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1995-1996シーズンのNBA

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1995-1996シーズンのNBA
シカゴ・ブルズ 
期間きかん 1995ねん11月3にち-1996ねん6月16にち
TV 放送ほうそう NBC, TBS
観客かんきゃく動員どういんすう 17,778,295にん
サラリーキャップ 2300まんドル
平均へいきんサラリー 200まんドル
ドラフト
レギュラーシーズン
トップシード シカゴ・ブルズ
MVP マイケル・ジョーダン
スタッツリーダー  
  得点とくてん マイケル・ジョーダン
チーム平均へいきん得点とくてん 99.5得点とくてん
プレーオフ
 イースタン  優勝ゆうしょう シカゴ・ブルズ
   オーランド・マジック
ファイナル
 チャンピオン  シカゴ・ブルズ
ファイナルMVP マイケル・ジョーダン
←1994-95

1995-1996シーズンのNBAは、NBAの50かいシーズンである。

シーズンまえ[編集へんしゅう]

ドラフト[編集へんしゅう]

ドラフトではジョー・スミスゴールデンステート・ウォリアーズから全体ぜんたい1指名しめいけている。には、アントニオ・マクダイス(2)、ジェリー・スタックハウス(3)、ラシード・ウォーレス(4)、ケビン・ガーネット(5)、ブライアント・リーブス(6)、デイモン・スタウダマイアー(7)、カート・トーマス(10)、ゲイリー・トレント(11)、チェロキー・パークス(12)、コーリス・ウィリアムソン(13)、エリック・ウィリアムス(14)、ブレント・バリー(15)、アラン・ヘンダーソン(16)、ボブ・スーラ(17)、セオ・ラトリフ(18)、ジェイソン・キャフィー(20)、マイケル・フィンリー(21)、トラビス・ベスト(23)、グレッグ・オスタータグ(28)、コーリー・アレクサンダー(29)、アンドリュー・デクラーク(34)、エリック・スノウ(43)、タイアス・エドニー(47)、フレッド・ホイバーグ(52)、クリス・カー(56)、ドン・リード(58)らが指名しめいけている。ドラフトがい選手せんしゅにはジョン・アメイチリック・ブランソンマット・マロニーケビン・オーリーらがいる。

全体ぜんたい5指名しめいミネソタ・ティンバーウルブズ入団にゅうだんしたケビン・ガーネットは、そののNBA全体ぜんたいながれにおおきな影響えいきょうあたえた選手せんしゅとなった。まずかれはNBAにとっては20ねんぶりとなる、大学だいがく進学しんがくせずに高校こうこうから直接ちょくせつNBAりをたした選手せんしゅとなった。以後いご、ドラフトにアーリーエントリーする高卒こうそつ選手せんしゅ急増きゅうぞうし、かくチームは将来しょうらい嘱望しょくぼうされる選手せんしゅ大学だいがくでのプレイをたずしてれることができるようになったが、一方いっぽうでリーグのてい年齢ねんれい問題もんだいされるようになり、2005ねんにはドラフトの年齢ねんれい制限せいげんが18さいから19さいげられることがまった。またガーネットが1997ねんむすんだ巨額きょがく契約けいやく当時とうじのサラリーの高騰こうとう拍車はくしゃけ、1998ねん発生はっせいするロックアウト一因いちいんにもなった。

オールスターにはA・マクダイス、J・スタックハウス、R・ウォーレス、K・ガーネット、T・ラトリフ、M・フィンリーの6にん選出せんしゅつされている。

 詳細しょうさい1995ねんのNBAドラフト参照さんしょう

カナダ進出しんしゅつ[編集へんしゅう]

さらなる海外かいがい進出しんしゅつねらうNBAは、カナダ本拠地ほんきょちバンクーバー・グリズリーズトロント・ラプターズあらたに加盟かめいし、リーグは27チームから29チームに拡大かくだいした。NBAのカナダ進出しんしゅつは、じつにNBAの前身ぜんしんであるBAA創設そうせつ存在そんざいしたトロント・ハスキーズ以来いらいのことである。しかしバンクーバーでの興行こうぎょうるわず、2001ねんにグリズリーズはテネシーしゅうメンフィス本拠地ほんきょち移転いてんしている。

