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料理りょうり物語ものがたり

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料理りょうり物語ものがたり(りょうりものがたり)は、江戸えど時代じだい料理りょうりしょ儀式ぎしき料理りょうりレシピ作法さほう中心ちゅうしんだった16世紀せいき以前いぜん料理りょうりしょおおきくことなり、表現ひょうげん簡潔かんけつ文章ぶんしょう格調かくちょうたかく、料理りょうり網羅もうら範囲はんいひろ[1]江戸えど時代じだい代表だいひょうてき料理りょうりしょのひとつとされる[2]

歴史れきし

物語ものがたりとして伝聞でんぶんされてきた料理りょうりほうなどをまとめ、寛永かんえい20ねん1643ねん)に刊行かんこうされたものが底本ていほんとされる。後書あとがきには『武蔵むさしこく狭山さやまいてく』との記述きじゅつがあるが、上方かみがた言葉ことば使つかわれており著者ちょしゃ詳細しょうさい不明ふめい[2]大阪おおさか出身しゅっしん京都きょうと商人しょうにんいた[3]著名ちょめい料理人りょうりにん後進こうしんのためにいた[2]などと推定すいていされている。

また寛永かんえい13ねん2がつ5にち1636ねん3月12にち)の日付ひづけのこ手書てがきのはんもあり、これが刊本かんぽん原型げんけいになり、狭山さやま原稿げんこう整理せいり完成かんせいさせたともかんがえられる[3]。このほか、『ざつげい叢書そうしょ』などで慶長けいちょうはん存在そんざいれられているが、その所在しょざい確認かくにんされていない[1]寛永かんえい20ねん出版しゅっぱん幅広はばひろまれ、寛文ひろふみ4ねん1663ねん)までに7しゅことばんている。

構成こうせい

構成こうせい以下いかとおり、食材しょくざい調理ちょうりほうごとにぜん20しょうから構成こうせいされる。みぎかくしょう登場とうじょうする食品しょくひん料理りょうり種類しゅるい付記ふきする[2]

  • だい1しょううみさかな:71しゅ
  • だい2しょう磯草いそくさ:25しゅ
  • だい3しょうかわいを(かわぎょ):19しゅ
  • だい4しょうとり:18しゅ
  • だい5しょうしし:7しゅ
  • だい6しょうきのこ:12しゅ
  • だい7しょう青物あおもの野菜やさい):76しゅ
  • だい8しょう:なまだれだし(調味ちょうみりょう):14しゅ
  • だい9しょうしる汁物しるもの):46しゅ
  • だい10しょうなます:18しゅ
  • だい11しょうゆび刺身さしみ):27しゅ
  • だい12しょう煮物にもの:35しゅ
  • だい13しょう焼物やきもの:11しゅ
  • だい14しょう吸物すいもの:6しゅ
  • だい15しょう料理りょうりしゅ:9しゅ
  • だい16しょうさかな:27しゅ
  • だい17しょう後段こうだん
  • だい18しょう菓子かし:13しゅ
  • だい19しょうちゃ:3しゅ
  • だい20しょうまんきがき

脚注きゃくちゅう

  1. ^ a b 松下まつした、P.181、1982ねん
  2. ^ a b c d 三雪みゆき、P.82、1985ねん
  3. ^ a b 松下まつした、P.182、1982ねん

参考さんこう文献ぶんけん

  • 三雲みくも泰子やすこ江戸えど料理りょうりほん香辛こうしん食品しょくひん利用りよう調査ちょうさ研究けんきゅう:その1.『料理りょうり物語ものがたり』について」『紀要きよう山脇学園短期大学やまわきがくえんたんきだいがく、23かん、P.81-97、1985ねん
  • 松下まつした幸子さちこ古典こてん料理りょうり研究けんきゅうはち):寛永かんえいじゅうさんねん料理りょうり物語ものがたり」について」『千葉大学ちばだいがく教育きょういく学部がくぶ研究けんきゅう紀要きよう だい2千葉大学ちばだいがく、31かん、P.181-224、1982ねん