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1989ねん日本にっぽんシリーズ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
NPB 1989ねん日本にっぽんシリーズ
ゲームデータ
日本一にっぽんいち
読売よみうりジャイアンツ
8ねんぶり17かい
4しょう3はい
試合しあい日程にってい 1989ねん10月21にち-10月29にち
最高さいこう殊勲しゅくん選手せんしゅ 駒田こまだいさおひろ
敢闘かんとうしょう選手せんしゅ 新井あらい宏昌ひろあき
チームデータ
読売よみうりジャイアンツ()
監督かんとく 藤田ふじたもとつかさ
シーズン成績せいせき 84しょう44はい2ふん
(シーズン1
近鉄きんてつバファローズ()
監督かんとく 仰木おうぎあきら
シーズン成績せいせき 71しょう54はい5ふん
(シーズン1
« 1988
1990 »
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1989ねん日本にっぽんシリーズ(1989ねんのにっぽんシリーズ、1989ねんのにほんシリーズ)は、1989ねん10月21にちから10月29にちまでおこなわれたセントラル・リーグ(セ・リーグ)優勝ゆうしょうチームの読売よみうりジャイアンツ巨人きょじん)とパシフィック・リーグ(パ・リーグ)優勝ゆうしょうチームの近鉄きんてつバファローズ近鉄きんてつ)によるだい40かいプロ野球やきゅう日本にっぽん選手権せんしゅけんシリーズである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ほんシリーズは、下記かきのとおり、巨人きょじんが3連敗れんぱいの4連勝れんしょうで、8ねんぶり17度目どめ日本にっぽん選手権せんしゅけん制覇せいはとなった。「3連敗れんぱいの4連勝れんしょう」は1958ねん1986ねん日本にっぽんシリーズ西武せいぶライオンズ(1958ねん当時とうじ西鉄にしてつ)がせいした事例じれいいで、2チーム・3かいのケースだった(4連敗れんぱいしたのは1958ねん巨人きょじん、1986ねん広島東洋ひろしまとうようカープである)。

巨人きょじん藤田ふじたもとつかさ近鉄きんてつ仰木おうぎあきらりょう監督かんとくは、いずれも選手せんしゅちからすことなどで「マジック(魔術まじゅつ)」とばれたこともあり(「仰木おうぎマジック」 [1]、「藤田ふじたマジック」[2])、当時とうじ報道ほうどうでは、日刊にっかんスポーツは「マジシャンはつ対決たいけつ」という特集とくしゅう記事きじ掲載けいさいした[3]

セ・リーグのチームによる制覇せいは1985ねん以来いらいとなり、ほんシリーズ終了しゅうりょうさいしての川島かわしまこうもりセ・リーグ会長かいちょうコメントでも、直前ちょくぜん3年間ねんかんはパ・リーグのチームがせいしていたことへの言及げんきゅうがあった[4]

ほんシリーズの入場にゅうじょうりょう収入しゅうにゅうは7おく5273まん5900えん消費しょうひ税込ぜいこみ)。選手せんしゅ監督かんとくらへの分配ぶんぱいきんは、巨人きょじんやく4777まんえん近鉄きんてつやく3184まんえん球団きゅうだんへの分配ぶんぱいきんは、りょう球団きゅうだんともやく1おく6685まんえんであった[4]

巨人きょじん近鉄きんてつ対戦たいせんはつ顔合かおあわせであり、巨人きょじんはこのとし近鉄きんてつ対戦たいせんしたことで当時とうじ存在そんざいしたパ・リーグの6球団きゅうだんすべてとシリーズで対戦たいせん勝利しょうりした。相手あいてリーグ現存げんそんぜん球団きゅうだんとの日本にっぽんシリーズでの対戦たいせん日本にっぽんプロ野球やきゅう史上しじょうはつ達成たっせい[5][6]

日本にっぽんシリーズにおける藤井寺ふじいでら球場きゅうじょう使用しようはこのとしのみである(近鉄きんてつ出場しゅつじょう日本にっぽんシリーズは、1979ねん1980ねんは、藤井寺ふじいでら球場きゅうじょう当時とうじナイター照明しょうめい設備せつび整備せいびで、大阪おおさか球場きゅうじょう使用しようされ、2001ねん時点じてんでは大阪おおさかドーム本拠地ほんきょちであった)。一方いっぽう前年ぜんねん開場かいじょうした東京とうきょうドームでの日本にっぽんシリーズ開催かいさいはこのとし最初さいしょとなった。同時どうじ平成へいせい元号げんごうとして最初さいしょ日本にっぽんシリーズ開催かいさいとなった。

チームのいきおい、相手あいてチームにかんする言動げんどうとシリーズのなが[編集へんしゅう]

藤田ふじたは、自著じちょで、近鉄きんてつについて「盤石ばんじゃく戦力せんりょくってきたチームではない」「ハングリー精神せいしんいきおいでってきたチームである」とひょうしている[7]

事前じぜん見方みかたでは巨人きょじん有利ゆうりとのこえおおかったが[8]近鉄きんてつは、だい1せんからだい3せんまで連勝れんしょうし、日本にっぽんシリーズはつ制覇せいはへあと1しょうとした。

ここで加藤かとう哲郎てつろう投手とうしゅだい3せん終了しゅうりょうのヒーローインタビューにおける「シーズンのほうがよっぽどしんどかったですからね。相手あいてつよいし…」という発言はつげんが「巨人きょじんは(このとしパ・リーグ最下位さいかいの)ロッテよりよわい」という表現ひょうげん報道ほうどうされたことに巨人きょじん選手せんしゅ発奮はっぷんした、という逸話いつわられている[9][10]。 なお、加藤かとう本人ほんにんは「ロッテより…」については否定ひていしている[11]

巨人きょじんは、だい4せん香田こうだ勲男いさお完封かんぷうがあり、つづだい5せんでも斎藤さいとう雅樹まさき先制せんせいてんこそうばわれながらも1てんおさえ、みずか同点どうてんのきっかけとなる安打あんだはなち、さらにシリーズ初戦しょせんから18打席だせきノーヒットとぜっ不調ふちょうだった打線だせん中軸ちゅうじく一人ひとりはらたつとくが、6かい吉井よしいじんからシリーズはつヒットとなる満塁まんるい本塁打ほんるいだはなつなどしたことからシリーズのながれがわり、結果けっかだい7せんまで4連勝れんしょうした。だい4せんからだい6せんまで10打数だすう7安打あんだ絶好調ぜっこうちょうだった駒田こまだいさおひろだい7せん加藤かとうから本塁打ほんるいだった直後ちょくご万歳ばんざいし、そのダイヤモンドまわりながら「バーカ!」とさけ姿すがたは、そのも「かたぐさ」とされている(加藤かとう哲郎てつろう参照さんしょう[12]

藤田ふじた監督かんとくは、「最初さいしょのうちは、野球やきゅうはそんなにあまくないんだとおてんとうさま試練しれんあたえてくれたのでしょう」とうべた[8]

日本にっぽんシリーズにおける加藤かとうのような挑発ちょうはつてき発言はつげんれいとしては、ほんシリーズ以前いぜんにも、1976ねんだい3せん王手おうてをかけた福本ふくもとゆたか阪急はんきゅうブレーブス)の「(パ・リーグ3の)ロッテや(どうリーグ4の)近鉄きんてつだってうちと3試合しあいやれば1かいつぜ」[13]などのれいがあるが、ほんシリーズでは、当時とうじからおおきく注目ちゅうもくされ、翌年よくねん日本にっぽんシリーズでも、巨人きょじん相手あいて勝利しょうり投手とうしゅとなった渡辺わたなべ智男ともお西武せいぶ)が意識いしきして刺激しげきてき発言はつげんけていたようにほうじられている[14]

巨人きょじん球団きゅうだんでは、当時とうじヘッドコーチの近藤こんどう昭仁あきひとが「ロッテよりよわいといわれ、おまえくやしくないのか、のハッパがいた」とかえっている[15]一方いっぽう仰木おうぎえてつ』では、「だい4せんさかいながれがわった」とやむ記述きじゅつ複数ふくすうられるが、「加藤かとう発言はつげん」の影響えいきょう否定ひていしていることが明記めいきされている[16]近鉄きんてつ球団きゅうだんでも、加藤かとうがロッテとの比較ひかくへの言及げんきゅうについては否定ひていしているとし、「いち選手せんしゅ発言はつげんがシリーズを左右さゆうすると判断はんだんしてはおかしい。(中略ちゅうりゃく)それで勝負しょうぶまるほど単純たんじゅんなものではないだろう」という見解けんかいしめしている[17]

近鉄きんてつグループにおける「シリーズ制覇せいは」を前提ぜんていとしたうごきの事例じれいとしては、当時とうじ近鉄百貨店きんてつひゃっかてん東京とうきょうてん勤務きんむしていた佐野さの正幸まさゆきによると、同店どうてんではだい2せん終了しゅうりょうごろから「優勝ゆうしょうセール」の準備じゅんびわれていたという。なお、佐野さのは、ほんシリーズ終了しゅうりょう用意よういしたセールひんをどうさばくかという問題もんだいちはだかったともかえっている[18]