ロックアウト危機きき[編集へんしゅう]

ぜんのオフにこった「バック・ウィリアムス事件じけん」の球団きゅうだんオーナーと選手せんしゅかいしん労使ろうし協定きょうてい締結ていけつはシーズンがわっても解決かいけつず、このオフも両者りょうしゃ交渉こうしょう対立たいりつつづいた。リーグは7がつ1にち選手せんしゅかいたいして、しん協定きょうてい合意ごういければロックアウト実施じっしするという最終さいしゅう宣告せんこく通知つうち。そして実際じっさいいくつかの業務ぎょうむ停止ていしさせている。事実じじつじょうNBAはつのロックアウト突入とつにゅうという事態じたいパトリック・ユーイングはじめとする有志ゆうし選手せんしゅ問題もんだい解決かいけつうごき、ラグジュアリー・タックス(贅沢ぜいたくぜい)のげや、ラリー・バード例外れいがい条項じょうこう復活ふっかつなどのリーグからの譲歩じょうほした。9月にはしん協定きょうてい合意ごうい是非ぜひうNBAぜん選手せんしゅによる記名きめい投票とうひょうおこなわれ、このときは226選手せんしゅちゅう134の反対はんたい否決ひけつされたが、後日ごじつ選手せんしゅ代表だいひょう25めいのみでさい投票とうひょうおこなわれ、23めい賛成さんせい投票とうひょう。9月15にちおこなわれた球団きゅうだんオーナー24にん投票とうひょうでも19にん賛成さんせいとうじ、ようやくしん協定きょうてい締結ていけつまり、しんシーズンがはじまるまえにロックアウトも無事ぶじ解除かいじょされた。協定きょうていおも内容ないよう以下いかとおり。

  • ラリー・バード例外れいがい条項じょうこう復活ふっかつ
  • ルーキー・サラリーキャップの確立かくりつ。これが上記じょうきのケビン・ガーネットの高額こうがく契約けいやくつながる。
  • サラリーキャップの上限じょうげんをリーグ全体ぜんたい収益しゅうえき48.04%とする。

なお、このとき指導しどうりょく発揮はっきしたユーイングは、のち選手せんしゅかい会長かいちょう就任しゅうにんする。またこのオフではNBA公式こうしき審判しんぱんいんたちたいするロックアウトもきており、かれらは12月になってようやく職場しょくば復帰ふっきした。

シーズン[編集へんしゅう]

オールスター[編集へんしゅう]

※ブレント・バリーはスラムダンクコンテスト史上しじょうはつ白人はくじん優勝ゆうしょうしゃとなった。

イースタン・カンファレンス[編集へんしゅう]

Atlantic Division
Team W L PCT. GB
オーランド・マジック 60 22 .732 -
ニューヨーク・ニックス 47 35 .573 13
マイアミ・ヒート 42 40 .512 18
ワシントン・ブレッツ 39 43 .476 21
ボストン・セルティックス 33 49 .402 27
ニュージャージー・ネッツ 30 52 .366 30
フィラデルフィア・76ers 18 64 .220 42
Central Division
Team W L PCT. GB
シカゴ・ブルズ 72 10 .878 -
インディアナ・ペイサーズ 52 30 .634 20
クリーブランド・キャバリアーズ 47 35 .573 25
アトランタ・ホークス 46 36 .561 26
デトロイト・ピストンズ 46 36 .561 26
シャーロット・ホーネッツ 41 41 .500 31
ミルウォーキー・バックス 25 57 .305 47
トロント・ラプターズ 21 61 .256 51

ウエスタン・カンファレンス[編集へんしゅう]

Midwest Division
Team W L PCT. GB
サンアントニオ・スパーズ 59 23 .720 -
ユタ・ジャズ 55 27 .671 4
ヒューストン・ロケッツ 48 34 .585 11
デンバー・ナゲッツ 35 47 .427 24
ダラス・マーベリックス 26 56 .317 33
ミネソタ・ティンバーウルブズ 26 56 .317 33
バンクーバー・グリズリーズ 15 67 .183 44
Pacific Division
Team W L PCT. GB
シアトル・スーパーソニックス 64 18 .780 -
ロサンゼルス・レイカーズ 53 29 .646 11
ポートランド・トレイルブレイザーズ 44 38 .537 20
フェニックス・サンズ 41 41 .500 23
サクラメント・キングス 39 43 .476 25
ゴールデンステート・ウォリアーズ 36 46 .439 28
ロサンゼルス・クリッパーズ 29 53 .354 35

