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アメリカスカップ

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アメリカスカップ
The America’s Cup trophy
競技きょうぎセーリング マッチレース
創立そうりつ1851
前回ぜんかい優勝ゆうしょうニュージーランドの旗 ロイヤル・ニュージーランド・ヨット・スコードロンチーム・ニュージーランド
最多さいた優勝ゆうしょうアメリカ合衆国の旗 ニューヨーク・ヨットクラブ (25)
公式こうしきサイトamericascup.com

アメリカスカップあるいはアメリカズカップ[1]えい: America's Cup)は、1851ねんより現在げんざいまでつづ国際こくさいヨットレース。また、その優勝ゆうしょうはい。その成立せいりつ近代きんだいオリンピックより45ねん、サッカーのワールドカップより79ねん、ゴルフの全英ぜんえいオープンよりも9ねんはやく、継続けいぞくして使用しようされている世界せかい最古さいこのスポーツトロフィーとしてひろ一般いっぱん認知にんちされている[2][3]

名称めいしょう由来ゆらい最初さいしょ優勝ゆうしょうていの『アメリカごう』のかんした『アメリカごうのカップ』であり、けっして『アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのカップ』という意味いみではない。しかし、その132ねんわたってアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのヨットクラブがカップを防衛ぼうえいしてきたため、事実じじつじょうアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのカップ』とおな定義ていぎしょうされる[よう出典しゅってん]

競技きょうぎ本質ほんしつは、カップの寄贈きぞうしゃしるした贈与ぞうよ証書しょうしょ規定きていもとづき、アメリカズカップをけてマッチレース(1たい1)形式けいしきあらそわれるヨットクラブあいだ国際こくさい親善しんぜんレースである。しかし、使用しようされるヨットは出場しゅつじょうこく建造けんぞうしなければならないため、参加さんか各国かっこく造船ぞうせん工学こうがく建築けんちく工学こうがく材料ざいりょう工学こうがく流体りゅうたい力学りきがく航空こうくう力学りきがく気象きしょうがくなどの最先端さいせんたん技術ぎじゅつ軍事ぐんじからの応用おうよう技術ぎじゅつ投入とうにゅうされるとう参加さんかこく威信いしんけたくにべつ対抗たいこうレースとしてのいちめんわせている。またこれら最新さいしんヨットにはオリンピックメダリスト多数たすうのトップセーラーがむこともあり、一般いっぱんにヨットレース全般ぜんぱんあるいはインショア(沿海えんかい)レースの最高峰さいこうほうとして位置いちづけられており、別名べつめいうみF1」ともしょうされる。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

競技きょうぎ成立せいりつとアメリカの連勝れんしょう[編集へんしゅう]

1851ねん、イギリス・ロンドンで開催かいさいされただいいちかい万国博覧会ばんこくはくらんかい記念きねん行事ぎょうじとしてロイヤル・ヨット・スコードロン(en)[4]主催しゅさいしたワイトとう一周いっしゅうレースにはしはっする。このレースにアメリカからただ1てい参加さんかした「アメリカ」ごう(en)が優勝ゆうしょうし、ビクトリア女王じょおうから下賜かしされたガラード製作せいさくした銀製ぎんせい水差みずさじょうのカップを自国じこくかえった。そのため、このカップは「アメリカ」ごうのカップ、すなわち"アメリカズカップ"とばれることとなった。その「アメリカ」ごうのオーナーたちは、「カップの保持ほじしゃは、いかなるくに挑戦ちょうせんけねばならない」ということをしるした贈与ぞうよ証書しょうしょ(en)[5]とともに、このカップをニューヨーク・ヨットクラブ[6]NYYC)へ寄贈きぞうした。これにもとづき1870ねんだい1かい「アメリカズカップ」が開催かいさいされ、現在げんざいいたっている。

そのおおくの富豪ふごうがヨットをみアメリカにいどんだが、ことごとくやぶった。インド紅茶こうちゃサー・トーマス・リプトンひとしもその一人ひとりである。アメリカは1983ねんはじめてやぶれるまで132年間ねんかんわたってカップの防衛ぼうえい成功せいこうし、この連勝れんしょうはスポーツのこ偉業いぎょう賞賛しょうさんされてきた。

