようされる。

また、セ・パ交流こうりゅうせんの10ねん連続れんぞくし(セの548しょう671はい41ふん)、また2010年代ねんだいをつうじて日本にっぽんシリーズにおけるセの優勝ゆうしょう1かいのみ(セの19しょう38はい2ふん)におわるなど、セの地盤じばん沈下ちんかかたられる事態じたいとなった。

2016ねん~2018ねん 広島東洋ひろしまとうようカープ球団きゅうだん史上しじょうはつの3連覇れんぱ[編集へんしゅう]

2016ねん緒方おがたたかし監督かんとくひきいる広島東洋ひろしまとうようカープは25ねんぶりのセ・リーグ優勝ゆうしょう達成たっせい。200しょう達成たっせいした黒田くろだ博樹ひろき・2000ほん安打あんだ達成たっせいした新井あらい貴浩たかひろ復帰ふっきぐみベテランと、投手とうしゅじん野村のむら祐輔ゆうすけの16しょう3はいかい進撃しんげきB.エルドレッド外国がいこくじん投手とうしゅ2にん沢村さわむらしょう受賞じゅしょうしたK.ジョンソンといったすけ外国がいこくじんきの「タナキクマル」(田中たなかひろ菊池きくち涼介りょうすけまるけいひろし)、わか大砲たいほう鈴木すずきまこと若手わかてわせたベストミックスの優勝ゆうしょうであった。

2018ねんまで、上述じょうじゅつ主力しゅりょくぐみ機能きのうしリーグせん交流こうりゅうせん圧倒的あっとうてきつよさをせ、球団きゅうだん史上しじょうはつの3連覇れんぱ達成たっせいした。(セ・リーグでは巨人きょじん以外いがいはつである。)

2020年代ねんだい現在げんざい[編集へんしゅう]

2020ねんから2021ねんにかけ、新型しんがたコロナウィルス発生はっせいともない、かく球場きゅうじょうとも観客かんきゃく動員どういんおおきくらした運営うんえいいられた。とくに2020ねんは120試合しあいのみの開催かいさいで1952ねん以来いらい68ねんぶりの規模きぼ縮小しゅくしょう入場にゅうじょうしゃすう(275まんにんさく対比たいひ▲81%)は草創そうそうである1951ねん以来いらいすくなさとなった[7]。また、クライマックスシリーズが2020ねん中止ちゅうしとなったほか、外国がいこくじん選手せんしゅ入国にゅうこく制限せいげんにより、契約けいやくそのものが出来できない・契約けいやくできても来日らいにち帰国きこく自由じゆうにできず、本人ほんにん家族かぞくのメンタルの問題もんだい出場しゅつじょう試合しあいすうおおきくらしてしまうこともあった。2022ねん7がつにはオミクロンかぶ感染かんせんりょくつよさにより、巨人きょじんせんが7がつ22にちからどう31にちまで6試合しあい連続れんぞく延期えんき[8]となるなどおおきな影響えいきょうけた。

経営けいえいめんでは、横浜よこはまスタジアムが6,000せきえるぞうせきおこない、DeNAによる球場きゅうじょう運営うんえい会社かいしゃ買収ばいしゅうあいまって財務ざいむめん強化きょうか。マーケティング戦略せんりゃく奏功そうこうし、横浜よこはまDeNAは人気にんき球団きゅうだんとなった。[9]なお、東京とうきょうヤクルトの本拠地ほんきょちである現在げんざい神宮球場じんぐうきゅうじょうは、2031ねんまでの使用しよう予定よていである。 しん機軸きじくとしては、2022ねん12月より「現役げんえきドラフト」が開始かいしされ、2023ねんシーズンにはぜんソフトバンクの大竹おおたけこう太郎たろう阪神はんしん)が12しょう2はいぜんDeNAの細川ほそかわしげる中日ちゅうにち)が24本塁打ほんるいだなど、移籍いせきさきでの活躍かつやくせた。また、2024ねんシーズンからは下部かぶ2ぐんリーグに静岡しずおか(ウェスタン)、新潟にいがた(イースタン)のりょう球団きゅうだん加盟かめいした。

2021ねん ヤクルト、20ねんぶり日本一にっぽんいち[編集へんしゅう]

よく2022ねんにも村上むらかみそうたかしの56本塁打ほんるいだ三冠王さんかんおう達成たっせい原動力げんどうりょくとして、リーグ連覇れんぱたした。

2023ねん 阪神はんしんの18ねんぶりリーグ制覇せいは、38ねんぶりの日本一にっぽんいち[編集へんしゅう]

現存げんそんする加盟かめい球団きゅうだん[編集へんしゅう]

一覧いちらん[編集へんしゅう]

セントラル・リーグの加盟かめい球団きゅうだん
    球団きゅうだんめい 保護ほご地域ちいき 創設そうせつ年度ねんど 本拠地ほんきょち球場きゅうじょう チームカラー
読売よみうりジャイアンツ
(Yomiuri Giants)
東京とうきょう 1934ねん 東京とうきょうドーム
文京ぶんきょう北緯ほくい3542ふん21びょう 東経とうけい13945ふん7びょう / 北緯ほくい35.70583 東経とうけい139.75194 / 35.70583; 139.75194 (読売よみうりジャイアンツ(東京とうきょうドーム))
東京とうきょうヤクルトスワローズ
(Tokyo Yakult Swallows)
東京とうきょう 1950ねん 明治めいじ神宮じんぐう野球やきゅうじょう
新宿しんじゅく北緯ほくい3540ふん28.4びょう 東経とうけい13943ふん1.5びょう / 北緯ほくい35.674556 東経とうけい139.717083 / 35.674556; 139.717083 (東京とうきょうヤクルトスワローズ(明治めいじ神宮じんぐう野球やきゅうじょう)
横浜よこはまDeNAベイスターズ
(Yokohama DeNA BayStars)
神奈川かながわけん 1950ねん 横浜よこはまスタジアム
横浜よこはまちゅう北緯ほくい3526ふん36.18びょう 東経とうけい13938ふん24.1びょう / 北緯ほくい35.4433833 東経とうけい139.640028 / 35.4433833; 139.640028 (横浜よこはまDeNAベイスターズ(横浜よこはまスタジアム))
中日ちゅうにちドラゴンズ
(Chunichi Dragons)
愛知あいちけん 1936ねん ナゴヤドーム(バンテリンドーム ナゴヤ)
名古屋なごやひがし北緯ほくい3511ふん9.5びょう 東経とうけい13656ふん50.88びょう / 北緯ほくい35.185972 東経とうけい136.9474667 / 35.185972; 136.9474667 (中日ちゅうにちドラゴンズ(ナゴヤドーム))
阪神はんしんタイガース
(Hanshin Tigers)
兵庫ひょうごけん 1935ねん 阪神はんしん甲子園こうしえん球場きゅうじょう
西宮にしのみや北緯ほくい3443ふん16.43びょう 東経とうけい13521ふん41.91びょう / 北緯ほくい34.7212306 東経とうけい135.3616417 / 34.7212306; 135.3616417 (阪神はんしんタイガース(阪神はんしん甲子園こうしえん球場きゅうじょう)
広島東洋ひろしまとうようカープ
(Hiroshima Toyo Carp)
広島ひろしまけん 1950ねん 広島ひろしま市民しみん球場きゅうじょうMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島ひろしま
広島ひろしまみなみ北緯ほくい3423ふん30.76びょう 東経とうけい13229ふん5.03びょう / 北緯ほくい34.3918778 東経とうけい132.4847306 / 34.3918778; 132.4847306 (広島東洋ひろしまとうようカープ(広島ひろしま市民しみん球場きゅうじょう)

