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アルテュール1せい (ブルターニュこう)

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アルテュール1せい
Arthur Ier de Bretagne
ブルターニュこう
在位ざいい 1196ねん - 1203ねん

出生しゅっしょう (1187-03-29) 1187ねん3月29にち
ブルターニュ、ナント
死去しきょ (1203-04-03) 1203ねん4がつ3にち(16さいぼつ)?
ノルマンディー
埋葬まいそう ノルマンディー、ルーアン、ノートルダム・デ・プレ修道院しゅうどういん
家名かめい プランタジネット
父親ちちおや ブルターニュこうジョフロワ2せい
母親ははおや コンスタンス・ド・ブルターニュ
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フィリップ2せい臣下しんかれいるアルテュール

アルテュール1せい(Arthur Ier de Bretagne, ブルトン:Arzhur Iañ, 1187ねん3月29にち - 1203ねん4がつ13にち?)は、ブルターニュおおやけ在位ざいい1196ねん - 1203ねん)。イングランドプランタジネットあさ王族おうぞくで、英語えいごめいアーサー・オブ・ブリタニー(Arthur of Brittany)。

ちちイングランド国王こくおうヘンリー2せいアリエノール・ダキテーヌよんなんブルターニュこうジョフロワ2せい(ジェフリー)。ははケルトけいのブルターニュこうコナン4せい唯一ゆいいつコンスタンスあねアリエノール異父いふいもうとアリックスがいる。正式せいしき立太子りったいしはされなかったものの、伯父おじリチャード1せい一時期いちじき、アルテュールを自身じしん後継こうけいしゃかんがえていた[1]

生涯しょうがい

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1186ねん、アルテュールがまれる以前いぜんフランスおうフィリップ2せいがパリで開催かいさいした馬上もうえやり試合しあいでのきずにより、ちちジョフロワ2せい急死きゅうしする。おっと死後しご、そのわす形見がたみとして出生しゅっしょうした息子むすこに、ははコンスタンスは騎士きしどう物語ものがたりアーサーおう物語ものがたり)の主人公しゅじんこうアーサーおうちなんで名前なまえさづけた。それから、ちち原因げんいんをプランタジネットにあるとおもきらっていたははによりフランス宮廷きゅうていそだてられたため、嫡子ちゃくしいリチャード1せい王位おうい継承けいしょうしゃとして候補こうほがったが、プランタジネットからはフランスがわられ警戒けいかいされていた[2]

その本来ほんらいはコンスタンスがブルターニュを統治とうちするはずだったが、1188ねん、ヘンリー2せいはコンスタンスを、イングランドに領土りょうどをもつチェスターはくラヌルフと再婚さいこんさせた[3]

1191ねん祖父そふヘンリー2せい死後しご即位そくいした伯父おじリチャード1せいだい3かい十字軍じゅうじぐん参加さんか途中とちゅうったシチリア国王こくおうタンクレーディ叔母おばジョーンあつかいをめぐ衝突しょうとつこしたのち和睦わぼくしたが、そのさいタンクレーディのむすめ結婚けっこん相手あいてとしてアルテュールのげ、アルテュールを自身じしん後継こうけいしゃとして指名しめいした。しかし、祖母そぼアリエノールはアルテュールの王位おうい継承けいしょうこころよおもわず、未婚みこん伯父おじ嫡子ちゃくしもうけさせるため同年どうねん4がつナバラ王女おうじょベレンガリアめとわせ、2人ふたりは5月にキプロス結婚けっこんした[4]

1196ねん、ブルターニュの独立どくりつおもんじたコンスタンスは、7さいのアルテュールにブルターニュこう継承けいしょう宣言せんげんさせ、かつてのおっとでアルテュールのちちのジョフロワ4せいがそうであったように、フランスおうフィリップ2せい同盟どうめい関係かんけいむすぶことにした[5]

ブルターニュはフランス王国おうこくないであり、ブルターニュこうはフランスおう臣従しんじゅうする諸侯しょこうひとつであるため、それ自体じたいには問題もんだいはないはずであった。また、プランタジネット王家おうけ自体じたい元々もともとはフランスのアンジューはくであって、フランスでまれそだったヘンリー2せいやリチャード1せいにしても、その治世ちせい最大さいだい関心事かんしんじ大陸たいりくがわにある領土りょうど問題もんだいであった。だが、このころからリチャード1せいとフィリップ2せい対立たいりつ深刻しんこくし、やがて両者りょうしゃたたかいに突入とつにゅうした。

