10.8決戦けっせん

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1994ねん 中日ちゅうにちドラゴンズたい読売よみうりジャイアンツだい26回戦かいせん
10.8決戦けっせんおこなわれたナゴヤ球場きゅうじょうのフィールド全景ぜんけい
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
読売よみうりジャイアンツ 0 2 1 2 1 0 0 0 0 6 12 3
中日ちゅうにちドラゴンズ 0 2 0 0 0 1 0 0 0 3 11 0
開催かいさい日時にちじ 1994ねん10がつ8にち (29ねんまえ) (1994-10-08)
開催かいさい球場きゅうじょう ナゴヤ球場きゅうじょう
開催かいさい 日本の旗 日本にっぽん 愛知あいちけん名古屋なごや中川なかがわ
監督かんとく
審判しんぱんいん
試合しあい時間じかん 3あいだ14ふん
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10.8決戦けっせん(じってんはちけっせん)は、1994ねん平成へいせい6ねん10月8にち日本にっぽん愛知あいちけん名古屋なごや中川なかがわナゴヤ球場きゅうじょうおこなわれた、日本にっぽん野球やきゅう機構きこうセントラル・リーグ以下いか「セ・リーグ」と表記ひょうき)の中日ちゅうにちドラゴンズ以下いか中日ちゅうにち」と表記ひょうきたい読売よみうりジャイアンツ以下いか巨人きょじん」と表記ひょうきだい26回戦かいせん通称つうしょうである。

日本にっぽんプロ野球やきゅう史上しじょうはじめて「リーグせん公式こうしきせん・レギュラーシーズン)最終さいしゅう戦時せんじ勝率しょうりつ同率どうりつ首位しゅいならんだチーム同士どうし直接ちょくせつ対決たいけつ」という優勝ゆうしょう決定けっていせんであり、巨人きょじん勝利しょうりしリーグ優勝ゆうしょうたした[注釈ちゅうしゃく 1][注釈ちゅうしゃく 2]後述こうじゅつするように、日本にっぽん社会しゃかいひろ範囲はんいから注目ちゅうもくされた事象じしょうである[1]

決戦けっせん」にいた経緯けいい[編集へんしゅう]

最終さいしゅうせん日程にってい決定けってい[編集へんしゅう]

1994ねん当時とうじ、セ・リーグ公式こうしきせんかくチーム26回戦かいせんそうあたりの130試合しあいせいおこなわれていた[注釈ちゅうしゃく 3]

同年どうねん巨人きょじん序盤じょばんから首位しゅい快走かいそうしていた[注釈ちゅうしゃく 4]が、8がつ25にちから9月3にちにかけて8連敗れんぱいきっするなどしていきおいをとす[注釈ちゅうしゃく 5]対照たいしょうてき中日ちゅうにちは、優勝ゆうしょう経験けいけんのある星野ほしのせんいちよくから監督かんとく復帰ふっきさせるプランが球団きゅうだん内部ないぶ台頭たいとうしていたことから、前年ぜんねん2むかえた同年どうねんAクラス(リーグ6球団きゅうだんちゅう上位じょうい3以内いない)を維持いじしていたシーズンちゅうにもかかわらず、当時とうじ監督かんとくである高木たかぎ守道もちに「来季らいき契約けいやくをしない」むね内示ないじしていた。このけんかえって監督かんとく選手せんしゅともに「最後さいご花道かどう優勝ゆうしょうかざろう」と一丸いちがんとなってかえしに[4]。ただし、当初とうしょ巨人きょじん猛追もうついしていたのは広島ひろしまであった。9がつ20日はつか時点じてん首位しゅい巨人きょじんを1.5ゲームで2広島ひろしまいかけ、4ゲームで3中日ちゅうにちという構図こうずであったが、9月23にちからの3連戦れんせん広島ひろしま全勝ぜんしょうした中日ちゅうにちが、このあいだ連敗れんぱいした巨人きょじんとらえ、1ゲームで2につけてしまった。中日ちゅうにち9月18にちから10月2にちにかけては9連勝れんしょう記録きろくし、試合しあい終了しゅうりょう時間じかん関係かんけいで「単独たんどく首位しゅい」のかたちとなったこともあるなど、巨人きょじん猛然もうぜんげた。なお、どう監督かんとく去就きょしゅうについては#高木たかぎ監督かんとく留任りゅうにん決定けってい参照さんしょう

巨人きょじん中日ちゅうにち9月27にち28にちナゴヤ球場きゅうじょうでこのシーズン最後さいご対戦たいせんまれていたが、27にち試合しあい日本にっぽん列島れっとう接近せっきんしていた台風たいふう影響えいきょうによる悪天候あくてんこう中止ちゅうしとなり、予備よびとなっていた29にち順延じゅんえんとなったが、その29にち今度こんど台風たいふう本体ほんたい東海とうかい地方ちほう接近せっきんしてまたも中止ちゅうしとなり[注釈ちゅうしゃく 6]結局けっきょくどうリーグはよく30にちに29にち中止ちゅうしされたりょうチームのだい26回戦かいせんを10月8にち土曜日どようび)にむことをふくめた「追加ついか日程にってい」を発表はっぴょうし、ここに「10.8」の試合しあい日程にっていじょう登場とうじょうしたことから、この事象じしょうはじまった[5]。なお、この時点じてん巨人きょじん中日ちゅうにちは66しょう59はいのこり5試合しあい)でならんでいた。

10月6にち試合しあい[編集へんしゅう]

上記じょうき追加ついか日程にってい発表はっぴょう巨人きょじんは3しょうすべてヤクルトせん)、中日ちゅうにちは2しょう1はい10月6にちむかえた。巨人きょじん明治めいじ神宮じんぐう野球やきゅうじょうヤクルトスワローズ以下いか「ヤクルト」)と、中日ちゅうにちがナゴヤ球場きゅうじょう阪神はんしんタイガースとそれぞれシーズン129試合しあいたたかったが、試合しあいぜん時点じてんでは巨人きょじんが1ゲーム首位しゅいで、巨人きょじん勝利しょうり中日ちゅうにち敗北はいぼく巨人きょじん優勝ゆうしょう決定けっていとなる状況じょうきょうにあった[注釈ちゅうしゃく 7]

中日ちゅうにちたい阪神はんしん
先発せんぱつ投手とうしゅ山本やまもとあきら[注釈ちゅうしゃく 8]の19しょうとなる完投かんとう勝利しょうりで10-2と快勝かいしょう中日ちゅうにち大量たいりょうリードのまま終盤しゅうばんにさしかかったさい下記かきのヤクルトたい巨人きょじん試合しあい経過けいかについて、球場きゅうじょうないほうじられるまえラジオとう状況じょうきょう把握はあくした観客かんきゃく中心ちゅうしんにおおいにがったという[6]
きょじんたいヤクルト)
先発せんぱつさんほんばしら」のうち斎藤さいとう雅樹まさき先発せんぱつ槙原まきはらひろしおのれリリーフ起用きようしたが、1-0でリードの7かい槙原まきはらはた真司しんじに3てん本塁打ほんるいだびるなどヤクルトに4得点とくてんゆるし、6-2と逆転ぎゃくてん[注釈ちゅうしゃく 9]。エース・岡林おかばやし洋一よういち先発せんぱつてたヤクルトがわには「いたくもないはらさぐられたくない」という事情じじょうもあった。どうチーム選手せんしゅ会長かいちょうであったはたは「(4にちは)中日ちゅうにちったのに、巨人きょじんに4連敗れんぱいでは野球やきゅうファンにもうわけない。(中略ちゅうりゃく)あとは8にちりょうチームに頑張がんばってもらうだけです」とコメントをのこしている[6]

試合しあい終了しゅうりょう時点じてんでの状況じょうきょう[編集へんしゅう]

6にち試合しあい終了しゅうりょうした時点じてん巨人きょじん中日ちゅうにちりょうチームはともに129試合しあい消化しょうかし、勝敗しょうはいすうが69しょう60はいならんだ[注釈ちゅうしゃく 10]りょうチームともにのこ試合しあいは10月8にち直接ちょくせつ対決たいけつのみとなり、この試合しあい勝利しょうりしたチームがセ・リーグ優勝ゆうしょう決定けっていすることになった[注釈ちゅうしゃく 11]同率どうりつならんだ2チームがレギュラーシーズン最終さいしゅうせん直接ちょくせつ対戦たいせんしてリーグ優勝ゆうしょう日本にっぽんシリーズ出場しゅつじょうけんめるケースはプロ野球やきゅう史上しじょうはつ出来事できごとであり[注釈ちゅうしゃく 12]現在げんざいもレギュラーシーズン公式こうしきせん(クライマックスシリーズなどのプレーオフはのぞく)でこのような状況じょうきょう発生はっせいしていない。当時とうじ規則きそくではさい試合しあいせい採用さいようしていたため、この試合しあいけにわった場合ばあい再度さいど直接ちょくせつ対決たいけつによってリーグ優勝ゆうしょう決定けっていすることになっていた。

10月6にち試合しあい終了しゅうりょうした時点じてんでのセ・リーグの順位じゅんい以下いかとおり。首位しゅいから最下位さいかいまでが8.5ゲームおさまっている(前後ぜんごとしとの比較ひかく[注釈ちゅうしゃく 13])。

順位じゅんい 球団きゅうだんめい 勝利しょうりすう 敗戦はいせんすう 引分ひきわけすう 1との
ゲーム
のこ試合しあいすう
1 中日ちゅうにちドラゴンズ 69 60 0 - 1
1 読売よみうりジャイアンツ 69 60 0 - 1
3 広島東洋ひろしまとうようカープ 66 63 0 3.0 1
4 阪神はんしんタイガース 62 68 0 7.5 ぜん日程にってい終了しゅうりょう
5 横浜よこはまベイスターズ 61 68 0 8.0 1
6 ヤクルトスワローズ 60 68 0 8.5 2

