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MLBオールスターゲーム

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

MLBオールスターゲーム(MLB All-Star Game)は、メジャーリーグベースボール(MLB)構成こうせいする2リーグ(ナショナルリーグアメリカンリーグ)の選抜せんばつチーム同士どうしによる対抗たいこう試合しあい毎年まいとし7がつおこなわれ、ファンによる投票とうひょう監督かんとく推薦すいせんなどで選抜せんばつされた選手せんしゅいちばんかぎりのドリームチームを結成けっせいする。ミッドサマー・クラシック(Midsummer Classic、“真夏まなつ祭典さいてん”)ともばれる。

歴史れきし

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だい1かいのMLBオールスターゲームが開催かいさいされたのは1933ねん7がつ6にちである。この試合しあいは、同年どうねん開催かいさいされたシカゴ万国博覧会ばんこくはくらんかい記念きねん行事ぎょうじとしておこなわれた。実現じつげんには、イリノイしゅうシカゴ地元じもとシカゴ・トリビューン』のスポーツ担当たんとう編集へんしゅうしゃであったアーチ・ウォード尽力じんりょくがあった。当時とうじゲーム・オブ・ザ・センチュリー世紀せいき試合しあい)とばれていた[1]

ウォードがオールスターゲームの実現じつげんけてうごくようになったきっかけとしてよくかたられている逸話いつわが、野球やきゅうファンの少年しょうねんから「ベーブ・ルースカール・ハッベル対決たいけつたい」という趣旨しゅし投書とうしょがあった、というものである。当時とうじルースはニューヨーク・ヤンキース主砲しゅほうであり、ハッベルはニューヨーク・ジャイアンツ(げんサンフランシスコ・ジャイアンツ)のエースであった。ヤンキースとジャイアンツはそれぞれニューヨークしゅうニューヨーク本拠地ほんきょちいていたが所属しょぞくリーグがちがうため、りょうチームがおなねんそろってワールドシリーズ進出しんしゅつたさないと、ルースとハッベルの対決たいけつることができない。この対決たいけつ実現じつげんできないか、という少年しょうねんうったえに共鳴きょうめいしたウォードが、球界きゅうかい関係かんけいしゃたちにはたらきかけ、ナ・アりょうリーグのスター選手せんしゅ一堂いちどうかいする「ゆめのゲーム」を実現じつげんさせた、という。しかし野球やきゅう殿堂でんどう所蔵しょぞうするウォード関連かんれん資料しりょうには、前述ぜんじゅつ少年しょうねん登場とうじょうするものがひとつとして存在そんざいしておらず、そのためこのエピソードも事実じじつであるかどうかはうたがわしい[2]

1933ねん、このだい1かいオールスターの開催かいさいとしてえらばれたのが、シカゴのコミスキー・パークであった。5まんにんちか大観たいかんしゅあつめておこなわれた試合しあいではルースがだい活躍かつやく。3かいうら大会たいかいだい1ごう本塁打ほんるいだはなつなど、ア・リーグの4 – 2の勝利しょうり貢献こうけんした。もちろん一方いっぽうゆうであるハッベルも、ナ・リーグの一員いちいんとしてこの試合しあい出場しゅつじょうした。またほかにもルー・ゲーリッグレフティ・ゴメス(ともにヤンキース)、ビル・テリー(ジャイアンツ)など球史きゅうしのこ選手せんしゅたちかおそろえている。

そのまわりでの開催かいさいとなったが、1945ねん戦争せんそうのため中止ちゅうし、また1959ねんから1962ねんまでは選手せんしゅ年金ねんきん基金ききん費用ひようやすために2試合しあい開催かいさいとなったが、不評ふひょうだったため1試合しあいもどされた。開催かいさい大半たいはんが7がつ火曜日かようびであり、そのなかでもだい2、だい3火曜日かようびおお[1]。その前日ぜんじつ月曜日げつようびにはおな球場きゅうじょうで「本塁打ほんるいだ競争きょうそう」(オールスター出場しゅつじょう選手せんしゅなかからさらに選抜せんばつされた選手せんしゅにより、本塁打ほんるいだ本数ほんすうあらそうトーナメントせん)がおこなわれる。

