バックスクリーン3連発れんぱつ

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阪神はんしんタイガース > バックスクリーン3連発れんぱつ
1985ねん 阪神はんしんタイガース たい 読売よみうりジャイアンツ だい2回戦かいせん
バックスクリーン3連発れんぱつ舞台ぶたいとなった阪神はんしん甲子園こうしえん球場きゅうじょう
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
読売よみうりジャイアンツ 2 0 0 0 0 0 1 0 2 5 9 0
阪神はんしんタイガース 1 0 0 0 0 0 5 0 X 6 9 1
開催かいさい日時にちじ 1985ねん4がつ17にち (39ねんまえ) (1985-04-17)
開催かいさい球場きゅうじょう 阪神はんしん甲子園こうしえん球場きゅうじょう
開催かいさい 日本の旗 日本にっぽん 兵庫ひょうごけん西宮にしのみや甲子園こうしえんまち
監督かんとく
審判しんぱんいん
試合しあい時間じかん 3あいだ
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バックスクリーン3連発れんぱつ(バックスクリーン3れんぱつ)は、1985ねん昭和しょうわ60ねん4がつ17にち阪神はんしん甲子園こうしえん球場きゅうじょうおこなわれたプロ野球やきゅう阪神はんしんタイガース以下いか阪神はんしんたい読売よみうりジャイアンツ以下いか巨人きょじん)の試合しあいにおいて、阪神はんしん当時とうじクリーンアップランディ・バースかけぬの雅之まさゆき岡田おかだ彰布あきのぶ)が7かいうら攻撃こうげきに、巨人きょじん槙原まきはらひろしおのれ投手とうしゅが6きゅうとうじるあいだに3しゃ連続れんぞくバックスクリーンおよびそのひだり本塁打ほんるいだったという出来事できごとす。阪神はんしんファンあいだでは「伝説でんせつさん連発れんぱつ」ともばれる。また、阪神はんしんにとってはバックスクリーン3連発れんぱつがあった1985ねんシーズン日本一にっぽんいちかがやいたシーズンでもあったことから、その名誉めいよとともに、とうシーズンの阪神はんしんをいきおいづかせた出来事できごととしてかたられることもある[1]

阪神はんしん以下いか前身ぜんしん大阪おおさかタイガースもふくむ)の3しゃ連続れんぞく本塁打ほんるいだ通算つうさん9かいあるが、ほん記事きじでは2003ねん5月9にちの「平成へいせいの3連発れんぱつおよ2011ねん5月3にちの「26ねんぶりのクリーンアップ3連発れんぱつ」についても記述きじゅつする。

経過けいか[編集へんしゅう]

背景はいけい[編集へんしゅう]

1985ねんセントラル・リーグ4がつ13にち開幕かいまくし、阪神はんしん巨人きょじんともに開幕かいまく2連戦れんせん初戦しょせんとした[ちゅう 1]ものの、りょう球団きゅうだんとも2せん勝利しょうり[ちゅう 2]して1しょう1はいとし、移動いどうはさんで4がつ16にちから甲子園こうしえん球場きゅうじょうでの阪神はんしんたい巨人きょじん3連戦れんせんむかえることとなった。

初戦しょせん(4がつ16にち)は巨人きょじんが2てん先制せんせいするが、阪神はんしんは4かいうら二死にしからかけぬの雅之まさゆきが1ごうソロ本塁打ほんるいだ、さらに岡田おかだ彰布あきのぶ四球しきゅう出塁しゅつるい佐野さのせんこのみ飛球ひきゅう巨人きょじんかわ埜和ただし遊撃手ゆうげきしゅ落球らっきゅう(このあいだ岡田おかだ得点とくてん)し同点どうてんき、動揺どうようした巨人きょじんのこの試合しあい先発せんぱつ投手とうしゅである加藤かとうはじめから平田ひらた勝男かつお適時てきじ逆転ぎゃくてんつづ木戸きど克彦かつひこが1ごう2ラン本塁打ほんるいだ(プロはつ本塁打ほんるいだ)、伊藤いとう宏光ひろみつ四球しきゅう出塁しゅつるい加藤かとうから交代こうたいした斎藤さいとう雅樹まさきから真弓まゆみ明信あきのぶが3試合しあい連続れんぞくとなる3ごう2ラン本塁打ほんるいだって一気いっきに7てんげ、かい攻撃こうげきでもさらに3てん追加ついかして10-2で勝利しょうりした。

