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1982ねん日本にっぽんシリーズ

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NPB 1982ねん日本にっぽんシリーズ
ゲームデータ
日本一にっぽんいち
西武せいぶライオンズ
24ねんぶり4かい
4しょう2はい
試合しあい日程にってい 1982ねん昭和しょうわ57ねん10月23にち - 10月30にち
最高さいこう殊勲しゅくん選手せんしゅ 東尾ひがしおおさむ
敢闘かんとうしょう選手せんしゅ 上川かみかわ誠二せいじ
チームデータ
西武せいぶライオンズ()
監督かんとく 広岡ひろおか達朗たつろう
シーズン成績せいせき 68しょう58はい4ふん前期ぜんき1/PO優勝ゆうしょう) 
中日ちゅうにちドラゴンズ()
監督かんとく 近藤こんどう貞雄さだお
シーズン成績せいせき 64しょう47はい19ふん(シーズン1
パリーグプレーオフ
1982ねんのパシフィック・リーグプレーオフ
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1982ねん日本にっぽんシリーズ(1982ねんのにっぽんシリーズ、1982ねんのにほんシリーズ)は、1982ねん昭和しょうわ57ねん10月23にちから10月30にちまでおこなわれたセ・リーグ優勝ゆうしょうチームの中日ちゅうにちドラゴンズパ・リーグ優勝ゆうしょうチームの西武せいぶライオンズによる33かいプロ野球やきゅう日本にっぽん選手権せんしゅけんシリーズである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

広岡ひろおか達朗たつろう監督かんとくひきいる西武せいぶライオンズと近藤こんどう貞雄さだお監督かんとくひきいる中日ちゅうにちドラゴンズの対決たいけつは、西武せいぶ前身ぜんしん西鉄にしてつ福岡ふくおかけん福岡ふくおか本拠地ほんきょちとしていた時代じだい1954ねん以来いらい28ねんぶり。 西武せいぶ埼玉さいたまけん所沢ところざわへの本拠地ほんきょち移転いてんでははつ西鉄にしてつ時代じだいふくめると24ねんぶり4度目どめ日本一にっぽんいち西武せいぶプレーオフからちゅう8にち一方いっぽう中日ちゅうにちはシリーズ開幕かいまく5にちまえ最終さいしゅう130試合しあい優勝ゆうしょうめており、いきおいにっているとおもわれた。

西武せいぶだい1せんだい2せん連勝れんしょうするが、中日ちゅうにちだい3せんから2連勝れんしょうして2しょう2はいとしてふんもどす。そしてむかえただい5せんりょうチーム無得点むとくてんさんかいひょう中日ちゅうにち攻撃こうげきは2二塁にるい走者そうしゃ田尾たお安志やすし)という場面ばめん打者だしゃ平野ひらのけん一塁いちるいせんける打球だきゅうはなつが、これが一塁いちるい塁審るいしん村田むらた康一やすいちあしたり、二塁手にるいしゅ山崎やまざき裕之ひろゆきまえころがる。山崎やまざきはボールをひろうと三塁さんるいげ、三塁さんるいまわっていた田尾たおもどれずにタッチアウトとなった。「ルールじょう審判しんぱんいしころとおなじ」であるため、このプレイはルールに抵触ていしょくしない[1]。これにより中日ちゅうにち先制せんせいのがして結果けっかてき敗北はいぼくしたことから、「シリーズのながれをえた『いしころ』」といわれた。