10.8[編集へんしゅう]

試合しあい直前ちょくぜん[編集へんしゅう]

ホームチームで「いついた」がわ中日ちゅうにち監督かんとく高木たかぎ以下いか当日とうじつわらず「ここまできたらつ」というように[7]普段ふだんどおりの姿勢しせいのぞむことをめていた。

ビジターチームで「いつかれた」がわ巨人きょじんは、球場きゅうじょうりをひかえた当日とうじつひる宿舎しゅくしゃにておこなったミーティングが、監督かんとく当時とうじ)の長嶋ながしま茂雄しげお選手せんしゅたいして「おれたちはつ」を連呼れんこするという異例いれいのものであった。さらに、中日ちゅうにち先発せんぱつ予想よそうされた今中いまなか慎二しんじどうシーズン唯一ゆいいつ攻略こうりゃくした試合しあい[注釈ちゅうしゃく 4]ビデオ前日ぜんじつ名古屋なごやりしてからかえせ、選手せんしゅたちにイメージをけた[8]今中いまなかは、どうここまでのたい巨人きょじんせんが5しょう2はい1セーブポイント防御ぼうぎょりつ2.45[9]地元じもとたい巨人きょじんせんでは11連勝れんしょうちゅうであり「巨人きょじんキラー」とばれた[10])。じつはこの時点じてん巨人きょじんスコアラーじん今中いまなか投球とうきゅうくせ見破みやぶっており、スコアラーの一人ひとりだった三井みつい康浩やすひろ長嶋ながしまから「三井みつい、なんとかして今中いまなか方法ほうほうはないか?」とかれ、そのくせ前日ぜんじつミーティングで公開こうかいした[11]

チームない雰囲気ふんいきについて松井まつい秀喜ひでき後年こうねんおぼえているのはぼくからて、落合おちあいさんやげんさんのほうが、ものすごめた空気くうきっていたことですね。(中略ちゅうりゃく)(ミーティング)みんな、すご高揚こうようしてバスにんだんです」とべている[12]。なお、松井まついべた球場きゅうじょうくバスにさいは、報道陣ほうどうじんやファンがおおあつまり、「(人並ひとなみを)かきわけるようにして」という状態じょうたいであった[13]

長嶋ながしまが「国民こくみんてき行事ぎょうじ」とんだ試合しあいがりは、取材しゅざいおとずれた報道陣ほうどうじんおおさや警備けいび厳重げんじゅうさにもあらわれた。報道陣ほうどうじんについて今中いまなか後年こうねん見覚みおぼえのないかおおおく、報道陣ほうどうじんそのもののおおさにおどろいたこと、さらにそのせっかた取材しゅざいというかんじではなく、「『頑張がんばってね、応援おうえんしてるから』まるで一人ひとりのファンのように、はなしかけられる」とべている[14]球審きゅうしんつとめた小林こばやしあつしも、後年こうねん報道陣ほうどうじんおおさについてべている[15]警備けいび体制たいせい過去かこ事例じれい[注釈ちゅうしゃく 14] [注釈ちゅうしゃく 15]まえ、巨人きょじん試合しあいった場合ばあいとう中日ちゅうにちファンの乱入らんにゅうそなえた厳重げんじゅうなものであった。

りょうチームが試合しあいぜん練習れんしゅうえたグラウンドでは、試合しあい開始かいしまでのあいだに9月の月間げっかんMVP選出せんしゅつされた[17]大豊たいほう泰昭やすあき山本やまもとあきら表彰ひょうしょうおこなわれ、18:00の試合しあい開始かいしとなった[18]

当時とうじ報道ほうどう[編集へんしゅう]

ここでは、おも中日ちゅうにち巨人きょじん試合しあい放送ほうそうしたテレビ局てれびきょく系列けいれつことなる機関きかんによる当時とうじ報道ほうどうから、当時とうじ社会しゃかいてき注目ちゅうもく中心ちゅうしん掲載けいさい以下いか同名どうめい段落だんらくについておなじ)。つぎのものからも、試合しあいそのものはもとより球場きゅうじょう内外ないがい整理せいり警戒けいかい警備けいび市中しちゅう関係かんけい状況じょうきょう参照さんしょう)、選手せんしゅたちとうへの注目ちゅうもくほうじられている。なお、広島ひろしまけん1994ねんアジア競技きょうぎ大会たいかい開催かいさいちゅうでのことであった。

日本経済新聞にほんけいざいしんぶん
1994ねん10がつ7にちづけ紙面しめんによると「6にちのヤクルトせん直後ちょくご長嶋ながしま監督かんとくは『130試合しあい決着けっちゃくだ。こんな試合しあいができる選手せんしゅしあわせですよ』とコメントした」とあるが、この記事きじをまとめた記者きしゃは「監督かんとくほどの英雄えいゆうぞろいでない選手せんしゅたちは『しあわせ』な気持きもちで決戦けっせんのぞめるだろうか」とべた[19]
翌日よくじつづけ紙面しめんでは、1めんコラム「春秋しゅんじゅう」で「巨人きょじん中日ちゅうにち。(中略ちゅうりゃく)(だいリーグストライキなかである)熱心ねっしん米国べいこく野球やきゅうファンもうならせる堂々どうどうたる試合しあいせてほしい」とべ、日本にっぽんのプロ野球やきゅうにとどまらない社会しゃかいてき注目ちゅうもく対象たいしょうであるようなことをべた。同日どうじつづけ日経にっけいスポーツめんは「栄光えいこうかゼロかきょうだいいちばん」という見出みだしで「客観きゃっかんてきれば中日ちゅうにち有利ゆうりえそうだ」とした。なお、この記事きじは「槙原まきはら先発せんぱつ起用きようし、勝負しょうぶどころで桑田そうでん救援きゅうえん使つかったほう得策とくさくといえよう」ともべている[20]
同日どうじつづけ日経にっけい夕刊ゆうかん)では「DG決戦けっせん れない ナゴヤ球場きゅうじょう異例いれいの11開門かいもん」と球場きゅうじょう周辺しゅうへんひと密集みっしゅうして危険きけん状況じょうきょうにあったため繰上くりあげて開門かいもんしたという社会しゃかい事象じしょう場内じょうない整理せいり大変たいへんさとしてほうじた[21]
毎日新聞まいにちしんぶん
10月8にちづけ夕刊ゆうかんは「DG決戦けっせんナゴヤもえゆ」との見出みだしで、「入場にゅうじょうけんれられなかったファンは、道路どうろダフに、必死ひっしこえけていた」「署員しょいんひゃくじゅうにん夜通よどおしで(繁華はんかがいとうの)警戒けいかいにあたる」など、やはり社会しゃかい事象じしょう警備けいびとう問題もんだいとしてほうじた[22]
朝日新聞あさひしんぶん
10月8にちづけ同紙どうしは、総合そうごうめんで「まなざしあつ舞台裏ぶたいうら」と、監督かんとく球場きゅうじょうテレビ局てれびきょく関連かんれんセールの状況じょうきょうほうじた。試合しあい放送ほうそうするフジテレビジョン関係かんけいしゃ過去かこのプロ野球やきゅうでの最高さいこう視聴しちょうりつを「一気いっき更新こうしんしたい」と意気込いきごんでいるむね内容ないようもある[23]
地方紙ちほうし
たとえば山形やまがた新聞しんぶんにおいては、10月8にちづけの1めんコラム「談話だんわしつ」が「特別とくべつなファンでなくとも注目ちゅうもくせざるをない」とべて、1973ねん巨人きょじん阪神はんしん優勝ゆうしょうあらそいと関連かんれんづけたはなし記載きさい[24]同日どうじつづけ夕刊ゆうかんが1めんコラム「口笛くちぶえ」で「(前略ぜんりゃく徹夜てつやいとわぬ長蛇ちょうだのファン。ごたえある試合しあいをどうぞ」とべるなど関心かんしんたかさがられた。[注釈ちゅうしゃく 16]
スポーツ
日刊にっかんスポーツ(ニッカン)、スポーツニッポン(スポニチ)ともに、10月8にちづけのトップはすうめんにわたってこの試合しあいについての記事きじめられていた[注釈ちゅうしゃく 17]。1973ねん阪神はんしんたい巨人きょじん最終さいしゅう決戦けっせん[注釈ちゅうしゃく 18]関連かんれんづけて、同年どうねん当時とうじ関係かんけいしゃとして、ニッカンは1めん川上かわかみ哲治てつじ(1973ねん当時とうじ 巨人きょじん監督かんとく)の、スポニチは2めんもり祇晶ぎしょうどう 巨人きょじん選手せんしゅ、1994ねん当時とうじ西武せいぶ監督かんとく)、田淵たぶち幸一こういち(1973ねん当時とうじ 阪神はんしん選手せんしゅ)のコメントを掲載けいさいした。

試合しあい経過けいか[編集へんしゅう]

序盤じょばん[編集へんしゅう]

中日ちゅうにち先発せんぱつ投手とうしゅは、上記じょうき巨人きょじんがわ、さらに上記じょうき引用いんよう10がつ8にちづけ日経にっけいなどの新聞しんぶんおおくが「今中いまなか先発せんぱつ」を前提ぜんてい分析ぶんせき予想よそうしていたが、それが的中てきちゅうするかたちとなった。巨人きょじん槙原まきはら先発せんぱつした。