1ねん1都市としのみでの開催かいさい、しかも現在げんざいではMLB所属しょぞくチームが30チームもあるため単純たんじゅん計算けいさんでも30ねんに1しか開催かいさいされないイベントであり、開催かいさい都市としでは地域ちいきげてのがりをせる。ただし1都市とし複数ふくすう球団きゅうだん大都市だいとし(NY:ヤンキースとメッツ、シカゴ:カブスとホワイトソックスなど)の場合ばあい計算けいさんじょう30ねんしないうちに開催かいさい権利けんりしゅうってくるうえに、しん球場きゅうじょう建設けんせつされたなどの要因よういんしょうじた場合ばあい基本きほんてきにはそちらが優先ゆうせんされることになる(これは日本にっぽんのオールスターゲームでも同様どうよう)。

2020ねん新型しんがたコロナウイルスの影響えいきょうで1945ねん以来いらいで75ねんぶり2度目どめ開催かいさい中止ちゅうしとなった。なお、日本にっぽんプロ野球やきゅう中止ちゅうし決定けっていしており、日米にちべい両者りょうしゃでははじめての開催かいさい中止ちゅうしとなった。

2021ねん、MLBはジョージアしゅう成立せいりつした、マイノリティ差別さべつてきわれる「選挙せんきょほう」の改正かいせい抗議こうぎし、開催かいさいは、当初とうしょ開催かいさい予定よていだったジョージアしゅうアトランタから、コロラドしゅうデンバー変更へんこうになった。

開催かいさい概要がいよう

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MLBオールスターゲームの現在げんざい開催かいさい概要がいよう試合しあい結果けっかつぎのとおりである。

選出せんしゅつ方法ほうほう

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  • インターネット(PC、タブレット、スマートフォン)から投票とうひょうする。
  • ファン投票とうひょう選出せんしゅつ投手とうしゅのぞかくポジションにつき1選手せんしゅずつ(ただ外野がいやしゅは3まで)。
  • 後日ごじつ発表はっぴょう投手とうしゅふく関係かんけいしゃ投票とうひょう監督かんとく推薦すいせん前年度ぜんねんどリーグ優勝ゆうしょう監督かんとく担当たんとう[3])をあわせてりょうチーム33めいずつ(けい66めい)がメンバーとして登録とうろくされる。
  • 5にん候補こうほなかから「34にん選手せんしゅ」をえらぶファン投票とうひょう(インターネット投票とうひょう)をおこない、りょうチーム34めいずつ(けい68めい)がメンバーとして登録とうろくされる。
  • 上記じょうき登録とうろくあるいは登録とうろく故障こしょうしゃリストりした選手せんしゅとオールスターゲームまえ最終さいしゅうせん先発せんぱつした投手とうしゅわりに選手せんしゅ補充ほじゅうされる[4]

試合しあい方式ほうしき

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  • 1989ねんから2009ねんまではア・リーグ球団きゅうだん本拠地ほんきょち球場きゅうじょう開催かいさい指名しめい打者だしゃせい、ナ・リーグ球団きゅうだん本拠地ほんきょち球場きゅうじょう開催かいさい投手とうしゅ打席だせきつ。2010ねんからはア・リーグ、ナ・リーグの球場きゅうじょうわず指名しめい打者だしゃせい採用さいよう
  • 9イニングで決着けっちゃくがつかない場合ばあい延長えんちょうせん原則げんそくとして決着けっちゃくがつくまでおこな[5]
  • 投手とうしゅは3イニングをえて登板とうばんすることはできない[6]

2002ねん試合しあい延長えんちょう11かいすえけとなった。これはひか選手せんしゅがほぼいなくなったことなどからコミッショナー裁定さいていくだけになったといわれる。

