1994ねんから1995ねんのMLBストライキ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

1994ねんから1995ねんのMLBストライキ1994–95 Major League Baseball strike)とは、1994ねん8がつ12にちからよく1995ねん4がつ2にちまでの232日間にちかんにわたり、メジャーリーグベースボール(MLB)の選手せんしゅこしたプロ野球やきゅうストライキである。

プロスポーツ史上しじょう最長さいちょうストライキとなった[1]。MLBのストライキはこれ以前いぜんに41972ねん1980ねん1981ねん1985ねんおこなわれている[2]。1994ねんの8がつ12にちから1995ねん4がつ24にちまでのシーズン公式こうしきせん合計ごうけい938試合しあいすべ中止ちゅうしとなり、1994ねんのワールドシリーズ中止ちゅうしとなった。ワールドシリーズ中止ちゅうし1904ねん以来いらい90ねんぶりで2かい(このときナショナルリーグがわ対戦たいせん拒否きょひにより中止ちゅうし)であり、だいいち世界せかい大戦たいせんだい世界せかい大戦たいせんなか移動いどう制限せいげん応召おうしょうけながらいち中止ちゅうしされずに開催かいさいされてきた。なお、マイナーリーグベースボール(MiLB)の試合しあい通常つうじょうどおりにおこなわれた。232にちにもおよんだストライキの代償だいしょうおおきく、だい規模きぼなファンばなれがしょうじた。

背景はいけい[編集へんしゅう]

MLBに所属しょぞくする選手せんしゅ平均へいきん年俸ねんぽう年々ねんねん増加ぞうか一途いっとをたどり、1989ねんには49まんドル(当時とうじやく5880まんえん)だったのにたいし、1994ねんにはばい以上いじょうの115まんドル(当時とうじやく1おく3800まんえん)へとふくがっていた[3]。その人材じんざい増大ぞうだいとく小規模しょうきぼ市場いちば球団きゅうだん経営けいえい圧迫あっぱくし、スター選手せんしゅだい規模きぼ市場いちば球団きゅうだんフリーエージェント(FA)などで移籍いせきすることで、球団きゅうだんあいだ戦力せんりょく格差かくさつながるデメリットもしょうじていた。その象徴しょうちょうピッツバーグ・パイレーツであり、1990ねんからナショナルリーグひがし地区ちくで3連覇れんぱげながら、バリー・ボンズらの主力しゅりょく選手せんしゅ流出りゅうしゅつし、1993ねんには5転落てんらくした。ぎゃくにボンズを獲得かくとくしたサンフランシスコ・ジャイアンツは、サンフランシスコ移転いてんして以来いらい最高さいこう観客かんきゃく動員どういんすうを1993ねん記録きろくしていた。さらにピーター・ユベロスコミッショナー時代じだい締結ていけつされた高額こうがくテレビ契約けいやくも1993ねんれ、放映ほうえいけんりょう収入しゅうにゅう大幅おおはばにダウンした。

