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アンドレ・イーシアー

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アンドレ・イーシアー
Andre Ethier
現役げんえき時代じだい
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
出身しゅっしん アリゾナしゅうフェニックス
生年月日せいねんがっぴ (1982-04-10) 1982ねん4がつ10日とおか(42さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
6' 2" =やく188 cm
205 lb =やく93 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき ひだりとうひだり
ポジション 外野がいやしゅ
プロ 2003ねん MLBドラフト2じゅん
はつ出場しゅつじょう 2006ねん5がつ2にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう 2017ねん10がつ1にち
年俸ねんぽう $18,000,000(2016ねん[1]
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど

アンドレ・エバレット・イーシアーAndre Everett Ethier, 1982ねん4がつ10日とおか - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくアリゾナしゅうフェニックス出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ外野がいやしゅ)。ひだりとうひだり

実弟じっていもとプロ野球やきゅう選手せんしゅで、2010ねんのMLBドラフト32じゅんロサンゼルス・ドジャース入団にゅうだんしたデボン・イーシアー

経歴けいれき

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2001ねんMLBドラフト37じゅん全体ぜんたい1121)でオークランド・アスレチックスから指名しめいされたが、契約けいやくにはいたらなかった。

2003ねんMLBドラフト2じゅん全体ぜんたい62)でふたたびアスレチックスから指名しめいされ、プロり。

2005ねんオフに派遣はけんされたアリゾナ・フォールリーグでは献身けんしんてきプレーとリーダーシップを評価ひょうかされてステンソンしょう受賞じゅしょうした。
そのミルトン・ブラッドリーアントニオ・ペレス英語えいごばんとのトレードロサンゼルス・ドジャース移籍いせきした。

2006ねん開幕かいまく傘下さんかのAAAきゅうラスベガス・フィフティワンズむかえたが、5月2にちにメジャーデビューをたした。デビュー2せんとなるよく3にちには本塁打ほんるいだ記録きろく。5月19にちには5打数だすう5安打あんだ記録きろくした。ルーキーイヤーは126試合しあい出場しゅつじょうし、まえのミートりょくかしてシーズン打率だりつ.308、11本塁打ほんるいだ、55打点だてん記録きろくした。新人しんじんおう投票とうひょうで5はいった。

2007ねんは、153試合しあい出場しゅつじょうし、はつ規定きてい打席だせき到達とうたつ打率だりつは.284ととしたものの、13本塁打ほんるいだ、64打点だてん記録きろくした。2008ねん打率だりつ.305、20本塁打ほんるいだ、77打点だてん成績せいせきばした。

2009ねんはチームの主軸しゅじくにない、フル出場しゅつじょうちかい160試合しあい出場しゅつじょう。MLBタイ記録たいきろくとなるシーズン4ほんサヨナラ本塁打ほんるいだふくむ31本塁打ほんるいだ、6ほんのサヨナラ安打あんだ記録きろくした[2]同時どうじに100打点だてんえもたし、シルバースラッガーしょうはつ受賞じゅしょうした。

2010ねんオールスターはつ選出せんしゅつされた。シーズンでは、30本塁打ほんるいだ・100打点だてんのがしたものの、前年ぜんねんよりもたか打率だりつ.292をマークし、3ねん連続れんぞくで20ほん以上いじょうのホームランを記録きろくした。

2011ねん、2ねん連続れんぞくでの打率だりつ.292を記録きろく。しかし、本塁打ほんるいだ打点だてんさら減少げんしょうし、2009ねんくらべてそれぞれ20本塁打ほんるいだげん、44打点だてんげん前年ぜんねんくらべても12本塁打ほんるいだげん、20打点だてんげんとなった。一方いっぽう守備しゅびめんでは失策しっさくおさえ、自身じしんはつゴールドグラブしょう選出せんしゅつされた。

2012ねん、149試合しあい出場しゅつじょう打率だりつ.284、20本塁打ほんるいだ、89打点だてん記録きろくした。本塁打ほんるいだは2ねんぶりに20ほんえ、打点だてん自己じこ2数値すうちだった。

2013ねん、142試合しあい出場しゅつじょう打率だりつ.272、12本塁打ほんるいだ、52打点だてん記録きろくした。打率だりつ低下ていかしたが、四球しきゅうが4ねんぶりに60をえると出塁しゅつるいりつも2ねんぶりに.360をえた。ただ、打撃だげきさん部門ぶもん打率だりつ本塁打ほんるいだ打点だてん)については、打点だてん自己じこ最少さいしょう打率だりつ自己じこ最低さいてい(2009ねんが.2718、2013ねんは.2717)、本塁打ほんるいだ自己じこ3番目ばんめすくなかった。これはそれまで中軸ちゅうじくまかされていたが、このとしヤシエル・プイグエイドリアン・ゴンザレスハンリー・ラミレスなどの活躍かつやくで、2ばんまたは下位かい打線だせんつことがえ、長打ちょうだねらいから出塁しゅつるい重視じゅうし打撃だげきわった。そのため、長打ちょうだ減少げんしょうは、打撃だげき不振ふしんではなく意図いとてきだった結果けっか数字すうじ低下ていかであり、自身じしんのすべき役割やくわりたしている。守備しゅびではそれまで右翼うよくしゅだったが、右翼うよく中堅ちゅうけんしゅ併用へいようとなった。

2014ねん外野がいやじんカール・クロフォードマット・ケンプ、プイグとなり、4番手ばんて外野がいやしゅとなった。そのため、メジャー1ねんの2006ねん以来いらいとなる規定きてい打席だせき未満みまんわり、また打撃だげきさん部門ぶもんではいずれも自己じこワーストの成績せいせきわった。