ワールドシリーズのホームアドバンテージ特典とくてん

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2003ねんから2016ねんまでこの試合しあいったリーグに所属しょぞくするチームは、ワールドシリーズのホームゲームアドバンテージ(だい1・2・6・7試合しあい本拠地ほんきょち球場きゅうじょう開催かいさいする権利けんり)を獲得かくとくすることになった。敗戦はいせんリーグの所属しょぞくチームはだい3・4・5試合しあい本拠地ほんきょち球場きゅうじょう開催かいさいする。たとえばあるとしにア・リーグがって、そのとしのワールドシリーズにア・リーグからニューヨーク・ヤンキース、ナ・リーグからニューヨーク・メッツ出場しゅつじょうした場合ばあいだい1・2・6・7せんヤンキー・スタジアムで、だい3・4・5せんシティ・フィールド実施じっしされる。なおこの特典とくてん付与ふよされるようになった2003ねんから2016ねんまで、ワールドシリーズをせいしたチームは14かいちゅう9かいがこのホームゲームアドバンテージをたリーグの代表だいひょうである。

これまでの試合しあい結果けっか

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かい 開催かいさい 勝利しょうりチーム スコア 敗戦はいせんチーム 開催かいさい球場きゅうじょう MVP
1 1933ねん7がつ6にち アメリカン 4 – 2 ナショナル コミスキー・パーク ---
2 1934ねん7がつ10日とおか 9 – 7 ポロ・グラウンズ
3 1935ねん7がつ8にち 4 – 1 ミュニシパル・スタジアム
4 1936ねん7がつ7にち ナショナル 4 – 3 アメリカン ブレーブス・フィールド
5 1937ねん7がつ7にち アメリカン 8 – 3 ナショナル グリフィス・スタジアム
6 1938ねん7がつ6にち ナショナル 4 – 1 アメリカン クロスリー・フィールド
7 1939ねん7がつ11にち アメリカン 3 – 1 ナショナル ヤンキー・スタジアム
8 1940ねん7がつ9にち ナショナル 4 – 0 アメリカン スポーツマンズ・パーク
9 1941ねん7がつ8にち アメリカン 7 – 5 ナショナル ブリッグス・スタジアム
10 1942ねん7がつ7にち 3 – 1 ポロ・グラウンズ
11 1943ねん7がつ13にち 5 – 3 シャイブ・パーク
12 1944ねん7がつ11にち ナショナル 7 – 1 アメリカン フォーブス・フィールド
- 1945ねん7がつ10日とおか だい世界せかい大戦たいせん影響えいきょうにより開催かいさい中止ちゅうし
13 1946ねん7がつ9にち アメリカン 12 – 0 ナショナル フェンウェイ・パーク ---
14 1947ねん7がつ8にち 2 – 1 リグレー・フィールド
15 1948ねん7がつ13にち 5 – 2 スポーツマンズ・パーク
16 1949ねん7がつ12にち 11 – 7 エベッツ・フィールド
17 1950ねん7がつ11にち ナショナル 4 – 3 アメリカン コミスキー・パーク
18 1951ねん7がつ10日とおか 8 – 3 ブリッグス・スタジアム
19 1952ねん7がつ8にち 3 – 2 シャイブ・パーク
20 1953ねん7がつ14にち 5 – 1 クロスリー・フィールド
21 1954ねん7がつ13にち アメリカン 11 – 9 ナショナル ミュニシパル・スタジアム
22 1955ねん7がつ12にち ナショナル 6 – 5 アメリカン ミルウォーキー・カウンティ・スタジアム
23 1956ねん7がつ10日とおか 7 – 3 グリフィス・スタジアム
24 1957ねん7がつ9にち アメリカン 6 – 5 ナショナル スポーツマンズ・パーク
25 1958ねん7がつ8にち 4 – 3 メモリアル・スタジアム
26 1959ねん7がつ7にち ナショナル 5 – 4 アメリカン フォーブス・フィールド
27 1959ねん8がつ3にち アメリカン 5 – 3 ナショナル LAメモリアル・コロシアム
28 1960ねん7がつ11にち ナショナル アメリカン ミュニシパル・スタジアム
29 1960ねん7がつ13にち 6 – 0 ヤンキー・スタジアム
30 1961ねん7がつ11にち 5 – 4 キャンドルスティック・パーク
31 1961ねん7がつ31にち け) 1 – 1 け) フェンウェイ・パーク
