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アイゼン

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
プラスチックブーツに装着そうちゃくした12ほんつめワンタッチアイゼン

アイゼン (eisen) は、こおりこおりしたゆきうえあるさいすべとしてくつそこ装着そうちゃくする、金属きんぞくせいつめいた登山とざん用具ようぐである[1]

由来ゆらい呼称こしょう

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ドイツのシュタイクアイゼン (どく: Steigeisen ) に由来ゆらいする[1][2]。「(動詞どうしのぼる=steigen」と「てつ=eisen」からかたりであり、たんに「アイゼン」でこの道具どうぐすのは和製わせいである。日本にっぽんではに、英語えいごフランス語ふらんすごによるクランポン (えい: Crampons ) という呼称こしょう使つかわれる[1][2]クリートCleat (shoe))または、アイスクリート(Ice cleat)ともばれる。ロシアでは「コーシカ」とばれているらしく、これはネコという[2]

解説かいせつ

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アイゼンはおもに、「ツァッケ」 (どく: Zacke ) とばれるつめいた金属きんぞくと、くつ固定こていするための部分ぶぶん構成こうせいされる。

金属きんぞくおもはがねせいであるが、低温ていおん環境かんきょうでもぜいせい破壊はかいしにくいようにニッケルこうなどを採用さいようしたものや、アルミニウムせいのフレームに特殊とくしゅこうせいつめけたもの、軽量けいりょう耐久たいきゅうせい両立りょうりつはかったチタン合金ごうきんせいのものもある。つめかずは4ほんから12ほんまで様々さまざま製品せいひんがあり、つめかずおおいものほどくつそこひろ範囲はんいつめ配置はいちされ、すべめとしての能力のうりょくたかい。一方いっぽうつめながく、かずおおくなるほどおもくなるうえつめしにより氷雪ひょうせつめん以外いがい地面じめんではあるきにくくなる。つめかずが6ほん程度ていどまでのものは「けいアイゼン」 (えい: light crampon ) ともばれ、くつそこ中央ちゅうおう付近ふきんけられる場合ばあいおおい。つめおお製品せいひんでは金属きんぞく部分ぶぶん前後ぜんご分割ぶんかつされ、樹脂じゅしなどの弾力だんりょくせいたかべつ部材ぶざい連結れんけつされているものもある。

くつ固定こていする部分ぶぶんは、樹脂じゅしせい化学かがく繊維せんいせいストラップ(バンド)でくくりつける方式ほうしきと、金具かなぐ利用りようして対応たいおうするくつのコバ(くつそこえん)へ固定こていする方式ほうしき、あるいはそれらをわせた方式ほうしきがある[3]。ストラップを利用りようする方式ほうしきはどのようなくつにも装着そうちゃくできるが、金具かなぐ利用りようした方式ほうしき比較ひかくすると着脱ちゃくだつ時間じかんようする[3]金具かなぐ利用りようした方式ほうしきでは、爪先つまさきかかとのコバがあらかじめアイゼンの装着そうちゃく前提ぜんていとした形状けいじょう強度きょうどつくられたくつ必要ひつようであるが、固定こてい強度きょうどたかく、スキーようのブーツにも装着そうちゃくできる場合ばあいがある[3]。ストラップと金具かなぐわせた方式ほうしき場合ばあい爪先つまさきをストラップで固定こていし、かかと金具かなぐ固定こていするわせである[3]

ゆきしつによってはアイゼンのつめあいだゆきかたまりかかんで、つめながさを有効ゆうこう利用りようできなくなる場合ばあいがあるため、くつそこせっするめんに、ゆき表面ひょうめんきにくいプラスチックせいいた装備そうびする場合ばあいがあり、アンチスノープレート (えい: anti snow plate ) などのようにばれている。アンチスノープレートはあらかじめアイゼンに装備そうびされている製品せいひんのほか、こうけの汎用はんようひん製品せいひんされている。

けいアイゼンの一種いっしゅとして、合成ごうせいゴムなどの伸縮しんしゅくせいたか素材そざいくつそこはがねせいのチェーンを網状もうじょう構造こうぞうのものもある。チェーンアイゼンともばれ、ちいさく収納しゅうのうでき、着脱ちゃくだつ容易よういてん利点りてんとしている。一方いっぽうつめかずおおいもの、とくアイスクライミングようとしてつくられたものには、爪先つまさき前方ぜんぽうにほぼ水平すいへいつめ配置はいちされたものがあり、氷壁ひょうへきなどを登攀とうはんするさい斜面しゃめん、あるいはかべして利用りようする。こうした用途ようとでは爪先つまさきつめにかかる荷重かじゅうささえるために相応そうおう固定こてい強度きょうど要求ようきゅうされる。