アメリカの敗戦はいせん国際こくさいスポーツへの脱皮だっぴ[編集へんしゅう]

1983ねんだい25かい大会たいかいにおいてNYYC所属しょぞくの「リバティー」ごうオーストラリアロイヤル・パース・ヨットクラブ(Royal Parth Yacht Club)から出場しゅつじょうした「オーストラリアII」ごうやぶれ、アメリカズ・カップははじめてアメリカ国外こくがいわたることとなった。しかし、それまでは予選よせんかた使用しようてい要件ようけんとうあきらかにNYYCにとって有利ゆうりなルールが長年ながねんわたるアメリカの独占どくせんささえていたため、この敗戦はいせんはアメリカズカップが近代きんだいてき国際こくさいスポーツイベントへまれわる契機けいきとなった。

「リバティー」ごうスキッパーであったデニス・コナーは「カップをうしなった最初さいしょのアメリカじん」としてアメリカちゅうからの非難ひなんさらされたが、1987ねんオーストラリアのフリーマントル開催かいさいされただい26かい大会たいかいみずからのチームをひきいてみカップ奪回だっかい成功せいこうした。コナーは一転いってんアメリカンヒーローとして凱旋がいせんし、ロナルド・レーガン大統領だいとうりょうによってホワイトハウス招待しょうたいされ、"ミスター・アメリカズカップ"としょうされるようになった。同時どうじにカップ奪回だっかいけたコナーの苦闘くとう小説しょうせつされ[7]映画えいがウインズ」の題材だいざいにもなった。

しかし、1995ねんだい29かい大会たいかいサンディエゴ・ヨットクラブ(San Diego Yacht Club)からチーム・デニス・コナーをひきいて出場しゅつじょうしたコナーは、ニュージーランドロイヤル・ニュージーランド・ヨット・スコードロン(Royal New Zealand Yacht Squadron)から出場しゅつじょうしたラッセル・クーツひきいるチーム・ニュージーランドやぶれ、コナーは「カップを2うしなった最初さいしょのアメリカじん」という汚名おめいることとなった。カップはふたた南半球みなみはんきゅうわたることとなり、より公平こうへいなルールであらそわれるようになったカップはもはやアメリカの独占どくせんする“アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのカップ”ではなくなった。

ニュージーランドぜい台頭たいとう[編集へんしゅう]

チーム・ニュージーランドはオークランド開催かいさいされた2000ねんだい30かい大会たいかい[8]においてイタリアのヨットクラブ・イタリアーノ(Yacht Club Italiano)から出場しゅつじょうしたプラダ・チャレンジの挑戦ちょうせん退しりぞけカップ防衛ぼうえい成功せいこうする。

アメリカズカップの連覇れんぱ成功せいこうしたスキッパーのラッセル・クーツはニュージーランドの国民こくみんてき英雄えいゆうとなるが、一方いっぽうでチームは慢性まんせいてき資金しきん不足ふそくおちいっており、クーツはタクティシャンであるブラッド・バタワース主要しゅようメンバーをスイスのチーム・アリンギ移籍いせきしてしまう。チームのかくうしなったニュージーランドは、カップ奪回だっかい目指めざすアメリカけいチームとうにその選手せんしゅかれ崩壊ほうかい状態じょうたいとなってしまうが、その一方いっぽう各国かっこくチームの主要しゅようポジションにニュージーランド選手せんしゅくという結果けっかにもなった。チーム・ニュージーランドはトム・シュナッケンバーグ代表だいひょう就任しゅうにん、クーツのひかえであったディーン・バーカーあらたなスキッパーにえるひとし若手わかて中心ちゅうしんとしたチーム再建さいけんをはかった。

そしてむかえた2003ねんだい31かい大会たいかい、スイスのソシエテ・ノーティーク・ドゥ・ジュネーブ(Société Nautique de Genève:SNG)から出場しゅつじょうしたチーム・アリンギは順調じゅんちょう挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせんがり、チーム・ニュージーランドと対戦たいせんすることとなった。しかし前述ぜんじゅつのごとくアリンギの中心ちゅうしんメンバーもニュージーランドぜいであり、実質じっしつてき新旧しんきゅうニュージーランド代表だいひょう対戦たいせんという様相ようそうとなった。その結果けっかアリンギは圧倒的あっとうてきつよさでチーム・ニュージーランドをやぶり、カップは史上しじょうはじめてヨーロッパ大陸たいりくわたることとなった。またクーツはカップ3連勝れんしょうとなりあらたな"ミスター・アメリカズカップ"とばれるにいたった。