球団きゅうだん表記ひょうきじゅん野球やきゅう協約きょうやく保護ほご地域ちいき表記ひょうきじゅん

かく球団きゅうだんりゃく年譜ねんぷ[編集へんしゅう]

球団きゅうだんめい本拠地ほんきょち親会社おやがいしゃ・その遍歴へんれき
球団きゅうだんめい 遍歴へんれき
読売よみうりジャイアンツ

1934ねん12月26にちだい日本にっぽん東京とうきょう野球やきゅう倶楽部くらぶとして結成けっせい
1936ねん球団きゅうだんめい東京とうきょう巨人軍きょじんぐん改称かいしょう
1937ねん後楽園こうらくえん球場きゅうじょう本拠地ほんきょちとする
1947ねん読売新聞社よみうりしんぶんしゃ経営けいえいたり、名称めいしょう読売よみうりジャイアンツ改称かいしょう
1988ねん東京とうきょうドーム本拠地ほんきょち移転いてん

阪神はんしんタイガース

1935ねん12月10にち阪神電気鉄道はんしんでんきてつどう親会社おやがいしゃとして大阪おおさかタイガース結成けっせい
1936ねん阪神はんしん甲子園こうしえん球場きゅうじょう本拠地ほんきょちとする
1940ねん敵性てきせいである英語えいご使用しよう禁止きんしけ、球団きゅうだんめい阪神はんしんぐん改称かいしょう
1946ねん球団きゅうだんめいふたた大阪おおさかタイガース改称かいしょう
1961ねん球団きゅうだんめい阪神はんしんタイガース改称かいしょう

中日ちゅうにちドラゴンズ

1936ねん1がつ15にちしん愛知あいち新聞しんぶんしゃ親会社おやがいしゃとして名古屋なごやぐん結成けっせい
1944ねん理研りけん工業こうぎょう傘下さんかはいり、球団きゅうだんめい産業さんぎょうぐん改称かいしょう
1946ねん中部ちゅうぶ日本にっぽん新聞しんぶんしゃ経営けいえいけん譲渡じょうと球団きゅうだんめい中部ちゅうぶ日本にっぽん改称かいしょう
1947ねん球団きゅうだんめい中部ちゅうぶ日本にっぽんドラゴンズ改称かいしょう
1948ねん球団きゅうだんめい中日ちゅうにちドラゴンズ改称かいしょう後楽園こうらくえん球場きゅうじょう本拠地ほんきょちとする
1949ねん中日ちゅうにちスタヂアム本拠地ほんきょち移転いてん
1951ねん名古屋鉄道なごやてつどう経営けいえい参加さんか表明ひょうめい球団きゅうだんめい名古屋なごやドラゴンズ改称かいしょう
1954ねん名古屋なごや鉄道てつどう経営けいえい撤退てったいともない、球団きゅうだんめいふたた中日ちゅうにちドラゴンズ改称かいしょう
1997ねんナゴヤドーム本拠地ほんきょち移転いてん

東京とうきょうヤクルトスワローズ

1950ねん1がつ12にち鉄道弘済会てつどうこうさいかいなどを親会社おやがいしゃとした国鉄こくてつスワローズがセントラル・リーグに加盟かめい後楽園こうらくえん球場きゅうじょう本拠地ほんきょちとする
1964ねん明治めいじ神宮じんぐう野球やきゅうじょう本拠地ほんきょち移転いてん
1965ねん、シーズンちゅう親会社おやがいしゃ産業経済新聞社さんぎょうけいざいしんぶんしゃフジテレビジョンニッポン放送にっぽんほうそう文化放送ぶんかほうそうの4しゃとなり、球団きゅうだんめいサンケイスワローズ改称かいしょう
1966ねん球団きゅうだんめいサンケイアトムズ改称かいしょう
1969ねん、フジサンケイグループとヤクルト本社ほんしゃによる共同きょうどう経営けいえいとなったことにともない、球団きゅうだんめいアトムズ改称かいしょう
1970ねん、フジサンケイグループの球団きゅうだん株式かぶしき売却ばいきゃくによりヤクルト本社ほんしゃ経営けいえいけんち、球団きゅうだんめいヤクルトアトムズ改称かいしょう
1974ねん球団きゅうだんめいヤクルトスワローズ改称かいしょう
2006ねん球団きゅうだんめい東京とうきょうヤクルトスワローズ改称かいしょう

横浜よこはまDeNAベイスターズ

1949ねん12月15にち大洋たいよう漁業ぎょぎょう親会社おやがいしゃとしたまるはっきゅうだん暫定ざんていめい)がセントラル・リーグに加盟かめい
1950ねん開幕かいまく球団きゅうだんめい大洋たいようホエールズ改称かいしょう下関しものせき市営しえい球場きゅうじょう本拠地ほんきょちとする
1953ねん松竹しょうちくロビンスとの合併がっぺいともな球団きゅうだんめい大洋たいよう松竹しょうちくロビンス改称かいしょう大阪おおさかスタヂアム本拠地ほんきょち移転いてん
1954ねん球団きゅうだんめいようまつロビンス改称かいしょう
1955ねん松竹しょうちく経営けいえい撤退てったいともない、球団きゅうだんめいふたた大洋たいようホエールズ改称かいしょう川崎球場かわさききゅうじょう本拠地ほんきょち移転いてん
1978ねん球団きゅうだんめい横浜よこはま大洋たいようホエールズ改称かいしょう横浜よこはまスタジアム本拠地ほんきょち移転いてん
1993ねん大洋たいよう漁業ぎょぎょう→マルハの社名しゃめい変更へんこうともない、球団きゅうだんめい横浜よこはまベイスターズ改称かいしょう
2002ねん、マルハの球団きゅうだん株式かぶしき売却ばいきゃくにより東京放送とうきょうほうそう経営けいえいけん
2011ねん東京放送とうきょうほうそうホールディングスの球団きゅうだん株式かぶしき売却ばいきゃくによりディー・エヌ・エー経営けいえいけん
2012ねん球団きゅうだんめい横浜よこはまDeNAベイスターズ改称かいしょう

広島東洋ひろしまとうようカープ

1949ねん12月15にちに、広島ひろしま県内けんない有力ゆうりょく企業きぎょう複数ふくすう出資しゅっしした広島ひろしまカープがセントラル・リーグに加盟かめい広島ひろしま総合そうごう球場きゅうじょう本拠地ほんきょちとする
1957ねん、シーズンちゅう広島ひろしま市民しみん球場きゅうじょう初代しょだい本拠地ほんきょち移転いてん
1968ねん東洋工業とうようこうぎょう球団きゅうだん筆頭ひっとう株主かぶぬしとなったことにともない、球団きゅうだんめい広島東洋ひろしまとうようカープ改称かいしょう
2009ねん広島ひろしま市民しみん球場きゅうじょう(2だい本拠地ほんきょち移転いてん

親会社おやがいしゃ企業きぎょうめい本拠地ほんきょち球場きゅうじょうめいはいずれも当時とうじのもの ※球団きゅうだんめい改称かいしょうねん改称かいしょう初年度しょねんどシーズンを起点きてん表記ひょうき

過去かこ存在そんざいした加盟かめい球団きゅうだん[編集へんしゅう]

