(Translated by https://www.hiragana.jp/)
つばめ (プッチーニ) - Wikipedia コンテンツにスキップ

つばめ (プッチーニ)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
1917ねんボローニャでのイタリア初演しょえんのポスター

つばめイタリア: La Rondine)は、ジャコモ・プッチーニ作曲さっきょくした3まくオペライタリアリブレットジュゼッペ・アダーミによる。

作品さくひん[編集へんしゅう]

ウィーン上演じょうえんするためのオペレッタ依頼いらい作曲さっきょくがはじまった作品さくひんで、最終さいしゅうてきにはぜんさんまくのオペラ("抒情じょじょう喜劇きげき" Commedia Lirica)として完成かんせいすることになった[1]。プッチーニ自身じしんは「『ばらの騎士きし』のような、あれよりもっと面白おもしろくもっと有機ゆうきてきなもの」と表現ひょうげんしている[2][5]作品さくひんではだい帝政ていせい時代じだいのパリを雰囲気ふんいきゆたかにえがすためゆっくりしたワルツのリズムが多用たようされており、音楽おんがくうつくしい抒情じょじょうにみちているが随所ずいしょには斬新ざんしん和音わおんがみられる[1][4]だい1まくでマグダがうたう「だれがドレッタのうつくしいゆめを」がられているのをべつにすると、プッチーニの作品さくひんのなかでは上演じょうえん機会きかいすくない部類ぶるいぞくするものの[3]現在げんざいではその価値かち見直みなおされつつある[6]

ジュリアン・バッデン英語えいごばんは、「はじめのまくは、プッチーニの円熟えんじゅくしたオペラ作品さくひんのどれにもけをらない地位ちいめることができ」、旋律せんりつ着想ちゃくそうゆたかさがあらたな生命せいめいりょく花開はなひらいたようにえるが、「だいさんまくはどのはん物足ものたりない」とひょうしている[7]南條なんじょうみのるあきらは「ひじょうにコミカルな要素ようそと、このうえもなく感傷かんしょうてき要素ようそとがミックスされて」いるてんでは成功せいこうしているが、その"混合こんごうせい"ゆえに作品さくひんがポピュラーになるのがさまたげられているとする[3]

作曲さっきょく経過けいか[編集へんしゅう]

1913ねんに「西部せいぶむすめ」の上演じょうえんのためウィーンをおとずれたプッチーニはカール劇場げきじょう英語えいごばんから作曲さっきょく依頼いらい打診だしんされるが、10きょく程度ていどのナンバーを台詞せりふでつなぐオペレッタの形式けいしきにあまり興味きょうみしめさなかった。しかし、「西部せいぶむすめ」につづくオペラの題材だいざいさがしがプッチーニのつねとして難航なんこうし、さらにプッチーニの作品さくひんいちあつかっていたリコルディしゃ経営けいえいしゃジューリオ・リコルディ英語えいごばんによって息子むすこのティートに交替こうたいし、プッチーニと軋轢あつれきしょうじていたことから、ウィーンからの依頼いらいけるかんがえが芽生めばえた[8]当初とうしょはカール劇場げきじょうから提供ていきょうされたヴィルナー(Alfred Maria Willner)とライヒェルト(Heinz Reichert)による台本だいほんをアダーミがイタリアやくし、1914ねんなつから作業さぎょうすすめられたが、リブレットはアダーミによってつうさく形式けいしきのオペラに仕立したてなおされることになった。

完成かんせいちかづいていた1915ねん5月にイタリアだいいち世界せかい大戦たいせん参戦さんせんし、敵国てきこくとなったオーストリアでの初演しょえん困難こんなん情勢じょうせいとなったため、初演しょえん1917ねん3月27にちモナコモンテカルロ歌劇かげきじょうでおこなわれることになった[9]。イタリア初演しょえん同年どうねん6月5にちボローニャでおこなわれている。上演じょうえんりしきったのは、出版しゅっぱん難色なんしょくしめしたリコルディしゃわりに権利けんり取得しゅとくしたソンゾーニョしゃで、ほんさくはプッチーニのオペラのなかで唯一ゆいいつリコルディしゃ以外いがいから出版しゅっぱんされた作品さくひんとなった。

