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スコット・スカイルズ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
スコット・スカイルズ
Scott Skiles
2011ねんのスカイルズ
引退いんたい
ポジション PG
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
生年月日せいねんがっぴ (1964-03-05) 1964ねん3月5にち(60さい
出身しゅっしん インディアナしゅうラポルテ
身長しんちょう(現役げんえき) 185cm (6 ft 1 in)
体重たいじゅう(現役げんえき) 82kg (181 lb)
キャリア情報じょうほう
出身しゅっしん ミシガン州立しゅうりつ大学だいがく
ドラフト 1986ねん 1じゅん22
ミルウォーキー・バックス
選手せんしゅ経歴けいれき
1986-1987
1987–1989
1989–1994
1994-1995
1995-1996
1996-1997
ミルウォーキー・バックス
インディアナ・ペイサーズ
オーランド・マジック
ワシントン・ブレッツ
フィラデルフィア・76ers
ギリシャの旗 PAOKテッサロニキ
指導しどうしゃ経歴けいれき
1996-1997
1999-2002
2003-2007
2008-2013
2015-2016
ギリシャの旗 PAOKテッサロニキ
フェニックス・サンズ
シカゴ・ブルズ
ミルウォーキー・バックス
オーランド・マジック
受賞じゅしょうれき
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
獲得かくとくメダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
U-19世界せかい選手権せんしゅけん
きむ 1983 パルマ・デ・マヨルカ

スコット・アレン・スカイルズScott Allen Skiles, 1964ねん3月5にち - )はアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくインディアナしゅうラポルテ出身しゅっしんもとバスケットボール選手せんしゅで、指導しどうしゃNBAにおける1試合しあい最多さいたアシスト記録きろく(30)の保持ほじしゃ

経歴けいれき[編集へんしゅう]

ミシガン州立しゅうりつ大学だいがくでプレイしたのち1986ねんのNBAドラフト 1じゅん22ミルウォーキー・バックス指名しめいされ、NBAり。

ルーキーシーズンは、わずか13試合しあい出場しゅつじょうで、平均へいきん3.8得点とくてん、3.5アシストにとどまった。

よくシーズンからインディアナ・ペイサーズうつり、1987-88シーズン先発せんぱつ2試合しあいふくむ50試合しあい出場しゅつじょうし、平均へいきん4.4得点とくてん、3.5アシストをあげた。1988-89シーズンは、先発せんぱつ13試合しあいふくむ80試合しあい出場しゅつじょうし、平均へいきん6.8得点とくてん、4.9アシストをあげたが、1試合しあいあたりの出場しゅつじょう時間じかんは20ふん未満みまんにとどまった。

オーランド・マジック[編集へんしゅう]

1989ねんエクスパンションドラフトで、しん加入かにゅうオーランド・マジック指名しめいされて移籍いせきした。移籍いせき1ねんひかえのポイントガードとして70試合しあい出場しゅつじょうし、平均へいきん20.9ふんで、平均へいきん7.7得点とくてん、4.8アシストをあげた。1990-1991シーズン先発せんぱつ確保かくほし、79試合しあいちゅう66試合しあい先発せんぱつし、平均へいきん34.4ぶん出場しゅつじょうで、17.2得点とくてん、8.4アシストをあげた。このとしMIPえらばれた。1990ねん12月30にちオーランド・アリーナおこなわれたデンバー・ナゲッツせんNBA記録きろくとなる30アシストを記録きろくした。それまでのNBA記録きろくケビン・ポーター記録きろくした29アシストであった。この記録きろくはそのやぶられておらず、かれ以降いこう、1試合しあいもっとおおいアシストすうは、ラジョン・ロンドが2010ねん記録きろくした24アシストとなっている[1]

1991-92シーズンは75試合しあい平均へいきん31.5ふん出場しゅつじょうし、14.1得点とくてん、7.3アシストと個人こじん成績せいせきとした。1992-93シーズンは78試合しあい平均へいきん39.6ふん出場しゅつじょうし、平均へいきん15.4得点とくてん自己じこベストの9.4アシストをあげた。

1993-94シーズンぜん82試合しあい出場しゅつじょうしたが、先発せんぱつは46試合しあいにとどまり、プレータイムもみじかくなり、平均へいきん9.9得点とくてん、6.1アシストにわった。シーズン終了しゅうりょうワシントン・ブレッツ放出ほうしゅつされた。アンファニー・ハーダウェイ役割やくわりやすためのトレードであったとられているが、もとチームメートのアンソニー・ブーイによれば、このトレードは失敗しっぱいであり、スカイルズが在籍ざいせきしていれば、1995ねんNBAファイナルヒューストン・ロケッツやぶれることはなかったという[1](マジックはロケッツに0-4のスイープでやぶれた)。

マジック退団たいだん[編集へんしゅう]

1994-95シーズン、62試合しあい平均へいきん33.5ふん出場しゅつじょうし、平均へいきん13.0得点とくてん、7.3アシストをあげた。1995-96シーズンは、フィラデルフィア・セブンティシクサーズでわずか10試合しあい出場しゅつじょうにとどまった。

