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スコット・ローレン

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
スコット・ローレン
Scott Rolen
シンシナティ・レッズでの現役げんえき時代じだい
(2011ねん6がつ25にち
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
出身しゅっしん インディアナしゅうジャスパー
生年月日せいねんがっぴ (1975-04-04) 1975ねん4がつ4にち(49さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
6' 4" =やく193 cm
240 lb =やく108.9 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき みぎとうみぎ
ポジション 三塁手さんるいしゅ
プロ 1993ねん MLBドラフト2じゅん全体ぜんたい46
はつ出場しゅつじょう 1996ねん8がつ1にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう 2012ねん10がつ3にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど
殿堂でんどう表彰ひょうしょうしゃ
選出せんしゅつねん 2023ねん
得票とくひょうりつ 76.34%
選出せんしゅつ方法ほうほう BBWAA選出せんしゅつ

スコット・ブルース・ローレンScott Bruce Rolen, 1975ねん4がつ4にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくインディアナしゅうジャスパー出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ三塁手さんるいしゅ)。みぎとうみぎ

経歴けいれき[編集へんしゅう]

高校こうこう時代じだいバスケットボールでも活躍かつやく。いくつかの大学だいがくから奨学生しょうがくせいとして入学にゅうがく打診だしんされた[1]

プロりとフィリーズ時代じだい[編集へんしゅう]

1993ねんMLBドラフトフィラデルフィア・フィリーズから2じゅん全体ぜんたい46)で指名しめいされ入団にゅうだん

1996ねんはAAきゅうレディング開幕かいまくむかえ、5月に打率だりつ.352、7本塁打ほんるいだ、19打点だてん記録きろくし、月間げっかんMVPを受賞じゅしょうした[2]。6月12にちにAAAきゅうスクラントン・ウィルクスバリ昇格しょうかくし45試合しあい出場しゅつじょうしたのをて、8がつ1にちにメジャーデビューをたした[2]。メジャーはつ本塁打ほんるいだは8がつ21にちドジャースせん野茂のも英雄ひでおから。しかも1試合しあい2本塁打ほんるいだ記録きろくした[2][3]。9月7にちシカゴ・カブスせん死球しきゅう骨折こっせつしてしまったが、新人しんじんおう受賞じゅしょう資格しかく野手やしゅ場合ばあい前年ぜんねんまで通算つうさん130打数だすう以下いかでローレンは130打数だすうだったためよくシーズンも新人しんじん資格しかくったままシーズンをえた[2]

1997ねんは156試合しあい出場しゅつじょうし、打率だりつ.283、21本塁打ほんるいだ、92打点だてんはリーグ新人しんじん選手せんしゅとして最多さいた新人しんじんおう投票とうひょうでは満票まんぴょう(ナリーグ史上しじょう7にん)で選出せんしゅつされた[4]守備しゅびでは三塁手さんるいしゅとしてリーグ最多さいたの459かい守備しゅび機会きかい記録きろくしている[4]

1998ねん打率だりつ.290、31本塁打ほんるいだ、110打点だてん記録きろくし、球団きゅうだん史上しじょう最年少さいねんしょう(1900ねん以降いこう)で100打点だてん記録きろくした[5]一方いっぽう守備しゅびではリーグ最多さいたの468かい守備しゅび機会きかいと135刺殺しさつ記録きろくし、三塁手さんるいしゅとして史上しじょう3番目ばんめわかさで、球団きゅうだん史上しじょうマイク・シュミット1986ねん受賞じゅしょうして以来いらい12ねんぶりにゴールドグラブしょう獲得かくとくした[5]

1999ねんオールスターゲーム開催かいさいまでに19本塁打ほんるいだ記録きろくしたが、シーズン終盤しゅうばん故障こしょうのため欠場けつじょうした。

2000ねんも5月24にちから6がつ8にちにかけて故障こしょうしゃリストりとなったが、2ねんぶりにゴールドグラブしょう受賞じゅしょうし、球団きゅうだん史上しじょう2番目ばんめわかさで通算つうさん100本塁打ほんるいだ達成たっせいした[6]