初演しょえん成功せいこうおさめたが、イタリアで公演こうえんはじまると評論ひょうろんからの不評ふひょうこうむることになる。1919ねんにかけてプッチーニは作品さくひん改訂かいていし、1920ねん10月9にちフォルクスオーパーでおこなわれたウィーン初演しょえんではこのだい稿こう使つかわれている。しかし満足まんぞくしなかったプッチーニはそのとしにふたたび改訂かいていをおこなったが、このだいさん稿こう生前せいぜん上演じょうえんされず、だい世界せかい大戦たいせん爆撃ばくげきによってヴォーカルスコア以外いがいうしなわれることになった[10]現在げんざい上演じょうえんでは基本きほんてき初演しょえん稿こうをもちいる。

配役はいやく[編集へんしゅう]

しんグローヴオペラ事典じてん[1]と『オペラ名曲めいきょく百科ひゃっか[11]参照さんしょうした。

人物じんぶつめい 原名げんめい 声域せいいき 説明せつめい
マグダ・ド・シヴリィ Magda de Civry ソプラノ
ルッジェーロ・ラストゥク Ruggero Lastouc テノール
リゼッテ Lisette ソプラノ マグダの小間使こまづか
プルニエ Prunier テノール
ランバルド・フェルナンデス Rambaldo Fernandez バリトン マグダのパトロン
イヴェット Ivette ソプラノ マグダの友人ゆうじん
ビアンカ Bianca ソプラノ マグダの友人ゆうじん
スージー Suzy メゾソプラノ マグダの友人ゆうじん
ペリショー Périchaud バリトン/バス 招待客しょうたいきゃく
ゴバン Gobin テノール 招待客しょうたいきゃく
クレビヨン Crébillon バリトン/バス 招待客しょうたいきゃく
給仕きゅうじあたま Un maggiordomo バス
歌手かしゅ Un cantore ソプラノ
  • 合唱がっしょう有閑ゆうかん階級かいきゅうひとたち、学生がくせいたち、画家がかたち、着飾きかざった紳士しんし淑女しゅくじょたち、グリゼット英語えいごばんたち、はなりたち、おどたち、給仕きゅうじたち

物語ものがたり[編集へんしゅう]

しんグローヴオペラ事典じてん[1]と『作曲さっきょくにん作品さくひん プッチーニ』[3]参照さんしょうした。

だい1まく[編集へんしゅう]

パリ、マグダのいえのサロン。裕福ゆうふく銀行ぎんこうランバルドの愛人あいじんとしてらしているマグダのいえ友人ゆうじんたちがあつまり、詩人しじんのプルニエがこいについてはなしている。かれはピアノをきはじめ、自作じさくのヒロイン、かねではなくあいえらんだドレッタについてうたうが、途中とちゅうまったところでマグダがそれをぎ、学生がくせいこいしたドレッタにたくして自分じぶんあいへのあこがれをうたう(「だれがドレッタのうつくしいゆめを」Chi il bel sogno di Doretta potè indovinar?)。ランバルドは彼女かのじょ真珠しんじゅ首飾くびかざりをおくる。

マグダはおんな友達ともだちたちに、かつてブリエのみせこいちた経験けいけんはなしてみせる(「あまきよらかなひとときだった」Ore dolci e divine - 「おじょうさん、こい花開はなひらいた」Fanciulla è sbocciato l'amore!)。ランバルドが友人ゆうじん息子むすこであるルッジェーロをれてはいってくるが、それと並行へいこうしてマグダの手相てそうていたプルニエは、彼女かのじょがいつか「つばめのようにうみわたって、こいをする」と予言よげんする。ルッジェーロがパリのよるごすにはどこがいいかという質問しつもんにさまざまな提案ていあんかえってくるが、マグダの小間使こまづかいのリゼッテはブリエのみせがいいとい、一同いちどうはそれに賛同さんどうする。

きゃくたちがかえったあと、マグダは着替きがえのため部屋へやはいっていく。プルニエがもどってきて恋人こいびとであるリゼッテとじゃれ、リゼッテはマグダの帽子ぼうし拝借はいしゃくしてプルニエとかけていく。グリゼット英語えいごばんなりをまとったマグダが登場とうじょうし、ブリエのみせでのこいおもいをはせながら出発しゅっぱつする。

