ウィリー・メイズ

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ウィリー・メイズ
Willie Mays
ウィリー・メイズ(ひだり)と ロイ・キャンパネラみぎ
(1961ねん
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
出身しゅっしん アラバマしゅうウェストフィールド
生年月日せいねんがっぴ (1931-05-06) 1931ねん5月6にち(93さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
5' 11" =やく180.3 cm
180 lb =やく81.6 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき みぎとうみぎ
ポジション 外野がいやしゅおも中堅ちゅうけんしゅ
プロ 1950ねん
はつ出場しゅつじょう 1951ねん5がつ25にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう 1973ねん9がつ9にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど
殿堂でんどう表彰ひょうしょうしゃ
選出せんしゅつねん 1979ねん
得票とくひょうりつ 94.68%
選出せんしゅつ方法ほうほう 全米ぜんべい野球やきゅう担当たんとう記者きしゃ協会きょうかい選出せんしゅつ

ウィリー・ハワード・メイズ・ジュニアWillie Howard Mays Jr., 1931ねん5月6にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくアラバマしゅうウェストフィールド出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ中堅ちゅうけんしゅ)。みぎとうみぎ。ニックネームは「セイ・ヘイ・キッド(The Say Hey Kid)」。

通算つうさん3283安打あんだ、660本塁打ほんるいだ、338盗塁とうるい首位しゅい打者だしゃ1かい本塁打ほんるいだおう4かい盗塁とうるいおう4かいMVP2かい長打ちょうだりょくふくめ、はし攻守こうしゅすべてをそなえた伝説でんせつてきめい外野がいやしゅしょうされる[1]

MLB史上しじょう最高さいこうの「コンプリート・プレーヤー」としょうされ、史上しじょう最高さいこう中堅ちゅうけんしゅ評価ひょうかされることがおお[2][3]

経歴けいれき[編集へんしゅう]

ジャイアンツ時代じだい[編集へんしゅう]

1948ねんから1949ねんニグロリーグバーミンガム・ブラックバロンズ英語えいごばん所属しょぞくしたのち1950ねんにニューヨーク・ジャイアンツ(げんサンフランシスコ・ジャイアンツ)と契約けいやく

1951ねんにAAAきゅうミネアポリス・ミラーズ英語えいごばんで35試合しあい出場しゅつじょうして打率だりつ.477を記録きろくし、同年どうねんの5がつ25にちにメジャーデビューをたした。当初とうしょは12打数だすう連続れんぞく安打あんだだったが、13打数だすうウォーレン・スパーンからメジャーはつ安打あんだはつ本塁打ほんるいだ記録きろく[4]。このシーズンは121試合しあい出場しゅつじょうし、打率だりつ.274、20本塁打ほんるいだ、68打点だてん記録きろくし、新人しんじんおう選出せんしゅつされた。

1952ねんに34試合しあい出場しゅつじょうしたのち朝鮮ちょうせん戦争せんそう従軍じゅうぐんし、一時いちじてき野球やきゅうはなれる。

1954ねん復帰ふっき打率だりつ.345で首位しゅい打者だしゃのタイトルを獲得かくとくし、41本塁打ほんるいだ、110打点だてん活躍かつやくで、テッド・クルズースキーらをおさえてMVP選出せんしゅつされた[5]。ジャイアンツはナリーグのペナントをせいし、ワールドシリーズではクリーブランド・インディアンスを4連勝れんしょうくだして優勝ゆうしょう。このシリーズのだい1せんで、メイズは「ザ・キャッチ」としてかたがれる伝説でんせつてきファインプレーを披露ひろうしている[6]

1955ねんには51本塁打ほんるいだ本塁打ほんるいだおうのタイトルを獲得かくとく。また、24さい137にち達成たっせいしたシーズン50本塁打ほんるいだ2007ねんプリンス・フィルダー(23さい139にち)に更新こうしんされるまでメジャー最年少さいねんしょう記録きろくだった[7]