勝利しょうりへの意識いしき[編集へんしゅう]

上記じょうき近鉄きんてつ3連勝れんしょうちゅう報道ほうどうでも、野球やきゅう評論ひょうろんなかから、近鉄きんてつゆるみなどを懸念けねんするこえされている(れい:ころもりゅう祥雄よしお - 1979ねん1980ねん日本にっぽんシリーズ近鉄きんてつ対戦たいせん上記じょうき1986ねん日本にっぽんシリーズで「3連勝れんしょうの4連敗れんぱい」も経験けいけん[19])。

仰木おうぎは、「(終盤しゅうばんにおける僅差きんさ優勝ゆうしょうあらそいをせいした -10.19参照さんしょう)ペナントレースの余勢よせい」「巨人きょじん日本にっぽんシリーズという意識いしき過剰かじょうわざわい(して3連敗れんぱい)」としるする一方いっぽうで、ペナントレースを「奇跡きせき逆転ぎゃくてん優勝ゆうしょう」しながら1963ねん日本にっぽんシリーズきょじんやぶれた西鉄にしてつほんシリーズ近鉄きんてつコーチの中西なかにしふとし監督かんとく)とだぶらせながら、なになにでもたねばというものがいてこなかったとかえっている[20]。シリーズ終了しゅうりょう読売新聞よみうりしんぶん巨人きょじんおな企業きぎょう系列けいれつ)の記事きじにも、勝負しょうぶへの意識いしきうすれていたことがしるされている[4]

りょうチーム監督かんとくをめぐる過去かこ日本にっぽんシリーズ[編集へんしゅう]

西鉄にしてつ「3連敗れんぱいの4連勝れんしょう」があった1958ねん日本にっぽんシリーズには、藤田ふじた仰木おうぎは、それぞれ巨人きょじん西鉄にしてつ選手せんしゅとして出場しゅつじょうした。仰木おうぎえてつ』でも、1958ねんのシリーズにかんして「因果いんがめぐる」などと意識いしきした記述きじゅつがみられる[21]

ただし、藤田ふじたは、これについて過去かこのことという姿勢しせいしめしている[22][23]

なお、1963ねん日本にっぽんシリーズでも同様どうように、りょう監督かんとくは、それぞれ巨人きょじん西鉄にしてつ選手せんしゅとして出場しゅつじょうした。

出場しゅつじょう資格しかくしゃ[編集へんしゅう]

出所しゅっしょ : 1989ねん10がつ20日はつか 日刊にっかんスポーツ4ぺーじ

試合しあい経過けいかとう[編集へんしゅう]

1989ねん 日本にっぽんシリーズ
日付ひづけ 試合しあい ビジター球団きゅうだん先攻せんこう スコア ホーム球団きゅうだんおさむ 開催かいさい球場きゅうじょう
10月21にち だい1せん 読売よみうりジャイアンツ 3 - 4 近鉄きんてつバファローズ 藤井寺ふじいでら球場きゅうじょう
10月22にち だい2せん 読売よみうりジャイアンツ 3 - 6 近鉄きんてつバファローズ
10月23にちつき 移動いどう
10月24にち だい3せん 近鉄きんてつバファローズ 3 - 0 読売よみうりジャイアンツ 東京とうきょうドーム
10月25にちみず だい4せん 近鉄きんてつバファローズ 0 - 5 読売よみうりジャイアンツ
10月26にち だい5せん 近鉄きんてつバファローズ 1 - 6 読売よみうりジャイアンツ
10月27にちかね 移動いどう
10月28にち だい6せん 読売よみうりジャイアンツ 3 - 1 近鉄きんてつバファローズ 藤井寺ふじいでら球場きゅうじょう
10月29にち だい7せん 読売よみうりジャイアンツ 8 - 5 近鉄きんてつバファローズ
優勝ゆうしょう読売よみうりジャイアンツ(8ねんぶり17かい

だい1せん[編集へんしゅう]

10月21にち 藤井寺ふじいでら

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
巨人きょじん 0 2 0 1 0 0 0 0 0 3 7 2
近鉄きんてつ 1 0 0 0 0 2 1 0 X 4 7 0
  1. きょ斎藤さいとう(6かい2/3)、宮本みやもと(1かい1/3)
  2. きん阿波あわ(9かい
  3. 勝利しょうり阿波あわ(1しょう)  
  4. 敗戦はいせん斎藤さいとう(1はい)  
  5. 本塁打ほんるいだ
    きょ岡崎おかざき1ごう2ラン(2かい阿波あわ
    きん大石おおいし1ごうソロ(1かい斎藤さいとう)、鈴木すずき1ごう2ラン(6かい斎藤さいとう
  6. 審判しんぱん
    球審きゅうしん五十嵐いがらし(パ)
    塁審るいしん福井ふくい(セ)、小林こばやしはじめ(パ)、井野いの(セ)
    そとしん寺本てらもと(パ)、小林こばやしあつし(セ)
  7. 開始かいし:1306ふん試合しあい時間じかん:2あいだ40ふん入場にゅうじょうしゃ 23477にん
    公式こうしき記録きろく関係かんけい - 日本にっぽん野球やきゅう機構きこう試合しあい結果けっかだい1せん”. 2013ねん5がつ11にち閲覧えつらん
巨人きょじん
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[みぎ]緒方おがた耕一こういち
2[ゆう]川相かわい昌弘まさひろ
3[]篠塚しのづか利夫としお
4[ひだり]はらたつとく
5[なか]W.クロマティ
6[ゆび]りょあかりたまもの
7[さん]岡崎おかざきいく
8[いち]駒田こまだいさおひろ
9[]中尾なかお孝義たかよし
近鉄きんてつ
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[]大石おおいしだいろう
2[なか]ひだり新井あらい宏昌ひろあき
3[ゆび]R.ブライアント
4[いち]G.リベラ
5[ひだり]あわこう憲治けんじ
打中うちなか村上むらかみ隆行たかゆき
6[みぎ]鈴木すずき貴久たかひさ
7[さん]金村かなむら義明よしあき
8[]山下やました和彦かずひこ
9[ゆう]喜志きしかんひさし
ゆう米崎よねざきかおるしん
ゆう安達あだち俊也としや

りょうチームの先発せんぱつ投手とうしゅ近鉄きんてつおもね波野なみの秀幸ひでゆき - 巨人きょじん斎藤さいとう雅樹まさき)は、1988ねん日本にっぽんシリーズ西武せいぶ渡辺わたなべ久信ひさのぶ - 中日ちゅうにち小野おの和幸かずゆき以来いらいの「リーグ最多さいたしょう同士どうし」となった[24]

近鉄きんてつ初回しょかい大石おおいしだいろう先頭せんとう打者だしゃ本塁打ほんるいだ先制せんせいした(だい1せん先頭せんとう打者だしゃ本塁打ほんるいだ日本にっぽんシリーズ史上しじょうはつ[10])。

巨人きょじんは、2かい岡崎おかざきいくの2ラン本塁打ほんるいだ逆転ぎゃくてんし、さらに4かいにもクロマティ、りょあかりたまもの連打れんだ追加ついかてんをとった。このように失点しってんした阿波あわについて、投手とうしゅコーチの権藤ごんどうひろしは、けっして調子ちょうしくなく、巨人きょじん打線だせんが「西武せいぶ、オリックスにくらべたら迫力はくりょく全然ぜんぜんちがう」状態じょうたいだから完投かんとうできた、という趣旨しゅしのコメントをした[25]

一方いっぽう斎藤さいとうかたさを指摘してきされる状態じょうたいであった[26][27]近鉄きんてつは、6かい鈴木すずき貴久たかひさの2ラン本塁打ほんるいだ同点どうてんとし、7かい新井あらい宏昌ひろあき適時てきじで、斎藤さいとう攻略こうりゃく阿波あわ完投かんとうして先勝せんしょうした[26]

公式こうしき記録きろく関係かんけい日本にっぽん野球やきゅう機構きこうページ)

だい2せん[編集へんしゅう]

