オリックス・バファローズ (ファーム)
オリックス・バファローズ | |
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1949 | |
2024 | |
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なし | |
シリーズ | |
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リーグ | |
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オーナー |
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オリックス ※ サイバーファーム | |
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オリックス・バファローズ(ORIX Buffaloes)のファームは、
2000
概要
[1949
1952
2000
2003
2004
2009
2009
2008
2015
2019
本拠地
[2016
2020
2000-2009
過去 の本拠地 球場
- ブレーブス
時代 の1990年 まで使用 。当時 の一軍 本拠地 であった阪急 西宮 球場 の近 くにあった。
- あじさいスタジアム
北 神戸 神戸 総合 運動公園 サブ球場
チームの特徴
[- 「ファームとは
居 てはならない場所 」という方針 の下 で若手 の奮起 を促 しており、MLBに於 けるマイナーリーグのように待遇 面 でも一軍 との差別 化 が行 われている。本拠地 に近 い大阪 府 ・兵庫 県内 の球場 (阪神 鳴尾浜 球場 など)で試合 を予定 している場合 にも、選手 には球場 までの交通 費 を支給 するだけにとどめている。遠征 時 も新幹線 や空路 は極力 使用 せず、チーム専用 バスで長時間 掛 けて移動 している。 選手 寮 については、ブルーウェーブ時代 の1991年 に神戸 サブ球場 近辺 へ建 てられた室内 練習 場 付 きの(初代 )「青 濤館」を2016年 まで使用 。施設 の老朽 化 が進 んだことから、舞 洲 サブ球場 の左翼 場外 に4階 建 ての(第 2代 )「青 濤館」を建設 したうえで、2017年 から使用 している。初代 の「青 濤館」には、イチロー(鈴木 一朗 )がブルーウェーブ時代 の1992年 の入団 から、数 年間 にわたって406号 室 で生活 。球団 では、イチローが退 寮 してから第 2代 「青 濤館」へ移転 するまで、「鈴木 一朗 」のネームプレートを掲 げたまま406号 室 をあえて空 けていた。その一方 で、1995年 ・1996年 に一軍 がイチローを擁 してパシフィック・リーグで優勝 した後 には、玄関 前 の敷地 で2連覇 記念 の植樹 を実施 。イチロー自身 は、プレーの場 をMLBへ移 した2001年 以降 も、オフシーズンに初代 「青 濤館」の室内 練習 場 で自主 トレーニングを続 けてきた。しかし球団 は、舞 洲 への本拠地 移転 後 に、初代 「青 濤館」の建物 および敷地 の所有 権 を放棄 した[12](跡地 には分譲 マンションが建設 されている)。第 2代 「青 濤館」では、選手 用 の個室 を3・4階 に集約 させる一方 で、4階 の個室 の一部 (5室 )を他 の個室 の1.5倍 広 く設計 。一軍 のレギュラークラスの独身 選手 だけが使用 できるように定 めている。
- ユニフォームは、サーパス
時代 まで、1990年代 半 ば以降 の日本 プロ野球 界 では珍 しく、ボタンなしのプルオーバー式 であった。 - サーパスのユニフォームは、ファーム
落 ちの可能 性 が低 い選手 も含 め全員 分 を作 ったため(出典 :綱島 理 友 『プロ野球 ユニフォーム物語 』)、試合 では着用 しなかったが、イチローのユニフォームも存在 し、オリックス退団 ・マリナーズ移籍 時 に当時 の穴吹工務店 社長 ・穴吹 英隆 との記念 撮影 で着用 した。現在 は、実家 に隣接 して開設 されている記念 館 「イチロー展示 ルーム I-fain」にて展示 されている。また、中村 紀洋 や清原 和博 は試合 で着用 したことがある。 - サーパス
時代 、同 じく一軍 とは別 名義 の球団 だった湘南 シーレックス(現 :横浜 DeNAベイスターズ二 軍 )のグッズは販売 されていたものの、インボイス及 びグッドウィル(現 :埼玉 西武 ライオンズ二 軍 )とともに、サーパスのグッズ、レプリカ帽子 ・ユニフォーム等 は商標 の関係 上 、発売 されることは無 かった(帽子 は過去 にファームの年間 パス購入 特典 としてプレゼントされたことはあった。)。 - サーパス