セントラル・リーグの消滅しょうめつ球団きゅうだん成績せいせき
球団きゅうだんめい 創設そうせつ年度ねんど 優勝ゆうしょう回数かいすう 試合しあい 勝利しょうり 敗戦はいせん 引分ひきわけ 勝率しょうりつ
松竹しょうちくロビンス
Shochiku Robins
(1950ねん - 1952ねん
1936ねん 1 372 185 176 11 .512
西日本にしにほんパイレーツ
Nishinippon Pirates
(1950ねん
1950ねん 0 136 50 83 3 .376
  • 成績せいせきはリーグが結成けっせいされた1950ねん以降いこうのもの
球団きゅうだんめい本拠地ほんきょち親会社おやがいしゃ遍歴へんれき
球団きゅうだんめい 遍歴へんれき
松竹しょうちくロビンス

1936ねん2がつ15にち國民こくみん新聞しんぶんしゃ親会社おやがいしゃとしてだい東京とうきょうぐん結成けっせい洲崎すざき球場きゅうじょう本拠地ほんきょちとする
1937ねん、8がつ小林商店こばやししょうてん経営けいえい参加さんか表明ひょうめい球団きゅうだんめいライオンぐん改称かいしょう
1941ねん敵性てきせいである英語えいご使用しよう禁止きんしけ、球団きゅうだんめい朝日あさひぐん改称かいしょう
1946ねん球団きゅうだんめいパシフィック改称かいしょう
1947ねん球団きゅうだんめい太陽たいようロビンス改称かいしょう
1948ねん球団きゅうだんめいだいロビンス改称かいしょう阪急はんきゅう西宮にしのみや球場きゅうじょう本拠地ほんきょち移転いてん
1950ねん松竹しょうちく経営けいえい参加さんか表明ひょうめいし、球団きゅうだんめい松竹しょうちくロビンス改称かいしょう衣笠きぬがさ球場きゅうじょう本拠地ほんきょち移転いてん
1953ねん、シーズン開幕かいまくまえ大洋たいようホエールズ合併がっぺい合併がっぺい球団きゅうだんめい大洋たいよう松竹しょうちくロビンスとなる

西日本にしにほんパイレーツ

1949ねん12月15にち西日本新聞社にしにっぽんしんぶんしゃ親会社おやがいしゃとした西日本にしにほんパイレーツがセントラル・リーグに加盟かめい平和へいわだい野球やきゅうじょう本拠地ほんきょちとする
1951ねん、シーズン開幕かいまくまえ西鉄にしてつクリッパース合併がっぺいパシフィック・リーグ移動いどう脱退だったい合併がっぺい球団きゅうだんめい西鉄にしてつライオンズとなる

  • 親会社おやがいしゃ企業きぎょうめい本拠地ほんきょち球場きゅうじょうめいはいずれも当時とうじのもの
  • 球団きゅうだんめい改称かいしょうねん改称かいしょう初年度しょねんどシーズンを起点きてん表記ひょうき

試合しあい方式ほうしき[編集へんしゅう]

そうあた回数かいすう[編集へんしゅう]

1952ねんフランチャイズホームタウン制度せいど採用さいようホーム・アンド・アウェー方式ほうしきで、原則げんそくそれぞれ半分はんぶんずつの試合しあいおこなう。

年度ねんど 試合しあいすう 内訳うちわけ 備考びこう
リーグせん 交流こうりゅうせん
1950 140 20×7 -
1951-1952 120 20×6
1953-1962 130 26×5
1963-1965 140 28×5
1966-1996 130 26×5
1997-2000 135 27×5 ※1
2001-2004 140 28×5
2005-2006 146 22×5 6×6
2007-2014 144 24×5 4×6
2015-2019 143 25×5 3×6 ※1、※2
2020 120 24×5 -
2021- 143 25×5 3×6 ※1、※2

※1:1997ねん - 2000ねんと2015ねん - 2019ねん、2021ねん -(リーグあいだ対戦たいせん)はそうあたりがすうかいとなるため、対戦たいせんカードのどちらか一方いっぽうがホームゲームを1試合しあいおおおこな形式けいしき前者ぜんしゃは14試合しあい後者こうしゃは13試合しあい)である。なお1試合しあい増加ぞうかぶんのホームチームについては、2ねん単位たんい隔年かくねんわりである。

※2:2015ねん以降いこうのセ・パ交流こうりゅうせんは3かいそうたりとなるため、対戦たいせんカードごとに隔年かくねんでホームチームをえる。

けにかんするあつか
  • さい試合しあい制度せいど実施じっしねん:1962ねん、1966ねん - 1968ねん、1990ねん - 2000ねん
  • けを0.5しょう0.5はい勝率しょうりつ計算けいさんしたとし:1956ねん - 1961ねん

上記じょうき規定きていじょう対戦たいせん回数かいすうであるが、しょ事情じじょうにより公式こうしきせん一部いちぶ中止ちゅうしした年度ねんどがある。

  • 1950ねん日本にっぽんシリーズの日程にってい関係かんけいのため一部いちぶ試合しあい中止ちゅうし
  • 1951ねん広島ひろしまカープ存続そんぞく問題もんだいからだいいちせつ3月29にち - 4がつ6にち)の参加さんか見送みおくり。この期間きかんたい広島ひろしません中止ちゅうし。また、同年どうねん10がつ20日はつかより予定よていされていた日米にちべい野球やきゅう日程にってい関係かんけいのため同月どうげつ9にちでペナントレースをり。
  • 1953ねん読売よみうりジャイアンツがアメリカ遠征えんせいのためだいいちだいさんせつ途中とちゅう3月28にち - 4がつ9にち)まで不参加ふさんかで、かつ日本にっぽんシリーズに進出しんしゅつしたため、また同年どうねん10月17にちより開催かいさいのアメリカメジャーリーグ遠征えんせいチームとの交流こうりゅう試合しあい日程にってい都合つごうじょう読売よみうりジャイアンツたい国鉄こくてつスワローズせん5試合しあいのこしてペナントレースをり。
  • 2004ねん選手せんしゅかい球団きゅうだん合併がっぺい凍結とうけつなどをもとめたプロ野球やきゅうストライキを9月18にちと19にち決行けっこうしたため、同日どうじつ予定よていされていたぜん試合しあい中止ちゅうし
  • 2020ねん新型しんがたコロナウイルス感染かんせん拡大かくだい影響えいきょう開幕かいまくやく3ヶ月かげつ延期えんきとなり、シーズン日程にってい再考さいこう交流こうりゅうせん中止ちゅうしとなるなど一部いちぶ日程にってい変更へんこうされ、当初とうしょの143試合しあいから120試合しあい試合しあいすう削減さくげん

回数かいすう時間じかん制限せいげん[編集へんしゅう]

とし 内容ないよう
1950ねん - 1951ねん

シングルの場合ばあい回数かいすう時間じかん制限せいげんなし(デーゲームの場合ばあい日没にちぼつまで)。
ダブルヘッダーだい1試合しあい延長えんちょうせん原則げんそくとして12かい。ただしナイトゲーム(薄暮はくぼ開催かいさいふくむ)は9かいまで。

1952ねん - 1954ねん5月24にちまで

シングル、ダブルヘッダーとも原則げんそくとして勝敗しょうはいけっするまで時間じかん回数かいすう制限せいげん
ナイトゲームは深夜しんや24ぎてつぎのイニングにはいらない。

1954ねん5月25にち - 同年どうねん閉幕へいまくまで

デーゲームで開催かいさいのシングルの場合ばあい時間じかん回数かいすう制限せいげんなし(日没にちぼつまで。以後いご1973ねんまでおなじ)。
ダブルヘッダーだい1試合しあい延長えんちょう12かいまで(回数かいすう制限せいげんは1962ねんまでおなじ)、ナイトゲームは22:30まで。