1993ねん労働ろうどう協約きょうやく期限切きげんぎれになるのにともない、1994ねん3がつフロリダしゅうタンパ労使ろうしあいだしん労働ろうどう協約きょうやく交渉こうしょう開始かいしされた[4]経営けいえいしゃがわは6がつ14にちサラリーキャップ制度せいど導入どうにゅう提案ていあんした[4]。これは具体ぐたいてきにチームが選手せんしゅ支払しはら収益しゅうえきめる年俸ねんぽう総額そうがく割合わりあい現行げんこうの58%から50%に、また1球団きゅうだんたりの選手せんしゅ年俸ねんぽうを28球団きゅうだん平均へいきんがくの84%から110%の範囲はんいおさえるプランである。市場いちば規模きぼちいさい都市とし本拠地ほんきょちとする球団きゅうだん人件じんけん膨張ぼうちょうふせぐのが最大さいだいねらいで、NBAでは10ねんまえの1984ねんから導入どうにゅうされ、そこそこに成功せいこうしたとの評価ひょうかけていた[5]NBAサラリーキャップ)。提案ていあんでは年俸ねんぽう調停ちょうてい廃止はいしされ、FAの取得しゅとくようする在籍ざいせき年数ねんすうは6ねんから4ねんげられるが、在籍ざいせき年数ねんすう6ねん未満みまんのFA選手せんしゅには制限せいげんき、球団きゅうだん選手せんしゅ保持ほじすることが出来できるようになっていた[4]。これにたいしてMLB選手せんしゅかい専務せんむ理事りじだったドナルド・フェアはおよそ1ヶ月かげつの7がつ18にちに、「選手せんしゅ年俸ねんぽう総額そうがく自動的じどうてきまり、個人こじん上限じょうげん制限せいげんされる。選手せんしゅ全体ぜんたい年俸ねんぽうダウンになる」として提案ていあん拒否きょひした。経営けいえいしゃがわどう制度せいど導入どうにゅう強硬きょうこう主張しゅちょうして選手せんしゅかいがわはげしく対立たいりつした[1]

ミルウォーキー・ブルワーズのオーナーであったバド・セリグがコミッショナー代行だいこう就任しゅうにんしていたことも経営けいえいしゃがわ強気つよき姿勢しせいくずさない背景はいけいとしてあった。セリグ以前いぜんの7にんのコミッショナーはいずれも労使ろうしあいだ中立ちゅうりつにある立場たちば出身しゅっしんしゃばかりだった。はないをおくらせることで不利ふりになることをおそれた選手せんしゅかいは、7がつ28にちストライキ突入とつにゅう最終さいしゅう期限きげんを8がつ12にち設定せっていし、経営けいえいしゃがわ圧力あつりょくけた。経営けいえいしゃがわはストライキのかまえなどこわくないとわんばかりに8がつ選手せんしゅ年金ねんきん基金ききんへのはらみをひかえた。これは「交渉こうしょう期間きかんちゅうは、団体だんたい労働ろうどう協約きょうやく終了しゅうりょうしたのちでさえも、交渉こうしょうまるまで給与きゅうよ福利ふくり厚生こうせいかんして現状げんじょう維持いじしなければならない」という全国ぜんこく労働ろうどう関係かんけいほう違反いはんしていた。選手せんしゅかいがわうったえ、全米ぜんべい労働ろうどう関係かんけい委員いいんかい英語えいごばん(NLRB)によって「不当ふとう労働ろうどう行為こうい」と認定にんていされた[6]

ストの経緯けいい[編集へんしゅう]

ファンはストライキに反対はんたい(スト直前ちょくぜん試合しあいちゅうには「The strike sucks!!とう横断幕おうだんまくかかげられた)するも本格ほんかくてき交渉こうしょうおこなわれず、宣言せんげんどおりに8がつ12にちからストに突入とつにゅうした。9月14にちにはついに、コミッショナー代行だいこうのセリグが1994ねん公式こうしきせんのこ試合しあいすべてとプレイオフディビジョンシリーズリーグチャンピオンシップシリーズ)、1994ねんのワールドシリーズ中止ちゅうしする声明せいめい発表はっぴょうした[7]

当時とうじアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょうだったビル・クリントンは10月14にちもと労働ろうどう長官ちょうかんウィリアム・ユザリー政府せいふ調停ちょうていじん任命にんめいして解決かいけつたらせた[8]。ユザリーはするど対立たいりつする労使ろうし双方そうほうき、12月14にちには協議きょうぎ決裂けつれつした[6]。23にち経営けいえいしゃがわ交渉こうしょうまったと宣言せんげんし、一方いっぽうてきにサラリーキャップ制度せいど導入どうにゅうした。27にち選手せんしゅかいがわ雇用こよう条件じょうけん違反いはんする一方いっぽうてき変更へんこうたるとして、ふたたびNLRBにうったえた[6]