西武せいぶぜん6試合しあいつうじて守備しゅび不安ふあんのあった田淵たぶち幸一こういち大田おおた卓司たくしりょう選手せんしゅ同時どうじ先発せんぱつ出場しゅつじょうさせた。ペナントレースでは指名しめい打者だしゃがあり、どちらか一方いっぽう指名しめい打者だしゃでもう一方いっぽう守備しゅびについていた[2]。ただ田淵たぶちについては試合しあい中盤ちゅうばんでも片平かたひら晋作しんさく交代こうたいさせる用兵ようへいせた。大田おおた打棒だぼうわた優秀ゆうしゅう選手せんしゅしょう受賞じゅしょう以後いご「シリーズおとこ」の異名いみょうをとるようになる。投手とうしゅじんでは、先発せんぱつはしらとしてだい1せんだい4せん松沼まつぬま博久ひろひさ登板とうばんさせ[3]、エースの東尾ひがしおおさむ先発せんぱつではなくリリーフにまわすという構想こうそうがうまく機能きのうし、東尾ひがしおはリリーフで好投こうとうしてシリーズのMVPにかがやいた。また中継なかつぎで小林こばやし誠二せいじ好投こうとうしたのもひかった。

一方いっぽう中日ちゅうにちはシーズンちゅうの「野武士のぶし軍団ぐんだん」の活躍かつやくかげひそめてやぶれた。中日ちゅうにちはペナントレースで最後さいごの130試合しあいまで巨人きょじん優勝ゆうしょうあらそいをひろげたすえ優勝ゆうしょういきおいにっているとおもわれたが、だい2せんにシーズン16しょうげたみやこ裕次郎ゆうじろう先頭せんとう打者だしゃ石毛いしげ宏典ひろのり打球だきゅうあしてて負傷ふしょうするアクシデントに見舞みまわれ、以後いごシリーズの先発せんぱつローテーションにくるしんだ。またこのとし引退いんたいした星野ほしのせんいちはこの日本にっぽんシリーズでの登板とうばんがなかった。

中日ちゅうにちだい1せんで7-3でやぶれ、だい2せん先発せんぱつ投手とうしゅがいきなり負傷ふしょう降板こうばんしたためあといだ投手とうしゅまれ2かいひょうで0-6とあっさり大差たいさいた。そして中日ちゅうにち攻撃こうげきじん反撃はんげきせられず0行進こうしんつづき、中日ちゅうにちのふがいないたたかいに激怒げきどしたファンが大騒おおさわぎし、試合しあい終了しゅうりょう球場きゅうじょうからげる西武せいぶナインやグラウンドをめがけてものげるという行為こういおよんだ。このため、勝利しょうり監督かんとくインタビュー中止ちゅうしになるなど球場きゅうじょう騒乱そうらん状態じょうたいとなった。これをけてコミッショナーはだい3せん以降いこう警備けいび厳重げんじゅう措置そちった。またシリーズがだい6せんへもつれみ、試合しあい会場かいじょう西武せいぶライオンズ球場きゅうじょうからふたたびナゴヤ球場きゅうじょううつることとなった10月28にちには、中日ちゅうにち球団きゅうだんがファンにたいし「たのしくご声援せいえんいただくよう」と異例いれいびかけをおこなった[4]

試合しあい結果けっか[編集へんしゅう]

1982ねん 日本にっぽんシリーズ
日付ひづけ 試合しあい ビジター球団きゅうだん先攻せんこう スコア ホーム球団きゅうだんおさむ 開催かいさい球場きゅうじょう
10月23にち だい1せん 西武せいぶライオンズ 7 - 3 中日ちゅうにちドラゴンズ ナゴヤ球場きゅうじょう
10月24にち だい2せん 西武せいぶライオンズ 7 - 1 中日ちゅうにちドラゴンズ
10月25にちつき 移動いどう
10月26にち だい3せん 中日ちゅうにちドラゴンズ 4 - 3 西武せいぶライオンズ 西武せいぶライオンズ球場きゅうじょう
10月27にちみず だい4せん 中日ちゅうにちドラゴンズ 5 - 3 西武せいぶライオンズ
10月28にち だい5せん 中日ちゅうにちドラゴンズ 1 - 3 西武せいぶライオンズ
10月29にちかね 移動いどう
10月30にち だい6せん 西武せいぶライオンズ 9 - 4 中日ちゅうにちドラゴンズ ナゴヤ球場きゅうじょう
優勝ゆうしょう西武せいぶライオンズ(24ねんぶり4かい