その翌日よくじつの2回戦かいせん4がつ17にち)がこの3連発れんぱつ舞台ぶたいであった。

1985ねん4がつ17にち阪神はんしんたい巨人きょじんせん[編集へんしゅう]

試合しあい序盤じょばんから中盤ちゅうばんまで[編集へんしゅう]

2回戦かいせんりょうチームの先発せんぱつ投手とうしゅ阪神はんしん工藤くどう一彦かずひこ巨人きょじん槙原まきはら[2]はじまった。1かいひょう巨人きょじん工藤くどうからウォーレン・クロマティ本塁打ほんるいだはなち2てん先制せんせい、そのうら阪神はんしん槙原まきはらから岡田おかだ適時てきじで1てんかえすも、7かいひょう巨人きょじん中畑なかはたきよしなか犠飛ぎひ追加ついかてんげ3-1となり、阪神はんしんが2てんいかける状態じょうたいとなっていた[3]。7かいうら阪神はんしん攻撃こうげきは8ばん木戸きどがセンターまえにヒットで出塁しゅつるい代走だいそう北村きたむら照文てるぶみおくられる[3]。ピッチャー工藤くどう代打だいだ長崎ながさき啓二けいじおくられるも凡退ぼんたい[3]打順だじゅんはトップにかえ真弓まゆみ打席だせきとき一塁いちるい走者そうしゃ北村きたむらとう成功せいこう真弓まゆみ結局けっきょく四球しきゅうえら[4]。2ばん弘田ひろた澄男すみおたおれるも二死にしいち二塁にるい本塁打ほんるいだれば逆転ぎゃくてんという場面ばめんで、さんばん打者だしゃのバースをむかえる[4]

S○○
B○○○
O●●

0ストライク-0ボール
2アウト
二塁にるい:北村きたむら
三塁さんるい:(なし)なし 一塁いちるい:真弓まゆみ

さんばん・ランディ・バース[編集へんしゅう]

このとし、シーズン終了しゅうりょうには三冠王さんかんおうかがやくバースであるが開幕かいまくせんで3打席だせき連続れんぞく三振さんしんきっし、この初回しょかい四球しきゅう出塁しゅつるいしたのち2打席だせき凡退ぼんたいするなど直前ちょくぜん打席だせきまでは通算つうさん15打数だすう2安打あんだ打率だりつ.133、本塁打ほんるいだ0とぜつ不調ふちょうあえいでいた。しかし、この打席だせき槙原まきはらとうじた初球しょきゅう試合しあい開始かいしから119きゅう)の143km/hシュート(3かいうらのバースの2打席だせきにおいて、併殺へいさつられたのとおなだましゅ)を「ムリにらずにセンター方向ほうこうかえすことを意識いしきして」かえすと[5]打球だきゅうひくえがきながらバックスクリーンにむ3ラン本塁打ほんるいだとなり、阪神はんしんは4-3と逆転ぎゃくてんする。普段ふだん本塁打ほんるいだった直後ちょくごにさほどおおげさによろこびをあらわさないバースが、この本塁打ほんるいださいには一塁いちるいまわるところでめずらしくガッツポーズせている。バースいわく、カーブのだまねらいそれをかけぬのつたえたという。

このとき槙原まきはら捕手ほしゅ佐野さのもとくにから、初球しょきゅうはボール気味ぎみたまはいるよう指示しじされたものの以前いぜんから当時とうじのエース・西本にしもときよし投球とうきゅうじゅつあこが練習れんしゅうしていたシュートを3かい公式こうしきせんはじめてとうじたところ、バースを見事みごと二塁にるいへの併殺へいさつれたことにあじめ、おなだましゅ選択せんたくしたものの今度こんどはあまりがらず、一方いっぽうひろめのスタンスを一見いっけん内角ないかくだまねらいにえたバースは、じつ前回ぜんかい打席だせきダグアウトうらでビデオをおな外角がいかくだままとしぼっていたため(ひろめのスタンスは外角がいかくだまねらいをかくすための意図いとてきなもの。)、見事みごとはじかえされることとなった。

