北川きたがわ博敏ひろとし代打だいだ逆転ぎゃくてんサヨナラ満塁まんるい優勝ゆうしょう決定けってい本塁打ほんるいだ

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2001ねん 大阪おおさか近鉄きんてつバファローズ たい オリックス・ブルーウェーブ 26回戦かいせん
試合しあいおこなわれた大阪おおさかドーム
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
オリックス・ブルーウェーブ 0 0 0 3 1 0 0 0 1 5 8 0
大阪おおさか近鉄きんてつバファローズ 1 0 0 0 0 0 1 0 4X 6 11 2
開催かいさい日時にちじ 2001ねん9がつ26にち (22ねんまえ) (2001-09-26)
開催かいさい球場きゅうじょう 大阪おおさかドーム
開催かいさい 日本の旗 日本にっぽん 大阪おおさか大阪おおさか西にし
監督かんとく
観客かんきゃくすう 48,000にん[1]
試合しあい時間じかん 3あいだ39ふん[1]
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北川きたがわ博敏ひろとし代打だいだ逆転ぎゃくてんサヨナラ満塁まんるい優勝ゆうしょう決定けってい本塁打ほんるいだ(きたがわひろとしのだいだぎゃくてんサヨナラまんるいゆうしょうけっていほんるいだ)では、2001ねん9月26にち大阪おおさかドームおこなわれたプロ野球やきゅうパシフィック・リーグ以下いか「パ・リーグ」)の大阪おおさか近鉄きんてつバファローズ以下いか近鉄きんてつ」)たいオリックス・ブルーウェーブ以下いか「オリックス」)だい26回戦かいせん試合しあい内容ないよう、およびこの試合しあい近鉄きんてつ打者だしゃ北川きたがわ博敏ひろとしが9かいうらったサヨナラ満塁まんるい本塁打ほんるいだについてげる。

北川きたがわによる、近鉄きんてつの12ねんぶりの優勝ゆうしょう決定けっていしたプロ野球やきゅう史上しじょう唯一ゆいいつ(2023ねん時点じてん)となる釣銭つりせんしかつ優勝ゆうしょう決定けってい代打だいだ逆転ぎゃくてんサヨナラ満塁まんるい本塁打ほんるいだという劇的げきてき一撃いちげきは、2010ねんに12球団きゅうだん選手せんしゅ監督かんとく・コーチがえらぶ「最高さいこう試合しあいだい2、「めい勝負しょうぶめい場面ばめんだい2選出せんしゅつされた。

試合しあいいたるまでの経緯けいい[編集へんしゅう]

2001ねんシーズン開幕かいまくから近鉄きんてつ優勝ゆうしょうマジック点灯てんとうまで[編集へんしゅう]

2001ねんシーズンの開幕かいまくまえ就任しゅうにん2ねんなし監督かんとく阪神はんしんとのあいだ大型おおがたトレード[注釈ちゅうしゃく 1]おこない、トレードで近鉄きんてつ入団にゅうだんした選手せんしゅなかには捕手ほしゅ北川きたがわ博敏ひろとしふくまれていた。シーズン開幕かいまく北川きたがわ捕手ほしゅ以外いがい代打だいだでの出場しゅつじょう機会きかいやすこととなる。

6がつに14しょう8はいして首位しゅい戦線せんせんみとどまるものの、前年ぜんねんに2連覇れんぱたしたダイエー西武せいぶオリックスとの混戦こんせん状態じょうたいつづいた。8月にはいるとオリックスが優勝ゆうしょうあらそいから脱落だつらくさんきょうあらそいがつづいたが、9月におおきくした近鉄きんてつ9月17にちたい西武せいぶ25回戦かいせん大阪おおさかドーム)に勝利しょうりしたことによって首位しゅいつ。つづいて9月18にちたい西武せいぶ26回戦かいせん大阪おおさかドーム)で連勝れんしょうしたことによってマジック6が点灯てんとう

2001ねん9がつ24にち 近鉄きんてつ-西武せいぶ28回戦かいせん[編集へんしゅう]

