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シカゴ・ブルズ

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シカゴ・ブルズ
Chicago Bulls
2021-22シーズンのシカゴ・ブルズ
呼称こしょう/略称りゃくしょう  CHI 
チームロゴ あかゆううし頭部とうぶ
所属しょぞくリーグ  NBA アメリカ合衆国の旗カナダの旗
カンファレンス  イースタン・カンファレンス 
ディビジョン  セントラル 
創設そうせつ 1966ねん
チーム シカゴ・ブルズ
(1966ねん-)
本拠ほんきょ
シカゴ・ブルズの位置(アメリカ合衆国内)
シカゴ・ブルズ

イリノイ州の旗イリノイしゅうシカゴ
アリーナ ユナイテッド・センター
収容しゅうよう人数にんずう 20,917にん 開設かいせつ1994ねん
チームカラー あかくろしろ[1][2]
   
おもなスポンサー Zenni Optical[3]
オーナー ジェリー・ラインズドルフ
社長しゃちょう マイケル・ラインズドルフ
GM マーク・エバーズリー英語えいごばん
ヘッドコーチ ビリー・ドノバン
優勝ゆうしょうれき 6かい
(1991ねん, 1992ねん, 1993ねん, 1996ねん, 1997ねん, 1998ねん
ファイナル進出しんしゅつ 6かい(1991ねん, 1992ねん, 1993ねん, 1996ねん, 1997ねん, 1998ねん
ディビジョン優勝ゆうしょう 9かい(1975ねん, 1991ねん, 1992ねん, 1993ねん, 1996ねん, 1997ねん, 1998ねん, 2011ねん, 2012ねん
永久えいきゅう欠番けつばん  4   10   23   33 
NBAGL提携ていけいチーム ウィンディシティ・ブルズ
公式こうしきサイト www.nba.com/bulls
アソシエーションのジャージ
チームカラー
アソシエーション
アイコンのジャージ
チームカラー
アイコン
ステートメントのジャージ
チームカラー
ステートメント
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シカゴ・ブルズ (Chicago Bulls) は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくイリノイしゅうシカゴ本拠ほんきょ全米ぜんべいプロバスケットボール協会きょうかい (NBA) のチーム。イースタン・カンファレンス、セントラル・ディビジョン所属しょぞく。チームめいはイリノイしゅう畜産ちくさんさかんだったこと、MLB、NFLのチームめいしし名前なまえであったことに由来ゆらいする。

歴史れきし

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初期しょき

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かつてシカゴには、BAA所属しょぞくのシカゴ・スタッグズ(1946-50ねん)やNBAのシカゴ・パッカーズまたはゼファイアズ(1962-63ねん)というプロバスケットボールチームがあったが、いずれも短期間たんきかん消滅しょうめつまたは移転いてんしている。そのシカゴにNBAのチームシカゴ・ブルズ設立せつりつされたのは1966ねんのことだった。初期しょきのブルズは新興しんこうチームながらもプレイオフに進出しんしゅつする活躍かつやくせたが、勝率しょうりつ5わりとどかない時期じきつづいた。最初さいしょの2シーズンの監督かんとくレッド・カーだった。

1970年代ねんだいのブルズはボブ・ラブジェリー・スローンようするディビジョン屈指くっしのチームだった。70年代ねんだい末期まっきからブルズは低迷ていめい時期じきはいり、引退いんたいしたジェリー・スローンをはじ監督かんとくなんわり、レジー・セウスなどスター選手せんしゅ活躍かつやくしたがすう年間ねんかんプレイオフからとおざかった。