よんばんかけぬの[編集へんしゅう]

つづいて打席だせきはいったよんばん打者だしゃかけぬのは、打率だりつこそ.273でこのは2四球しきゅうのち直前ちょくぜん打席だせきでは三振さんしんきっしていたものの前日ぜんじつ逆転ぎゃくてん勝利しょうり一因いちいんとなったシーズンはつ本塁打ほんるいだっていた。「まえのバースのった本塁打ほんるいだによる余韻よいん甲子園こうしえん全体ぜんたいつつまれていた。このままってもバースのいきおいにたせてもらうことになる、自分じぶん槙原まきはらくん勝負しょうぶにするためリセットしたかった。」とかけぬのなく初球しょきゅう内角ないかくカーブ(ストライク)、2きゅう外角がいかくストレート(ボール)を見送みおくり、3きゅう槙原まきはらとうじた144km/hのインハイのストレートに「(ストレートに)ややまれたのでった瞬間しゅんかんはいらないとおもった。インパクトの瞬間しゅんかんひだり)でグッとんだ。」という打球だきゅうはバックスクリーン左翼さよくがわ観客かんきゃくせきわざありの本塁打ほんるいだとなった。

ばん岡田おかだ[編集へんしゅう]

さらばん打者だしゃ岡田おかだ打率だりつ.333、このすで適時てきじふくむ3打数だすう2安打あんだとクリーンナップさんにんなかではもっと打撃だげき好調こうちょうであった[6]。ただ、開幕かいまくからこの打席だせきまで本塁打ほんるいだはなかったそのとき心境しんきょうを「真弓まゆみさん、かけぬのさんはすで本塁打ほんるいだってたし、(このまで0ほんだった)バースまで本塁打ほんるいだったことあせりもあったし、自分じぶん好調こうちょうことよりのこされた気分きぶんほうつよかった。ヒットでいいというかんがえはなかった。こうなったら本塁打ほんるいだねらうしかないやろう」とかえっている。初球しょきゅうのストレートを見送みおくり、1ストライクの2きゅうで「バースにはストレート気味ぎみのシュート、かけぬのさんにはストレートをたれた。自分じぶんにはもうっすぐはげてこない、スライダーしかないやろ。」とたかめにはいった槙原まきはらの129km/hのスライダーねらち。バックスクリーン左翼さよく中段ちゅうだんにライナーせいたたんだ。かけぬのは「(さんほん本塁打ほんるいだのうち)変化球へんかきゅうもの見事みごとってるんで、本塁打ほんるいだ内容ないよう素晴すばらしさとしてはさんほん岡田おかだ本塁打ほんるいだ一番いちばん。」とひょうするほど完璧かんぺきたりだった。こうして「バックスクリーン3連発れんぱつ」は完成かんせいした。3連続れんぞく被弾ひだんした槙原まきはら鹿取かとり義隆よしたか交代こうたいつぎ打者だしゃであった佐野さのせんこのみり、ようやく7かいうら攻撃こうげき終了しゅうりょうした。

このさん連続れんぞく本塁打ほんるいだによる逆転ぎゃくてんげき阪神はんしんがわ応援おうえんせき狂喜きょうき乱舞らんぶ一方いっぽう巨人きょじんがわ応援おうえんせきからは罵声ばせいび、かんなどがまれた。

この3連発れんぱつ厳密げんみつうとかけぬの本塁打ほんるいだはバックスクリーンひだりよこ観客かんきゃくせきはいったため、かけぬの当時とうじバックスクリーンの広告こうこく協賛きょうさんしていたカネボウ化粧けしょうひん提供ていきょうによる賞金しょうきん本来ほんらいならもらえないが、カネボウのはからいにより授与じゅよされている。しかしさんしゃ連続れんぞく本塁打ほんるいだ度々どど発生はっせいするが、ひろ阪神はんしん甲子園こうしえん球場きゅうじょうでこのようにおな方向ほうこう、かつもっと距離きょり必要ひつようなバックスクリーンへクリーンアップのさんにんによる3連発れんぱつというのは[ちゅう 3]