だい1せん[編集へんしゅう]

10月23にち ナゴヤ 入場にゅうじょうしゃ29196にん

西武せいぶ 0 4 2 0 0 0 0 1 0 7
中日ちゅうにち 0 0 3 0 0 0 0 0 0 3

西にし松沼まつぬまひろし、○東尾ひがしお(1しょう)-黒田くろだ

なか)●小松こまつ(1はい)、堂上どうじょう鈴木すずきかく安木やすぎ中尾なかお
勝利しょうり打点だてん 黒田くろだ1

本塁打ほんるいだ

西にしスティーブ1ごうソロ(3かい小松こまつ)、大田おおた1ごうソロ(8かいかく

なかモッカ1ごう2ラン(3かい松沼まつぬまひろし

[審判しんぱん]セ山本やまもとあやたま)パ藤本ふじもと セ福井ふくい パ前川まえかわるい)セ丸山まるやま パ村田むらたそと

2かい西武せいぶ田淵たぶち幸一こういちのヒットを口火くちびに5安打あんだ1四球しきゅう集中しゅうちゅうして4てんうばい、中日ちゅうにち先発せんぱつ小松こまつ辰雄たつおをKOした。さらに3かい堂上どうじょうあきらからも3安打あんだ1死球しきゅうで2てん追加ついか試合しあい主導しゅどうけんにぎった。中日ちゅうにちも3かい田尾たお安志やすし犠牲ぎせいフライとケン・モッカの2ランで3てんかえし、西武せいぶ先発せんぱつ松沼まつぬま博久ひろひさ攻略こうりゃくしたが、4かいから松沼まつぬまひろしをリリーフした東尾ひがしおおさむまえにあとひとしがりず、追加ついかてんうばえなかった。8かい大田おおた卓司たくしダメ押だめおしのソロ本塁打ほんるいだ西武せいぶ先勝せんしょうした。

公式こうしき記録きろく関係かんけい日本にっぽん野球やきゅう機構きこうページ)

だい2せん[編集へんしゅう]

10月24にち ナゴヤ 入場にゅうじょうしゃ29194にん

西武せいぶ 4 2 0 0 0 0 0 0 1 7
中日ちゅうにち 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1

西にし杉本すぎもと、○小林こばやし(1しょう)、もり黒田くろだ大石おおいし

なか)●(1はい)、藤沢ふじさわ堂上どうじょう安木やすぎ三沢みさわ小松こまつ牛島うしじま中尾なかお

勝利しょうり打点だてん テリー1

本塁打ほんるいだ

西にし西岡にしおか1ごうソロ(9かい牛島うしじま

[審判しんぱん]パ村田むらたたま)セ丸山まるやま パ藤本ふじもと セ福井ふくいるい)パ斎田さいだ セ久保田くぼたそと

中日ちゅうにち先発せんぱつみやこ裕次郎ゆうじろう。しかし先頭せんとう打者だしゃ石毛いしげ宏典ひろのりのライナーをひだり足首あしくびにあててわずか打者だしゃ1にん、6きゅう降板こうばんのアクシデント。きょ藤沢ふじさわ公也きみやがマウンドにのぼったが、準備じゅんび不足ふそくあきらかで、山崎やまざき裕之ひろゆきおくりバント、スティーブ・オンティベロス田淵たぶち連続れんぞく四球しきゅう一死いっし満塁まんるい。ここでテリー・ウィットフィールド大田おおた連打れんだでいきなり4てんうばった。2かいにも3番手ばんて堂上どうじょうから石毛いしげ山崎やまざき、スティーブの3連打れんだ田淵たぶち犠牲ぎせいフライで2てん追加ついか。しかし広岡ひろおか監督かんとくは、4かい二死にしいち二塁にるい代打だいだ大島おおしま康徳やすのりという場面ばめん先発せんぱつ杉本すぎもとただし交代こうたいわった小林こばやし誠二せいじ後続こうぞくをぴたりとおさえた。西武せいぶてき2連勝れんしょう所沢ところざわもどることになった。