スタッツリーダー[編集へんしゅう]

部門ぶもん 選手せんしゅ チーム AVG
得点とくてん マイケル・ジョーダン シカゴ・ブルズ 30.4
リバウンド デニス・ロッドマン シカゴ・ブルズ 14.9
アシスト ジョン・ストックトン ユタ・ジャズ 11.2
スティール ゲイリー・ペイトン シアトル・スーパーソニックス 2.9
ブロック ディケンベ・ムトンボ デンバー・ナゲッツ 4.5
FG% ゲオルゲ・ムレシャン ワシントン・ブレッツ 58.4
FT% マクムード・アブドゥル=ラウーフ デンバー・ナゲッツ 93.0
3FG% ティム・レグラー ワシントン・ブレッツ 52.2

かくしょう[編集へんしゅう]

72-10[編集へんしゅう]

ぜんやく18ヶ月かげつぶりにNBAに復帰ふっきしたマイケル・ジョーダンにとって、プレーオフ・カンファレンス準決勝じゅんけっしょうでの敗退はいたいは、ブランクのおもさと時代じだいながれを痛感つうかんさせられた出来事できごとだった。ジョーダンは試合しあい終盤しゅうばん重要じゅうよう場面ばめんで、かつてはなんめたクラッチシュートをことごとはずし、わかオーランド・マジック完敗かんぱいきっしてしまったのである。ジョーダンはシーズン平均へいきん26.9得点とくてんをあげるなど復帰ふっき直後ちょくごからリーグトップクラスの数字すうじたたしていたが、すでに32さい。1ねんはんのブランクと年齢ねんれいというかべには、さしものジョーダンでも容易たやすえられるものではなかった。

しかしジョーダンは大変たいへんけずぎらいだった。このオフ、ジョーダンはかつてないほどもう練習れんしゅうをしたという。そしてメジャーリーグようらしていた肉体にくたいをバスケットようの、トップのもどすための肉体にくたいつくえることに成功せいこう。またNBAでの感覚かんかくもどすために、プライベートではチームメイトのスコッティ・ピッペンや、レジー・ミラーシャキール・オニールらという非常ひじょう豪華ごうか選手せんしゅ練習れんしゅう相手あいてとしてせた。

ジョーダンが黙々もくもくとトレーニングにはげなかシカゴ・ブルズも3ねんぶりの王座おうざ奪還だっかんけて大胆だいたん人事じんじおこなった。劇薬げきやくデニス・ロッドマンしてしまったのである。デトロイト・ピストンズ時代じだいはリーグ最高さいこうのディフェンダーとして活躍かつやくしたが、"バッドボーイズ"解体かいたい移籍いせきしたサンアントニオ・スパーズではかれ破天荒はてんこう性格せいかくわざわいしてチームないいた存在そんざいとなり、いつしか厄介やっかいしゃられるようになっていた。そしてこのオフに、ウィル・パデューとの交換こうかん、ほとんど無償むしょうえるトレード内容ないようで、ブルズにやってきたのである。ロッドマンとえばその性格せいかく以前いぜんに、ブルズにとっては80年代ねんだい散々さんざんくるしめられた"バッドボーイズ"の一員いちいんである。ピッペンなどはロッドマンにののしられたうえにコートがいばされ、あご怪我けがまでわされている。たしてこのロッドマンがブルズで機能きのうするのか、おおきな注目ちゅうもくあつまった(なお、このシーズンのブルズにはロッドマン、ジョン・サリージェームス・エドワーズもと"バッドボイーズ"3選手せんしゅ所属しょぞくしていた)。

ジョーダンがこのオフにんだハードトレーニングの成果せいかは、開幕かいまくせんから発揮はっきされた。このジョーダンはシャーロット・ホーネッツたいし42得点とくてん記録きろく。このジョーダンの活躍かつやくがそのつづかい進撃しんげき狼煙のろしとなった。ブルズは序盤じょばんを10しょう2はいこうスタートをると、11月まつからはてきたちをらし、やく2ヶ月かげつを31しょう1はい猛烈もうれついきおいでつづけた。