試合しあい終盤しゅうばん[編集へんしゅう]

6-3でむかえた9かいひょう巨人きょじん阪神はんしん福間ふくまおさむ投手とうしゅからクロマティ、はらたつとく連続れんぞく本塁打ほんるいだで2てんかえし1てんとした[7]。ここで吉田よしだは、それまでおさえの経験けいけんがなかった2ねん中西なかにしきよしおこり投手とうしゅ投入とうにゅうする。中西なかにし中畑なかはたきよし本塁打ほんるいだせいファウルボールたれるが最後さいごひだりライナーにり、さらにつづ吉村よしむらただしあきら駒田こまだいさおひろ連続れんぞく三振さんしんおさえたことで、阪神はんしんが6-5でりに成功せいこうした。

中西なかにしはこの試合しあいがプロはつセーブであり、また吉田よしだはこの試合しあいをきっかけに中西なかにしをクローザーとして起用きようすることとなり、シーズン終盤しゅうばんまで山本やまもと和行かずゆきとのダブルストッパーとして活躍かつやくした(山本やまもとはシーズン終盤しゅうばんだい怪我けが戦線せんせん離脱りだつしたため、同年どうねん最終さいしゅうてきには中西なかにし単独たんどくでクローザーをつとめた)。

スコア[編集へんしゅう]

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
巨人きょじん 2 0 0 0 0 0 1 0 2 5 9 0
阪神はんしん 1 0 0 0 0 0 5 0 X 6 9 1
  1. きょ槙原まきはら(6かい2/3)、鹿取かとり(0かい1/3)、斎藤さいとう(1かい
  2. かみ工藤くどう(7かい)、福間ふくま(1かい)、中西なかにし(1かい
  3. かち工藤くどう(1しょう)  はい槙原まきはら(1はい)  S中西なかにし(1S)  
  4. 本塁打ほんるいだ
    きょ:クロマティ1ごう(1かい2ラン・工藤くどう)・2ごう(9かい2ラン・福間ふくま)、げん2ごう(9かいソロ・福間ふくま
    かみ:バース1ごう(7かい3ラン・槙原まきはら)、かけぬの2ごう(7かいソロ・槙原まきはら)、岡田おかだ1ごう(7かいソロ・槙原まきはら
  5. 審判しんぱん
    球審きゅうしん山本やまもとあや
    塁審るいしんたに福井ふくい久保くぼ
    そとしん松下まつした太田おおた
  6. 試合しあい時間じかん:3あいだ
巨人きょじん
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[ひだり]松本まつもと匡史ただし
2[]篠塚しのづか利夫としお
3[なか]W.クロマティ
4[さん]はらたつとく
5[いち]中畑なかはたきよし
6[みぎ]吉村よしむらただしあきら
7[ゆう]かわ埜和ただし
駒田こまだいさおひろ
8[]佐野さのもとくに
山本やまもと雅夫まさお
笹本ささもと信二しんじ
9[とう]槙原まきはらひろしおのれ
とう鹿取かとり義隆よしたか
ひとしむらかおる
とう斎藤さいとう雅樹まさき
阪神はんしん
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[みぎ]真弓まゆみ明信あきのぶ
2[なか]弘田ひろた澄男すみお
山川やまかわたけし
3[いち]R.バース
4[さん]かけぬの雅之まさゆき
5[]岡田おかだ彰布あきのぶ
6[ひだり]佐野さのせんこのみ
とう福間ふくまおさむ
とう中西なかにしきよしおこり
7[ゆう]平田ひらた勝男かつお
8[]木戸きど克彦かつひこ
はしなか北村きたむら照文てるぶみ
9[とう]工藤くどう一彦かずひこ
長崎ながさき啓二けいじ
ひだり吉竹よしたけ春樹はるき

試合しあい[編集へんしゅう]