マジック6が点灯てんとうしたのち近鉄きんてつ西武せいぶ日本にほんハム勝利しょうり連勝れんしょうつづける。

2001ねん9がつ24にちたい西武せいぶ28回戦かいせん大阪おおさかドームでおこなわれた。 9かいうら開始かいし時点じてん先攻せんこう西武せいぶが6てんこうおさむ近鉄きんてつが4てんであり、近鉄きんてつ2てんビハインドの状況じょうきょうであった(西にし6-4ちか)。 9かいうら近鉄きんてつ攻撃こうげき、このかい先頭せんとう北川きたがわ博敏ひろとしいくわさん哲也てつや代打だいだ)が西武せいぶ投手とうしゅ松坂まつさか大輔だいすけからソロ本塁打ほんるいだはなち、西武せいぶたいして1てんいつく(西にし6-5ちか)。 2人ふたり大村おおむら直之なおゆきがショートゴロにとられ1アウト、3にん水口みずぐち栄二えいじがフルカウント(2ストライク3ボール)から四球しきゅうにより出塁しゅつるい、4にんタフィ・ローズがフルカウントから三振さんしんで2アウト、この時点じてんで2アウト1るい状況じょうきょうとなる。

S○○
B○○○
O●●

0ストライク-0ボール
2アウト
二塁にるい:(なし)なし
三塁さんるい:(なし)なし 一塁いちるい:水口みずぐち

5にん打者だしゃである中村なかむら紀洋のりひろが0ストライク2ボールののち右中間うちゅうかんへの本塁打ほんるいだはなち、これが「西武せいぶ 6 たい 7 近鉄きんてつ」の逆転ぎゃくてんサヨナラ2ラン本塁打ほんるいだとなった。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
西武せいぶ 0 0 3 0 1 0 0 1 1 6 11 0
近鉄きんてつ 0 0 0 2 1 1 0 0 3X 7 8 0

この試合しあいのサヨナラちにより近鉄きんてつ優勝ゆうしょうマジックが1となり、9月26にちたいオリックス26回戦かいせん勝利しょうりすれば優勝ゆうしょうする状況じょうきょうとなった。

近鉄きんてつ-オリックス26回戦かいせん[編集へんしゅう]

9かいひょうまでの試合しあい経過けいか[編集へんしゅう]

9月26にち近鉄きんてつ本拠地ほんきょち大阪おおさかドームでたいオリックス26回戦かいせんたいオリックス最終さいしゅうせん)をむかえた。こうおさむ近鉄きんてつが1かいうらに1てん先制せんせいしたが、5かいひょうまでの吉岡よしおか雄二ゆうじによる2失策しっさくもあり、先発せんぱつショーン・バーグマンが4失点しってんする。近鉄きんてつは7かいうら川口かわぐち憲史けんじのソロ本塁打ほんるいだ反撃はんげきするも、オリックスがわは8かい途中とちゅうから守護神しゅごじんとして大久保おおくぼ勝信かつのぶをマウンドにおくり、9かいひょうには近鉄きんてつ投手とうしゅ岡本おかもとあきらがオリックス打者だしゃ相川あいかわ良太りょうたにソロ本塁打ほんるいだたれる。9かいひょう終了しゅうりょう時点じてんでのスコアは2たい5とオリックスに3てんをリードされているなかで、近鉄きんてつは9かいうら攻撃こうげきはいる。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
オリックス 0 0 0 3 1 0 0 0 1 5 8 0
近鉄きんてつ 1 0 0 0 0 0 1 0 - 2 8 2

9かいうら近鉄きんてつ攻撃こうげき[編集へんしゅう]

吉岡よしおか雄二ゆうじ[編集へんしゅう]

このかい先頭せんとうの6ばん吉岡よしおか雄二ゆうじが9かいうら攻撃こうげき最初さいしょ打者だしゃとしてバッターボックスにつ。 1きゅうはボール、2きゅうでレフトぜんヒットをはなち1るい出塁しゅつるいする。この試合しあいで2失策しっさくをしていた吉岡よしおかであるが、このヒットが満塁まんるいサヨナラ本塁打ほんるいだ口火くちびることとなる。

二塁にるい:(なし)なし
三塁さんるい:(なし)なし 一塁いちるい:吉岡よしおか

川口かわぐち憲史けんじ[編集へんしゅう]