カップを奪取だっしゅしたソシエテ・ノーティーク・ドゥ・ジュネーブはレマン拠点きょてんとするヨットクラブであるため、うみのないスイスでの開催かいさい困難こんなん判断はんだんされ、つづだい32かい大会たいかいスペインバレンシア開催かいさいされることとなった。その大会たいかいけた準備じゅんび期間きかんちゅう、クーツは運営うんえい方針ほうしんめぐりチームオーナーであるエルネスト・ベルタレリ対立たいりつ、アリンギを脱退だったいする。その結果けっかクーツは選手せんしゅ移籍いせき制限せいげんした大会たいかい規定きていによりだい32かい大会たいかい出場しゅつじょうできなくなった。ベルタレリはタクティシャンであったブラッド・バタワースをスキッパーへ昇格しょうかくあらたにエド・ベアードヘルムスとして招聘しょうへいだい32かい大会たいかい出場しゅつじょうした。

だい32かい大会たいかい2007ねん開催かいさいされ、ここでも挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせんがってきたのはディーン・バーカーひきいるエミレーツ・チーム・ニュージーランドであった。一方いっぽうてき展開てんかいとなった前回ぜんかい大会たいかいとはことなり今回こんかい接戦せっせんとなったが、最終さいしゅうてきに5しょう2はいでアリンギがカップはつ防衛ぼうえいたした。

だい33かい大会たいかいめぐ混迷こんめい[編集へんしゅう]

カップの防衛ぼうえい成功せいこうしたソシエテ・ノーティーク・ドゥ・ジュネーブは、だい32かい大会たいかい終了しゅうりょう直後ちょくごスペインのヨットクラブ、クルブ・ナウティコ・エスパニョール・デ・ベラ(Club Náutico Español de Vela:CNEV)を挑戦ちょうせんしゃ代表だいひょうとしてだい33かい大会たいかい要綱ようこう発表はっぴょうした。

これにたいだい32かい大会たいかい参加さんかチームのひとつであるBMWオラクルレーシングの所属しょぞく母体ぼたい、ゴールデンゲート・ヨットクラブ(Golden Gate Yacht Club:GGYC)が、クルブ・ナウティコ・エスパニョール・デ・ベラは贈与ぞうよ証書しょうしょ要件ようけんたしておらず挑戦ちょうせんしゃ代表だいひょうとして適格てきかくとして、みずからを挑戦ちょうせんしゃ代表だいひょうとする挑戦ちょうせんじょうをソシエテ・ノーティーク・ドゥ・ジュネーブへ提出ていしゅつ同時どうじにクルブ・ナウティコ・エスパニョール・デ・ベラの失格しっかくもとめてニューヨークしゅう最高裁判所さいこうさいばんしょ提訴ていそした。この裁判さいばんだいさんしんまであらそわれ、最終さいしゅうてきにゴールデンゲート・ヨットクラブが正当せいとう挑戦ちょうせんしゃ代表だいひょうとして認定にんていされたが、このあいだ2ねん8ヶ月かげつわたりアメリカズカップの活動かつどうまった停滞ていたいする事態じたいとなった。

だいさんしん判決はんけつもとづくどう裁判所さいばんしょ命令めいれいによりだい33かい大会たいかい2010ねん2がつ開催かいさいされた。また開催かいさいかんしても、どう裁判所さいばんしょ命令めいれいによりスペイン・バレンシアとなった。 このレースではBMWオラクルが勝利しょうりした。

おもなルール[編集へんしゅう]