1955ねん - 1958ねん

ナイトゲームは22:15まで。

1959ねん - 1962ねん

ナイトゲームは22:30まで(時間じかん制限せいげんは1963ねんおなじ)。

1963ねん

ダブルヘッダーだい1試合しあい延長えんちょう13かいまで。

1964ねん - 1965ねん

ダブルヘッダーだい1試合しあい延長えんちょう12かいまで。
ナイトゲームは22:15まで(時間じかん制限せいげんは1967ねんまでおなじ)。

1966ねん - 1967ねん

ダブルヘッダーだい1試合しあい延長えんちょう11かいまで。

1968ねん - 1970ねん

ダブルヘッダーだい1試合しあい延長えんちょう12かいまで。
ナイトゲームは22:20まで。

1971ねん

ダブルヘッダーだい1試合しあい延長えんちょう12かいまで。
ナイトゲームは原則げんそくとして試合しあい開始かいし時刻じこくから3あいだ20ふんぎてつぎのイニングにはいらない。
ただし、以下いか規定きていがある(時間じかん制限せいげんは1973ねんまでおなじ)。
(1):19:00以降いこう開始かいし場合ばあい経過けいか時間じかんかかわらず22:20をぎてつぎのイニングにはいらない。
(2):9かいたさずに時間じかん制限せいげん場合ばあいであっても、9かいまではかなら試合しあいする。

1972ねん - 1973ねん

ダブルヘッダーだい1試合しあいは、延長えんちょう11かいまで。

1974ねん - 1982ねん

ダブルヘッダーだい1試合しあいについては9かいまで(回数かいすう制限せいげんは1987ねんまでおなじ)。
その試合しあい(ダブルヘッダーだい2試合しあいふくむ)は試合しあい開始かいしから3あいだぎてつぎのイニングにはいらない。ただし、以下いか規定きていがある。
(1):19:00以降いこう経過けいか時間じかんにかかわらず22:00をぎてつぎのイニングにはいらない。
(2):9かいたさずに時間じかん制限せいげん場合ばあいであっても、9かいまではかなら試合しあいする。

1983ねん - 1987ねん

ダブルヘッダーだい1試合しあい以外いがいは、開始かいし時刻じこくかかわらず試合しあい開始かいしから3あいだ20ふんぎてつぎのイニングにはいらない。
ただし、9かいたさずに時間じかん制限せいげん場合ばあいであっても、9かいまではかなら試合しあいする。

1988ねん - 1989ねん

延長えんちょう12かいまで、時間じかん制限せいげんなし。
ただし、ダブルヘッダーだい1試合しあいについては9かいまででり。

1990ねん - 2000ねん

延長えんちょう15かいまで、時間じかん制限せいげんなし。けの場合ばあいさい試合しあい降雨こううコールドふくむ)。

2001ねん - 2010ねん

延長えんちょう12かいまで、時間じかん制限せいげんなし。

2011ねん - 2012ねん

延長えんちょう12かいまで[ちゅう 11]。ただし、東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいともな節電せつでん対策たいさくとして以下いか規定きていがある。
(1):試合しあい開始かいしから3あいだ30ふん雨天うてんとうによる中断ちゅうだん時間じかんふくむ)が経過けいかした場合ばあいつぎのイニングにはいらない。
(2):9かいたさずに時間じかん制限せいげん場合ばあいであっても、9かいまではかなら試合しあいする。

※ただしクライマックスシリーズでは時限じげんなし。
2013ねん - 2019ねん

延長えんちょう12かいまで、時間じかん制限せいげんなし[ちゅう 12][10]

2020ねん

延長えんちょう10かいまで、時間じかん制限せいげんなし[ちゅう 13]

2021ねん

延長えんちょうなし、時間じかん制限せいげんなし[ちゅう 13][ちゅう 14]

2022ねん

延長えんちょう12かいまで、時間じかん制限せいげんなし。

順位じゅんいかた[編集へんしゅう]

  • 2000ねん以前いぜん勝率しょうりつじゅんめており、勝率しょうりつ同率どうりつでシーズンが終了しゅうりょうした場合ばあいのみ、プレーオフで優勝ゆうしょうめることとなっていた。
  • 2001ねん例外れいがいてきぼしおおじゅん順位じゅんい決定けっていしていた。ただし、ぼし1勝率しょうりつ1のチームがことなった場合ばあいは3せん2しょうせいのプレーオフをおこな優勝ゆうしょう決定けっていする。
  • 2002ねんからはふたた勝率しょうりつじゅん変更へんこうされた。ただし、勝率しょうりつ3以内いないぼし1のチームがべつにいた場合ばあい、3せん2しょうせいのプレーオフで優勝ゆうしょう決定けっていする。この制度せいどは2006ねんまでつづいた。
    以上いじょうのようなケースによるプレーオフは2006ねんまで過去かこ1もなかった。
  • 2007ねんからはクライマックスシリーズの導入どうにゅうにより、以下いか制度せいどとなった(クライマックスシリーズの結果けっかにかかわらず、レギュラーシーズンの順位じゅんいがリーグ確定かくてい順位じゅんいとなる)。
    1. レギュラーシーズンの勝率しょうりつ
    2. 1が同率どうりつ場合ばあい勝利しょうりすうおおいチームが上位じょうい
    3. 2もおな場合ばあい当該とうがい球団きゅうだんあいだ直接ちょくせつ対戦たいせん勝率しょうりつたかじゅん
    4. 3も同率どうりつ場合ばあい前年度ぜんねんど順位じゅんい上位じょうい
    ※2015年度ねんどは3チーム以上いじょう勝率しょうりつなら場合ばあいがあるため、その場合ばあいでも2チームがどう成績せいせきならんだ場合ばあいしたがって優勝ゆうしょうめる方式ほうしきとなった。
  • 2022年度ねんどからは一部いちぶ改正かいせいほどこされており、勝率しょうりつ1球団きゅうだん複数ふくすうあった場合ばあい上記じょうきの3→4のあいだに「どういちリーグの参加さんかチーム(2022年度ねんど:6チームによる25かいそうたり125試合しあい)の勝率しょうりつたかいほうを上位じょういあつかい」とするというルールがさだめられ、これにより順位じゅんい決定けってい方法ほうほうは、
    1. レギュラーシーズンの勝率しょうりつ
    2. 1が同率どうりつ場合ばあい勝利しょうりすうおおいチームが上位じょうい
    3. 2もおな場合ばあい当該とうがい球団きゅうだんあいだ直接ちょくせつ対戦たいせん勝率しょうりつたかじゅん
    4. 3もおな場合ばあいどういちリーグの参加さんかチームあいだにおけるそうたりにおける勝率しょうりつたかじゅん
    5. 4も同率どうりつ場合ばあい前年度ぜんねんど順位じゅんい上位じょうい

変更へんこうされた。(パ・リーグの場合ばあいは、1でならんだ場合ばあいは、2ではなく、3以下いか同文どうぶん順番じゅんばんである)[11]

  • パ・リーグのような、年間ねんかん勝率しょうりつ1球団きゅうだんがVいっしたれいは、これまで発生はっせいしていない。

結果けっか[編集へんしゅう]