1995ねん1がつ26にち大統領だいとうりょうのクリントンは「ベーブ・ルース生誕せいたん100周年しゅうねんたる2がつ6にちにストライキ続行ぞっこうちゅうというのはえられない。そのまでに解決かいけつするように」との声明せいめい発表はっぴょうした。2月7にちにはプロスポーツ史上しじょうはじめて大統領だいとうりょうホワイトハウス労使ろうし双方そうほうびつけ、みずか和解わかい調停ちょうてい異例いれい事態じたいとなった。大統領だいとうりょう提案ていあん人望じんぼうあつ中立ちゅうりつ立場たちば人物じんぶつしん契約けいやくでの姿勢しせいしめし、その人物じんぶつしん労働ろうどう協約きょうやく条件じょうけんをどのようにするか決定けっていさせるというものだったが、経営けいえいしゃがわがこれを拒否きょひしたために調停ちょうてい失敗しっぱいわった[8][6]よく8にちに、選手せんしゅかいがわ経営けいえいしゃがわ最近さいきんったばかりの労働ろうどう協約きょうやく条件じょうけん一方いっぽうてき変更へんこう年俸ねんぽう調停ちょうてい廃止はいし共同きょうどう謀議ぼうぎ禁止きんし条項じょうこう削除さくじょ)が「不当ふとう労働ろうどう行為こうい」にたるとしてNLRBにあらたにうったえた[6]

経営けいえいしゃがわ長引ながびくストへの対抗たいこう措置そちとして、MiLB所属しょぞく選手せんしゅもとMLB選手せんしゅたちをあつめてスプリングトレーニングオープンせん開催かいさい強行きょうこうし、代替だいたい選手せんしゅによる1995ねんシーズンの開幕かいまく目論もくろんだ[1]。3月14にち選手せんしゅかいがわ代替だいたい選手せんしゅがシーズンの公式こうしきせん使用しようされた場合ばあいはストを中止ちゅうしするための交渉こうしょう一切いっさいおうじないと表明ひょうめいした。しかし、経営けいえいしゃがわかならずしも足並あしなみがそろっていたわけではなく、以前いぜん労働ろうどう組合くみあい弁護士べんごしつとめていたボルチモア・オリオールズのオーナーであるピーター・アンジェロスは、カル・リプケン・ジュニア連続れんぞく試合しあい出場しゅつじょう記録きろくまもるために代替だいたい選手せんしゅ使用しようあんもう反対はんたいし、代替だいたい選手せんしゅ使用しようしない方針ほうしん表明ひょうめいした。3月20にちにオリオールズはシーズンまえのスケジュールをすべてキャンセルした。21にちボルチモア市議会しぎかいオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ代替だいたい選手せんしゅによって試合しあいおこなわれた場合ばあいにMLB機構きこうに1試合しあい1000ドルの罰金ばっきん法案ほうあん成立せいりつさせた。デトロイト・タイガース監督かんとくであるスパーキー・アンダーソン代替だいたい選手せんしゅ指揮しき拒否きょひし、直後ちょくご休職きゅうしょくかれた。

もうての準備じゅんびえたNLRBは、3月27にち交渉こうしょう状態じょうたいを2がつ経営けいえいしゃがわ労働ろうどう協約きょうやく条件じょうけん一方いっぽうてき変更へんこうくわえるまえもどさせるために、ニューヨーク連邦れんぽう地方裁判所ちほうさいばんしょめを申請しんせいした[9]。31にち判事はんじソニア・ソトマイヨールきゅう労働ろうどう協約きょうやく復活ふっかつさせる命令めいれい発行はっこう双方そうほう交渉こうしょうせきもどり、誠意せいいって交渉こうしょうするようにめいじた。4月2にち選手せんしゅかいがわ経営けいえいしゃがわ試合しあい開始かいしもうてストを解除かいじょすると、経営けいえいしゃがわもそれを受諾じゅだくした[10]