10月22にち 藤井寺ふじいでら

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
巨人きょじん 0 0 0 0 0 2 0 0 1 3 9 1
近鉄きんてつ 0 0 0 0 0 2 4 0 X 6 10 2
  1. きょ桑田くわた(7かい)、鹿取かとり(0かい2/3)、吉田よしだ(0かい1/3)
  2. きん山崎やまざき(5かい2/3)、加藤かとうあきら(0かい1/3)、佐藤さとうしげる(2かい1/3)、吉井よしい(0かい2/3)
  3. 勝利しょうり佐藤さとうしげる(1しょう)  
  4. 敗戦はいせん桑田くわた(1はい)  
  5. 本塁打ほんるいだ
    きょ中尾なかお1ごうソロ(9かい佐藤さとうしげる
  6. 審判しんぱん
    球審きゅうしん小林こばやしあつし(セ)
    塁審るいしん寺本てらもと(パ)、福井ふくい(セ)、小林こばやしはじめ(パ)
    そとしん平光ひらみつ(セ)、牧野まきの(パ)
  7. 開始かいし:1305ふん試合しあい時間じかん:3あいだ40ふん入場にゅうじょうしゃ 24207にん
    公式こうしき記録きろく関係かんけい - 日本にっぽん野球やきゅう機構きこう試合しあい結果けっかだい2せん”. 2013ねん5がつ11にち閲覧えつらん
巨人きょじん
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[みぎ]緒方おがた耕一こういち
2[ゆう]川相かわい昌弘まさひろ
吉村よしむらただしあきら
3[]篠塚しのづか利夫としお
4[なか]W.クロマティ
5[ひだり]はらたつとく
6[さん]岡崎おかざきいく
7[いち]駒田こまだいさおひろ
8[]中尾なかお孝義たかよし
9[ゆび]まつ英明えいめい
ゆび井上いのうえ真二しんじ
ゆびぶくおう昭仁あきひと
近鉄きんてつ
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[]大石おおいしだいろう
2[なか]新井あらい宏昌ひろあき
3[ゆび]R.ブライアント
4[いち]G.リベラ
5[みぎ]鈴木すずき貴久たかひさ
6[ひだり]あわこう憲治けんじ
7[さん]金村かなむら義明よしあき
8[]山下やました和彦かずひこ
村上むらかみ隆行たかゆき
光山こうやま英和ひでかず
9[ゆう]喜志きしかんひさし

6かいひょう巨人きょじん近鉄きんてつ先発せんぱつ山崎やまざき慎太郎しんたろうから駒田こまだいさおひろ適時てきじで2てん先制せんせいしたが、近鉄きんてつもそのうら巨人きょじん先発せんぱつ桑田くわた真澄ますみからあわこう憲治けんじの2てん適時てきじ二塁打にるいだ同点どうてんとした。

7かいうら二死にし三塁さんるい走者そうしゃがいるにもかかわらず二塁にるいるいじょう走者そうしゃ真喜まきこころざしおおきくベースをはなれたという場面ばめんで、打者だしゃ走者そうしゃすための送球そうきゅうけてボールをっていた一塁いちるいしゅ駒田こまだがそれに反応はんのうせず(読売新聞よみうりしんぶんでも駒田こまだの「ボーンヘッド」とひょうされている[4])、桑田くわたがマウンドじょうあきらかに不満ふまんしめ動作どうさをした[28]。このかいさらに、近鉄きんてつは、ラルフ・ブライアントがこの試合しあい2度目どめ故意こい四球しきゅう敬遠けいえん)をけた直後ちょくごに、ハーマン・リベラ走者そうしゃ一掃いっそう適時てきじ二塁打にるいだで3てんし。つづ鈴木すずき二塁打にるいだで1てん追加ついかした。

9かい巨人きょじん中尾なかお孝義たかよし本塁打ほんるいだげるも、最後さいご吉井よしいじん後続こうぞくち、近鉄きんてつ連勝れんしょうした。7かいから9かい途中とちゅうまでこう救援きゅうえん佐藤さとうしげる勝利しょうり投手とうしゅとなった。

吉井よしい試合しあい、「たれるがしない」などのコメントをのこした[29]。さらに、スポーツニッポンによると、試合しあい終了しゅうりょう球場きゅうじょうのロッカーしつで、山崎やまざき「オリックスや西武せいぶほうこわい」、加藤かとう哲郎てつろうなかねらっておもげたら大丈夫だいじょうぶ」、吉井よしいける打線だせん」などと「いたい放題ほうだい」であったという[30]

公式こうしき記録きろく関係かんけい日本にっぽん野球やきゅう機構きこうページ)

りょうチームの選手せんしゅたいする報道ほうどう[編集へんしゅう]

在籍ざいせき期間きかんながきょじんからトレード移籍いせきしたあわこういちについて、よく23にち新聞しんぶんでは「恩返おんがえし」などの見出みだしでほうじられた[31]

リベラについて、だい1せん前日ぜんじつ20日はつか)におこなわれたりょうチームの監督かんとく会議かいぎで、藤田ふじた監督かんとくがリベラの暴力ぼうりょくてき行為こうい経験けいけんのあるボクシングのパンチで相手あいて投手とうしゅなぐりかかるなど)などを問題もんだいして注意ちゅういするよう近鉄きんてつがわもとめていた[32]。この試合しあいについての報道ほうどうでは、朝日新聞あさひしんぶんなどがあらためて、藤田ふじた監督かんとくのこうした要請ようせいしたうえで「クレームをつけられまい」などとてた[28][29]

一方いっぽう巨人きょじんは、安打あんだつづはらたつとく打撃だげき不振ふしん注目ちゅうもくされ、日刊にっかんスポーツでは、川上かわかみ哲治てつじのコラムではら起用きようについての疑問ぎもんしめされ、やく・みつるさく4コマ漫画まんがはらについて「波打なみうつスイング」とかれている[29]

だい3せん[編集へんしゅう]

10月24にち 東京とうきょうドーム

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
近鉄きんてつ 1 2 0 0 0 0 0 0 0 3 5 0
巨人きょじん 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0
  1. きん加藤かとうあきら(6かい1/3)、村田むらた(0かい1/3)、吉井よしい(2かい1/3)
  2. きょ宮本みやもと(3かい)、水野みずの(3かい)、槙原まきはら(1かい1/3)、吉田よしだ(0かい2/3)、斎藤さいとう(1かい
  3. 勝利しょうり加藤かとうあきら(1しょう)  
  4. セーブ吉井よしい(1S)  
  5. 敗戦はいせん宮本みやもと(1はい)  
  6. 本塁打ほんるいだ
    きん光山こうやま1ごう2ラン(2かい宮本みやもと
  7. 審判しんぱん
    球審きゅうしん牧野まきの(パ)
    塁審るいしん平光ひらみつ(セ)、寺本てらもと(パ)、福井ふくい(セ)
    そとしん五十嵐いがらし(パ)、井野いの(セ)
  8. 開始かいし:1307ふん試合しあい時間じかん:2あいだ50ふん入場にゅうじょうしゃ45711にん
    公式こうしき記録きろく関係かんけい - 日本にっぽん野球やきゅう機構きこう試合しあい結果けっかだい3せん”. 2013ねん5がつ11にち閲覧えつらん
近鉄きんてつ
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[]大石おおいしだいろう
2[なか]新井あらい宏昌ひろあき
3[ひだり]R.ブライアント
4[いち]G.リベラ
5[みぎ]鈴木すずき貴久たかひさ
6[さん]金村かなむら義明よしあき
7[ゆう]喜志きしかんひさし
8[]光山こうやま英和ひでかず
9[とう]加藤かとう哲郎てつろう
とう村田むらた辰美たつみ
とう吉井よしいじん
巨人きょじん
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[みぎ]緒方おがた耕一こういち
とう槙原まきはらひろしおのれ
とう吉田よしだ修司しゅうじ
まつ英明えいめい
とう斎藤さいとう雅樹まさき
2[ゆう]川相かわい昌弘まさひろ
3[]篠塚しのづか利夫としお
4[なか]W.クロマティ
5[さん]岡崎おかざきいく
6[いち]みぎ駒田こまだいさおひろ
7[ひだり]はらたつとく
8[]中尾なかお孝義たかよし
ぶくおう昭仁あきひと
山倉やまくら和博かずひろ
9[とう]宮本みやもと和知わち
吉村よしむらただしあきら
とう水野みずのつよしひとし
いち中畑なかはたきよし

近鉄きんてつ先発せんぱつ投手とうしゅ加藤かとう哲郎てつろうは、だい2せん救援きゅうえん登板とうばんしている一方いっぽうで、公式こうしきせんシーズンちゅうから右肩みぎかた状態じょうたいくなく、だい2せんとこの試合しあいあいだ移動いどう新幹線しんかんせん車内しゃない仰木おうぎ監督かんとくから先発せんぱつげられておどろいた、という[11]

近鉄きんてつ初回しょかいブライアントの適時てきじ二塁打にるいだ、2かいには光山こうやま英和ひでかずの2ラン本塁打ほんるいだ加点かてんした。まもっては、上記じょうきのような事情じじょうにもかかわらず7かい途中とちゅうまで失点しってんおさえた加藤かとうが、一死いっしからクロマティ、岡崎おかざき連打れんだされたところで、村田むらた辰美たつみ吉井よしい継投けいとうし、近鉄きんてつ継投けいとうによる完封かんぷうちではつ日本一にっぽんいち王手おうてをかけた。なお、日本にっぽんシリーズにおける継投けいとうによる完封かんぷうちは、1960ねんだい4せん大洋たいようホエールズ以来いらいのことで7度目どめとなった[33]

なお、巨人きょじん終盤しゅうばんリードされた場面ばめん故障こしょうから復帰ふっきしたばかりの槙原まきはらひろしおのれ登板とうばんさせているが、仰木おうぎは『えてつ』で、これをして「(藤田ふじた監督かんとくは)手掛てがかりをもとめてうごいた」「勝利しょうりへの執念しゅうねん」とかえっている[21]

公式こうしき記録きろく関係かんけい日本にっぽん野球やきゅう機構きこうページ)

近鉄きんてつがわ当時とうじのコメント[編集へんしゅう]

