翼 軍
| |
1936 | |
1940 | |
| |
| |
| |
29,500 | |
なし | |
オーナー |
|
| |
|
球団 の歴史
[1936
セネター (Senator) とは
1940
1941
2013
チームの特徴
[六 大学 野球 のスター・苅田 久徳 や明大 のエース・野口 明 と有力 選手 が在籍 。1936年 の内野 陣 は「セネタース100万 ドルの内野 陣 」と評 された。1939年 には野口 明 の弟 ・野口 二郎 が入団 し、投手 力 が大 きく上 がった。
主 な歴代 の球団 歌
[- 1940
年 に「東京 セネタースの歌 」(作詞 :尾崎 喜八 、作曲 :小松 平五郎 )を発表 。球団 設立 の経緯 もあって「野球 の王者 」(東京 巨人軍 球団 歌 )や「大阪 タイガースの歌 」を意識 した歌詞 が入 ったアンサーソングになっている。
ユニフォームの変遷
[- セネタース
時代
復刻 版 をもとにすると、帽子 はブラックレターで「T」、ユニホームはグレー地 に赤 と紺 を組 み合 わせたラケットラインが入 り、左 胸 には赤 文字 で上段 「SENATORS」下段 「TOKIO(TOKYOではない)」の囲 みに野球 ボールを背景 とした黒 獅子 のイラストが入 る。ベルトとパンツのベルトループ部分 は共 に濃紺 で、着用 した際 の視覚 上 の一体化 が図 られている。ストッキングは紺地 に「白 ・赤 ・白 」の3本 ライン。
翼 時代
帽子 が青 でユニフォームが緑 であった。帽子 に翼 と書 いてあった。
球団 旗 の変遷
[- 1935-1939:
赤地 に左向 きの黒 獅子 、その下 に白 文字 で「東京 セネタース」。現在 と同 じような左 横書 きであった。
チーム成績 ・記録
[- Aクラス・3
回 (1937年 春 、1939年 -1940年 ) - Bクラス・3
回 (1937年 秋 -1938年 秋 ) 連続 Aクラス入 り最長 記録 ・2年 連続 (1939年 -1940年 )連続 Bクラス最長 記録 ・3季 連続 (1937年 秋 -1938年 秋 )最多 勝 56勝 (1940年 )最多 敗 39敗 (1940年 )最多 引 き分 け 10分 け(1940年 )最高 勝率 .589(1940年 )最低 勝率 .382(1938年 春 )
その他 の記録
[最小 ゲーム差 11ゲーム(1938年 秋 )最大 ゲーム差 18.5ゲーム(1937年 秋 )最多 本塁打 17本 (1940年 )最小 本塁打 2本 (1936年 秋 )最高 打率 .222(1938年 秋 )最低 打率 .185(1936年 秋 )最高 防御 率 2.00(1940年 )最低 防御 率 3.99(1938年 秋 )
歴代 本拠地
[上井草 球場 (1936年 -1940年 )
歴代 監督
[横沢 三郎 (1936年 -1937年 秋 )苅田 久徳 (1938年 春 -1940年 )
成績
[1936 |
* | 46 | 26 | 20 | 0 | .565 | * | 224 | 201 | 5 | 85 | .206 | 111 | 3.23 | |
1937 |
3 | 56 | 30 | 26 | 0 | .536 | 12 | 206 | 192 | 4 | 73 | .206 | 125 | 2.55 | |
1937 |
5 | 48 | 20 | 27 | 1 | .426 | 18.5 | 175 | 228 | 13 | 70 | .200 | 98 | 3.61 | |
1938 |
5 | 35 | 13 | 21 | 1 | .382 | 15.5 | 135 | 174 | 7 | 27 | .217 | 71 | 3.58 | |
1938 |