懸案けんあんだったロッドマンは審判しんぱんあたまとっきをして6試合しあい出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんけたところは相変あいかわらずだったが、フィル・ジャクソンHCにたいしては敬意けいいはらうようになり、そして難解なんかいトライアングル・オフェンスもすぐに理解りかいし、かれのリバウンドりょくとディフェンスりょくはチームにおおきな貢献こうけんたした。またジョーダン不在ふざいのブルズをエースとしてささえていたスコッティ・ピッペンは、スリーピート時代じだいよりもさらに一皮ひとかわけており、ジョーダンにも「ブルズはピッペンのチーム」とわしめるほどたかいリーダーシップを発揮はっきした。そしてジョーダンはリーグ最高さいこう選手せんしゅとしての姿すがたもどしたが、しかしかれのプレイスタイルにはスリーピート時代じだいくらべて変化へんかられ、めぐまれた身体しんたい能力のうりょくかした強烈きょうれつなスラムダンカーから、フェイダウェイジャンプショットなどを駆使くしする技巧ぎこうてきなジャンプシューターにまれわっていた。ジョーダン、ピッペン、ロッドマンのトリオは実力じつりょく話題わだいせいもNBA史上しじょう屈指くっしであるビッグスリーとなり、リーグを席巻せっけんした。

ブルズはサポーティングキャストも充実じゅうじつしていた。スリーピート時代じだいささえたホーレス・グラントビル・カートライトジョン・パクソンB.J.アームストロングはすでにり、ジョーダンとピッペン以外いがいのメンバーは様変さまがわりしていた。多彩たさい才能さいのうったオールラウンドプレイヤーでクロアチア出身しゅっしんトニー・クーコッチはこのシーズンのシックスマンしょうえらばれ、またスティーブ・カーはパクソン、アームストロングにわる3Pシューターとしてこのシーズンは3Pシュート成功せいこうりつ51.5%というたか数字すうじ記録きろくし、リーグ全体ぜんたいでも2成績せいせきだった。クリーブランド・キャバリアーズ時代じだいはブルズに散々さんざんまされてきたロン・ハーパーぜんよりブルズに移籍いせきし、すぐれたディフェンダーとしてジョーダンとともにブルズのペリメーターをまもり、センタールーク・ロングリーはスクリーナーとして主力しゅりょく選手せんしゅたちをたすけた。

ブルズは2がつにこのシーズン唯一ゆいいつ連敗れんぱいきっするも、そのいきおいはまることをらず、4がつ14にちのキャバリアーズせんではついに当時とうじのNBA記録きろくである、ロサンゼルス・レイカーズ1971-72シーズン記録きろくした69しょうならんだ。そして2にちミルウォーキー・バックスせんでは、NBA史上しじょうはつとなる70しょう到達とうたつ。そのもさらに2しょう上積うわづみし、ブルズがこのシーズンにげたぼしは72までにのぼった。72しょう10はいはもちろんNBAしん記録きろくである。

ジョーダンは30.4得点とくてん記録きろくし、見事みごとに8度目どめ得点とくてんおうかえき、ウィルト・チェンバレンつ7かい得点とくてんおう記録きろく更新こうしんした。オールNBA1stチーム、オールディフェンシブ1stチームにも選出せんしゅつされ、そして72しょうという空前絶後くうぜんぜつごぼしをあげたチームのエースとして、自身じしん4度目どめとなるMVPも獲得かくとくした。またピッペンもオールNBA1stチーム、ディフェンシブ1stチームにえらべれ、さらにロッドマンも5ねん連続れんぞくのリバウンドおうとディフェンシブ1stチームにつらねたことから、ブルズには当時とうじリーグ最高峰さいこうほうのディフェンダーが3にん在籍ざいせきしていることになった。ブルズのこのシーズンの平均へいきん失点しってんは92.9得点とくてんでリーグ3平均へいきん得点とくてんは105.2得点とくてんでリーグ1だった。またジョーダンはオールスターMVP、フィル・ジャクソンは最優秀さいゆうしゅうコーチしょうジェリー・クロウゼ球団きゅうだん社長しゃちょうエグゼクティブ・オブ・ザ・イヤーにそれぞれえらばれ、このシーズンのNBAはまさにブルズ一色いっしょくのシーズンとなった。