  • 背景はいけい桃色ももいろ日本にっぽんシリーズ制覇せいは。*はひだりのチームと同率どうりつ順位じゅんい
  • 2006ねんまでは優勝ゆうしょうチームが日本にっぽんシリーズに出場しゅつじょうクライマックスシリーズ導入どうにゅうの2007ねん以降いこう日本にっぽんシリーズ出場しゅつじょうチームは太字ふとじしめす。
  • 2011ねん以降いこう優勝ゆうしょうチームは、(クライマックスシリーズの結果けっかかかわらず)翌年よくねんセ・リーグ チャンピオン・エンブレム」をユニフォームのそで装着そうちゃくする[12]
年度ねんど 優勝ゆうしょう かち はい ぶん 2 かち はい ぶん 3 かち はい ぶん 4 かち はい ぶん 5 かち はい ぶん 6 かち はい ぶん 7 かち はい ぶん 8 かち はい ぶん
1950 松竹しょうちく 98 35 4 中日ちゅうにち 89 44 4 巨人きょじん 82 54 4 大阪おおさか 70 67 3 大洋たいよう 69 68 3 西日本にしにほん 50 83 3 国鉄こくてつ 42 94 2 広島ひろしま 41 96 1
1951 巨人きょじん 79 29 6 名古屋なごや 62 48 3 大阪おおさか 62 51 3 松竹しょうちく 53 57 5 国鉄こくてつ 46 59 2 大洋たいよう 40 64 4 広島ひろしま 32 64 3
1952 巨人きょじん 83 37 大阪おおさか 79 40 1 名古屋なごや 75 43 2 大洋たいよう 58 62 国鉄こくてつ 50 70 広島ひろしま 37 80 3 松竹しょうちく 34 84 2
1953 巨人きょじん 87 37 1 大阪おおさか 74 56 名古屋なごや 70 57 3 広島ひろしま 53 75 2 ようまつ 52 75 1 国鉄こくてつ 45 79 1
1954 中日ちゅうにち 86 40 4 巨人きょじん 82 47 1 大阪おおさか 71 57 2 広島ひろしま 56 69 5 国鉄こくてつ 55 73 2 ようまつ 32 96 2
1955 巨人きょじん 92 37 1 中日ちゅうにち 77 52 1 大阪おおさか 71 57 2 広島ひろしま 58 70 2 国鉄こくてつ 57 71 2 大洋たいよう 31 99
1956 巨人きょじん 82 44 4 大阪おおさか 79 50 1 中日ちゅうにち 74 56 国鉄こくてつ 61 65 4 広島ひろしま 45 82 3 大洋たいよう 43 87
1957 巨人きょじん 74 53 3 大阪おおさか 73 54 3 中日ちゅうにち 70 57 3 国鉄こくてつ 58 68 4 広島ひろしま 54 75 1 大洋たいよう 52 74 4
1958 巨人きょじん 77 52 1 大阪おおさか 72 58 中日ちゅうにち 66 59 5 国鉄こくてつ 58 68 4 広島ひろしま 54 68 8 大洋たいよう 51 73 6
1959 巨人きょじん 77 48 5 大阪おおさか 62 59 9 中日ちゅうにち* 64 61 5 国鉄こくてつ 63 65 2 広島ひろしま 59 64 7 大洋たいよう 49 77 4
1960 大洋たいよう 70 56 4 巨人きょじん 66 61 3 大阪おおさか 64 62 4 広島ひろしま 62 61 7 中日ちゅうにち 63 67 国鉄こくてつ 54 72 4
1961 巨人きょじん 71 53 6 中日ちゅうにち 72 56 2 国鉄こくてつ 67 60 3 阪神はんしん 60 67 3 広島ひろしま 58 67 5 大洋たいよう 50 75 5
1962 阪神はんしん 75 55 3 大洋たいよう 71 59 4 中日ちゅうにち 70 60 3 巨人きょじん 67 63 4 広島ひろしま 56 74 4 国鉄こくてつ 51 79 4
1963 巨人きょじん 83 55 2 中日ちゅうにち 80 57 3 阪神はんしん 69 70 1 国鉄こくてつ 65 73 2 大洋たいよう 59 79 2 広島ひろしま 58 80 2
1964 阪神はんしん 80 56 4 大洋たいよう 80 58 2 巨人きょじん 71 69 広島ひろしま 64 73 3 国鉄こくてつ 61 74 5 中日ちゅうにち 57 83
1965 巨人きょじん 91 47 2 中日ちゅうにち 77 59 4 阪神はんしん 71 66 3 大洋たいよう 68 70 2 広島ひろしま 59 77 4 サンケイ 44 91 5
1966 巨人きょじん 89 41 4 中日ちゅうにち 76 54 2 阪神はんしん 64 66 5 広島ひろしま 57 73 6 大洋たいよう 52 78 サンケイ* 52 78 5
1967 巨人きょじん 84 46 4 中日ちゅうにち 72 58 4 阪神はんしん 70 60 6 大洋たいよう 59 71 5 サンケイ 58 72 5 広島ひろしま 47 83 8
1968 巨人きょじん 77 53 4 阪神はんしん 72 58 3 広島ひろしま 68 62 4 サンケイ 64 66 4 大洋たいよう 59 71 3 中日ちゅうにち 50 80 4
1969 巨人きょじん 73 51 6 阪神はんしん 68 59 3 大洋たいよう 61 61 8 中日ちゅうにち 59 65 6 アトムズ 58 69 3 広島ひろしま 56 70 4
1970 巨人きょじん 79 47 4 阪神はんしん 77 49 4 大洋たいよう 69 57 4 広島ひろしま 62 60 8 中日ちゅうにち 55 70 5 ヤクルト 33 92 5
1971 巨人きょじん 70 52 8 中日ちゅうにち 65 60 5 大洋たいよう 61 59 10 広島ひろしま 63 61 6 阪神はんしん 57 64 9 ヤクルト 52 72 6
1972 巨人きょじん 74 52 4 阪神はんしん 71 56 3 中日ちゅうにち 67 59 4 ヤクルト 60 67 3 大洋たいよう 57 69 4 広島ひろしま 49 75 6
1973 巨人きょじん 66 60 4 阪神はんしん 64 59 7 中日ちゅうにち 64 61 5 ヤクルト 62 65 3 大洋たいよう 60 64 6 広島ひろしま 60 67 3
1974 中日ちゅうにち 70 49 11 巨人きょじん 71 50 9 ヤクルト 60 63 7 阪神はんしん 57 64 9 大洋たいよう 55 69 6 広島ひろしま 54 72 4
1975 広島ひろしま 72 47 11 中日ちゅうにち 69 53 8 阪神はんしん 68 55 7 ヤクルト 57 64 9 大洋たいよう 51 69 10 巨人きょじん 47 76 7
1976 巨人きょじん 76 45 9 阪神はんしん 72 45 13 広島ひろしま 61 58 11 中日ちゅうにち 54 66 10 ヤクルト 52 68 10 大洋たいよう 45 78 7
1977 巨人きょじん 80 46 4 ヤクルト 62 58 10 中日ちゅうにち 64 61 5 阪神はんしん 55 63 12 広島ひろしま 51 67 12 大洋たいよう 51 68 11
1978 ヤクルト 68 46 16 巨人きょじん 65 49 16 広島ひろしま 62 50 18 大洋たいよう 64 57 9 中日ちゅうにち 53 71 6 阪神はんしん 41 80 9
1979 広島ひろしま 67 50 13 大洋たいよう 59 54 17 中日ちゅうにち 59 57 14 阪神はんしん 61 60 9 巨人きょじん 58 62 10 ヤクルト 48 69 13
1980 広島ひろしま 73 44 13 ヤクルト 68 52 10 巨人きょじん 61 60 9 大洋たいよう 59 62 9 阪神はんしん 54 66 10 中日ちゅうにち 45 76 9
1981 巨人きょじん 73 48 9 広島ひろしま 67 54 9 阪神はんしん 67 58 5 ヤクルト 56 58 16 中日ちゅうにち 58 65 7 大洋たいよう 42 80 8
1982 中日ちゅうにち 64 47 19 巨人きょじん 66 50 14 阪神はんしん 65 57 8 広島ひろしま 59 58 13 大洋たいよう 53 65 12 ヤクルト 45 75 10
1983 巨人きょじん 72 50 8 広島ひろしま 65 55 10 大洋たいよう 61 61 8 阪神はんしん 62 63 5 中日ちゅうにち 54 69 7 ヤクルト 53 69 8