5 | 40 | 19 | 20 | 1 | .487 | 11 | 166 | 149 | 16 | 40 | .222 | 74 | 3.99 | |
1939 |
4 | 96 | 49 | 38 | 9 | .563 | 14.5 | 290 | 287 | 12 | 87 | .203 | 158 | 2.21 | |
1940 |
4 | 105 | 56 | 39 | 10 | .589 | 15.5 | 344 | 298 | 17 | 109 | .206 | 183 | 2.00 |
備考
[- この
球団 を後援 していた西武鉄道 は現在 の西武鉄道 とは法人 としては別 会社 であり、前述 の通 り現在 の西武新宿線 系統 を経営 していた。現在 の西武鉄道 は1945年 までは武蔵野 鉄道 と称 して西武 池袋 線 系統 を経営 し、西武鉄道 (旧 社 )とは競合 関係 にあった。武蔵野 鉄道 を1932年 以降 経営 していた堤 康次郎 が1943年 に西武鉄道 (旧 社 )の株式 を買 い集 めて傘下 に収 め、1945年 に食糧 増産 (堤 系 企業 )とともに武蔵野 鉄道 に合併 。この時 逆 に武蔵野 鉄道 が西武 農業 鉄道 と改称 。翌 1946年 に西武鉄道 に再 改称 した。従 って、西武鉄道 (旧 社 )は西武鉄道 の源流 企業 ではあるが、現在 の西武鉄道 が法人 として過去 に直接 プロ野球 に携 わっていたわけではない。 東京 セネタースのペットマークは前述 の通 り黒 獅子 であった。当時 、別途 ライオン軍 (のちの松竹 ロビンスに連 なる球団 )があり、ライオンを使用 していた球団 が二 球団 あったことになる。前述 の通 り、東京 セネタースの後身 球団 は1943年 2月 に西日本鉄道 に買収 され、西鉄 軍 に改称 したものの戦局 の悪化 により12月には解散 を余儀 なくされた。西日本 鉄道 は戦後 球団 の復帰 を試 みるが、一旦 解散 した球団 であったため日本 野球 連盟 に拒絶 される。つまり、東京 セネタースの歴史 は1943年 で途絶 えている。東京 セネタースのホーム球場 はその後 太平洋戦争 を受 けて近隣 住民 によって農地 に転用 された。東京 セネタースのオーナーであった堤 康次郎 は経営 失敗 に懲 りて今後 球団 経営 はしない意向 であった。
- なお、
後日 談 として西日本鉄道 は1950年 に新設 という形 で西鉄 クリッパースを結成 して、パシフィックリーグに加盟 した。この球団 は翌 1951年 にセントラルリーグに加盟 していた西日本 パイレーツを合併 して西鉄 ライオンズと改称 。ライオンをペットマークとした球団 が復活 した。さらにこの球団 が1978年 に堤 康次郎 の三男 である堤 義明 の国土 計画 に買収 され本拠地 を埼玉 県 所沢 市 に移転 。現在 の埼玉 西武 ライオンズとなったため、結果 的 に西武 (源流 企業 を含 む)と西鉄 の両方 が戦前 と戦後 で同 一 球団 に関係 する形 になった。丁度 、堤 康次郎 の失敗 体験 を後継 者 の堤 義明 が克服 した格好 となった。
脚注 ・出典
[- ^ a b
現在 は東京 都 杉並 区 - ^
日本 野球 聯盟 『日本 野球 競技 記録 』3ページ、博文 館 、1942年 9月 3日 発行 - ^ ライオンズ・クラシック2013 -
埼玉 西武 ライオンズ公式 サイト - ^ “ニックネームAtoZ”. リトモ・ベースボール・クラブ. 2013
年 9月 21日 閲覧 。 - ^
日本 野球 聯盟 『日本 野球 競技 記録 』17ページ、博文 館 、1942年 9月 3日 発行 - ^
講談社 刊 宇佐美 徹也 著 「日本 プロ野球 記録 大鑑 」1089ページ