32 1962ねん7がつ10日とおか ナショナル 3 – 1 アメリカン DCスタジアム アメリカ合衆国の旗 モーリー・ウィルス
33 1962ねん7がつ30にち アメリカン 9 – 4 ナショナル リグレー・フィールド アメリカ合衆国の旗レオン・ワグナー
34 1963ねん7がつ9にち ナショナル 5 – 3 アメリカン ミュニシパル・スタジアム アメリカ合衆国の旗 ウィリー・メイズ
35 1964ねん7がつ7にち 7 – 4 シェイ・スタジアム アメリカ合衆国の旗 ジョニー・カリソン
36 1965ねん7がつ13にち 6 – 5 メトロポリタン・スタジアム ドミニカ共和国の旗 フアン・マリシャル
37 1966ねん7がつ12にち 2 – 1 ブッシュ・スタジアム アメリカ合衆国の旗 ブルックス・ロビンソン
38 1967ねん7がつ11にち アナハイム・スタジアム キューバの旗 トニー・ペレス
39 1968ねん7がつ9にち 1 – 0 アストロドーム アメリカ合衆国の旗 ウィリー・メイズ
40 1969ねん7がつ22にち 9 – 3 RFKスタジアム アメリカ合衆国の旗 ウィリー・マッコビー
41 1970ねん7がつ14にち 5 – 4 リバーフロント・スタジアム アメリカ合衆国の旗 カール・ヤストレムスキー
42 1971ねん7がつ13にち アメリカン 6 – 4 ナショナル タイガー・スタジアム アメリカ合衆国の旗 フランク・ロビンソン
43 1972ねん7がつ25にち ナショナル 6 – 5 アメリカン フルトン・カウンティ・スタジアム アメリカ合衆国の旗 ジョー・モーガン
44 1973ねん7がつ24にち 7 – 1 ロイヤルズ・スタジアム アメリカ合衆国の旗 ボビー・ボンズ
45 1974ねん7がつ23にち 7 – 2 スリー・リバース・スタジアム アメリカ合衆国の旗 スティーブ・ガービー
46 1975ねん7がつ15にち 6 – 3 ミルウォーキー・カウンティ・スタジアム アメリカ合衆国の旗 ジョン・マトラック
アメリカ合衆国の旗 ビル・マドロック
47 1976ねん7がつ13にち 7 – 1 ベテランズ・スタジアム アメリカ合衆国の旗 ジョージ・フォスター
48 1977ねん7がつ19にち 7 – 5 ヤンキー・スタジアム アメリカ合衆国の旗 ドン・サットン
49 1978ねん7がつ11にち 7 – 3 サンディエゴ・スタジアム アメリカ合衆国の旗 スティーブ・ガービー
50 1979ねん7がつ17にち 7 – 6 キングドーム アメリカ合衆国の旗 デーブ・パーカー
51 1980ねん7がつ8にち 4 – 2 ドジャー・スタジアム アメリカ合衆国の旗 ケン・グリフィー・シニア
52 1981ねん8がつ9にち 5 – 4 ミュニシパル・スタジアム アメリカ合衆国の旗 ゲイリー・カーター
53 1982ねん7がつ13にち 4 – 1 オリンピック・スタジアム ベネズエラの旗 デーブ・コンセプシオン
54 1983ねん7がつ6にち アメリカン 13 – 3 ナショナル コミスキー・パーク アメリカ合衆国の旗 フレッド・リン
55 1984ねん7がつ10日とおか ナショナル 3 – 1 アメリカン キャンドルスティック・パーク アメリカ合衆国の旗 ゲイリー・カーター
56 1985ねん7がつ16にち 6 – 1 メトロドーム アメリカ合衆国の旗 ラマー・ホイト
57 1986ねん7がつ15にち アメリカン 3 – 2 ナショナル アストロドーム アメリカ合衆国の旗 ロジャー・クレメンス
58 1987ねん7がつ14にち ナショナル 2 – 0 アメリカン アラメダ・カウンティ・コロシアム アメリカ合衆国の旗 ティム・レインズ
59 1988ねん7がつ12にち アメリカン 2 – 1 ナショナル リバーフロント・スタジアム アメリカ合衆国の旗 テリー・スタインバック
60 1989ねん7がつ11にち 5 – 3 アナハイム・スタジアム アメリカ合衆国の旗 ボー・ジャクソン
61 1990ねん7がつ10日とおか 2 – 0 リグレー・フィールド ドミニカ共和国の旗 フリオ・フランコ
62 1991ねん7がつ9にち 4 – 2 スカイドーム アメリカ合衆国の旗 カル・リプケン・ジュニア
63 1992ねん7がつ14にち 13 – 6 ジャック・マーフィー・スタジアム アメリカ合衆国の旗 ケン・グリフィー・ジュニア