つぎ打者だしゃは7かい本塁打ほんるいだで1てんれていた7ばん川口かわぐち憲史けんじであった。 1きゅうはストライク、2きゅう一塁いちるいせんをやぶる二塁打にるいだはなち、出塁しゅつるい。 ノーアウト2るい3るいとなる。

二塁にるい:川口かわぐち
三塁さんるい:吉岡よしおか 一塁いちるい:(なし)なし

益田ますだ大介だいすけ[編集へんしゅう]

川口かわぐち打者だしゃは、8ばんショーン・ギルバート代打だいだ益田ますだ大介だいすけである。 1きゅう・2きゅうはボール、3きゅうはストライク、4きゅうはボール。

S●○
B●●●
O○○

1ストライク-3ボール
0アウト

オリックス投手とうしゅ大久保おおくぼげた5きゅうのフォークボールがワンバウンドし、近鉄きんてつ四球しきゅうあたえることとなる。 これにより、近鉄きんてつはノーアウト満塁まんるいだいチャンスをむかえる。

二塁にるい:川口かわぐち
三塁さんるい:吉岡よしおか 一塁いちるい:益田ますだ

北川きたがわ博敏ひろとし[編集へんしゅう]

ノーアウト満塁まんるいのチャンスのなか、9ばん古久保こくぼ健二けんじ代打だいだとして北川きたがわ博敏ひろとしげられる。2にちまえおこなわれたたい西武せいぶ28回戦かいせんで、中村なかむら紀洋のりひろ逆転ぎゃくてんサヨナラ2ラン本塁打ほんるいだにつながるソロ本塁打ほんるいだっていた北川きたがわにはおおきな期待きたいせられることとなる。

1きゅうはストライク。

S●○
B○○○
O○○

1ストライク-0ボール
0アウト
二塁にるい:川口かわぐち
三塁さんるい:吉岡よしおか 一塁いちるい:益田ますだ

2きゅう北川きたがわったたまがライト方向ほうこうへのファウルとなり、2ストライク。

S●●
B○○○
O○○

2ストライク-0ボール
0アウト
二塁にるい:川口かわぐち
三塁さんるい:吉岡よしおか 一塁いちるい:益田ますだ

3きゅうはボール。

S●●
B●○○
O○○

2ストライク-1ボール
0アウト
二塁にるい:川口かわぐち
三塁さんるい:吉岡よしおか 一塁いちるい:益田ますだ

4きゅう大久保おおくぼげたスライダーを、おおきくりかぶった北川きたがわがバットでとらえる。 かえした打球だきゅう左中間さちゅうかんんでバックスクリーンひだりよこのレフトスタンド下段げだんせきみ、「オリックス 5 たい 6 近鉄きんてつ」の逆転ぎゃくてんサヨナラ満塁まんるい本塁打ほんるいだとなった。

9月26にち大阪おおさかドーム試合しあい開始かいし:180ふん
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
オリックス 0 0 0 3 1 0 0 0 1 5 8 0
近鉄きんてつ 1 0 0 0 0 0 1 0 4X 6 11 2
  1. オ:北川きたがわさとし(6 2/3かい)、よしみぜい(1/3かい)、大久保おおくぼ(1 0/3かい
  2. きんバーグマン(4 2/3かい)、関口せきぐち(0/3かい)、愛敬あいきょう(2 1/3かい)、岡本おかもと(1 1/3かい)、大塚おおつか(1/3かい
  3. かち大塚おおつか(2しょう5はい25S)  はい大久保おおくぼ(7しょう4はい14S)  
  4. 本塁打ほんるいだ
    オ:相川あいかわ2ごう(9かいソロ・岡本おかもと
    きん川口かわぐち18ごう(7かいソロ・北川きたがわさとし)、北川きたがわ6ごう(9かいうら満塁まんるい大久保おおくぼ
  5. 審判しんぱん
    球審きゅうしん佐藤さとう 一塁いちるい丹波たんば 二塁にるい永見ながみ 三塁さんるい前田まえだ

北川きたがわのサヨナラ本塁打ほんるいだにより、近鉄きんてつの12ねんぶりの優勝ゆうしょう決定けってい。2023ねん時点じてん日米にちべいプロ野球やきゅう史上しじょう唯一ゆいいつとなる釣銭つりせんかつ優勝ゆうしょう決定けってい代打だいだ逆転ぎゃくてんサヨナラ満塁まんるい本塁打ほんるいだという野球やきゅうのこ歴史れきしてきいちげきとなった。