1956ねんは36本塁打ほんるいだ、40盗塁とうるい記録きろく

1957ねんは35本塁打ほんるいだ、36盗塁とうるいで2ねん連続れんぞくして30本塁打ほんるいだ・30盗塁とうるい達成たっせい

1957ねんシーズン終了しゅうりょうジャイアンツは本拠地ほんきょちニューヨークからサンフランシスコ移転いてんあたらしいホームグラウンドのキャンドルスティック・パーク左翼さよくから本塁ほんるいうみからの強風きょうふうきこみ、メイズのった打球だきゅう強風きょうふうもどされることがおおかったが[6]20-20-20達成たっせい

1962ねんにはシーズン49本塁打ほんるいだで2かい本塁打ほんるいだおうのタイトルを獲得かくとく

1965ねん自己じこ最多さいたの52本塁打ほんるいだ記録きろくし、サンディー・コーファックスらをおさえて2かいのMVPに選出せんしゅつされた[8]。このシーズンの8がつには17本塁打ほんるいだ記録きろくし、月間げっかん本塁打ほんるいだのナ・リーグしん記録きろく樹立じゅりつ[9]し、9月13にち史上しじょう5にんとなる通算つうさん500本塁打ほんるいだ達成たっせいした。

1966ねん5月4にち通算つうさん512ほん本塁打ほんるいだで、メル・オットのナ・リーグ通算つうさん最多さいた本塁打ほんるいだ記録きろく更新こうしん[9]

しかし、1967ねん以降いこうはシーズン30本塁打ほんるいだ・100打点だてん記録きろくすることはできず、成績せいせき徐々じょじょ下降かこうせんをたどる。

1967ねん不調ふちょうつづき、スポーツ・イラストレイテッドは「メイズのりょうしたにはクマができている。おそらく不振ふしんねむれないのだろう。すでに36さい。エネルギッシュで颯爽さっそうとしていたプレーは、過去かこのものとなってしまった」との記事きじ掲載けいさいした。これにたいし、メイズは反論はんろんをせず、記事きじみとめるコメントをしている[6]。その一方いっぽう1970ねん1がつ17にちに「スポーティング・ニュース」はメイズを1960年代ねんだい最高さいこう選手せんしゅPlayer of the Decade)に選出せんしゅつした[9]

1969ねん9月22にちベーブ・ルース以来いらい史上しじょう2にんとなる通算つうさん600本塁打ほんるいだ達成たっせい

1970ねん7がつ18にち史上しじょう10にんとなる通算つうさん3000安打あんだ達成たっせい

メッツ時代じだい[編集へんしゅう]

メッツ時代じだいのメイズ
(1972ねん

1972ねん5月12にちチャーリー・ウィリアムズ英語えいごばんきんぜに5まんドルでニューヨーク・メッツへトレード移籍いせき[10]。なお、これまでの成績せいせきひょうし、ジャイアンツは同日どうじつ、メイズの在籍ざいせき背番号せばんごう24』を永久えいきゅう欠番けつばん指定してい。ジャイアンツとしては3にん、さらにサンフランシスコにフランチャイズを移転いてんしてからはつ永久えいきゅう欠番けつばん選手せんしゅだった[11]

メッツ移籍いせきはさすがにおとろえはかくせず、移籍いせき初年しょねんの1972ねん打率だりつ.250、8本塁打ほんるいだだった。

1973ねん、8がつ17にち試合しあい現役げんえき最後さいごの660ごう本塁打ほんるいだはなち、こののちこんシーズンかぎりの現役げんえき引退いんたい表明ひょうめいする。シーズンの成績せいせき自己じこ最低さいてい打率だりつ.211、6本塁打ほんるいだだったが同年どうねん、メッツはワールドシリーズ進出しんしゅつしており、メイズはだい1試合しあいだい2試合しあい先発せんぱつ出場しゅつじょうだい2試合しあいでは適時てきじはなち、だい3試合しあい代打だいだ出場しゅつじょう、その代打だいだ単打たんだはなったのが生涯しょうがい最後さいご安打あんだとなった。

メッツ移籍いせき当時とうじのオーナー・ジョアン・ペイソンに引退いんたい自身じしん背番号せばんごう24』がジャイアンツ時代じだいおなじく永久えいきゅう欠番けつばんにすると言明げんめいされていたが、ペイソンは1975ねん死去しきょしたため、その欠番けつばん指定してい反故ほごにされたかたちとなってしまう。