レースは基本きほんてきマッチレースばれるいち形式けいしきたたかわれる。挑戦ちょうせんしゃおよびカップ保持ほじしゃシンジケートばれる巨大きょだい運営うんえい団体だんたい組織そしきし、資金しきん獲得かくとくていたい開発かいはつからセーリング・チームの育成いくせいまで、あらゆる業務ぎょうむ一貫いっかんしておこなう。シンジケートないには広報こうほう担当たんとうしゃ財務ざいむ部門ぶもんなどもあり、総勢そうぜいすくなくともすうじゅうめい組織そしきによってはひゃくめい規模きぼとなることもある。「うみのF1」の異名いみょうとおり、実際じっさいF1マシン設計せっけい経験けいけんのあるデザイナーや技術ぎじゅつしゃエイドリアン・ニューウェイアラン・ジェンキンスジェイムズ・アリソンひとし)がくわわったれいもあり、近年きんねんINEOS Britannia英語えいごばんメルセデスAMG F1のように、シンジケートとF1チームが提携ていけいするケースもられる。

実際じっさいには挑戦ちょうせん希望きぼうするシンジケートが複数ふくすうあらわれることが通例つうれいのため、その場合ばあい本戦ほんせんまえ挑戦ちょうせんてい決定けっていシリーズがおこなわれ、どうシリーズをいた1シンジケートのみが防衛ぼうえいていいど権利けんりる。一方いっぽう防衛ぼうえいていは「カップ保持ほじしゃ自身じしん、もしくはおなこくのヨットクラブにぞくするシンジケート」で、複数ふくすうのシンジケートがエントリーした場合ばあい同様どうよう防衛ぼうえいてい決定けっていシリーズをおこない1シンジケートをえらぶ。挑戦ちょうせんてい決定けっていシリーズには1983ねんだい25かい大会たいかいよりルイ・ヴィトンかんむりスポンサーについており、「ルイ・ヴィトンカップ」の名称めいしょうられている。2021ねんだい36かい)ではスポンサーがプラダ交代こうたいし「プラダカップ」に名称めいしょう変更へんこうされたが[9]2024ねんだい37かい)ではもとの「ルイ・ヴィトンカップ」にもどった。

ただし防衛ぼうえいてい決定けっていシリーズは1995ねん大会たいかい最後さいごひらかれておらず、2017ねん大会たいかいでは防衛ぼうえいていもルイ・ヴィトンカップに(予選よせんのみ)出場しゅつじょうした。

ヨットの規格きかく[編集へんしゅう]

アメリカズカップの基本きほんルールをさだめた「贈与ぞうよ証書しょうしょ(Deed of Gift)」の規定きていじょうは、レースで使用しようされるヨットは「1ほんマストの場合ばあい水線すいせんちょうが44フィート以上いじょう90フィート以下いか」「マストが2ほん以上いじょう場合ばあい水線すいせんちょうが80フィート以上いじょう115フィート以下いか」とだけさだめられており、この範囲はんいおさまり防衛ぼうえいてい挑戦ちょうせんてい双方そうほう合意ごういがあればどのような規格きかくのヨットをもちいてもいことになっている。

なお合意ごういがあれば防衛ぼうえいてい挑戦ちょうせんてい船型せんけいことなることもみとめられている。だい33かい大会たいかいでは防衛ぼうえいていのソシエテがわそうどうせん(カタマラン)、挑戦ちょうせんていのBMWオラクルがわさんどうせんトリマラン)を使用しようしてレースがおこなわれたれいがある。

しかし実際じっさいには開催かいさいされた時代じだい趨勢すうせいわせ、一定いってい統一とういつルールがさだめられるケースがおおい。

12メートルきゅう[編集へんしゅう]

だい世界せかい大戦たいせんこうはつ大会たいかいとなった1958ねんだい17かい大会たいかいから1987ねんだい26かい大会たいかいまでは、国際こくさいルールで一般いっぱんてきな12メートルきゅうen:12-metre class)ヨットが使用しようされた。ただ「12メートルきゅう」としょうするものの実際じっさいおおきさはもっとおおきく、アメリカズカップで使用しようされたヨットの場合ばあい水線すいせんちょうは20 - 23m(65 - 75フィート)程度ていどになる。

IACC[編集へんしゅう]

1992ねんだい28かい大会たいかいから2007ねんだい32かい大会たいかいにかけては、IACC(International America's Cup Class)規格きかく準拠じゅんきょしたヨットがもちいられた。