1996ねんかた負傷ふしょうしたスカイルズは、ギリシャA1バスケットボールリーグPAOKテッサロニキ契約けいやくむすんだ。NBAからたスカイルズは期待きたいされたが、シーズン中盤ちゅうばん怪我けがやフランスじんのミシェル・ゴメスコーチとのトラブルにくるしんだ。ゴメスコーチが解任かいにんされたのち、スカイルズはコーチを兼任けんにんし、チームは3にん主力しゅりょく選手せんしゅ怪我けがきながら3となり、翌年よくねんユーロリーグ予選よせんへの出場しゅつじょうけん確保かくほした。

サンズコーチ[編集へんしゅう]

1997-1998シーズン、フェニックス・サンズのアシスタントコーチに就任しゅうにん1999-2000シーズン開幕かいまくから20試合しあい経過けいかしたのちダニー・エインジわってヘッドコーチに就任しゅうにんした。このとしチームは53しょう29はいウェスタン・カンファレンス5でプレーオフに進出しんしゅつ、ディフェンディングチャンピオンのサンアントニオ・スパーズとプレーオフ1回戦かいせん対戦たいせんし、3しょう1はいやぶった[2]

2001-2002シーズン、開幕かいまくから51試合しあいで25しょう26はいとなったところで解任かいにんされた[3]

サンズのヘッドコーチとして3シーズンでプレーオフに2出場しゅつじょう勝率しょうりつ.595をマークした。

ブルズコーチ[編集へんしゅう]

2年間ねんかん充電じゅうでん期間きかんて、2003ねんシカゴ・ブルズのヘッドコーチに就任しゅうにん低迷ていめいしていたチームのディフェンスを改善かいぜんさせた。ディフェンスは相手あいてフィールドゴール成功せいこうりつを42.2%(NBAトップ)におさえた。また26試合しあい連続れんぞく失点しってんを100てん未満みまんおさえるチーム記録きろくつくった。2005ねん1がつには、NBAトップの13しょう3はいをあげて、イースタン・カンファレンス月間げっかん最優秀さいゆうしゅうコーチにえらばれた。

2006ねんは41しょう41はいでプレーオフにイースタン7出場しゅつじょう、イースタン2マイアミ・ヒートに2しょう4はいやぶれた。2006-07シーズンは49しょう33はいでプレーオフに進出しんしゅつすると、1回戦かいせんでマイアミ・ヒートをやぶり、2回戦かいせんでイースタン1デトロイト・ピストンズ対戦たいせん、2しょう4はいやぶれた。

2007-08シーズン、ブルズはたか期待きたいたれたが、開幕かいまくから25試合しあいで9しょう16はいセントラル・ディビジョン最下位さいかいとなり、2007ねん12月24にちジョン・パクソンゼネラルマネージャーより解任かいにんされた[4]

バックスコーチ[編集へんしゅう]

2008ねん4がつ21にちラリー・クリスコービアック後任こうにんとして、ミルウォーキー・バックスのヘッドコーチに就任しゅうにん[5]2008-09シーズン中心ちゅうしん選手せんしゅマイケル・レッドアンドリュー・ボーガット負傷ふしょうもあり、34しょう48はいでシーズンをえた。

2009-2010シーズンは、センターのボーガット、ポイントガードのブランドン・ジェニングス、シーズンなかばにトレードで獲得かくとくしたジョン・サーモンズジェリー・スタックハウス活躍かつやくもあり、おおくの識者しきしゃからイースタン・カンファレンス最下位さいかい予想よそうされていたバックスは、7ねんぶりに46しょう36はいし、プレーオフに進出しんしゅつした。NBA最優秀さいゆうしゅうコーチしょうオクラホマシティ・サンダースコット・ブルックスられて受賞じゅしょうできなかった。

2013ねん1がつ8にち開幕かいまくから32試合しあいで16しょう16はいとなった時点じてん解任かいにんされた[5]

マジックコーチ[編集へんしゅう]

2015ねん5がつ29にちオーランド・マジックの12代目だいめのヘッドコーチに就任しゅうにん[6]。2015-16シーズン、3ねん連続れんぞくで20しょうだいまっていたマジックを35しょうまでにげたが、2016ねん5がつ12にち突然とつぜん辞任じにん表明ひょうめいした[7]

個人こじん成績せいせき[編集へんしゅう]

略称りゃくしょう説明せつめい
  GP 出場しゅつじょう試合しあいすう   GS  先発せんぱつ出場しゅつじょう試合しあいすう  MPG  平均へいきん出場しゅつじょう時間じかん
 FG%  フィールドゴール成功せいこうりつ  3P%  スリーポイント成功せいこうりつ  FT%  フリースロー成功せいこうりつ
 RPG  平均へいきんリバウンドかず  APG  平均へいきんアシストかず  SPG  平均へいきんスティールかず
 BPG  平均へいきんブロックかず  PPG  平均へいきん得点とくてん  太字ふとじ  キャリアハイ
  優勝ゆうしょうシーズン     リーグリーダー