2015ねん、142試合しあい出場しゅつじょうしたが、2ねん連続れんぞく規定きてい打席だせきとどかなかった。しかし、打率だりつ.294、出塁しゅつるいりつ.366と復調ふくちょうした。

2016ねん2017ねんの2年間ねんかんでわずか38試合しあい・64打席だせき出場しゅつじょうまり、オフに250まんドルの違約いやくきん2018ねんにおける契約けいやくオプションを破棄はきされてFAとなった[3]

2018ねん無所属むしょぞく開幕かいまくした。7月25にち現役げんえき引退いんたい発表はっぴょうされ[4]、8がつ3にちにはドジャー・スタジアム引退いんたいセレモニーがおこなわれた[5]

詳細しょうさい情報じょうほう

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年度ねんどべつ打撃だげき成績せいせき

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とし

たま

だん
ためし

ごう


せき


かず
とく

てん
やす


るい
さん
るい
ほん
るい
るい



てん
ぬすめ

るい
ぬすめ
るい




よん

たま
けい

とお


たま
さん


ころせ


りつ

るい
りつ
なが

りつ
O
P
S
2006 LAD 126 441 396 50 122 20 7 11 189 55 5 5 0 6 34 2 5 77 11 .308 .365 .477 .842
2007 153 505 447 50 127 32 2 13 202 64 0 4 0 8 46 12 4 68 10 .284 .350 .452 .802
2008 141 596 525 90 160 38 5 20 268 77 6 3 1 7 59 0 4 88 6 .305 .375 .510 .885
2009 160 685 596 92 162 42 3 31 303 106 6 4 0 4 72 10 13 116 19 .272 .361 .508 .869
2010 139 585 517 71 151 33 1 23 255 82 2 1 0 6 59 11 3 102 11 .292 .364 .493 .857
2011 135 551 487 67 142 30 0 11 205 62 0 1 0 3 58 9 3 103 8 .292 .368 .421 .789
2012 149 618 556 79 158 36 1 20 256 89 2 2 0 3 50 6 9 124 13 .284 .351 .460 .812
2013 142 553 482 54 131 33 2 12 204 52 4 3 0 3 61 11 7 95 9 .272 .360 .423 .783
2014 130 380 341 29 85 17 6 4 126 42 2 2 1 1 31 3 6 74 5 .249 .322 .370 .691
2015 142 445 395 54 116 20 7 14 192 53 2 3 0 3 43 2 4 75 11 .294 .366 .486 .852
2016 16 26 24 2 5 1 0 1 9 2 0 0 0 0 2 1 0 6 1 .208 .269 .375 .644
2017 22 38 34 3 8 1 0 2 15 3 0 0 0 0 4 1 0 10 0 .235 .316 .441 .757
MLB:12ねん 1455 5425 4800 641 1367 303 34 162 2224 687 29 28 2 44 519 68 58 938 104 .285 .359 .463 .822

年度ねんどべつ守備しゅび成績せいせき

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とし
たま
だん
左翼さよく(LF) 中堅ちゅうけん(CF) 右翼うよく(RF) 一塁いちるい(1B)
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
2006 LAD 109 172 8 6 1 .968 - - -
2007 60 73 2 1 0 .987 - 102 176 8 4 1 .979 -
2008 41 48 3 2 0 .962 - 109 171 8 0 0 1.000 -
2009 - - 158 279 6 7 0 .976 -
2010 - - 132 223 6 1 2 .996 1 0 0 0 0 .---
2011 - - 126 243 8 0 0 1.000 -
2012 - 1 4 0 0 0 1.000 146 234 3 3 1 .988 -
2013 8 10 1 0 0 1.000 74 132 5 2 2 .986 54 105 2 0 2 1.000 -
2014 16 13 0 0 0 1.000 68 120 0 1 0 .992 15 20 1 0 0 1.000 1 5 0 0 0 1.000
2015 51 54 3 2 1 .966 1 0 0 0 0 .--- 80 123 3 2 1 .984 -
2016 4 5 0 0 0 1.000 - - -
2017 8 7 0 1 0 .875 - - -
通算つうさん 297 382 17 12 2 .971 144 256 5 3 2 .989 922 1574 45 17 7 .990 2 5 0 0 0 1.000

表彰ひょうしょう

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記録きろく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Andre Ethier Contract, Salaries, and Transactions” (英語えいご). Baseball-Reference.com. 2016ねん3がつ28にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 野茂のもの16ばん後継こうけいしゃはサヨナラおとこだい537かい): 蛭間ひるまゆたかあきら記者きしゃの「Baseball inside」”. スポーツ報知ほうち (2010ねん5がつ7にち). 2018ねん6がつ3にち閲覧えつらん
  3. ^ ドジャース イーシアとの来季らいき契約けいやく選択せんたくけん破棄はき ここ2年間ねんかん故障こしょう”. スポーツニッポン (2017ねん11月6にち). 2018ねん6がつ3にち閲覧えつらん
  4. ^ Rowan Kavner (2018ねん7がつ26にち). “Dodgers to honor Andre Ethier with retirement ceremony Aug. 3” (英語えいご). Dodgers.mlblogs.com. 2018ねん8がつ7にち閲覧えつらん
  5. ^ Andy McCullough (2018ねん8がつ3にち). “Andre Ethier says goodbye to Dodgers in pregame ceremony” (英語えいご). LA Times. 2018ねん8がつ7にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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