64 1993ねん7がつ13にち 9 – 3 カムデン・ヤーズ アメリカ合衆国の旗 カービー・パケット
65 1994ねん7がつ12にち ナショナル 8 – 7 アメリカン スリー・リバース・スタジアム アメリカ合衆国の旗 フレッド・マグリフ
66 1995ねん7がつ11にち 3 – 2 ザ・ボールパーク・イン・アーリントン アメリカ合衆国の旗 ジェフ・コーナイン
67 1996ねん7がつ9にち 6 – 0 ベテランズ・スタジアム アメリカ合衆国の旗 マイク・ピアッツァ
68 1997ねん7がつ8にち アメリカン 3 – 1 ナショナル ジェイコブス・フィールド プエルトリコの旗 サンディー・アロマー・ジュニア
69 1998ねん7がつ7にち 13 – 8 クアーズ・フィールド プエルトリコの旗 ロベルト・アロマー
70 1999ねん7がつ13にち 4 – 1 フェンウェイ・パーク ドミニカ共和国の旗 ペドロ・マルティネス
71 2000ねん7がつ11にち 6 – 3 ターナー・フィールド アメリカ合衆国の旗 デレク・ジーター
72 2001ねん7がつ10日とおか 4 – 1 セーフコ・フィールド アメリカ合衆国の旗 カル・リプケン・ジュニア
73 2002ねん7がつ9にち け) 7 – 7 け) ミラー・パーク
74 2003ねん7がつ15にち アメリカン 7 – 6 ナショナル USセルラー・フィールド アメリカ合衆国の旗 ギャレット・アンダーソン
75 2004ねん7がつ13にち 9 – 4 ミニッツメイド・パーク ドミニカ共和国の旗 アルフォンソ・ソリアーノ
76 2005ねん7がつ12にち 7 – 5 コメリカ・パーク ドミニカ共和国の旗 ミゲル・テハダ
77 2006ねん7がつ11にち 3 – 2 PNCパーク アメリカ合衆国の旗 マイケル・ヤング
78 2007ねん7がつ10日とおか 5 – 4 AT&Tパーク 日本の旗 イチロー
79 2008ねん7がつ15にち 4 – 3 ヤンキー・スタジアム アメリカ合衆国の旗 J.D.ドリュー
80 2009ねん7がつ14にち ブッシュ・スタジアム アメリカ合衆国の旗 カール・クロフォード
81 2010ねん7がつ13にち ナショナル 3 – 1 アメリカン エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム アメリカ合衆国の旗 ブライアン・マッキャン
82 2011ねん7がつ12にち 5 – 1 チェイス・フィールド アメリカ合衆国の旗 プリンス・フィルダー
83 2012ねん7がつ10日とおか 8 – 0 カウフマン・スタジアム ドミニカ共和国の旗 メルキー・カブレラ
84 2013ねん7がつ16にち アメリカン 3 – 0 ナショナル シティ・フィールド パナマの旗 マリアーノ・リベラ
85 2014ねん7がつ15にち 5 – 3 ターゲット・フィールド アメリカ合衆国の旗 マイク・トラウト
86 2015ねん7がつ14にち 6 – 3 グレート・アメリカン・ボール・パーク アメリカ合衆国の旗 マイク・トラウト
87 2016ねん7がつ12にち 4 – 2 ペトコ・パーク アメリカ合衆国の旗 エリック・ホズマー
88 2017ねん7がつ11にち 2 - 1 マーリンズ・パーク ドミニカ共和国の旗 ロビンソン・カノ
89 2018ねん7がつ17にち 8 - 6 ナショナルズ・パーク アメリカ合衆国の旗 アレックス・ブレグマン
90 2019ねん7がつ9にち 4 - 3 プログレッシブ・フィールド アメリカ合衆国の旗 シェーン・ビーバー
- 2020ねん7がつ14にち 新型しんがたコロナウイルスの影響えいきょうにより、開催かいさい中止ちゅうし[7]
91 2021ねん7がつ13にち アメリカン 5 - 2 ナショナル クアーズ・フィールド カナダの旗 ブラディミール・ゲレーロ・ジュニア
92 2022ねん7がつ19にち 3 - 2 ドジャー・スタジアム アメリカ合衆国の旗 ジャンカルロ・スタントン
93 2023ねん7がつ11にち ナショナル 3 - 2 アメリカン T-モバイル・パーク ベネズエラの旗 エリアス・ディアス
94 2024ねん7がつ16にち アメリカン 5 - 3 ナショナル グローブライフ・フィールド アメリカ合衆国の旗ジャレン・デュラン
95 2025ねん トゥルーイスト・パーク
96 2026ねん7がつ14にち シチズンズ・バンク・パーク