カージナルス時代じだい[編集へんしゅう]

2002ねん7がつ29にちトレードセントルイス・カージナルス移籍いせきした。9月に2003ねんから8ねん総額そうがく9000まんドルの契約けいやく合意ごうい[7]

2004ねんは9月にひだり脹脛ふくらはぎいため、2週間しゅうかん以上いじょう欠場けつじょうしたが[8]開幕かいまくから2かげつで53打点だてん記録きろくするなど、いずれも自己じこ最高さいこう打率だりつ.314、34本塁打ほんるいだ、124打点だてん記録きろくジム・エドモンズアルバート・プホルスとともに "3わり・30本塁打ほんるいだ・110打点だてんトリオ" を形成けいせい。プレーオフではナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ(NLCS)だい7せんでは逆転ぎゃくてんの2てん本塁打ほんるいだ記録きろくするなどチームをリーグ優勝ゆうしょう貢献こうけんした。しかし、ボストン・レッドソックスとのワールドシリーズでは15打数だすう安打あんだぜっ不調ふちょうで、チームも1しょうげられずにわった。

2005ねん左肩ひだりかたなどをいため2手術しゅじゅつ経験けいけん[9]オールスターゲーム辞退じたいするなど56試合しあい出場しゅつじょうとどまった。

2006ねん開幕かいまくせんマーク・マグワイア(1998ねん以来いらい球団きゅうだん史上しじょう2にんとなる満塁まんるい本塁打ほんるいだ記録きろく[10]、チーム最多さいたの48ほん二塁打にるいだ記録きろくするなどの活躍かつやくカムバックしょうにノミネートされた[1]デトロイト・タイガースとのワールドシリーズでは、19打数だすう8安打あんだ活躍かつやくし、自身じしんはつのワールドシリーズ優勝ゆうしょう経験けいけんした。当時とうじのタイガースの監督かんとくであるジム・リーランドは「歴代れきだいでも最高さいこう三塁手さんるいしゅをカーディナルスはかかえている」と絶賛ぜっさんした[1]

2007ねん古傷ふるきず左肩ひだりかたいたみになやまされ、8がつ28にち出場しゅつじょう最後さいごにシーズンをえた[11]

ブルージェイズ時代じだい[編集へんしゅう]

2008ねん1がつ14にち球団きゅうだん当時とうじ監督かんとくだったトニー・ラルーサとの確執かくしつ原因げんいんおな三塁手さんるいしゅトロイ・グロースとのトレードでトロント・ブルージェイズ移籍いせきした[12]

同年どうねんはスプリング・トレーニングで14試合しあい出場しゅつじょう打率だりつ.345を記録きろくしていたが、守備しゅび練習れんしゅうちゅう右手みぎて中指なかゆび骨折こっせつ[13]開幕かいまく故障こしょうしゃリストりでむかえた。4月25にちカンザスシティ・ロイヤルズせん移籍いせきはつ出場しゅつじょう。8月には左肩ひだりかたいため、シーズン2かい故障こしょうしゃリストりとなった[14]

2009ねんはシーズン途中とちゅうから4ばん定着ていちゃくし、打率だりつ.320を記録きろく

レッズ時代じだい[編集へんしゅう]

2009ねん7がつ31にちに「故郷こきょうちかくでプレーしたい」とみずからトレードを志願しがん[15]エドウィン・エンカーナシオンジョシュ・レニキーザック・スチュワートとの交換こうかんシンシナティ・レッズ移籍いせき[16]。レッズ移籍いせきは、40試合しあい出場しゅつじょうして打率だりつ.270、3本塁打ほんるいだ、24打点だてんという成績せいせきだった。オフの12月19にちに2ねん1300まんドルで契約けいやく延長えんちょうし、1100まんドルだった2010ねん年俸ねんぽうを600まんドルとし、のこりの500まんドルを契約けいやくきんとして支払しはらうことになった[17]

