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やくざとこうそう

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やくざとこうそう』(やくざとこうそう)は、安藤あんどうのぼる小説しょうせつ。またそれを原作げんさくとする日本にっぽん映画えいが

小説しょうせつ[編集へんしゅう]

安藤あんどうのぼるによるヤクザ組織そしき安藤あんどうぐみ誕生たんじょうするまでのいきさつを安藤あんどう自身じしん歴史れきしてき自伝じでんてきえがいた作品さくひん[1]。『週刊しゅうかんアサヒ芸能げいのう』で連載れんさいされ、単行本たんこうぼん順次じゅんじ徳間書店とくましょてんから刊行かんこうされた。

  • やくざとこうそう 安藤あんどうのぼる極道ごくどういちだい かつえおおかみへん徳間書店とくましょてん 1972ねん
  • やくざとこうそう 安藤あんどうのぼる極道ごくどういちだい 疾風しっぷうへん徳間書店とくましょてん 1972ねん
  • やくざとこうそう 安藤あんどうのぼる極道ごくどういちだい 完結かんけつへん徳間書店とくましょてん 1972ねん
  • 文庫ぶんこばん
    • やくざと抗争こうそう じょう徳間とくま文庫ぶんこ 1993ねん
    • やくざと抗争こうそう 徳間とくま文庫ぶんこ 1993ねん

映画えいが[編集へんしゅう]

やくざとこうそう
監督かんとく 佐藤さとうじゅんわたる
脚本きゃくほん 石松いしまつあいひろし
佐藤さとうじゅんわたる
原作げんさく 安藤あんどうのぼる
出演しゅつえんしゃ 安藤あんどうのぼる
菅原すがわら文太ぶんた
渡瀬わたせ恒彦つねひこ
音楽おんがく 日暮ひぐらし雅信まさのぶ
撮影さつえい 稲田いなだ喜一きいち
編集へんしゅう 田中たなかおさむ
製作せいさく会社かいしゃ 東映とうえい東京とうきょう撮影さつえいしょ
配給はいきゅう 東映とうえい
公開こうかい 日本の旗 1972ねん9月29にち
上映じょうえい時間じかん 93ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
つぎさく やくざとこうそう 実録じつろく安藤あんどうぐみ
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やくざとこうそう』(やくざとこうそう)は、上記じょうき小説しょうせつ原作げんさくとして1972ねん9がつ29にち公開こうかいされた日本にっぽん映画えいが監督かんとく佐藤さとうじゅんわたる配給はいきゅう東映とうえい

カラーフィルム93ふん画面がめんアスペクトは2.35:1(シネマスコープ)。封切ふうき同時どうじ上映じょうえい作品さくひんは『恐怖きょうふ女子じょし高校こうこう おんな暴力ぼうりょく教室きょうしつ』(監督かんとく鈴木すずきのりぶん主演しゅえん杉本すぎもと美樹みき)。

原作げんさく前半ぜんはんにあたる、昭和しょうわ初期しょきのヤクザおよび愚連隊ぐれんたいこうそうと、それを利用りようして私腹しふくやそうとする政財界せいざいかいえがいた部分ぶぶん映画えいが原作げんさくしゃ安藤あんどう自身じしん主演しゅえんをつとめ、実在じつざい人物じんぶつをモデルにした愚連隊ぐれんたいのリーダーをえんじた。

ストーリー[編集へんしゅう]

昭和しょうわはじめ。東京とうきょう新宿しんじゅく界隈かいわい愚連隊ぐれんたいひきいている通称つうしょうばくだんマッチ」はある赤色あかいろギャング拳銃けんじゅうりつけた容疑ようぎ逮捕たいほされ、特高警察とっこうけいさつ連行れんこうされて、はげしい拷問ごうもんける。拳銃けんじゅう不良ふりょう学生がくせいからうばり、たまたま居合いあわせた中年ちゅうねん男性だんせいりつけたものだったが、赤色あかいろギャングにはおぼえがなかった。留置とめおきしょでは、弾圧だんあつのために収監しゅうかんされた共産きょうさん主義しゅぎしゃ医師いし白木しらきが、拷問ごうもんきずついたマッチを看病かんびょうした。

釈放しゃくほうされたマッチは、った遊女ゆうじょのおさかえ身請みうけするため、自分じぶんたちで賭場とば開帳かいちょうすることをおもいつく。しかし新宿しんじゅく博徒ばくと大木戸おおきどぐみ」の縄張なわばりであり、マッチは縄張なわばらしの代償だいしょうとして、大木戸おおきどぐみだいかし梅津うめづによって瀕死ひんしだい怪我けがわされた。マッチをすくったのは白木しらき運営うんえいする診療しんりょうしょだった。マッチのあんじたおさかえ遊郭ゆうかくした。