引退いんたい[編集へんしゅう]

メイズのジャイアンツ在籍ざいせき背番号せばんごう24」。
サンフランシスコ・ジャイアンツの永久えいきゅう欠番けつばん1972ねん指定してい
メイズのメッツ在籍ざいせき背番号せばんごう24」。
ニューヨーク・メッツの永久えいきゅう欠番けつばん2022ねん指定してい

1979ねん、432ひょうちゅう409ひょうやく94%)の得票とくひょうゆう資格しかく初年度しょねんどアメリカ野球やきゅう殿堂でんどうりをたした[12]

1979ねん10がつ29にちにカジノ経営けいえいから企業きぎょう仕事しごとけたとして、MLBコミッショナーボウイ・キューンから追放ついほう処分しょぶんける。同様どうよう処分しょぶんは1983ねんミッキー・マントルにもせられていたが、1985ねん3月18にちにMLBコミッショナーのピーター・ユベロス2人ふたり追放ついほう解除かいじょしている[13]

2015ねん11月24にちホワイトハウスバラク・オバマ大統領だいとうりょうより大統領だいとうりょう自由じゆう勲章くんしょう授与じゅよされた[14]

2022ねん最後さいごにプレーしたニューヨーク・メッツにおいて、前述ぜんじゅつ反故ほごにされていた在籍ざいせき背番号せばんごう24』の永久えいきゅう欠番けつばんあらためて指定していされることになり、同年どうねん8がつ27にち開催かいさいされたメッツのオールドタイマーズデイにて指定していされた。

選手せんしゅとしての特徴とくちょう[編集へんしゅう]

MLBを代表だいひょうする5ツールプレイヤー。「ライフルアーム」とばれた強肩きょうけんぬし

通算つうさん660本塁打ほんるいだ引退いんたい当時とうじベーブ・ルースハンク・アーロンぐ3だった。22ねん現役げんえき生活せいかつ通算つうさん打率だりつ.302を記録きろくしたこう打率だりつほこり、1951ねん新人しんじんおうゴールドグラブしょう12かい本塁打ほんるいだおう4かい盗塁とうるいおう4かい獲得かくとくしている。

オールスターにも1954ねんから1973ねんまで20かい連続れんぞく出場しゅつじょうした。テッド・ウィリアムズは「オールスターはメイズのためにつくられた」とべている。

逸話いつわ[編集へんしゅう]

ザ・キャッチ[編集へんしゅう]

1954ねんのワールドシリーズはメイズようするニューヨーク・ジャイアンツとクリーブランド・インディアンスとの対戦たいせんで、だい1せんは9月29にち、ジャイアンツの本拠地ほんきょちポロ・グラウンズおこなわれた。

2たい2の同点どうてんむかえた8かいひょう、インディアンスは先頭せんとうラリー・ドビー四球しきゅう出塁しゅつるいつづくアル・ローゼンの安打あんだ無死むしいち二塁にるいとチャンスをつくる。ここで打席だせきったビック・ワーツ英語えいごばんった打球だきゅう中堅ちゅうけんしゅのメイズの後方こうほうへのだい飛球ひきゅうとなる。この瞬間しゅんかんだれもがインディアンスのしを予期よきし、試合しあいまったとおもった。

しかし、この打球だきゅう懸命けんめい背走はいそうったメイズは、ほとんどくことなく、全速力ぜんそくりょくのままボールの落下らっかてん到達とうたつ。グラブをおおきくひらいたメイズは肩越かたごしにたますると同時どうじ反転はんてん内野ないや送球そうきゅうするといきおいで前方ぜんぽうたおれこんだ。固唾かたずんで打球だきゅう行方ゆくえっていた大観たいかんしゅは、安打あんだせいたりがアウトになったことをさとり、だい歓声かんせいをあげた。ジャイアンツが絶体絶命ぜったいぜつめいのピンチをだっした一方いっぽうで、インディアンスは試合しあいめるチャンスをのがした。結局けっきょくこの試合しあい延長えんちょうせんにもつれみ、最後さいごはジャイアンツがサヨナラちをおさめた。そのままいきおいにったジャイアンツは、下馬評げばひょう有利ゆうりられていたインディアンスに4連勝れんしょうスウィープ優勝ゆうしょうした[6]