2010ねんは、オールスターゲームまでに79試合しあい出場しゅつじょうして打率だりつ.290、17本塁打ほんるいだ、57打点だてん活躍かつやくした。しかし、シーズン通算つうさんでは打率だりつ.285、20本塁打ほんるいだ、83打点だてんという数字すうじとどまった。しかし、20本塁打ほんるいだ記録きろくしたのは4ねんぶりのことであり、おなじく打点だてんが80をえたのも4ねんぶりであった。守備しゅびめんでは、自身じしん8度目どめとなるゴールドグラブしょう獲得かくとくした。また、フィリーズやカージナルス在籍ざいせき監督かんとくとの不仲ふなかおちいったことのあるローレンだったが[18]、レッズではベイカー監督かんとくとの関係かんけい良好りょうこうであり、シンガーソングライターのライアン・パーカーがその関係かんけいうたにした[18]

2011ねん6月15にち三塁手さんるいしゅとしてマイク・シュミットジョージ・ブレットチッパー・ジョーンズいで4にんとなる2000安打あんだ、500二塁打にるいだ、300本塁打ほんるいだ、1200打点だてんの4項目こうもく達成たっせいした。

2013ねんスプリングトレーニング帯同たいどうせず、正式せいしき引退いんたい表明ひょうめいいものの、そのはどの球団きゅうだんでもプレーしていない。

現役げんえき引退いんたい[編集へんしゅう]

2018ねん7がつより、インディアナ大学だいがくブルーミントンこう選手せんしゅ育成いくせいディレクターに就任しゅうにんした[19]

2023ねん1がつ24にち得票とくひょうりつ76.3%で資格しかく取得しゅとく6ねんにしてアメリカ野球やきゅう殿堂でんどうりをたした[20]

選手せんしゅとしての特徴とくちょう[編集へんしゅう]

三塁手さんるいしゅとして8ゴールドグラブしょうほこる。ローレンより三塁手さんるいしゅとしての受賞じゅしょう回数かいすうおおブルックス・ロビンソン(16かい)とマイク・シュミット(10かい)は「我々われわれよりもローレンのほううえだ」とっている[1]

薬物やくぶつ疑惑ぎわくとは無縁むえん人物じんぶつという評価ひょうかもある。2020ねん1がつ23にちに、MLB公式こうしきサイトが2021ねん米国べいこく野球やきゅう殿堂でんどうりメンバー候補こうほについて「もっと注目ちゅうもくされるべき5にん」を選出せんしゅつしたが、それは全米ぜんべい野球やきゅう記者きしゃ協会きょうかい投票とうひょう前回ぜんかいから得票とくひょうりつを9%以上いじょうアップさせた候補者こうほしゃなかで、薬物やくぶつ疑惑ぎわくとは無縁むえん候補者こうほしゃしぼったものであった[21]

詳細しょうさい情報じょうほう[編集へんしゅう]

年度ねんどべつ打撃だげき成績せいせき[編集へんしゅう]