ジョーダンの時代じだい

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マイケル・ジョーダン

1984ねんにシカゴ・ブルズはドラフト全体ぜんたいで3番目ばんめマイケル・ジョーダンえらび、チームの運命うんめいおおきくえることになる。それ以前いぜんはディフェンスを中心ちゅうしんとした有力ゆうりょくなチームではあったものの優勝ゆうしょうにはちかづくことはなかった。平均へいきん30てん以上いじょうまいシーズン記録きろくしたジョーダンをようしていたが、チームとしてのちからけており、1980年代ねんだい優勝ゆうしょうをつかむことはなかった。しかし、1987ねんにはホーレス・グラントスコッティ・ピッペンそろえ、1990年代ねんだいのチームをささえる選手せんしゅ着々ちゃくちゃくそろっていった。トライアングル・オフェンス採用さいようすることになるフィル・ジャクソン1989ねんにコーチにむかえている。また、このシーズンよりプレイオフにおいてくろいシューズを着用ちゃくようするという伝統でんとうはじまる。これにあやかって、「くろいシューズ」はチームも真似まねをするようになった。

1990ねん-1991ねんのシーズン、ブルズはマジック・ジョンソンひきいるロサンゼルス・レイカーズを4しょう1はいくだし、はつのリーグ制覇せいはげる。よくシーズンは、クライド・ドレクスラーひきいるポートランド・トレイルブレイザーズを4しょう2はいくだし、1992-1993シーズンチャールズ・バークレーひきいるフェニックス・サンズを4しょう2はいくだし、スリーピート(3連覇れんぱ)をたした[4]。3シーズン連続れんぞくでリーグ制覇せいはげたのは、1960年代ねんだいボストン・セルティックス以来いらいであった。

しかし、父親ちちおやをオフシーズンちゅう殺害さつがいされたジョーダンは引退いんたいし、スコッティ・ピッペンやクロアチア出身しゅっしんのルーキー、トニー・クーコッチひきいられたチームは、シーズン55しょう記録きろくのこしたものの、3しょう4はいニューヨーク・ニックスやぶれ、記録きろく途切とぎれることになる。

フィル・ジャクソンとマイケル・ジョーダン

1995ねん3月17にち、マイケル・ジョーダンは引退いんたいしてメジャーリーガーを目指めざしていたが、チームに復帰ふっきする。しかしオーランド・マジックやぶれ、1994ねん-1995ねんのシーズンは優勝ゆうしょうのがす。その拡張かくちょうドラフトにより、B.J.アームストロングうしなうもののトレードをつうじて、デニス・ロッドマンがチームにくわわり、ブルズはふたたびリーグ制覇せいはかう。

1995-1996シーズン、72しょう10はいでレギュラーシーズンをえると、シアトル・スーパーソニックスやぶり、4度目どめのリーグ制覇せいはげる。

1996-1997シーズン1997-1998シーズンジョン・ストックトンカール・マローンひきいるユタ・ジャズ対戦たいせんするが、いずれもせいふたたび3ねん連続れんぞくでリーグを制覇せいはする。このシリーズでは、試合しあい終了しゅうりょう間際まぎわにジョーダンからフリーのスティーブ・カーにパスがわたり決勝けっしょうシュートがまり優勝ゆうしょう決定けっていづけたプレイがあるが、前回ぜんかいの3連覇れんぱさいジョン・パクソンの3ポイントをおおくのものおもさせた。

ジョーダン退団たいだん低迷ていめい

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GMのジェリー・クラウスと現場げんばとの確執かくしつ根深ねぶかかったチームは1998ねん完全かんぜん解体かいたいされることになる。スコッティ・ピッペンがトレード、フィル・ジャクソン契約けいやくれでともにチームをり、マイケル・ジョーダンもコーチと一緒いっしょ引退いんたいした。デニス・ロッドマンスティーブ・カー放出ほうしゅつされた。トニー・クーコッチロン・ハーパーがチームをひきいたもののロックアウトによってみじかくなったシーズンを13しょう37はいえる。

1999ねん、ドラフト1指名しめいけん獲得かくとくし、エルトン・ブランドロン・アーテスト指名しめいつづトライアングル・オフェンス採用さいようしてたたかうが、成績せいせき低迷ていめいつづけ、1999-2000ねんシーズン途中とちゅうにクーコッチ、2001ねんにブランド、2002ねんにアーテストは放出ほうしゅつされ、タイソン・チャンドラーエディ・カリー二人ふたり高卒こうそつ選手せんしゅじく再建さいけんはかることになった。