このメイズのファイン・プレーはシリーズのながれをけっし、メイズがボールをグラブにおさめる瞬間しゅんかん見事みごとにとらえた写真しゃしんひろまったこともあり、「ザ・キャッチ」としていまかたがれている。

また、ワーツはのちに「あの打球だきゅう三塁打さんるいだかホームランになったら、みなわたしことなどわすれているだろう」とかたっていたという。

その[編集へんしゅう]

「ザ・キャッチ」のプレーは有名ゆうめいだが、メイズは4出場しゅつじょうしたワールドシリーズにおいて特筆とくひつすべきプレーはどうプレーが唯一ゆいいつってよく、その8ねん出場しゅつじょうしたニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズではだい1せんで3安打あんだ、1打点だてん記録きろくするものの、だい2せん以降いこうは24打数だすう4安打あんだ、0打点だてんであった。ワールドシリーズ通算つうさんでも打率だりつ.239、本塁打ほんるいだ0ほんわっており、メイズはワールドシリーズで本来ほんらい実力じつりょく発揮はっき出来できなかっためい選手せんしゅ1人ひとりげられている[15]

どう時代じだい活躍かつやくしたハンク・アーロン比較ひかくされることがおおかった。一時期いちじき地味じみなアーロンにくらはなやかなメイズの評判ひょうばんたかかったが、1974ねんにアーロンがベーブ・ルース通算つうさん本塁打ほんるいだ記録きろく更新こうしんしてからは評価ひょうか逆転ぎゃくてんした[6]。なお、殿堂でんどうりのさいに「あなたの現役げんえき時代じだいにおいてもっともすぐれた選手せんしゅだれだったとおもいますか」とわれたメイズは、「おれこそがそうだった」とこたえている。

バリー・ボンズ名付なづおやとしてもよくられており、バリーがジャイアンツに移籍いせきするさいにメイズの永久えいきゅう欠番けつばんである「24」をつけたいと依頼いらいし、これにはメイズも快諾かいだくしたが、周囲しゅういつよ反対はんたいけた。そのためバリーのちちであり、メイズのチームメイトであったボビー・ボンズがつけていたとなりの「25」をつけた逸話いつわがある。

わかかりしころ野村のむら克也かつやに「ムース」のあだをつけたのはメイズである。

詳細しょうさい情報じょうほう[編集へんしゅう]

年度ねんどべつ打撃だげき成績せいせき[編集へんしゅう]

