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アッシリアがく

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
だいえい博物館はくぶつかん所蔵しょぞう楔形文字くさびがたもじ粘土ねんどばん

アッシリアがく(アッシリアがく、えい: Assyriology / ふつ: Assyriologie)は、古代こだいオリエント使用しようされた楔形文字くさびがたもじそのものと、これをもちいたしょ民族みんぞく言語げんご歴史れきし文化ぶんか政治せいじ社会しゃかい経済けいざい法律ほうりつ宗教しゅうきょう芸術げいじゅつ文学ぶんがくなど)を研究けんきゅうする学問がくもんである。古代こだいがく考古学こうこがく東洋とうようがくいち分野ぶんやをなし、エジプトがくとともに古代こだい)オリエントがく中心ちゅうしんである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

アッシリアがく中心ちゅうしんてき課題かだいは、古代こだいオリエントで発見はっけんされる膨大ぼうだい楔形文字くさびがたもじ資料しりょう解読かいどく、およびその文献ぶんけんがくてき研究けんきゅうである。楔形文字くさびがたもじ使用しようした民族みんぞくシュメールじんアッカドじんアムルじんアッシリアじんカッシートじんミタンニじんヒッタイトじんウラルトゥじんエラムじんフルリじん古代こだい)ペルシアじんアケメネスあさ時代じだい)・ウガリットじんなど、古代こだい西にしアジアの全域ぜんいきおよぶが、この学問がくもんが「アッシリアがく」と名付なづけられたのは、古代こだいメソポタミア遺跡いせき発掘はっくつ最初さいしょられたのが、アッシリアとアッシリアであり、当初とうしょはこれらの研究けんきゅう中心ちゅうしんであったことによる。

隣接りんせつしょがくとの関係かんけい[編集へんしゅう]

アッシリアがく古代こだいオリエントの歴史れきし文化ぶんか研究けんきゅうするというてんエジプトがく共通きょうつうするが、欧米おうべい諸国しょこくのアカデミズムにおいては、ヒエログリフ文献ぶんけんあつかうエジプトがくとはまったべつ分野ぶんやとみなされている。しかし日本にっぽんではアッシリアがくという名称めいしょう概念がいねんはほとんどられておらず、エジプトがくとあわせた古代こだいオリエントがくとしておおまかにまとめられることがおおい。

これとはぎゃくに、イランペルシア)の歴史れきし文化ぶんか全般ぜんぱん研究けんきゅうするイランがくは、基本きほんてきにはアッシリアがくべつ分野ぶんやであるが、すくなくとも楔形文字くさびがたもじ表記ひょうきされた古代こだいペルシア資料しりょう文献ぶんけんがくてき研究けんきゅうかんしては、イランがく一部いちぶであると同時どうじにアッシリアがくいち部門ぶもんともみなされている。実際じっさい古代こだいペルシア知識ちしきは、アッシリアがく基礎きその1つとなった。

歴史れきし[編集へんしゅう]

レヤードの著書ちょしょによるニネヴェでの発掘はっくつ作業さぎょう

アッシリアがく19世紀せいきなかばのボッタふつ)によるニネヴェ発掘はっくつレヤードえい)によるニムルド発掘はっくつなどにより考古学こうこがくてき調査ちょうさはじまり、1849ねんにはレヤードによってアッシュールバニパルおう王宮おうきゅう附属ふぞく図書館としょかん書庫しょこ)と22,000の粘土ねんどばん発掘はっくつされ、だいえい博物館はくぶつかん移管いかんされた。これらの文字もじ資料しりょうをもとに、ローリンソンヒンクスオッペールらにより古代こだいペルシアバビロニア解読かいどく進展しんてん1857ねんイギリス王立おうりつアジア協会きょうかい前記ぜんきの3めいおよびタルボットにアッシリア碑文ひぶん別々べつべつ解読かいどくさせ、この結果けっか一致いっちしたことが確認かくにんされて、アッシリアがく成立せいりつ公式こうしき宣言せんげんされた。1884ねんにはフランスおよびドイツで専門せんもん『アッシリアがく』・『楔形文字くさびがたもじ研究けんきゅう』(のちほとけおなじ『アッシリアがく』に改題かいだい)がそれぞれ創刊そうかんされて学問がくもん分野ぶんやとしての制度せいどすすんだ。アッシリアがく発展はってんは、それまで西洋せいよう古代こだい研究けんきゅう依拠いきょしていた古典こてん古代こだい文献ぶんけん旧約きゅうやく聖書せいしょあらわれた不十分ふじゅうぶん不完全ふかんぜん知識ちしき情報じょうほう補正ほせいするのにおおきく貢献こうけんした。

しかしその研究けんきゅう飛躍ひやくてき進展しんてんにより古代こだいオリエントにおける楔形文字くさびがたもじ文化ぶんか研究けんきゅうを「アッシリアがく」という単一たんいつ分野ぶんやにまとめることはほとんど困難こんなんになり、現在げんざいではシュメールがく、アッカド・アッシリアを研究けんきゅうする(狭義きょうぎの)アッシリアがく、エラムがく、フルリがく、ヒッタイトがく、ウラルトゥがく、ウガリットがくなどに分化ぶんかしている。

関連かんれん文献ぶんけん[編集へんしゅう]

単行たんこうしょ
古代こだいオリエント」とだいされてはいるが、内容ないようは「アッシリアがく入門にゅうもん」そのものであり古代こだいエジプトはあつかわれていない。
事典じてん項目こうもく
  • すぎいさむ 「アッシリアがく」 『世界せかい歴史れきし事典じてんだい1かん 平凡社へいぼんしゃ1956ねん
  • 吉川よしかわまもる 「アッシリアがく」 『世界せかいだい百科ひゃっか事典じてんだい1かん 平凡社へいぼんしゃ

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]