反応はんのう[編集へんしゅう]

北川きたがわ本人ほんにんによる証言しょうげん[編集へんしゅう]

9かいうら益田ますだ四球しきゅうえら満塁まんるいとなった場面ばめんについて、北川きたがわは「るいまるとっかけてゲッツーおおいから」という理由りゆうから「益田ますださんが四球しきゅうえらんで満塁まんるいとなってこまったなぁとおもいました」とコメントしている。打席だせき場面ばめん真弓まゆみ明信あきのぶ打撃だげきコーチから「おもいきりいけばいい」とわれ、北川きたがわは「これで気持きもちはらくになった」とかたっている。

北川きたがわ満塁まんるいとなった状況じょうきょう、さらには元々もともと7かいうら古久保こくぼ打順だじゅん代打だいだおくられる予定よてい川口かわぐち本塁打ほんるいだ変更へんこうになったというタイミングもあり、「初球しょきゅうのどなか直球ちょっきゅうにまったくうごけなかった」とかたる。そしてカウント0ボール2ストライクからの3きゅう見送みおくったところで「たま見極みきわめはできていると確信かくしんし、これであしがつきましたね」とコメントしている[2]

サヨナラ優勝ゆうしょう決定けってい本塁打ほんるいだとなる4きゅうについて北川きたがわは「(大久保おおくぼから)たまはなれた瞬間しゅんかん、これはとかんじて素直すなおりぬいた」「った瞬間しゅんかん野手やしゅあいだけるとおもったが、本塁打ほんるいだになるとはおもってなかった」とかたった。サヨナラ本塁打ほんるいだたれた大久保おおくぼは4きゅうについて「ねらいのようながした。スライダーでろうとおもった」としてとうじたとかたっている。

なしでん近鉄きんてつ監督かんとく証言しょうげん[編集へんしゅう]

9かいうら無死むし満塁まんるい場面ばめんなしでん近鉄きんてつ監督かんとくは「アイツしかいない。今年ことしのアイツはなにかをやる」とかんがえ、古久保こくぼ代打だいだとして北川きたがわ打席だせきおくることをめたと[3]

ったがわたれたがわなし監督かんとく仰木おうぎあきら監督かんとくはそのとしのオフ、りょうチームの監督かんとくとしてリーグ優勝ゆうしょう経験けいけんがある西本にしもと幸雄ゆきおまじえて対談たいだんしており、このとき状況じょうきょうについて仰木おうぎ監督かんとくは「オリックスのちペースで今日きょうなしでん胴上どうあげをずにむ」とかんがえていたが、「8かいから雲行くもゆきがおかしくなった」として、「9かい満塁まんるいになったときはもう完全かんぜん予測よそくできるくらい(笑)」とコメントしている。また試合しあいまえには「おめでとう、胴上どうあげされてもくなよ」となし監督かんとくっており、なし監督かんとくも「今日きょうたせてくれるのかな」とおもったとしているが、仰木おうぎ監督かんとくは「心情しんじょうてきにはあったかもしれないけど、最後さいご本気ほんきになってちにいった」とコメントしている。一方いっぽうなし監督かんとくは「『北川きたがわにホームランがたら代打だいだ逆転ぎゃくてんサヨナラ満塁まんるい本塁打ほんるいだ優勝ゆうしょうだな』という気持きもちがほんのちょっとあった」としつつ、「だい部分ぶぶんは『たのむからダブルプレーだけは勘弁かんべんしてくれ』という気持きもちだった」としている。西本にしもとはこの試合しあいをスタンドで仕事しごととして観戦かんせんしており「あんなえがいたような奇跡きせきこるわけがないとおもってた」とコメント、また北川きたがわ起用きようについては「なんかサヨナラっているラッキーボーイてき存在そんざいで、いい人選じんせんだった」としている[4][5]

最高さいこう試合しあい」「めい場面ばめんめい勝負しょうぶ」としての評価ひょうか[編集へんしゅう]