1かいうら中日ちゅうにち先頭せんとう打者だしゃ清水しみず雅治まさはる右中間うちゅうかん二塁打にるいだはなつが、つづ小森こもり哲也てつやおくりバントこころみるも空振からぶりし、そのさい二塁にるい走者そうしゃ清水しみずしてきょじん捕手ほしゅ村田むらた真一しんいち送球そうきゅうでタッチアウト(記録きろく盗塁とうるい)。その小森こもり右前みぎまえ安打あんだ、3ばん立浪たつなみ和義かずよし死球しきゅう一死いっしいち二塁にるいとチャンスをつくるが、4ばん大豊たいほう二塁にるいゴロ併殺へいさつ無得点むとくてんとなった。大豊たいほう打球だきゅうはマウンドの槙原まきはらよこはやたまあしけるいわゆる「ピッチャーがえし」の打球だきゅうだったが、二塁にるいベースりにまもっていた巨人きょじん二塁手にるいしゅ元木もとき大介だいすけがこれを正面しょうめんたま併殺へいさつとした。ひだりちプルヒッターである大豊たいほう打席だせきいち塁間るいかんめてまもるチームがおおなかえて二塁にるいベースりの位置いちまもった元木もとき当日とうじつのテレビ中継ちゅうけい解説かいせつをしていたいたるがわ光男みつお鈴木すずき孝政たかまさ激賞げきしょうした。この実況じっきょう担当たんとうした吉村よしむらいさお東海とうかいテレビアナウンサー)はのち著書ちょしょなかで「中日ちゅうにちの1かいうら攻撃こうげきがすべてのようながする」とかたっている[26]元木もとき自著じちょで、緊張きんちょうのあまりいち塁間るいかんめることを失念しつねんしていたむねいている[27])。

2かいひょう巨人きょじん落合おちあい博満ひろみつのソロ本塁打ほんるいだ槙原まきはら内野ないやゴロのあいだ三塁さんるい走者そうしゃ生還せいかんで2てん先制せんせいしたが、そのうら中日ちゅうにち槙原まきはらたいして、4連続れんぞく安打あんだ外野がいやしゅダン・グラッデン失策しっさくにより同点どうてんいついた。巨人きょじんは、これをけて投手とうしゅ斎藤さいとう交代こうたい。このとき地元じもと中日ちゅうにちファンのおおいスタンドは総立そうだちとなった[18]斎藤さいとうはさらにつづ無死むし走者そうしゃいち二塁にるいというピンチを今中いまなかバント失敗しっぱい三塁さんるい封殺ふうさつ記録きろく投手とうしゅゴロ)、二塁にるい走者そうしゃ中村なかむら武志たけし走塁そうるい(アウトカウントを間違まちがえたという[10][注釈ちゅうしゃく 19]とうけ、その変化球へんかきゅうひくめにあつめてたせてとる投球とうきゅうで5かいを1失点しってんおさえた[29]。なお、ここで中村なかむら牽制けんせいだまとうじた捕手ほしゅ村田むらた前記ぜんきのとおり1かいうら小森こもりのバントのうごきでしてしまった二塁にるい走者そうしゃ清水しみず送球そうきゅうでアウトとし、ピンチ脱出だっしゅつ貢献こうけんしている[30]

3かいひょう巨人きょじん松井まついのバント[注釈ちゅうしゃく 20]二塁にるいおくった走者そうしゃ落合おちあい適時てきじかえして1てんした。今中いまなかは、味方みかた同点どうてんいついた直後ちょくご落合おちあいにこの適時てきじたれたショックが点差てんさ、イニングにかかわらずおおきかったむねべている[10][32]。なお、落合おちあいは3かいうら立浪たつなみのゴロをたまさいあしすべらせ、このかい終了しゅうりょう負傷ふしょう退場たいじょう[注釈ちゅうしゃく 21]している。落合おちあい退場たいじょうしたためいた一塁いちるいには三塁手さんるいしゅはらはいり、いた三塁さんるいにはあらたに岡崎おかざきいくはいった。さらにきょじんは、4かいひょう村田むらたヘンリー・コトー本塁打ほんるいだで2てん追加ついかし、3てん点差てんさをつけた。今中いまなかは4かいうら打順だじゅん代打だいだおくられ降板こうばんした。

中日ちゅうにち試合しあいぶりについて、はらたつとくは「(試合しあいはじまり)『これはいつものドラゴンズじゃないな』とすぐにわかった。かれらもプレッシャーをかんじていたんですね」と[31]川相かわい昌弘まさひろも「試合しあいまえ笑顔えがおられた中日ちゅうにちナインでしたが、いざ試合しあいはじまってみると緊張きんちょうしばられていたのはドラゴンズのほうでした」[33]かえっている。10月12にちづけ東京とうきょう新聞しんぶん中日ちゅうにち系列けいれつ)19めん12はんのコラム「デスクはつ」は「ミスがあれだければだい試合しあいにはてない」とひょうした[注釈ちゅうしゃく 22]

中盤ちゅうばん終盤しゅうばん[編集へんしゅう]

5かいひょう巨人きょじん松井まつい本塁打ほんるいだで1てん追加ついか。これにたい中日ちゅうにちは6かいうら彦野ひこの利勝としかつ適時てきじで1てんかえし、3てんのまま試合しあい終盤しゅうばんはいった。

巨人きょじんは7かいうらから桑田くわた真澄ますみ投入とうにゅうした。8かいうら中日ちゅうにち先頭せんとう打者だしゃ立浪たつなみ一塁いちるいにヘッドスライディングして出塁しゅつるい内野ないや安打あんだ)したものの、左肩ひだりかた脱臼だっきゅうして負傷ふしょう退場たいじょうした(球団きゅうだん史上しじょう位置いちづけとう[注釈ちゅうしゃく 23][注釈ちゅうしゃく 24][注釈ちゅうしゃく 25])。立浪たつなみ退場たいじょうしたため立浪たつなみ代走だいそうとして鳥越とりこし裕介ゆうすけ出場しゅつじょうした。その走者そうしゃ2人ふたりるいじょういて「本塁打ほんるいだれば同点どうてん」という場面ばめんつくったが無得点むとくてんわった。9かいひょう巨人きょじん先頭せんとう打者だしゃ川相かわいバックスクリーンまえへの打球だきゅう本塁打ほんるいだみとめられず、三塁打さんるいだとなり長嶋ながしま監督かんとく抗議こうぎする場面ばめんがあったが[注釈ちゅうしゃく 26]、すぐに[注釈ちゅうしゃく 27]結局けっきょく追加ついかてんはなかった。

優勝ゆうしょう決定けってい[編集へんしゅう]

9かいうら二死にし小森こもり空振からぶ三振さんしんたおれて中日ちゅうにち最後さいご打者だしゃとなって、6 - 3で巨人きょじん勝利しょうり試合しあい終了しゅうりょう、リーグ優勝ゆうしょう決定けっていした。ニッカンによると、時刻じこくは2122ふん35びょうであった(中断ちゅうだんがあったため、試合しあい時間じかんは3あいだ14ふん)。巨人きょじんがわは、プロ野球やきゅう優勝ゆうしょう決定けっていさいしてよくられるように、マウンド付近ふきん監督かんとく長嶋ながしま胴上どうあげしたのち、グラウンドをまわった。

中日ちゅうにちがわは、2006ねん刊行かんこうの『中日ちゅうにちドラゴンズ70ねん』で、「この史上しじょうはつ歴史れきしてきゲームに参加さんかするよろこびに選手せんしゅたちはえ、全国ぜんこくのファンは堪能たんのうした」と位置いちづけている。なお、同書どうしょp.128「巨人きょじんせんめい勝負しょうぶへん」にはこの試合しあいについては掲載けいさいされていない。

りょうチームの投手とうしゅ起用きようについて[編集へんしゅう]

当時とうじ巨人きょじんの「先発せんぱつさんほんばしら」としょうされた3にんは、前述ぜんじゅつ10がつ6にち試合しあい斎藤さいとう先発せんぱつで6イニング槙原まきはらが0イニングをげ、のこ桑田そうでんは5にち試合しあい先発せんぱつ登板とうばんして8イニングをげていた。このうち斎藤さいとう桑田くわたについては後述こうじゅつのように8にち時点じてん疲労ひろうのこっており、巨人きょじん投手とうしゅ起用きよう注目ちゅうもくあつまった[39][注釈ちゅうしゃく 28]が、巨人きょじんは「先発せんぱつさんほんばしら」を槙原まきはら - 斎藤さいとう - 桑田くわたじゅん継投けいとうさせるそう力戦りきせんのぞんだ。これにたい中日ちゅうにち今中いまなか降板こうばん山本やまもとあきら投手とうしゅじんの「ふだ」を温存おんぞんする起用きようほうをとった。落合おちあい著書ちょしょ『プロフェッショナル』のなかでこれを「意気込いきごみのちがい」とひょうしているが[注釈ちゅうしゃく 29]山本やまもとあきらは「(ひか投手とうしゅには)みなもとおさむさんも佐藤さとうもいる(ちゅう:佐藤さとう登板とうばんした)」「ぼくも(ブルペンで投球とうきゅう練習れんしゅうもしたし)げたくなかったわけじゃありません」とべている[10]

なお、中日ちゅうにちがわから巨人きょじん投手とうしゅ起用きようについて、シーズンオフに中日ちゅうにち選手せんしゅたちのはなしいた山際やまぎわ淳司あつしは「ドラゴンズがわにとっての問題もんだいは、どこで桑田くわた登板とうばんするか、ということだった。ドラゴンズの選手せんしゅたちにいわせると、おさえのふだとして、桑田くわた最後さいごにマウンドにがってくるのがいやだった、という。(中略ちゅうりゃく点差てんさはともあれ、ゲーム終盤しゅうばんの、集中しゅうちゅうりょく要求ようきゅうされる場面ばめん桑田くわた本来ほんらいちから発揮はっきしたとき、めづらくなる……。」というエピソードをしるしている[40]