加藤かとうはヒーローインタビューで「こわさのないチーム」などのコメント。さらに加藤かとうは、巨人きょじん選手せんしゅのデータもとくずに登板とうばんしたなどと公言こうげんした[33]加藤かとうは「シーズンちゅうのほうが相手あいてつよく、きつかった」とっただけであり、つたえられるように「巨人きょじんはロッテよりよわい」とは一言ひとことっていないという。ベンチうらでのかこ取材しゅざいにおいて「ロッテのほうこわいですか?」とちかけられ「そうですね」と相槌あいづちったという[11]

加藤かとうらとバッテリーんだ光山こうやまは「巨人きょじん打線だせん本当ほんとうにたたみかけるような迫力はくりょくがないですね」ともはなしていた[34]ほかにも、やはりこの試合しあい登板とうばんしてセーブをあげた吉井よしいは、パ・リーグ公式こうしきせんほうがこれまでのほんシリーズよりあきらかに大変たいへんであったとし[35]中尾なかお代打だいだぶくおう昭仁あきひと起用きようされたことをして(7かい-結果けっか外野がいや飛球ひきゅう)、中尾なかおくらべて威圧いあつかんのないぶくおうほうげやすかったとして「(巨人きょじん選手せんしゅ起用きように)感謝かんしゃ[36]、などとコメントしている。

こうした近鉄きんてつたたかいについて、日刊にっかんスポーツ掲載けいさいのやく・みつる4コマ漫画まんがでは、加藤かとうが「チョロイもんだぜ」とうなどノビノビしている近鉄きんてつと、巨人きょじんのセ・リーグ優勝ゆうしょうによりあたままるめた久米くめひろし頭髪とうはつびもはやいというふうに描写びょうしゃされている[33]

1958ねん日本にっぽんシリーズなどで仰木おうぎ中西なかにしらとともに巨人きょじんたたかった豊田とよだ泰光やすみつは、この試合しあいほうじるスポーツニッポンのコラムで、"巨人きょじんんでる"近鉄きんてつ投手とうしゅじん近鉄きんてつこわいのは慢心まんしんだけだ、といた[37]。「加藤かとう発言はつげん」の背景はいけいとして、近鉄きんてつチーム内部ないぶにあった「くみやすし」の雰囲気ふんいきが、のち指摘してきされている[11][38]

だい4せん[編集へんしゅう]

10月25にち 東京とうきょうドーム

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
近鉄きんてつ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0
巨人きょじん 1 0 0 0 0 3 1 0 X 5 8 0
  1. きん小野おの(5かい1/3)、池上いけがみ(0かい2/3)、木下きのした(0かい2/3)、山田やまだ(1かい1/3)
  2. きょ香田こうだ(9かい
  3. 勝利しょうり香田こうだ(1しょう)  
  4. 敗戦はいせん小野おの(1はい)  
  5. 審判しんぱん
    球審きゅうしん井野いの(セ)
    塁審るいしん五十嵐いがらし(パ)、平光ひらみつ(セ)、寺本てらもと(パ)
    そとしん小林こばやしあつし(セ)、小林こばやしはじめ(パ)
  6. 開始かいし:1304ふん試合しあい時間じかん:3あいだ5ふん入場にゅうじょうしゃ 45825にん
    公式こうしき記録きろく関係かんけい - 日本にっぽん野球やきゅう機構きこう試合しあい結果けっかだい4せん”. 2013ねん5がつ11にち閲覧えつらん
近鉄きんてつ
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[]大石おおいしだいろう
2[なか]新井あらい宏昌ひろあき
3[ひだり]R.ブライアント
4[いち]G.リベラ
5[みぎ]鈴木すずき貴久たかひさ
6[さん]金村かなむら義明よしあき
羽田はた耕一こういち
7[ゆう]喜志きしかんひさし
8[]光山こうやま英和ひでかず
中谷なかたにただしおのれ
とう木下きのした文信ふみのぶ
とう山田やまだ真実まなみ
中根なかねひとし
9[とう]小野おの和義かずよし
とう池上いけがみ誠一せいいち
村上むらかみ隆行たかゆき
山下やました和彦かずひこ
巨人きょじん
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[みぎ]みのでん浩二こうじ
みぎ緒方おがた耕一こういち
2[ゆう]川相かわい昌弘まさひろ
3[さん]岡崎おかざきいく
4[なか]W.クロマティ
5[いち]駒田こまだいさおひろ
6[]篠塚しのづか利夫としお
7[ひだり]はらたつとく
8[]中尾なかお孝義たかよし
9[とう]香田こうだ勲男いさお

この近鉄きんてつ宿舎しゅくしゃでは、「シリーズ制覇せいは祝勝しゅくしょうかい準備じゅんびおこなわれていた[39]

3連勝れんしょう近鉄きんてつ先発せんぱつ投手とうしゅは、一気いっき勝負しょうぶめるべく阿波あわともかんがえられたが、実際じっさい小野おの和義かずよしで、後々あとあと物議ぶつぎをかもしている(#先発せんぱつ投手とうしゅ起用きようについて参照さんしょう)。小野おのは、ひじ故障こしょうによりリーグ優勝ゆうしょう決定けってい(10がつ14にち)は出場しゅつじょう選手せんしゅ登録とうろくはずれ、ほんシリーズになってから復帰ふっきしていた[33]

一方いっぽう巨人きょじん予定よていどお香田こうだ勲男いさおで、前日ぜんじつだい3せん終了しゅうりょう報道陣ほうどうじんまえでは顔色かおいろさおであったという[33]小野おの同様どうよう日本にっぽんシリーズはつ登板とうばんとなった。

初回しょかい巨人きょじん不調ふちょう緒方おがた耕一こういちえて「1ばん右翼うよくしゅ」に起用きようしたみのでん浩二こうじ二塁打にるいだあしがかりに一死いっし三塁さんるいとして、岡崎おかざき犠牲ぎせい飛球ひきゅう先制せんせい。6かいには3安打あんだ2四球しきゅうあつめ3てんうばって点差てんさひろげた。

香田こうだは、時折ときおりスローカーブまじえながらの緩急かんきゅうをつけた投球とうきゅうで、近鉄きんてつ打線だせん散発さんぱつ3安打あんだ三塁さんるいませず完封かんぷう巨人きょじん中村なかむらみのるコーチや捕手ほしゅ中尾なかおは、だい3せんでの水野みずのつよしひとし投球とうきゅう香田こうだやそれ以降いこう登板とうばんした投手とうしゅ参考さんこうになったと、シリーズ終了しゅうりょうさいしてかえっている[4]。なお、日本にっぽんシリーズはつ登板とうばんでの完封かんぷう勝利しょうり1985ねんだい1せん池田いけだちかしきょう阪神はんしんタイガース以来いらいとなった[40]

巨人きょじんが1しょうをあげたが、スポーツニッポンでの豊田とよだコラムで「仰木おうぎ監督かんとく上手じょうずけた」とひょうされるなど[41]近鉄きんてつがわとくにショックをせなかった[42]

公式こうしき記録きろく関係かんけい日本にっぽん野球やきゅう機構きこうページ)

先発せんぱつ投手とうしゅ起用きようについて[編集へんしゅう]

近鉄きんてつ先発せんぱつ投手とうしゅ起用きようをめぐる経緯けいいについて、仰木おうぎ権藤ごんどうはなしまったことなっている。資料しりょうによって若干じゃっかん相違そういもあるが、概要がいようつぎのとおりとなる。

仰木おうぎ[43]- シリーズまえから1、4、7せん先発せんぱつ阿波あわめていた。しかし、だい3せん試合しあいまえ、そのむね権藤ごんどうコーチをつうじて阿波あわつたえたところ、阿波あわ先発せんぱつ辞退じたいするとってきた、とどうコーチからかされた。

権藤ごんどう[44][11]- シリーズまえ仰木おうぎ監督かんとくに、1、4、7せん阿波あわこうと進言しんげんしていた。ところがどう監督かんとくは、だい3せん終了しゅうりょうよる女性じょせいのいる酒場さかばおもわれる場所ばしょから宿舎しゅくしゃにいる権藤ごんどう電話でんわして「先発せんぱつ明日あしためる」といだし、権藤ごんどう小野おの起用きよういたのはだい4せん試合しあい会場かいじょういてからであった。

権藤ごんどうは、ほんシリーズにおけるこうした出来事できごとから、近鉄きんてつ退団たいだん決意けついかためたという。権藤ごんどうは、のちにコーチをつとめていた中日ちゅうにちドラゴンズで、2012ねんのセントラル・リーグクライマックスシリーズにおける試合しあい終盤しゅうばん継投けいとうをめぐってどう球団きゅうだん監督かんとくであった高木たかぎ守道もちとの対立たいりつ表面ひょうめんし、同年どうねんのシーズン終了しゅうりょう退団たいだんにつながった。このことと、上記じょうき仰木おうぎとの対立たいりつ近鉄きんてつ退団たいだんとがかさわせてられることとなった[45][46]

近鉄きんてつがわ球団きゅうだんで、仰木おうぎはなしとほぼおな認識にんしきしめしている[17]