シーズン概要がいよう[編集へんしゅう]

プレーオフファイナル[編集へんしゅう]

  ファースト ラウンド カンファレンス セミファイナル カンファレンス ファイナル NBAファイナル
                                     
1 ブルズ 3  
8 ヒート 0  
  1 ブルズ 4  
  5 ニックス 1  
4 キャバリアーズ 0
5 ニックス 3  
  1 ブルズ 4  
イースタン・カンファレンス
  2 マジック 0  
3 ペイサーズ 2  
6 ホークス 3  
  6 ホークス 1
  2 マジック 4  
2 マジック 3
7 ピストンズ 0  
  E1 ブルズ 4
  W1 スーパーソニックス 2
1 スーパーソニックス 3  
8 キングス 1  
  1 スーパーソニックス 4
  5 ロケッツ 0  
4 レイカーズ 1
5 ロケッツ 3  
  1 スーパーソニックス 4
ウェスタン・カンファレンス
  3 ジャズ 3  
3 ジャズ 3  
6 トレイルブレイザーズ 2  
  3 ジャズ 4
  2 スパーズ 2  
2 スパーズ 3
7 サンズ 1  

後期こうきブルズ王朝おうちょう[編集へんしゅう]

数字すうじじょうNBA史上しじょう最強さいきょうのチームとなったシカゴ・ブルズめられるチームは、プレーオフにはいってもあらわれなかった。ブルズをもっとくるしめたのはこのとしもやはりパトリック・ユーイングひきいるニューヨーク・ニックスだったが、かれらでさえもブルズから1しょううばうのがやっとだった。貴重きちょうシックスマンだったトニー・クーコッチ怪我けがうしなうアクシデントに見舞みまわれたものの、1回戦かいせんマイアミ・ヒートをスイープでくだし、カンファレンス準決勝じゅんけっしょうでニックスを4しょう1はい退しりぞけたブルズは、カンファレンス決勝けっしょうオーランド・マジック対決たいけつぜんのプレーオフでは復帰ふっきしたてのジョーダンがわかいマジックの選手せんしゅ翻弄ほんろうされたため、ジョーダンが敗因はいいんとなってやぶれたが、そのマジックもこのとしのブルズのてきではなかった。ブルズはマジックを4せん4しょうのスイープでくだし、3シーズンぶりのファイナルへとがった。

このとしのブルズはリーグ最年長さいねんちょうのチームだったが、無類むるいつよさをほこったブルズにファイナルでいどむのは、わか2人ふたり選手せんしゅ主力しゅりょくになうチームだった。1979ねん優勝ゆうしょうチームであるシアトル・スーパーソニックスは、1980年代ねんだいをプレーオフ当落とうらく線上せんじょうする中堅ちゅうけんチームとしてごした。そのソニックスがふたた優勝ゆうしょう戦線せんせん名乗なのりをあげることになったのは、1989ねんから2ねん連続れんぞくでソニックスに入団にゅうだんしたショーン・ケンプゲイリー・ペイトン活躍かつやくにある。ペイトンは攻守こうしゅすぐれたリーグ屈指くっしポイントガードとなり、マイケル・ジョーダンが1度目どめ引退いんたいをして以降いこう、「世界せかい最高さいこうのバスケットボールプレイヤー」との評価ひょうかける時期じきもあった。ケンプは強烈きょうれつなスラムダンカーでられ、ペイトンのアシストをけててきゴールにあめごとくダンクをらせることから、"レインマン"の異名いみょうをとった。このシーズン、ペイトンは27さい、ケンプは26さい。ソニックスはマジックのシャキール・オニールアンファニー・ハーダウェイ同様どうよう、ジョーダン不在ふざいあいだにリーグで台頭たいとうせたしん世代せだい中心ちゅうしんのチームだった。