ジョン・パクソンGM時代じだい

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2003ねんなつに、長年ながねんGMをつとめてきたジェリー・クラウスが体調たいちょう不良ふりょう長引ながびくチームの不振ふしん責任せきにんるため退しりぞくと、ジョン・パクソンわってGMに就任しゅうにんした。同年どうねんのドラフトでカーク・ハインリック指名しめい、2003-04シーズン途中とちゅうに、スコット・スカイルズ監督かんとく就任しゅうにんさせ、体制たいせいととのえる。

2004-2005シーズンは、開幕かいまく直後ちょくごこそチーム最長さいちょうタイとなる9連敗れんぱいきっしたが、チームリーダーに成長せいちょうしたハインリック、ベン・ゴードンルオル・デンアンドレ・ノシオーニクリス・デューホン新人しんじん4にん目覚めざましい活躍かつやくもあり、後期こうき3連覇れんぱ最後さいごとし以来いらいはじめてし、プレーオフに進出しんしゅつした。プレーオフは、1回戦かいせんワシントン・ウィザーズやぶれた。2005-2006シーズンは、インサイドの得点とくてんげんであったカリーを放出ほうしゅつした影響えいきょうで、成績せいせき前年ぜんねん下回したまわったが2ねん連続れんぞくでプレイオフに出場しゅつじょう、チャンピオンのマイアミ・ヒート相手あいて善戦ぜんせんした。(つぎとしではヒートに4-0でっている)。2006ねん6がつに、デトロイト・ピストンズからFAとなったベン・ウォーレス契約けいやく。また、チャンドラーと交換こうかんP・J・ブラウン獲得かくとくし、2006-2007シーズンは勝率しょうりつを6わりまでばしたが、プレイオフで、積年せきねんのライバルであるピストンズにやぶれた。

2007-2008シーズン、さらなる躍進やくしん期待きたいされたが、序盤じょばんチームはおおきく出遅でおく地区ちく最下位さいかい転落てんらく。スカイルズ監督かんとく解任かいにんされ、ジム・ボイラン暫定ざんてい監督かんとくつとめた。

ローズの時代じだい

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デリック・ローズ

2008ねんのNBAドラフトで1指名しめいけんたブルズは、地元じもとシカゴ出身しゅっしんメンフィス大学だいがくデリック・ローズ指名しめい。2008-2009シーズンは、ローズが新人しんじんおう選出せんしゅつされチームは勝率しょうりつわり記録きろく。プレーオフいち回戦かいせんではだいシードのボストン・セルティックスみ3しょう4はい敗退はいたいしたものの善戦ぜんせん評価ひょうかされた。

2009-2010シーズン、オフシーズンに主力しゅりょくのゴードンがったが、ジョアキム・ノア、ローズが成績せいせきげ2ねん連続れんぞく勝率しょうりつわりとなった。

2009-2010シーズン終了しゅうりょう、オフにカルロス・ブーザー獲得かくとく戦力せんりょくをアップさせた。

2010-2011シーズンはローズが史上しじょう7にんの25得点とくてん、4リバウンド、7アシスト以上いじょう記録きろくし、1997-1998シーズン以来いらいとなる62しょう20はいでカンファレンス1でプレーオフに進出しんしゅつしたが、カンファレンスファイナルでマイアミ・ヒートやぶれファイナル進出しんしゅつはできなかった。

2011-12シーズンは、強固きょうこなディフェンスと組織そしきりょくでチームは好調こうちょう維持いじ短縮たんしゅくシーズンとなったこのシーズンもサンアントニオ・スパーズおなじ50しょう16はい成績せいせきで、前年ぜんねんつづきリーグ最高さいこう勝率しょうりつげた。 プレーオフ初戦しょせんでローズがみぎひざぜん十字じゅうじ靭帯じんたいだんきれ離脱りだつし、1stラウンドで敗退はいたいした。