なお、だい3せん結果けっかほうずる25にちづけ日刊にっかんスポーツでもだい4せん先発せんぱつ香田こうだ-小野おの」と掲載けいさいされているなどの事実じじつもある[33]。この当時とうじだい1せん先発せんぱつ投手とうしゅは、1988ねん日本にっぽんシリーズのように、つぎ先発せんぱつ登板とうばんだい5せんとなっている事例じれいおおい。

ただ、仰木おうぎ著書ちょしょでは、結果けっかてきにはだれ先発せんぱつ登板とうばんさせても香田こうだ投球とうきゅうまえではだい4せんてなかっただろうとしながらも、勝負しょうぶへの執着心しゅうちゃくしんとしてやむむねかれている[16]一方いっぽう藤田ふじた著書ちょしょでは、「たった一瞬いっしゅんゆるみが致命傷ちめいしょうとなる、まさに野球やきゅうのもつ"魔性ましょう"」とかえられている[7]

一連いちれんのできごとの背景はいけいとして、阿波あわ近鉄きんてつ投手とうしゅじんかたひじなど身体しんたいめんへの不安ふあんかんかびがるが[11]仰木おうぎ著書ちょしょでは、「斎藤さいとう桑田くわたのありあまるスタミナがうらやましかった」という記述きじゅつがある[16]

だい5せん[編集へんしゅう]

10月26にち 東京とうきょうドーム

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
近鉄きんてつ 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 4 0
巨人きょじん 0 0 0 0 2 0 4 0 X 6 8 1
  1. きん阿波あわ(6かい)、吉井よしい(0かい2/3)、村田むらた(0かい1/3)、石本いしもと(0かい1/3)、高柳たかやなぎ(0かい2/3)
  2. きょ斎藤さいとう(9かい
  3. 勝利しょうり斎藤さいとう(1しょう1はい)  
  4. 敗戦はいせん阿波あわ(1しょう1はい)  
  5. 本塁打ほんるいだ
    きん:ブライアント1ごうソロ(5かい斎藤さいとう
    きょげん1ごう満塁まんるい(7かい吉井よしい
  6. 審判しんぱん
    球審きゅうしん小林こばやしはじめ(パ)
    塁審るいしん小林こばやしあつし(セ)、五十嵐いがらし(パ)、平光ひらみつ(セ)
    そとしん牧野まきの(パ)、福井ふくい(セ)
  7. 開始かいし:1304ふん試合しあい時間じかん:3あいだ1ふん入場にゅうじょうしゃ 45717にん
    公式こうしき記録きろく関係かんけい - 日本にっぽん野球やきゅう機構きこう試合しあい結果けっかだい5せん”. 2013ねん5がつ11にち閲覧えつらん
近鉄きんてつ
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[]大石おおいしだいろう
2[なか]いち新井あらい宏昌ひろあき
さん安達あだち俊也としや
3[みぎ]ひだりR.ブライアント
4[いち]さんG.リベラ
5[ひだり]ちゅうあわこう憲治けんじ
6[さん]金村かなむら義明よしあき
みぎ鈴木すずき貴久たかひさ
7[ゆう]喜志きしかんひさし
こうせき昌彦まさひこ
8[]山下やました和彦かずひこ
村上むらかみ隆行たかゆき
9[とう]おもね波野なみの秀幸ひでゆき
中谷なかたにただしおのれ
とう吉井よしいじん
とう村田むらた辰美たつみ
とう石本いしもと貴昭たかあき
とう高柳たかやなぎいずるおのれ
羽田はた耕一こういち
巨人きょじん
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[みぎ]みのでん浩二こうじ
みぎ緒方おがた耕一こういち
2[ゆう]川相かわい昌弘まさひろ
りょあかりたまもの
ゆう勝呂かつろひろしけん
3[さん]岡崎おかざきいく
4[なか]W.クロマティ
5[ひだり]はらたつとく
6[いち]駒田こまだいさおひろ
7[]篠塚しのづか利夫としお
8[]中尾なかお孝義たかよし
9[とう]斎藤さいとう雅樹まさき

りょうチーム先発せんぱつ投手とうしゅ巨人きょじん : 斎藤さいとう近鉄きんてつ : 阿波あわ)は、ともにだい1せんおなじとなった。

5かいひょう近鉄きんてつがブライアントの本塁打ほんるいだで1てん先取せんしゅたいして、巨人きょじんはそのうら岡崎おかざきの2てん適時てきじ二塁打にるいだ逆転ぎゃくてんした。

7かいひょう一死いっし走者そうしゃ阿波あわ打順だじゅんまわったところで、1てんリードされている状況じょうきょうのため、仰木おうぎ監督かんとく阿波あわ代打だいだおくった[27]。このとき、シリーズぜん試合しあい取材しゅざいしていたという二宮にのみや清純せいじゅんや、いちファンとしてスタンドで観戦かんせんしていたという佐野さのは、仰木おうぎ監督かんとくまよっていたことを、それぞれの著書ちょしょとういている。結局けっきょく、それにともなう7かいうら吉井よしい登板とうばん裏目うらめとなり、二宮にのみや[11]佐野さの[47]もこの局面きょくめん重要じゅうようしている。

巨人きょじん藤田ふじた監督かんとくは、7かい先頭せんとう打者だしゃである投手とうしゅ斎藤さいとうをそのまま打席だせきおくり、その斎藤さいとう安打あんだ出塁しゅつるいした。つづく1ばんみのでん代打だいだ緒方おがたによるおくバントのち四球しきゅう二塁にるいゴロで二死にしいち三塁さんるいとなり、打順だじゅんは4ばんクロマティ、5ばんはらつづ場面ばめんだったが、はらはシリーズにはいって18打席だせき安打あんだ不振ふしんだったこともあり、近鉄きんてつはクロマティを敬遠けいえんした。なお、斎藤さいとうはこの試合しあいほかにも1安打あんだはなち、そちらも得点とくてんむすびついている[27]

クロマティの敬遠けいえん打席だせきはいったはらは、あつくなってくると同時どうじに「ここでてなかったら」ということをはじめてかんがえたと、この場面ばめんかえっている[48]結果けっかは、はらにとってはほんシリーズはつ安打あんだでもある満塁まんるい本塁打ほんるいだで4てんきょじんはいり、点差てんさは5てんひらいた(後記こうき#はら満塁まんるい本塁打ほんるいだ参照さんしょう)。

斎藤さいとうは、だい4せん香田こうだ投球とうきゅう注目ちゅうもくされた「ゆる変化球へんかきゅう」についてシンカーおおげ、上記じょうきの1てんおさえて完投かんとうした。読売新聞よみうりしんぶんによると、斎藤さいとうは、だい1せん敗戦はいせん投手とうしゅとなったこともあり、どう年齢ねんれい沢村さわむら栄治えいじしょう選考せんこうでもあらそった阿波あわとのいにつよ対抗心たいこうしんをもってのぞんだという[27]

巨人きょじんが2しょう3はいとなり、日本経済新聞にほんけいざいしんぶんは「さんざん悪態あくたいをつかれた近鉄きんてつ投手とうしゅじんに、今度こんど返礼へんれいするばんだ」などとてた[49]

公式こうしき記録きろく関係かんけい日本にっぽん野球やきゅう機構きこうページ)

投手とうしゅ打撃だげき[編集へんしゅう]

指名しめい打者だしゃせいのないセ・リーグチームがわ主催しゅさい試合しあいにおける投手とうしゅ打撃だげき投手とうしゅへの代打だいだをめぐる結果けっかについて、当時とうじ報道ほうどうでも注目ちゅうもくされ、「きゅうにん野球やきゅうみょう[27]朝日新聞あさひしんぶんは「勝負しょうぶは9ばん打者だしゃまった」[50]、などとてた。ほんシリーズにおける投手とうしゅとしての安打あんだは、この試合しあい斎藤さいとうの2ほんのみである[51]

阿波あわせない打席だせき姿勢しせい斎藤さいとう打撃だげきを、ほぼおな角度かくどからの写真しゃしん対比たいひさせてろんじている雑誌ざっしもある。阿波あわにとっては、4かいまわってきた2打席だせき先制せんせい好機こうきであったが、内野ないやゴロにたおれている[52]

指名しめい打者だしゃせい採用さいようかんする日本にっぽんシリーズにおけるルールについては、日本にっぽん選手権せんしゅけんシリーズ参照さんしょう

はら満塁まんるい本塁打ほんるいだ[編集へんしゅう]

近鉄きんてつバッテリーは、まえ打席だせき(5かいうら)でも二死にし二塁にるいからひだり打者だしゃクロマティを敬遠けいえんしてみぎ打者だしゃはら勝負しょうぶし、内野ないやゴロにっている。なお、このとき投手とうしゅは、ひだり打者だしゃにとって一般いっぱんてき苦手にがてとされるひだり投手とうしゅ阿波あわであった[53]

近鉄きんてつ投手とうしゅみぎ吉井よしいとなった7かいうらもクロマティ敬遠けいえんはら登場とうじょうとなり、この近鉄きんてつ作戦さくせんについて、読売新聞よみうりしんぶんも、けっして不自然ふしぜんさくではないとひょうしている[27]藤田ふじたは、観客かんきゃく不満ふまんいかりがベンチのおくにいる自分じぶんにもつたわってきたと、巨人きょじん監督かんとく退任たいにん直後ちょくご自著じちょいている[54]近鉄きんてつベンチも吉井よしいはらをなめきっていたとの報道ほうどうもある[55]