公式こうしき記録きろく関係かんけい日本にっぽん野球やきゅう機構きこうページ)

だい3せん[編集へんしゅう]

10月26にち 西武せいぶ 入場にゅうじょうしゃ25342にん

中日ちゅうにち 0 0 0 0 0 0 3 0 1 4
西武せいぶ 2 0 0 0 0 0 0 1 0 3

なか鈴木すずき、○牛島うしじま(1しょう)-中尾なかお

西にし高橋たかはしえいしゃ、●東尾ひがしお(1しょう1はい)-黒田くろだ大石おおいし

勝利しょうり打点だてん なし

本塁打ほんるいだ

なか上川かみかわ1ごう3ラン(7かい高橋たかはしただし

[審判しんぱん]セ久保田くぼたたま)パ斎田さいた セ丸山まるやま パ藤本ふじもとるい)セやま本文ほんぶん パ前川まえかわそと

公式こうしき記録きろく関係かんけい日本にっぽん野球やきゅう機構きこうページ)

だい4せん[編集へんしゅう]

10月27にち 西武せいぶ 入場にゅうじょうしゃ29323にん

中日ちゅうにち 0 1 1 0 1 0 0 0 2 5
西武せいぶ 0 0 1 0 2 0 0 0 0 3

なか三沢みさわ堂上どうじょう安木やすぎ、○小松こまつ(1しょう1はい)、S牛島うしじま(1しょう1S)-中尾なかお

西にし松沼まつぬまひろし柴田しばたもり、●小林こばやし(1しょう1はい)、ひさし松沼まつぬまみやび黒田くろだ大石おおいし

勝利しょうり打点だてん 谷沢たにさわ

本塁打ほんるいだ

なか谷沢たにさわ1ごうソロ(9かい小林こばやし

[審判しんぱん]パ前川まえかわたま)セやま本文ほんぶん パ斎田さいた セ丸山まるやま (るい)パ村田むらた セ福井ふくいそと

公式こうしき記録きろく関係かんけい日本にっぽん野球やきゅう機構きこうページ)

だい5せん[編集へんしゅう]

10月28にち 西武せいぶ 入場にゅうじょうしゃ26230にん

中日ちゅうにち 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1
西武せいぶ 0 0 0 0 1 0 2 0 X 3

なか鈴木すずき、●小松こまつ(1しょう2はい)、堂上どうじょう中尾なかお

西にし杉本すぎもと、○東尾ひがしお(2しょう1はい)-大石おおいし

勝利しょうり打点だてん スティーブ1

本塁打ほんるいだ

なか大島おおしま1ごうソロ(5かい杉本すぎもと

[審判しんぱん]セ福井ふくいたま)パ村田むらた セやま本文ほんぶん パ斎田さいだるい)セ久保田くぼた パ藤本ふじもとそと

中日ちゅうにちは3かい田尾たおがショート内野ないや安打あんだ石毛いしげあく送球そうきゅう二塁にるいすすみ、二死にし二塁にるいのチャンス。つづ平野へいや打球だきゅう一塁いちるいせんおそったが、一塁いちるい塁審るいしん村田むらた康一やすいち右足みぎあしたりひだりおおきくそれるハプニング。二塁手にるいしゅ山崎やまざきひろって三塁さんるいへ。三塁さんるいからホームにボールがわたり、ホームをこうとした田尾たおはタッチアウトとなる不運ふうんがあった(この事件じけんについては村田むらた康一やすいち#「いしコロ事件じけんこう参照さんしょう)。

試合しあいは5かい中日ちゅうにち大島おおしま本塁打ほんるいだ先制せんせいしたが、そのうらすぐにスティーブのタイムリー二塁打にるいだ同点どうてん西武せいぶは、7かい宇野うのあく送球そうきゅうというミスをのがさず、スティーブのタイムリー二塁打にるいだ。さらに途中とちゅうから守備しゅびがためで田淵たぶちわって4ばんはいっていた片平かたひら晋作しんさく適時てきじ追加ついかてん試合しあいめた。6かいから登板とうばんした東尾ひがしおは4かいをわずか1安打あんだおさえる好投こうとう西武せいぶ日本一にっぽんいち王手おうてをかけた。