アメリカン・リーグ:48しょう、ナショナル・リーグ:44しょう、2引分ひきわけ(2024ねん終了しゅうりょう時点じてん

しょ記録きろく

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数字すうじは2007ねん終了しゅうりょう時点じてんのもの

打撃だげき部門ぶもん

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試合しあいすう
打席だせき打数だすう
  • 通算つうさん最多さいたはウィリー・メイズの82打席だせき、75打数だすう
  • 1試合しあい最多さいたウィリー・ジョーンズ(1950ねん)の7打席だせき7打数だすう
得点とくてん
  • 通算つうさん最多さいたはウィリー・メイズの20得点とくてん
  • 1試合しあい最多さいたテッド・ウィリアムズが1946ねん記録きろくした4得点とくてん
安打あんだ
  • 通算つうさん最多さいたはウィリー・メイズの23安打あんだ
  • 1試合しあいでは4ほん最多さいた(ジョー・メドウィック、テッド・ウィリアムズ、カール・ヤストレムスキー)。
二塁打にるいだ
三塁打さんるいだ
本塁打ほんるいだ
  • 通算つうさん最多さいたはスタン・ミュージアルの6ほん
  • 1試合しあい最多さいたは2ほん。5にん記録きろくしている(アーキー・ヴォーン、テッド・ウィリアムズ、アル・ローゼン、ウィリー・マッコビー、ゲーリー・カーター)。
  • ランニング本塁打ほんるいだは2007ねんイチローはじめて記録きろくした。
  • 満塁まんるい本塁打ほんるいだは1983ねんにフレッド・リンがはじめて記録きろくした(現在げんざいでも史上しじょう唯一ゆいいつ)。
打点だてん
  • 通算つうさん最多さいたはテッド・ウィリアムズの12打点だてん
  • 1試合しあい最多さいたは5打点だてん(テッド・ウィリアムズ、アル・ローゼン)。
三振さんしん
盗塁とうるい
  • 通算つうさん最多さいたはウィリー・メイズの6盗塁とうるい。1試合しあい最多さいたは2盗塁とうるい
  • 本塁ほんるい盗塁とうるいは1934ねんパイ・トレイナー唯一ゆいいつ記録きろくである。

投手とうしゅ部門ぶもん

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登板とうばん試合しあいすう
投球とうきゅうかい
勝利しょうりすう
  • 通算つうさん最多さいたはレフティ・ゴメスの3しょう
セーブ
だつ三振さんしん
  • 通算つうさん最多さいたドン・ドライスデールの19だつ三振さんしん。1試合しあい最多さいたは6で、過去かこ4にん記録きろくしている。
安打あんだ
あずか四球しきゅう
防御ぼうぎょりつ
  • 通算つうさん防御ぼうぎょりつ0.00の投手とうしゅのうち、投球とうきゅうかい最多さいたメル・ハーダーで13かい

MLB本塁打ほんるいだ競争きょうそう

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本塁打ほんるいだ競争きょうそうはオールスターゲームの関連かんれんイベントとして1985ねんからおこなわれるようになった。出場しゅつじょう選手せんしゅ基本きほんてきにオールスター出場しゅつじょう選手せんしゅなかからえらばれるが、辞退じたいしゃなどがある場合ばあいこのかぎりではない。また、2005ねんには翌年よくねんワールド・ベースボール・クラシック