IACC規格きかく(ACCバージョン1 - 5とばれる)は全長ぜんちょう80フィート(24.4m)で、ヨットにむクルーのかずは1ていにつき最大さいだい17にん、クルーの合計ごうけい体重たいじゅうは1570kg以下いか制限せいげんされていた。またウェイト調整ちょうせい目的もくてきで18番目ばんめのクルーをせることもみとめられていた(どうクルーにかぎ体重たいじゅう制限せいげんはない)が、このクルーはそれ以外いがいのヨットの操作そうさ指揮しき関与かんよしてはならないこととなっていた。このため、通常つうじょうは「18番目ばんめのクルー」としてスポンサー関係かんけいしゃ有名人ゆうめいじんなどのVIPゲストをせレースを体験たいけんしてもらい、新規しんきスポンサー獲得かくとくやパブリシティとう利用りようすることがおおかった。

だい28かい大会たいかいではかくシンジケートは無制限むせいげんにヨットを建造けんぞうすることができたが、コストの高騰こうとう防止ぼうしする目的もくてきから1995ねんだい29かい大会たいかい以降いこう、1シンジケートが新規しんき建造けんぞうできるヨットのかず最大さいだい2てい制限せいげんされている。また1995ねん大会たいかいにおいて、当時とうじニッポン・チャレンジがJPN-30を当初とうしょ建造けんぞうおおきくことなるかたちだい改造かいぞうしたことにたいし「実質じっしつてき新規しんき建造けんぞうおなじではないか」とのシンジケートからクレームがたことがきっかけとなり、2000ねんだい30かい大会たいかい以降いこう進水しんすい船体せんたい(ハル部分ぶぶん)の改造かいぞう新造しんぞうていについては表面積ひょうめんせきの50%以下いかきゅうてい前回ぜんかい大会たいかい以前いぜん建造けんぞうされたもの)についてはおなじく60%以下いかまでに制限せいげんする」というルールが追加ついかされている。

カタマラン[編集へんしゅう]

2013ねんだい34かい大会たいかいからはあらたにそうどうせん(カタマラン)が採用さいようされた。だい34かい大会たいかいでは「AC45」「AC72」という2種類しゅるいのヨットがレギュレーションでさだめられたが、2017ねんだい35かい大会たいかいでは「AC45F」「AC45S」「ACC」という3種類しゅるい種類しゅるいえた一方いっぽうで、本戦ほんせんようのヨットのサイズが縮小しゅくしょうされた。

AC75[編集へんしゅう]

2021ねんだい36かい大会たいかいでは、まったあたらしい規格きかくとして「AC75」が登場とうじょうする[10]船体せんたいたんどうせんもどされる一方いっぽうで、通常つうじょう船体せんたいのハル部分ぶぶん海面かいめんから完全かんぜんいた状態じょうたいとなっているのが特徴とくちょう。キールもはいされるわり、船尾せんびりょうサイドにけられた3のTがたフォイル(水中すいちゅうつばさ)で船体せんたいささえる。りょうサイドのフォイルは可動かどうしきで、必要ひつようおうじてフォイルを海面かいめんからかせることもでき、フォイルをうごかすことでりょうサイドのバランスを転覆てんぷくふせぐようになっている。

かく大会たいかい防衛ぼうえいてい挑戦ちょうせんてい[編集へんしゅう]

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年度ねんど 開催かいさい 防衛ぼうえいヨットクラブ 防衛ぼうえいてい 結果けっか 挑戦ちょうせんてい
2021
ニュージーランド

ロイヤル・ニュージーランド・ヨット・スコードロン
ニュージーランドの旗 ニュージーランド
チーム・ニュージーランド
7-3 イタリアの旗 イタリア
ルナ・ロッサ
2017
えいりょうバミューダ諸島しょとう
ゴールデンゲート・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
オラクル・チームUSA
1-7 ニュージーランドの旗 ニュージーランド
エミレーツ・チーム・ニュージーランド
2013 アメリカ合衆国の旗
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくサンフランシスコ
ゴールデンゲート・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
オラクル・チームUSA
9-8 ニュージーランドの旗 ニュージーランド
エミレーツ・チーム・ニュージーランド
2010
スペインバレンシア
ソシエテ・ノーティーク・ドゥ・ジュネーブ
スイスの旗 スイス
アリンギ
0-2 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
BMWオラクル
2007
スペインバレンシア
ソシエテ・ノーティーク・ドゥ・ジュネーブ
スイスの旗 スイス
アリンギ
5-2 ニュージーランドの旗 ニュージーランド
チーム・ニュージーランド
2003
ニュージーランドオークランド