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だい6せん[編集へんしゅう]

10月30にち ナゴヤ 入場にゅうじょうしゃ28725にん

西武せいぶ 0 0 4 0 0 0 2 1 2 9
中日ちゅうにち 0 0 4 0 0 0 0 0 0 4

西にし高橋たかはしもり工藤くどう、○小林こばやし(2しょう1はい)、S東尾ひがしお(2しょう1はい1S)-大石おおいし

なか三沢みさわ、●鈴木すずき(1はい)、牛島うしじま安木やすぎ小松こまつ中尾なかお

勝利しょうり打点だてん 片平かたひらすすむ

本塁打ほんるいだ

西にし大田おおた2ごう3ラン(3かい三沢みさわ)、片平かたひらすすむ1ごうソロ(7かい鈴木すずき)、テリー1ごうソロ(7かい鈴木すずき

[審判しんぱん]パ藤本ふじもとたま)セ久保田くぼた パ村田むらた セやま本文ほんぶんるい)パ前川まえかわ セ丸山まるやまそと

舞台ぶたいふたたびナゴヤ。3かいひょう、スティーブのタイムリー二塁打にるいだ大田おおたの3ラン本塁打ほんるいだ西武せいぶが4てんげ、日本一にっぽんいちおおきくせたかにえたが、そのうら先頭せんとう打者だしゃ田尾たおがセンターの頭上ずじょうえる三塁打さんるいだ。2死後しご谷沢たにさわのタイムリーヒットで中日ちゅうにちが1てんかえした。つづ中尾なかおもヒットで出塁しゅつるいしたところで西武せいぶ高橋たかはしからもりにスイッチするがこれが裏目うらめ宇野うのもヒットをはな満塁まんるいとしたあと、7ばん先発せんぱつ出場しゅつじょう大島おおしま四球しきゅうつづ上川かみかわのセカンド強襲きょうしゅうヒットで一気いっきいつく。なおも21、2るいのピンチで西武せいぶはシリーズはつ登板とうばんとなる新人しんじん工藤くどうこうやすし投入とうにゅう代打だいだ石井いしい昭男あきおゆうゴロに同点どうてんまり。7かいひょう守備しゅびがためで田淵たぶちわり一塁いちるいはいっていた片平かたひら好投こうとうつづけていた3番手ばんて鈴木すずき速球そっきゅうをとらえ、バックスクリーンにたたむと、つづくテリーも初球しょきゅうちバックスクリーンへの2しゃ連続れんぞくアーチで2てんし。これでいきおいづいた西武せいぶは8かいに1てん追加ついかすると9かい大石おおいし友好ともよしのスクイズで1てん、さらに気落きおちした小松こまつから岡村おかむら隆則たかのり左前ひだりまえタイムリーでもう1てんうばい、勝負しょうぶめた。西武せいぶは4かい2から小林こばやし、8かいから東尾ひがしお投入とうにゅう中日ちゅうにち反撃はんげきった。最後さいご東尾ひがしお大島おおしま空振からぶ三振さんしん仕留しとめゲームセット。西武せいぶ前身ぜんしん西鉄にしてつ時代じだいから24ねんぶり、本拠地ほんきょち移転いてんでははつ日本一にっぽんいちめた。

西武せいぶ同年どうねん前期ぜんきリーグせん1からプレーオフで後期こうき1日本にほんハムくだして日本にっぽんシリーズ出場しゅつじょうたしたが、年間ねんかん総合そうごう勝率しょうりつだい2(.540。年間ねんかん総合そうごう1日本にほんハムの.563)だったため、1975ねん優勝ゆうしょうした阪急はんきゅういで7ねんぶり、通算つうさん2かいの「リーグ年間ねんかん勝率しょうりつ2からの日本一にっぽんいち」ともなった。