「とにかくおもってスイングするしかない」とのぞんだはら自身じしんも、0ボール2ストライクとまれたときに、「またかあ」というスタンドの雰囲気ふんいきかんじたという[48]一方いっぽうで、初球しょきゅうおおきく空振からぶりしたことで緊張きんちょうけたともはなしている[27]

こののち、2ボール2ストライクからの6きゅうを、った瞬間しゅんかんにそれとわかる本塁打ほんるいだったはらは、三塁さんるいまわるときに三塁さんるいコーチスボックスにいる近藤こんどうヘッドコーチとっていた[48]捕手ほしゅ山下やましたは、内角ないかくねらったたまなかはいったとった[27]

はらは、試合しあい、なかなかよろこびを表現ひょうげんする言葉ことばつからない状態じょうたいであったという[27]

選手せんしゅ辛抱強しんぼうづよ使つかう」とみずか藤田ふじたは、はらが「我慢がまんこたえてくれた」と自著じちょいている[54]

本塁打ほんるいだたれた吉井よしいは、試合しあい直後ちょくごくやしさやショックをひょうさず[27]報道陣ほうどうじんに「独演どくえんかい」のようにはなし、日刊にっかんスポーツは「まるでひとごと」とほうじている[55]かく新聞しんぶん報道ほうどう見比みくらべると、試合しあい直後ちょくご吉井よしい談話だんわのいいまわしはかならずしも一定いっていしていないが、みずから「げた瞬間しゅんかん…」[50]「いくら不調ふちょうげんさんでもあのたまでは…」[53]「(敬遠けいえん-満塁まんるいさくは)つぎ打者だしゃ集中しゅうちゅうできないからきらい」[53][50]という趣旨しゅし発言はつげん散見さんけんされる。

近鉄きんてつ権藤ごんどうコーチは、吉井よしいからおさえようという意識いしきうすれていたこと[55]、2打席だせきつづけてぜん打者だしゃ敬遠けいえんして勝負しょうぶしたはらについて、あれだけ警戒けいかいしているなかつのはたいしたものだ、という趣旨しゅしのコメントをした[27]

2010ねん日本にっぽん野球やきゅう機構きこうおこなった現役げんえき選手せんしゅ監督かんとく・コーチによる調査ちょうさにおいて高橋たかはしゆかりしん最高さいこう試合しあいとしてげており、この満塁まんるい本塁打ほんるいだ球場きゅうじょう観戦かんせんしている。

だい6せん[編集へんしゅう]

10月28にち 藤井寺ふじいでら

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
巨人きょじん 0 0 0 0 2 0 0 1 0 3 9 2
近鉄きんてつ 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 10 0
  1. きょ桑田くわた(6かい1/3)、宮本みやもと(0かい2/3)、水野みずの(2かい
  2. きん山崎やまざき(4かい2/3)、佐藤さとうしげる(3かい1/3)、吉井よしい(1かい
  3. 勝利しょうり桑田くわた(1しょう1はい)  
  4. セーブ水野みずの(1S)  
  5. 敗戦はいせん山崎やまざき(1はい)  
  6. 本塁打ほんるいだ
    きょ岡崎おかざき2ごうソロ(8かい佐藤さとうしげる
    きん:リベラ1ごうソロ(4かい桑田くわた
  7. 審判しんぱん
    球審きゅうしん福井ふくい(セ)
    塁審るいしん牧野まきの(パ)、小林こばやしあつし(セ)、五十嵐いがらし(パ)
    そとしん井野いの(セ)、寺本てらもと(パ)
  8. 開始かいし:1305ふん試合しあい時間じかん:3あいだ31ふん入場にゅうじょうしゃ 23030にん
    公式こうしき記録きろく関係かんけい - 日本にっぽん野球やきゅう機構きこう試合しあい結果けっかだい6せん”. 2013ねん5がつ11にち閲覧えつらん
巨人きょじん
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[みぎ]みのでん浩二こうじ
みぎ井上いのうえ真二しんじ
2[]篠塚しのづか利夫としお
3[さん]岡崎おかざきいく
4[なか]W.クロマティ
5[いち]駒田こまだいさおひろ
6[ひだり]はらたつとく
7[ゆび]吉村よしむらただしあきら
はしゆび緒方おがた耕一こういち
ゆび中畑なかはたきよし
8[]中尾なかお孝義たかよし
9[ゆう]川相かわい昌弘まさひろ
近鉄きんてつ
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[]大石おおいしだいろう
栗橋くりはししげる
2[なか]いち新井あらい宏昌ひろあき
3[ゆび]R.ブライアント
4[いち]さんG.リベラ
5[ひだり]あわこう憲治けんじ
打中うちなか村上むらかみ隆行たかゆき
6[みぎ]鈴木すずき貴久たかひさ
7[さん]金村かなむら義明よしあき
こうせき昌彦まさひこ
はしひだり中根なかねひとし
8[]山下やました和彦かずひこ
中谷なかたにただしおのれ
光山こうやま英和ひでかず
9[ゆう]喜志きしかんひさし

ふたた藤井寺ふじいでら球場きゅうじょう舞台ぶたいうつしてのだい6せんは、近鉄きんてつ山崎やまざき巨人きょじん桑田くわたというだい2せんおな先発せんぱつ投手とうしゅ同士どうしとなった。

近鉄きんてつは、4かいうらにリベラの本塁打ほんるいだ先制せんせいした。一方いっぽう巨人きょじんは5かいひょう篠塚しのづか利夫としおの2てん適時てきじ逆転ぎゃくてんした。

7かいうら近鉄きんてつは、一死いっし二塁にるい桑田そうでんめ、救援きゅうえん登板とうばん宮本みやもとたいしても、一死いっしいち三塁さんるいつづけたが、ブライアントの一塁いちるいライナー一塁いちるい走者そうしゃ新井あらいるいできずに併殺へいさつとなった。巨人きょじんは、8かいひょう岡崎おかざき本塁打ほんるいだはなし、そのうら相手あいて攻撃こうげき開始かいし場面ばめんから水野みずの登板とうばんさせた。それにたいする近鉄きんてつは、先頭せんとう打者だしゃのリベラが、一塁いちるいたもののつづ代打だいだ村上むらかみ隆行たかゆき右前みぎまえ安打あんだ三塁さんるいねらったところ右翼うよくしゅ井上いのうえ真二しんじからの送球そうきゅうによりアウトとなった。こうした近鉄きんてつ攻撃こうげきについて、読売新聞よみうりしんぶんは「あらめ」「あせり」とひょう[56]朝日新聞あさひしんぶんでは「ツキ」という言葉ことばもちいられた[57]

こののち巨人きょじんは、水野みずのが9かいまで失点しってんおさえて、りょうチームとも3しょう3はいだい7せん決着けっちゃくすることとなった。

なお、大石おおいしは、3かい、5かい、7かい打席だせきでいずれも犠打ぎだめ、いち試合しあい3犠打ぎだのシリーズタイ記録たいきろく(3にん)となった[56]

公式こうしき記録きろく関係かんけい日本にっぽん野球やきゅう機構きこうページ)

だい7せん[編集へんしゅう]

10月29にち 藤井寺ふじいでら

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
巨人きょじん 0 1 0 3 0 3 1 0 0 8 10 0
近鉄きんてつ 0 0 0 1 1 1 0 0 2 5 7 3
  1. きょ香田こうだ(5かい)、宮本みやもと(4かい
  2. きん加藤かとうあきら(3かい1/3)、小野おの(0かい1/3)、高柳たかやなぎ(0かい1/3)、村田むらた(1かい)、吉井よしい(4かい
  3. 勝利しょうり香田こうだ(2しょう)  
  4. セーブ宮本みやもと(1はい1S)  
  5. 敗戦はいせん加藤かとうあきら(1しょう1はい)  
  6. 本塁打ほんるいだ
    きょ駒田こまだ1ごうソロ(2かい加藤かとうあきら)、げん2ごう2ラン(6かい村田むらた)、中畑なかはた1ごうソロ(6かい吉井よしい)、クロマティ1ごうソロ(7かい吉井よしい
    きん真喜まきこころざし1ごうソロ(4かい香田こうだ)、村上むらかみ1ごうソロ(5かい香田こうだ)、大石おおいし2ごうソロ(6かい香田こうだ
  7. 審判しんぱん
    球審きゅうしん寺本てらもと(パ)
    塁審るいしん井野いの(セ)、牧野まきの(パ)、小林こばやしあつし(セ)
    そとしん小林こばやしはじめ(パ)、平光ひらみつ(セ)
  8. 開始かいし:1304ふん試合しあい時間じかん:3あいだ11ふん入場にゅうじょうしゃ 23091にん
    公式こうしき記録きろく関係かんけい - 日本にっぽん野球やきゅう機構きこう試合しあい結果けっかだい7せん”. 2013ねん5がつ11にち閲覧えつらん
巨人きょじん
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[みぎ]みのでん浩二こうじ
ぶくおう昭仁あきひと
みぎ井上いのうえ真二しんじ
2[]篠塚しのづか利夫としお
3[さん]岡崎おかざきいく
4[なか]W.クロマティ
5[いち]駒田こまだいさおひろ
6[ひだり]はらたつとく
7[ゆび]吉村よしむらただしあきら
ゆび中畑なかはたきよし
8[]中尾なかお孝義たかよし
9[ゆう]川相かわい昌弘まさひろ
近鉄きんてつ
打順だじゅん守備しゅび選手せんしゅ
1[ゆう]喜志きしかんひさし
2[ひだり]新井あらい宏昌ひろあき
中根なかねひとし
3[ゆび]R.ブライアント
4[いち]さんG.リベラ
はし吉田よしだつよし
5[みぎ]鈴木すずき貴久たかひさ
6[なか]村上むらかみ隆行たかゆき
7[さん]金村かなむら義明よしあき
いちこうせき昌彦まさひこ
いち羽田はた耕一こういち
8[]光山こうやま英和ひでかず
山下やました和彦かずひこ
9[]大石おおいしだいろう