前述ぜんじゅつのように斎藤さいとうちゅう1にち桑田くわたちゅう2にちでの登板とうばんとなった。登板とうばんげられたとき心境しんきょうについて斎藤さいとうは「ちゅう1にちだったし、出番でばんはないとおもっていたけど、ブルペンで(中略ちゅうりゃく)コーチが『おい、斎藤さいとう』と。おもわずこえないフリをした」とべている[29]。しかし斎藤さいとうは10月6にち試合しあい右足みぎあしないてんすじいためていたことから、投手とうしゅコーチだった堀内ほりうち恒夫つねお本音ほんねでは斎藤さいとう登板とうばんさせたくなかったと後年こうねんかえっている[41]桑田くわた試合しあい前夜ぜんや長嶋ながしま監督かんとくからされ、「しびれるところで、いくぞ」といわれていたという。5にち前回ぜんかい登板とうばん先発せんぱつ)は、チームの指示しじで8にちそなえるため、完封かんぷうのかかった9かい回避かいひ降板こうばんしていた。ただ、桑田くわたは、後日ごじつ、「(登板とうばん準備じゅんび十分じゅうぶんであったが、せまいナゴヤ球場きゅうじょうとう条件下じょうけんかで)正直しょうじきにいうと、こわかった。(中略ちゅうりゃくからだは、つかれでバリバリ」とべている[42]

スコア[編集へんしゅう]

s:10.8決戦けっせんのとおり、りょうチームとも、シーズン終了しゅうりょうのチーム打率だりつ、チーム防御ぼうぎょりつどう程度ていどであり、双方そうほうのチームりょく近接きんせつられる[18]

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
巨人きょじん 0 2 1 2 1 0 0 0 0 6 12 3
中日ちゅうにち 0 2 0 0 0 1 0 0 0 3 11 0
  1. きょ槙原まきはら(1かい0/3)、斎藤さいとう(5かい)、桑田くわた(3かい
  2. なか今中いまなか(4かい)、山田やまだ(0かい0/3)、佐藤さとう(3かい)、野中のなか(2かい
  3. かち斎藤さいとう(14しょう8はい)  はい今中いまなか(13しょう9はい3S)  S桑田くわた(14しょう11はい1S)  
  4. 本塁打ほんるいだ
    きょ落合おちあい15ごうソロ(今中いまなか)、村田むらた10ごうソロ(今中いまなか)、コトー18ごうソロ(今中いまなか)、松井まつい20ごうソロ(山田やまだ
  5. 審判しんぱん
    球審きゅうしん小林こばやしあつし
    塁審るいしん井上いのうえ福井ふくい山本やまもと
  6. 試合しあい時間じかん:3あいだ14ふん中断ちゅうだん:8ふん

出場しゅつじょう選手せんしゅ[編集へんしゅう]

巨人きょじん
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[なか]H.コトー
なかしきよう
2[ゆう]川相かわい昌弘まさひろ
3[みぎ]松井まつい秀喜ひでき
4[いち]落合おちあい博満ひろみつ
さん岡崎おかざきいく
5[さん]いちはらたつとく
6[ひだり]D.グラッデン
ひだり緒方おがた耕一こういち
7[]元木もとき大介だいすけ
8[]村田むらた真一しんいち
9[とう]槙原まきはらひろしおのれ
とう斎藤さいとう雅樹まさき
とう桑田くわた真澄ますみ
中日ちゅうにち
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[ひだり]清水しみず雅治まさはる
2[]小森こもり哲也てつや
3[ゆう]立浪たつなみ和義かずよし
はしゆう鳥越とりこし裕介ゆうすけ
4[いち]大豊たいほう泰昭やすあき
5[なか]A.パウエル
6[さん]ひとしむらとおる
7[みぎ]彦野ひこの利勝としかつ
8[]中村なかむら武志たけし
9[とう]今中いまなか慎二しんじ
D.ジェームズ
とう山田やまだ喜久夫きくお
とう佐藤さとう秀樹ひでき
川又かわまたべい
とう野中のなかとおるはく
前原まえはら博之ひろゆき

球場きゅうじょうない雰囲気ふんいき[編集へんしゅう]

この試合しあいでの、りょうチームベンチない雰囲気ふんいきについて、りょうチームの先発せんぱつ投手とうしゅであった今中いまなか槙原まきはら以下いかのようにべている。

  • 今中いまなか)あの試合しあいは、かえってグラウンドにっていない選手せんしゅほう元気げんきがよかったがします[10]
  • 槙原まきはら自分じぶん自身じしんはふがいない投球とうきゅうだったのにけたってのが不思議ふしぎですね。(中略ちゅうりゃく一緒いっしょにやっているチームメイトに感動かんどうしました[43]

球場きゅうじょう全体ぜんたい雰囲気ふんいきについて糸井いといしげるさとは、後日ごじつ松井まついとの対談たいだんつぎ「おきゃくさんが緊張きんちょうしてたもんね。(中略ちゅうりゃく)ワーワーさわいでいるんだけど、時々ときどきピタッとまる(笑)」とべている[34]球場きゅうじょう観戦かんせんしていた当時とうじオリックス・ブルーウェーブイチローは、「こんなすごい雰囲気ふんいき試合しあいできるなんて、うらやましい。いち野球やきゅうファンとして、のめりんでました」とべた[18]。なおイチローは、地元じもと愛知あいちけん球団きゅうだんである中日ちゅうにち応援おうえんのために巨人きょじんがわとされる三塁さんるいがわ観戦かんせんしたが[44]、その存在そんざい気付きづいた中日ちゅうにちファンから代打だいだ出場しゅつじょうせまられ[18]記者きしゃせきに「退避たいひ」した[45]関係かんけいしゃ著書ちょしょでは、「異様いよう」という言葉ことばが、今中いまなかいはあります。』、桑田くわた桑田くわた真澄ますみというかた』、川相かわい明日あしたへのおくりバント』にもちいられている。

さきパシフィック・リーグ優勝ゆうしょう1994ねん日本にっぽんシリーズ出場しゅつじょう決定けっていさせ、この試合しあい勝者しょうしゃ日本一にっぽんいちあらそうこととなっていた西武せいぶライオンズからは、当時とうじのヘッドコーチであったもり繁和しげかずをはじめ、チーム関係かんけいしゃ大挙たいきょして視察しさつおとずれていた[46]。この試合しあい中日ちゅうにちった場合ばあい、ともに岐阜ぎふけん岐阜ぎふ出身しゅっしん中日ちゅうにち高木たかぎ西武せいぶもり祇晶ぎしょうりょう監督かんとくによる日本にっぽんシリーズになっていた[注釈ちゅうしゃく 30]ことから、地元じもと岐阜ぎふでは期待きたいたかまっており、中日ちゅうにち敗北はいぼく実現じつげんしなかったことを残念ざんねんがるこえもあった[48]

関係かんけいしゃとうのコメント[編集へんしゅう]

  • 落合おちあいについては、同年どうねん中日ちゅうにちから巨人きょじん移籍いせきしたもので、毎日新聞まいにちしんぶん再三さいさんにわたり「真価しんかわれる」とべていたことにもあらわれるような状況じょうきょうにあったため、「くまいとおもっていたが、(自然しぜんなみだてしまった)」というコメントをした[49]。なお、東京とうきょう新聞しんぶん(10がつ12にちづけ東京とうきょう新聞しんぶん19めん12はん)は、「あの史上しじょうはつ最終さいしゅう決戦けっせんかれ真骨頂しんこっちょうた」とひょうした。落合おちあいは、後年こうねん自著じちょ『プロフェッショナル』 (p.268) で、自分じぶん信念しんねんとして、つぎのとおりべている。
    ペナントレースにしろタイトルあらそいにしろ、わずかでも数字すうじたかもの勝者しょうしゃとする場合ばあいは、リードしているほう絶対ぜったい有利ゆうりである。(中略ちゅうりゃく精神せいしんてき重圧じゅうあつは、あきらかにものほうがきついとえる。ならば、リードしているもの精神せいしんてき余裕よゆうってたたかえる(中略ちゅうりゃく)はずだ。
  • はらは、2007ねん刊行かんこうの『巨人軍きょじんぐん5000しょう記憶きおく』で、この時点じてん巨人きょじん監督かんとくとしてのメッセージのなかで、この試合しあいについて「正直しょうじき、あの心境しんきょう二度にどあじわいたくないですね。(中略ちゅうりゃく巨人軍きょじんぐん5000しょうというわくえた、もっと印象いんしょうのこる、しかし二度にど経験けいけんしたくはない1しょうでした」とべている (p.6 - ) 。
  • 大豊たいほう中日ちゅうにちよんばん打者だしゃとして、「(巨人きょじんよんばん打者だしゃであった)落合おちあいさんはホームランとタイムリーという試合しあいながれをめるはたらきをした。自分じぶんは1かい併殺へいさつすべてがわり1ほんのヒットもつことが出来できなかった。(中略ちゅうりゃく)4ばんけた。それだけではないとおもいますが、4ばん打者だしゃひとつのおおきな敗因はいいんだった」とかえっている[50]
  • 中日ちゅうにちで8かいから2イニングをげた野中のなかとおるはくは、この登板とうばんを、プロ野球やきゅう生活せいかつ一番いちばんおも、とべている[51]
  • 球審きゅうしんつとめた小林こばやしは、のちに「球審きゅうしん当時とうじ審判しんぱん役員やくいん推薦すいせんによりまり、すごくうれしかった。あの球場きゅうじょうりすると異様いよう雰囲気ふんいきマスコミ日本にっぽん各地かくちからあつまったかんじ。しかし、試合しあいはじまるとおもったほど緊張きんちょうしなかったし、試合しあい終了しゅうりょう川島かわしまこうもりセ・リーグ会長かいちょう当時とうじ)が審判しんぱんいん記録きろくいん食事しょくじれてってくれた」「大事だいじ試合しあい無事ぶじにこなせたという充実じゅうじつかんでいっぱいでした」とべている。一方いっぽうで、「特別とくべつなゲームだからとって、なにかしないといけないというわけではない」「りょうチーム、ファンとおな温度おんどでいては、冷静れいせい判定はんていけっしてできませんから」と、審判しんぱんのありかたについてもべている[15]
  • 西武せいぶライオンズ監督かんとく当時とうじ)のもり祇晶ぎしょうは、「並大抵なみたいてい相手あいてじゃない」とう内容ないようのコメントをし、それにかかる報道ほうどうなかには、「(長嶋ながしま監督かんとく)そのひと意識いしきしてもらした言葉ことばのようにかんじられる」としたものもあった[52]