開催かいさいにらんで、どう大会たいかい出場しゅつじょうこくくにべつ対抗たいこうせんとしておこなわれた。

現在げんざいのルール

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オールスター出場しゅつじょう選手せんしゅなかからさらに8にん選抜せんばつして、本塁打ほんるいだ本数ほんすう合計ごうけいを3ラウンドできそう。まずだい1ラウンドをおこない(対戦たいせん相手あいてはシードの合計ごうけいすうが9になるよう設定せっていされている。)、本数ほんすう上位じょうい4選手せんしゅだい2ラウンドへすすむ。だい2ラウンドではぜんラウンドとの合計ごうけい本数ほんすうあらそい、上位じょうい2めい決勝けっしょうせんすすむ。決勝けっしょうせんはそれまでのラウンドでの本数ほんすう関係かんけいなく、決勝けっしょうせん本数ほんすうだけであらそう。

1回戦かいせん準決勝じゅんけっしょうは3ふん決勝けっしょうせんは2ふん(以前いぜんは4ふんだったが出場しゅつじょう選手せんしゅ体力たいりょくかんがえたうえ短縮たんしゅくされた)でたますう制限せいげん本塁打ほんるいだすうあらそう。途中とちゅう1かい45秒間びょうかんのタイムアウトが可能かのう決勝けっしょうでは1かい30びょうのタイムアウトが追加ついかされる。距離きょり440ft(やく134m)以上いじょうのホームランを2ほん以上いじょうつと30秒間びょうかんのボーナスタイムがられる。本塁打ほんるいだすう同数どうすうとなった場合ばあいは、延長えんちょうせんとして1分間ふんかんタイブレーク追加ついかされる。タイブレークちゅうのタイムの追加ついか停止ていしはない。これでも決着けっちゃくしない場合ばあいにはさい延長えんちょうとして3スイングマッチで決着けっちゃくがつくまでおこなわれる。

フューチャーズゲーム

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オールスターゲームの前々まえまえおな球場きゅうじょうおこなマイナーリーグはんオールスターゲーム。1999ねん開始かいしされた。出場しゅつじょう選手せんしゅはマイナーリーグから選抜せんばつされ、アメリカンリーグ選抜せんばつナショナルリーグ選抜せんばつ(2018ねんまでは「アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく出身しゅっしん選手せんしゅ選抜せんばつ」と「世界せかい選抜せんばつ」の出身しゅっしんべつけられた)の2チームにかれて対戦たいせんする。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b Natsuki Une (2014ねん7がつ4にち). “オールスターゲームの歴史れきし”. GYAO!. 2014ねん7がつ4にち閲覧えつらん
  2. ^ 出野いでの哲也てつや歴史れきしうごいた――1933ねん7がつ6にち ゆめのオールスターがはつ開催かいさい」 『月刊げっかんスラッガー』2005ねん8がつごう日本スポにっぽんすぽツ企画出版社つきかくしゅっぱんしゃ、2005ねん雑誌ざっし15509-8、88-90ぺーじ
  3. ^ 1995ねん前年ぜんねんのポストシーズンがストライキ中止ちゅうしされたため、1994年度ねんど最高さいこう勝率しょうりつチーム監督かんとく担当たんとうした。
  4. ^ オールスターゲームと前半ぜんはんせん最終さいしゅうせん間隔かんかくちゅう1にちになるため、前半ぜんはんせん最終さいしゅうせん先発せんぱつ登板とうばんした投手とうしゅについては出場しゅつじょう辞退じたいするか登板とうばんしても1イニングのみに制限せいげんされる。出場しゅつじょう辞退じたいしてもベンチりすることは可能かのうである。
  5. ^ ただし、2002ねん選手せんしゅ使つかってしまう状態じょうたいになり11かい試合しあいられた。
  6. ^ 前半ぜんはん最終さいしゅうせん先発せんぱつした投手とうしゅ出場しゅつじょうしても1イニングに制限せいげんされる。
  7. ^ だいリーグ 75ねんぶり球宴きゅうえん中止ちゅうし正式せいしき発表はっぴょう

外部がいぶリンク

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