United Center coloring

2012-13シーズンは、ローズがシーズンを全休ぜんきゅうするなかで、ディフェンスと組織そしきりょくだい5シードでプレーオフに進出しんしゅつし1stラウンドはブルックリン・ネッツだい7せんくだしたが、つづくヒートには1しょうしたのみで敗退はいたいした。

2013-14シーズンは、まんもたしてローズは復帰ふっきたしたが10試合しあい出場しゅつじょうしたのみで11月22にちポートランド・トレイルブレイザーズせん負傷ふしょうし、翌日よくじつのMRI検査けんさみぎひざ半月はんつきばん損傷そんしょう確認かくにんされ[5]、11月25にち手術しゅじゅつおこなわれのこりシーズン全休ぜんきゅう発表はっぴょうされた[6]。 またしてもローズのいないシーズンがつづき、ジョアキム・ノアが、最優秀さいゆうしゅう守備しゅび選手せんしゅえらばれるなど、チームりょくり、48しょうさくシーズンより成績せいせきばしプレーオフに進出しんしゅつしたが、1stラウンドで、強力きょうりょくポイントガード、ジョン・ウォールがコントロールするワシントン・ウィザーズやぶれた。

バトラーの時代じだい

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2014-15シーズンは、オフにロサンゼルス・レイカーズからFAになっていたパウ・ガソル契約けいやくした。わりにカルロス・ブーザーとの契約けいやく解消かいしょうしたが、インサイドにたかさと経験けいけんくわえた。デリック・ローズ故障こしょうへきなやまされているが、ジミー・バトラー飛躍ひやくてき成長せいちょうせ、MIP候補こうほにもがる活躍かつやくぶりでチームを牽引けんいんトニー・スネルしん加入かにゅうニコラ・ミロティッチなどもちからけ、あぶなげのないたたかいぶりで、5ねん連続れんぞくでプレーオフ出場しゅつじょうめた。1stラウンドはミルウォーキー・バックスを4しょう2はい退しりぞけたが、セミファイナルはレブロン・ジェームズが5ねんりに復帰ふっきしたクリーブランド・キャバリアーズに2しょう4はいくっし、トム・シボドーヘッドコーチは5月28にち解任かいにん。6月1にちフレッド・ホイバーグしんヘッドコーチに就任しゅうにんした。

ホイバーグをしんヘッドコーチにむかえた2015-16シーズンは、開幕かいまく当初とうしょ好調こうちょうだった。ところが2016ねんはいり、ジョアキム・ノアジミー・バトラーなど主力しゅりょく負傷ふしょうしゃ続出ぞくしゅつして以降いこう状況じょうきょう一変いっぺん勝率しょうりつが5わり前後ぜんこうまでに低下ていか結局けっきょく42しょう40はいわり、ローズがブルズに入団にゅうだんして以降いこうはつのプレーオフ出場しゅつじょうわり、シーズン終了しゅうりょうにはローズをニューヨーク・ニックス放出ほうしゅつひとつの時代じだい終結しゅうけつした。

ローズをニューヨーク・ニックス放出ほうしゅつしたのにつづき、FA交渉こうしょう解禁かいきんした2016ねん7がつはいってからも、ジョアキム・ノア (ニックスへ) 、パウ・ガソル (サンアントニオ・スパーズへ) とのさい契約けいやく見送みおくるなど、ブルズはチーム再建さいけんみちあゆんでいくものとおもわれていた。ところが、ブルズは精力せいりょくてきうごきをせた。3にちレイジョン・ロンド獲得かくとくしたのにつづき、6にちにはマイアミ・ヒートに3栄冠えいかんをもたらした、地元じもとシカゴ出身しゅっしんドウェイン・ウェイド獲得かくとく発表はっぴょうしたのである。落胆らくたんしていたはずのブルズファンが、希望きぼうあふれたことはうまでもない。2016-17シーズンのブルズは、NBAチャンピオン経験けいけんほこ強力きょうりょくガードコンビを中心ちゅうしんいどむことになった。しかし、ぶたけてみると、大量たいりょう補強ほきょう効果こうかられず、勝率しょうりつ5わり前後ぜんこうたたかいに終始しゅうし。ロンドとニコラ・ミロティッチフレッド・ホイバーグHCと反目はんもくし、ウェイドはシーズン終了しゅうりょう退団たいだんほのめかすなど、プレーオフ出場しゅつじょうこそなにとかめたもの、1stラウンドでボストン・セルティックスに2しょう4はいくっし、期待きたいはずれのシーズンにわった。