2010ねん日本にっぽん野球やきゅう機構きこうが12球団きゅうだん選手せんしゅ監督かんとく・コーチにアンケートをり「最高さいこう試合しあい」と「めい場面ばめんめい勝負しょうぶ」をえらんださい、このとき試合しあい得票とくひょうすうで「最高さいこう試合しあい」2、「めい勝負しょうぶめい場面ばめん」2えらばれた。った北川きたがわのみならず、たれた大久保おおくぼや、北川きたがわ代打だいだされた古久保こくぼも、この場面ばめん投票とうひょうしている[6]

エピソード[編集へんしゅう]

近鉄きんてつ最後さいご優勝ゆうしょう[編集へんしゅう]

劇的げきてき優勝ゆうしょうげきから3ねんの2004ねん近鉄きんてつ球団きゅうだんはオリックス球団きゅうだんへの吸収きゅうしゅう合併がっぺい決定けっていし、同年どうねんシーズンをもって消滅しょうめつした(くわしくはプロ野球やきゅう再編さいへん問題もんだい (2004ねん)参照さんしょう)。そのため、代打だいだ逆転ぎゃくてんサヨナラ満塁まんるい優勝ゆうしょう決定けってい本塁打ほんるいだによる2001ねん優勝ゆうしょうが、近鉄きんてつにとっては最後さいご優勝ゆうしょうとなった。

球団きゅうだんにとって結果けっかてき最後さいご日本にっぽんシリーズとなる2001ねん日本にっぽんシリーズ進出しんしゅつした近鉄きんてつは、セ・リーグせいしたヤクルトに4しょう1はいやぶれたため日本一にっぽんいち悲願ひがん達成たっせいすることは最後さいごまでかなわなかった。

ただし、親会社おやがいしゃことなるが、近鉄きんてつからバファローズの球団きゅうだん愛称あいしょういだオリックス・バファローズ2022ねん日本にっぽんシリーズ日本一にっぽんいちになったことにより、近鉄きんてつ時代じだいにはかなわなかった「バファローズ」球団きゅうだん史上しじょうはつ日本一にっぽんいち達成たっせいされた。対戦たいせん相手あいてしくも近鉄きんてつ最後さいご日本にっぽんシリーズでたたかったヤクルトだった。

近鉄きんてつとオリックスの監督かんとくについて[編集へんしゅう]

この試合しあい勝利しょうり胴上どうあげされたなしでん昌孝まさたか近鉄きんてつ監督かんとくは、近鉄きんてつ選手せんしゅとして1979ねん1980ねん優勝ゆうしょう経験けいけんしている。なしでん選手せんしゅ監督かんとく両方りょうほう近鉄きんてつ優勝ゆうしょう経験けいけんした唯一ゆいいつ人物じんぶつである。

また、なし監督かんとく胴上どうあげを見守みまもることになったオリックスがわ監督かんとくである仰木おうぎあきら自身じしんも、1988ねんから1992ねんまで近鉄きんてつ監督かんとくつとめていた。近鉄きんてつ一筋ひとすじ活躍かつやくしたなしでん仰木おうぎ監督かんとく時代じだい近鉄きんてつ現役げんえき最終さいしゅうねんむかえている。仰木おうぎなし引退いんたいしたよく1989ねん監督かんとくとして近鉄きんてつ優勝ゆうしょうみちびいている。

日本にっぽんプロ野球やきゅうにおける代打だいだ逆転ぎゃくてん満塁まんるいサヨナラ本塁打ほんるいだ[編集へんしゅう]