ピッケルならんでもっと代表だいひょうてき氷雪ひょうせつ登攀とうはん用具ようぐである[2]。どちらかとうとピッケルのほう派手はででそのかげかくれがちで存在そんざいかんうすいが、実用じつようめんでの重要じゅうようせい非常ひじょうおおきく、なかでも一般いっぱんてき雪山ゆきやま登山とざんにおいてはピッケルはたんなるつえわり、滑落すべりおち防止ぼうし確保かくほ支点してん滑落すべりおち停止ていし用具ようぐなど消極しょうきょくてき用法ようほうまるが、アイゼンはこの時点じてんでも積極せっきょくてき活用かつようもとめられ、また安全あんぜんたもち、時間じかん労力ろうりょく恐怖きょうふ軽減けいげんする[2]たかいレベルの、いわゆるピオレ・トラクションに代表だいひょうされる現代げんだい垂直すいちょく氷壁ひょうへき登攀とうはん世界せかいはじめてピッケルはアイゼンとの関連かんれんせい発揮はっき積極せっきょくてきかつ対等たいとう使用しようされるが、これはかなり特殊とくしゅ目的もくてき適応てきおうした用具ようぐであり、一般いっぱんてき雪山ゆきやまではアイゼンがおもである[2]

歴史れきし

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前史ぜんし

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ヨーロッパの猟師りょうし水晶すいしょうりなどやま仕事しごと従事じゅうじする人々ひとびと普段ふだん使つかっているくつ改造かいぞう登山とざんくつとするなかで、あつめのくつそこびょうったり、現在げんざいのアイゼンに相当そうとうするようなながめのスパイクをけたりした[4]

アイゼンへ

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万年雪まんねんゆきおおわれたアルプスが存在そんざいするヨーロッパでは、スイスのJ.ジムラーなどふるくから氷河ひょうが登降とうこうにおけるアイゼンの効用こうようひとがいた[2]オラス=ベネディクト・ド・ソシュールモンブランなどで3ほんつめのアイゼンを使つかったことがられている[2]。しかしアルプス黄金おうごん時代じだいになっても、おおくのガイドをやと無数むすう足場あしばって一番いちばんやさしいルートから標高ひょうこう4000 mきゅうやまのぼるのであれば4ほんつめ、5ほんつめ程度ていど簡易かんいアイゼンで可能かのうであり充分じゅうぶんでもあった[2]。いわゆるアルプスぎん時代じだいでもアイゼンの進歩しんぽられなかった[2]

その困難こんなんなルートへの挑戦ちょうせんはじまるにつれて徐々じょじょ有効ゆうこうせいみとめられて改良かいりょうされつめ本数ほんすうえ、ドイツオーストリア登山とざんには好意こういってむかえられたが、この段階だんかいにおいてもイギリス指導しどうてき登山とざんおおくは保守ほしゅてきであり冷遇れいぐうされていたようで「竹馬たけうまりをならったとおな利益りえきしかないであろう」と皮肉ひにくられたり「おに発明はつめいひん」と排斥はいせきされたりした[2]1900ねん前後ぜんごになって相次あいついで登山とざん技術ぎじゅつしょ出版しゅっぱんされ素晴すばらしさをみとめるようになったが、しかしゆきこおり斜面しゃめん実際じっさい登攀とうはん解説かいせつはピッケルによる足場あしばりを主体しゅたいとしている[2]

エッケンシュタインがたアイゼン

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オスカー・エッケンシュタインOscar Eckenstein )は元々もともとアイゼンを軽蔑けいべつしていた一人ひとりであったが、1886ねんH.ローリアとんでのぼったホーベルクホルン(Hohberghorn )でルートを間違まちがえたこともあって散々さんざん苦労くろうしアイゼンの重要じゅうようせい認識にんしきして8ほんつめのアイゼンを考案こうあん、さらにはつい最近さいきんまでアイゼンの基礎きそであり原型げんけいとなった10ほんつめアイゼンを完成かんせいさせ、スイスのA.ヒュップハウプに製造せいぞうさせ、ピッケルに足場あしばりをほとんど不要ふようとした[2]。D.スコットはこれを1910ねんとしているが、すでに1892ねんのM.コンウェイひきいるカラコルム探検たんけんたいにエッケンシュタインがふく隊長たいちょうかく参加さんか成果せいかがあったともされている[2]。ただエッケンシュタインはなりや風貌ふうぼうとは裏腹うらはら頭脳ずのう明晰めいせき繊細せんさい性格せいかく協調きょうちょうせいき、これがわざわいして誤解ごかい偏見へんけんまねいてたい離脱りだつしている[2]。エッケンシュタインがたアイゼンはジョイント部分ぶぶんうごくのでアイゼン自体じたいには左右さゆうがない[2]