低迷ていめい

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そのチームは再建さいけんかじり、チームのかおであったバトラーをミネソタ・ティンバーウルブズ放出ほうしゅつし、期待きたいされたほど成績せいせきのこせなかったロンドとウェイドも解雇かいこした。(ロンドはニューオーリンズ・ペリカンズへ、ウェイドはクリーブランド・キャバリアーズ移籍いせき)主力しゅりょく軒並のきな放出ほうしゅつした2017-2018シーズンは27しょう55はいおおきく低迷ていめい。2018ねんのオフにはドラフト7獲得かくとくすると、Cもウェンデル・カーター・ジュニアを指名しめい。さらにFA戦線せんせんではシカゴ出身しゅっしんのジャバリ・パーカーを獲得かくとくする。

シーズンごとの成績せいせき

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Note: かち = 勝利しょうりすう, はい = 敗戦はいせんすう, % = 勝率しょうりつ

シーズン かち はい % プレーオフ 結果けっか
シカゴ・ブルズ
1966-67 33 48 .407 ディビジョン準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい セントルイス 3, ブルズ 0
1967-68 29 53 .354 ディビジョン準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい レイカーズ 4, ブルズ 1
1968-69 33 49 .402
1969-70 39 43 .476 ディビジョン準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい ホークス 4, ブルズ 0
1970-71 51 31 .622 カンファレンス準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい レイカーズ 4, ブルズ 3
1971-72 57 25 .695 カンファレンス準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい レイカーズ 4, ブルズ 0
1972-73 51 31 .622 カンファレンス準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい レイカーズ 4, ブルズ 3
1973-74 54 28 .659 カンファレンス準決勝じゅんけっしょう勝利しょうり
カンファレンス決勝けっしょう敗退はいたい
ブルズ 4, ピストンズ 3
バックス 4, ブルズ 0
1974-75 47 35 .573 カンファレンス準決勝じゅんけっしょう勝利しょうり
カンファレンス決勝けっしょう敗退はいたい
ブルズ 4, カンザスシティ・オマハ 2
ウォリアーズ 4, ブルズ 3
1975-76 24 58 .293
1976-77 44 38 .537 1回戦かいせん敗退はいたい ブレイザーズ 2, ブルズ 1
1977-78 40 42 .488
1978-79 31 51 .378
1979-80 30 52 .366
1980-81 45 37 .549 1回戦かいせん勝利しょうり
カンファレンス準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
ブルズ 2, ニックス 0
セルティックス 4, ブルズ 0
1981-82 34 48 .415
1982-83 28 54 .341
1983-84 27 55 .329
1984-85 38 44 .463 1回戦かいせん敗退はいたい バックス 3, ブルズ 1
1985-86 30 52 .366 1回戦かいせん敗退はいたい セルティックス 3, ブルズ 0
1986-87 40 42 .488 1回戦かいせん敗退はいたい セルティックス 3, ブルズ 0
1987-88 50 32 .610 1回戦かいせん勝利しょうり
カンファレンス準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
ブルズ 3, キャブス 2
ピストンズ 4, ブルズ 1
1988-89 47 35 .573 1回戦かいせん勝利しょうり
カンファレンス準決勝じゅんけっしょう勝利しょうり
カンファレンス決勝けっしょう敗退はいたい
ブルズ 3, キャブス 2
ブルズ 4, ニックス 2
ピストンズ 4, ブルズ 2
1989-90 55 27 .671 1回戦かいせん勝利しょうり
カンファレンス準決勝じゅんけっしょう勝利しょうり
カンファレンス決勝けっしょう敗退はいたい
ブルズ 3, バックス 1
ブルズ 4, シクサーズ 1
ピストンズ 4, ブルズ 3
1990-91 61 21 .744 1回戦かいせん勝利しょうり
カンファレンス準決勝じゅんけっしょう勝利しょうり
カンファレンス決勝けっしょう勝利しょうり
NBAファイナル優勝ゆうしょう
ブルズ 3, ニックス 0
ブルズ 4, シクサーズ 1