日本にっぽんのプロ野球やきゅうにおいて2022ねん現在げんざい代打だいだ逆転ぎゃくてん満塁まんるいサヨナラ本塁打ほんるいだは8かいている。

達成たっせい 打者だしゃ 所属しょぞく球団きゅうだん スコア 対戦たいせん球団きゅうだん 開催かいさい球場きゅうじょう 備考びこう
1956ねん3がつ25にち といりゅう一夫かずお 巨人きょじん 4-3 中日ちゅうにち 後楽園こうらくえん球場きゅうじょう
1956ねん6がつ24にち 藤村ふじむら富美男ふみお 阪神はんしん 4-1 広島ひろしま 阪神はんしん甲子園こうしえん球場きゅうじょう 選手せんしゅ兼任けんにん監督かんとくによるれいとしては唯一ゆいいつ
1971ねん5がつ20日はつか 広野ひろのいさお 巨人きょじん 7-5 ヤクルト 福井ふくい県営けんえい球場きゅうじょう
1984ねん6がつ11にち 柳原やなぎはら隆弘たかひろ 近鉄きんてつ 5-2 南海なんかい 藤井寺ふじいでら球場きゅうじょう
1988ねん6がつ18にち 藤田ふじたひろしみやび 阪急はんきゅう 10-7 南海なんかい 阪急はんきゅう西宮にしのみや球場きゅうじょう
2001ねん9がつ26にち 北川きたがわ博敏ひろとし 近鉄きんてつ 6-5 オリックス 大阪おおさかドーム 優勝ゆうしょう決定けっていれいとしては唯一ゆいいつ
2001ねん9がつ30にち 藤井ふじい康雄やすお オリックス 7-6 ロッテ グリぐりンスタジアム神戸んすたじあむこうべ 9かいうら二死にしからのれいとして唯一ゆいいつ
2011ねん10がつ22にち 長野ながの久義ひさよし 巨人きょじん 5-2 横浜よこはま 東京とうきょうドーム 巨人きょじんのシーズン最終さいしゅうせんであり、横浜よこはまベイスターズ改称かいしょうまえ最終さいしゅうせん[注釈ちゅうしゃく 2]内海うつみ哲也てつや勝利しょうり投手とうしゅとなり、最多さいたしょうのタイトルを獲得かくとく

8かい代打だいだ逆転ぎゃくてん満塁まんるいサヨナラ本塁打ほんるいだのうち、、つまり本塁打ほんるいだでちょうど1てんだけしたれいは、といりゅう一夫かずお(1956ねん)、北川きたがわ博敏ひろとし(2001ねん)、藤井ふじい康雄やすお(2001ねん)の3かいのみである。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 3(北川きたがわ湯舟ゆぶねやまたい3(酒井さかいめん平下ひらした)のトレード。
  2. ^ 2012ねんより横浜よこはまベイスターズ(横浜よこはま)は横浜よこはまDeNAベイスターズ(DeNA)に改称かいしょう

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 【9がつ26にち】2001ねんたいら13) 近鉄きんてつ最後さいごのV まりしゅ代打だいだ逆転ぎゃくてんサヨナラ満塁まんるいだん”. スポーツニッポン. 2016ねん3がつ8にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  2. ^ 史上しじょうはつ代打だいだ逆転ぎゃくてんサヨナラ満塁まんるい優勝ゆうしょう決定けっていHRを近鉄きんてつ北川きたがわかえる”. 週刊しゅうかんポスト (2013ねん10がつ11にちごう). (2013ねん10がつ1にち). https://www.news-postseven.com/archives/20131001_214357.html?DETAIL 2020ねん7がつ8にち閲覧えつらん 
  3. ^ 【9がつ26にち】2001ねんたいら13) 近鉄きんてつ最後さいごのV まりしゅ代打だいだ逆転ぎゃくてんサヨナラ満塁まんるいだん”. スポーツニッポン. 2016ねん3がつ8にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2012ねん10がつ11にち閲覧えつらん
  4. ^ 『さらば大阪おおさか近鉄きんてつバファローズ』P100
  5. ^ このふしのここまでの出典しゅってん特記とっき場合ばあい日刊スポにっかんすぽツ出版社つしゅっぱんしゃ発行はっこう『サヨナラ近鉄きんてつバファローズ』P50-53、および、スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ発行はっこう『さらば大阪おおさか近鉄きんてつバファローズ』『週刊しゅうかんベースボール別冊べっさつ』2004ねん冬季とうきごう)P32-33
  6. ^ 2001ねん9がつ26にち 大阪おおさか近鉄きんてつ-オリックス 26回戦かいせん大阪おおさかドーム)”. 2010ねんNPBスローガン「ここに、世界一せかいいちがある」スペシャルコンテンツ. 最高さいこう試合しあい」「めい場面ばめんめい勝負しょうぶ. 日本にっぽん野球やきゅう機構きこう. 2016ねん4がつ30にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2012ねん6がつ21にち閲覧えつらん