りょうチームの監督かんとく[編集へんしゅう]

対戦たいせんりょうチームの監督かんとくだった2人ふたりは、後年こうねんつぎのとおりべている。

  • 高木たかぎ屈辱くつじょくいちせんだった。ああいう試合しあい特別とくべついままでとおりやればいいとおもってしまった。経験けいけんりなかった。巨人きょじん主力しゅりょく投手とうしゅをすべて使つかった。わたしは(山田やまだ野中のなか使つかい)山本やまもとあきらかく使つかれなかった。いがのこります[53]
  • 長嶋ながしま監督かんとくとして一番いちばん印象いんしょうのこ試合しあいわれれば、この10.8以外いがいにない。1ゲームをったけたで1ねん優劣ゆうれつまる。これほど過酷かこく試合しあいはない。敗者はいしゃになれば地獄じごくとされるこわさがあった[54]

警備けいび市中しちゅう関係かんけい状況じょうきょう[編集へんしゅう]

前述ぜんじゅつのように球場きゅうじょうない警戒けいかい態勢たいせい厳重げんじゅうで、試合しあい終了しゅうりょう直後ちょくごは、外野がいやフェンスにけて平行へいこうして警備けいびいんなら光景こうけい放映ほうえいされたような状態じょうたいで、当時とうじ新聞しんぶん記事きじなかには、試合しあい終了しゅうりょうグラウンドになだれむファンがいなかったことを特筆とくひつしているものも複数ふくすうある[55]球場きゅうじょうがわ警備けいび担当たんとうしゃは、「無事ぶじわってホッとしています。試合しあいまえがチクチクしていたんですよ。(ファンの乱闘らんとうなどの)トラブルもなくてかったです」とべた。巨人きょじんがわは、上記じょうき胴上どうあとうのち無事ぶじに、宿舎しゅくしゃ用意よういされた祝勝しゅくしょう会場かいじょうかった[18]

前述ぜんじゅつのように球場きゅうじょう周辺しゅうへん繁華はんかがいでは、愛知あいち県警けんけい警官けいかん110にん夜通よどおしで警戒けいかいにあたった[56]が、特段とくだん騒動そうどうこらなかった。野球やきゅう中継ちゅうけいようのテレビ5だい設置せっちされた松坂屋まつざかや本店ほんてんには試合しあい終了しゅうりょうやく2000にんのファンがあつまっており、同店どうてんは、用意よういしたやく2500ほんかんビールとたるしゅを"なみだしゅ"としてファンにふるまった[57]

なお、JR東海とうかい東海道とうかいどうせん尾頭橋おとうばしえき翌年よくねん3月16にち開業かいぎょうにより、廃止はいしまっていた臨時りんじえきナゴヤ球場きゅうじょう正門せいもんまええきは、この試合しあい最終さいしゅう営業えいぎょうであった。かり中日ちゅうにち勝利しょうりしてセ・リーグ優勝ゆうしょうめていた場合ばあい日本にっぽんシリーズ期間きかんちゅうまでえき営業えいぎょう継続けいぞくする予定よていだったが[58]中日ちゅうにちやぶれたため当初とうしょ予定よていどおりこの試合しあいをもって営業えいぎょう終了しゅうりょうし、はいえきとなった。

試合しあい中継ちゅうけい[編集へんしゅう]

試合しあい東海とうかいテレビ(フジテレビ系列けいれつ中日ちゅうにち主管しゅかん試合しあい担当たんとうきょく)とフジテレビ共同きょうどう制作せいさく日本にっぽん全国ぜんこくフジテレビ系列けいれつ各局かくきょく一部いちぶ地域ちいきのぞく)[注釈ちゅうしゃく 16]において1830ふん(ただ、実際じっさいには18からのニュース番組ばんぐみFNNスーパータイム』でも中継ちゅうけいしていた[59][注釈ちゅうしゃく 31])よりテレビでなま中継ちゅうけいされ、土曜日どようびのナイターということもあり、関東かんとう地区ちくでの視聴しちょうりつビデオリサーチ調しら[60])はプロ野球やきゅう中継ちゅうけい史上しじょう最高さいこうの48.8%を記録きろく[61]瞬間しゅんかん最高さいこう視聴しちょうりつも67%を記録きろくした。前記ぜんきとお解説かいせついたるがわ光男みつお鈴木すずき孝政たかまさ実況じっきょう東海とうかいテレビアナウンサーの吉村よしむらいさおつとめた。レポーターは一塁いちるいがわ宗宮むねみや修一しゅういち(東海とうかいテレビアナウンサー)、三塁さんるいがわ田中たなか亮介りょうすけ(フジテレビアナウンサー)。吉村よしむら中止ちゅうしとなった9月27にちと29にち実況じっきょう担当たんとうする予定よていであったといい[62]結果けっかてきにはスライドで担当たんとうすることとなった。

当初とうしょ東海とうかいテレビは録画ろくが中継ちゅうけい対応たいおうする予定よていであったが、10月6にち夕方ゆうがた急遽きゅうきょなま中継ちゅうけい決定けってい吉村よしむらは、ゴルフ東海とうかいクラシック同月どうげつ8にちと9にち実況じっきょう担当たんとうする予定よていであったが、8にち担当たんとう植木うえき圭一けいいち交代こうたいしてほん試合しあい実況じっきょうのぞむこととなり、野球やきゅうとゴルフの両方りょうほう実況じっきょう準備じゅんびのため、なま中継ちゅうけいまったから2日間にちかんほとんど睡眠すいみんがとれず、また8にち当日とうじつ東海とうかいクラシックの会場かいじょうである三好みよしカントリー倶楽部くらぶでの取材しゅざい14ぎにナゴヤ球場きゅうじょうはいったという[63]。さらに、吉村よしむら球場きゅうじょうでの実況じっきょうえたのち名古屋なごや市内しないのホテルで、よく9にちはそのまま担当たんとうする東海とうかいクラシックの準備じゅんびをしていたが、そのホテルが巨人きょじん名古屋なごや遠征えんせい定宿じょうやどのホテルであったため、祝勝しゅくしょうかい様子ようすりていくとそこで落合おちあい遭遇そうぐう吉村よしむら部屋へや番号ばんごういた落合おちあい祝勝しゅくしょうかい終了しゅうりょう吉村よしむら部屋へやおとずれて30ふんほど2人ふたりんだといい、そのさいに「ってよかった。もし、けていたらおれ巨人きょじんめるつもりだった。って本当ほんとうかった。明日あした頑張がんばって。」といいのこしたという[64]

この中継ちゅうけい対応たいおうするため、フジテレビでは、当初とうしょこの時間じかん放送ほうそうする予定よていだった『かそけゆう白書はくしょ』#101を10月15にち、『平成へいせい教育きょういく委員いいんかい北野きたの先生せんせいらぬ(おく下克上げこくじょうスペシャル!!』を10月29にち放送ほうそうとした。

中部なかべテレコミュニケーションは、東海ラジオ放送とうかいらじおほうそうによる当時とうじ実況じっきょうアナウンサー:犬飼いぬかい俊久としひさ)をインターネット配信はいしんしている。

この試合しあいかえ番組ばんぐみとしては、「古田ふるたあつし也のプロ野球やきゅうベストゲーム」(NHK-BS1)、「The GAME ふるえた」(BSフジ)でもげられた。

試合しあい直後ちょくご[編集へんしゅう]

中日ちゅうにちがわは、「ほとんどの選手せんしゅが、試合しあい直後ちょくご一種いっしゅ空白くうはくかんおそわれ、3にちくらいしてから、痛烈つうれつくやしさがこみあげてきたという」ほどであった[10]

当時とうじ報道ほうどう[編集へんしゅう]

下記かき記事きじはすべて翌日よくじつ、10月9にちづけ記事きじ

日本経済新聞にほんけいざいしんぶん
社会しゃかいめんで「球場きゅうじょう警備けいび総勢そうぜいせんにん厳戒げんかい体制たいせいのなか(中略ちゅうりゃく最後さいご打者だしゃとなった小森こもり内野ないやしゅ三振さんしんたおれると、ナゴヤ球場きゅうじょう異様いようなムードにつつまれた」「試合しあいちゅうは、三塁さんるいがわにも中日ちゅうにちファンがけ(以下いかりゃく)」と当日とうじつ警備けいび体制たいせい社会しゃかいてき雰囲気ふんいきほうじた[57]
毎日新聞まいにちしんぶん
社会しゃかいめんで「興奮こうふん頂点ちょうてん『ナゴヤ』がれた」との見出みだしで、著名ちょめいじん薬師寺やくしじ保栄やすえ)、一般いっぱんのファンのこえいくつも紹介しょうかいした。また、「『常勝じょうしょう巨人軍きょじんぐん』がよみがえったのではないことをおおくのひとっている」とべている[65]
朝日新聞あさひしんぶん
社会しゃかいめんで、一般いっぱんくらべてちいさいいながら「130試合しあいてき歓喜かんき」などとほうじた。また、スポーツめんでは、イチローの観戦かんせんほうじたほかに(イチローの所属しょぞくチーム(オリックス・ブルーウェーブ)の10がつ9にち試合しあい予定よていもある)、「レベルのひくさがねつまねく」「中日ちゅうにち逆転ぎゃくてん優勝ゆうしょうするとおもったんだけどな」などとろんじた[44]
地方紙ちほうし
地方ちほうでも、山形やまがた新聞しんぶん社会しゃかいめんで、「くるしみぬいたすえ優勝ゆうしょうなみだ巨人きょじんファン」とう巨人きょじんファンのよろこ様子ようす中心ちゅうしんに、松坂屋まつざかや本店ほんてん用意よういされたくすだまられることなく、祝勝しゅくしょうようたるしゅ一部いちぶなみだしゅとしてわれた様子ようすほうじた[66]
スポーツ
スポーツは、ニッカン、スポニチなど、試合しあい経過けいか結果けっか詳細しょうさいほうじたことはもとより、球場きゅうじょうやそのまわりの状況じょうきょうについてもほうじた。ニッカンは「厳戒げんかいナゴヤにトラブルなし」という小見出こみだしで無事ぶじ試合しあいわったことを特筆とくひつした[18]