ブルズ 4, ピストンズ 0
ブルズ 4, レイカーズ 1
1991-92 67 15 .817 1回戦かいせん勝利しょうり
カンファレンス準決勝じゅんけっしょう勝利しょうり
カンファレンス決勝けっしょう勝利しょうり
NBAファイナル優勝ゆうしょう
ブルズ 3, ヒート 0
ブルズ 4, ニックス 3
ブルズ 4, キャブス 2
ブルズ 4, ブレイザーズ 2
1992-93 57 25 .695 1回戦かいせん勝利しょうり
カンファレンス準決勝じゅんけっしょう勝利しょうり
カンファレンス決勝けっしょう勝利しょうり
NBAファイナル優勝ゆうしょう
ブルズ 3, ホークス 0
ブルズ 4, キャブス 0
ブルズ 4, ニックス 2
ブルズ 4, サンズ 2
1993-94 55 27 .671 1回戦かいせん勝利しょうり
カンファレンス準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
ブルズ 3, キャブス 0
ニックス 4, ブルズ 3
1994-95 47 35 .573 1回戦かいせん勝利しょうり
カンファレンス準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
ブルズ 3, シャーロット 1
マジック 4, ブルズ 2
1995-96 72 10 .878 1回戦かいせん勝利しょうり
カンファレンス準決勝じゅんけっしょう勝利しょうり
カンファレンス決勝けっしょう勝利しょうり
NBAファイナル優勝ゆうしょう
ブルズ 3, ヒート 0
ブルズ 4, ニックス 1
ブルズ 4, マジック 0
ブルズ 4, ソニックス 2
1996-97 69 13 .841 1回戦かいせん勝利しょうり
カンファレンス準決勝じゅんけっしょう勝利しょうり
カンファレンス決勝けっしょう勝利しょうり
NBAファイナル優勝ゆうしょう
ブルズ 3, ウィザーズ 0
ブルズ 4, ホークス 1
ブルズ 4, ヒート 1
ブルズ 4, ジャズ 2
1997-98 62 20 .756 1回戦かいせん勝利しょうり
カンファレンス準決勝じゅんけっしょう勝利しょうり
カンファレンス決勝けっしょう勝利しょうり
NBAファイナル優勝ゆうしょう
ブルズ 3, ネッツ 0
ブルズ 4, シャーロット 1
ブルズ 4, ペイサーズ 3
ブルズ 4, ジャズ 2
1998-99 13 37 .260
1999-2000 17 65 .207
2000-01 15 67 .183
2001-02 21 61 .256
2002-03 30 52 .366
2003-04 23 59 .280
2004-05 47 35 .573 1回戦かいせん敗退はいたい ウィザーズ 4, ブルズ 2
2005-06 41 41 .500 1回戦かいせん敗退はいたい ヒート 4, ブルズ 2
2006-07 49 33 .610 1回戦かいせん勝利しょうり
カンファレンス準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
ブルズ 4, ヒート 0
ピストンズ 4, ブルズ 2
2007-08 33 49 .402
2008-09 41 41 .500 1回戦かいせん敗退はいたい セルティックス 4, ブルズ 3
2009-10 41 41 .500 1回戦かいせん敗退はいたい キャブス 4, ブルズ 1
2010-11 62 20 .756 1回戦かいせん勝利しょうり
カンファレンス準決勝じゅんけっしょう勝利しょうり
カンファレンス決勝けっしょう敗退はいたい
ブルズ 4, ペイサーズ 1
ブルズ4, ホークス 2
ヒート 4, ブルズ 1
2011-12 50 16 .758 1回戦かいせん敗退はいたい シクサーズ 4, ブルズ 2
2012-13 45 37 .549 1回戦かいせん勝利しょうり
カンファレンス準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
ブルズ 4, ネッツ 3
ヒート 4, ブルズ 1
2013-14 48 34 .585 1回戦かいせん敗退はいたい ウィザーズ 4, ブルズ 1
2014-15 50 32 .610 1回戦かいせん勝利しょうり
カンファレンス準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
ブルズ 4, バックス2
キャバリアーズ 4, ブルズ 2
2015–16 42 40 .512
2016–17 41 41 .500 1回戦かいせん敗退はいたい セルティックス 4, ブルズ 2
2017–18 27 55 .329
2018–19 22 60 .268
2019–20 22 43 .338
2020–21 31 41 .431
2021–22 46 36 .561 1回戦かいせん敗退はいたい バックス 4, ブルズ 1
2022–23 40 42 .488
2023–24 39 43 .476
通算つうさん勝敗しょうはい 2,383 2,297 .509
プレイオフ 187 162 .536 優勝ゆうしょう6かい