とし

たま

だん
ためし

ごう


せき


かず
とく

てん
やす


るい
さん
るい
ほん
るい
るい



てん
ぬすめ

るい
ぬすめ
るい




よん

たま
けい

とお


たま
さん


ころせ


りつ

るい
りつ
なが

りつ
O
P
S
1996 PHI 37 146 130 10 33 7 0 4 52 18 0 2 0 2 13 0 1 27 4 .254 .322 .400 .722
1997 156 657 561 93 159 35 3 21 263 92 16 6 0 7 76 4 13 138 6 .283 .377 .469 .846
1998 160 711 601 120 174 45 4 31 320 110 14 7 0 6 93 6 11 141 10 .290 .391 .532 .923
1999 112 497 421 74 113 28 1 26 221 77 12 2 0 6 67 2 3 114 8 .268 .368 .525 .893
2000 128 541 483 88 144 32 6 26 266 89 8 1 0 2 51 9 5 99 4 .298 .370 .551 .920
2001 151 653 554 96 160 39 1 25 276 107 16 5 0 12 74 6 13 127 6 .289 .378 .498 .876
2002 100 438 375 52 97 21 4 17 177 66 5 2 0 3 52 2 8 68 12 .259 .358 .472 .830
STL 55 229 205 37 57 8 4 14 115 44 3 2 0 0 20 2 4 34 10 .278 .354 .561 .915
'02けい 155 667 580 89 154 29 8 31 292 110 8 4 0 3 72 4 12 102 22 .266 .357 .503 .860
2003 154 657 559 98 160 49 1 28 295 104 13 3 0 7 82 5 9 104 19 .286 .382 .528 .910
2004 142 593 500 109 157 32 4 34 299 124 4 3 1 7 72 5 13 92 8 .314 .409 .598 1.007
2005 56 223 196 28 46 12 1 5 75 28 1 2 0 1 25 1 1 28 3 .235 .323 .383 .706
2006 142 594 521 94 154 48 1 22 270 95 7 4 0 8 56 7 9 69 10 .296 .369 .518 .887
2007 112 441 392 55 104 24 2 8 156 58 5 3 0 7 37 2 5 56 13 .265 .331 .398 .729
2008 TOR 115 467 408 58 107 30 3 11 176 50 5 0 0 3 46 2 10 71 12 .262 .349 .431 .780
2009 88 373 338 52 108 29 0 8 161 43 4 2 0 5 26 1 4 42 2 .320 .370 .476 .846
CIN 40 162 137 24 37 7 1 3 55 24 1 2 0 3 19 0 3 20 2 .270 .364 .401 .766
'09けい 128 535 475 76 145 36 1 11 216 67 5 4 0 8 45 1 7 62 4 .305 .368 .455 .823
2010 133 537 471 66 134 34 3 20 234 83 1 2 0 8 50 3 8 82 12 .285 .358 .497 .854
2011 65 269 252 31 61 20 2 5 100 36 1 0 0 3 10 0 4 36 4 .242 .279 .397 .676
2012 92 330 294 26 72 17 2 8 117 39 2 1 0 3 30 0 3 62 5 .245 .318 .398 .716
MLB:17ねん 2038 8518 7398 1211 2077 517 43 316 3628 1287 118 49 1 93 899 57 127 1410 150 .281 .364 .490 .855

年度ねんどべつ守備しゅび成績せいせき[編集へんしゅう]

とし
たま
だん
三塁さんるい(3B)
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
1996 PHI 37 29 54 4 4 .954
1997 155 144 291 24 30 .948
1998 159 135 319 14 28 .970
1999 112 111 227 14 21 .960
2000 128 89 245 10 14 .971
2001 151 104 325 12 22 .973
2002 100 81 206 8 23 .973
STL 55 52 129 8 18 .958
'02けい 155 133 335 16 41 .967
2003 153 109 298 13 23 .969
2004 141 93 325 10 23 .977
2005 56 22 150 6 17 .966
2006 142 93 320 15 32 .965
2007 112 85 226 10 22 .969
2008 TOR 115 74 217 11 14 .964
2009 88 62 168 5 16 .979
CIN 39 29 64 0 3 1.000
'09けい 127 91 232 5 19 .985
2010 130 83 259 8 28 .977
2011 63 38 119 4 11 .975
2012 87 45 139 10 6 .948
MLB 2023 1478 4081 186 355 .968
  • かく年度ねんど太字ふとじはリーグ最高さいこう
  • かく年度ねんど太字ふとじねんゴールドグラブしょう受賞じゅしょう

表彰ひょうしょう[編集へんしゅう]

記録きろく[編集へんしゅう]

背番号せばんごう[編集へんしゅう]

  • 6(1996ねん
  • 17(1997ねん - 2002ねん途中とちゅう
  • 27(2002ねん途中とちゅう - 2007ねん、2009ねん途中とちゅう - 2012ねん
  • 33(2008ねん - 2009ねん途中とちゅう