マッチはきずえたが、右腕うわん自由じゆうかなくなり、かおおおきな傷跡きずあとのこすことになった。復讐ふくしゅうのため梅津うめづ出所しゅっしょいわいをおそうが、大木戸おおきどぐみ組員くみいんたちにかえちにう。梅津うめづはマッチの執念しゅうねん感心かんしんし、「おれうでかおれ」とげる。感動かんどうしたマッチはドスすてて、梅津うめづ義兄弟ぎきょうだいちぎわし、大木戸おおきどぐみ一員いちいんとなる。

ある大木戸おおきどぐみに、会計士かいけいし高山たかやまあらわれる。マッチは高山こうざんかおて、かつて拳銃けんじゅうりつけた相手あいてであることをおもし、つかみかかる。高山こうざんはこともなげに、「左傾さけい分子ぶんし検挙けんきょのためだ。きみは手柄てがら一役ひとやくったのだ」とげた。高山こうざん過激かげきのスパイとして、わか活動かつどう犯罪はんざい行為こういによる資金しきん調達ちょうたつをそそのかし、当局とうきょくによる検挙けんきょ口実こうじつあたえる活動かつどうをしていたのだった。高山こうざんのもうひとつのかお国粋こくすい主義しゅぎ政治せいじ活動かつどうで、ヤクザ組織そしき政治せいじ団体だんたい衣替ころもがえさせる活動かつどう支援しえんおこなっていた。

1932ねん昭和しょうわ7ねん)2がつだい18かい衆院しゅういんせん告示こくじされた。大木戸おおきどぐみまんしゅうにパイプを衆院しゅういん議員ぎいん柏原かしわばら利権りけんむため、柏原かしわばら支持しじする政治せいじ団体だんたい亜細亜あじあ雄飛ゆうひかい」をつくり、おな選挙せんきょはつ出馬しゅつばした白木しらき選挙せんきょ活動かつどう妨害ぼうがいしはじめる。恩人おんじんおん裏切うらぎ行為こうい我慢がまんならなくなったマッチは、組員くみいんたちをなぐばし、乱闘らんとうさわぎをこす。めにはいったおさかえ組員くみいんつかり、遊郭ゆうかくもどされそうになる。おさかえ自分じぶんしたって絶命ぜつめいする。

選挙せんきょ白木しらき当選とうせんし、柏原かしわばら落選らくせんした。組長くみちょうだい木戸きどは、柏原かしわばら当選とうせんさせるため、梅津うめづ白木しらき暗殺あんさつめいじる。組織そしきおきて良心りょうしん板挟いたばさみになった梅津うめづは、白木しらきをドスでしたあと、自分じぶんして絶命ぜつめいする。

大木戸おおきどぐみ梅津うめづ葬儀そうぎひらいた。高山たかやま来賓らいひんとして参列さんれつし、「きみは売国奴ばいこくどちがえ、帝国ていこくすくった……」と弔辞ちょうじげる。そこへドスをったマッチがあらわれ、高山たかやま大木戸おおきどころし、みずからも組員くみいんたちに滅多めったしにされた。

出演しゅつえんしゃ[編集へんしゅう]

スタッフ[編集へんしゅう]

製作せいさく[編集へんしゅう]

東映とうえい社長しゃちょう岡田おかだしげるは、1972ねんはる看板かんばんスター・ふじ純子じゅんこ引退いんたいしたことにともない、任侠にんきょう映画えいが人気にんきにかげりがえたことから、路線ろせん転換てんかんなやんでいた。岡田おかだ暗中模索あんちゅうもさくなかでひらめいたのが、実在じつざいヤクザの人生じんせい組織そしき沿革えんかく歴史れきしてきえがく「実録じつろく路線ろせん」「実録じつろくシリーズ」であった[5][6][7][8][9]おりしも、安藤あんどうぐみひきいたのちに更生こうせいし、俳優はいゆう転向てんこうした安藤あんどうのぼるが、実録じつろく小説しょうせつ連載れんさいちゅうであったことから、これを原作げんさくとして映画えいがすこととなった。

当初とうしょほんさく原作げんさく完結かんけつっての公開こうかい見込みこまれ、撮影さつえいしばらくはストック作品さくひんになっていた[5][6]映画えいが公開こうかい時点じてん安藤あんどう連載れんさい小説しょうせつ完結かんけつしておらず、依然いぜん週刊しゅうかんアサヒ芸能げいのう』では『極道ごくどういちだい やくざとこうそう』が連載れんさいちゅうであった[10]