1984 広島ひろしま 75 45 10 中日ちゅうにち 73 49 8 巨人きょじん 67 54 9 阪神はんしん 53 69 8 ヤクルト 51 71 8 大洋たいよう 46 77 7
1985 阪神はんしん 74 49 7 広島ひろしま 68 57 5 巨人きょじん 61 60 9 大洋たいよう 57 61 12 中日ちゅうにち 56 61 13 ヤクルト 46 74 10
1986 広島ひろしま 73 46 11 巨人きょじん 75 48 7 阪神はんしん 60 60 10 大洋たいよう 56 69 5 中日ちゅうにち 54 67 9 ヤクルト 49 77 4
1987 巨人きょじん 76 43 11 中日ちゅうにち 68 51 11 広島ひろしま 65 55 10 ヤクルト 58 64 8 大洋たいよう 56 68 6 阪神はんしん 41 83 6
1988 中日ちゅうにち 79 46 5 巨人きょじん 68 59 3 広島ひろしま 65 62 3 大洋たいよう 59 67 4 ヤクルト 58 69 3 阪神はんしん 51 77 2
1989 巨人きょじん 84 44 2 広島ひろしま 73 51 6 中日ちゅうにち 68 59 3 ヤクルト 55 72 3 阪神はんしん 54 75 1 大洋たいよう 47 80 3
1990 巨人きょじん 88 42 広島ひろしま 66 64 2 大洋たいよう 64 66 3 中日ちゅうにち 62 68 1 ヤクルト 58 72 阪神はんしん 52 78
1991 広島ひろしま 74 56 2 中日ちゅうにち 71 59 1 ヤクルト 67 63 2 巨人きょじん 66 64 大洋たいよう 64 66 1 阪神はんしん 48 82
1992 ヤクルト 69 61 1 巨人きょじん 67 63 阪神はんしん* 67 63 2 広島ひろしま 66 64 大洋たいよう 61 69 1 中日ちゅうにち 60 70
1993 ヤクルト 80 50 2 中日ちゅうにち 73 57 2 巨人きょじん 64 66 1 阪神はんしん 63 67 2 横浜よこはま 57 73 広島ひろしま 53 77 1
1994 巨人きょじん 70 60 中日ちゅうにち 69 61 広島ひろしま 66 64 ヤクルト 62 68 阪神はんしん* 62 68 横浜よこはま 61 69
1995 ヤクルト 82 48 広島ひろしま 74 56 1 巨人きょじん 72 58 1 横浜よこはま 66 64 中日ちゅうにち 50 80 阪神はんしん 46 84
1996 巨人きょじん 77 53 中日ちゅうにち 72 58 広島ひろしま 71 59 ヤクルト 61 69 横浜よこはま 55 75 阪神はんしん 54 76
1997 ヤクルト 83 52 2 横浜よこはま 72 63 広島ひろしま 66 69 巨人きょじん 63 72 阪神はんしん 62 73 1 中日ちゅうにち 59 76 1
1998 横浜よこはま 79 56 1 中日ちゅうにち 75 60 1 巨人きょじん 73 62 ヤクルト 66 69 広島ひろしま 60 75 阪神はんしん 52 83
1999 中日ちゅうにち 81 54 巨人きょじん 75 60 横浜よこはま 71 64 ヤクルト 66 69 広島ひろしま 57 78 阪神はんしん 55 80
2000 巨人きょじん 78 57 中日ちゅうにち 70 65 横浜よこはま 69 66 1 ヤクルト 66 69 1 広島ひろしま 65 70 1 阪神はんしん 57 78 1
2001 ヤクルト 76 58 6 巨人きょじん 75 63 2 横浜よこはま 69 67 4 広島ひろしま 68 65 7 中日ちゅうにち 62 74 4 阪神はんしん 57 80 3
2002 巨人きょじん 86 52 2 ヤクルト 74 62 4 中日ちゅうにち 69 66 5 阪神はんしん 66 70 4 広島ひろしま 64 72 4 横浜よこはま 49 86 5
2003 阪神はんしん 87 51 2 中日ちゅうにち 73 66 1 巨人きょじん 71 66 3 ヤクルト* 71 66 3 広島ひろしま 67 71 2 横浜よこはま 45 94 1
2004 中日ちゅうにち 79 56 3 ヤクルト 72 64 2 巨人きょじん 71 64 3 阪神はんしん 66 70 2 広島ひろしま 60 77 1 横浜よこはま 59 76 3
2005 阪神はんしん 87 54 5 中日ちゅうにち 79 66 1 横浜よこはま 69 70 7 ヤクルト 71 73 2 巨人きょじん 62 80 4 広島ひろしま 58 84 4
2006 中日ちゅうにち 87 54 5 阪神はんしん 84 58 4 ヤクルト 70 73 3 巨人きょじん 65 79 2 広島ひろしま 62 79 5 横浜よこはま 58 84 4
クライマックスシリーズ開始かいし
2007 巨人きょじん 80 63 1 中日ちゅうにち 78 64 2 阪神はんしん 74 66 4 横浜よこはま 71 72 1 広島ひろしま 60 82 2 ヤクルト 60 84
2008 巨人きょじん 84 57 3 阪神はんしん 82 59 3 中日ちゅうにち 71 68 5 広島ひろしま 69 70 5 ヤクルト 66 74 4 横浜よこはま 48 94 2
2009 巨人きょじん 89 46 9 中日ちゅうにち 81 62 1 ヤクルト 71 72 1 阪神はんしん 67 73 4 広島ひろしま 65 75 4 横浜よこはま 51 93
2010 中日ちゅうにち 79 62 3 阪神はんしん 78 63 3 巨人きょじん 79 64 1 ヤクルト 72 68 4 広島ひろしま 58 84 2 横浜よこはま 48 95 1
2011 中日ちゅうにち 75 59 10 ヤクルト 70 59 15 巨人きょじん 71 62 11 阪神はんしん 68 70 6 広島ひろしま 60 76 8 横浜よこはま 47 86 11
2012 巨人きょじん 86 43 15 中日ちゅうにち 75 53 16 ヤクルト 68 65 11 広島ひろしま 61 71 12 阪神はんしん 55 75 14 DeNA 46 85 13
2013 巨人きょじん 84 53 7 阪神はんしん 73 67 4 広島ひろしま 69 72 3 中日ちゅうにち 64 77 3 DeNA 64 79 1 ヤクルト 57 83 4
2014 巨人きょじん 82 61 1 阪神はんしん 75 68 1 広島ひろしま 74 68 2 中日ちゅうにち 67 73 4 DeNA 67 75 2 ヤクルト 60 81 3
2015 ヤクルト 76 65 2 巨人きょじん 75 67 1 阪神はんしん 70 71 2 広島ひろしま 69 71 3 中日ちゅうにち 62 77 4 DeNA 62 80 1
2016 広島ひろしま 89 52 2 巨人きょじん 71 69 3 DeNA 69 71 3 阪神はんしん 64 76 3 ヤクルト 64 78 1 中日ちゅうにち 58 82 3
2017 広島ひろしま 88 51 4 阪神はんしん 78 61 4 DeNA 73 65 5 巨人きょじん 72 68 3 中日ちゅうにち 59 79 5 ヤクルト 45 96 2
2018 広島ひろしま 82 59 2 ヤクルト 75 66 2 巨人きょじん 67 71 5 DeNA 67 74 2 中日ちゅうにち 63 78 2 阪神はんしん 62 79 2
2019 巨人きょじん 77 64 2 DeNA 71 69 3 阪神はんしん 69 68 6 広島ひろしま 70 70 3 中日ちゅうにち 68 73 2 ヤクルト 59 82 2
2020 巨人きょじん 67 45 8 阪神はんしん 60 53 7 中日ちゅうにち 60 55 5 DeNA 56 58 6 広島ひろしま 52 56 12 ヤクルト 41 69 10
2021 ヤクルト 73 52 18 阪神はんしん 77 56 10 巨人きょじん 61 62 20 広島ひろしま 63 68 12 中日ちゅうにち 55 71 17 DeNA 54 73 16
2022 ヤクルト 80 59 4 DeNA 73 68 2 阪神はんしん 68 71 4 巨人きょじん 68 72 3 広島ひろしま 66 74 3 中日ちゅうにち 66 75 2
2023 阪神はんしん 85 53 5 広島ひろしま 74 65 4 DeNA 74 66 3 巨人きょじん 71 70 2 ヤクルト 57 83 3 中日ちゅうにち 56 82 5