同率どうりつ最終さいしゅうせんでの最下位さいかい決定けっていせん[編集へんしゅう]

10月6にち試合しあいとおり、10月4にち中日ちゅうにちせん、6にち巨人きょじんせんったヤクルト[注釈ちゅうしゃく 32]は8にち広島東洋ひろしまとうようカープせんにも勝利しょうりし、横浜よこはまベイスターズ同率どうりつ5同率どうりつ最下位さいかい)となった。これによりヤクルトと横浜よこはま最下位さいかい確定かくていする最終さいしゅう直接ちょくせつ対戦たいせんのぞんだ[67]。この試合しあいは10.8決戦けっせん同様どうように、9月30にちにセ・リーグから発表はっぴょうされた「追加ついか日程にってい」にふくまれていたもので、同年どうねんのリーグ公式こうしきせん最終さいしゅう試合しあいでもあった。

10月9にち神宮球場じんぐうきゅうじょうおこなわれたヤクルトたい横浜よこはませんはヤクルトが2-1でサヨナラち。これによりヤクルトは阪神はんしんならんで同率どうりつ4となり、横浜よこはま最下位さいかい確定かくていした。なお、優勝ゆうしょうした巨人きょじん最下位さいかい横浜よこはまのゲームは9.0であった。

高木たかぎ監督かんとく留任りゅうにん決定けってい[編集へんしゅう]

監督かんとく去就きょしゅうについて、中日ちゅうにち最終さいしゅうせん日程にってい決定けっていのとおりの事情じじょうがあったが、中日ちゅうにちスポーツの1めん高木たかぎ監督かんとく続投ぞくとう決定けってい掲載けいさいされ[68]、この試合しあい終了しゅうりょうまでの時点じてんまでには、球団きゅうだんがわ高木たかぎ慰留いりゅうつとめるむね表明ひょうめいしていた。ただ、いち球団きゅうだんがわ解任かいにん通告つうこくした経緯けいいもあり、辞意じいかたむねほうじられていた[18]。なお、巨人きょじんについても、試合しあい結果けっかほうじる10がつ9にちづけニッカンが長嶋ながしま留任りゅうにん確定かくていてきとなったむねくなど、試合しあい直前ちょくぜん時点じてんでは流動的りゅうどうてき要素ようそがあった。

高木たかぎは、上記じょうきニッカンとうでもほうじられた予定よていのとおりに10がつ11にち球団きゅうだんがわにシーズンの報告ほうこくおこなったさいにオーナー(当時とうじ)の加藤かとう一郎いちろうらからあらためて慰留いりゅうけ、13にちどうオーナーとあらためて面会めんかいして留任りゅうにんまった。高木たかぎは、そのあいだ選手せんしゅ会長かいちょう当時とうじ)の川又かわまたべい電話でんわするひとして選手せんしゅがわ気持きもちも確認かくにんしたという[4][69]

その[編集へんしゅう]

ここでは、そのにあった、この試合しあい関連かんれんする事項じこうについてしるす。

「10.8決戦けっせん」という言葉ことば[編集へんしゅう]

「10.8決戦けっせん」という言葉ことばは、ほん項目こうもく引用いんようしている10がつ8にち - 9にちづけ新聞しんぶんにはほとんどられない。試合しあいしばらくして刊行かんこうされた週刊しゅうかんベースボール1994ねん11月14にちごう小森こもり哲也てつや顕著けんちょかたちげた記事きじ[70]使用しようれいられるが、定着ていちゃくしたとえる状態じょうたいになった時期じきかならずしも明確めいかくではない。2004ねん発行はっこうされた『プロ野球やきゅう70ねん』「歴史れきしへん」p.620以下いかでも「10.8決戦けっせん」という言葉ことばふくすうかいもちいられている。

中日ちゅうにちドラゴンズ70ねん』では、「『10.8』決戦けっせん」と表記ひょうきされ、ベースボールマガジン2009ねん3がつごうでは「10.8」とされている。また『ありがとうナゴヤ球場きゅうじょう』(中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ、1996ねん)には「10.8だい決戦けっせん」としるしている。関係かんけいしゃ著書ちょしょると、「10.8決戦けっせん」という言葉ことばが、桑田くわた桑田くわた真澄ますみというかた』(1995ねん)、落合おちあい『プロフェッショナル』(1999ねん)で使用しようされている。一方いっぽう今中いまなかいはあります。』(2002ねん)は「"10.8"」と表記ひょうきしている。

一方いっぽうで、『巨人軍きょじんぐん5000しょう記憶きおく』、川相かわい明日あしたへのおくりバント』では、とく名称めいしょうをつけていない。

「10.8決戦けっせん」とむすびつけてほうじられた試合しあい[編集へんしゅう]

2008ねんの「10.8」[編集へんしゅう]

2008ねん平成へいせい20ねん)10がつ8にち東京とうきょうドームおこなわれた巨人きょじんたい阪神はんしんだい24回戦かいせんは、りょうチームとも81しょう56はい3ふんのこり3試合しあい)で同率どうりつ首位しゅい状態じょうたいでの最終さいしゅうせんであり、ったほうマジックナンバー点灯てんとうすることになっていたことから、14ねんまえいちせんにちなんで「10.8決戦けっせん」とげる報道ほうどう複数ふくすうられた[71]。1994ねん当時とうじ関係かんけいしゃとうなかで、この時点じてん巨人きょじん打撃だげきコーチであった村田むらた真一しんいちは、「しあわせなことだよ。また、こうした優勝ゆうしょうあらそいを体験たいけんできるっていうのは」とべた[72]。この試合しあいでは、巨人きょじんが3 - 1で勝利しょうりし、マジック「2」が点灯てんとう。10月10にち巨人きょじんがヤクルトに勝利しょうり阪神はんしん横浜よこはまやぶれたため巨人きょじん優勝ゆうしょう決定けっていした。

2008ねん10がつ9にちづけ河北かわきた新報しんぽう[73]は、上記じょうき2008ねん試合しあいについて、「巨人きょじんにとって10月8にちは(中略ちゅうりゃく記念きねんだ。『10.8』を選手せんしゅとしてたたかったはら監督かんとくは、そのにマジックナンバー『2』を点灯てんとうさせた」とほうじた。さらに、その記事きじ東北とうほく楽天らくてんゴールデンイーグルスかんするコラムととなわせにし、そこでは、「"前身ぜんしん"の近鉄きんてつ最終さいしゅうせんはなしをしたい。(中略ちゅうりゃく)1988ねんの『10.19の悲劇ひげき』」とし、10.19なら記事きじ配列はいれつとした。

2012ねんのクライマックスシリーズ[編集へんしゅう]

2012ねん平成へいせい24ねん10月22にちおこなわれた、クライマックスシリーズ・セ ファイナルステージだい6せん東京とうきょうドーム)は、巨人きょじん中日ちゅうにち最終さいしゅうせん日本にっぽんシリーズ出場しゅつじょうけて対戦たいせんしたこと、10.8決戦けっせん選手せんしゅとして出場しゅつじょうしたはら監督かんとくつとめる巨人きょじんと、10.8決戦けっせん当時とうじ監督かんとくで、2012ねんシーズンからふたた指揮しき高木たかぎ監督かんとくつとめる中日ちゅうにち対決たいけつであったことなどの状況じょうきょうから、試合しあいまえ試合しあいのスポーツ翌日よくじつ一般いっぱんなどで10.8決戦けっせんからめた報道ほうどう複数ふくすうられた[74]

試合しあいは、2かいうらに3てん先制せんせいした巨人きょじんが、5かい失点しってんおさえた先発せんぱつ投手とうしゅD.J.ホールトンからの中継なかつぎに、だい4せんでの先発せんぱつ以来いらいちゅう1にちでの登板とうばんとなった澤村さわむらたくいち投入とうにゅうするという10.8決戦けっせんでの斎藤さいとう共通きょうつうてんのある継投けいとうさく[75]、4たい2で巨人きょじん勝利しょうり巨人きょじん日本にっぽんシリーズ進出しんしゅつめ、高木たかぎはまたも決戦けっせんで「敗軍はいぐんしょう」となった[76]

最高さいこう試合しあいだい1[編集へんしゅう]

2010ねん平成へいせい22ねん8がつ9にち日本にっぽん野球やきゅう機構きこうが12球団きゅうだん選手せんしゅ監督かんとく・コーチらけい858にんからプロ野球やきゅう歴史れきしいろどった「最高さいこう試合しあい」と「めい勝負しょうぶめい場面ばめん」についてアンケートを募集ぼしゅうしたところ「最高さいこう試合しあい部門ぶもんだい1えらばれた[77]

関連かんれん経緯けいい[編集へんしゅう]