おも選手せんしゅ

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現役げんえき選手せんしゅ

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シカゴ・ブルズ ロースター
プレーヤー スタッフ
Pos. # 名前なまえ 国籍こくせき 年齢ねんれい 身長しんちょう 体重たいじゅう 出身しゅっしん
G 2 ロンゾ・ボール (Lonzo Ball)  アメリカ合衆国 26 (1997/10/27) 6 ft 6 in (1.98 m) 190 lb (86 kg) UCLA 
F 17 オヌラルプ・ビティム (Onuralp Bitim) トルコ 25 (1999/03/31) 6 ft 6 in (1.98 m) 215 lb (98 kg) トルコ 
F 00 マタス・ブゼリス (Matas Buzelis) リトアニア 19 (2004/10/13) 6 ft 10 in (2.08 m) 209 lb (95 kg) イグナイト 
G 5 ジェヴォン・カーター (Jevon Carter) アメリカ合衆国 28 (1995/09/14) 6 ft 1 in (1.85 m) 200 lb (91 kg) ウェストバージニア大学だいがく 
F 13 トーリー・クレイグ (Torrey Craig) アメリカ合衆国 33 (1990/12/19) 6 ft 5 in (1.96 m) 221 lb (100 kg) USCアップステート 
G 12 アヨ・ドスンム (Ayo Dosunmu) アメリカ合衆国 24 (2000/01/17) 6 ft 5 in (1.96 m) 200 lb (91 kg) イリノイ大学だいがく 
G/F 77 ヘンリ・ドレル (Henri Drell)  エストニア 24 (2000/04/25) 6 ft 9 in (2.06 m) 209 lb (95 kg) エストニア 
G 27 クリス・ドゥアルテ (Chris Duarte) アメリカ合衆国 27 (1997/06/13) 6 ft 5 in (1.96 m) 190 lb (86 kg) オレゴン大学だいがく 
G 30 アンドリュー・ファンク (Andrew Funk)  アメリカ合衆国 24 (1999/09/21) 6 ft 5 in (1.96 m) 200 lb (91 kg) ペン州立しゅうりつ大学だいがく 
G 3 ジョシュ・ギディー (Josh Giddey) オーストラリア 21 (2002/10/10) 6 ft 8 in (2.03 m) 205 lb (93 kg) オーストラリア 
G/F 24 ジャボンテ・グリーン (Javonte Green) アメリカ合衆国 31 (1993/07/23) 6 ft 5 in (1.96 m) 205 lb (93 kg) ラドフォード大学だいがく 
G 8 ザック・ラビーン (Zach LaVine) アメリカ合衆国 29 (1995/03/10) 6 ft 5 in (1.96 m) 200 lb (91 kg) UCLA 
F 15 ジュリアン・フィリップス (Julian Phillips) アメリカ合衆国 20 (2003/11/05) 6 ft 8 in (2.03 m) 198 lb (90 kg) テネシー大学だいがく 
F 21 アダマ・サノゴ (Adama Sanogo)  マリ共和国 22 (2002/02/12) 6 ft 9 in (2.06 m) 245 lb (111 kg) UConn 
C - ジェイレン・スミス (Jalen Smith) アメリカ合衆国 24 (2000/03/16) 6 ft 10 in (2.08 m) 215 lb (98 kg) メリーランド大学だいがく 
G/F 25 デイレン・テリー (Dalen Terry) アメリカ合衆国 22 (2002/07/12) 6 ft 7 in (2.01 m) 195 lb (88 kg) アリゾナ大学だいがく 
C 9 ニコラ・ブーチェビッチ (Nikola Vučević) モンテネグロ 33 (1990/10/24) 7 ft 0 in (2.13 m) 240 lb (109 kg) USC 
G 0 コービー・ホワイト (Coby White) アメリカ合衆国 24 (2000/02/16) 6 ft 4 in (1.93 m) 195 lb (88 kg) ノースカロライナ大学だいがく 
F 44 パトリック・ウィリアムズ (Patrick Williams)  アメリカ合衆国 23 (2001/08/26) 6 ft 8 in (2.03 m) 215 lb (98 kg) フロリダ州立しゅうりつ大学だいがく 