公式こうしき記録きろく関係かんけい日本にっぽん野球やきゅう機構きこうページ)

表彰ひょうしょう選手せんしゅ[編集へんしゅう]

テレビ・ラジオ中継ちゅうけい[編集へんしゅう]

テレビ中継ちゅうけい[編集へんしゅう]

試合しあい開始かいしが13JST)だった関係かんけいじょう、『わらっていいとも!』は1250ふんまでの放送ほうそうだった。

だい7せんはCBCテレビにて中継ちゅうけいされる予定よていだった。

日本にほんテレビけい開局かいきょく以来いらいはじめて放映ほうえいけんのがした。昭和しょうわ日本にほんテレビけい放映ほうえいけん獲得かくとくのがしたのはこのとし1988ねん西武せいぶ-中日ちゅうにちの2れいのみである。平成へいせいは30ねんうち日本にほんテレビけい放映ほうえいけん獲得かくとくしたのは18かいうち3かい優勝ゆうしょう決定けっていにより開催かいさい放送ほうそうがなくなり、実際じっさい放送ほうそうされたのは半分はんぶんの15かいった。日本にほんテレビけい放映ほうえいけん獲得かくとくしたのはセ・リーグでは巨人きょじん阪神はんしん広島ひろしまの3球団きゅうだん、パ・リーグではソフトバンク(前身ぜんしんのダイエーもふくむ)近鉄きんてつのみであったのも放映ほうえいけん大幅おおはばげんになった要因よういんでもある。

このとし、セ・リーグは中日ちゅうにち最終さいしゅうまで優勝ゆうしょうあらそった巨人きょじん優勝ゆうしょうした場合ばあい日本にほんテレビが4試合しあい、パ・リーグは西武せいぶとプレーオフをあらそった日本にほんハムが優勝ゆうしょうした場合ばあいテレビ朝日てれびあさひが3試合しあい放送ほうそう予定よていだったが、りょうチームがとも優勝ゆうしょうできずりょうきょく放映ほうえいけんのがし、前年ぜんねん放映ほうえいけんがなかったTBSけいが4試合しあい(うちCBC制作せいさくが2試合しあい)、フジテレビけいが3試合しあい(うち東海とうかいテレビ制作せいさくが2試合しあい放映ほうえいけん獲得かくとくするという逆転ぎゃくてんげきとなった。

ラジオ中継ちゅうけい[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ より正確せいかくには、「一塁いちるいしゅけたのち塁審るいしんたったため、インプレー」になる。
  2. ^ 指名しめい打者だしゃは1975ねんからパ・リーグ公式こうしきせん使用しようされていたが、1984ねんまでは日本にっぽんシリーズではどちらの本拠地ほんきょちでも関係かんけいぜん試合しあい指名しめい打者だしゃ採用さいようされていなかった。その、1985ねんからは隔年かくねん使用しようとなり、1985ねんぜん試合しあい指名しめい打者だしゃ使用しようし、1986ねんぜん試合しあい指名しめい打者だしゃ使用しよう出来できなかった。1987ねんから2019ねんまではパ・リーグ本拠地ほんきょち開催かいさいでのみ使用しようとなった。2020ねんはどちらの本拠地ほんきょちでも関係かんけいしにぜん試合しあい指名しめい打者だしゃせいとなった。
  3. ^ 開催かいさいだっただい7せんにも登板とうばん予定よていだった。
  4. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』1982ねん10がつ29にち東京とうきょう朝刊ちょうかんだい14はん16ぺーじ「ナゴヤ・ファン自粛じしゅく中日ちゅうにち異例いれいびかけ」(読売新聞よみうりしんぶん東京とうきょう本社ほんしゃ
  5. ^ MVPサファテはつかい!スタンカ以来いらい53ねんぶり快挙かいきょ”. nikkansports.com. 日刊スポにっかんすぽツ新聞社つしんぶんしゃ (2017ねん11月5にち). 2018ねん3がつ16にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]