チームべつ記録きろく[編集へんしゅう]

  • 2023シーズン終了しゅうりょう時点じてんのデータ。データはかく前身ぜんしん球団きゅうだんふくむ。「Aク」はAクラス、「Bク」はBクラスをあらわす。
  • 太字ふとじ項目こうもく最多さいたすうあらわす。球団きゅうだんれつのソートボタンでもと順序じゅんじょもどる。
  • 松竹しょうちく西日本にしにほんかく球団きゅうだん消滅しょうめつしているため参考さんこう記録きろくとしてあつかう。
球団きゅうだん 1 2 3 Aクけい 4 5 6 7
8
Bクけい
01/巨人きょじん 38 13 13 64 7 2 1 0 10
02/ヤクルト 9 6 6 21 20 15 17 1 53
03/DeNA 2 6 12 20 12 17 25 0 54
04/中日ちゅうにち 9 24 14 47 5 14 8 0 27
05/阪神はんしん 6 21 16 43 14 5 12 0 31
06/広島ひろしま 9 7 10 26 16 21 9 2 48
07/松竹しょうちく 1 0 0 1 1 0 0 1 2
08/西日本にしにほん 0 0 0 0 0 0 1 0 1

人気にんきのセ」[編集へんしゅう]

セ・パ12球団きゅうだんなかでももっと人気にんきたか球団きゅうだんである読売よみうりジャイアンツと阪神はんしんタイガースがぞくしているリーグであることから「人気にんきのセ」とわれており、現実げんじつにセの観客かんきゃく動員どういんすう[7] はパの観客かんきゃく動員どういんすう[13] よりも設立せつりつ以来いらいつねおお状態じょうたいで、観客かんきゃく動員どういんすうの12巨人きょじん阪神はんしんめている。ただし、2020ねんからの2年間ねんかん新型しんがたコロナウイルス感染かんせん拡大かくだい影響えいきょう観客かんきゃく試合しあい収容しゅうよう人数にんずう制限せいげん試合しあいおおく、さん大都市だいとしけんでは緊急きんきゅう事態じたい宣言せんげん発動はつどうによる観客かんきゃく試合しあい増加ぞうかにより、その影響えいきょうすくなかった広島ひろしま観客かんきゃく動員どういんすう1となっている[14]

巨人きょじん阪神はんしん以外いがいの4球団きゅうだんは、その保護ほご地域ちいきにおいて(人口じんこう動態どうたいじょう当該とうがい球団きゅうだんよりも巨人きょじんファンや阪神はんしんファンがおお分布ぶんぷしている場合ばあいがあること、また親会社おやがいしゃ資本しほんりょく巨人きょじん阪神はんしんおおきくみずけられていることもあり、観客かんきゃく収入しゅうにゅうたい巨人きょじんせんたい阪神はんしんせんたよ傾向けいこうつよい。ただし、中日ちゅうにち場合ばあい親会社おやがいしゃである中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃがブロックという台所だいどころ事情じじょうにより、西日本にしにほん地域ちいきではファンの分布ぶんぷ球団きゅうだんおおきくみずけられている一方いっぽうで、発行はっこう地域ちいきである東海とうかい地方ちほう北陸ほくりく地方ちほう関東かんとう地方ちほうでは熱狂ねっきょうてきなファンをかかえているという特徴とくちょうち、都市としあいだへの移動いどう容易ようい地理ちりてき事情じじょうからビジターでの対戦たいせんカードは人気にんきたかい。

とはいえ、これらの4球団きゅうだんたい巨人きょじんせんたい阪神はんしんせん以外いがい一部いちぶ対戦たいせんカードで人気にんきカードになることがおおく、地方ちほう開催かいさい試合しあいではとく顕著けんちょである。代表だいひょうれいとしてPayPayドームでのソフトバンクたい広島ひろしません北陸ほくりく地方ちほう開催かいさいでのたい中日ちゅうにちせんぼっちゃんスタジアムでのたいヤクルトせんとうがある。

ファンサービスとしては、広島ひろしまがジェット風船ふうせんはじめたのを皮切かわきりにおおくの球団きゅうだんれている。阪神はんしんはプロ野球やきゅうでははじめてチアリーディングチーム導入どうにゅうしており(ただし、現在げんざいのタイガースガールズは2代目だいめとなっている)、2023ねん現在げんざいでは広島ひろしまのぞく5球団きゅうだんがチアリーディングチームをつ。過去かこにはセ・リーグオールスター東西とうざい対抗たいこう(1979-1999)が秋季しゅうき地方ちほう球場きゅうじょうおこなわれていた。

かく球団きゅうだん監督かんとく[編集へんしゅう]

セントラル・リーグ(2024ねんシーズン)
チーム 監督かんとく 生年月日せいねんがっぴ年齢ねんれい 就任しゅうにんねん
阪神はんしんタイガース 岡田おかだ彰布あきのぶ (1957-11-25) 1957ねん11月25にち(66さい 2023ねん(2ねん
広島東洋ひろしまとうようカープ 新井あらい貴浩たかひろ (1977-01-30) 1977ねん1がつ30にち(47さい 2023ねん(2ねん
横浜よこはまDeNAベイスターズ 三浦みうら大輔だいすけ (1973-12-25) 1973ねん12月25にち(50さい 2021ねん(4ねん
読売よみうりジャイアンツ 阿部あべまことこれすけ (1979-03-20) 1979ねん3がつ20日はつか(45さい 2024ねん(1ねん
東京とうきょうヤクルトスワローズ 髙津しんわれ (1968-11-25) 1968ねん11月25にち(55さい 2020ねん(5ねん
中日ちゅうにちドラゴンズ 立浪たつなみ和義かずよし (1969-08-19) 1969ねん8がつ19にち(54さい 2022ねん(3ねん

歴代れきだいリーグ代表だいひょうしゃ[編集へんしゅう]