ロイヤル・ニュージーランド・ヨット・スコードロン
ニュージーランドの旗 ニュージーランド
チーム・ニュージーランド
0-5 スイスの旗 スイス
アリンギ
2000
ニュージーランドオークランド
ロイヤル・ニュージーランド・ヨット・スコードロン ニュージーランドの旗 ニュージーランド
チーム・ニュージーランド
5-0 イタリアの旗 イタリア
プラダ・チャレンジ
1995
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくサンディエゴ
サンディエゴ・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
ヤング・アメリカ
0-5 ニュージーランドの旗 ニュージーランド
ブラック・マジック
1992
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくサンディエゴ
サンディエゴ・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
America³
4-1 イタリアの旗 イタリア
イル・モロ・ディ・ヴェネツィア
1988
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくサンディエゴ
サンディエゴ・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
スターズ&ストライプス
2-0 ニュージーランドの旗 ニュージーランド
ニュージーランド・チャレンジ
1987
オーストラリアフリーマントル
ロイヤル・パース・ヨットクラブ オーストラリアの旗 オーストラリア
クッカバラ III
0-4 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
スターズ&ストライプス
1983
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューポート
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
リバティ
3-4 オーストラリアの旗 オーストラリア
オーストラリア II
1980
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューポート
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
フリーダム
4-1 オーストラリアの旗 オーストラリア
オーストラリア
1977
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューポート
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
カレージャス
4-0 オーストラリアの旗 オーストラリア
オーストラリア
1974
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューポート
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
カレージャス
4-0 オーストラリアの旗 オーストラリア
サザン・クロス
1970
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューポート
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
イントレピッド
4-1 オーストラリアの旗 オーストラリア
グレーテル II
1967
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューポート
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
イントレピッド
4-0 オーストラリアの旗 オーストラリア
デイム・パティ
1964
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューポート
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
コンスタレーション
4-0 イングランドの旗 イングランド
ソヴリン
1962
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューポート
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
ウェザーリー
4-1 オーストラリアの旗 オーストラリア
グレーテル
1958
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューポート
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
コロンビア
4-0 イングランドの旗 イングランド
セプター
1937
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューポート
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
レンジャー
4-0 イングランドの旗 イングランド
エンデヴァー III
1934
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューポート
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
レインボー
4-2 イングランドの旗 イングランド
エンデヴァー
1930
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューポート
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
エンタープライズ
4-0 北アイルランドの旗 きたアイルランド
シャムロック V
1920
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューヨーク
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
リゾリュート
3-2 アイルランド
シャムロック IV
1903
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューヨーク
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
リライアンス
3-0 アイルランド
シャムロック III
1901
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューヨーク
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
コロンビア
3-0 アイルランド
シャムロック II
1899
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューヨーク
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
コロンビア
3-0 アイルランド
シャムロック
1895
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューヨーク
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
ディフェンダー
3-0 イングランドの旗 イングランド
ヴァルキリー III
1893
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューヨーク
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
ヴィジラント
3-0 イングランドの旗 イングランド
ヴァルキリー II
1887
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューヨーク
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
ボランティア
2-0 スコットランドの旗 スコットランド
シスル
1886
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューヨーク
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
メイフラワー
2-0 イングランドの旗 イングランド
ギャラシア
1885
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューヨーク
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
ピューリタン
2-0 イングランドの旗 イングランド
ジェネスタ
1881
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューヨーク
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
ミスチフ
2-0 カナダの旗 カナダ
アトランタ
1876
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューヨーク
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
マドレーヌ
2-0 カナダの旗 カナダ
カウンテス・オブ・ダファリン
1871
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューヨーク
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
コロンビア
4-1 イングランドの旗 イングランド
リヴォニア
1870
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューヨーク
ニューヨーク・ヨットクラブ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
マジック
1-0 イングランドの旗 イングランド
カンブリア
1851
イギリスワイトとう
イングランドの旗 イングランド
ロイヤル・ヨット・スコードロン
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
アメリカ
1-0 イングランドの旗 イングランド
オーロラ


