アブドゥルアズィーズ・イブン・サウード
イブン・サウード ابن سعود | |
---|---|
ナジュド ヒジャーズ サウジアラビア | |
1940 | |
1902 1926 1932 | |
عبد العزيز بن عبد الرحمن بن فيصل آل سعود アブドゥルアズィーズ・ビン・アブドゥルラハマーン・ビン・ファイサル・アール・サウード | |
1876 ナジュド・リヤド | |
1953 サウジアラビア・ターイフ | |
サウジアラビア・リヤドウード | |
サウード | |
アブドゥルラフマーン・イブン・ファイサル・アール・サウード | |
サラ・ビント・アフマド・アール・スダイリー | |
|
アブドゥルアズィーズ・ビン・アブドゥルラフマーン・ビン・ファイサル・アール・サウード(アラビア
生涯
[アラビア
1901
1902
1921
1931
サウジアラビア建国 後
[ナジュド
1939
これより
1953
人物
[身長 2メートルの大男 かつ怪力 の持 ち主 で、武勇 にも秀 でていた。- リヤドのサウード
家 がラシード家 のムハンマド・イブン・アブドゥッラーに追 われてクウェートにいたが、同 じ頃 、当時 のクウェート首長 のムハンマドの弟 で、インドのボンベイから帰 ってきていた後 のムバーラク大 首長 はアブドゥルアズィーズ・イブン・サウードの才能 に目 を付 け、彼 に教育 を施 し、のちに秘書 としたという。また、ムバーラクはサウード家 に好意 的 であったという。 当時 サウジアラビアでは厳格 なワッハーブ派 を国教 としていたこともあり、イスラム教 の刑罰 に基 づき泥棒 は右 手首 を切 り落 とすという厳罰 をとっていた(ハッド刑 も参照 )。アメリカ人 はこの厳罰 を止 めるように度々 諫言するが、「罪 を償 わせるために何 年 も牢屋 に入 れるのと、いましめのために手首 を斬 って釈放 するのと、果 たしてどちらが個人 の自由 を尊重 しているのか?」と答 えて、刑法 を改 めることはなかった。晩年 、顧問 官 のユースフ・ヤシーンから、歴史 書 を読 むことを薦 められたとき、「私 は史書 を紐解 いたりはしない。私 の額 には歴史 そのものが刻 まれているからだ。」と言 ったという。血縁 をことのほか重視 するアラブ社会 において有力 部族 の部族 長 の娘 に子 どもを産 ませるため、100回 以上 の結婚 を余儀 なくされた[5]。最後 の男子 が生 まれたのは71歳 の時 であった。
家族
[父母
[兄弟
[- ファイサル(1870
年 - 1890年 ) - ファハド(1875
年 - ?) - ムハンマド(1880
年 - 1903年 ) - サアド(? - 1916
年 ) - アブドゥッラー(1900
年 - ?) - アフマド(1917
年 - ?) - アブドゥル・ムスフィン(1910
年代 - ?) - ムサイード(1922
年 - ?) - サアド(1920
年代 - ?)
妻妾
[- ワドハー・ビント・ムハンマド・アル=ウライイル
- アル=ハサ
地方 を支配 するバニー・ハーリド族 の娘 でトルキーとサウードの母
- アル=ハサ
- タルファ・ビント・アブドゥッラー・アール・アッシャイフ
- ワッハーブ
派 の始祖 ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブの末裔 (Al ash-Sheikh)でありファイサルの母
- ワッハーブ
- ハッサ・ビント・アフマド・アッ=スデイリー
- ファハダ・ビント・アル=アースィー・アッ=シュライム
- シャッマル
族 の娘 で元 はラシード家 頭首 の妻 だったが夫 の死後 に結婚 している。第 6代 国王 アブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズの母
- シャッマル
子息
[
- トルキー(1900
年 - 1919年 ) - サウード(1902
年 - 1969年 )第 2代 サウジアラビア国王 - ファイサル(1906
年 - 1975年 )第 3代 サウジアラビア国王 - ムハンマド(1910
年 - 1988年 )生前 の一時期 は皇太子 の地位 にあった。 - ハーリド(1913
年 - 1982年 )第 4代 サウジアラビア国王 - ナーセル(1913
年 - 1984年 ) - サアド(1915
年 - 1993年 ) - マンスール(1918
年 - 1951年 ) - ファハド(1921
年 - 2005年 )第 5代 サウジアラビア国王 、スデイリー・セブン - バンダル(1923
年 - ) - ムサーイド(1923
年 - 2013年 ) (第 3代 国王 ファイサルを暗殺 した)ファイサル・ビン・ムサーイドの父 - アブドゥッラー(1924
年 - 2015年 )第 6代 サウジアラビア国王 - アブドゥルムフスィン(1925
年 - 1985年 ) - ミシュアル(1926