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d 友成ともなり那智なち村上むらかみ雅則まさのり『メジャーリーグ・完全かんぜんデータ選手せんしゅ名鑑めいかん2007』廣済堂こうさいどう出版しゅっぱん、2007ねん、320ぺーじISBN 978-4-331-51213-5 
  2. ^ a b c d Player Profile: Scott Rolen (1996 Career Highlights).” (英語えいご). MLB.com. 2008ねん2がつ13にち閲覧えつらん
  3. ^ August 21, 1996 Philadelphia Phillies at Los Angeles Dodgers Play by Play and Box Score” (英語えいご). Baseball-Reference.com. 2008ねん2がつ13にち閲覧えつらん
  4. ^ a b Scott Rolen 1997 Career Highlights” (英語えいご). 2008ねん5がつ3にち閲覧えつらん
  5. ^ a b Player Profile: Scott Rolen (1998 Career Highlights).” (英語えいご). MLB.com. 2008ねん2がつ13にち閲覧えつらん
  6. ^ Scott Rolen 2000 Career Highlights” (英語えいご). 2008ねん5がつ3にち閲覧えつらん
  7. ^ Giants Move Closer To Clinching Wild Card” (英語えいご). The New York Times (2002ねん9がつ28にち). 2010ねん1がつ4にち閲覧えつらん
  8. ^ Leach, Matthew (2004ねん9がつ28にち). “Cards' bats quiet against Astros” (英語えいご). MLB.com. 2010ねん1がつ4にち閲覧えつらん
  9. ^ Leach, Matthew (2005ねん8がつ29にち). “Notes: Rolen undergoes surgery” (英語えいご). MLB.com. 2010ねん1がつ4にち閲覧えつらん
  10. ^ Scott Rolen 2006 Career Highlights” (英語えいご). 2008ねん5がつ3にち閲覧えつらん
  11. ^ Leach, Matthew (2007ねん9がつ1にち). “No news is bad news for Rolen” (英語えいご). MLB.com. 2010ねん1がつ4にち閲覧えつらん
  12. ^ 友成ともなり那智なち村上むらかみ雅則まさのり『メジャーリーグ・完全かんぜんデータ選手せんしゅ名鑑めいかん2008』廣済堂こうさいどう出版しゅっぱん、2008ねん、78ぺーじISBN 978-4-331-51300-2 
  13. ^ Bastian, Jordan (2008ねん3がつ27にち). “Rolen possibly sidelined until May” (英語えいご). MLB.com. 2010ねん1がつ4にち閲覧えつらん
  14. ^ Singh, David (2008ねん8がつ10日とおか). “Soreness sends Rolen to DL” (英語えいご). MLB.com. 2010ねん1がつ4にち閲覧えつらん
  15. ^ Reds acquire Rolen for Encarnacion. ESPN(英語えいご). 2011ねん6がつ17にち閲覧えつらん
  16. ^ Reds beat clock with two Deadline trades Rolen the big catch in deal with Jays; Hairston sent to Yanks”. reds.com (2009ねん7がつ31にち). 2009ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  17. ^ Associated Press (2009ねん12月19にち). “Source: Rolen's new deal adds 2 years” (英語えいご). ESPN.com. 2009ねん1がつ4にち閲覧えつらん
  18. ^ a b 友成ともなり那智なち村上むらかみ雅則まさのり『メジャーリーグ・完全かんぜんデータ選手せんしゅ名鑑めいかん2011』廣済堂こうさいどう出版しゅっぱん、2011ねんぺーじぺーじISBN 978-4-331-51518-1 
  19. ^ Scott Rolen - Baseball Coach”. Indiana University. 2022ねん5がつ22にち閲覧えつらん
  20. ^ Rolen earns Hall election, capping historic ballot climb” (英語えいご). MLB.com. 2023ねん1がつ25にち閲覧えつらん
  21. ^ 殿堂でんどう候補こうほもっと注目ちゅうもくされるべき5にん公式こうしき選出せんしゅつ 日刊にっかんスポーツ 2020ねん1がつ24にち144ふん (2021ねん7がつ18にち閲覧えつらん)

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]