ニッポン・チャレンジ[編集へんしゅう]

日本にっぽんからはこれまで、1992ねん・1995ねん・2000ねんの3かいわたり「ニッポン・チャレンジ」がアメリカズカップにいどんだが、いずれもルイ・ヴィトンカップの準決勝じゅんけっしょうにて敗退はいたい(3かいとも4)している。

1992ねんから1995ねんまで操舵そうだしゅつとめたロバート・フライは、のち飛行機ひこうき操縦そうじゅう免許めんきょ取得しゅとくして曲技きょくぎ飛行ひこう分野ぶんや転身てんしんし、レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ参戦さんせんする室屋むろや義秀よしひでチームのコーディネーターをつとめている[11]

おもなプロフィール[編集へんしゅう]

だい32かいアメリカズカップ[編集へんしゅう]

だい32かい大会たいかいは2007ねんバレンシアスペイン)で開催かいさいされ、スイスのヨットクラブ、ソシエテ・ノーティーク・ドゥ・ジュネーブから出場しゅつじょうしたチーム・アリンギが、ニュージーランドのヨットクラブ、ロイヤル・ニュージーランド・ヨット・スコードロンから出場しゅつじょうしたエミレーツ・チーム・ニュージーランドを5しょう2はいやぶり、はつ防衛ぼうえい成功せいこうした。その模様もようは、日本にっぽんではCSチャンネル「GAORA」で2007ねん9がつ17にち、「世界せかい最高峰さいこうほうヨットレース だい32かいアメリカズカップハイライト」(#1 - #7)として放映ほうえいされた。エミレーツ・チーム・ニュージーランドには鹿取かとり正信まさのぶ性能せいのう分析ぶんせき担当たんとうとしてくわわり、日本人にっぽんじんはつのアメリカズカップ(本戦ほんせん出場しゅつじょうたした。

防衛ぼうえいてい[編集へんしゅう]

使用しようてい:SUI-100。スキッパー:ブラッド・バタワース。ヘルムス:エド・ベアード

挑戦ちょうせんてい[編集へんしゅう]

使用しようてい: NZL-92。スキッパーけんヘルムス:ディーン・バーカー

挑戦ちょうせんてい決定けっていシリーズ ルイヴィトン・カップ(Louis Vuitton Cup)出場しゅつじょうチーム[編集へんしゅう]

ルイ・ヴィトン・アクト(Louis Vuitton Act)[編集へんしゅう]

これまでアメリカズカップの大会たいかい間隔かんかく通常つうじょう3 - 5ねんおきとなっていたのにたいし、参加さんかしゃから「大会たいかい間隔かんかくきすぎて、一般いっぱんからの関心かんしんうすれる」「シンジケートのモチベーションをたもつのがむずかしい」などといった意見いけんおおがったことから、だい32かいアメリカズカップでは前哨ぜんしょうせんとして、1983ねんからスポンサーをつづけているルイ・ヴィトン社名しゃめいかんしたを「ルイ・ヴィトン・アクト」とばれるシリーズせんを2007ねんまで定期ていきてき開催かいさいし、かく年度ねんどごとにシリーズチャンピオンを決定けっていすることとなった。その結果けっか以下いかのチームがそれぞれシリーズチャンピオンにかがやいている。

  • 2004年度ねんど エミレーツ・チーム・ニュージーランド
  • 2005年度ねんど チーム・アリンギ
  • 2006年度ねんど エミレーツ・チーム・ニュージーランド

なおかく年度ねんどのシリーズランキングとはべつに、防衛ぼうえいていのチーム・アリンギをのぞく11チームによってあらそわれる「ルイ・ヴィトン・ランキング・ポイント」とばれるポイントランキングが用意よういされ、2007ねんだい13せん終了しゅうりょう時点じてんランキングもとづき