記号きごう説明せつめい


外部がいぶリンク


更新こうしん:2024ねん07がつ7にち


年代ねんだいべつ主要しゅよう選手せんしゅ

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ふとし文字もじ殿堂でんどう選手せんしゅ (C)…優勝ゆうしょう在籍ざいせきした選手せんしゅ (M)…在籍ざいせきMVP獲得かくとくした選手せんしゅ (50)…偉大いだいな50にん (75)…偉大いだいな75にん

栄誉えいよ

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コーチ、その

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チーム記録きろく

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シカゴ・ブルズのチーム記録きろく

脚註きゃくちゅう

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  1. ^ “NBA Unveils Logo for NBA All-Star 2020 in Chicago”. NBA Media Ventures, LLC. (February 17, 2019). オリジナルのFebruary 19, 2019時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190219020232/https://www.nba.com/bulls/news/nba-unveils-logo-nba-all-star-2020-chicago February 18, 2019閲覧えつらん. "The Chicago Bulls’ signature font and team colors – red and black – are also incorporated into the logo scheme." 
  2. ^ Chicago Bulls Reproduction and Usage Guideline Sheet”. NBA Properties, Inc.. December 22, 2017てんのオリジナルよりアーカイブDecember 22, 2017閲覧えつらん
  3. ^ "Zenni Optical Become First Every Jersey Patch Partner". Bulls.com (Press release). NBA Media Ventures, LLC. 16 October 2018. 2018ねん10がつ17にち時点じてんのオリジナルよりアーカイブ。2018ねん10がつ16にち閲覧えつらん
  4. ^ 「グラントがいた時代じだいのほうがいチームだった」黄金おうごんのブルズと対戦たいせんしたバークレーがそうかた理由りゆう”. THE DIGEST (2021ねん1がつ13にち). 2021ねん1がつ14にち閲覧えつらん
  5. ^ Derrick Rose out indefinitely”. ESPN.com (November 23, 2013). November 23, 2013閲覧えつらん
  6. ^ K.C. Johnson, "Bulls' Rose is likely out for season," Chicago Tribune, November 25, 2013.

外部がいぶリンク

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