だい7せん藤井寺ふじいでら球場きゅうじょう雰囲気ふんいきについて、駒田こまだは「ここまできたら巨人きょじんたないといけないというメディアとファンの(異様いような)雰囲気ふんいきかんじ」[12]加藤かとうは「藤井寺ふじいでらはホームやったのに、レフトスタンドの一角いっかくにいるジャイアンツファンに完全かんぜんまれて」[58]、とそれぞれかえっている。

近鉄きんてつだい3せん好投こうとうした加藤かとう起用きようしたが、巨人きょじんは、2かい駒田こまだのソロ本塁打ほんるいだ先制せんせいったのちりょううでげてがった駒田こまだ[12]この1てん勝利しょうり確信かくしんしたとかえっている[11]巨人きょじんはさらに、4かいには中尾なかお川相かわい昌弘まさひろ連続れんぞく適時てきじなどで3てん追加ついか、6かいにははらの2ラン本塁打ほんるいだ中畑なかはたきよしの「引退いんたい花道かどう代打だいだ本塁打ほんるいだ1981ねん日本にっぽんシリーズ松原まつばらまこと巨人きょじん以来いらいで18にん[4]でさらに3てん、7かいにもクロマティの本塁打ほんるいだ加点かてんし、一時いちじは5てんをつけた。

近鉄きんてつは4かい喜志きし、5かい村上むらかみ、6かい大石おおいし本塁打ほんるいだけい3てん、9かい二死にしからリベラと鈴木すずき連続れんぞく適時てきじで2てんかえしたが、つづ村上むらかみたおれて試合しあい終了しゅうりょうとなり、巨人きょじんのシリーズ勝利しょうりまった。

なお、大石おおいし本塁打ほんるいだは、だい1せん先頭せんとう打者だしゃ本塁打ほんるいだ以降いこう連続れんぞく打席だせき安打あんだを26打席だせきめた安打あんだともなる(これまでの日本にっぽんシリーズ記録きろく1979ねん平野ひらのひかりやすし近鉄きんてつ)の21[4])。

試合しあい終了しゅうりょう表彰ひょうしょうしきおこなわれ、りょう監督かんとく健闘けんとうをたたえあって握手あくしゅをかわした[4]当時とうじ週刊しゅうかんベースボールによると、巨人きょじん近藤こんどう近鉄きんてつ中西なかにしりょうチームヘッドコーチ(この二人ふたり高校こうこう先輩せんぱい後輩こうはいである)も健闘けんとうをたたえあい、こうした光景こうけい日本にっぽんシリーズではれいがなかったという[59]

公式こうしき記録きろく関係かんけい日本にっぽん野球やきゅう機構きこうページ)

表彰ひょうしょう選手せんしゅ[編集へんしゅう]

  • 最高さいこう殊勲しゅくん選手せんしゅしょう駒田こまだいさおひろ巨人きょじん) - 打率だりつ.522(23打数だすう12安打あんだ)、5打点だてん日本一にっぽんいちめただい7せん加藤かとうあきらから本塁打ほんるいだ巨人きょじん野手やしゅによるMVP受賞じゅしょう1971ねん末次すえつぐ民夫たみお以来いらい18ねんぶり9にん(12度目どめ)、巨人きょじんひだり打者だしゃによる受賞じゅしょう1967ねんもり昌彦まさひこ以来いらい22ねんぶり3にん
  • 敢闘かんとうしょう新井あらい宏昌ひろあき近鉄きんてつ) - 打率だりつ.333(27打数だすう9安打あんだ)。だい1せん斎藤さいとうから適時てきじ
  • 優秀ゆうしゅう選手せんしゅしょう香田こうだ勲男いさお巨人きょじん) - 2試合しあい先発せんぱつし、2しょう0はい防御ぼうぎょりつ1.93(投球とうきゅう回数かいすう14かい自責じせきてんは3)。だい4せん逆転ぎゃくてん日本一にっぽんいちのきっかけとなる完封かんぷう勝利しょうり
  • 優秀ゆうしゅう選手せんしゅしょう岡崎おかざきいく巨人きょじん) - 打率だりつ.250(24打数だすう6安打あんだ)ながら、だい1せんだい6せん本塁打ほんるいだだい5せん阿波あわから逆転ぎゃくてん2てんタイムリー二塁打にるいだはなち、トータルでこんシリーズ最多さいたの6打点だてん[60]げた。
  • 優秀ゆうしゅう選手せんしゅしょうおもね波野なみの秀幸ひでゆき近鉄きんてつ) - 2試合しあい先発せんぱつし、1しょう1はい防御ぼうぎょりつ3.00(投球とうきゅう回数かいすう15、自責じせきてん5)。だい1せん完投かんとう勝利しょうり

テレビ・ラジオ中継ちゅうけい[編集へんしゅう]

テレビ中継ちゅうけい[編集へんしゅう]

ラジオ中継ちゅうけい[編集へんしゅう]

[63]

(NHKラジオだい1は国会こっかい中継ちゅうけいため中継ちゅうけいなし)

  • だい7せん:10月29にち
    • NHKラジオだい1 解説かいせつ広岡ひろおか達朗たつろう ゲスト解説かいせつ星野ほしの伸之のぶゆき
    • TBSラジオ(JRN・朝日放送あさひほうそう(ABC)製作せいさく実況じっきょうかずすな哲郎てつろう(ABC) 解説かいせつ岡本おかもと三美みよし皆川みなかわ睦雄むつお ゲスト解説かいせつ高沢たかさわ秀昭ひであき(ロッテ)
    • 文化ぶんか放送ほうそう(NRN・毎日放送まいにちほうそう(MBS)製作せいさく実況じっきょう城野しろのあきら(MBS) 解説かいせつ一枝いちえだ修平しゅうへい中村なかむら勝広かつひろ ゲスト解説かいせつ酒井さかいつとむ
    • ニッポン放送にっぽんほうそう 実況じっきょう小林こばやし達彦たつひこ 解説かいせつ土橋どばし正幸まさゆき大矢おおや明彦あきひこ
    • ラジオ大阪おおさか(OBC) 実況じっきょう中井なかい雅之まさゆき
    • ラジオ日本にっぽん 解説かいせつ有本ありもと義明よしあき