専用 の球団 歌 として「明日 を見 せてやれ」(歌 :渡邊 正紀 、作詞 :岡 康 道 、作曲 :榊原 大 )という曲 が存在 していたが、チーム名 変更 で使用 されなくなり、CDも商標 ・権利 関係 上 発売 されておらず、過去 に球場 で配布 されたのみの非売品 であるため、現在 では入手 困難 の幻 の曲 となっている。
マスコット
[- サマー -
背番号 384。チーム名 の「サーパス」から。 - シルキー
- フェニックスがモチーフ。
二 軍 に落 ちた選手 に不死鳥 のごとく復活 してほしいという願 いが込 められている。2007年 4月 1日 に結婚 。名称 と「結婚 」の設定 は穴吹工務店 の創業 者 夫妻 の名前 (夏 次 、キヌヱ)に由来 する。 - チーム
名称 が一軍 と統一 された2009年 シーズン以降 登場 せず、2011年 以降 は球団 マスコット自体 が一新 され、一軍 と同 じバファローブル・バファローベルが就任 している。 - かつてのスポンサーが
穴吹工務店 であることから、bjリーグ・高松 ファイブアローズ(当時 )のマスコットを兼任 していたが、同社 の倒産 により2009-2010シーズンからは登場 していない。
歴代 監督
[- 1963
年 - 1971年 :片岡 博国 - 1972
年 - 1973年 :中田 昌宏 (第 1次 ) - 1974
年 - 1980年 :西村 正夫 - 1981
年 - 1988年 :中田 昌宏 (第 2次 ) - 1989
年 :住友 平 (第 1次 ) - 1990
年 - 1991年 :福本 豊 - 1992
年 - 1997年 :根来 広光 - 1998
年 - 1999年 :弓岡 敬 二郎 (第 1次 ) - 2000
年 - 2001年 :新井 宏昌 (第 1次 ) - 2002
年 :中尾 孝義 - 2003
年 :中沢 伸二 - 2003
年 - 2005年 :加藤 英司 - 2006
年 :大石 大二郎 - 2007
年 - 2008年 :住友 平 (第 2次 ) - 2008
年 - 2009年 :古屋 英夫 - 2010
年 - 2012年 :新井 宏昌 (第 2次 ) - 2013
年 :弓岡 敬 二郎 (第 2次 ) - 2014
年 - 2015年 :岡本 哲司 - 2016
年 - 2018年 :田口 壮 - 2019
年 - 2020年 :中嶋 聡 ※1 - 2020
年 - :小林 宏
- ※1 2020
年 8月 21日 付 けで二 軍 監督 から一軍 監督 代行 へ配置 転換 。シーズン終了 後 正式 に一軍 監督 に就任 。
脚注
[- ^ “
鹿児島 NPOがオリックス2軍 誘致 プラン”.日刊 スポーツ. (2009年 6月 10日 ) 2019年 2月 10日 閲覧 。 - ^ 「プロ
野球 ・オリックス2軍 を鹿児島 誘致 」 NPO設立 へ -南 日本 新聞 2011年 4月 20日 [リンク切 れ] - ^ ゆくさBs
鹿児島 誘致 会 -内閣 府 NPO法人 ポータルサイト - ^ オリックス、
活動 拠点 移転 神戸 から大阪 ・舞 洲 へ -中日 新聞 2015年 12月7日 [リンク切 れ] - ^ “
神戸 から撤退 !?オリックス側 が大阪 ・舞 洲 球場 を落札 …オリ2軍 の拠点 に”.産経新聞 . (2015年 12月7日 ) 2019年 2月 10日 閲覧 。 - ^ a b
大阪 市 舞 洲 地区 への練習 拠点 移転 計画 のお知 らせ オリックス・バファローズプレスリリース 2015年 12月7日 付 - ^ a b オリックス
大阪 舞 洲 の移転 発表 、2軍 公式 戦 も舞 洲 で日刊 スポーツ2015年 12月7日 (2015年 12月7日 閲覧 ) - ^ オリックス
球団 、神戸 から完全 撤退 練習 拠点 を大阪 に -朝日新聞 [リンク切 れ] - ^ オリックス
神戸 から大阪 に練習 拠点 を移転 へ -神戸 新聞 [リンク切 れ] - ^ “オリックス21
年 にも3軍制 へ来季 から育成 試合 増 ”.日刊 スポーツ. (2019年 11月28日 ) 2022年 10月 29日 閲覧 。 - ^ “
契約 更改 情報 ”. オリックス・バファローズ. (2022年 12月6日 ) 2022年 12月8日 閲覧 。 - ^ “
舞 洲 スポーツ振興 事業 (舞 洲 プロジェクト)を実施 します”. イチローの名札 残 る…オリックス旧 選手 寮 取 り壊 しへ. (2018年 3月 12日 ) 2018年 3月 12日 閲覧 。