とし

たま

だん
ためし

ごう


せき


かず
とく

てん
やす


るい
さん
るい
ほん
るい
るい



てん
ぬすめ

るい
ぬすめ
るい




よん

たま
けい

とお


たま
さん


ころせ


りつ

るい
りつ
なが

りつ
O
P
S
1951 NYG
SF
121 524 464 59 127 22 5 20 219 68 7 4 1 -- 57 7 2 60 11 .274 .356 .472 .828
1952 34 144 127 17 30 2 4 4 52 23 4 1 0 -- 16 1 1 17 2 .236 .326 .409 .735
1954 151 641 565 119 195 33 13 41 377 110 8 5 0 7 66 14 2 57 12 .345 .411 .667 1.078
1955 152 670 580 123 185 18 13 51 382 127 24 4 0 7 79 13 4 60 12 .319 .400 .659 1.059
1956 152 651 578 101 171 27 8 36 322 84 40 10 0 3 68 20 1 65 16 .296 .369 .557 .926
1957 152 669 585 112 195 26 20 35 366 97 38 19 0 6 76 15 1 62 14 .333 .407 .626 1.033
1958 152 685 600 121 208 33 11 29 350 96 31 6 0 6 78 12 1 56 11 .347 .419 .583 1.002
1959 151 649 575 125 180 43 5 34 335 104 27 4 0 6 65 9 2 58 11 .313 .381 .583 .964
1960 153 669 595 107 190 29 12 29 330 103 25 10 0 9 61 11 4 70 15 .319 .381 .555 .936
1961 154 659 572 129 176 32 3 40 334 123 18 9 0 4 81 15 2 77 14 .308 .393 .584 .977
1962 162 706 621 130 189 36 5 49 382 141 18 2 0 3 78 11 4 85 19 .304 .384 .615 .999
1963 157 671 596 115 187 32 7 38 347 103 8 3 0 7 66 5 2 83 15 .314 .380 .582 .962
1964 157 665 578 121 171 21 9 47 351 111 19 5 1 3 82 13 1 72 11 .296 .383 .607 .990
1965 157 638 558 118 177 21 3 52 360 112 9 4 2 2 76 16 0 71 11 .317 .398 .645 1.043
1966 152 629 552 99 159 29 4 37 307 103 5 1 1 4 70 11 2 81 13 .288 .368 .556 .924
1967 141 544 486 83 128 22 2 22 220 70 6 0 2 3 51 7 2 92 12 .263 .334 .453 .787
1968 148 573 498 84 144 20 5 23 243 79 12 6 0 6 67 7 2 81 13 .289 .372 .488 .860
1969 117 459 403 64 114 17 3 13 176 58 6 2 0 4 49 7 3 71 8 .283 .362 .437 .799
1970 139 566 478 94 139 15 2 28 242 83 5 0 0 6 79 3 3 90 7 .291 .390 .506 .896
1971 136 537 417 82 113 24 5 18 201 61 23 3 1 4 112 11 3 123 8 .271 .425 .482 .907
1972 19 67 49 8 9 2 0 0 11 3 3 0 1 0 17 1 0 5 4 .184 .394 .224 .618
NYM 69 242 195 27 52 9 1 8 87 19 1 5 3 0 43 5 1 43 5 .267 .402 .446 .848
'72けい 88 309 244 35 61 11 1 8 98 22 4 5 4 0 60 6 1 48 9 .250 .400 .402 .802
1973 66 239 209 24 44 10 0 6 72 25 1 0 1 1 27 0 1 47 7 .211 .303 .344 .647
MLB:22ねん 2992 12497 10881 2062 3283 523 140 660 6066 1903 338 103 13 91 1464 214 44 1526 251 .302 .384 .557 .941
  • かく年度ねんど太字ふとじはリーグ最高さいこう
  • NYG(ニューヨーク・ジャイアンツ)は、1958ねんにSF(サンフランシスコ・ジャイアンツ)に球団きゅうだんめい変更へんこう

年度ねんどべつ守備しゅび成績せいせき[編集へんしゅう]

内野ないや守備しゅび
とし
たま
だん
一塁いちるい(1B) 三塁さんるい(3B) ゆうげき(SS)
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
1963 SF - - 1 0 0 0 0 ----
1964 1 6 1 0 1 1.000 1 0 1 0 0 1.000 1 0 0 0 0 ----
1968 1 9 0 0 1 1.000 - -
1969 1 6 0 0 1 1.000 - -
1970 5 34 3 0 3 1.000 - -
1971 48 384 27 11 43 .974 - -
1972 NYM 11 75 2 1 3 .987 - -
1973 17 143 4 3 9 .980 - -
MLB 84 657 37 15 61 .979 1 0 1 0 0 1.000 2 0 0 0 0 ----
外野がいや守備しゅび
とし
たま
だん
左翼さよく(LF) 中堅ちゅうけん(CF) 右翼うよく(RF)
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
1948 BBB 11 17 1 2 0 .900 - 1 0 0 0 0 ----
1951 NYG
SF
- 121 349 13 9 2 .976 -
1952 - 34 110 5 1 2 .991 -
1954 - 151 443 13 7 9 .985 -
1955 - 152 399 22 8 8 .981 -
1956 - 152 405 14 9 6 .979 -
1957 - 150 407 14 9 4 .979 -
1958 - 151 429 15 9 2 .980 -
1959 - 147 351 6 5 2 .986 -
1960 - 152 391 11 8 2 .980 -
1961 - 153 385 7 8 3 .980 -
1962 - 161 425 6 4 1 .991 -
1963 - 157 398 8 8 1 .981 -
1964 - 155 364 9 6 4 .984 -
1965 1 6 0 0 0 1.000 147 323 10 5 4 .985 4 5 2 1 0 .875
1966 1 1 0 0 0 1.000 144 358 8 7 2 .981 5 9 0 0 0 1.000
1967 - 134 278 3 7 0 .976 -
1968 - 141 302 7 7 2 .978 1 2 0 0 0 1.000
1969 - 106 202 4 5 0 .976 2 5 0 0 0 1.000
1970 - 128 272 6 7 3 .975 -
1971 - 84 193 3 6 1 .970 -
1972 - 14 30 0 0 0 1.000 -
NYM - 50 107 3 3 1 .973 -
'72けい - 64 137 3 3 1 .979 -
1973 - 45 103 1 1 0 .990 -
NLB 11 17 1 2 0 .900 - 1 0 0 0 0 ----
MLB 2 7 0 0 0 1.000 2829 7024 188 139 59 .981 12 21 2 1 0 .958
  • かく年度ねんど太字ふとじはリーグ最高さいこうあか文字もじはMLB歴代れきだい最高さいこう
  • かく年度ねんど太字ふとじねんゴールドグラブしょう受賞じゅしょう