リーグ会長かいちょう[編集へんしゅう]

リーグ運営うんえい部長ぶちょう[編集へんしゅう]

  • 初代しょだい大越おおこし英雄ひでお2009ねん - )

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 当初とうしょ賛成さんせいだったが巨人きょじんせんとのいで撤回てっかい残留ざんりゅう。それがきっかけで、毎日まいにちオリオンズは報復ほうふくとして大阪おおさか主力しゅりょく選手せんしゅだった若林わかばやし忠志ただし別当べっとうかおる井垣いがきたけし本堂ほんどう保次やすじあきらせいなどをいた。
  2. ^ 大洋たいよう横浜よこはま移転いてん引換ひきかえに、パ・リーグ所属しょぞくロッテオリオンズ1978ねんから1991ねんにかけて川崎球場かわさききゅうじょう本拠地ほんきょちとすることになった。(ジプシー・ロッテ参照さんしょう。)
  3. ^ その2003ねん日本にっぽんシリーズでもタイガースとホークスの対戦たいせん実現じつげんしたが、ホークスは1989ねん福岡ふくおか移転いてんしたため、このときはりょうぐん保護ほご地域ちいきむす新幹線しんかんせん名前なまえって『山陽新幹線さんようしんかんせんシリーズ』とばれた。
  4. ^ 2023ねん日本にっぽんシリーズはこのとき以来いらい59ねんりとなる関西かんさい球団きゅうだん同士どうし阪神はんしんタイガース vs オリックス・バファローズ)の対決たいけつとなったが、りょうぐん本拠地ほんきょち電車でんしゃ1ほん20ふんむすばれていたことから、路線ろせん名前なまえって阪神はんしんなんばせんシリーズばれた。
  5. ^ 藤田ふじたもとつかさ監督かんとくおう貞治さだはる助監督じょかんとく中日ちゅうにち出身しゅっしん牧野まきのしげるヘッドコーチによる政権せいけんトロイカ体制たいせいばれ、そのおう貞治さだはる政権せいけんでの優勝ゆうしょう(1987)にもつなげた。
  6. ^ はらたつとく監督かんとくだい2政権せいけん(2006-2015)でカウントすれば、6のリーグ優勝ゆうしょう200720082009201220132014)を達成たっせいしている
  7. ^ とくにTBS時代じだいの2002ねん-2011ねんならびにDeNA時代じだいの2012ねんふくめた11シーズンでは最下位さいかい9かい、うち4シーズンで90はい以上いじょうという大敗たいはい時期じきであった。
  8. ^ 20世紀せいき東日本ひがしにっぽんにおいては巨人きょじんせんデファクトで、ナイター視聴しちょうりつ非常ひじょうたかかった。
  9. ^ 日本にほんテレビ系列けいれつ基幹きかんきょくでは地元じもと球団きゅうだん応援おうえんする姿勢しせいがあった。具体ぐたいてきには、じゅんキーきょく読売よみうりテレビ(ytv)は、阪神はんしんをメインにした中継ちゅうけい体制たいせいではあるが、過去かこにパ・リーグのざいばん球団きゅうだん南海なんかい近鉄きんてつ阪急はんきゅう)の中継ちゅうけいおこなっていたほか広島ひろしまテレビ(HTV)は現在げんざい熱烈ねつれつなカープ応援おうえんのスタンスをっており、福岡放送ふくおかほうそう(FBS)も1989ねん福岡ふくおかダイエーホークス(きゅう南海なんかいホークス。げん福岡ふくおかソフトバンクホークス)が誕生たんじょうしてからは、ダイエーを応援おうえんするスタンスにシフトした。中京ちゅうきょうテレビ(CTV)はメ~テレテレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ同様どうよう中日新聞ちゅうにちしんぶん系列けいれつではないため、中日ちゅうにちのホームゲームを中継ちゅうけいできない事情じじょうもあって、DeNA・阪神はんしん広島ひろしませんなどのビジター中継ちゅうけい(ytv・HTV制作せいさくなど)を中京ちゅうきょうローカルで放送ほうそうしているときもある。また札幌さっぽろテレビ(STV)は日本にほんハムが北海道ほっかいどう移転いてんするまえ毎年まいとし恒例こうれいとなっていた巨人きょじん主催しゅさいの「北海道ほっかいどうシリーズ」の技術ぎじゅつ協力きょうりょくおこなっているなど巨人きょじんびいきのスタンスをっていたが、2004ねん日本にほんハムが北海道ほっかいどう移転いてんして以降いこう道内どうないほか放送ほうそうきょく同様どうよう日本にほんハムを応援おうえんするスタンスにシフトしていったほかミヤギテレビ(MMT)も2005ねん楽天らくてん球団きゅうだん誕生たんじょうしたため、放送ほうそうきょく同様どうよう楽天らくてん応援おうえんするスタンスとなった。
  10. ^ 阿部あべまことこれすけ内海うつみ哲也てつや菅野かんの智之としゆきらが主要しゅようタイトルを獲得かくとくした。セントラル・リーグ個人こじんタイトル獲得かくとくしゃ一覧いちらん参照さんしょう
  11. ^ 当初とうしょは「延長えんちょうせんおこなわず、9かい終了しゅうりょうり」としていた。なお、時間じかん制限せいげんもうけるのは1987ねん以来いらい24ねんぶり。
  12. ^ ただし、2014ねんかぎ天候てんこう不順ふじゅんにより日程にってい消化しょうかおくれていたため、9月5にち以後いごシーズン最終さいしゅうまでのダブルヘッダーだい1試合しあいについては9かいまででり。
  13. ^ a b 新型しんがたコロナウイルスの影響えいきょうともな感染かんせん防止ぼうし特別とくべつルール。
  14. ^ 延長えんちょうなしのレギュレーションのため、すうおおとしとなり、2阪神はんしんは、優勝ゆうしょうしたヤクルトよりも4しょう上回うわまわりながらもVいっとなった。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ NPBニュース
  2. ^ 1949ねん11月27にちづけ朝日新聞あさひしんぶん朝刊ちょうかん
  3. ^ 西日本にしにほん廣島ひろしま整理せいり問題もんだい持越もちこし『朝日新聞あさひしんぶん昭和しょうわ26ねん1がつ11にち
  4. ^ https://www.sanspo.com/article/20200429-PQOSCH5E35PBRNRY2SLUGN55PA/
  5. ^ セ、パりょう事務じむきょくはいきょく サンケイスポーツ 2008ねん12月27にちづけ同日どうじつ閲覧えつらん(リンクさきは、インターネット・アーカイブ同日どうじつづけ保存ほぞんキャッシュ)
  6. ^ https://npb.jp/statistics/attendance_yearly_cl.pdf
  7. ^ a b https://npb.jp/statistics/attendance_yearly_cl.pdf
  8. ^ https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/07/30/kiji/20220730s00001173195000c.html
  9. ^ https://forbesjapan.com/articles/detail/42470
  10. ^ セ・リーグのダブルヘッダーについて
  11. ^ セ・リーグ、優勝ゆうしょう決定けってい方法ほうほう変更へんこう リーグない対戦たいせん勝率しょうりつ日本経済新聞にほんけいざいしんぶん
  12. ^ セ・リーグ チャンピオン・エンブレム 完成かんせいのおらせ”. 日本にっぽん野球やきゅう機構きこう (2012ねん1がつ30にち). 2024ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  13. ^ https://npb.jp/statistics/attendance_yearly_pl.pdf
  14. ^ https://npb.jp/statistics/2021/attendance.html

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]