よく4がつ18にち阪神はんしん勝利しょうりし、このカードは全勝ぜんしょうとなるのだがシーズン通算つうさん対戦たいせん成績せいせきでは拮抗きっこう、8がつ阪神はんしん巨人きょじんとの対戦たいせんけをはさんで4連敗れんぱいきっし、8しょう12はい1けとする[ちゅう 4]も、その9がつ・10月の直接ちょくせつ対戦たいせんで5連勝れんしょうした阪神はんしんがシーズン最終さいしゅうせんでようやく対戦たいせん成績せいせきを13しょう12はい1けとしてしをめた[ちゅう 5]

この14ねんとなる1999ねん6月12にちには新庄しんじょう剛志たけし当時とうじ阪神はんしん)に故意こい四球しきゅう意図いとした投球とうきゅうサヨナラ安打あんだにされる槙原まきはらだったが、たい阪神はんしんせん通算つうさん成績せいせきが38しょう10はい(そのの4球団きゅうだんには121しょう118はい)と一番いちばん得意とくい球団きゅうだんであった[ちゅう 6]

ちなみに、この試合しあい当時とうじ11さい中村なかむら紀洋のりひろ左翼さよくがわ観客かんきゃくせき観戦かんせんしていた[8]

阪神はんしんさんしゃ連続れんぞく本塁打ほんるいだ[編集へんしゅう]

阪神はんしんさんしゃ以上いじょう連続れんぞく本塁打ほんるいだ通算つうさん9かいあり、このうち2003ねんのものは1985ねん同様どうよう優勝ゆうしょうしたため、いわゆる平成へいせいの3連発れんぱつともばれている。

年月日ねんがっぴ 対戦たいせん相手あいて 球場きゅうじょう かい 打者だしゃ 相手あいて投手とうしゅ
1953ねん4がつ16にち ようまつ 日生にっせい 7かいひょう 一番いちばん与儀よぎしんすけ金田かねだただしやすし後藤ごとう次男つぐお 高野たかのひろしりょう
1962ねん7がつ17にち 広島ひろしま 広島ひろしま 6かいひょう さんばん並木なみき輝男てるお藤本ふじもと勝巳かつみ三宅みやけしげる 弘瀬ひろせ昌彦まさひこ
1974ねん4がつ20日はつか 大洋たいよう 川崎かわさき 1かいひょう ばん一枝いちえだ修平しゅうへい藤田ふじたたいら田淵たぶち幸一こういち 竹内たけうち広明ひろあき
1976ねん9月19にち 広島ひろしま 甲子園こうしえん 6かいうら 一番いちばん中村なかむら勝広かつひろかけぬの雅之まさゆきマイク・ラインバック田淵たぶち幸一こういち(※4しゃ連続れんぞく えいもと裕章ひろあき
1979ねん8がつ10日とおか 中日ちゅうにち 西京極にしきょうごく 1かいうら さんばんかけぬの雅之まさゆきリロイ・スタントンマイク・ラインバック 三沢みさわあつし
1985ねん4がつ17にち 巨人きょじん 甲子園こうしえん 7かいうら さんばんランディ・バース、かけぬの雅之まさゆき岡田おかだ彰布あきのぶ上記じょうき 槙原まきはらひろしおのれ
2003ねん5月9にち 横浜よこはま 横浜よこはま 3かいひょう よんばん濱中はまなかおさむ片岡かたおか篤史あつしジョージ・アリアス 吉見よしみ祐治ゆうじ
2010ねん8がつ12にち 広島ひろしま マツダ 6かいひょう ななばん城島じょうしま健司けんじ桜井さくらい広大こうだい狩野かのめぐみ エリック・スタルツ
2011ねん5月3にち 巨人きょじん 東京とうきょうD 3かいひょう さんばん鳥谷とりたにたかし新井あらい貴浩たかひろクレイグ・ブラゼル 東野とうのたかし

平成へいせいの3連発れんぱつ[編集へんしゅう]