タイトル[編集へんしゅう]

表彰ひょうしょう[編集へんしゅう]

記録きろく[編集へんしゅう]

背番号せばんごう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 大谷おおやしょうたいら 伝説でんせつてき名手めいしゅメイズ以来いらい66ねんぶりの記録きろく 45本塁打ほんるいだ、20盗塁とうるい、6三塁打さんるいだ” (2021ねん9がつ26にち). 2022ねん9がつ17にち閲覧えつらん
  2. ^ All-Time #MLBRank: The 10 greatest center fielders” (英語えいご). ESPN.com (2016ねん7がつ14にち). 2017ねん1がつ14にち閲覧えつらん
  3. ^ Best center fielders of all time” (英語えいご). Fox Sports (2011ねん2がつ27にち). 2017ねん1がつ14にち閲覧えつらん
  4. ^ Stein, Fred; D. Renino, Christopherur. “The Ballplayers - Willie Mays” (英語えいご). BaseballLibrary.com. 2009ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
  5. ^ 1954 Awards Voting”. Baseball-Reference.com. 2021ねん1がつ12にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c d e かんひろしたてまつ 「スーパーメジャーなおとこたちだい14かい WILLE MAYS ウィリー・メイズ」『スラッガー』1999ねん8がつごう日本スポにっぽんすぽツ企画出版社つきかくしゅっぱんしゃ、1999ねん雑誌ざっし05456-8、86 - 89ぺーじ
  7. ^ Cardinals vs. Brewers - Recap - September 25, 2007” (英語えいご). ESPN.com. 2009ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
  8. ^ 1965 Awards Voting”. Baseball-Reference.com. 2021ねん1がつ12にち閲覧えつらん
  9. ^ a b c Willie Mays from the Chronology” (英語えいご). BaseballLibrary.com. 2009ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
  10. ^ Willie Mays Transactions” (英語えいご). Baseball-Reference.com. 2009ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
  11. ^ Retired Uniform Numbers in the National League” (英語えいご). Baseball Almanac. 2009ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
  12. ^ HALL OF FAME VOTING: BASEBALL WRITERS ELECTION 1979 ELECTION” (英語えいご). National Baseball Hall of Fame and Museum. 2009ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
  13. ^ 週刊しゅうかんベースボールべつかん桔梗ききょうごうだいリーグ厳選げんせんめい場面ばめん100」92-93ページ
  14. ^ メイズ&ベラ両氏りょうし大統領だいとうりょう自由じゆう勲章くんしょう授与じゅよ 球界きゅうかいからは過去かこめい”. スポーツニッポン (2015ねん11月25にち). 2021ねん1がつ12にち閲覧えつらん
  15. ^ スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃかん スポーツ伝説でんせつシリーズ22 メジャーリーグ「ワールドシリーズ伝説でんせつ」67-68ページ
  16. ^ Most Seasons on All-Star Roster”. Baseball-Reference.com. 2021ねん1がつ12にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]