NBA[編集へんしゅう]

レギュラーシーズン[編集へんしゅう]

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1986–87 MIL 13 0 15.8 .290 .214 .833 2.0 3.5 .4 .1 3.8
1987–88 IND 51 2 14.9 .411 .300 .833 1.3 3.5 .4 .1 4.4
1988–89 80 13 19.6 .448 .267 .903 1.9 4.9 .8 .0 6.8
1989–90 ORL 70 32 20.9 .409 .394 .874 2.3 4.8 .5 .1 7.7
1990–91 79 66 34.4 .445 .408 .902 3.4 8.4 1.1 .1 17.2
1991–92 75 63 31.7 .414 .364 .895 2.7 7.3 1.0 .1 14.1
1992–93 78 78 39.6 .467 .340 .892 3.7 9.4 1.1 .0 15.4
1993–94 82* 46 28.1 .429 .412 .878 2.3 6.1 .6 .0 9.9
1994–95 WSB 62 62 33.5 .455 .421 .886 2.6 7.3 1.1 .1 13.0
1995–96 PHI 10 9 23.6 .351 .441 .800 1.6 3.8 .7 .0 6.3
Career 600 371 28.0 .435 .379 .889 2.5 6.5 .8 .0 11.1

プレイオフ[編集へんしゅう]

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1994 ORL 2 0 11.5 .500 .000 1.000 .5 1.5 .0 .0 4.5
Career 2 0 11.5 .500 .000 1.000 .5 1.5 .0 .0 4.5

ヘッドコーチ実績じっせき[編集へんしゅう]

NBAヘッドコーチ実績じっせきひょう略号りゃくごう説明せつめい
レギュラーシーズン G 試合しあいすう W 勝利しょうりすう L 敗戦はいせんすう W–L % レギュラーシーズン勝率しょうりつ
ポストシーズン PG 試合しあいすう PW 勝利しょうりすう PL 敗戦はいせんすう PW–L % プレイオフ勝率しょうりつ
チーム シーズン G W L W–L% シーズン結果けっか PG PW PL PW–L% 最終さいしゅう結果けっか
1999–00 62 40 22 .645 3rd in Pacific 9 4 5 .444 カンファレンス準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
2000–01 82 51 31 .622 3rd in Pacific 4 1 3 .250 ファーストラウンド敗退はいたい
2001–02 51 25 26 .490 (fired)
ブルズ 2003–04 66 19 47 .288 8th in Central
ブルズ 2004–05 82 47 35 .573 2nd in Central 6 2 4 .333 ファーストラウンド敗退はいたい
ブルズ 2005–06 82 41 41 .500 4th in Central 6 2 4 .333 ファーストラウンド敗退はいたい
CHI 2006–07 82 49 33 .598 3rd in Central 10 6 4 .600 カンファレンス準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
ブルズ 2007–08 25 9 16 .360 (fired)
バックス 2008–09 82 34 48 .415 5th in Central
バックス 2009–10 82 46 36 .555 2nd in Central 7 3 4 .429 ファーストラウンド敗退はいたい
バックス 2010–11 82 35 47 .427 3rd in Central
バックス 2011–12 66 31 35 .470 3rd in Central
バックス 2012–13 32 16 16 .500 (resigned)
マジック 2015–16 82 35 47 .427 5th in Southeast Missed Playoffs
Career 958 478 480 .499 42 18 24 .429

その[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d Jonathan Adams (2015ねん5がつ29にち). “Scott Skiles: 5 Fast Facts You Need to Know”. heavy.com. 2015ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  2. ^ Scott Howard. “Grab your Kleenex: A Suns-Spurs Playoff Retrospective”. SB NATION. 2015ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  3. ^ Frank Johnson Coach Info”. nba.com. 2015ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  4. ^ Bulls fire coach Scott Skiles”. Yahoo! Sports (2007ねん12月24にち). 2015ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  5. ^ a b Bucks and Skiles Mutually Agree to Part Ways”. nba.com (2013ねん1がつ8にち). 2015ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  6. ^ Hightower, Kyle (2015ねん5がつ29にち). “Magic tab Skiles as 12th coach in franchise history”. National Basketball Association. 2015ねん5がつ30にち閲覧えつらん
  7. ^ Scott Skiles steps down as head coach of Magic
  8. ^ K.C. JOHNSON (2004ねん3がつ14にち). “Skiles recalls O'Neal headlock”. シカゴ・トリビューン. 2015ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  9. ^ Roger Simmons (2015ねん6がつ2にち). “Shaq says 'crazy' Scott Skiles tried to punch him while with Magic”. オーランド・センティネル. 2015ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  10. ^ Kelly Dwyer (2013ねん2がつ26にち). “Add Beno Udrih to the list of players that have had issues with Scott Skiles’ coaching”. Yahoo! Sports. 2015ねん6がつ21にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]