年 - 2017年 ) - スルターン(1928
年 - 2011年 ) スデイリー・セブン、生前 は皇太子 の地位 にあった。 - アブドゥッラフマーン(1931
年 - 2017年 ) スデイリー・セブン - ムトイブ(1931
年 - ) - タラール(1931
年 - )王位 継承 権 を放棄 - ミシャーリー(1932
年 - 2000年 ) - バドル(1932
年 - 2013年 ) - ナウワーフ(1932
年 - 2015年 ) - トルキー(1932
年 - 2016年 ) スデイリー・セブン - ナーイフ(1934
年 - 2012年 ) スデイリー・セブン、生前 は皇太子 の地位 にあった。 - ファワーズ(1934
年 - 2008年 ) - サルマーン(1935
年 - ) スデイリー・セブン、第 7代 サウジアラビア国王 兼 首相 - サーミル(1937
年 - 1958年 ) - マージド(1938
年 - 2003年 ) - アブドゥルイラーフ(1939
年 - ) - マムドゥーフ(1940
年 - ) - サッターム(1941
年 - 2013年 ) - ハズルール(1942
年 - 2012年 ) - アブドゥルマジード(1942
年 - 2007年 ) - マシュフール(1942
年 - ) - アフマド(1942
年 - ) スデイリー・セブン - ムクリン(1945
年 - )元 皇太子 兼 副 首相 - ハムード(1947
年 - 1994年 )
孫
[- サルマーン
内 閣 の閣僚 と元 閣僚 - ムハンマド・ビン・サルマーン(1985
年 - ) サルマーンの子 、皇太子 兼 首相 兼 経済 開発 評議 会 議長 - マンスール・ビン・ムトイブ(1952
年 - ) ムトイブの子 、国務大臣 、国王 顧問 - ムトイブ・ビン・アブドゥッラー(1952
年 - ) アブドゥッラーの子 、元 国家 警備 大臣 - アブドゥルアズィーズ・ビン・サルマーン(1960
年 - ) サルマーンの子 、国務大臣 (エネルギー問題 担当 ) - ムハンマド・ビン・ナーイフ(1959
年 - ) ナーイフの子 、元 皇太子 兼 副 首相 兼 内務 大臣 兼 政治 ・安全 保障 評議 会 議長 - サウード・アル=ファイサル(1940
年 - 2015年 ) ファイサルの子 、元 国務大臣 、元 国王 特別 顧問 兼 特使 、元 外交 担当 特別 顧問 、元 外務 大臣
- ムハンマド・ビン・サルマーン(1985
知事 - その
他 - トゥルキー・アル=ファイサル(1945
年 - ) ファイサルの子 、元 総合 情報 庁 長官 、元 駐米 大使 - バンダル・ビン・スルターン(1949
年 - ) スルターンの子 、元 駐米 大使 、元 総合 情報 庁 長官 、元 国家 安全 保障 会議 事務 局長 - アル・ワリード(1955
年 - ) タラールの子 、キングダム・ホールディング・カンパニーオーナー
- トゥルキー・アル=ファイサル(1945
曾孫
[- ハーリド(1978
年 - ) アルワリードの子 - アブドゥルアジーズ・ビン・サウード(1983 - )サウードの
子 、ナーイフの孫 、内務 大臣
脚注
[- ^ a b c 「
世界 歴代 王朝 王 名 総覧 」(1998年 、東洋 書林 )参照 - ^
正確 な生年月日 が不明 のため年齢 は推測 であり、資料 によっては21歳 となっている物 もある。 - ^ “
米 ・サウジ「40年 の密約 」”. ニューズウィーク日本 版 (1992年 2月 20日 号 ). TBSブリタニカ. (1992-2-20). p. 28. - ^
大森 実 「ファイサル」講談社 、1979年 、P12 - ^
大島 (1981)p.19 - ^ サウジアラビアにおける
奴隷 制度 は1962年 まで存続 していた。 - ^ サウジアラビア
現代 史 - ^ 「サウジアラビア
王朝 史 」383頁 参照 。娘 については、女性 は系図 に掲載 されていないために同書 にも記載 がないため、省略 した。
参考 文献
[大川 周明 『亜細亜 建設 者 』(第 一 書房 、1941年 )、Kindle版 あり牟田 口 義郎 『石油 に浮 かぶ国 クウェートの歴史 と現実 』(中公新書 、1965年 )- ジョン・フィルビー『サウジアラビア
王朝 史 』岩永 博 、富塚 俊夫 訳 (法政大学 出版 局 、1997年 ) - ジャック・ブノア=メシャン『
砂漠 の豹 イブン・サウード』牟田 口 義郎 、河野 鶴代 訳 (筑摩書房 、新版 1990年 ) 大島 直政 『イスラムからの発想 』講談社 <講談社 現代新書 >、1981年 。ISBN 4-06-145629-6- 『
世界 歴代 王朝 王 名 総覧 』(東洋 書林 、1998年 )
関連 項目
[外部 リンク
[- アブドルアジーズ
国王 建国 の祖 -駐 日 サウジアラビア王国 大使館 文化 部 による公式 紹介 文