1994ねん10がつの、おも試合しあいかんする事項じこう掲載けいさいする。

  • 1にち)、2にち
    • 巨人きょじん中日ちゅうにちとも連勝れんしょうし、同率どうりつ首位しゅいのまま。1にちは、巨人きょじん槙原まきはら12しょう中日ちゅうにち山本やまもとあきら18しょう。2にちは、中日ちゅうにちは9連勝れんしょう今中いまなか13しょう
      (2にちに、パ・リーグで西武せいぶ優勝ゆうしょう日本にっぽんシリーズ出場しゅつじょう決定けってい1994ねん野球やきゅう))
  • 4にち
    • 中日ちゅうにち、ヤクルトに1 - 4でやぶれ、試合しあいのなかったきょじんに0.5ゲームの2
  • 5にちみず
    • 巨人きょじんはヤクルトに6 - 0で勝利しょうりし、桑田そうでん14しょう試合しあいのなかった中日ちゅうにちとのゲームは1に。6にち巨人きょじんち、中日ちゅうにちやぶれればきょじん優勝ゆうしょう決定けっていへと。
  • 6にち
    • 中日ちゅうにち阪神はんしんに10 - 2で勝利しょうりし、山本やまもとあきら19しょう巨人きょじんはヤクルトに2 - 6でやぶれ、巨人きょじん中日ちゅうにちふたた同率どうりつ首位しゅいに(斎藤さいとう槙原まきはら登板とうばん #10月6にち試合しあい)。「プレーオフ」の可能かのうせい消滅しょうめつ
  • 8にち
    • 巨人きょじん中日ちゅうにちに6 - 3で勝利しょうりし、リーグ優勝ゆうしょう決定けってい。このりょうチームと広島ひろしま公式こうしきせんぜん日程にってい終了しゅうりょう阪神はんしんさき公式こうしきせんぜん日程にってい終了しゅうりょう)。
      (ヤクルトと横浜よこはま同率どうりつ5(同率どうりつ最下位さいかい)でならび、9にち予定よていりょう球団きゅうだん最終さいしゅうせん最下位さいかい決定けっていせんとなることが確定かくていした)
  • 9にち
  • 13にち
  • 22にち - 29にち

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 当事とうじしゃ球団きゅうだん同士どうし最終さいしゅうせんでの優勝ゆうしょう決定けっていせんということでは、過去かこ1973ねん)に阪神はんしん巨人きょじんとのあいだおこなわれたことがあった(後述こうじゅつ)が、10.8決戦けっせん比較ひかくすると状況じょうきょう多少たしょうことなる。
  2. ^ 関係かんけいしゃからたこの試合しあい位置いちづけについて、川相かわい自著じちょ明日あしたへのおくりバント』で「日本にっぽんシリーズでのだい7せんとはまた意味合いみあいのちがう(中略ちゅうりゃく)。ここでやぶれれば、129試合しあい、なんのために気持きもちをらさずにがんばってきたのかわからなくなります」とべている。
  3. ^ セントラル・リーグ参照さんしょう
  4. ^ a b 8がつ18にち巨人きょじん中日ちゅうにちやぶってマジックナンバー点灯てんとうさせ、今中いまなか慎二しんじは5イニング失点しってん5、自責じせきてん4で敗戦はいせん投手とうしゅとなった[2]。なお、今中いまなか同年どうねんたい巨人きょじんせん「もう1はい」は、7がつ13にち桑田くわた真澄ますみ適時てきじ・2失点しってん完投かんとうによるもので、今中いまなかは7かい3失点しってんで「攻略こうりゃく」とはとてもえない[3]
  5. ^ 8がつ30にち中日ちゅうにちせんでマジックナンバーが消滅しょうめつ9月11にち広島ひろしませんさい点灯てんとうしたが、9月23にち横浜よこはませんふたた消滅しょうめつした。
  6. ^ 9月28にち試合しあいおこなわれて、中日ちゅうにち勝利しょうりした。中日ちゅうにちサイドは28にち時点じてん台風たいふう進路しんろ予想よそうから「9がつ29にち試合しあい中止ちゅうしになる」と判断はんだんし、29にち試合しあい先発せんぱつ濃厚のうこうとされていた今中いまなかを28にち試合しあいにリリーフで起用きようした。(吉村よしむら『アナウンサーはあししゃべる』、P.43)
  7. ^ これによってのこり1ゲームで2ゲームとなるため。
  8. ^ 当時とうじ登録とうろくめい本名ほんみょうの「山本やまもと 昌広まさひろ(やまもと まさひろ)」。ここでの表記ひょうきは「山本やまもとあきら」で統一とういつする(当時とうじ中日ちゅうにちには同姓どうせい山本やまもと保司やすし在籍ざいせきしていた)。
  9. ^ 敗戦はいせん投手とうしゅは、このかい登板とうばんして槙原まきはらまえるいじょうの2走者そうしゃのこして降板こうばんした橋本はしもときよしである。
  10. ^ この時点じてんまで「巨人きょじん中日ちゅうにちりょうチームがともにぜん試合しあい終了しゅうりょうして同率どうりつならぶ」可能かのうせいがあり、その場合ばあいは3試合しあいせいのプレーオフがおこなわれるルールとなっていた(セントラル・リーグ#順位じゅんいかた参照さんしょう)。
  11. ^ クライマックスシリーズ制定せいていまえのため、当時とうじ必然ひつぜんてき日本にっぽんシリーズ出場しゅつじょうけんふくまれた。
  12. ^ セ・リーグでは1982ねん中日ちゅうにちがシーズン最終さいしゅうせんって優勝ゆうしょう決定けっていしたということがあるが、この最終さいしゅうせん相手あいて優勝ゆうしょうあらそいに関係かんけいない横浜よこはま大洋たいようホエールズであった(中日ちゅうにちがこの最終さいしゅうせんやぶれていたら、さき公式こうしきせんぜん日程にってい終了しゅうりょうしていた巨人きょじん同年どうねん優勝ゆうしょうとなるところであった)。なお、高木たかぎはこの当時とうじ中日ちゅうにちにコーチとして在籍ざいせきしていた。
  13. ^ 1993ねん野球やきゅう#日本にっぽんプロ野球やきゅう1995ねん野球やきゅう#日本にっぽんプロ野球やきゅう
  14. ^ 中日ちゅうにち優勝ゆうしょうのうちこのとしからて"前回ぜんかい"(1988ねん)のさいにフェンスをやぶってファンがなだれみ、けがにんし、「手薄てうすな」警備けいび問題もんだいとなった[16]なお、ここの出典しゅってんにある1988ねん日経にっけいによると、愛知あいち県警けんけい機動きどうたいやく120にん球場きゅうじょうがわやく260にん警備けいび体制たいせいということであった。
  15. ^ 1973ねんの「最終さいしゅう決戦けっせん」で、暴徒ぼうとした阪神はんしんファンにより、試合しあい終了しゅうりょうのグラウンド(阪神はんしん甲子園こうしえん球場きゅうじょう)は胴上どうあ中止ちゅうしなどだい混乱こんらんとなった。上記じょうき10がつ8にちづけスポニチの紙上しじょうで、もり祇晶ぎしょうは、試合しあい終了しゅうりょうにはげることであたまいちはいであったむねべている。
  16. ^ a b たとえば、この当時とうじ山形やまがたけん前年ぜんねんである1993ねん4がつ1にち山形やまがたテレビがフジテレビ系列けいれつのフルネットきょくからテレビ朝日てれびあさひ系列けいれつのフルネットきょくへのネットチェンジおこなった影響えいきょうで、フジテレビ系列けいれつテレビ局てれびきょく存在そんざいせず、おおくの山形やまがた県民けんみんはこの試合しあいをテレビ観戦かんせんできなかった。
  17. ^ 10月8にちづけニッカンのトップ見出みだしは「長嶋ながしま 国民こくみんてき行事ぎょうじ!!」
  18. ^ 1973ねん10月22にち阪神はんしんが2巨人きょじんに0.5ゲーム首位しゅいにいた状況じょうきょうで、りょうチームにとっての最終さいしゅうせん優勝ゆうしょう決定けっていする直接ちょくせつ対決たいけつとしておこなわれた。ただし、長嶋ながしま当時とうじコーチ兼任けんにん選手せんしゅとして巨人きょじん在籍ざいせきしていたものの、べつ試合しあい負傷ふしょうのため試合しあい会場かいじょうかなかった[25]。なお、高木たかぎは、同年どうねん10がつ20日はつか阪神はんしんやぶってこの局面きょくめんを「演出えんしゅつ」した中日ちゅうにち選手せんしゅとして在籍ざいせきしていた(V9 (読売よみうりジャイアンツ)参照さんしょう)。
  19. ^ 二死にし」とおもっていたため、打者だしゃ三振さんしんさい攻守こうしゅ交替こうたいとなるためるいかんがえる必要ひつようがないという前提ぜんてい行動こうどうして、捕手ほしゅ村田むらたからの牽制けんせいだまによる[28]牽制けんせいとなったものである。
  20. ^ 松井まつい犠打ぎだ(バント)は、このほかには1995ねんに2つあるのみであり、勝負しょうぶ全体ぜんたいなかでもとくてんへの「執念しゅうねん」をしめすもののひとつと位置付いちづけられる[31]
  21. ^ 落合おちあいは、この負傷ふしょう影響えいきょうして後日ごじつ日本にっぽんシリーズだい3せん指名しめい打者だしゃ出場しゅつじょうしたのみにとどまった。
  22. ^ 元木もとき大介だいすけは、後年こうねん自著じちょで、「自分じぶんところ打球だきゅうんでくることがこわいとかんじたほど緊張きんちょう」し、試合しあいちゅうおぼえていることは「初回しょかい大豊たいほう二塁にるいゴロを処理しょりそこねそうになった」ことと、「だい1打席だせき安打あんだはなったこと」くらいで、選手せんしゅいた範囲はんいでも、元木もとき自身じしん同様どうよう「『あまりおぼえていなかった』という選手せんしゅおおかった」という趣旨しゅしのことをべている[27]#スコアのとおり、巨人きょじんも3失策しっさくし、うち1つは失点しってんむすびつき、さらに落合おちあい負傷ふしょう退場たいじょう原因げんいんとなったプレーもある。
  23. ^ 立浪たつなみ左腕さわん一塁いちるいベースにぶつかるようにたっしている場面ばめん写真しゃしんは『中日ちゅうにちドラゴンズ70ねん』p.176にもげられている。なお、打者だしゃ走者そうしゃ一塁いちるいへのスライディングの意図いと危険きけんせいとう
  24. ^ 立浪たつなみ負傷ふしょう退場たいじょうしたとき球場きゅうじょうない雰囲気ふんいきについて糸井いといしげるさとは「(立浪たつなみ一塁いちるいるいじょうでの脱臼だっきゅうについて)あのたりだったら(中略ちゅうりゃく)みんなおなじことをしたとおもうからこわかった」とべている[34]
  25. ^ 立浪たつなみ一塁いちるいにヘッドスライディングをしたのはこれが最初さいしょ最後さいご(※二塁にるいにしたことはあったが、「(ヘッドスライディングを)やるな」とおそわっていたため高校こうこう時代じだい一塁いちるいにヘッドスライディングをしたことがい)。立浪たつなみはこのけんを「かんがえてやったんじゃなく、いたらやっていた」とのちかえっている。脱臼だっきゅうはベンチのおくで「関節かんせつれてくれ」とスタッフにたのんだが、もとにはもどらず負傷ふしょう交代こうたいとなった。その立浪たつなみ負傷ふしょう交代こうたいもナゴヤ球場きゅうじょうにとどまり、試合しあい終了しゅうりょう病院びょういんかった[35]
  26. ^ 打球だきゅう本塁打ほんるいだではないという判定はんていくだした二塁にるい塁審るいしん福井ふくい後年こうねん誤審ごしんだったことをみとめた[36]。また福井ふくいは10.8決戦けっせん当日とうじつあさに、セ・リーグ連盟れんめいより引退いんたいまたは台湾たいわんプロ野球やきゅうへの技術ぎじゅつ指導しどう選択せんたく指示しじされたことをけ、翌年よくねんから台湾たいわんわたっており、この試合しあい日本にっぽん野球やきゅう機構きこう(セ・リーグ)でジャッジをおこなった最後さいご試合しあいである[37]
  27. ^ かしわ英樹ひできによると、前述ぜんじゅつとおり、この試合しあい福井ふくいにとっては最後さいご試合しあいであり、試合しあいまえには福井ふくい長嶋ながしま監督かんとくのもとに挨拶あいさつていた。そういったことから、福井ふくい気持きもちをかんがえ、その時点じてんで3てんリードしていたこともあり、判定はんてい執拗しつよう抗議こうぎすることをけた[38]
  28. ^ この試合しあいおこなわれた当時とうじ先発せんぱつ登板とうばんした投手とうしゅは、次回じかい登板とうばんまで4にち以上いじょうあけることが一般いっぱんてき状況じょうきょうであった。れいとしては、1994ねん日本にっぽんシリーズでは、だい1せんりょうチーム先発せんぱつ投手とうしゅは5にちだい5せん先発せんぱつ登板とうばんしている。
  29. ^ 川相かわいも「あれは気分きぶんてきらくでした」とかえっている[13]。ただし、川相かわいは、こうべた当時とうじ落合おちあい監督かんとく中日ちゅうにちでコーチをしていた。
  30. ^ かり中日ちゅうにち勝利しょうりして日本にっぽんシリーズに出場しゅつじょうしていた場合ばあい日本にっぽんシリーズのセ・リーグ球団きゅうだん主催しゅさい試合しあい当時とうじ中日ちゅうにち本拠地ほんきょちだったナゴヤ球場きゅうじょう開催かいさいされることとなっていたが、このようなえんから、梶原かじはらたく岐阜ぎふ県知事けんちじ)や浅野あさのいさむ岐阜ぎふ市長しちょう)は同月どうげつ1にち清水しみず義之よしゆき岐阜ぎふ商工しょうこう会議かいぎしょ会頭かいとう)や「高木たかぎ守道もち後援こうえんかい会長かいちょう上松あげまつようすけもと岐阜ぎふ県知事けんちじ)と連名れんめい中日ちゅうにち球団きゅうだんたいし、「県民けんみん野球やきゅうファンにとってゆめにまで対決たいけつ」として、日本にっぽんシリーズのうち1試合しあい岐阜ぎふ市内しないにある長良川ながらがわ球場きゅうじょう開催かいさいするよう陳情ちんじょうおこなっていた[47]かりに8にち試合しあい中日ちゅうにち勝利しょうりしてリーグ優勝ゆうしょうめていた場合ばあい梶原かじはら浅野あさのらや「中日ちゅうにちドラゴンズ岐阜ぎふ後援こうえんかい」(会長かいちょう瀬川せかわ隆彦たかひこ)はよく9にちに、NPBコミッショナー吉國よしくに一郎いちろうたい同様どうよう陳情ちんじょうおこなうことを予定よていしていた[47]
  31. ^ 東海とうかいテレビでは名古屋なごやローカルで、1730ふんから中日ちゅうにちドラゴンズの応援おうえん番組ばんぐみの『ドラゴンズHOTスタジオ』をナゴヤ球場きゅうじょうのスタンドより中継ちゅうけい放送ほうそうし、試合しあい開始かいしまえ球場きゅうじょうない野球やきゅう中継ちゅうけいおこな放送ほうそうせき様子ようすつたえている。
  32. ^ 『ベースボール・レコードブック 1995』は「(1994ねんのヤクルトは)4にち中日ちゅうにちち、6にちきょじんったことで史上しじょうはつの130試合しあい同率どうりつ決戦けっせんのお膳立ぜんだてをととのえ…」と記述きじゅつしている (p.17) 。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