スト決行けっこう影響えいきょう[編集へんしゅう]

アリゾナ・フォールリーグでプレーするマイケル・ジョーダン

モントリオール・エクスポズは74しょう40はい球団きゅうだん史上しじょうもっとたか勝率しょうりつ記録きろくしてナショナルリーグひがし地区ちくを2に6.0ゲーム首位しゅい独走どくそうしていたものの、シーズン公式こうしきせんのこ試合しあいとポストシーズンの試合しあい中止ちゅうし決定けっていしてそのゆめたれた。その結果けっかどうチームのワールドシリーズはつ出場しゅつじょう本拠地ほんきょちワシントンD.C.移転いてんして、チームめいがナショナルズとなってからの2019ねんになってからであった。これは、1969ねんのチーム創立そうりつから51ねんことである。ニューヨーク・ヤンキースも70しょう43はい記録きろくしてアメリカンリーグひがし地区ちくを2に6.5ゲーム首位しゅい独走どくそうしており、1981ねん最後さいごいち出場しゅつじょうしていなかったワールドシリーズへの進出しんしゅつねらっていた。

シカゴ・ホワイトソックスフランク・トーマスはストに突入とつにゅうするまでに113試合しあい出場しゅつじょう打率だりつ.353・38本塁打ほんるいだ成績せいせきのこし、前年ぜんねんつづいて2ねん連続れんぞくアメリカンリーグMVP受賞じゅしょうした(アリーグでは1960ねん1961ねんロジャー・マリス以来いらい33ねんぶり)。ヒューストン・アストロズジェフ・バグウェルはストに突入とつにゅうする2にちまえ左手ひだりて死球しきゅうけて骨折こっせつしたが、離脱りだつするまでに110試合しあい出場しゅつじょう打率だりつ.368・39本塁打ほんるいだ・116打点だてん好成績こうせいせきおさめており、ナショナルリーグのMVPを満票まんぴょう獲得かくとくした(MLB史上しじょう4にん快挙かいきょ[11]サンディエゴ・パドレストニー・グウィン打率だりつ.394をのこし、1941ねんテッド・ウィリアムズ以来いらいとなる4わり打者だしゃねらえる位置いちにいた。また、ジャイアンツのマット・ウィリアムズはストでのこり47試合しあい中止ちゅうし決定けっていした時点じてんで43本塁打ほんるいだ記録きろくしており、ロジャー・マリスのつシーズン61本塁打ほんるいだにほぼ一致いっちするペースで本塁打ほんるいだ量産りょうさんしていた。

シンシナティ・レッズケビン・ミッチェル(95試合しあい出場しゅつじょう打率だりつ.326・本塁打ほんるいだ30・OPS1.110)、ミネソタ・ツインズシェーン・マック(81試合しあい出場しゅつじょう打率だりつ.333・本塁打ほんるいだ15・OPS.957)、ホワイトソックスのフリオ・フランコ(112試合しあい出場しゅつじょう打率だりつ.319・本塁打ほんるいだ20・OPS.916)とダリン・ジャクソン(104試合しあい出場しゅつじょう打率だりつ.312・本塁打ほんるいだ10・OPS.817)は1994ねんに3わりえる打率だりつのこしたが、よく1995ねんシーズンにこの4にん日本にっぽんプロ野球やきゅうでプレーすることをめた。