ホレショフスキーがたアイゼン

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アルフレート・ホレショフスキーAlfred Horeschowsky )は1923ねんマッターホルンきたかべこころみのぼしヘルンリりょうかたける成果せいかげているオーストリアのクライマーであったが、「くつには左右さゆうがあるからアイゼンもこれに対応たいおうしたかたつくったほうい」とのかんがえからホレショフスキーがたアイゼンを考案こうあんした[2]日本にっぽんにはウィーンのミッチランガー・ガウバからマリヤ運動うんどうてんげん好日こうじつ山荘さんそう)が輸入ゆにゅうし、エッケンシュタインがたアイゼンとならんでひろ使つかわれた[2]

12ほんつめアイゼン

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1930ねんごろ登山とざん鍛冶たんやローラン・グリベルLaurent Grivel )はぜんつめ2ほん追加ついかした12ほんつめアイゼンを開発かいはつした[2][5]ぜんつめ追加ついかによりステップを必要ひつようがなくなり、登攀とうはんスピードが劇的げきてき向上こうじょうし、困難こんなん氷壁ひょうへきのぼれるようになった。12ほんつめアイゼンは1938ねんのアイガーきたかべはつ登頂とうちょうのときにも使つかわれた(ただしオーストリアたいは10ほんつめアイゼンを使用しようしており、からのぼはじめた12ほんつめ使つかうドイツたいいつかれている)[2]

日本にっぽんにおけるアイゼン

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日本にっぽんにおいては登山とざん用具ようぐとしてアイゼンが外国がいこくから輸入ゆにゅうされるまえから日本にっぽんにも雪国ゆきぐに生活せいかつ用品ようひんとして、きこり猟師りょうし奥山おくやままわりの役人やくにん行者ぎょうじゃ山伏やまぶしとう深雪みゆきようカンジキ並行へいこうしてつめすうすくないてつカンジキを使用しようしていた[2]。これを現代げんだいのアイゼンにちかかたち使つかった最初さいしょ記録きろくは、私設しせつ気象きしょう観測かんそくしょ建設けんせつしたいとの意図いとから1895ねん明治めいじ28ねん)に富士山ふじさんのぼった野中のなかいたれいである[2]。ただこのときはよほど粗悪そあくてつカンジキを使つかったらしく、6ごう以上いじょうではやくにたずくつそこったくぎこうそうしたという[2]1907ねん明治めいじ40ねん)1がつには筑波つくばさん観測かんそく所長しょちょう佐藤さとう順一じゅんいち技師ぎし筒井つついひゃくへい富士山ふじさんいただき観測かんそくしょ建設けんせつ目的もくてきとし頂上ちょうじょう付近ふきん調査ちょうさのため冬期とうき登頂とうちょうしたさいよんほんつめてつカンジキを携行けいこうした[2]

大町おおまちたい山館やまだて主人しゅじんであった百瀬ももせ慎太郎しんたろうは、てつカンジキを改良かいりょうしてさんほんつめアイゼンを考案こうあん地元じもと猟師りょうし登山とざんしゃ愛用あいようされていたが、これをまき有恒ありつね1914ねん大正たいしょう3ねん)に針ノ木峠はりのきとうげえて剱岳長次郎ちょうじろうたに雪渓せっけい登高とうこう使用しようした記録きろくがある[2]

登山とざん以外いがい

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木製もくせい電柱でんちゅう時代じだい架線かせん作業さぎょういん使用しようしたアイゼンと保持ほじベルト(ドイツ)

登山とざん以外いがい利用りようとして、電柱でんちゅう木製もくせいだった時代じだいには架線かせん作業さぎょういんうちきのつめいた専用せんようのアイゼンを使用しようしていた。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c アイゼン」『日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ百科ひゃっか事典じてんマイペディア、精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん、デジタル大辞泉だいじせん世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だい2はんhttps://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3コトバンクより2023ねん2がつ10日とおか閲覧えつらん 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y やまへの挑戦ちょうせん』pp.92-114「山道さんどうかたる(アイゼン)」。
  3. ^ a b c d LOSTARROW Support”. 株式会社かぶしきがいしゃロストアロー. 2014ねん11月23にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2015ねん1がつ16にち閲覧えつらん
  4. ^ やまへの挑戦ちょうせん』pp.44-66「山道さんどうかたる(登山とざんくつ)」。
  5. ^ 世界せかい山岳さんがくだい百科ひゃっか』p.99

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 堀田ほった弘司ひろしやまへの挑戦ちょうせん岩波いわなみ新書しんしょ ISBN 4-00-430126-2
  • 世界せかい山岳さんがくだい百科ひゃっかやま溪谷社けいこくしゃ ISBN 4-63-558806-8