スポーツ新聞しんぶんでない新聞しんぶんについては、特記とっきないかぎり、該当がいとうする新聞しんぶん縮刷しゅくさつばんの1994ねん10がつごうである(東京とうきょう新聞しんぶんマイクロフィルム)。スポーツ新聞しんぶんについては、基本きほんてき原紙げんし確認かくにんしている。

  1. ^ 電通でんつうは、『広告こうこく景気けいき年表ねんぴょう:1994ねん(2011ねん6がつ7にち時点じてんアーカイブ)』の「世相せそう風俗ふうぞく (1994) 」において、「プロ野球やきゅう中心ちゅうしんにスポーツかい話題わだいあつまる」として、イチローの210安打あんだ巨人きょじんの「日本一にっぽんいち」とならんでこの試合しあいげている。
  2. ^ 8がつ19にちづけ日経にっけい33めん縮刷しゅくさつばん1994ねん8がつごうp.825「M25てんとう 今中いまなか粉砕ふんさい松井まつい2はつ
  3. ^ 7がつ14にちづけ朝日あさひ27めん縮刷しゅくさつばん同年どうねん7がつごうp.633
  4. ^ a b 週刊しゅうかんベースボール』1995ねん1がつ2,9にちごう2094ごう p.36 - 高木たかぎは「(8がつに)会社かいしゃから(解任かいにんわれた)時点じてんで『よし、このままわってたまるか』と」とべている。『ベースボール・レコードブック 1995』p.12 - も参照さんしょう
  5. ^ 10月1にちづけ読売新聞よみうりしんぶん18めん 縮刷しゅくさつばんp.18
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  7. ^ 『プロ野球やきゅう70ねん 記録きろくへん』p.627ほか
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  9. ^ 読売よみうり10がつ7にちづけ夕刊ゆうかん3めん 縮刷しゅくさつばんp.349
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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

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  • Sports Graphic Number』1995.3.30ごう通算つうさん362ごう 雑誌ざっしコード26855-3.30 p.84 - 88
  • 桑田くわた真澄ますみ試練しれんひとみがく- 桑田くわた真澄ますみというかた扶桑社ふそうしゃ、1995ねん5がつISBN 978-4-594-01712-5 
  • 落合おちあい博満ひろみつ『プロフェッショナル』スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、1999ねん12月、262-268ぺーじISBN 4-583-03621-3 
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  • 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう日本にっぽん野球やきゅう25にん わたしのベストゲーム』2006ねん長嶋ながしま茂雄しげお:p8 - 17、松井まつい秀喜ひでき:p.144 - 153ぺーじISBN 978-4-16-771326-3 
  • 2007ねん7がつ29にちづけ日本経済新聞にほんけいざいしんぶんわたし履歴りれきしょ』(長嶋ながしま)40めん 縮刷しゅくさつばん2007ねん7がつごう p.1740
    • 単行本たんこうぼん)『野球やきゅう人生じんせいそのものだ』 ISBN 9784532167233 p.268 - 270
  • 『プロ野球やきゅう70ねん 歴史れきしへん』 p.620 - 622、623、『プロ野球やきゅう70ねん 記録きろくへんどう p.648、649 スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ 2004ねん12月 ISBN 4-583-03808-9
  • 川相かわい昌弘まさひろ明日あしたへのおくりバント』ロングセラーズ、2005ねん3がつ、113-119ほかぺーじISBN 978-4-8454-2067-4 
  • 中日ちゅうにちドラゴンズ70ねん中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ、2006ねん2がつ、176-177ぺーじISBN 4-8062-0514-1 
  • ベースボールマガジン2009ねん3がつごう 雑誌ざっしコード07915-3 p.72 - 75
  • ベースボールマガジン2009ねん5がつごう 雑誌ざっしコード07915-5 p.72 - 73
  • 『Sports Graphic Number』2009.7.30ごう通算つうさん733ごう 雑誌ざっしコード26855-7.30 p.84
  • 元木もとき大介だいすけ元木もとき大介だいすけの1ふんめるプロ野球やきゅうテッパンばなし88』ワニブックス、2009ねん、157-158ぺーじISBN 9784847018497 
  • 鷲田わしだやすし『10.8巨人きょじんvs.中日ちゅうにち史上しじょう最高さいこう決戦けっせん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2013ねんISBN 9784163756400 
  • 別冊べっさつ宝島たからじま2521『球史きゅうし証言しょうげんしゃたち』宝島社たからじましゃ、2016ねん12月。ISBN 9784800257789 
  • 吉村よしむらいさお『アナウンサーはあししゃべる』桜山さくらやましゃ、2017ねん5がつISBN 9784908957017 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]