NBAのスター、マイケル・ジョーダンは1994ねん3がつにホワイトソックスとマイナー契約けいやくむすび、傘下さんかAAきゅうバーミングハムでプレーして世間せけんおどろかせた。1994ねんは127試合しあい出場しゅつじょうで、打率だりつ.202・3本塁打ほんるいだながら30盗塁とうるい記録きろくした。ホワイトソックスは状況じょうきょう打開だかいするため、傘下さんかマイナーリーグ所属しょぞく選手せんしゅたいし、代替だいたい選手せんしゅとしてスプリングトレーニングに出場しゅつじょうするようもとめ、したがわない場合ばあい施設しせつ利用りよう拒否きょひした。球団きゅうだん上層じょうそうはジョーダンにはこの処置しょち適用てきようしないと約束やくそくしていたが、約束やくそく反故ほごにされた。選手せんしゅかいがわ経営けいえいしゃがわ板挟いたばさみになやみ、1995ねん3がつ2にち監督かんとくにもなにげずにホワイトソックスのキャンプり、3月18にちにNBAのシカゴ・ブルズへの復帰ふっき発表はっぴょうされた。

おも代替だいたい選手せんしゅ[編集へんしゅう]

経営けいえいしゃがわ命令めいれい傘下さんかMiLB選手せんしゅ代替だいたい選手せんしゅとしてはん強制きょうせいてき昇格しょうかくさせられ、1995ねんのスプリングトレーニングやオープンせん参加さんかした。シーズン開始かいし直前ちょくぜんにストが中止ちゅうしになったためにシーズン公式こうしきせん出場しゅつじょうすることはなかったが、ストやぶりをおこなった裏切うらぎものとされ、選手せんしゅかいへの加入かにゅうみとめられなかった[12]

スト終結しゅうけつ[編集へんしゅう]

1995ねんシーズンは当初とうしょの4がつ3にち開幕かいまく予定よていから1ヶ月かげつちかおそい4がつ25にちに、期限切きげんぎれのきゅう労働ろうどう協約きょうやく開幕かいまくした。試合しあいすう従来じゅうらいより18試合しあいすくない144試合しあいせいとなった。シーズンのりとワールドシリーズの中止ちゅうし自分じぶんたちへの裏切うらぎ行為こういとしておおくのファンを失望しつぼうさせ、開幕かいまく各地かくち球場きゅうじょうでファンが抗議こうぎ不満ふまん意思いししめブーイング行為こうい頻発ひんぱつした。とく選手せんしゅかい会長かいちょうつとめるアトランタ・ブレーブストム・グラビンたいする風当かぜあたりはつよく、登板とうばんするたびにブレーブスファンからもブーイングをび、郵便受ゆうびんうけにはにくしみの手紙てがみ殺到さっとうした[13]

カル・リプケンは9月6にちに2131試合しあい連続れんぞく出場しゅつじょうたし、1939ねんルー・ゲーリッグ樹立じゅりつした連続れんぞく試合しあい出場しゅつじょう記録きろくを56ねんぶりにえた。シーズン後半こうはんはリプケンの記録きろくたさに客足きゃくあしすこしずつもどってきたが、全体ぜんたいてきると観客かんきゃくすう低調ていちょうであり、1995ねん平均へいきん観客かんきゃくすうが25,260にんとなり、前年ぜんねんの31,612にんから20%も減少げんしょうした[14]1997ねんインターリーグ導入どうにゅうと、1998ねんマーク・マグワイアサミー・ソーサによる本塁打ほんるいだ記録きろく更新こうしんあらそもあり、平均へいきん観客かんきゃくすう回復かいふくきざしがえてきたものの、ポストシーズンゲームのテレビ視聴しちょうりつ年々ねんねん低下ていか一途いっとをたどっていく。