  • 1 : 4ポイント
  • 2 - 4 : 3ポイント
  • 5 - 7 : 2ポイント
  • 8以下いか : 1ポイント

が「ボーナスポイント」として、ルイ・ヴィトンカップ予選よせんされた。2009ねんからは「ルイ・ヴィトン・パシフィックシリーズ」として開催かいさいされている。

だい33かいアメリカズカップ[編集へんしゅう]

だい34かいアメリカズカップ[編集へんしゅう]

だい35かいアメリカズカップ[編集へんしゅう]

ソフトバンク関西かんさいヨットクラブと連携れんけいし「ソフトバンク・チーム・ジャパン」として挑戦ちょうせんした[12]。ゼネラルマネージャーは早福はやふく和彦かずひこもとニッポン・チャレンジ→BMWオラクルレーシング)がつとめる。スキッパー(ていちょう)にはディーン・バーカーもとチーム・ニュージーランド、チームCEO兼任けんにん[13]、セーリングディレクターにはアテネ五輪ごりん49erきゅうどうメダリストのクリス・ドレーパーもとチーム・コリア→ルナロッサ・チャレンジ)が就任しゅうにん[14]

だい36かいアメリカズカップ[編集へんしゅう]

だい37かいアメリカズカップ[編集へんしゅう]

出典しゅってん脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 日本語にほんご表記ひょうきについてはあらそいがあり、小島こじま敦夫あつお至高しこう銀杯ぎんぱい―アメリカス・カップ物語ものがたり』1989年刊ねんかん ISBN 978-4788787292 では「アメリカカップ」をただしい表記ひょうきとしている。一方いっぽうで、日本人にっぽんじん参加さんかしゃによる書籍しょせきISBN 978-4807233069)や、スポンサーのルイ・ヴィトン公式こうしきサイトでは「アメリカカップ」という表記ひょうき使つかわれている。
  2. ^ http://original.britannica.com/eb/article-9006143/Americas-Cup
  3. ^ http://www.pubquizhelp.com/sport/sport-trophies.html
  4. ^ えい: Royal Yacht Squadron
  5. ^ えい: Deed of Gift
  6. ^ えい: New York Yacht Club
  7. ^ 至高しこう銀杯ぎんぱい」(ぜん4さつ)ウォリック・コリンズちょ 角川かどかわ文庫ぶんこ 1991年刊ねんかん
  8. ^ アメリカズカップ史上しじょうはじめての「アメリカのいないアメリカズカップ本戦ほんせん
  9. ^ THE ANNOUNCEMENT OF THE PROTOCOL OF THE 36TH AMERICA’S CUP - アメリカズカップ公式こうしきサイト・2017ねん9がつ28にち
  10. ^ THE AMERICA'S CUP CLASS AC75 BOAT CONCEPT REVEALED - アメリカスカップ公式こうしきサイト・2017ねん11月20にち
  11. ^ チーム紹介しょうかい - 室屋むろや義秀よしひでチームの公式こうしきサイト
  12. ^ ソフトバンク・チーム・ジャパンだい35かいアメリカズカップに挑戦ちょうせん - 日本にっぽんセーリング連盟れんめい
  13. ^ 速報そくほう】ソフトバンク・チーム・ジャパン、スキッパーはディーン・バーカー! - BULKHEAD Magazine・2015ねん5がつ21にち
  14. ^ OLYMPIC MEDALIST CHRIS DRAPER JOINS SOFTBANK TEAM JAPAN - アメリカスカップ公式こうしきサイト・2015ねん6がつ8にち

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

  • ジ・オーシャンレースきゅうボルボ・オーシャンレース) - アメリカズカップに対抗たいこうして開催かいさいされているオフショア(外洋がいよう)ヨットレース。アメリカズカップが「うみF1」としょうされるのにたいして、こちらは「うみパリ・ダカール」としょうされる。
  • ウインズ (映画えいが) - アメリカズカップをモチーフとした1992ねん映画えいが
  • ジョーズ - 作中さくちゅう登場とうじょう人物じんぶつ一人ひとり海洋かいよう学者がくしゃのマット・フーパーが「アメリカズカップにたことがある」と言及げんきゅうする。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]