1199ねん、リチャード1せい嫡子ちゃくしのないままアキテーヌ戦死せんしすると、フィリップ2せい干渉かんしょう憂慮ゆうりょしたペンブルックはくウィリアム・マーシャルらイングランドの貴族きぞくは、最終さいしゅうてきなリチャード1せい遺言ゆいごんどおおうおとうとでアルテュールの叔父おじジョン王位おうい継承けいしょう決定けっていした。だが、アルテュールとブルターニュの貴族きぞくは、ジョンはアルテュールのちちジョフロワ2せいおとうとにしかすぎず、王位おうい資格しかくはないとしてアンジェ領主りょうしゅウィリアム・ド・ロッシュ英語えいごばん手引てびきでアンジューはくりょう占領せんりょう大陸たいりくがわのプランタジネットりょう諸侯しょこう協力きょうりょくて、イングランド王位おうい主張しゅちょうした。このさい祖母そぼアリエノールはアキテーヌをおさえジョンを支持しじしており、傭兵ようへい部隊ぶたいをアンジューへ派遣はけんしてアルテュール一派いっぱル・マン退却たいきゃくさせた。そのすきにジョンはイングランドへわた戴冠たいかんした[6]

そのも、1200ねんのジョンのイザベラ・オブ・アングレームとの強引ごういん結婚けっこんからフィリップ2せいがアルテュールに大陸たいりくがわ領土りょうど(アンジュー・メーヌトゥーレーヌ)をあたえる事態じたいまねくなど、両者りょうしゃ対立たいりつつづいたが、1202ねん、アルテュールはフィリップ2せいノルマンディー侵攻しんこうじょうじてミルボー英語えいごばんしろのアリエノールをらえようとして、ぎゃく援軍えんぐんけつけたジョンの軍勢ぐんぜいらえられ、ファレーズ幽閉ゆうへいされてしまう(ミルボーのたたか英語えいごばん[7]

アルテュールははじめファレーズ、つづいてルーアンとう幽閉ゆうへいされたが、よく1203ねん4がつ消息しょうそく不明ふめいとなった。4月13にちにジョンの指示しじによってとうからされてふねせられ、セーヌがわにて船上せんじょうウィリアム・ド・ブラオス英語えいごばん暗殺あんさつされたのだといううわさながれた。ジョンがアリエノールへおくった4がつ16にちづけ手紙てがみ暗殺あんさつほのめかすぶんいてあった、ブラオスが1210ねんころにフランス宮廷きゅうていんで事件じけん自白じはくしたというはなしかたられ、真相しんそう不明ふめいだが、このことによってイングランド・大陸たいりくがわ双方そうほう貴族きぞくたちにジョンにたいする失望しつぼうつよまり、やがてフィリップ2せいによる大陸たいりくがわのプランタジネットりょう没収ぼっしゅうへとつながっていくのである[8]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ もり、P76。
  2. ^ 桐生きりゅう、P225、石井いしい、P335、ペルヌー(1996)、P235。
  3. ^ ペルヌー(1996)、P310 - P311。
  4. ^ 桐生きりゅう、P229 - P231、石井いしい、P343 - P345、ペルヌー(1996)、P258、P261 - P262、ペルヌー(2005)、P120 - P121、P140 - P141。
  5. ^ ペルヌー(2005)、P254。
  6. ^ 桐生きりゅう、P278 - P280、石井いしい、P379、ペルヌー(1996)、P295 - P296、P299、P310、ペルヌー(2005)、P263 - P264。
  7. ^ 桐生きりゅう、P285 - P288、石井いしい、P393 - P394、ペルヌー(1996)、P316 - P319。
  8. ^ もり、P78、桐生きりゅう、P289 - P294、石井いしい、P394 - P395、ペルヌー(1996)、P319 - P320。

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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先代せんだい
コンスタンス
リッチモンドはく
1196ねん - 1203ねん
次代じだい
アリックス・ド・トゥアール
先代せんだい
コンスタンス
ブルターニュおおやけ
1196ねん - 1203ねん
次代じだい
アリックス・ド・トゥアール
先代せんだい
リシャール
アンジューはく
1199ねん - 1203ねん
次代じだい