しん労働ろうどう協約きょうやく交渉こうしょうおこなっていた選手せんしゅかいがわ経営けいえいしゃがわ1996ねん10月24にちに、サラリーキャップ制度せいど代替だいたいとして球団きゅうだん年俸ねんぽう総額そうがく贅沢ぜいたくぜいを、選手せんしゅには年俸ねんぽうぜいし、球団きゅうだんあいだ収益しゅうえき分配ぶんぱいすることをもとめる譲渡じょうとあん暫定ざんていてき合意ごういたっした。オーナーたちは11月6にち投票とうひょうおこなって12たい18で自分じぶんたち代表だいひょうしゃ到達とうたつした合意ごうい無効むこうにし、セリグコミッショナー代行だいこう選手せんしゅかいからさら改善かいぜんるように指示しじした。ところが、暫定ざんてい合意ごうい反対はんたい旗頭はたがしらで、年俸ねんぽう支払しはらいをオーナーが制限せいげんすることにつね賛成さんせいしてきたとわれていたシカゴ・ホワイトソックスのジェリー・ラインズドルフオーナーが拒否きょひ投票とうひょう直後ちょくごクリーブランド・インディアンス強打者きょうだしゃであるアルバート・ベルとスポーツかい最高さいこう年俸ねんぽうとなる5ねん5500まんドルの契約けいやく締結ていけつすると状況じょうきょうわった。この1週間しゅうかんの11月26にちおこなわれたさい投票とうひょうで26たい4でなん変更へんこうくわえずにしん労働ろうどう協約きょうやく承認しょうにんされると(ただし、ラインズドルフは反対はんたいひょうとうじた)[15]全米ぜんべい労働ろうどう関係かんけい委員いいんかい英語えいごばん(NLRB)のウィリアム・グールド委員いいんちょう新聞しんぶん発表はっぴょうおこない、ストにおけるNLRBのはたらきを「NLRBがめの救済きゅうさい請求せいきゅうする権威けんい使つかって成功せいこうした最初さいしょれいである」とめちぎった[16]交渉こうしょう決定けっていされた協約きょうやくでは、1年間ねんかん試験しけんてきなインターリーグの導入どうにゅうさだめられていたが、オーナーたち契約けいやく承認しょうにんするときになってから、つぎのシーズンにも延長えんちょうするように主張しゅちょうした。12月5にち選手せんしゅかいがわはこれをれた[15]1997ねん3月14にちしん労働ろうどう協約きょうやく締結ていけつされ、ながつづいた絶望ぜつぼうてき労使ろうしあいだ紛争ふんそうがついに終結しゅうけつした。セリグは「これは野球やきゅうしん再生さいせい黄金おうごん時代じだいはじまりとなる」とべた[16]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c だいリーグ雑学ざつがくノートP24-25 福島ふくしま良一りょういちちょ
  2. ^ Labor Pains Sportsillustrated.cnn.com
  3. ^ MLB選手せんしゅかい史上しじょう最長さいちょうとなるストライキに突入とつにゅう sportiva
  4. ^ a b c メジャーリーグの法律ほうりつとビジネスP177-178 ロジャー・I・エイブラムちょ
  5. ^ メジャーリーグの法律ほうりつとビジネスP174-177 ロジャー・I・エイブラムちょ
  6. ^ a b c d e メジャーリーグの法律ほうりつとビジネスP178-184 ロジャー・I・エイブラムちょ
  7. ^ BASEBALL: THE SEASON; Owners Terminate Season, Without the World Series The New York Times
  8. ^ a b だいリーグ雑学ざつがくノートP99 福島ふくしま良一りょういちちょ
  9. ^ メジャーリーグの法律ほうりつとビジネスP184-186 ロジャー・I・エイブラムちょ
  10. ^ メジャーリーグの法律ほうりつとビジネスP186-189 ロジャー・I・エイブラムちょ
  11. ^ Jeff Bagwell baseballlibrary.com
  12. ^ Replacement Players in the Major Leagues by Baseball Almanac
  13. ^ Glavine focused on union, pitching usatoday.com
  14. ^ 1994 strike was a low point for baseball ESPN.com
  15. ^ a b メジャーリーグの法律ほうりつとビジネスP189-191 ロジャー・I・エイブラムちょ
  16. ^ a b メジャーリーグの法律ほうりつとビジネスP194-195 ロジャー・I・エイブラムちょ