2003ねん5がつ9にち横浜よこはまベイスターズ横浜よこはませんで4ばん濱中はまなかおさむ・5ばん片岡かたおか篤史あつし・6ばんジョージ・アリアス吉見よしみ祐治ゆうじからレフト方向ほうこうに3しゃ連続れんぞく本塁打ほんるいだ。この、マスメディアは「昭和しょうわの3連発れんぱつ再来さいらい(=優勝ゆうしょうだ)」と興奮こうふん気味ぎみにチーム関係かんけいしゃ取材しゅざいしていたところ、当時とうじ監督かんとく星野ほしのせんいち一喝いっかつされている。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 けい
T 5 0 6 0 0 0 0 0 0 11
YB 0 0 0 0 0 0 0 1 1 2
審判しんぱん:(たま橘高きったか、(るい真鍋まなべたに西本にしもと
平成へいせいの3連発れんぱつ翌日よくじつ
平成へいせいの3連発れんぱつ」の翌日よくじつ5がつ10日とおか)の横浜よこはません。3かいひょう阪神はんしん藤本ふじもと敦士あつし初球しょきゅう一塁いちるいせんセーフティーバント下柳しもやなぎつよし初球しょきゅうおくりバント今岡いまおかまこともまた初球しょきゅう二塁にるいセーフティーバントをめ、さらつづ赤星あかほしけんひろ初球しょきゅうをセンターまえにヒットし、イニングがはじまってわずか4きゅうで1てんうばった。後続こうぞく金本かなもとともけん濱中はまなか追加ついかてんげて逆転ぎゃくてんしそのまま勝利しょうりした。星野ほしのは「本塁打ほんるいだ3連発れんぱつおなじくらい(こういう攻撃こうげきが)相手あいて投手とうしゅあたえるダメージはおおきい」とべている。

26ねんぶりのクリーンアップ3連発れんぱつ[編集へんしゅう]

2011ねん5月3にちたい巨人きょじん4回戦かいせん東京とうきょうドーム)で、3ばん鳥谷とりたにたかし、4ばん新井あらい貴浩たかひろ、5ばんクレイグ・ブラゼル東野とうのたかし(クリーンアップによる3連発れんぱつは1985ねんのバース、かけぬの岡田おかだ以来いらい26ねんぶりである。)なお、前年ぜんねんにもさんしゃ連続れんぞく本塁打ほんるいだ記録きろくされており、はつの2ねん連続れんぞくさんしゃ連続れんぞく本塁打ほんるいだ実現じつげんした。 この試合しあいでは、3しゃ連続れんぞくホームランをたれた投手とうしゅ東野とうのもホームランをはなっている。

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 けい
阪神はんしん 0 1 4 0 1 0 0 1 0 7
巨人きょじん 0 0 1 0 0 0 0 0 2 3
審判しんぱん:(たま佐々木ささき、(るい中村なかむら柳田やなぎだ川口かわぐち

その[編集へんしゅう]