公開こうかいされると、予期よきせぬヒットを記録きろく[5][6][11]。それをけ、岡田おかだは「実録じつろく路線ろせん」に手応てごたえをかんじ、以降いこう東映とうえい実録じつろくものの任侠にんきょう映画えいが量産りょうさんすることになる[7][12][13]しん基軸きじく実録じつろく任侠にんきょう路線ろせん」の本格ほんかく導入どうにゅうだい1だんとして公開こうかいされたのが、『仁義じんぎなきたたか』である[5][6]

岡田おかだはただちにほんさく続編ぞくへん製作せいさくめいじ、翌年よくねん、「実録じつろく路線ろせんだい2だんとして、『やくざとこうそう 実録じつろく安藤あんどうぐみ』が公開こうかいされ、ほんさく同様どうようにヒットした[14]

エピソード[編集へんしゅう]

予告編よこくへんのBGMには、ほんさくのトラック以外いがいに、『日本にっぽん暴力団ぼうりょくだん 組長くみちょう』の一部いちぶ流用りゅうようされている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 「グラビア」『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1972ねん昭和しょうわ47ねん)10がつ上旬じょうじゅんあき特別とくべつごうキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ 
  2. ^ キネマ旬報きねまじゅんぽう映画えいがデータベースでは役名やくめいを「高橋たかはし」としているがあやまり。
  3. ^ キネマ旬報きねまじゅんぽう映画えいがデータベースでは演者えんじゃ山岡やまおか徹也てつやとしているがあやまり。
  4. ^ キネマ旬報きねまじゅんぽう映画えいがデータベースでは役柄やくがらを「活動かつどう弁士べんし」としているがあやまり。
  5. ^ a b c d 岡田おかだしげる映画えいがかいのドン 岡田おかだしげる活動かつどう人生じんせい文化ぶんか通信つうしんしゃ、2012ねん、35-36ぺーじISBN 978-4636885194 
  6. ^ a b c d 斉藤さいとう守彦もりひこ映画えいがるための教科書きょうかしょ 1912~1979』よういずみしゃ、2016ねん、184-186ぺーじISBN 978-4-8003-0698-2 
  7. ^ a b 岡田おかだしげるいなきわが映画えいが人生じんせい 東映とうえいと、ともあゆんだ50ねん財界ざいかい研究所けんきゅうじょ、2001ねん6がつ、178-179ぺーじISBN 4-87932-016-1 
  8. ^ 黒沢くろさわ, きよし四方田よもだ, いぬ吉見よしみ, 俊哉としや ほか へん内藤ないとうまこと日本にっぽん映画えいがとやくざ、あるいは『不良ふりょうせい感度かんど時代じだい』 3.実録じつろく路線ろせん映画えいが登場とうじょうとその解体かいたい」」『日本にっぽん映画えいがきている だいよんかん スクリーンのなかの他者たしゃ岩波書店いわなみしょてん、2010ねん、276-281ぺーじISBN 978-4-00-028394-6 
  9. ^ 渡辺わたなべ武信たけのぶ「ノスタルジーにささえられたバイオレンス」『キネマ旬報きねまじゅんぽう臨時りんじ増刊ぞうかん 映画えいが監督かんとく深作ふかさく欣二きんじ軌跡きせきキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、147,152ぺーじ 
  10. ^ 日本にっぽん映画えいが紹介しょうかい」『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1972ねん昭和しょうわ47ねん)11がつ上旬じょうじゅんごう 149ぺーじキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ 
  11. ^ 映画えいが・トピック・ジャーナル」『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1972ねん昭和しょうわ47ねん)12がつ上旬じょうじゅんごう 143ぺーじキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ 
  12. ^ 関根せきね忠郎ただお山根やまね貞男さだお山田やまだ宏一こういち『惹句じゅつじゃっくじゅつ映画えいがのこころ』講談社こうだんしゃ、1986ねん、170-187ぺーじISBN 978-4948735286 
  13. ^ 斯波しばつかさ青山あおやまさかえ『やくざ映画えいがとその時代じだい筑摩書房ちくましょぼう、1998ねん、98-99ぺーじISBN 4-480-05750-1 
  14. ^ 興行こうぎょう価値かち日本にっぽん映画えいが東映とうえい実録じつろく路線ろせん 後編こうへん』」『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1973ねん昭和しょうわ48ねん)5がつ上旬じょうじゅんごう 144ぺーじキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]