もっとも純粋じゅんすいわかいチームだったマジックにたいし、ソニックスはわか2人ふたりをサポートできる優秀ゆうしゅうなベテラン選手せんしゅそろっていた。すぐれたオールラウンドプレイヤーだった西にしドイツ出身しゅっしんデトレフ・シュレンプ、ファイナル出場しゅつじょう経験けいけんサム・パーキンスらである。ソニックスはジョージ・カールをヘッドコーチにむかれた1992-93シーズンには55しょうよく1993-94シーズンには当時とうじのフランチャイズ記録きろくとなる63しょう記録きろくする、リーグ屈指くっし強豪きょうごうチームとなった。しかしかれらはプレーオフで醜態しゅうたいさらす。63しょう記録きろくした1993ねんだい1シードとしてプレーオフに突入とつにゅうしたが、1回戦かいせんだい8シードのデンバー・ナゲッツ史上しじょう最大さいだいきゅうのアップセットをたされ、よくシーズンも57しょう記録きろくしながらもロサンゼルス・レイカーズに1回戦かいせんやぶれている。失意しついの2シーズンをおくったソニックスは、オフにケンドール・ギル放出ほうしゅつし、シューターのハーシー・ホーキンス獲得かくとくしてしんシーズンにのぞんだ。

そしてソニックスはこのシーズン、フランチャイズ記録きろくふたた更新こうしんする64しょう記録きろく。1回戦かいせんあぶなげなくがり、カンファレンス準決勝じゅんけっしょうではぜんチャンピオンのヒューストン・ロケッツをスイープでくだした。カンファレンス決勝けっしょうではジョン・ストックトンカール・マローンとの新旧しんきゅうPG&PF対決たいけつを4しょう3はいせいし、ついに念願ねんがんのファイナル進出しんしゅつたした。

だい1せん[編集へんしゅう]

史上しじょう最強さいきょうのチーム相手あいてにソニックスの苦戦くせん必至ひっしおもわれたが、ソニックスは善戦ぜんせんし、だい4Qにはいった時点じてんで2てんビハインドの位置いちけていた。しかしここからブルズのディフェンスがソニックスをくるしめ、だい4QのソニックスのオフェンスはFG5/18、6ターンオーバーという内容ないようだった。さらにここからトニー・クーコッチの猛襲もうしゅうはじまる。プレーオフ期間きかんちゅうった怪我けがでここまでおもうような活躍かつやく出来できなかったこのシーズンのベスト・シックスマンは、一人ひとり連続れんぞく9得点とくてん記録きろく。ショーン・ケンプのファウルをもらい、めずらしい4てんプレイもめた。クーコッチの活躍かつやく一気いっきにソニックをはなしたブルズは、107-90で完勝かんしょう。マイケル・ジョーダンは28得点とくてんスコッティ・ピッペンは21得点とくてん、クーコッチが18得点とくてんロン・ハーパーは15得点とくてん記録きろく一方いっぽうのソニックスはショーン・ケンプが32得点とくてん記録きろくするも、ゲイリー・ペイトンは13得点とくてんおさまれた。

Team 1 2 3 4 Tot.
スーパーソニックス 18 30 29 13 90
ブルズ 24 29 26 28 107

だい2せん[編集へんしゅう]

だい2せんもソニックスは善戦ぜんせんし、だい3Qのこり2ふん28びょうにはペイトンのシュートでその2てんまでいた。しかしここからデニス・ロッドマンのリバウンドとハッスレプレーがソニックスにかたむけていたながれをもどすと、だい4Qにはいるとまたもやクーコッチにき、ブルズの10-1の連続れんぞく得点とくてんのうち6得点とくてんをあげる活躍かつやくせ、ソニックスを一気いっきはなした。それでもソニックスはねばりをせ、のこり9びょうには3てんにまでいつく。3Pシュートがまれば同点どうてんとなるこの重要じゅうよう場面ばめんで、ブルズの命運めいうんはピッペンの2ほんのフリースローにたくされたが、ピッペンは2ほんともミス。しかし2ほんのミスショットをロッドマンがヘルドボールのすえ見事みごと確保かくほし、ふたたびフリースロー2ほんあたえられた。ロッドマンのこのシーズンのフリースロー成功せいこうりつは52.8%だったが、ロッドマンは数字すうじどおり2ほんのうち1ほんめ、これが決勝けっしょうてんとなって92-88でブルズが2連勝れんしょうかざった。