ぐんせんにおいては、近年きんねんでは2015ねん5月31にちウエスタン・リーグたい中日ちゅうにち14回戦かいせん蒲郡がまごおり球場きゅうじょう)で3ばん北條ほうじょうふみ、4ばん江越えごえ大賀たいが、5ばん梅野うめの隆太郎りゅうたろうがレフトに3しゃ連続れんぞく本塁打ほんるいだ記録きろく。リーグせんではないが、2006ねん9月30にち山形やまがたけん野球やきゅうじょうおこなわれたファーム日本にっぽん選手権せんしゅけん阪神はんしんがウエスタン・リーグ優勝ゆうしょうチームとしてイースタン・リーグ覇者はしゃロッテ対決たいけつ。1かいうらに4ばん喜田きたつよし、5ばん桜井さくらい広大こうだい、6ばん藤原ふじわらとおるがロッテの先発せんぱつ成瀬なるせ善久よしひさからそれぞれライト、センター、レフトに3しゃ連続れんぞく本塁打ほんるいだはなち、このかい4てん先制せんせい最終さいしゅうてきに6-0で勝利しょうりし、おな顔合かおあわせでやぶれた前年ぜんねん雪辱せつじょくたして3ねんぶり4かいのファーム日本一にっぽんいちかがやいた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 阪神はんしん岡田おかだ監督かんとくがバース祝福しゅくふく 「もっとはやくなってもかった」”. デイリースポーツ online (株式会社かぶしきがいしゃデイリースポーツ). (2023ねん1がつ14にち). https://www.daily.co.jp/tigers/2023/01/14/0015963495.shtml 2023ねん1がつ14にち閲覧えつらん 
  2. ^ 中川なかがわ2019, p. 54.
  3. ^ a b c 中川なかがわ2019, p. 55.
  4. ^ a b 中川なかがわ2019, p. 56.
  5. ^ “ランディ・バースがかす、日本にっぽんたたかった最高さいこう投手とうしゅとは?(2/3)”. Sports Graphic Number Web (文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう). (2015ねん9がつ16にち). http://number.bunshun.jp/articles/-/824159?page=2 2016ねん9がつ19にち閲覧えつらん 
  6. ^ 中川なかがわ2019, p. 57.
  7. ^ 中川なかがわ2019, p. 58.
  8. ^ 内野ないやしゅ東北とうほく楽天らくてんゴールデンイーグルス|「最高さいこう試合しあい」「めい場面ばめんめい勝負しょうぶ」|2010ねんNPBスローガン「ここに、世界一せかいいちがある。」スペシャルコンテンツ”. 日本にっぽん野球やきゅう機構きこう (2010ねん8がつ9にち). 2012ねん1がつ14にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2018ねん3がつ12にち閲覧えつらん

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 開幕かいまく初戦しょせん阪神はんしん3-4広島ひろしま大洋たいよう12-6きょじん
  2. ^ 開幕かいまく2せん阪神はんしん8-7広島ひろしま大洋たいよう5-6きょじん
  3. ^ このとき巨人きょじんのクロマティ中堅ちゅうけんしゅは、1ほん打球だきゅういかけてジャンプ、2ほんいかけたがあきらめ、3ほん打球だきゅうをただバックスクリーンへ見送みおくって呆然ぼうぜんとしており、この3連発れんぱつすごさを演出えんしゅつする格好かっこうとなった。
  4. ^ このうち、8がつ13にちからの3連戦れんせん3連敗れんぱいさいは、つづたい広島東洋ひろしまとうようカープ2連戦れんせん(8がつ17にち、18にち)とたい大洋たいようホエールズ3連戦れんせん初戦しょせん(8がつ20日はつか)にもやぶれ6連敗れんぱいとなり、それまで首位しゅいはしっていた阪神はんしん一旦いったん3まで順位じゅんいとす原因げんいんとなった。 このころには、8がつ13にち前日ぜんじつである12にち日本航空にほんこうくう123便びん墜落ついらく事故じこ発生はっせいし、当時とうじ中埜なかのはじめ球団きゅうだん社長しゃちょうくなっている。
  5. ^ その阪神はんしんは「平成へいせいの3連発れんぱつ」を記録きろくした2003ねんまできょじんすことができなかった。
  6. ^ はつ先発せんぱつ延長えんちょう10かい完封かんぷう勝利しょうり甲子園こうしえん阪神はんしんせん記録きろくした。なお、新庄しんじょうにサヨナラたれた試合しあい記録きろくじょう入来いりきゆうさく敗戦はいせん投手とうしゅとなっている。

参考さんこう文献ぶんけん関連かんれん書籍しょせき[編集へんしゅう]

  • 中川なかがわみぎかい阪神はんしんタイガース 1985-2003』ちくま新書しんしょ、2019ねん10がつ10日とおかISBN 978-4-480-07261-0 
  •  『猛虎もうこ伝説でんせつ集英社しゅうえいしゃ新書しんしょ上田うえだ賢一けんいちちょ、2001ねん2がつ21にちISBN 4-08-720078-7
  •  『熱闘ねっとう!プロ野球やきゅうさんじゅうばん勝負しょうぶ文春ぶんしゅん文庫ぶんこビジュアルばん、スポーツグラフィック「ナンバー」へん、pp.91-97「バース、かけぬの岡田おかだの3連発れんぱつ」、1990ねん8がつ10日とおかISBN 4-16-810813-9

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]