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ スポーツニッポン【6がつ28にち】1994ねん(たいら6) マジック終了しゅうりょう仰木おうぎあきら監督かんとくが“えた””. 2013ねん4がつ22にち閲覧えつらん
  2. ^ 日本テレビ放送網にほんてれびほうそうもう平成へいせい元年がんねん日本にっぽんシリーズ'89 巨人きょじん 藤田ふじたマジック 奇跡きせき逆転ぎゃくてん日本一にっぽんいち!』バップ 
  3. ^ 1989ねん10がつ16にち 日刊にっかんスポーツ3ぺーじなど
  4. ^ a b c d e f g h 1989ねん10がつ30にち 読売新聞よみうりしんぶん20ぺーじ - 21ぺーじ
  5. ^ その、1998ねん西武せいぶが、2018ねんソフトバンク達成たっせいしている。
  6. ^ なおきょじんは、近鉄きんてつ消滅しょうめつしたのち2013ねん楽天らくてんとも対戦たいせんしている。
  7. ^ a b 藤田ふじた『6154イニングの決断けつだん203ぺーじ - 205ぺーじ
  8. ^ a b 巨人軍きょじんぐん5000しょう記憶きおく読売新聞社よみうりしんぶんしゃベースボールマガジンしゃ、2007ねんISBN 9784583100296。68ぺーじ - なお、ここには「加藤かとう発言はつげん」については記載きさいされていない。
  9. ^ もと近鉄きんてつ加藤かとう哲郎てつろう因縁いんねん巨人きょじんは「正直しょうじきたいしたことなかった」”. スポーツ報知ほうち. (2017ねん9がつ2にち). https://web.archive.org/web/20170904095911/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170902-OHT1T50148.html 2017ねん9がつ17にち閲覧えつらん 
  10. ^ a b スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ『プロ野球やきゅう70ねんスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、2004ねんISBN 978-4583038087 572ぺーじ-573ぺーじ
  11. ^ a b c d e f g h 二宮にのみや『…「巨人きょじんはロッテよりよわい」発言はつげん真相しんそう文芸春秋ぶんげいしゅんじゅう2011ねん11がつごう
  12. ^ a b c 週刊しゅうかんベースボール 2013ねん1がつ21にちごう20ぺーじ、25ぺーじ ここで駒田こまだ自身じしん、「紳士しんしたれのきょじんであのようなことができたのはわたししかいませんでしたし」とかえっている。
  13. ^ 石田いしだ雄太ゆうた「Sports Graphic Number」だい790ごう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2011ねん11がつ10日とおか 
  14. ^ 1990ねん10がつ24にち 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん 33ぺーじ
  15. ^ 読売よみうり巨人軍きょじんぐん75ねん編纂へんさん委員いいんかい読売よみうり巨人軍きょじんぐん75ねん読売よみうり巨人軍きょじんぐん、2010ねん3がつ、500ぺーじ 
  16. ^ a b c 仰木おうぎえてつ』128ぺーじ - 130ぺーじ
  17. ^ a b 大阪おおさか近鉄きんてつバファローズ『感動かんどう軌跡きせき: 大阪おおさか近鉄きんてつバファローズ創立そうりつ50ねん記念きねん大阪おおさか近鉄きんてつバファローズ、2000ねん ページすう 316
  18. ^ 佐野さの正幸まさゆき嗚呼ああ! Gせんじょうのバリア』新風しんぷうしゃ、2000ねん5がつISBN 978-4797413427  ページすう261、104ぺーじ - 108ぺーじ、219ぺーじ
  19. ^ 1989ねん10がつ24にち 朝日新聞あさひしんぶん23ぺーじ
  20. ^ 仰木おうぎえてつ』122ぺーじ -
  21. ^ a b 仰木おうぎえてつ』128ぺーじ
  22. ^ 1989ねん10がつ30にち 朝日新聞あさひしんぶん3ぺーじ
  23. ^ 1989ねん10がつ30にち 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん33ぺーじ
  24. ^ 1989ねん10がつ22にち スポーツニッポン 2ぺーじ
  25. ^ 1989ねん10がつ22にち 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん 33ぺーじ同日どうじつ 日刊にっかんスポーツ 1ぺーじ
  26. ^ a b 1989ねん10がつ22にち 毎日新聞まいにちしんぶん22ぺーじ - 23ぺーじ
  27. ^ a b c d e f g h i j k 1989ねん10がつ27にち 読売新聞よみうりしんぶん18ぺーじ- 19ぺーじ
  28. ^ a b 1989ねん10がつ23にち 朝日新聞あさひしんぶん 24ぺーじ - 25ぺーじ
  29. ^ a b c 1989ねん10がつ23にち 日刊にっかんスポーツ 1ぺーじ - 3ぺーじ
  30. ^ 1989ねん10がつ23にち スポーツニッポン 1ぺーじ - 3ぺーじ
  31. ^ 1989ねん10がつ23にち 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん 33ぺーじなど
  32. ^ 1989ねん10がつ21にち 日刊にっかんスポーツ 3ぺーじ
  33. ^ a b c d e f 1989ねん10がつ25にち 日刊にっかんスポーツ 2ぺーじ(この紙面しめんでは加藤かとうのことをおおきく紹介しょうかいしているが、「ロッテより…」と発言はつげんしたむね記述きじゅつはない)
  34. ^ 1989ねん10がつ25にち 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん 33ぺーじ
  35. ^ 1989ねん10がつ25にち朝日新聞あさひしんぶん22ぺーじ - 23ぺーじ
  36. ^ 1989ねん10がつ25にち 毎日新聞まいにちしんぶん22ぺーじ - 23ぺーじ
  37. ^ 1989ねん10がつ25にち スポーツニッポン1ぺーじ
  38. ^ ベースボールマガジン2009ねん3がつごう53ぺーじ阿波あわ
  39. ^ 1989ねん10がつ26にち 日刊にっかんスポーツ 8ぺーじ
  40. ^ 1989ねん10がつ26にち 読売新聞よみうりしんぶん18ぺーじ - 19ぺーじ
  41. ^ 1989ねん10がつ26にち スポーツニッポン22ぺーじ
  42. ^ 1989ねん10がつ26にち 毎日新聞まいにちしんぶん22ぺーじ - 23ぺーじ
  43. ^ 仰木おうぎえてつ』125ぺーじ - 126ぺーじ、(類似るいじ内容ないよう篠山しのやま正幸まさゆき. “中日ちゅうにち権藤ごんどうコーチ、1ねん退団たいだん必然ひつぜん”. 日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ. 2013ねん4がつ15にち閲覧えつらん権藤ごんどうは、中日ちゅうにちのコーチ在任ざいにん前後ぜんごはさんでWEB日経にっけいにコラムを連載れんさいしたことがある)
  44. ^ Sports Graphic Number 790(2011ねん11月10にちごう)、39ぺーじ
  45. ^ 永谷ながたにおさむSports Graphic Number816ごう)『いはない」と退団たいだんした、73さい権藤ごんどうひろしの“性分しょうぶん”。~中日ちゅうにちでもきた指揮しきかんとの衝突しょうとつ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2013ねん4がつ14にち閲覧えつらん
  46. ^ 篠山しのやま中日ちゅうにち権藤ごんどうコーチ、1ねん退団たいだん必然ひつぜん
  47. ^ 佐野さの嗚呼ああ! Gせんじょうのバリア』170ぺーじ
  48. ^ a b c スポーツ・グラフィック ナンバー『日本にっぽん野球やきゅう25にん わたしのベストゲーム』文芸春秋ぶんげいしゅんじゅう、2008ねんISBN 9784167713263 95ぺーじ
  49. ^ 1989ねん10がつ27にち 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん 33ぺーじ
  50. ^ a b c 1989ねん10がつ27にち 朝日新聞あさひしんぶん22ぺーじ- 23ぺーじ
  51. ^ 1989年度ねんど日本にっぽんシリーズ 試合しあい結果けっか”. 日本にっぽん野球やきゅう機構きこう. 2015ねん5がつ2にち閲覧えつらん
  52. ^ 週刊しゅうかんベースボール、1989ねん11月6にちごう、22ぺーじ - 23ぺーじ
  53. ^ a b c 1989ねん10がつ27にち 毎日新聞まいにちしんぶん26ぺーじ- 27ぺーじ
  54. ^ a b 藤田ふじた藤田ふじたぜん監督かんとく 巨人軍きょじんぐんかたる』日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい、1993ねん3がつISBN 4140800909 95ぺーじ
  55. ^ a b c 1989ねん10がつ27にち 日刊にっかんスポーツ1ぺーじ - 5ぺーじ
  56. ^ a b 1989ねん10がつ29にち 読売新聞よみうりしんぶん28ぺーじ - 29ぺーじ
  57. ^ 1989ねん10がつ29にち 朝日新聞あさひしんぶん24ぺーじ - 25ぺーじ
  58. ^ 二宮にのみや清純せいじゅん「プロ野球やきゅう伝説でんせつ検証けんしょう」 『文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう』2011ねん11がつごう 抄録しょうろく野球やきゅう : もと近鉄きんてつ加藤かとう哲郎てつろう、「巨人きょじんはロッテよりよわい」発言はつげん真相しんそう 投稿とうこう日時にちじ: 2011-10-13 19:23:46
  59. ^ 週刊しゅうかんベースボール、1989ねん11月6にちごう、20ぺーじ
  60. ^ はらたつとくも6打点だてん内訳うちわけだい5せんでの満塁まんるい本塁打ほんるいだだい7せんでの2ラン。安打あんだはこの2ほんのみ)で岡崎おかざきとタイ。
  61. ^ ホテル芦谷あしたに竹園たけぞのから中継ちゅうけい録画ろくが放送ほうそうは21:00 - 21:30。このため『ってるつもり?!』は30ふんおくれで放送ほうそう
  62. ^ 近鉄きんてつ優勝ゆうしょう場合ばあいでも近鉄きんてつ優勝ゆうしょう祝勝しゅくしょうかい日本にほんテレビ系列けいれつ深夜しんや24:30から放送ほうそう予定よていだった。
  63. ^ 1989ねん10がつ21にち~10がつ29にち読売新聞よみうりしんぶんラジオらん掲載けいさい
  64. ^ a b c numberビデオ 熱闘ねっとう日本にっぽんシリーズ1989 巨人きょじんたい近鉄きんてつ確認かくにん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 仰木おうぎあきらえてつ』学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、1990ねん3がつISBN 978-4051045821 、241ページ
  • 藤田ふじたもとつかさ『6154イニングの決断けつだんじんかし組織そしきうごかす掌握しょうあく管理かんりじゅつ日本文芸社にほんぶんげいしゃ、1990ねん12月。ISBN 4537022191 
  • 二宮にのみや清純せいじゅんさん連敗れんぱいよん連勝れんしょう巨人きょじんはロッテよりよわい」発言はつげん真相しんそう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2011ねん11がつごう 402ぺーじ - 408ぺーじ

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]