だい2まく[編集へんしゅう]

ブリエのみせ人々ひとびとにぎわみせへマグダがあらわれ、こえをかけてくる学生がくせいたちをあしらいながら、一人ひとりでいたルッジェーロのテーブルにすわ名乗なのらないままにはなしかける。二人ふたり会話かいわするうちに距離きょりちぢまり、ルッジェーロはマグダをおどりにさそう。ワルツが展開てんかいしていき、その途中とちゅうにリゼットとプルニエがあらわれる。おどわったルッジェーロとマグダはあい確信かくしんし、マグダは「パウレッテ」Paulette名乗なのる。リゼットはマグダにづいておどろくが、プルニエは人違ひとちがいだとってかせる。ルッジェーロがマグダへのあいうたいだし、ほかの登場とうじょう人物じんぶつ合唱がっしょうくわわりコンチェルタートとなる(「あなたのさわやかな微笑ほほえみに乾杯かんぱいBevo al tuo fresco sorriso)。

突然とつぜんランバルドがみせあらわれる。ランバルドが事情じじょう説明せつめいするようもとめるとマグダは、あたらしいこいをしてしまいもうともにはいられないとげ、ランバルドはきさがる。プルニエの指示しじでいちどせきはずしていたルッジェーロがもどってきて、マグダとともにみせていく。

だい3まく[編集へんしゅう]

海岸かいがんいえ。ルッジェーロとマグダは二人ふたり幸福こうふくごしているが、母親ははおやかね無心むしん結婚けっこん承認しょうにんもとめる手紙てがみいたとルッジェーロがはなし、マグダは未来みらいおもって不安ふあんにかられる。歌手かしゅになるゆめかなえられなかったリゼットがプルニエと口論こうろんしながら登場とうじょうする。ふたたび小間使こまづかいとしてやとってほしいというリゼットのたのみをマグダが快諾かいだくすると、ランバルドは彼女かのじょのことをっているとつたえてプルニエたちは退場たいじょうする。

結婚けっこんみとめられたとよろこぶルッジェーロがあらわれ、かれ母親ははおやからの手紙てがみをマグダはみあげる。息子むすこ貞淑ていしゅくつまつけてうれしいとつたえる文章ぶんしょうんで絶望ぜつぼうしたマグダは自分じぶん過去かこ告白こくはくし、かれつまになるのにふさわしくないとげて、すがるルッジェーロのもとからっていく。

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d Budden, Julian「つばめ」スタンリー・セイディへん日本語にほんごばん監修かんしゅう中矢なかや一義かずよし土田つちた英三郎えいざぶろうしんグローヴオペラ事典じてん白水しろみずしゃ、2006ねん、pp.424-426
  2. ^ ジュリアン・バッデン(大平おおひら光雄みつお やく)『ジャコモ・プッチーニ 生涯しょうがい作品さくひん春秋しゅんじゅうしゃ、2007ねん、p.479
  3. ^ a b c d 南條なんじょうみのるあきら作曲さっきょくにん作品さくひん プッチーニ』音楽之友社おんがくのともしゃ、2004ねん。pp.199-201
  4. ^ a b 藤本ふじもと一子かずこ「『つばめ』より」『作曲さっきょくべつ名曲めいきょく解説かいせつライブラリー24 ヴェルディ/プッチーニ』音楽之友社おんがくのともしゃ、1998ねん、pp.285-286
  5. ^ 筋立すじだてそのものには「椿つばきひめ」や「ラ・ボエーム」、「こうもり」との類似るいじ指摘してきされる[3][4]
  6. ^ 作曲さっきょくにん作品さくひん プッチーニ』p.139
  7. ^ 『ジャコモ・プッチーニ 生涯しょうがい作品さくひん』pp.499-500
  8. ^ 作曲さっきょくにん作品さくひん プッチーニ』pp.127-135
  9. ^ 作曲さっきょくにん作品さくひん プッチーニ』pp.137-138
  10. ^ 『ジャコモ・プッチーニ 生涯しょうがい作品さくひん』pp.477-479
  11. ^ えいちく由幸よしゆき 『オペラ名曲めいきょく百科ひゃっか じょう音楽之友社おんがくのともしゃ、1989ねん増補ぞうほばん、pp.326-327

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]