ブルズはジョーダンが29得点とくてん8アシスト、ピッペンが21得点とくてん。ロッドマンが記録きろくした20リバウンド(うちオフェンスリバウンド11ほん)はファイナルタイ記録たいきろくとなった。ソニックスはケンプが29得点とくてん13リバウンド4ブロックと奮闘ふんとうした。

Team 1 2 3 4 Tot.
スーパーソニックス 27 18 20 23 88
ブルズ 23 23 30 16 92

だい3せん[編集へんしゅう]

ソニックスのファンはリーグでももっとさわがしい観客かんきゃくとして有名ゆうめいだったが、かれらのチームがキーアリーナもどってきただい3せんでは、さしものソニックスファンも沈黙ちんもくせざるをえなかった。試合しあい序盤じょばんから快調かいちょうばしたブルズは前半ぜんはんだけで62-38の24てんをつけてソニックスを圧倒あっとう最終さいしゅうスコアも108-86とブルズが完勝かんしょうし、3連勝れんしょうかざってはやくも優勝ゆうしょう王手おうてけた。ブルズはジョーダンが36得点とくてんルーク・ロングリーが19得点とくてん負傷ふしょうしたハーパーのかわりに先発せんぱつ出場しゅつじょうしたクーコッチは14得点とくてん7リバウンド7アシスト、ピッペンは12得点とくてん8リバウンド9アシストを記録きろくした。

Team 1 2 3 4 Tot.
ブルズ 34 28 13 33 108
スーパーソニックス 16 22 23 25 86

だい4せん[編集へんしゅう]

強気つよき性格せいかく有名ゆうめいなペイトンはだい1せん敗戦はいせんのちも「我々われわれはブルズをやっつける」と豪語ごうごしていたが、3連敗れんぱいという事実じじつまえに「ジョーダンのいるチームにはてない」とらした。しかしめられただい4せんではジョーダン、ピッペン、ハーパーのブルズの先発せんぱつ3にんそろってシュートスランプにおちいり、一方いっぽうソニックスはここまでつねにチームを牽引けんいんしてきたケンプと、試合しあいまえには弱気よわき発言はつげんをしたペイトンが奮起ふんきだい3せんとはぎゃくに107-86と大差たいさをつけてブルズをくだした。ソニックスはケンプが25得点とくてん11リバウンド、ペイトンが21得点とくてん11アシスト、ハーシー・ホーキンスが18得点とくてん、サム・パーキンスは17得点とくてん記録きろく一方いっぽうブルズはジョーダンが23得点とくてんをあげるもFG成功せいこうりつは31.6%とシュートにくるしみ、ピッペンもいちけた得点とくてんわった。

Team 1 2 3 4 Tot.
ブルズ 21 11 31 23 86
スーパーソニックス 25 28 31 23 107

だい5せん[編集へんしゅう]

ソニックスのディフェンスがリーグトップのオフェンスりょくほこったブルズをふうめ、89-78で3連敗れんぱいから起死回生きしかいせいの2連勝れんしょうかざった。ソニックスはペイトン、ケンプ、ホーキンスの3にんが20得点とくてん以上いじょう記録きろく一方いっぽうのブルズはジョーダンが26得点とくてん記録きろくしたがチーム全体ぜんたいのFG成功せいこうりつが37.7%とソニックスのディフェンスに完全かんぜんおさまれたかたちとなり、また78得点とくてん当時とうじのブルズのファイナル最低さいていスコアだった。チームとともにリーグでもっとさわがしい観客かんきゃくとして復活ふっかつしたソニックスファンは、ブルズをシカゴおくかえし、だい声援せいえんかれらのチームをおくした。

Team 1 2 3 4 Tot.
ブルズ 18 24 18 18 78
スーパーソニックス 18 25 19 27 89

だい6せん[編集へんしゅう]

3連勝れんしょうからまさかの2連敗れんぱいかたむきかけたシリーズのながれをもどしたのは、"バッドボーイズ"時代じだいに2連覇れんぱ経験けいけんしたロッドマンだった。このたがいのディフェンスがぶつかりった試合しあいとなり、りょうチームとも90得点とくてんえないロースコアゲームとなった。このような展開てんかいではひとひとつのリバウンドを確実かくじつおさえることが重要じゅうようとなるが、ロッドマンは19リバウンドを記録きろくし、うち11リバウンドはオフェンスリバウンドだった。FG成功せいこうりつは39.7%とるわなかったブルズだが、リバウンドではソニックスの35にたいし51と圧倒あっとう。さらにロッドマンはケンプからはオフェンスファウルをさそってファウルトラブルにおとしいれ、ついにはファウルアウトにいやった。試合しあい序盤じょばんからブルズペースとなり、だい3Q中盤ちゅうばんにはブルズが12-2の連続れんぞく得点とくてんめて、勝敗しょうはい決定けっていけた。最終さいしゅうスコアは87-75。ブルズはジョーダン不在ふざいの2シーズンの空白くうはく期間きかんて、ついに王座おうざ奪回だっかい成功せいこうした。

Team 1 2 3 4 Tot.
スーパーソニックス 18 20 20 17 75
ブルズ 24 21 22 20 87

ファイナルMVPにはファイナル平均へいきん27.3得点とくてん5.3アシストを記録きろくしたジョーダンがえらばれた。これによりジョーダンは得点とくてんおう、オールスターMVP、シーズンMVP、ファイナルMVPのよんかん達成たっせいした、史上しじょうはじめての選手せんしゅとなった。バッシングにいやられるようなかたち引退いんたいし、そして「I'm Back」というみじか言葉ことばとも復帰ふっき。しかしわか世代せだい台頭たいとうまえ挫折ざせつあじわったすえに、「I'll be Back」という言葉ことばとも最高さいこう選手せんしゅとなってもどってきたジョーダンは、これ以上いじょうない完璧かんぺきかたち復活ふっかつげたのである。

ブルズがレギュラーシーズンからポストシーズンのあいだ記録きろくした87しょう13はいはNBA史上しじょう最高さいこう記録きろくである。ブルズはジョーダンにピッペン、ロッドマンの強力きょうりょくなビッグスリーに、ファイナルではぜん試合しあいけた得点とくてんをあげる活躍かつやくせたクーコッチ、優秀ゆうしゅうなディフェンダーのハーパー、シューターのスティーブ・カーと充実じゅうじつした陣容じんようほこり、以後いごもリーグに君臨くんりんすることになる。この優勝ゆうしょうはジョーダンと王者おうじゃブルズの完全かんぜん復活ふっかつげるともに、後期こうきブルズ王朝おうちょう幕開まくあけとなった。

一方いっぽうのソニックスも1990年代ねんだいわりまでをリーグ屈指くっし強豪きょうごうとしてごすが、ファイナルにすすむことはなかった。ソニックス、げんオクラホマシティ・サンダーつぎにファイナルに進出しんしゅつするのは16ねんの2012ねんである。

結果けっか[編集へんしゅう]

日付ひづけ ロード スコア ホーム スコア 勝敗しょうはい

(CHI-SEA)

ボックススコア
だい1せん 6月5にち スーパーソニックス 90 ブルズ 107 1-0 1
だい2せん 6月7にち スーパーソニックス 88 ブルズ 92 2-0 2
だい3せん 6月9にち ブルズ 108 スーパーソニックス 86 3-0 3
だい4せん 6月12にち ブルズ 86 スーパーソニックス 107 3-1 4
だい5せん 6月14にち ブルズ 78 スーパーソニックス 89 3-2 5
だい6せん 6月16にち スーパーソニックス 75 ブルズ 87 4-2 6
シカゴ・ブルズ 4-2 シアトル・スーパーソニックス ファイナルMVP:マイケル・ジョーダン

シアトル・スーパーソニックス コーチ:ジョージ・カール
20 ゲイリー・ペイトン | 40 ショーン・ケンプ | 11 デトレフ・シュレンプ | 33 ハーシー・ホーキンス | 14 サム・パーキンス | 17 ヴィンセント・アスキュー | 50 アーヴィン・ジョンソン | 34 フランク・ブリコウスキー | 10 ネイト・マクミラン | 25 デビッド・ウィンゲート | 1 シェレル・フォード | 3 エリック・スノウ | 55 スティーヴ・シェフラー |

ラストシーズン[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]